第二部 第6話「ないがしろにされた約束」
1
綺麗な音色が辺りに響き渡る。
珪はそれを不思議に思いながら、辺りを見回した。
すると、ガラスでできた風鈴がいくつも見えた。
視線を上に向けると、竹で出来た棚から吊るされていた。
じっとそれに魅とれていると、足音が聞こえてきた。
誰だ?
視線をそこへ動かすと、虚ろな目をした允明の姿が見えた。
なんでここに居るんだろう?
允明は僕に微笑みかけた。
「ねえ、君の願いは何?」
願い?
唐突に言われても・・・何も浮かばない・・・。
いつまで経っても答えない僕を見かねてなのか、允明は風鈴の短冊を一枚掴んだ。
「答えられないなら、これはもらっていくね。」
そう言うと同時に、短冊の紐は切られた。
もらっていくって・・・それを?
気が付くと、見慣れた允明の家の天井を見つめていた。
「え・・・なんで?」
ゆっくり起き上がると、寝台から上半身だけ落ちて、僕の上で唸っている允明の姿が見えた。
寝台の上で気持ちよさそうに、片足を床につけて眠っている張騫も居た。
そう言えば・・・珠玉が帰ってきて・・・。
允明を見ると、服装は昨日のままで汚れていた。
疲れて寝ちゃった僕をここまで運んでくれたのか?
唸っている允明を揺すった。
2
「允明、起きろ。」
目を開けると、顔を曇らせた珪が見えた。
「あれ・・・もう、朝?」
起き上ろうと力を入れると、酷く首が痛んだ。
寝違えちゃったかな・・・。
「昨日は遅くまで大変だったのか?」
「そうでもないよ。允升の傷は意外に軽かったから、早めに終わったんだ。」
それでも珪の顔は曇ったままだ。
脳裏に紺の姿が浮かんだ。
「紺なら別の部屋で休んでるはずだよ。父さん、腕だけは良いから大丈夫だよ。」
微笑みかけると、珪は複雑な顔をした。
「どうしたの?」
「紺って・・・誰だ?」
まだ、紺のことを思い出しきれていないのかな?
でも、昨日親しそうだったし・・・そう言えば、紺って言われるのを嫌がってたな・・・・。
「珠玉のことだよ。紺は張騫が改めて付けた名前なんだ。」
そう言うと、珪は納得した様子を見せた。
「僕たちは小さい頃からそう呼んでたからね・・・。」
生まれてから身近だった命を大切にしたいと思っていたから、紺を捨てた親が許せなかった。
けど、色々な命の在り方を見続けて、その気持ちは薄らいだ。
紺が珠玉って呼んで欲しいのも・・・親に対して嫌な感情を抱いてないからかもしれない。
「そうなのか・・・。張騫が名付けたなら、なんであいつは紺って名乗らないんだ?」
「僕には分からないかな。ちょうど、紺の様子見に行こうと思ってたし、一緒に行く?」
珪は頷いた。
張騫も呼ぼうと思ったが、気持ちよさそうに寝ていたから止めた。
熱は下がってるけど・・・・昨日、ずいぶん無理させちゃったし・・・。
「なあ、允明。」
服を着替えていると珪が僕の顔をじっと見つめて言った。
「何?」
真剣な顔に少し身構えた。
「風鈴・・・好きなのか?」
突拍子のない質問に驚いた。
「どちらかと言えば好きかな。どうしたの?藪から棒に・・・。」
苦笑しながら聞いてみた。
「夢の中で好きそうにしてたから・・・。」
「夢?」
珪はその質問をごまかすように愛想笑いをした。
「珪の中の僕は一体どうなってるの・・・。まあ、それを欲しがってた僕の心境は僕には分からないかな。」
「だ、だよな・・・。」
3
允明たちが部屋から出るのを待ってから、張騫は起き上がった。
紺が帰ってきた。
嬉しいはずなのに・・・そう思えない自分に対して罪悪感を抱いた。
布団を握る手に力が入った。
允明たちの会話が頭の中で反響する。
形は違っても・・・俺は紺の前から突然消えた。
俺は・・・紺の親と同じことをしたんだ。
だから、紺がその名前を嫌がるのも仕方がないことだ・・・。
自然と奥歯に力が入った。
こんな俺が・・・紺に会ってはいけないんじゃないだろうか。
頭を掻きむしりながら長いため息を吐いた。
「俺は・・・酷い奴だ・・・。」
きつく目を閉じて、布団に顔を突っ伏した。
今の紺のことを知るのが怖い。
けど・・・いつまでもこうしてるわけにはいかないのは、分かってる。
なら・・・どうするのが正解だろうか。
勢いよく起き上って、俺は部屋から出た。
4
張騫が紺の居る部屋に入ると、茶髪で傷だらけの男を羽交い絞めにしている允明の姿があった。
その光景に驚いた。
一体・・・何があったんだ?
「もう!怪我してるのに!」
そう言いながら允明は男を引きずる。
「珪、允升が入れないように扉封印して!」
そう叫びながら允明は部屋の外に出て、それと同時に珪が扉を封印した。
気が付くと、この部屋の中には珪と紺と俺だけがいた。
振り向くと紺は呆然とした様子で扉を見つめている。
久しぶりに見る紺は、最後に見た時よりもだいぶ大人びていて髪も長かった。
紺は俺の視線に気づいた瞬間、苦笑いをした。
それを見て唇をかみしめた。
「ごめん・・・・。突然居なくなったりして・・・。」
絞り出すように言うと、紺は罰の悪そうな顔をした。
「悪いが・・・たぶん、覚えてないんだ。だから、お前がなんに対して言ってるか分からない。」
それに驚いた。
「覚えてないって・・・昨日は全然そうじゃなかったぞ?」
珪が紺の前に出て言った。
「そんなの・・・俺だって分からない。ただ、一つ言えるのは・・・今の俺はお前たちの気持ちに何一つ答えられないくらいだ。」
視線を逸らしながら紺は言った。
本当は紺自身が一番困惑しているのだろう・・・。
一度目を閉じて、再び気丈な様子を見せる紺を見た。
「大丈夫。俺はお前がここに居るだけで嬉しいんだ。不安なことがあったら、俺たちを頼れ。」
そう微笑みかけると、紺も同じような顔をした。
5
「允明大変じゃな。」
苦笑しながら遊信は椅子に座って允升を後ろから羽交い絞めにしている。
「遊信が居てくれて良かったよ・・・。」
允明は息を切らせながら、椅子の背もたれに縋るように床にしゃがみ込んだ。
「離せって!」
顔色を悪くしながら允升は暴れ続けている。
「お前、ほんまに珠玉が絡むと面倒じゃな・・・。」
ため息を吐きながら遊信は朴牧を見た。
相変わらずの笑みを浮かべながら向かいの席でお茶を飲んでいる。
「そんなに心配しなくても、全然大丈夫だよ。」
允升に向かってウインクをした。
「それなら別に会っても良いじゃないか!」
朴牧は人差し指を左右に振って、それを否定した。
「紺が大丈夫でも、君の体の方がまだ大丈夫じゃないんだよ。だから、まだ安静にしてて欲しいんだけどなー。」
「俺なら大丈夫だ!」
朴牧はため息を吐いた。
「もう、そんなに聞き分けがないと、紺に嫌われちゃうよ?紺は人が傷つくのが一番嫌いなのに・・・允升はそれをやっちゃうのかな?」
それを聞いた瞬間、允升は口をへの字に曲げた。
「今回の件に関して、紺は大きく責任を感じてるはずだからね・・・。允升に元気になってもらわないと、紺も安心できないよ。」
今まで騒いでいた允升は大人しくなった。
「分かった・・・。」
允升から手を離すと静かに允明の部屋へと入って行った。
「青春だね~。」
それを見届けてから朴牧は言った。
「まあ、落ち着いたことだし、本題に入ろうか。」
お茶を一口飲んでから朴牧は椅子に座りなおした。
「遊信、そろそろ帰った方が良いと思うよ。これ以上ここに居たら、君の立場が悪くなる気がする。」
鴉のことが脳裏に浮かんだ。
「世話んなったな。鴉には俺から言っとくわ。」
「言わない方が良い。」
真剣な朴牧の目が俺を見る。
「遊信はこの件に関しては傍観者で居ないと・・・内部分裂しそうだからね。」
昨日の鴉のこと聞く限り、俺らの中に裏切り者が居ると思い込んでいるように思えた。
本心としてはそう思ってないが、珠玉と関わるとそう思われても仕方がない。
現に何度も俺はあいつの存在を見逃している。
上がそんなことばっかりしていれば、部下はどう思うだろうか・・・。
「せめて俺だけは・・・国に忠実で誠実に・・・か・・・。」
一番嫌いな役回りだ。
「允明・・・俺の心が休まらんけん、代わってくれん?」
ため息交じりに言うと、允明は苦笑した。
「代わってあげたいけど、僕には無理だよ。」
それに苦笑した。
「ほんまに・・・骨が折れるわ・・・。まあ、それで面倒なことにならんなら・・・飲み込んどいてやるわ。」
珠玉に鴉に蕭紅、允升・・・。
そこまで考えて、ため息を吐いた。
「それじゃあ副隊長、一緒に行きましょうか。」
立ち上がりながら允明は俺に言った。
「なんだかこの言い方、久しぶり過ぎてくすぐったいな。」
じっと、屈託のない笑みを見せる允明の顔を見た。
「一人で荷物を持つよりも、二人で持った方が負担は少ないよ。」
允明が俺に向かって手を差し伸べた。
その手を掴もうと伸ばした瞬間、朴牧に勢いよく掴まれた。
「父さん!?」
「何勝手に話を進めてるの。僕が行くから允明はここに居て。」
俺の手を握る朴牧の手に力が入った。
「僕なら允明よりも腕がいいよ?頭のてっぺんからつま先まで全部診れるから、僕の方が適任だよ。」
良くないことを考えてそうな顔をして、息を切らせながら朴牧が言った。
眉間に皺を寄せながら朴牧の後ろに視線を向けると、本を大きく振り上げている允明の姿が見えた。
「ま、まあ、允明・・・落ち着けって!どうせ、あっちにはむさくるしい男しか居らんし!」
それを聞いた瞬間、朴牧は俺から手を離して、允明を前に付きだした。
身代わり早っ!
「じゃけど・・・そんなに朴牧ができるんなら、そっちの方が良えわ。武術よりも、医術の方が大事じゃけん。」
朴牧は不服そうに口を尖らせた。
面倒な親子じゃな・・・。
6
「記憶か~。」
允明は紺の顔をじっと見つめながら言った。
「生活には問題ないみたいだし・・・ゆっくり焦らず見守るくらいしかないかな。」
苦笑いをしながら允明は言った。
「それ以外はないのか?」
すると允明は困った顔をした。
「明確にはないよ。でも、きっかけがあれば思い出すこともあるって聞くよ?」
「川に落とすとか?」
珪が真剣な顔をして言ってきた。
「きっかけって・・・それはショックって言うんだよ。そう言うのもあるけど、紺は一応怪我人だからね。」
「僕と会ってから、よく川に落ちてたから・・・それで行けると思ったんだ。」
しょんぼりした様子で珪は言った。
川に落ちてたって・・・紺の奴・・・何してたんだ?
「それならパンダ饅頭かな・・・。」
張騫はお腹を鳴らしながら言った。
「それぐらいなら良いけど・・・。」
允明は苦い笑みを浮かべた。
「ち、違うからな!俺が食べたいとかじゃなくて、よく食べさせてたからなんだからな!」
「それをするにしても、今の時間からじゃあ売り切れてるかもしれないし・・・今日の所は、張騫たちといつも通り過ごせば良いと思うけど?」
いつも通り・・・それなら・・・。
「着替えて朝ご飯でも食べるか。ちょうどお腹が空いたところだし。」
盛大な音を立てて鳴ったお腹を押さえながら言った。
「確かにそうだね。じゃあ、何か作ってくるよ。」
允明が部屋から出てった後で、珪が何かに気が付いた。
「張騫、珠玉の服・・・昨日治療するときに邪魔だったから切ってないぞ。」
「それなら允明の服を借りるから大丈夫だ。」
7
「なんだか・・・黄色以外の服を見るのは新鮮だな・・・。」
青色の上着に黒くて足首の見えるズボンを着た紺の姿をじっと見ながら珪は言った。
「俺は派手な色を着てたんだな・・・。」
ため息交じりに紺は言った。
「なんでそんなの着てたんだ?」
首を傾げながら珪は聞いた。
「そんなの俺が知りたい。」
黄色か・・・。
「もしかして、俺のマネしてたのかもな。」
噴き出すように笑いながら張騫は言った。
すると二人は一斉に俺の方を見た。
「小さい頃、よく黄色い服着てたんだ。あの頃、無性にあの色が好きだったんだよ。」
こんなに大きくなってもこの色を着てたのが、俺を思ってだったら嬉しいな。
「お前、けっこうな寂しがりだったんだな。」
珪までニヤニヤして言った。
「理由はどうあれ、俺が気に入って着てたんだから別に良いだろ。」
恥ずかしいのか紺は頬を赤く染めていた。
「ご飯できたよ・・・って、なんだか新鮮だね。」
允明は懐かしそうな顔をして言った。
「允明は、珠玉が黄色を着てた理由を知ってるか?」
紺の服を指さしながら珪は言った。
「僕も分からないな。けど、似合ってるね。」
すると紺は嬉しそうに笑みをこぼした。
8
「おかえり。早い帰りだったね。」
医務室のベッドのカーテンを開けると、両鼻に詰め物をした蕭紅の姿があった。
「お前・・・俺が居らんでも変わらんな。」
ため息を吐きながら遊信は言った。
蕭紅は起き上がって、詰め物を取った。
「君が居なくなったくらいで、俺の日常に支障なんか出ないよ。本調子には見えないけど、どうして戻ってきたの?」
赤い瞳に睨まれた。
勘が鋭い・・・。
「まあ、お前の言う通りじゃけん、そっちの方は休みのままじゃけどな。」
「そうした方が邪魔にならなくていいね。」
蕭紅はベッドから降りた。
「もう大丈夫なん?」
「いつまでもこんな所で休んでたら、王女に申し訳が立たないからね。」
「こんにちは。」
出て行こうとする蕭紅の前に立ちはだかるように、朴牧は現れた。
「君は・・・。」
「初めまして。僕は、朴牧って言うんだ。今日からここで働くことになったから、よろしくね!」
朴牧はウインクをした。
「初めまして。俺は蕭紅。」
目を輝かせて朴牧は勢いよく蕭紅を抱きしめた。
「なかなかにイケメンだね!ここには気軽に遊びに来ても良いからね!」
激しく頬すりをすると、蕭紅は勢いよく朴牧を突き飛ばした。
「き、君!初対面なのにいきなり何するんだ!」
息を荒げながら蕭紅は言った。
「初対面だからこそ、西の国方式の挨拶を!」
目を輝かせながら言う朴牧に鳥肌を立てながら俺を蕭紅が睨んできた。
「先生はいっつもこうなんじゃって・・・。あきらめるしかないで。」
苦笑いをしながら言うと、蕭紅は苛立たし気に頭を掻いた。
「あ~そう。用事があるから失礼。」
逃げるように医務室から出て行った。
「遊信・・・あの子はすごいね。全然気持ちが分からない。」
床に尻もちをつきながら朴牧は言った。
「じゃろ。じゃけん、あいつは隊長なんよ。」
9
「允升、調子はどう?」
ご飯を手に持って允明が部屋に入ってきた。
布団から少しだけ顔を出して睨んだ。
「変わらない。」
そう答えると允明はご飯を置いて、俺の顔をじっと見る。
「もう、無理するから。」
ため息を吐きながら允明は言った。
「珠玉はどうなんだ?」
すると允明は複雑な顔をした。
「張騫たちと出かけたよ。体は問題ないけど・・・記憶喪失があるみたい。僕たちのことは覚えてないけど・・・必死に周りに合わせて溶け込もうとしてる感じかな。」
「なら・・・俺は・・・。」
視線を下に向けると、允明に頭を撫でられた。
「父さんも言ってたでしょ?允升の体が心配って・・・。今は、体を治す方に集中したらいいよ。紺のことは、自分の体調が整ってからでも大丈夫だから。」
允明の言う通りだが、なんだか腹が立つ。
「これも鴉のせいでこんな目に合ったんだ。治ったら殴ってやる。」
鴉さえ暴走しなければ、こんな所で足踏みをしなかったのに・・・。
允明は悲しそうな顔をした。
「鴉のこと、ごめんね。」
「お前に謝られても、何も変わらない。事情がどうあれ、今こうやって迷惑を被ってるんだから、俺は絶対に殴りに行くからな。」
「全く・・・允升たちは昔から変わらないな・・・。僕は止めないから、存分に行ってきなよ。」
苦笑しながら允明は言った。
「お前・・・どうしたんだ?絶対に止めると思ったのに・・・。」
「止めたって聞かないのは分かってるからね。それに仕方がないとはいえ・・・僕だって今回のことは少なからず怒ってるんだ。」
真剣な顔をして允明は言う。
「紺がこんな目に合うのは理不尽過ぎるからね。」
苦い笑みを浮かべながら允明は言った。
昔はあんなに熱血で猪突猛進だったのに・・・。
「お前もなんだかんだで、成長してたんだな。」
允明は愛想笑いをした。
10
「いきなり町に行くにも・・・難しいし・・・。珪、紺は普段どうしてたんだ?」
家路に着くための道を歩きながら、紺の隣を歩いてる珪に言った。
「なんで町に行くのが難しいんだ?僕と会った時は、普通に町にも行ってたぞ?」
ま、町に?!
背筋が凍り付いた。
「何もなかったのか?」
珪は頷いた。
「目に何かしてたのか?」
そう言うと、珪は気が付いたような顔をした。
「そう言えばコンタクトしてて、会った時は緑の瞳だったな。」
なるほど・・・それなら、普通に歩いてても大丈夫か・・・。
でも、確かあれは・・・。
「あれを使えば、町に行っても問題ないんじゃないか?」
笑顔でそう言う珪に申し訳なさを感じた。
「確かにそうだけど・・・コンタクトは高いんだ。一般の人じゃ手が出せないくらいに・・・。」
珪は眉間に皺を寄せて紺の顔を見た。
すると、紺はため息を吐いた。
「そんな顔をされても、困る。お前らは結局どこに行きたいんだ?」
「お前の目のこともあるしな・・・・。とりあえずは、一回家に戻って落ち着こうと思ってるんだ。お前が何か思いだすきっかけとかが、多いかもしれないし。」
どっちにしろ・・・まだ町中はなにが起きるか分からない。
「俺のこの目は・・・そんなに危ないのか?」
真剣な顔をして紺は言った。
「ああ。俺たち以外に見つかれば、お前は死ぬ。」
悲しむかと思ったが、紺はクスリと笑った。
「なるほど。なら、見つからなければ問題ないな。俺がこの年まで生きられたんだから、そんなに心配しなくても大丈夫だと思うぞ。」
「それでも・・・また何かあったら・・・・。」
そう言いかけて、俺は目を伏せた。
「確かに、用心するにこしたことは無いな。今の俺は昔の俺と比べて、自分を守るすべを持ってないからな。」
紺と別れた時のことを思い出した。
俺は・・・いつまで、紺にこんなことをしないといけないんだ?
「やっぱり、外に行こう。目を閉じて、目隠しもすれば問題ないだろ?」
そう言うと紺は珪の方を見た。
「行きたい場所はないのか?」
急に聞いせいで、珪は悩む様子を見せた。
紺の気持ちも分かるが・・・。
「あまっちゃんなら、色んな所へ旅してるし・・・・コンタクトに詳しいかもしれないから、あまっちゃんの所に行こう。それなら、大丈夫な気がする。」
大きく息を吐きながら袖口から包帯を出した。
紺を引き寄せて、目を隠すように包帯を巻いた。
「危なかったらすぐ帰るからな・・・。」
11
あまっちゃんの教えてくれた店の扉を開けると、カラン、カランと鈴の音が聞こえた。
店の中でガタイの良い男が女装をしながら棚を整頓している姿が見えた。
「あら、ごめんなさいね。うちはまだ開店前なの。夕方に開店するからそれまで待って・・・・。」
振り向きながら男は言ったが、俺たちの姿を見た瞬間、大きく目を開けた。
「珠玉ちゃん・・・。」
男は机を勢いよく飛び越えて、紺を勢いよく抱きしめた。
「あんた!突然来なくなるんだから、心底心配したんだからね!私、もう一回顔出しなさいって言ったわよね!なんで来ないのよ!」
泣きながら男は言った。
「あんた、目を怪我してるの?怪しいことばっかりするからそんなのになるのよ!」
紺の両肩を掴んで男は顔をじっと見つめている。
「わ、悪いけど・・・その辺にしてくれないか?こう見えても、まだ病み上がりなんだ・・・。」
紺の傷口が開くといけない・・。
張騫は紺と男の間に割って入った。
「あら、ごめんなさい。私としたことが。」
愛想笑いをしながら男は一歩下がった。
「私はここの店長やってる猫よ。あなたたちは?」
「俺は張騫。紺は俺の弟なんだ。それで、こっちは珪って言うんだ。」
猫はまた大きく目を見開いて微笑んだ。
「あんたたち、外見は全然似てないけど・・・雰囲気は似てるわね。」
そう言いながら猫は飲み物を出した。
「私の奢りよ。ジュースだから安心しなさい。」
ジュースを手に取り、一口飲むと甘くておいしかった。
「珠玉ちゃんがここに来たってことは、あまっちゃんに会いに来たのよね。あの子はまだ来ないから、用件だけでも伝えてあげるわよ?」
「大した用事じゃないんだ。ただ、安いコンタクトがないか聞きに来ただけなんだ。」
愛想笑いをしながら言うと、猫が訝しげな顔をした。
「あら、珠玉ちゃんじゃなくて、あなたなの?」
ため息を吐いて、猫は改めて紺の顔を見た。
その雰囲気におされてなのか、紺は姿勢を正した。
「もしかして・・・珠玉ちゃんは記憶喪失とか?」
驚いた。
「その様子・・・そうなのね。それなら、悪いことは言わないわ。このまま帰りなさい。」
「な、なんで分かったんだ?」
珪は俺が言う前に言った。
「火は便利だけど、使い方を間違えれば火傷をするでしょ?二人はずっとそんな関係だったから、優しい珠玉ちゃんが不用意にあまっちゃんを紹介するはずがないもの。」
危ない関係だったって言うのか?
「そんなの・・・初めて知った。」
「まあ、これが珠玉ちゃんの悪い癖よね。何度言っても治そうとしないんだから・・・。というか、それならなんでここに来たのよ。あんた、コッチ系なの?」
「ち、違う。あまっちゃんに困ったことがあったら、気軽に来てって言われたんだ。」
店長は少し考える素振りを見せて、ため息を吐いた。
「そうなのね・・・。一応聞くけど、珠玉ちゃんはどう考えるの?」
じっと店長は紺の方を見る。
「そんなに危ないなら、帰った方が良な・・・。あんたの話を聞いてると、そのあまっちゃんは油断できない。」
俺はとんでもない墓穴を掘ったのかもしれない。
12
「張騫。」
店を出てから家に帰る途中、珪の隣を歩いている紺が呼び掛けた。
「な、なんだ?」
自分がしてしまったことに罪悪感を抱きながら言った。
「ここに連れてきてくれて、ありがとう。」
目を見開いて紺の顔を見た。
「お前・・・もしかして思い出したのか?」
珪の言葉に対して、紺は首を左右に振った。
俺の気持ちを汲み取って言ったんだろう・・・。
「まずは、俺は俺のことをきちんと知りたい。そうでないと、きっと良くないことが起きる。だから、教えて欲しい。俺がどんな奴で、何をしてきたのか。」
苦い笑みを顔に浮かべながら紺は言った。
たぶん、紺のアイデンティティが記憶喪失による混乱のせいで揺らいでるんだろう。
自分が何者なのか・・・。
この件の原因が自分だったら・・・と思うと不安なのだろう・・・。
「紺は・・・俺のことが大好きだと思う。」
恥を忍んで言うと、珪が驚いた顔をした。
「張騫、いきなり朴牧みたいなこと言って、どうしたんだ?」
良い言葉が思いつかなかったんだから、仕方がないだろ・・・。
紺は微かに口を開けた。
驚いてるんだ。
「俺を大好きな奴が悪い奴のわけがない。そうだろ、珪。」
急に振られて珪は戸惑った様子を見せた。
「急で良く分からないけど・・・。張騫の言う通り、珠玉は悪い奴じゃないぞ。一人になった僕を独りぼっちにしなかったんだからな。」
頭を掻きながら珪は言った。
「俺はその時居なかったから、その話すごく聞きたい。」
そう言うと、珪は紺に会ってから居なくなるまでのことを話し始めた。
珪の見てきた紺は不器用なりにも、珪のことを大切に思っていたことが分かった。
全てを聞き終わった後、胸が締め付けられた。
「そっか・・・紺は、俺に会いたかったから・・・珪に対して最初冷たかったんだな・・・。」
珪は首を傾げた。
紺がすでに一度死んでいること、そのために俺が居なくなったことを話した。
信じられないと言いたげな顔をして珪は俺を見る。
「風邪ひいたおかげで心は読めないし、紺も思い出せないから本当の所は分からないけど・・・お前はそんなおかしな現状を正したかったんだろ。」
だから・・・紺は居なくなりたがっていた。
「話聞いてたら・・・紺もその現状に満足し始めてたんだろうな。じゃなかったら・・・お前にまた会った時、紺は泣いてただろうから・・・。」
紺は・・・俺をこの世に居させる以外にも生きる目標ができてたんだ。
自然と口元に笑みが浮かんだ。
「紺は・・・珪とした約束を守りたかったんじゃないのか?」
風が吹いた。
「約束って・・・そんな昔のこと・・。時間が経ちすぎてて・・・そんなの無理だ。」
それでも紺は何とかしたかったんだ。
「確かに無理かもしれない。けど、一回現状は忘れて、珪はこの先どうしていきたい?俺はどんな選択でも、お前を支えるぞ。」
珪は顔を地面に向けた。
「今の生活も悪くないんだ・・。」
絞り出すように珪は言った。
「どうせ、もとの生活に戻れないなら・・・この現状を受け入れて、僕は前に進むしかないって思ってる。」
フッと珪は笑った。
「珠玉にも同じことを言われた気がするな・・・。」
珪は自分の胸元を掴んだ。
「あきらめなくて良いなら・・・この胸のわだかまりをスッキリさせたい。どうして、僕がこうなったのか・・・知りたい。」
苦い笑みを浮かべながら珪は言った。
紺の方へと振り向くと口を少し開けて、驚いた様子を見せているのが分かった。
「こ・・・紺?」
13
何かを言っているが、言葉がどんどん遠くなっていくのを感じる。
自分の意思とは反対に、体の自由が利かなくなってくる。
「答えられたから返してあげる。でも、中途半端な願いを叶えるなんて・・・最高に馬鹿らしい。」
突然、怒りの籠った聞き覚えのある声がハッキリと聞こえてきた。
「だ・・・誰だ?」
「紺!大丈夫か!」
振り絞るように言った瞬間、張騫のそう呼ぶ声が聞こえた。
その言葉を聞いて、自分が初めて地面にうずくまっていたことが分かった。
額から噴き出すように出た冷汗を拭い、地面に座り込んだ。
見返りなんて・・・初めから求めてなんかない・・・。
珠玉は自嘲するように笑った。
「張騫、何かあった?」
大丈夫と張騫に言おうと口を開いた瞬間、天津のそう言う声が聞こえてきた。
「あまっちゃん・・・。」
驚いた様子で張騫は言った。
俺は急いで目隠しを取って、張騫の隣に居る天津を見た。
その姿は最後に見た日とほとんど変わらなかった。
「紺!!」
張騫がそう叫ぶと同時に、俺の顔を隠すように抱きしめてきた。
苦しい・・・。
息が・・・。
張騫の背中を叩きながら、片方の手で強く引っ張った。
「お前!本当に何考えてるんだ!!」
「張騫、苦しそうだぞ!」
心配そうな珪の声が聞こえて、ようやく喋れるくらいまで力を弱めてくれた。
「天津はもう知ってるから隠しても意味がないんだ。」
「え?」
信じられない様子の張騫を押しのけて、改めて天津を見た。
天津がお腹を抱えながら笑っていた。
「相変わらず、張騫は面白いな~。」
「どうしてここに来たんだ?」
天津は口元に笑みを浮かべた。
「忘れたの?と言っても・・・俺もさっき思い出したばっかりだからね~。ほら、また会う約束したよね。」
天津の手が俺の頬に触れる。
「あれは約束のうちに入らないだろ。でも・・・また顔が見れて、良かったって思ってる。」
俺は口元に笑みを浮かべた。
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