第9話 御者と馬

 なぜ勇者は、この私を連れて行かなかったのだ? クールな顔をして抜けておるのか? それともこれは、私に対する嫌がらせか? そんなつまらんことをするようなやつには思えんが。

 それに、結局、エウロパについては、何もわからずじまいだ。勇者は女神から、何か聞いておるのだろうか。

 そんなようなことを思案しながらも、私はとりあえず、サレスへ向かって歩き始めた。置いてけぼりをくらった私だが、ここにいても仕様がない。

 私は広場を離れ、街はずれの城壁を抜けた。城門には、騎士が一人立っておったが、誰何すいかされることはなかった。もしかすると、この服装が通行手形のように働いておるのやもしれん。

 王都を抜けたのはいいが、ここからサレスまではだいぶ距離がある。

 歩こうが走ろうが、疲れるなどということはあり得ないが、駆け足というのは、どうにも滑稽な気がしてならない。かといって歩くのも退屈だ。どうしたものか? などと、うだうだ考えながらも、とりあえず歩いていると、私の横を馬車が通り過ぎて行った。ホロのついた、荷馬車だった。

 ここぞとばかりに私は駆け出し、馬の鼻先に立った。

「あぶないでっせ」御者がいう。身なりは整っておるが、派手さはない。中流の商人だろう。

「どこへ行く?」私は腕を組みながら言った。

「なんだあんた偉そうに」

「うむ」私は頷いた。「そなたはどこへ向かうのでしょうか?」

「はあ?」御者が口を開ける。

 私は馬に近づく。大人しい馬のようだ。怖気ずくような素振りをみせない。

「どこへ向かうのだ?」私は聞き直した。

「どこって」御者がのけぞる。「あんたなんか嫌な感じがすんなぁ」

「どういう意味だ」

 私は御者をにらみ付ける。

 ぶるぶるっと身を震わす御者。「いやなんていうか、怖えって感じですわ」 

「うむ」

 魔王だからな。わかるやつにはわかるらしい。

「それでどこへ向かうのだ?」三度目の質問だ。

「あ、ああ」御者が頷く。「まずは、グレンヘッド。それから、アムリカムリで、そいで……」

「サレスへは?」私は御者の話を遮った。

「サレス? あんな高級リゾート、あっしのような庶民には縁がねぇわ」御者が手をひらひらと振る。

「そうか」

 しかし、確かグレンヘッドはサレスへ向かう途中に位置するはず。歩いていくのは面倒だが、馬車ならば、多少は気も楽だ。

 私は、御者を真剣なまなざしで捉え、こういった。

「悪いが、グレンヘッドまで乗せてって下さらぬか?」

 そう言われた御者は、私を見つめたまま、ごくりとつばを飲み込む。御者の額には、汗が滲んでいる。

「ぁあ、そうだな。なんかあんたおっかねぇし、ちょうどいいや。最近、この辺も物騒だしな」

 ひきつった笑顔を浮かべる御者はどこか落ち着かない。昨日の神官のように、知らず知らずと私は、御者に威圧感を与えておるようだが、それでも私を乗せるということは、のっぴきならぬ理由があるということやもしれぬ。

「あっしの横があいてますぜ、旦那」

 旦那、などと呼ばれ始めたのが気になったが、特にとがめなかった。

 私が御者の横に座ると、すぐさまムチが鳴る。すると、ゆっくりと馬車が動き始める。

「この馬は魔物か?」

「いやぁただの馬でっせ」

「そうか」

 私は堂々たる様子の馬に違和感を抱いていた。

「旦那のお名前は? あっしはロクロっていいやす」御者がいう。「この馬はサボンって呼んでやす。ぽっちゃりしてて、かわいいでしょ」

「ダンテだ」

 私は、馬の話には触れなかった。やけに肥えているとは思うが、かわいいとは思わん。全く速く走れそうにないのが、気掛かりだ。

「ダンテさんですか」御者のロクロが、私のことをちらちらとみている。

「何か聞きたいことでもあるのか?」

「いやあ」とロクロが頭をかく。「その恰好がちょっと気になったもんで」


 うむ、確かに、この服装は見慣れないだろう。


「魔力の配達をしていてな」

「旦那、魔法が使えるんで?」

「今は訳あって使えん」

 きょとんとするロクロ。話の続きを求めているようだが、私は、何も語るつもりはなかった。私が魔王で、女神に奉仕を求められ、魔法が思うように使えないという話は、そもそも語りたくなかった。

「魔法がランダムになってしまう」私は手短に言った。

「へぇ魔法が」ロクロがいう。

 思っていたよりも反応が薄い。どうやら魔法の話に興味はなさそうだ。

「何を運んでおるのだ?」私は話を変えた。

「えっ、ああこれは、女神様の薬でさ」ロクロが荷台にチラリと視線を投げる。「といっても、あの方々も忙しそうでねえ、数はだいぶ少ねぇんでさあ」


 女神の薬。何に使うのかは知らぬが、薬というのだから、何かの治療に使うのだろう。


 後ろの荷台をのぞくと、木箱がいくつか載っていた。この中に女神の薬が入っておるのか? あの年増女神も、割と仕事をしておるのかもしれん。

 しばらく街道を進むと、あたりに見渡す限りの草原が広がり始めた。遠くには雲のかかった山々がみえる。ゴウラは、あちらの方角だ。かつてそこには、私の居城があった。

 馬のサボンは、歩くよりは早いが、走るよりは遅い速度で、確実にグレンヘッドへ向かっていた。私は、流れる景色を眺め、馬車に揺られた。

 到着は日没後になりそうだと思い始めた頃、ロクロの操るムチがヒュンと音をたて、サボンの尻を叩いた。 

 サボンが首を起こし、足を早める。

「どうした」私は、横のロクロに尋ねた。

「まずいでさ。魔王軍でさ」

 私が後ろを振り向くと、そこには数体の黒い影がみえた。

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