第5話「予想外だったんだ」

「今日も美しい・・・。」

王女の部屋が見える木の枝に寝そべりながら、うっとりした様子で蕭紅は言った。

「なんでこんな離れた所に居るん?」

そんな蕭紅の居る枝の隣に遊信は降り立った。

「あんまり近づきすぎると、邪魔になるだろ?それに、俺の命が持たない・・・。」

頬を赤く染めながら口元を手で覆い隠して言った。

「そんなんじゃったら、仕事の依頼とかはどうやって受託しとるん?」

首を傾げながら聞いた。

「そこは大丈夫。全部手紙でやり取りしてるから。」

仕事に対しては真面目じゃな・・・。

「まあ、王女の顔を見た瞬間意識が飛んで、いつも近衛兵からその手紙を渡されるんだけどな。」

何故か自慢気な顔をして蕭紅は言った。

「渡し方って、そういうことかい!いつもって、王女の悪意がこもっとるじゃんか!」

何故か不機嫌な顔で舌打ちをされた。

「そんなわけがないだろ。でも、そう思われるのも悪い気はしない。」

鼻血を流しながら嬉しそうな顔をして言った。

「気持ち悪!」

そんな蕭紅に対して全身の鳥肌が立った。

こいつを仲間に引き入れたのは間違いだったんじゃないだろうか・・・。

そんな考えが頭をよぎった時だった。

辺りを見渡しながら、城内を歩く不審な男の姿が見えた。

守護兵何しとん・・・。

「蕭紅・・・どう考える?」

呼び掛けた時には、もうその姿はなかった。

「な、どこに行ったん?!」

辺りを見回すとさっきの不審者に向かって、走っていく姿が見えた。

そして、飛び蹴りをかまして不審者の上に座った。

早すぎるじゃろ・・・・。

木から素早く降りて蕭紅の下に駆け寄った。

髪紐がほどけて、長い髪を地面に広げて倒れている蕭紅の姿が見えた。

その隣には大きな巨体の不審者の姿が見えた。

「焦り過ぎじゃって・・・・。」

ため息交じりに蕭紅を起こそうと肩を触った瞬間だった。

蕭紅が目を見開き、口元に不敵な笑みを浮かべて俺の腕を浮かんだ。

「まず!!」

その瞬間、視界が真っ暗になった。


薪拾いの休憩に、川べりで珪と一緒にぼうっとしてた時だった。

「珠玉!デートしよう!!」

突然現れた允升が後ろから飛びついてきた。

そのおかげで、顔面から倒れこむように川に落ちた。

「允升・・・お願いだから、来るときは普通に来てくれないか・・・。」

全く悪びれる様子もない顔をしながら允升は謝った。

鼻が痛い・・・。

手で鼻を抑えながら、上に乗っている允升を下ろして川から上がった。

「それにしても、やけに早くないか?」

濡れた服を絞りながら川から上がる允升を横目で見た。

「仕事はちゃんとしてきたよ。けど、現実はそう早くはいきそうもないかな・・・。」

何かが操ってるのか?

服を近くにあった木の枝にかけた。

「俺もそう考えた。実際に見ても、安定するのが不自然なほど早すぎる。」

允升が渡してきた服を広げて、同じように干した。

「周りの信用は全くないはずだが・・・天津が絡んでたら、この事態はありうるな・・・。」

早く終わると思ってたのに・・・。

珪に視線を向けると、話についていけてないのが分かった。

「簡単に言うと、珪が家に帰る目途が立たないって話だ。」

「なんで・・・。」

せっかく拾ってきた薪を枯草の上に置いて、允升が火をつけた。

「悪い奴が良くないことを考えて、お前が帰れないようにしてるんだ。」

「良くないことってなんだよ?そいつをやっつければ、解決するんじゃないのか?」

真剣な目で珪は俺を見る。

「そんなに簡単だったら、苦労はしない。」

天津は大航海の真最中だ・・・。

それを見つけて倒したところで、現状は変わらない。

根本を知って、それでピンポイントに叩かないと意味がない。

その時、允升の手が俺の手の甲に覆いかぶさるように乗った。

「まあ、難しいことは後にしよう。結果を急ぐと、ドツボにはまるだけだろ。」

それを恨めしく思った。

「慎重にいくしかないか・・・。」


「蕭紅、こんな所で昼寝をしていると、風邪をひくぞ?」

蕭紅?

不思議に思いながら目を覚ますと、王女の顔が見えた。

「そなたの姿が定位置になかったから、心配したぞ?」

子供みたいな無邪気な笑みを浮かべて王女が言った。

「なんでここが分かったんですか?」

まだ頭の中がはっきりせず、そんな言葉が出てきた。

「別に仕事に飽きたわけではないぞ。ふと、窓から外を眺めていたらそなたの姿が見えて、文字通り飛んできたのだ。」

苦笑しながら王女は言った。

「危ないので、せめて階段を利用してここに来てください・・・。」

ため息交じりに言うと、王女は眉間に皺を寄せた。

「どうしましたか?」

「それはこっちのセリフだ。そなたは誰だ?」

「誰って・・・あなたの部下の遊信ですよ。」

するとますます王女の顔が険しくなった。

「そなた、鏡を見ると良い。」

そう言うと王女は両手で大きな円を描いて、水鏡を作った。

それを覗くと、なぜか蕭紅の顔が映った。

「なんで蕭紅の顔が・・・。」

両手で自分の顔を触りながら言った。

その瞬間、王女に頬を強くつねられた。

「これで夢ではないと分かったか?」

つねられた痛さは本物だ・・・。

「おかげさまで・・・。」

となると・・・俺本体は何処に・・・。

辺りを見回すが、姿はなかった。

「もしかして・・・・そなたらは入れ替わってるのか?」

地面で眠っている男を揺すり起こし、王女の姿を見せた。

「ここは天国なのか?」

王女の姿を見た途端、両手で口元を覆いながらまた倒れた。

「認めたくはありませんが、そうみたいです。」

すると王女はつまらなさそうな顔をした。

「せめて、遊信の体に蕭紅が入ってたら面白かったのに・・・。」

俺の体に蕭紅が入ってなくて良かったと心底思った。

「私は仕事に戻るから、元の体に戻れたらまた報告を頼んだぞ。」

とても落胆した様子で王女は姿を消した。

いつものことに苦笑して見送った。

「いつ見てもやっぱり素敵だ・・・。」

気持ちの悪い笑みを浮かべて、不審者の中に入っている蕭紅は呟いた。


「さて、珠玉!久しぶりにどこに行く?」

満面の笑みを浮かべながら下着姿の允升が言った。

「とりあえず服を着ろ。そんな姿だと、風邪ひくだろ。」

允升の服を突き出しながら珠玉は言った。

「下着姿の二人と歩くなんか僕は絶対に嫌だからな・・・。」

この異空間にため息を吐きながら言った。

「好きでなってるわけじゃない。」

服を着ながら珠玉は少し頬を赤くして言った。

恥ずかしかったのだろう・・・。

「俺は別にこのままでも気にしないけどな・・・。」

何言ってんだこいつ・・・・。

允升を見て口元が引きつった。

「気にしろ。」

珠玉がため息交じりに言った。

「その前に・・・そこに居るんだろ?いい加減出てきたらどうなんだ?」

何もない草木に向かって珠玉が言った。

「お前・・・何言ってるんだ?」

そう言いながら珠玉の顔を見た時、不自然に揺れる草木の音が聞こえてきた。

誰かいるのか?

じっと見つめると、細い目をした短髪の男が出てきた。

鼠色の長いコートを靡かせながらゆっくりと歩み寄ってくる。

「允升!」

珠玉がそう叫ぶと同時に、景色が急に流れた。

「っな!!」

気が付くと允升に抱えられたまま地面に倒れていた。

「何するんだ!」

起き上がって言うと、珠玉が男の足を蹴り飛ばしているところだった。

え・・・。

知り合いじゃないのか?

地面に倒れこむ男の上に座り込んで、珠玉はこっちを見た。

この光景に恐怖を感じていたが、その珠玉の表情だけには優しさを覚えた。

「目的は?」

男は黙ったままで何も答えない。

「そのままでも良いけど・・・早いうちに言った方が身のためだ。」

そう言うと珠玉は男の腕を動かした瞬間、嫌な音ともに男の悲鳴が響いた。

「お前・・・こいつの知り合いじゃないのかよ・・・。」

悲鳴に近い声で男は言った。

「どっちかって言うと敵だ。こいつがボロボロになればなるほど、俺にとっては都合が良いんだ。」

苦痛に男は顔を歪ませている。

いくら情報を聞き出すためとは言え・・・人を平気で傷つけるのは怖い・・・。

固唾を飲み込んだ時だった。

「今度は足にするか?」

無表情で珠玉は男の右足に触れた。

その瞬間、男は短く悲鳴を上げた。

「珠玉!やめろ!!そんな風にする必要があるのか?」

そう叫ぶと、珠玉は一瞬目を見開いてこっちを見た。

それは悲しそうに見えた。

その瞬間男が無理やり起き上がり、珠玉の顔面をもう片方の手で掴み、押し倒した。


「にしてもあいつ・・・人の体でどこに行ったん・・・。」

門番に聞いたら、さっき堂々と城外にでたと言っていた。

まだそう遠くに行ってないだろうが・・・。

「王女様の期待に応えないと・・・。」

頬を赤く染めながら鼻血を流している、不審者の体に入った蕭紅が言った。

「お前・・いい加減、正気になってくれん?」

すると急に蕭紅は真顔になった。

「俺はいつでも正気だよ。」

そう言って俺の手を掴んだ。

「何しとるん?」

「体が入れ替わったなら、その力が使えるんじゃないかと思ったけど・・・できないみたいだね。」

それを言われて、蕭紅の力である解を使おうとしたが、なにも起こらなかった。

「ほんまじゃ・・・。」

「たぶん、向こうも同じ条件だろうし・・・捕まえるのは簡単だとは思うな。」

蕭紅は考え込んだ。

「そうは言っても、手がかりなんてないし・・・。」

そうつぶやくと、蕭紅がじっと見てきた。

「なんなん?」

「自分の体なんだから、匂いとかをたどれるんじゃないのか?」

「俺、犬じゃないけん・・・。」

蕭紅は不敵な笑みを浮かべた。

「犬ならちゃんと自分の匂いぐらいたどれないと・・・。」

蕭紅はため息を吐いて、どこかに向かって走り出した。

「何処に行くん?」

その問いかけに蕭紅は答えなかった。


遊信を抑えていたはずなのに・・・。

暗闇の中をぼうっとした気持ちで見つめた。

なんで・・・・ここに居るんだろうか・・・・。

見知らぬ男がこっちに向かって泳いでくるのが見えた。

じっとそれを見つめる。

その時、後ろから誰かに強く抱きしめられた。

「やっぱり・・・」

その先の言葉を言うのが急に億劫になった。

その手は俺の両目を覆った。

小さく泣く声が微かに聞こえてきた。


「残念でした。」

蕭紅の後を追っていると、普段サボっている森の中に出た。

いたずらな笑みを浮かべた珠玉が、俺を吹っ飛ばしているのが見えた。

しかも俺の腕は関節が外されているのか、ブラブラしていた。

「なにしとん!?」

手を伸ばして俺の体を庇おうとしたとき、蕭紅に首根っこを掴まれた。

「待て。そこで隠れててよ。」

まるで犬に命令するようにそう言うと、蕭紅は珠玉の横に立った。

「俺はそこのを捕まえに来たんだ。けど、君も知っての通り・・・触ると体を入れ替えられるんだ。動きを封じてくれれば、あとはこっちで処理するからさ・・・。」

あいつ・・・いつの間に知り合いだったん?

少し考え込む素振りを見せると、珠玉は俺の体をじっと見つめた。

「分かった。」

そう言うと、珠玉は俺の体をあっという間に取り押さえて、蕭紅に渡した。

その様子が懐かしいように感じた。

「ありがとう。助かったよ。」

自然な笑みを浮かべて蕭紅は言った。

あっという間の出来事に驚きながら、草陰に隠れていた俺の所まで蕭紅が来た。

その背中には俺を背負っていた。

「自分の体は自分で持ってよって言いたいけど・・・。今は俺の体だから我慢してあげるよ。」

元来た道をたどるように先を歩き始めた。

聞きたいことは山ほどあったが、下手に聞けば自分の身が危ない。

「早くここから離れよう。いつまでもこんなむさい体で居たら、王女様が怖がるだろ。」

そう言ってから、何かに気が付いたように蕭紅が振り返った。

なんなん?

「それと、君もサボるのたいがいにしなよ。そんなのだと、守護兵たちに示しが付かないだろ。た、い、ちょ、う。」

無邪気な笑みを浮かべて蕭紅は言った。

「な、なんなん・・・。俺、サボったこと一度もないけん・・・。」

口元が自然とひきつった。

こいつを怒らせたら厄介だ・・・。


ほんのひと時だった。

珠玉が男に倒されて、二人とも地面に横になった。

允升が駆け寄ろうとしたとき、急に珠玉が起き上がって、男のお腹を蹴り飛ばしているのが見えた。

そして、また知らない男が来て・・・あの蹴り飛ばされた男を回収していった。

「お前・・・あいつらはお前の知り合いなのか?」

心配そうな顔をして駆け寄ってきた珠玉に言った。

「さあ・・・俺もいきなりのことで、わけが分からない。それよりも、怪我はないか?」

そう言って手を伸ばしてきた。

なんだろう・・・なにかが変だ・・・。

「僕よりも、お前の方が大丈夫なのか?あいつ、体に乗り移る力を持ってるんだろ?」

すると珠玉は複雑な顔をした。

「ずっと胸に違和感があって・・・大丈夫だって断言できない。けど、生活をする上では問題はないと思いたい・・・。」

視線を逸らしながら落ち込んだ様子で珠玉は言った。

「胸に違和感?本当に大丈夫なのか?」

こっちが不安にあるくらいに、心配そうな顔をした允升が珠玉の上着を首の下まで捲った。

「違和感って・・・そんな傷みたいなものじゃない・・・・。」

呆れた様子で珠玉は允升に言った。

絶対に・・・允升は分かっててやったと思う・・・。

そんなことを思いながら、允升の背中越しに珠玉を見た。

その時、胸元に傷跡が見えた。

「この傷だって、だいぶ前に付いたものだから問題ない。」

ベタベタ触る允升の手を優しく引きはがしながら珠玉は言った。

「だいぶ前って?」

そんな傷・・・なにかがあったに違いない・・・。

すると珠玉は苦笑いをした。

「秘密。まあ、ヒントを出すとしたら・・・トラウマだよ。賢いお前なら、俺が何を言いたいか分かるだろ?」

トラウマ・・・ものすごく不愉快なことがあったとか・・・。

悩んでいると、允升に頭を軽く小突かれた。

「話したくないってことだよ。」

珠玉の顔を見ると苦笑していた。

「そういうこと。」

服を整えながら珠玉は立ち上がった。


珪を珠玉の家まで送り届けた。

そのあと、珠玉に服の袖を微かに掴まれた気がした。

とっさに、珪にはデートに行ってくると言った。

そして、俺と珠玉は二人きりで星空を眺めている。

天津の下で動いていた頃と同じように・・・。

「久しぶりだな・・・。こうやって星を見るのは・・・。」

懐かしそうに目を細めながら珠玉は言った。

「あんたとは初めてだろ。」

微笑しながら言うと、珠玉も同じように笑った。

「久しぶりだよ。俺は俺だ。」

眉間に自然と皺が寄った。

「何が?珠玉だったら、俺が服掴んだだけで恥ずかしそうにする。なのに、あんたは軽口が叩けるくらい普通だった。」

苦笑いしている珠玉を睨んだ。

「早く、珠玉の中から消えたらどうなんだ?偽物・・・。その証拠に俺の名前を今まで言ってないだろ。」

「允升。」

その予想外の言葉に驚いた。

「初めに言っただろ。あの男の影響があるから、お前がそんな違和感を抱くんだって。」

そう言いながら珠玉は、自分の右手を閉じたり開いたりして見つめた。

「これが自分の体だって認識は確かにあるんだ。けど、自覚がない。」

自覚?

すると珠玉が腕を掴んできた。

「例えると、感触が無いってことだよ。まるで他人の人生を鑑賞してる気分だ。それがお前に伝わってるんじゃないのか?」

ゆっくりと珠玉の腕が離れた。

「だから、この景色も覚えてるって言うよりも知ってるなんだ。」

理屈は分かったが・・・納得いかない・・・。

「まあ、こういうのは時間が解決すると思うけど・・・・一応異常がないか調べようと思う。だから、医者に診てもらうよ。いつまでも、このままじゃお前も嫌だろ?」

確かにそうだが・・・。

「そう説明されても、俺にはお前が別人にしか見えない。」

珠玉の腕を掴んで睨むと、嬉しそうな顔をされた。

「そんなに思ってくれて嬉しいよ。ありがとな。」

そう言いつつ、手をはがされた。

「また明日。」

そう言うと珠玉は暗闇の中に走り去って行った。


10

夜中に扉を叩く音が聞こえてきた。

椅子に掛けてあった白い羽織に袖を通して、玄関の扉を開けると紺が見えた。

「いらっしゃい。ここで話すのは何だから、中に入りなよ。」

「朴牧先生、夜遅くに悪いな・・・。」

苦笑いをしながら珠玉は近くの椅子に座った。

「手遅れの時に来られるより全然良いよ。」

紺の前にお茶を置いた。

「寝てるのか?」

辺りを見回しながら紺は言った。

なんのことだろう・・・。

「ここ最近、はやり病が無いからしっかり寝られてるよ。」

そう答えると、紺にじっと見つめられた。

「いや、そうじゃなくて・・・いつもなら、飛んでくるから・・・」

そう言いかけて、紺はバツの悪そうな顔をした。

まさか・・・允明のことを言ってるのかな・・・。

「本当にそうだね。きっと今の紺を見たら、ものすごく心配して一人で慌ててる姿が想像できるよ。」

思い浮かべるだけで、笑いが込み上げてきた。

しかし、紺は悲しそうな顔をしていた。

聞きたいことが山ほどあるのだろう。

「悲しいけど、允明の選んだ道だから、後悔はしてないんだ。そんなに気にしなくていいよ。」

紺の頭に手を置こうとしたとき、よけられた。

その顔を見ると、戸惑った様子に見えた。

しばらくしてため息を吐き、紺は僕の右手を掴んだ。

その瞬間、胸が苦しくなり激痛が走った。

「朴牧先生・・・いきなりごめん。俺は何も知らないから、知りたかったんだ。」

自分を落ち着かせるように、息を整えていると、紺が背中をさすってきた。

「こんなこと・・ありえないから・・・驚いちゃったよ。」

額から流れた汗を袖口で拭い、深く椅子に腰を掛けた。

「紺・・・僕の心の内が分かるんでしょ?」

紺は静かに頷いた。

それなら、紺って呼んじゃいけないな。

「この体は紺のものだから、それ以外で呼ぶ方が不自然じゃないか?」

「紺と同じで僕も嬉しいんだよ。だから、名前が呼びたいんだ。」

「そうかもしれないけど・・・呼ばないで欲しい。紺はこれからも紺で、俺は紺じゃない。」

自分の存在を否定するように紺は言った。

「今この場では本当の自分で居ても良いと思うけど?そうなりたいから、ここに来たんじゃないの?」

紺は少し不機嫌そうな顔をした。

「もう・・・先生の好きにしてくれ。」

大きくため息を吐きながら言った。

「紺は・・・死にたがってるのか?」

紺に触れた時を思い出した。

「根本は違うと思うけど、聡い子たちにはそう思われてるかもしれないね。紺は、肝心なことは誰にも話さないし・・・。」

困ったもんだよね・・・。

「根本?」

「一番は紺自身に聞いた方が早いけど・・・今の状況じゃあ、無理だよね。」

「まあな。先生・・・。」

張騫の両こぶしに力が入ったのが分かった。

「俺は紺に生きて欲しいって思ってる。その思いは今でも変わらない。」

僕だって・・・死んで欲しいと思わない。

「今、辛い目に合ってる紺を見ると、あの時の選択が間違ってたんじゃないかって・・・思えてくるんだ・・・。」

「確かに、紺を見ているとドキドキハラハラすることなんて、日常茶飯事だったよ。けど、ここ最近の紺は、あの男の子が来てから生き生きしてるよ。」

張騫は苦い笑みを浮かべた。

「張騫はどうしたい?」

自分の手のひらを見てから、張騫はまた僕の顔を見た。

「叶うなら、また一緒に暮らしたい。」

張騫は息を吐いた。

「でも、それが難しいから・・・紺には元気で生きていて欲しいんだ。」

そう言って、張騫は僕にもたれかかってきた。

「先生・・・さようなら。」

そう呟くように言うと、張騫は静かに寝息を立てた。


11

目が覚めると見慣れない天井が見えた。

ここは・・・。

顔だけを横に向けると、カーテンで四方八方遮られているのが見えた。

「ここって・・・朴牧の所か?」

目を細めて起き上がったとき、体が普段よりも重く感じた。

そう言えば・・・遊信が突然来て・・・。

そこまで考えて、ゆっくりとベッドから降りてカーテンを開けた。

遊信の姿がないどころか、空のベッドしか見えなかった。

遊信のせいじゃないとしたら、允升とかが来るはずだが・・・。

その気配もない。

何かがおかしい・・・。

部屋の真ん中に立って、状況を整理していると、朴牧の足音が聞こえてきた。

「おはよう。紺、早いね。」

笑みを浮かべながら朴牧は俺の顔をベタベタと触った。

「顔色も良いみたいで良かったよ。劉さんが出勤してくるまで待つ?」

ウインクをしながら言う。

「なんで、ここに居るんだ?」

「紺が自分から僕の家に来たんだよ。」

記憶にない・・・。

「入れ替わりの影響がないかってことで、ここに来たんだよ。見た所、後遺症もなにもないから安心していいよ。」

頭を軽く撫でられた。

「影響って・・・・あったからここに来たんじゃないか・・・。俺の中に入ってた奴は誰だったんだ?」

それが遊信だったら、今から会いに行かないと行けなくなる。

「張騫。」

胸が締め付けられた。

あいつがここに来たなら、話をしているはずで、知らないふりができない。

「紺、流れない水はいつか淀むんだよ。」

話して・・・この問題は解決できるわけがない。

「こんなこと、話したって迷惑だろ。これは、俺たちの問題だ。」

「迷惑じゃないから、この話を振ったんだよ。問題ならみんなで解いた方が、早く解けると思うよ?」

まっすぐな朴牧の緑色の瞳が俺をとらえる。

逃げてるわけじゃない。

張騫には生きて欲しいから、俺は今も生きてる。

俺はもう・・・十分すぎるほど生きた。

「僕は・・・二人に居て欲しい。けど、どっちか一つしか助からないなら、今生きてる方にそれを強く思うよ。」

過去は過去でしかない。

けど、可能性が目標で未来なら・・・俺は未来を強く願う。

張騫が居なくなったことをみんな受け入れつつある。

存在がなくなったわけじゃないのは分かってる。

「朴牧・・・俺はもう死んでるんだ。過去は変えられない。けど、未来は変えられるだろ。」

俺は何を真剣に話をしてるんだろう・・・。

こんなことを言ってしまえば、俺が選んだ道を否定してくれって言ってるようなものじゃないか・・・。

はぐらかせば・・・沈黙が続いて・・・終わってたはずなのに・・・。

「紺だけが責任を感じて良い話じゃないよ。もとはと言えば、紺が死んだことを張騫が受け入れられなかったから、こうなってるだけだよ。」

苦い笑みを浮かべながら朴牧は言った。

「僕だって・・・允明がそんなことやってたら同じように悩むよ。張騫だって、紺と同じように悩んでこうなったんだから・・・。」

張騫も苦しくて、信じたくなかったんだ。

俺があの日、張騫の血まみれの服を抱きしめながら泣いたように・・・。

「朴牧・・・張騫は俺に何か言ってたか?」

聞かなくても分かってるけど、聞かずにはいられなかった。

「また一緒に暮らしたいって・・・。」

ずっと・・・そんな方法を探してきた。

けど、そんなのどこを探してもなくて、苦しくて・・・だからせめて、あいつには生きてて欲しかった。

ふいに目から涙が溢れた。

溢れ出てくる感情を止めるように、胸元の服を握った。

けど、止まらない。

「俺もそうだ。」

この傷がなければ、張騫は今も傍に居た。

だが、現実には胸に傷跡があって張騫は居ない。

「紺自身が望むのはなに?」

張騫が生き返ること。

だけど、そんなことをしても同じことの繰り返しになるかもしれない。

その先を考えなければ・・・何も解決しない。

だんだん、何がしたいのか分からなくなってきた。

「そんなに難しく考えなくても良いんじゃない?自分の人生なんだから、思ったことを望んでも罰は当たらないと思うけど?」

その時、珪の顔が浮かんだ。

珪と過ごす日常は、なにが起こるか分からなくて楽しかった。

星空を眺めた時・・色々考えて・・・俺は・・・死にたくないって思ったんだ。

「俺は・・・今みたいに自然に感情が出せる生活が好きみたいだ。」

「僕もだよ。」

朴牧は笑顔で言った。


12

じいちゃんに会う前に朴牧の家を出た後、大きな木の前に立った。

その木には子供が入れるくらいのうろがある。

10年前・・・ここで張騫は居なくなった。

「君は誰かな?」

後ろを振り向くと蕭紅が立っていた。

「珠玉だ。気づいてたのか?」

蕭紅はクスリと笑って見せた。

「弟が止めに入っても、あの時あいつの関節全部外しておけばよかったのに・・・。」

「後悔しても仕方がないだろ。過ぎたことは治しようがないんだから・・・。」

くだらない言葉遊びと思うと、ため息が出た。

「元に戻れたんだな。」

「なんとかね。それよりも、油断しない方が良いんじゃないかな?あの男、」

「天津だろ。」

そう言うと蕭紅は息を吐いた。

「天津は俺でも何するか分からない。今回だって、あいつの俺に対する置き土産かもしれないし・・・お前の国に関係したことかもしれない。もしかしたら、両方かもな・・・。」

「どういうこと?」

「お前の所・・・調べてみたら、あんなに落ち着きがなかったのに、もう綺麗になってる。不自然すぎだ。あの男だって、俺をピンポイントで狙ってきたのもおかしい。」

「君を狙ったくらいで?君が表に立ったくらいで、そんなに混乱はしないと思うけど?」

普通に考えれば・・・そう思うのも仕方がない。

「なんで、この国には黒い瞳は殺せってふざけた法律があるんだろうな。そんなの、滅多にいないのに・・・。」

すると蕭紅は一瞬驚いた顔をして、俺を睨んだ。

「そういうことか・・・それなら、君が現れただけで王女様は怒り狂うわけだね・・・。王女様が怒れば・・・この国はメチャクチャになる。そのすきに、天津が自分の思い通りになるように国を支配しようとしてるってこと?」

こんなの・・・。

「ただの憶測だ。これが正しいかは、お前が決めることだ。」

「責任取りたくないからって、そんなハッキリ言わないでよ。」

微笑しながら蕭紅は言った。

「当たり前だ。これは、引退する前も変わらないルールだからな。」

このルールを破れば、自分の身が危なくなる。

本来なら事実だけしか言わないが・・・

そこまで思ってからため息を吐いた。

「ねえ・・・君、なんか変わったね。」

じっと赤い瞳で蕭紅は言った。

「今日を含めて2回しか会ってないのに、俺の何が分かるんだ。」

そんなに分かりやすかったのか?

自分の頬を触って、今の表情を確認した。

「直感に理由なんてないよ。俺、君が約束破らないか心配だな。」

大丈夫。

今回のことは予想外だったけど・・・もう迷わない。

蕭紅の顔を見た。

「心変わりはない。」

「どういうこと?」

背後から鴉の声が聞こえてきた。

それとともに、お腹に激しい痛みを感じた。

「蕭紅・・・呪いを解いてくれ・・・。」


13

まだ・・・何も言えてない・・・。

伝えきれてないから・・・死ねないんだ。

強く奥歯を噛みしめた。

「神奈・・・。」

辺りに下駄の音が響いた。

「どうする?」

澄み切った空にそれを反射する水溜まり。

その水溜まりの中には、石畳が見える。

後ろを振り返ると、あの大きな木の前に少年が立っている。

緑色の髪の毛と虚ろな瞳。

白と薄紫の着物と背中に赤い傘が見える。

「俺が居たから・・・周りが傷ついて、気にかけてた人たちが死んだ。」

張騫が俺の代わりに居なくなって、允明が死んで・・・。

「張騫が選んだ道は・・・許せない。けど、それが無かったら・・・允升や珪に会ったり、生きたいって思うこともなかったな。」

黙って神奈は見つめる。

「楽しいひと時を俺に与えてくれてありがとう。逃げ惑うのに疲れたから、少し休ませてほしいんだ。」

神奈は歯がゆそうに、口元をゆがめた。

「僕の気持ちはどうなるの?」

人らしく顔を歪ませながら神奈は手の平を俺に向けた。


14

誰もいない部屋の中でゆっくりとしていた。

心地よく感じる風が、開いていた窓から入り、珪の前髪を揺らした。

目の中に前気味が入り、指で掻き分けた。

そのとき、部屋の真ん中に真っ白い髪結いが落ちているのが見えた。

不思議に思いながら、その髪結いをじっと見つめる。

この家に髪の長い奴なんて居なかったはずだ・・・。

「なんでこんなものが?」

思い入れが無いはずなのに、しばらくの間それから目が離せなかった。



第一部  終幕

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