第二部 第7話「お化け屋敷」
1
お節介な允明が死んだ。
「大人のくせに・・・こんな小さな子たちに、なんてことを言わせるんですか?」
怒りの籠った声でお節介の允明は言う。
その腕にはボロボロな姿の允升を抱えている。
目を閉じると、あの日の情景が勝手に浮かんだ。
こうやって、允明は俺に何度もしつこく関わってきた。
これ以上関われば、張騫と同じで死ぬかもしれない・・。
だから、止めるつもりで允明の首に手をかけて脅したこともあった。
「紺に傷ついて欲しくないんだ。だから、僕はやめない。」
允明は目に涙を浮かべながら俺を見る。
だから・・・俺に関わるな!
爆発してしまいそうな感情を押し込むように、首を左右に振った。
「あら、珠玉ちゃんじゃない。珍しいわね。」
突然の店長の声に驚いた。
俺はいつの間にか店長の店に着ていたみたいだ。
帰ろうと思ったが、今は俺を日頃から知ってる人に会いたくなかった。
会えば、優しくしてくれるだろうし、こんな気持ちを受け止めてくれるだろう。
けど、今はそんな優しさをどうしても受け入れられなかった。
俺は前に進まないといけない。
「店長、部屋貸して。」
すると店長は苦い顔をして、店の奥にある部屋を案内してくれた。
部屋に入り、横になって天井を見つめた。
傷ついて欲しくないって・・・その結果がこれか・・・。
2
「その人のことが好きだったんでしょ?」
あまっちゃんが教えてくれた店の店長の声が聞こえた。
「もう、誰も死んで欲しくない。」
苦しそうな声で紺は言った。
紺、大丈夫だ・・・。
安心させたくて、紺に向かって手を伸ばすと柔らかい何かが指先に当たった。
「紺・・・。」
ゆっくり目を開けると、辛そうに眉をひそめて眠っている紺の顔が見えた。
俺の指先は紺の頬を触っていた。
顔についている消えかけの切り傷を避けるように頬をつまんだ。
その時、紺が眉間に皺を寄せながら目を覚ました。
「なんで、張騫がここに居る。」
紺は俺から距離を取ろうとしたが、背中の壁がそれをさせなかった。
「もう、大丈夫だぞ!紺!」
起き上って離れようとする紺を逃がさないように抱きしめた。
「な、なにがだ!」
この状況を理解できない様子だ。
「大丈夫だ。」
今度は静かに言うと、紺が大人しくなった。
紺の頭の上に手を置いて撫でた。
「お前を残して消えない。」
あの日・・・俺のエゴが、紺をこうしてしまった。
「絶対に・・・。」
この位置から紺の顔は見えなかったが、泣きそうなのが伝わってきた。
「一回消えたくせに・・・。」
紺は頭に乗っていた俺の手を取った。
「どの口が言ってるんだか。」
涙をこらえるように笑みを浮かべて紺は言った。
ああ・・・また会えて・・・本当に嬉しい。
3
なにかが足りない・・・。
いつもと変わらない家の中をじっと見つめる。
自分が消える前とあまり変わらない家の中。
強いて変わった所と言えば、俺が消えた日以降も珪がこの家に住んでいることぐらいだ。
だから、この家には珪の存在が感じられる物が置いてある。
本腰を入れてその正体を探れば、簡単に見つかるだろう。
でも・・・なぜかその正体を知ることが怖かった。
固唾を飲みこんで、まだ誰も居ない食卓机のある部屋を見つめた。
その時、扉を叩く音が聞こえてきた。
視線を窓に向けると、朝焼けが見えた。
「誰だ?」
扉越しにそう言った。
「紺?朝早くからごめんね。允明だよ。」
扉を開けると、苦笑いをした允明の姿が見えた。
「どうしたんだ?こんな朝早くに・・・。」
用件を促すが、允明は戸惑った様子で次の言葉をなかなか出さなかった。
俺じゃないのか・・・。
「張騫なら今着替えてるから、少し・・・。」
「い、いや・・・張騫じゃなくて、紺に用があるんだ。」
左右に首を振って、允明は俺の言葉を遮った。
「俺に?」
じっと、戸惑った様子の允明を見て、部屋の中に視線を移した。
あんまり、人には聞かれたくない話かもしれない。
「分かった。ちょうど、張騫の好きな饅頭屋が開く時間だし、そこに行こう。」
その瞬間、慌ただしい音とともに張騫がやってきた。
息を切らせている。
「俺も行く!」
何言ってるんだ・・・。
家で大人しく待ってろ・・。
そう思いながら張騫を睨むと、允明はクスリと笑った。
「張騫好きだよね。一緒に行こう。」
その言葉に驚いた。
張騫の顔を見ると本当に嬉しそうな顔をしていた。
最初から全部盗み聞いてたうえで、張騫は言ったのか・・・。
朝早くから疲れる・・・。
4
「食べないのか?」
紺のその言葉とともに、パンダ饅頭が目の前に見えた。
「あ、ありがとう!食べるよ!」
無理に笑みを浮かべて饅頭を受け取った。
紺は隣で嬉しそうに饅頭を食べている張騫を押しのけて、僕の隣に座った。
饅頭を一口食べると、甘くて美味しかった。
本当においしい。
少し間を開けて、僕は紺の顔を見た。
それに気づいた紺は、饅頭を口にくわえたまま僕を見た。
「どうしたんだ?」
くわえた饅頭を飲み込んでから紺は言った。
紺なら知っているだろう。
「紺・・・・僕は死んだはずなんだ。なのに、なんで生きてるの?」
あの身を焼かれる痛みは本物だったんだ。
紺は一度死んだけど、今も生きている。
だから、紺の知っていることを全て教えて欲しい。
紺は考え込む様子で、空を見上げた。
しばらくすると、考えがまとまったのか、紺は僕の顔を見た。
「さあ?」
その返答に驚いた。
「こ、紺?」
じっと見つめると、紺は苦い笑みを浮かべた。
「お前が死んだとき、俺は仕方がないで片付けたんだ。だから、お前が今生きてる理由が分からない。」
僕は・・・紺の必死な静止を振り切って、無茶をしたんだ。
そう思われていても不思議じゃない。
守ると言っておきながら、僕は結局のところ、間接的に紺を傷つけていた。
ああ・・・自分はなんて馬鹿なことをしたんだろう・・・。
「けど、今度は二度と仕方がないで片付けない。」
紺は悪くない・・・。
僕が弱かったから・・・。
「允明。」
紺はまっすぐな目で僕を見る。
「どんな結果でも、俺のために生きて欲しい。」
紺の顔が見られず、僕は顔を下に向けた。
「うん。」
僕も・・・もっと強くならないと・・・。
「紺。」
突然、張騫が悲しそうな顔をして、空になった紙袋を逆さにした。
「まだ足りないのか?」
紺がそう言うと、張騫は深く頷いた。
ため息交じりに紺は饅頭を買いに行った。
嬉しそうな顔をして、張騫は僕に引っ付くように座った。
「允明、今まで頑張ってくれてありがとな。もう、二度と紺に会えないと思ってたから、嬉しいんだ。」
僕の目から涙が落ちた。
「これからは一緒に頑張ろうな!」
張騫は自分の袖口で僕の涙を拭うように顔を触った。
「い、痛いよ。」
それが嬉しくて、なんだかおかしかった。
5
允明を家まで見送った後、俺と紺は家へとつながる道を歩いた。
「張騫が允明を生き返らせたのか?」
不安そうな顔をして紺は言った。
紺を生き返らしたのが俺だから、当然そんな考えになる。
「いや。允明が死んでたって知ったのは、つい最近だ。」
そうなると・・・あいつか?
一体・・・なんのために?
「紺の考えてることは・・・だいたい合ってる気がする。」
紺は驚いた顔をしつつ、恥ずかしそうに頬を赤くして不機嫌な表情をした。
「張騫が心を読めること、忘れてた。」
そんな様子がおかしかった。
「なあ、紺。允明が俺たちみたいだったら・・・どうする?」
生きているってことは・・・確かに、その可能性も考えられる。
「今までと変わらない。允明は、允明だ。」
でも、正直言ってその場面に出くわしたら・・・俺は一体、どんな風になるんだ?
紺は目を細めて難しい顔をした。
「そう言う張騫はどうなんだ?」
「俺も紺と同じかな。今を受け入れるしか・・・俺には思いつかない。」
この先の不安を隠すように笑った。
允明の正体が分からないから、保留か・・。
そう考えて紺はため息を吐いた。
それが一番懸命なんだよな・・・。
「本当に・・・人が居ない間に、どれだけ引っ掻き回したんだ・・・。」
不満を吐き出すように紺は言った。
「張騫。話は変わるが、この後のことはちゃんと考えてるんだろうな?」
紺は俺を睨んだ。
あまっちゃんと昨日会った時のことか。
「考えてるって・・・お化け屋敷へみんなで行くだけだろ?そんなに気を付けることなんかあるのか?」
「お前を止める自信なんか、俺にはない。」
え・・・。
「紺・・・俺、護身用に色々教えたよな?まだ、俺に勝てる自信がないのか?」
毎朝、紺が強くなれるように奇襲を仕掛けてたのに・・・。
「紺!試してもないのに、最初から無理って決めつけるのは駄目だろ。あれからずいぶん、時間は経ってるんだぞ?」
普段から護身用に持ち歩いていた短刀を袖口から出して、紺に渡した。
「何しても良いから、俺を倒せ。じゃないと、お化け屋敷を楽しみにしてた珪が泣く。」
遊信は使えないし、頼れるのはお前しか居ないんだ。
「人を当てにして約束するのもどうかと思うが?」
いっそ、珪が泣くだけで済むなら、その方が平和で良いだろ。
「紺!そんなの絶対ダメだ!」
紺はため息を吐いた。
「なら、張騫。絶対に武器は使うなよ。」
頷いた瞬間、紺は真剣な目をして俺を見た。
それを合図に、紺が俺に向かって踏み込んだ。
大きく右手を振り上げて紺は俺の顔に向かって拳を下ろした。
拳が大げさすぎる。
右手で拳を逸らしながら、左腕で回し蹴りを防いだ。
分かりやすいフェイントだ。
防いだ回し蹴りに力が入る前に、体を逸らしてかわした。
紺はバランスを崩して、背中から地面に落ちた。
上から紺が身動き取れないように押さえつけようとしたとき、激しい頭痛に襲われた。
な、なんだ?
目を細めて紺の顔を見ると、口元が笑っていた。
俺を勢いよく抱きしめて、地面に叩きつけた。
その間にも頭痛は増していく。
「嘘つき・・・。」
そんな紺の声が聞こえたと思った瞬間、頭痛が嘘みたいに消え去った。
気が付くと紺は俺の隣で、息を荒げながら地面にうつ伏せで倒れている。
俺はいつの間にか、左腕にいつも仕込んでいた鉄の棒を手に握っていた。
「紺・・・。なんて技見つけてるんだか・・・。」
額から流れ落ちる汗を拭ってから、紺の頭に手を置いた。
理性の効かない強い感情をぶつけられると頭痛がするから、苦手だった。
まさか・・・そんなことしてくるなんて・・・思わなかった。
「今回は約束破った俺の負けだけど・・・お化け屋敷どうしよう・・・。」
救いを求めるとように紺に言った。
「全力は尽くしてやるけど・・・どうなっても・・・知らないからな・・・。」
息を切らせながら紺は寝返りを打った。
6
二人だけで僕を置いて、どこに行ってるんだ・・・。
珪は机の上に置いた朝食と扉を交互に見つめた。
朝起きると、珠玉と張騫の姿がどこにもなかった。
「出かけるなら、出かけるで、声をかけてくれたって良いだろ・・・。」
これじゃあなんだか・・・僕だけ仲間外れみたいだ・・・。
そう思うと寂しかった。
張騫と暮らしていた年数は僕の方が・・・たぶん長い。
珠玉が帰って来て嬉しいけど・・・こうやって一人にされると、二人の絆の深さを感じてしまう。
今日みたいな日が続いて、そのうち僕の居場所はなくなってしまうんだろうか・・・。
嫌な気分になった。
そのとき、扉から二人の話し声が聞こえてきた。
二人で出かけてたのか?
不満を感じながら、二人が入ってくる前に扉を開けた。
「一体、僕に内緒でどこに行ってた・・・。」
二人の姿を見た瞬間、言いかけた言葉を飲み込んだ。
なぜなら、二人は土埃まみれで、珠玉にいたっては顔色が悪い。
「な、なにがあったんだ?」
すると張騫が苦笑いをした。
「パンダ饅頭を買いに行ってたんだ。」
僕に見えるよう、張騫は饅頭の入った紙袋をかかげた。
「今日は安売りしてたから、そんなにボロボロなのか?」
饅頭屋に駆け付ける沢山の客の姿を想像した。
「これは張騫のせいだ。」
ため息交じりに珠玉は張騫を睨んだ。
「だって、お化け屋敷に行く特訓、結局中断しちゃっただろ?でも、今日約束しちゃったし・・・。」
張騫は苦笑いをした。
お化け屋敷のために、そんなことをしていたのか・・・。
それが嬉しかった。
「それで・・・大丈夫なのか?」
張騫は満面の笑みで親指を立てた。
「大丈夫。俺が暴れたら、紺が全力で止めてくれるから!」
その瞬間、珠玉の顔が険しくなった。
珠玉は何かを考える素振りを見せてから、ため息を吐き、僕の方を見た。
「大丈夫。」
そう言って、珠玉は自分の部屋へ行った。
「なあ、張騫が暴走する問題はそれで良いとして・・・あまっちゃんはどうするんだ?」
昨日、珠玉とあまっちゃんの会話を中断させるために、張騫はお化け屋敷に行こうと言った。
あまっちゃんは・・・珠玉の口ぶりからして、やっぱり油断できない相手だったんだ。
「紺が止めなかったんだ。まだ、大丈夫だよ。」
笑みを浮かべて張騫は言った。
「前も言っただろ。ちゃんと、相手を知ることが大切だって。」
「それはそうかも知れないけど・・・。」
不安はそう簡単に拭いきれない。
「俺も服着替えてこよ。」
そう言って張騫は部屋の奥へと行った。
7
「紺、着れる服は見つかったか?」
鴉に刺された傷の手当をしていたら、張騫が部屋に入ってきた。
「まだ着替えてなかったのか?」
誰のおかげで傷口が開いたと思ってるんだ。
そう思いながら睨むと、苦笑いをされた。
「本当に悪かったって!」
そう言って張騫は服を引っ張り出して、俺に渡した。
広げると、張騫がいつも着ている服だった。
「サイズもたぶん大丈夫だろ。まあ、黄色いのが無くてごめんな。」
張騫は申し訳なさそうな顔をした。
「別に・・・あの服に思い入れなんてない。」
その瞬間、張騫は悲しい表情をした。
「俺のことを尊敬して着てたんじゃないのか?」
居心地が悪い・・・。
「あの服を着てたのは・・・なんとなくだ。」
黄色は目立つから、敵を誘導しやすいなんて言えないけど・・・無駄なんだろうな・・。
恐る恐る張騫の顔を見ると、予想通り怒った顔をしていた。
「なんでそんな危険なことをする必要があるんだ?」
目と鼻の先まで顔を近づけて張騫は言った。
「お、お前に会いたかったんだ。可能性が少しでもあるなら・・・って思ったんだよ。」
どうせ心の中を読まれて嘘を吐けないなら、言った方がマシだ。
こんなことを誰かに言ったのは初めてだ。
激しく胸が高鳴る。
「だからって、他にも安全な方法があるだろ!」
そうかも知れない。
あの時の俺は幼過ぎて、そんなのが見えなかった。
張騫が教えた方法を使って、簡単に情報が手に入る危険な道に行った。
何かを悟ったように、張騫は開きかけた口を堅く閉じた。
その顔を見ると、胸が締め付けられた。
何を言われても・・仕方がない。
そう思ったとき、勢いよく抱きしめられた。
俺は驚いた。
「馬鹿野郎・・・。」
絞り出すような涙の混じった声で張騫は言った。
俺が居たから・・・張騫は居なくなった。
そうじゃないだろ・・・。
「心配かけて・・・ごめん。」
8
張騫はお化け屋敷の前で絶句した。
「これ・・・二人組じゃないと入れないのか?」
そんな張騫の後ろから天津は顔を出した。
「ふーん。じゃあさ、俺と一緒に入ろうよ。」
後ろに視線を向けると、珠玉は珪の傍から離れる様子を見せない。
「で、でも・・・。」
助けを求めるように張騫は珠玉の方を見た。
「二人で楽しんで来い。俺たちは後から行く。」
「こ、紺・・・。」
「決まりだね!張騫、一緒に入ろう!」
張騫の腕を取って、俺たちはお化け屋敷の中に入った。
9
お化け屋敷の中は真っ暗で、異様に静かだった。
「あまっちゃん・・・怪我させたらごめんな・・・。」
これから起こる恐怖を想像したせいで、声が震えた。
「怖いのが苦手なの?」
いつもと変わらない陽気な声であまっちゃんは言った。
「恥ずかしいことに・・・。」
あまっちゃんの背中に隠れるように言った。
「それなら張騫、良い方法があるよ。」
方法?
首を傾げると、あまっちゃんは笑みを浮かべた。
「どんなのなんだ?」
「この場所にある物を見分けて、判断するだけの簡単な方法だよ。」
あまっちゃんは暗い道の先を指さした。
「例えば、暗い、土がむき出しの道、黒い壁、高くて長い音って感じだよ。これを意識してたら、お化けなんかどうでも良くなるよ。」
そんな簡単なので、この怖さが半減できるのか?
騙されたと思って、あまっちゃんの言う通りにしてみた。
確かに、怖がる余裕がない。
それを嬉しく思いながら、あまっちゃんと俺は先を進んだ。
「気晴らしに、一つ豆知識を。」
前を歩きながらあまっちゃんは言った。
「正体が分からないから、怖いって感じる人が世の中には多いんだって。それってさ、分かれば、今の張騫みたいになるってことだよね。」
そう言われてみれば、そうだ。
自分の胸に手を当ててそう思った。
「でもさ、正体が分かってても、今までの経験からそれが怖いって思うらしいね。」
あまっちゃんは俺の方を振り向いた。
「張騫は、突然出てくるお化けが怖い?それとも、この暗い道が怖い?今なら、その怖いの正体が分かると思うんだ。」
そう言われた瞬間、肩を何かに掴まれた。
なにが怖いか・・・分かる。
激しく高鳴る胸の音を抑え込むように、視線を背後に向けると、恐ろしい顔をした人形が見えた。
それは、人形だった。
人形だったんだ。
人形は襲ってこない。
けど、その後ろに見える暗闇が・・・。
俺の感情を壊した風景が見えた。
床一面に転がる呼吸を忘れさせた人たちが思い浮かぶ。
額から冷汗が流れ落ちた。
「張騫!!」
そう叫ぶ紺の声が聞こえたと同時に抱きしめられた。
それをしたのが紺だって分かるのに、恐怖が止まらなかった。
殺さないと・・・自分が殺される!!
鉄の棒を取り出して、最大限に伸ばした。
「珪!頼む!!」
その瞬間、世界が暗転した。
10
張騫たちが入って、しばらくしてからのことだった。
「珪、俺が合図したら、張騫を封印してくれないか?俺一人じゃ、張騫は止められないんだ。」
お化け屋敷の入口を見つめながら珠玉は言った。
「分かったけど・・・張騫たちはずいぶん先に居るんだろ?どうやって、それをするんだ?」
すると、珠玉は苦い笑みを浮かべた。
「追いつくために、走るだけだ。張騫が暴れたら、まずいだろ。」
仕方がないにしても、それではお化け屋敷を楽しめない・・・。
ため息を吐いた。
「今度、ここより怖い所に連れて行ってやるから、頼む。」
ここより・・・。
お化け屋敷を見上げた。
想像がつかない。
「分かった。絶対に連れて行けよ。」
そして、僕たちはお化け屋敷に入るなり、全力で走った。
途中脅かしてくるお化けたちは、僕たちの異様な行動に驚いていた。
それがおかしかった。
しばらく走ると、張騫の姿が見えた。
その瞬間、珠玉は張騫の名前を呼びながら抱き付いた。
それと同時に張騫は袖口から収納式の棒を取り出した。
その先には刃物が付いている。
「珪!頼む!!」
刃物が珠玉に刺さる前に、なんとか張騫を封印することに成功した。
珠玉は息を整えながら眠っている張騫を僕に託して、天津の前に立った。
「俺はやっぱり、そんな緑よりも黒の方が好きだけどなー。ねえ、自由に生きてみたいと思わない?」
天津は自分の目を指さして言った。
「俺ならそれができるよ。ねえ、もう一回俺の所に来ない?」
クスリと笑いながら天津は言う。
「あの頃と違って、俺は一人じゃないから行けないんだ。」
天津は嬉しそうな顔をした。
「そっか。じゃあ、また会う日まで。楽しみにしてるよ。」
背中を向けて天津は去って行った。
「一体・・・あまっちゃんは何がしたかったんだ?」
しばらくしてから、珠玉に聞いてみた。
「久しぶりに会ったし、挨拶したかっただけだろ。本当に、迷惑だ。」
ため息交じりに珠玉は張騫を預かった。
「なあ、あまっちゃんって何者なんだ?なんで、お前に絡むんだ?」
珠玉は少し考え込む素振りを見せた。
「天津は貿易商兼情報屋だ。俺に絡むのは長い間、一緒にいたし・・・おもちゃで遊ぶ感覚なんだろうな。」
「だから、お前も情報屋なのか。」
鴉の言っていたことに納得した。
珠玉は露骨に嫌そうな顔をした。
「誰が喋ったんだ?」
鴉と言うと、珠玉は舌打ちをした。
「どいつもこいつも・・・。」
珠玉は疲れたようにため息を吐いた。
「とりあえず、疲れたから帰るぞ。」
お化け屋敷を出るまでの間、お化け役がプロ根性を出して、必死に脅かしてきた。
あまりの怖さに珠玉にしがみついて、呆れられたのは良い思い出だ。
11
「初めて生きて欲しいと思ったんだ。」
血まみれの姿で張勲は俺に言う。
いつもは無表情なのに、この時だけは笑みを見せていたのを鮮明に覚えている。
張勲が囮になっている間、怪我した足を引きずりながら、俺は暗い夜道を逃げたんだ。
次に目を覚ました時には、暖かくて柔らかい布団の中に居た。
自分は色んなものを犠牲にして、生きてた・・・。
「なんで・・・生きてるんだろう・・・。」
「生きてたらダメなのかい?」
初老で真っ赤な瞳の男が、顔を覗かせて言った。
「分からない。」
「なら、それが分かるまで、とりあえず生きてみませんか?」
穏やかな顔で男は言う。
俺は、その男・・・じいちゃんの雰囲気を居心地よく感じたんだ。
「そう言えば、名前を聞いてなかったね。なんて名前かな?」
子文と言おうとしたが・・・思いとどまった。
もう、人は殺したくない。
「張騫って・・・呼んで欲しい。」
今まで学に触れる機会がなかったから、良い名前が思い浮かばなかった。
だから、遊信が気まぐれで話した、物語の登場人物から名前を取ったんだ。
それから允明と友達になって、紺と会って・・・。
目を開けると、見慣れた家の天井が見えた。
顔を横に向けると、疲れた顔をしてベッドに凭れかかって、眠っている珪の姿が見えた。
「起きたのか。」
部屋の扉が開く音とともに、紺が入ってきた。
「ついさっき。」
苦い笑みを浮かべて答えた。
「止めてくれてありがとうな。」
すると、紺は息を吐いて、珪に視線を向けた。
「礼なら珪に言え。俺は何もしてない。」
紺は床にしゃがみ込んだ。
「紺・・・俺が本当に怖かったのは、過去の自分だったんだ。」
自分の手の平を見つめながら言った。
「ここはもう、俺に人殺しをさせないって分かっても・・・殺さないと生きられないって思いが強くなるんだ。」
紺は目を細めた。
「そうなのか。」
今度は・・・本当に人を殺しかねない。
それがすごく怖い。
「人の心は読めるのに、自分の心はまるで分からないんだな。」
無茶なことを紺は言った。
「自分の心が分かってたら・・・こんなに悩んだりしないだろ・・・。」
唇を尖らせて言うと、紺はクスリと笑った。
「張騫・・・過去はどうやっても変わらないけどさ、今気づいたことで、これから先は変わってくるんじゃないのか?」
「そんな簡単に変わるのか?」
抑えきれなかった気持ちが蘇る。
紺は頷いた。
「俺と一緒なんだ。変われないわけがないだろ。」
自然と笑みがこぼれた。
「一丁前に言うようになったな。」
嬉しさで紺の頭を激しく撫でた。
「張騫、痛い!」
そんなやり取りをしていると、珪が目を覚ました。
「な、なにしてるんだ?僕も撫でろ。」
寝ぼけているのか、半分目を閉じたまま紺を押しのけた。
それがおかしくて、お腹を抱えて笑った。
第二幕 終幕
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