第二部 第1話「エロ本の取り扱い」

「あれって、うみねこかな?」

勝手に人の船の上に上がって、欠伸をしている鳥を指さした。

「鳥じゃないですか?」

停泊の準備をしながら部下は投げやりに答えた。

そんなの言われなくても分かってる。

「全く・・・。もっと面白いことが言えないの?」

ため息を吐きながら、砂浜に踏み込んだ。

長い船旅で仲間も苛立っているのだろうが・・・。

「もう少し、俺のことを敬っても損じゃないと思うけど。」

振り返って、船を見ながら言った。

船員は皆自分の仕事に取り組んでいる。

「みんなの邪魔にならないように、散歩でもしようかな・・。」

頭の後ろで手を組んで、天津は船に背を向けた。

「カモメですよ。」

そんな声が聞こえてきたが、そんなのもうどうでも良かった。


「あまっちゃん・・・昼間からだらしなさすぎよ!」

青髭が強烈な店長が、頬杖付きながら言った。

「良いの。良いの。俺が居たって邪魔になるだけだし・・・。ここで飲んで待ってた方が世のため、人のため~。」

流し込んだお酒が喉を良い感じに熱く刺激した。

「みんな冷たいんだよ~。長旅だったからって、俺に対しての態度が冷たすぎるっていうかさ~。」

空になったコップを指ではじいた。

店長はため息を吐いた。

「あまっちゃん、もう帰ってこないとか言ってたくせに、今回はどうしたの?」

お酒がコップにつがれていく。

「店長、聞いてよ!」

抱きつこうとしたが、額を人差し指で突かれて阻止された。

「聞いてあげるから、離れなさい。みっともないわよ。」

「店長、冷たい。」

泣く真似をしながら椅子に座りなおした。

「なんかさ、十年前にこの国で面白い約束してた気がしたから、遠路はるばるやってきたんだよ。」

「約束?」

店長は眉を八の字にして復唱した。

「そう。ここに来れば分かるかなって思ったけど・・・。」

お酒を一気に飲み干した。

「さっぱり分からないんだよね。店長、何か知ってる?」

「知らないわよ。私が知ってるのは、あまっちゃんの部下が元気になる方法くらいかしら。」

そう言って、店長は机からある本を取り出した。


遅い・・・。

市場を行き交う人を眺めながら、珪は敷物の上に座り込んでいた。

すぐに戻るって言ったのに・・・もう、一時間は待ってる・・・。

両頬を膨らませている。

客が来れば暇じゃないのに・・・皆よそよそしい顔をして、僕を避けているようにも感じられる・・。

「なんでだ・・・。」

そう呟いたとき、人影が敷物に映った。

「そんな怖い顔してたら、誰だって近寄らないよ~。」

顔を上げると、頬を赤くした酔っ払いが見えた。

「もうちょっと、笑顔で居ないと!」

赤毛の酔っ払いの男は僕の頬をつまみながら言った。

「は、離してください!」

無理やり振りほどくと、男は笑みを浮かべて僕の隣に座ってきた。

「良いじゃん。少しくらい・・・。飲み過ぎてさ、少し休ませてよ。」

酒臭さが耐えられない。

「迷惑です。どっか別の場所で休んでください!」

そう言うが、男は僕の肩に寄り掛かってきた。

「まだ帰れてなかったの?」

なんだ・・・急に・・・。

男から飛びのくように離れた。

男は不気味な笑みを浮かべている。

「珪!!」

その大きな声の方に視線を移動させた。

良く分からないけど、その声に救われた気がした。

「張騫・・・。」

そんなの気だけだった。

「助けて・・・。」

恋した乙女のような顔をしたおばあさんを背負いながら、張騫は涙目でそう言ってきた。

「急に、魂が抜けるとか言って大変なんだ!!おばあさんが!おばあさんが!」

声を荒げながら張騫は言う。

「張騫!ちょっと落ち着けよ!!」


「落ち着いた?」

まだ泣いている張騫を宥めるように、珪が背中をさすっていた。

「おばあさん助かって良かったじゃないか・・。」

「ああ・・・俺一人だったら、絶対にダメと思った・・・・。」

袖口で涙をぬぐいながら張騫は言った。

「ハンカチ貸そうか?」

ハンカチを渡すと、張騫は涙を拭った。

「ありがとう。」

そう言って、深く息を吸い込んで吐いた。

「色々見苦しいところ見せてすまなかったな。」

鼻をすすった。

「こっちも、酔いが醒めてちょうど良かったから、お互い様だよ。それよりも、何がどうなってこうなったの?」

すると張騫は恥ずかしそうに頬を赤く染めた。

「忘れ物して戻ってきてる時に、さっきのおばあさんに話しかけられたんだ。そしたら急に、鼻血出して倒れて・・・。さっきのありさまに・・・。」

両手で顔を覆い隠しながら言った。

「俺もそういう状況だったら、そうなるよ。恥ずかしいことじゃないと思うけど?」

張騫は苦笑した。

「そっか。俺だけじゃないんだな。」

その時、張騫から金属が重なりあう音が微かに聞こえた。

武器?

その瞬間、張騫の顔が一瞬だけ冷たく感じた。

「これも何かの縁だし、これから一緒にご飯食べようよ。この国のことあんまり知らないから、教えて欲しいんだ。」

珪が張騫の服の袖を掴んで睨んできた。

「さっきは怖がらせて、ごめんね。お礼におごるから。」

すると、珪と張騫の目が輝いた。


「本当に、張騫も珪もよく食べるね~。遠慮って言葉知ってる?」

橋の上から川を眺めながらパンダの饅頭を食べている二人に言った。

「ありがとう。おいしかったって・・・えーと・・・。」

頬を人差し指で掻きながら張騫が言った。

そう言えば、名前を言ってなかった。

「みんなからは、あまっちゃんって呼ばれてるから、そう呼んでくれると嬉しいな。」

張騫は苦笑いをした。

「あまっちゃん・・・。改めて、ありがとう。俺は張騫って言うんだ。」

嬉しそうにパンダの饅頭を両手いっぱいに持ちながら言った。

「そのパンダ・・・人気なの?」

パンダ饅頭を指さしながら言った瞬間、張騫の目が輝いた。

ついでに両手を握られた。

「このパンダ饅頭、すごいおいしんだ。しかも、このフォルムが良いだろ!こんなかわいいのを作れるなんて、あそこの店は天才だ!いつもなら、朝の五時に起きて長蛇の列に並ばないと手に入らない物なんだ!しかも、一つの値段が高すぎて、なかなか手に入らないし、珪は嫌がっていつも一人で並んで食べてたからさ、本当に夢みたいだ!今回はなんであったのか分からないけど、もう感謝してもしきれない!!」

満面の笑みを浮かべながら言っている。

「そんなに喜んでもらえると、こっちも奢りがいがあるよ。また今度もごちそうさせてよ。」

子供みたいな顔をして張騫が顔を見てきた。

「あまっちゃん・・・ほ、本当か?」

頷いて答えると、二人は喜んだ。

ここまで来ると、二人が普段どんな生活を送っているのか、不安になった。


「ただいま~。」

ひと段落している船内に向かってそう言うと、なぜか驚かれた。

「みんな、頭でも打った?」

その瞬間、一人は俺の額を触ったり、座らせたり、走り回ったりした。

「失礼な・・・。頭なんか怪我してないよ・・・。」

ため息交じりに片手で頭を抱えながら、傍に居た船員を手で払った。

「いつもなら、面倒なくらい絡みついてくるのに・・・正気だなんて・・・。」

「私たちだって、さすがに冷たくし過ぎたなって・・・少しだけ反省してるんです。」

天津は苦笑した。

「なんだかな~馬鹿にされてるのか、心配されてるのか分からないよ・・・。」

真顔で両方と言われた。

「それはそうと、店長からみんなに差し入れ。長旅ご苦労様って・・・。」

その時、荷物を持ってないことに気が付いた。

あ・・・。

「何処にあるんですか?」

嬉しそうな顔をして近づいてくる船員・・・。

「落としたみたい・・・。」


今日はご飯もおごってもらえて良い一日だった。

鼻歌交じりに張騫は、薬が入っている荷物を整理した。

あまっちゃんか・・・。

良い人に見えるけど・・・言い知れない恐怖を少し感じる。

自然と口元が歪む。

「変な顔してどうしたんだ?」

珪は後ろから覗き込んできた。

「いや・・・ちょっとな・・・。」

言いたいけど、その思いを口にしてしまえば、あまっちゃんをそういう風にしか見れない気がした。

「なんだよ・・・。」

珪からもあまっちゃんに対する不信感が読めた。

「珪こそ・・・あまっちゃんに何かされたのか?」

すると珪は口を曲げた。

頭の中に珪の感情が流れ込んでくる。

「珪も思ってるのか・・・。」

ため息交じりに言うと、まるで感情を爆発させるように、思っていること言い始めた。

自分の国に対する不安、天津のあの言動に恐怖・・・が珪の口から吐き出された。

「張騫だって、そう思うだろ?」

同意を求められても・・・。

「あまっちゃんは、珪には難しいかもな。」

不服そうな珪の頭を撫でた。

「世の中、みんなが回れ右じゃないからな・・・。そういう人の言葉を真に受けろって、わけじゃないけど・・・お前の片隅には入れておいても良いんじゃないのか?」

「じゃあ、我慢しろってことか?」

珪が睨んできた。

「我慢なんかしなくてもいい。大切なのは、相手を知ってどうするかだよ。」

「知るって・・・不用心に近づいて、酷い目にあったらどうするんだ?」

珪の言い分も分かるけど・・・それだけで人と接していたら、けっこう寂しいんだぞ?

じいちゃんは、得体のしれない俺を怖がらないで、ここまで育ててくれた。

もし、見た目だけでじいちゃんが俺から逃げていたら・・・俺はここに居なかった。

「だから、知るんだろ?危ないのか・・・不器用なだけなのか。もし、不器用なだけだったら、いきなり逃げられるのは悲しいだろ?」

パンダ饅頭を渡すと、複雑そうな顔をして見つめている。

「張騫は・・・心が読めるから、そんなにのんきで居られるんだ。」

それに苦笑した。

「全部が分かるわけじゃないんだ。俺の力はその時、相手が考えて想像したものしか分からない。」

珪は首を傾げる。

珪には難しいか・・・。

「心を例えると、上澄みのある液体なんだ。俺には上澄みって言う思ったことしか掬えないから、下に溜まった濁り・・・本当の気持ちは分からないんだ。」

だから、あまっちゃんはなにも考えないで喋ってたんだろうな・・・。

わざと武器を鳴らしたとき、表情が一瞬だけ微かに歪んだのが見えた。

「そうだったんだな・・・。」

納得した様子で、珪はパンダ饅頭を食べた。

薬の整理が終わって、少なくなった物を部屋に運ぼうとしたときのことだった。

数冊の見覚えのない本が目に止まった。

その表紙を見て、一瞬俺の中の世界が止まった。


珪からこの本を隠しながら自分の部屋に逃げ込めた・・・。

不審がられたけど、なんとか用事を言いつけて、家から追い出すことに成功したし・・・しばらくは大丈夫だろう・・・。

床の上に並べられた数冊の本・・・。

破廉恥極まりない表紙をしている。

絶対にこれ・・・あまっちゃんの荷物だろ・・・。

あまっちゃんに無断で読むなんて・・・。

固く目を閉じるが、今までの人生・・・こんな体験や機会なんか一度もなかったんだ・・・。

周りを見渡せば、いつも男ばかりだし、客は客って目でしか見れないし・・。

握りこぶしに自然と力が入った。

見たい・・・。

けど・・・恥ずかしくて直視できない。

なんだか顔も熱くなってきたし・・・胸がすごくドキドキする。

このまま・・・この本の前で死ぬのかな・・・俺・・。

冷たい床に頬をつけて、冷静になろうとしたが、未知なる世界への妄想が治まらない。

まだ・・・死にたくないな。

いっそ、見てみたらこの気持ちも収まるんじゃないだろうか。

そう思い、床に顎をつけたまま本に視線を向けたが、恥ずかしくて死にそうだ。

くそ・・・俺はなんて意気地なしなんだ!

歯がゆくて仕方がない!

あんな姿やこんな姿をしているかもしれない。

これを逃すともう、一生見る機会がないかもしれない・・・。

ここは男の見せどころじゃないのか、俺。

そう思った時、扉が開く音がした。


「張騫、珪から聞いて飛んできたけど、体調は大丈夫?」

間に合ったかな?!

エロ本の上に勢いよく覆いかぶさったおかげで、顔を勢いよく打った。

「い、允明?だ、大丈夫!元気に決まってるだろ?」

笑いながら答えると、驚いた顔をしていた。

「そうは見えないよ。どうやったら、こんな状況になるの?」

後ろから珪の心配そうな姿が見えた。

「大丈夫だから、二人ともとりあえず出てってくれ!!」

もう、こんな言葉しか思いつかなった。

「張騫・・・。」

不安そうな顔をして允明は俺をじっと見る。

そんなに見ないでくれ・・・。

何かに気が付いたように、允明はため息を吐いた。

「ちょっとまずい病気みたいだから、少し席を開けてもらえないかな?問題なかったら、また呼ぶから・・。」

「そ、そっか・・・。」

心配そうな顔をして珪は部屋から出て行った。

「そんなに慌ててたら、かえって不自然だよ。それに、そんなにこれって恥ずかしいの?」

隠しきれなかった一冊を允明に取られた。

え?

「こういうのに、興味があるなら早く言ってくれれば良いのに・・・。水臭いよ。」

不貞腐れた顔をして允明はパラパラと中身を見る。

もしかして・・・允明って・・・俺よりも経験豊富だったのか・・・?

俺・・・なんでこんなことに舞い上がってるんだろう・・。

允明みたいに余裕がないと、女の子と手さえつなげないだろ。

握りこぶしに力を入れて、床を突いた。

余裕を持たないと・・・。

「これじゃあ分かりにくいから、今度詳しいのを持ってくるよ。」

反射的に顔を上げて、いつの間にか允明の両手を握りしめていた。

見たい。

あれよりすごいのって、想像がつかない。

でも、さっき余裕を持つと誓ったばっかりだし・・・。

こんなのを断ったら、もう無いかもしれないだろ。

数分間悩んでから、俺は允明にお願いしますと強く言った。


10

「今日も居てくれて良かった。珪は居ないみたいだね。」

顔に笑みを浮かべながらあまっちゃんが話しかけてきた。

「珪は用事があるから、今日は俺一人だけなんだ。それと・・・。」

昨日はとんでもない爆弾を・・・と思いつつ、それに反して感謝している自分に複雑さを感じた。

「あまっちゃん・・・昨日本が紛れ込んでてさ・・。」

するとあまっちゃんはニヘラと笑った。

「やっぱり、あったんだね。良かった。」

厳重に包んだ本をあまっちゃんに渡した。

「知り合いからのもらい物なんだ。」

そう言って、あまっちゃんは耳元に顔を近づけた。

「どうだった?」

顔に火がついたんじゃないかと思うくらいに熱くなった。

「あれは・・・あまっちゃんのだろ?人の物を勝手に見るなんて・・・。」

あまっちゃんはいたずらな笑みを見せた。

「読んだあとが付いてるけど。」

胸をえぐられた気分になった。

「本当に読んでないんだ・・・。それは、知り合いがつけた後で、俺は開けなかったんだ・・・。」

恥ずかしくて死にそうだ・・・。

視線を逸らしながら言うと、あまっちゃんは噴き出すように笑った。

「張騫、面白いね。そっか・・・張騫にはまだ刺激が強すぎたみたいだね。」

あまっちゃんはじっと本を見つめた。

「そっか、そっか。」

楽しそうにあまっちゃんは言う。

「こんなの興味ないって言うかと思ってたのに意外だよ。しばらく見ない間に、とっても人間らしくなったね。」

「しばらく?」

あまっちゃんと俺が会ったのは昨日が初めてだ。

じっと見ていると、あまっちゃん自身驚いた様子だった。

「おかしいね。会ったばっかりなのに、こんなことを言うなんて・・・。もしかして、どこか別の場所で俺らは会ってたかな?」

これがあまっちゃん自身の偽りのない言葉のような気がした。

「さあ。」

心の奥底がチリチリした。

あまっちゃんは満足そうな笑みを浮かべた。

「張騫、渡してくれてありがとう。また会いに来るよ。」

あまっちゃんが去った後・・・自分の胸元を掴んだ。


11

薬の相談のために、允明の家に言った時だった。

「張騫これが例のやつだよ。」

そう言って、允明は本棚から分厚い本を手渡してきた。

「なんの本なんだ?」

珪が興味深そうにのぞき込んできた。

「い、允明!こういうのは・・・」

言いかけると、允明は不思議そうな顔をした。

それに違和感を覚え、視線を表紙に向けると医学書だった。

「化粧でうまく隠してるみたいだけど・・・あれってこれだと思うよ。」

真剣な表情をして、允明はページを開いて言った。

「まあ・・・こういうのって、本人も気にするし見つけにくいよね・・・。これって目立った症状もないし・・・。僕も張騫を見習って、もっと勉強しないと・・・。」

允明・・・。

そう思いながら両肩を掴んだ。

「どうしたの?張騫・・・。」

俺の心は汚れていたんだろうか・・・。

こんな真面目を絵にかいたような允明がそんな目であの本を見るはずがない・・・。

「ずっとそのままでいてくれ・・・。あと、允明はあんな本より患者を診て勉強してくれ。」

キョトンとした様子で允明が俺を見る。

「う、うん・・・。わ、わかったよ?」

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