第二部 第3話「抱きしめたい」
部下が死ぬのは慣れている。
けど、それが仕事以外だったら・・・私は耐えられない。
ゆっくりと目を開けて、暗い天井を見つめた。
見知らぬ青年が部下の毒にもなって、薬にもなるのか。
その青年が薬になれるように会いに行かねば・・・。
1
「今日はしけてるな・・・。」
苦笑しながら、隣で置物を売っていたおっちゃんが話しかけてきた。
今日の市場は、いつもより人通りが少なすぎる。
「確かに・・・・このままじゃ、今日のご飯が・・。」
張騫は盛大にお腹を鳴らしながら言った。
「腹の虫だけは元気だな。」
笑いがらおっちゃんは言うと、売り物をまとめ始めた。
「もう帰るのか?」
「いや、ここじゃあ売れないから、別の場所に移動しようと思うんだ。あんたは?」
張騫は苦笑いをした。
「俺はもう少しこの場所で粘ってみようと思う。」
おっちゃんは返事をすると、荷物を担いで行ってしまった。
それと入れ替わるように、茶髪で長髪の女が俺の前に立った。
「いらっしゃい。」
そう声をかけると、女はしゃがみ込んだ。
「飲むと小難しいことを考えなくなる薬はあるか?」
真剣な顔をして女は言う。
「状況によっては・・効果があるものもあるけど・・・。なにがあったのか?」
女は憂いに満ちた顔をしてため息を吐いた。
「知人が小難しいことばっかり考えて、一緒に舞いを観に行ってくれんのだ・・。」
「なるほど・・・。小難しいことって?」
「それが良く分からないのだ。どうしても行きたかったのだが・・・。」
そう言って女は俺の顔をじっと見つめてきた。
「そもそも、あやつが居なくても、そなたが居るではないか。」
え?
両手を握られた。
「今から一緒に観に行こう!」
無邪気な笑みをしながら女は言った。
「い、今から?」
少し考えてから、ため息を吐いて荷物をまとめた。
「まあ、見た通りの閑古鳥だったし・・・一緒に行こうか。」
そう言うと、見たことのある顔をした女は嬉しそうに笑った。
2
いつも通っている道を抜けたはずなのに、目の前に広がるのは見慣れない景色だった。
目を丸くしながら辺りを見回した。
あたたかなオレンジの色雰囲気の中に、まるで様々な色のみぞれ玉を散りばめたような街道が見えた。
「ここは・・。」
驚いていると女は手を掴んで、強く引っ張った。
「早くしないと遅れてしまう。」
道行く人を何人も避けながら女に付いて行くと、大きなテントの前に出た。
「そこで少し待っておれ。」
女は笑みを浮かべると、テントの前にある人だかりの中に入って行った。
「まだ持っていないならどうぞ。」
そのとき、華やかな着物を着た役者から一枚の紙をもらった。
そこには役者が舞う姿が描かれていた。
「綺麗だな・・・。」
「待たせたな。」
紙を見ていると、さっきの女の声が聞こえてきた。
後ろを振り返って女の姿を見た時、一瞬胸が締め付けられて、喉まで何かの言葉が出かかった。
「どうしたのだ?」
女は不思議そうな顔をして、首を傾げた。
「な、何でもない・・・。」
無理に笑みを浮かべながら答えた。
「そうか。それよりも、これを持って中に入ろう。」
女は無邪気な顔をしてチケットを渡してきた。
「そなたは、私と一緒に来てくれたのだからその礼だ。さあ、行こう。」
腕を再び引っ張られて、テントの中に入った。
3
「この服・・・どうかしら。」
緊張しながら大好きな彼に言うと、満面の笑みを浮かべられた。
「綺麗いだよ。店長・・・。」
目を何度も瞬きしながら彼を見つめる。
「もう、今はデートなんだから、店長はやめて。」
恥ずかしそうに彼も私の目を見つめた。
「小猫。」
「もう!嬉しい!」
そう言って彼を強く抱きしめた。
今日は彼とのデートで、前から行きたかった舞踊だ。
彼氏とともにテントの中に入ろうとしたとき、見覚えのある人が見えた。
初めて見る彼のその笑顔を見た瞬間、口元が自然に綻んだ。
その姿がとても嬉しかった。
「ごめんなさい。ちょっと、知り合い見つけたから挨拶して来てもいいかしら?」
「良いよ。」
彼氏と一緒に彼のもとへと行った。
4
「久しぶり!心配してたけど、元気にしてるみたいで嬉しいわよ!」
彼女の後ろから、ガタイの良い女装をした男が話しかけてきた。
女は振り向いて、首を傾げた。
「そなたは誰だ?」
それを聞いて、男は驚いた顔をした。
「あらヤダ!私ったら、人間違えしちゃったみたい!ごめんなさいね!」
恥ずかしそうに男は言うと、慌てた様子で去って行った。
「一体、何だったのだろう・・・。」
じっと男を見つめながら女は言った。
一瞬だけ、男の頭の中にとても懐かしい顔が見えた気がした。
「何処に行くのだ?もうそろそろ始まるぞ?」
その言葉を聞いて、初めて自分があの男を追いかけようとしていたことに気が付いた。
追いかけて・・・一体どうする・・・。
自分の中でもあやふやに感じる気持ちなのに・・・。
「ご、ごめん。ちょっと、ぼうっとしてたみたいだ。」
苦い笑みを浮かべて言った。
5
「楸さん、お客さんです。」
客?
全ての演目が終了して、後片付けに入ろうとしているときだった。
「誰だ?」
そう言うと同時に、一人の女が勝手に入ってきた。
私の前に立つと、女は満面の笑みを浮かべた。
「初めまして。秋の上司の鐘侯だ。」
秋・・・。
大きく目を見開いて王妃を見た。
「大したおもてなしができず、申し訳ありません。」
「そんなにかしこまられたら困る。私は、そなたと一人の人間として話をしに来たのだ。」
遠い国の王妃は苦笑いをしながら言った。
「時間があまりないので、単刀直入に言わせてもらう。秋のためにも、しばらく私の国に入らないで欲しいのだ。」
王妃は目を伏せて言った。
ああ・・・私の罪はそう簡単に消えない。
「弟は・・・私をまだ憎んでるんですね・・・。」
息を飲むと王妃は静かに頷いた。
それで良いんだ。
「私は、今日初めてそなたの演舞を見てとても感動した。だから、そなたのファンとして出資はさせてもらいたい。」
弟が元気で居るのが分かっただけでも良かったんだ。
「分かりました。秋のことを考えてくださって、ありがとうございます。」
王妃は苦い笑みを浮かべた。
「ありがとう。その時が来たら、またその舞を私の家で見せてもらえないだろうか?」
「喜んで。」
6
演目が全て終わって帰ろうと席を立った時、あの女の姿が何処にも見えなかった。
「何処に行ったんだろう・・・。」
席を立って辺りを見回すが、沢山の人のおかげで見つけることは難しかった。
心を読む力を昔よりはコントロールできるようになったといえ・・・さすがにこの状況はキツイな・・・。
軽い眩暈を感じ、人が少なくなるのを待ってからテントの外に出た。
すると女はすぐに見つかった。
「急に居なくなってすまなかったな。」
女は無邪気な笑みを浮かべて言った。
「会えて良かった。」
「どうしたのだ?少し顔色が悪いようだぞ?」
じっと女は俺の顔を見つめてきた。
「軽い人酔いをしただけだ。いつものことだから、大丈夫・・・」
女は俺の額に手を当てた。
「それは辛いな・・・。」
優し気な顔をして女がそう言うと、体が楽になった。
「さあ、そろそろ帰ろうか。遅くなると、怒られてしまう。」
女は行きと同じように俺の手を引っ張った。
「な、なあ。」
「なんだ?」
笑みを浮かべながら女は言った。
「名前聞いてなかったと思って、なんて言うんだ?」
「大熊猫。」
その名前に驚いた。
「おかしいと思うかもしれないが、本当の名前だ。そなたはなんと言うのだ?」
俺は苦笑した。
「張騫。」
大熊猫はクスリと笑った。
「強そうな名前だな。」
7
張騫と市場で別れてしばらくたった時、目の前に遊信の姿が見えた。
「珍しいな。そなたが、私を迎えに来るなんて。」
笑みを浮かべてそう言うと、ため息を吐かれた。
「勝手に抜け出さないでください。蕭紅が泣いて暴れて大変なんですから・・。」
近衛兵に八つ当たりしている蕭紅の姿が思い浮かんだ。
「私だって、たまには普通の女の子になりたいのだ。」
確か顎の下に両手拳をつけて、上目遣いで言えばなんとかなるはず。
「そんな見え透いた嘘・・・俺には通じませんよ。それで、何しに行ってたんですか?」
遊信は少し頬を赤く染めながら言った。
相変わらず、遊信は面白い。
「嘘とは酷い・・・。私だって一人の人間だ。公務ばかりでは、気が滅入るではないか。」
泣く真似をしながら言うと、遊信は悩んだ様子を見せた。
「わ、分かりました。今度出かけるときは、俺以外でも良いので誰かと一緒に行ってください。」
遊信の腕を取った。
彼の袖の下に隠された腕の傷を撫でた。
こんなことをしても、彼の青い式神を消してしまった事実が消えないのは分かっている。
「今度出るときは・・・そなたと一緒に出よう。」
その時、手を掴まれて人目に付かない所へ連れていかれた。
「遊信?どうしたのだ?」
そう言うと、優しく抱きしめられた。
「あんまり、一人で抱え込まんでくれん?無理に話せなんて言わんけど、頑張りすぎなんじゃって・・・。」
なんだか・・・嫌な空気だ。
「うら若き乙女にキスをするのではないかと、期待したではないか。」
「乙女って・・・そんな見た目のわりに、俺よりもだいぶ年いっとるくせに・・・。」
微笑する遊信の顔を見ていると、泣きたくなった。
「まあ、そなたとはごめんだ。」
遊信の服に顔を突っ伏した。
「そ-ですか。」
クスリと笑いながら遊信は私の背中を優しく撫でた。
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