第10話 魔王軍の残党

 ロクロの顔が強張っている。手綱たづなを握る手は戦慄き、うまくムチを扱えていない。それでもロクロは、何度も何度もサボンの尻を叩く。しかし、もうしばらく、サボンの速度は上がっていない。

 背後から近づいてくる魔王軍は、私たちとの距離を詰めている。

 追いつかれるのは時間の問題だ。

「そんなに貴重なものなのか?」私は聞いた。

「えっ、なんです?!」

 御者は慌てふためいてき、私の言葉は耳に入らない様子だ。


 女神の薬とやらがそんなに貴重なのか? と尋ねたかったのだが、今はそれどころではないようだ。


 すると、私たちの行く手に一体の魔物が舞い降りる。トンボのような羽根が生えたそいつは、我々に向かって手をかざす。

 魔法か。

「ふん」と鼻で笑ってやった。

 馬鹿にされたことに気づかない様子の魔物は、かざした手を紫色に輝かせる。

「あああぁあ」

 隣のロクロは思いのほか取り乱しておる。そうして「お終いだぁ」と叫び、頭を抱え、ついには手綱を放してしまった。

 そんなロクロにお構いなしの魔物は我々へ向かって光球を放つ。

 それは、あくびが出るほどの球速であったが、光球の軌道はまっすぐロクロへ向かっておる。コントロールはそこそこのようだ。その光球がロクロにぶつかろうとしたその瞬間――。私は、光球を片手で受け止め、そのまま握りつぶした。


 思っていたよりも遥かに貧弱だな。

 出来の悪いこやつらは、この程度の魔法でこの魔王と戦うつもりか? ふざけるなよ、貴様ら。


 雑魚の攻撃魔法に苛立ち、私はこう叫んでいた。

「カイザァアウエェイブ」

 雑魚共を一掃する。そんな思いで、私は魔法を発動した。周囲に衝撃波が生じ、すべてを吹き飛ばす。それがカイザーウェイブ。

 だが、何も起きない。

 いや、何かが起きているはずだが、それが何かわからない。

 今度ばかりは、バラが浮かんでいるということもなければ、私の体が弾むわけでもなさそうだ。

 気が付くと、手綱をひかれなくなったサボンが走るのをやめていた。当然、背後から迫っていた魔王軍の残党も、私達に追いついている。

 目の前に、光球を放った魔物が飛来する。羽音が鬱陶うっとうしい。

「お前、何者だ?」

 耳障りな声。どうやらその言葉は私へ向けられておるらしい。

「おとなしく荷物を寄越しな」荷馬車の横に立った魔物がいう。

 私はゆっくり馬車を降り、唇をかみ締めた。


 かつて魔王と呼ばれたこの私が、雑魚に、このような口の利き方を許すとはな。そのうえ、かつて支配していた魔王軍が、こんなチンケな盗みを働くとは。なんとも、情けん。泣きたくなってくるわ。


「おい、なにを」と言いかけた魔物を私は容赦なく殴り飛ばす。

 顔面を殴打された魔物は、「うごぉあ」と妙な声を出し、後方へと吹き飛んだ。

 すると、私の顔に、信じられぬほどの衝撃が加わる。

 不意に受けた打撃。私はあたりを警戒する。しかし雑魚共が、私の間合いに入った気配はない。


 どういうことだ?

 何が起きた?


 戦闘への集中力を欠いていると、隙をついて、別の魔物が迫ってくる。両手に短剣。だが、構えが甘い。

 接近する魔物の顔面を殴り飛ばす。

 バキッ! と音をたて、魔物の顔がひしゃげる。

 そしてまたしても、私の顔面に殴られたような衝撃が走る。


 これはなんという威力か。


 よろけながらも私は、残りの魔物を視界にとらえる。魔物は二体。そのうちの一体が、私に手をかざしている。

 一瞬の閃光とともに無数のいかづちが私の体を貫く。

 だが……、弱すぎる。


 ふん。せっかくの作業着が少々焦げたではないか。


 私は、雷を放った魔物へと跳躍し、距離を詰める。

「ひゃあああ」と悲鳴を上げる魔物。

 そんな魔物の鳩尾みぞおちめがけ放つ正拳突き。

 その打撃は、やはり私に跳ね返ってくる。

 息が途絶えるほどの痛み。さすがの私も片膝をつく。


 これは反射魔法か。ばい、いや3倍がえしかもしれぬ。

 こんな魔法を、よりにもよって自分にかけるとは。

 なんと忌々しいことか。

 

 朦朧とする意識の中で、跳ね返った打撃に耐えていると、今度は背中で何かが炸裂する。振り向くと、ぶんぶんとうるさい魔物が、私に向けて光球を放っている。

 こいつが最後の魔物。遠距離から攻撃するつもりか、腰抜けが。

「おい!」私は声を張り上げる。

 だが魔物は私の言葉を無視して、攻撃を続ける。

 私は飛び交う光球を手で払う。跳ね返ってくる自分の打撃より、光球の方が、遥かに威力が低い。

 片手で魔物の放つ光球をはじき返していると、次第に光球の数が減り始める。


 もう魔力が尽きたのか? 威力の低い魔法に、簡単に底をつく魔力。この魔物は、本当に魔王軍か? 


 最後に、搾りカスのような光球が私の顔面をかすめ、ついに、魔物の光球が途絶える。魔物は羽ばたきを止め、力なく地面に着地する。

 私は、戦意を喪失した様子の魔物に、ゆっくりと近づく。

「ああ、あ」と声を漏らす羽根つきの魔物。

 びくびくする魔物に私は声を掛ける。

「なぜだ? なぜこのようなことをしている?」

 怯え切った魔物は、声を失っている。

「薬を盗んでどうするつもりだ?」

 私は、魔物の目の前で立ち止まる。

「何か申さぬか」腕を組み、にらみつける。

「お、俺は」魔物が、震える声で話す。「薬が欲しかったんだ。仲間が、傷ついた仲間が、死にそうなんだ。だから……」

 そこまで語り、魔物は口を閉ざした。

「治癒魔法はどうした?」

「魔力が――」魔物がいう。「魔力が、足りねえんだ。勇者軍との戦いで、みんな疲れ切ってる」

 私は呆然と立ち尽くしていた。

「お前、治癒魔法は使えるのか?」

「えっ」

「治癒魔法を使えるのかと聞いている」

「あっ、ああ……」魔物が頷く。

「そうか」

 そして、その魔物の肩に手を乗せ、私は体を輝かせ始めた。

「お、おい」魔物が私を見つめる。

 何かいいたそうな魔物を無視して、私は一気に魔力を与えた。

 すると魔物の体が煌々と輝き始め、みるみるうちに肉体がつやを取り戻す。

 目を見開く魔物。

「あ、あんた……」魔物が口を開く。

「なんだ?」私は聞き返す。

「あんた一体、なにもんだい?」魔物がいう。

「見てわからぬか?」

 そういう私の胸元に、魔物が目をやる。

「……宅配便?」

「そうだ」私は頷く。「ただの宅配便だ。魔力のな」

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