第3話 魔力復活

 翌朝。好晴。

 客間へとやって来た騎士に連れられ、私は昨日と同じ謁見の間へ通された。目の前には年増女神の姿。両脇には、天使たちが並んでいる。

「おはようございます。魔王殿」女神が明るく挨拶する。「昨夜はよく眠れましたか?」

「睡眠など取らん」と私は答えた。

 これまで一度も眠ったことなどない。

「それはそれは。宅配業にもってこいですね」

「ふん」黙れこの年増女神、と声が出そうになったが、堪えた。

「ところで魔王殿。上着のファスナーが開き過ぎです。いたいけな天使たちが、目のやり場に困っています。ファスナーはちゃんと鎖骨の辺りまで閉めてください」女神が厳しく注意する。

 私は、自分の腹の辺りを見た。そして、「うむ」と一言呟き、腹の辺りにあったファスナーを閉めた。「こうか?」

「よくできました」といい、女神は手のひらを合わせる。

 その言葉に、眉をひそめずにはいられなかったが、沈黙を貫いた。この年増女神と話していると、堪えることが多い。

「では魔王殿、早速ですが、サレスへ魔力を運んで下さい。初仕事になりますね」

「サレスへ向かうだけではなかったのか?」


 昨日の話では、サレスで、社長と呼ばれる人物に、仕事の詳細を聞く手筈てはずであった。ということはつまり、サレスに着いてから仕事が始まるとばかり考えておったが。


「ついでです」

 あっさりとした理由を語る女神。

「同居人の同行は?」

「予定通りです。彼にも、魔力を運んでもらいます。あなたに馴染み深い方ですよ」不適な笑みを浮かべる女神。

「それは会ってからのお楽しみなのだろう?」

「ええ」と相槌を打ちながら、女神は微笑んだ。「では、魔王殿、私の魔力を授けます」

 そういうと女神が私にゆっくりと近づく。近くでは、より一層、老けて見えるな。女神が私の手を両手で包み込む。気色悪い光景だが、魔力は肌と肌を触れ合わせなければ授受することができず、無下に振り解くわけにもいかない。

「何を照れているのですか?」

「ふざけたことをぬかすな」とすぐさま言い放ち、女神から顔を背けた。

 むふふと笑う女神を私は直視できず、目を泳がせた。沸き起こる感情は、怒りというよりもむしろ恥じらいに近い。

 戸惑う私を尻目に、女神はオーロラのように輝き始め、魔力享受の仕度を始める。

 女神のまとった美しい光が私を包み込むと、私の体内へ魔力が流れ込んでくる。私は、喉の渇きを潤すような心地よさを覚え、その刹那は、女神から受け取った魔力に感謝を禁じ得なかった。

 徐々に蓄えられていく魔力に、私は、我が力の復活を感じていた。かつて、この世界を支配せんとしていた魔王の復活を、私は魔力の中に垣間見ていた。

 そしてついに、増え続ける魔力に狂わされ、気がつくと私は、女神の白く細い腕をがっしりと掴んでいた。

「およしなさい! 魔王殿!」女神が叫ぶ。

「貴様の魔力、貰い受ける」エコーのかかったような低い声が、謁見の間に響く。それは、私が魔王だった頃の声色こわいろだった。

 女神の魔力を一挙に吸い上げると、私は体を一回転させ、その勢いのまま、女神を投げ飛ばした。

 吹き飛んだ女神が壁に衝突する。

 その姿を見届け、私はこう言った。

「この私に魔力を与えたこと、後悔するがよい……フレイム・インフェルノォ!」

 フレイム・インフェルノ。それは周囲を黒炎の海とし、全てを灰にする炎系最強級の魔法――のはずだった。

 轟音とともに生じるはずの黒炎に代わり、私の目の前に現れたのは、真っ赤な一輪のバラだった。

 そのバラは空中に突如として出現し、パサリと床に落ちた。

「ど、どういうことだ」

 私は呟いた。エコーの声は元に戻り、語尾はかすれていた。

「魔王殿、私をあまり失望させないで下さい」そういう女神の声は、ひどく落ち着いていて、なによりも不気味だった。

 バラを凝視するがあまり、投げ飛ばしたはずの女神が、私の目の前まで近付いていることに気が付かなった。

「この国の少年達は、目覚めたばかりの魔力を使って、好きな女の子にバラの花をプレゼントするそうです。そんな素敵な魔法があることをご存知でしたか?」

 傷一つない女神の姿と、目の前の薔薇にただただ驚くばかりで、私は言葉を失っていた。

「この魔法に名前はありません。魔力を秘めた男の子が、最初に使う魔法です」女神が険しい表情で、私を睨みつける。

「貴様」絞り出したその声は、どこか弱々しかった。

「怒りを収めなさい」

 女神が手のひらを差し出す。それは戦う意志がないことを示しているようだった。

 だが、私はそんなものを無視し、拳を固く握り締め、こう叫んだ。

「この私に何をした!」

「黙りなさい!」

 一喝する女神に、私はもう一度、魔法を唱える。

「カイザァァレイィ!」

 詠唱と共に、無数の光線が女神を貫くはずだったが、光線どころか、今度はバラすらも出現しない。

「いい加減になさい!」女神が声を張り上げる。

 魔法を使わんとする女神の動きを察知し、私は後方へ数メートル飛び退いた。地面への着地がままならないことなど、今まで一度もなかった。だが、この時ばかりは違った。

 どういうわけか、体が異常に弾む。

 着地できぬ。

 地面に落ち着こうにも、ボヨヨンと弾み、思うようにいかない。

「そんなに弾んで何をしているのですか?」と女神が笑う。

 私は、女神を視界に入れながらも、ボヨヨーンと軽快に弾んでいた。全身が、丸みを帯び、体のコントロールが全く効かない。

「先ほどまでの威勢はどうしたのですか?」

 女神が、私を馬鹿にする。

「黙れ」と威勢よくいってみたが、まりのように弾み、なおかつボヨンボヨンと効果音が付くような体たらく。我ながら情けない。

 すると今度は、女神が私の声色を真似て、私の台詞を茶化す。

「この私に魔力を与えたこと、後悔するがよい、フレームインフェルノー」

 私や女神から離れていた若い天使達がくすくすと笑い始める。

「この世を支配するかも知れなかった魔王が、ひどい醜態を晒していますね。まあ、とってもチャーミングですけど」

 こやつに逆らうとろくなことがない。反省し、私は「すまないが、これを解いてくれ」と乞うた。

 私の言葉を聞いた女神が顎を上げ、勝ち誇ったような表情を浮かべる。

「それは、ボヨヨンバブルという魔法です」

 女神が解説を始める。

「そんなことはどうでもよい!」

「そうですか? 子供から大人まで広く親しまれている魔法ですよ」女神がゆっくりと話す。

 この年増女神は、この状況楽しんでおるに違いない。

 小癪な。

 貴様、只ではすまさんぞ! と心の中で悪態をつきながらも、私はボヨンと、軽快に弾んでいた。

「焦らなくても、いつかは効果が切れますよ」と女神がいう。

 悠長な態度の女神に、私の直感が冴え渡る。

「貴様、レコードアイを使っていないだろうな?」

 レコードアイは録画魔法だ。映像を魔力に記録し、いつでもどこでも再生できる。

「ふふふ」と笑う女神のにやけ顔が憎たらしい。「メガミ・レコードです。レコードアイよりも遥かに高圧縮で高精細です」

「やめろ!」

「あとで、他の女神達とシェアします」

「貴様ぁ」弾む私が言い騒ぐ。

「面白いので、もう少しこのままでいましょう」

 片手を口にあて、オホホホ、と声を出して笑う女神。そんな女神をたいそう恨んだのは言うまでもない。

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