第3話 「隠しごと」
1
「あれはなんだ?」
露店に出ている白い液体を指さした。
「あれは前に使ってた札の材料だ。力を込める前に触ると、半日寝込むことになる。」
あれはそんなに怖いものだったのか・・・・。
そう思うと、伸ばした手が自然に引っ込んだ。
「あれは?」
男が線香を持って、手招きしている姿があった。
「物好きが時間を浪費する場所。お前は絶対に近寄るなよ。」
意味は分からなかったが、珠玉がそう言うなら、ろくでもない物だろう・・・。
朝ご飯を食べた後、珠玉に促されるままについていくと、こんな怪しげな通りに連れてこられた。
「なあ、お前は何がしたいんだ?」
ため息交じりに、薄暗い路地を曲がる珠玉の背中に問いかけた。
「見てれば分かる。」
この状況に理解できてないのに、何を言ってるんだ?
珠玉は路地の真ん中で立ち止まった。
そして、両目を両手で覆った。
「允升・・・。」
珠玉が呟いた瞬間、男のすすり泣く声が辺りに響いた。
な、なんだ・・・・この怖いの・・・。
幽霊か?
辺りを見回すが、人の姿は何処にもない。
「もう・・・会えないかと思った・・・。」
路地の奥の暗い場所から、こちらに向かって歩いてくる人影が見えた。
「まだ、ここに居て良かった。」
両手を目から離して、珠玉は白い服を着た茶髪の男に言った。
2
言いたい言葉が・・・奥歯を強く噛みしめているせいで、なかなか出てこない。
久しぶりに見る允升は、最後に会ったときと変わらない表情をしている。
うすうすだが、允升は俺のしたいことに気がついてるはずだ・・・。
覚悟を決めてきたはずなのに、現実はどうも口が重い。
「どんな理由でも、会いに来てくれて嬉しいよ。」
その言葉を聞いて縋りたくなったが、あいつのためにそれはできない。
「だから・・・もう一度会いたいと思えたんだな。」
深呼吸をしてから、もう一度允升の顔を見た。
「頭の良いお前なら俺がなんでここに来たか、見当がついてるだろ?」
允升はゆっくりと辺りを見渡して、ため息を吐いた。
「遊信を殴りに行けば良いのか?それとも、クーデターでも起こしに行けば良いのか?」
不安そうな珪に視線を少しだけ向けて、允升の顔を見た。
「遊信は俺が殴るし、クーデターはリスクが高すぎる。噂を流すだけで良い。」
允升は不満な顔をした。
「内容は・・・アレで十分だけど・・・・珠玉、二つ条件がある。」
真剣に俺の顔を見る允升の姿に固唾を飲み込んだ。
「一つ目は、結婚してください。」
け、結婚・・・。
「気持ちはありがたいが・・・・そんなこと・・・お前と、なんて考えたことがない・・。」
突然のことに、全身の体温が急上昇し、頭の中が真っ白になった。
「それに、なんで俺なんだ?お前を利用して、自分勝手に捨てて・・・。」
「珠玉のそういう所も含めて、好きなんだ。」
緑色の瞳を見ていられなくなって、視線を逸らした。
「お前を幸せにすることなんて・・・俺にはできない・・・。お前・・・俺の目のこと、知ってるだろ?」
あれ・・・呼吸ってどうするんだったけ・・・・。
「ああ。何年お前と一緒に組んできたと思ってるんだ。それもひっくるめて、一緒に居たいんだ。」
い、允升・・・。
「急にそんなことを言われても・・・簡単には切り替えられない。お前をそういう風に見てなかったから・・・。」
允升の顔がまともに見れない。
「分かった。ゆっくり、距離を縮めていこう。それで、二つ目は俺の子供を産んでください。」
さっきまでの気持ちが急になくなった。
「允升・・・俺は男でお前もそうだろ。生物学上無理だ。」
すると、懐から一枚の札を取り出してきた。
「俺、珠玉と会うまでずっと一人だったから、家族が欲しかったんだ。これさえあれば、子供くらい何とかなる。」
女と書かれた札を取り出して言った。
「允升!子供が居なくても幸せな家庭はあるだろ?俺は、二人の時間を大切にする方が好きだ。」
押し倒そうとしてくる允升の両腕を掴んで叫んだ。
「分かった。それなら。少しの間、抱きしめさせてくれ。」
泣きそうな顔で允升は言った。
全身の力を抜いて、允升ごとゆっくり地面に座り込んだ。
允升は体を震わせながら、強く俺を抱きしめて泣いた。
あの日からずっと我慢していたのだろう・・・。
俺はこういうのに・・・本当に弱いな・・・。
3
允升と別れてから、珠玉の百面相が激しい。
呆然としているかと思えば、急に顔を赤くしたり、悲しそうな顔をしたりと忙しそうだ。
そんな様子を隣で見ていると、この気持ちのままじゃ家に帰れないと珠玉は言った。
それで今僕たちは二人きりで、森の中に流れている川をじっと眺めている。
僕も複雑な気分だ。
目の前で、今まで知らなかった世界を見せつけられたんだから・・・。
「お前・・・男が好きだったのか?」
すると、珠玉は首を横に振った。
「そうじゃない。告白されたのが初めてだったから・・・気が動転してるだけだ。」
頬を赤く染めながら言った。
でも、あれはどう見てもその気があるとしか思えなかった。
すると珠玉は唇を尖らせて、僕の方に顔を向けた。
「俺だって、結婚するなら異性の方が良い。けど、真剣な気持ちに対して、それを理由に断るのは、踏みにじるような気がして嫌なんだ。相手をちゃんと見てから、判断するのが誠意だと俺は思うんだ。」
そう言って、珠玉は川に指先をつけた。
相手をちゃんと見て判断する・・・。
珠玉の顔をじっと見つめると、それに気づかれて苦笑いをされた。
「急になんだ?」
照れくさいのか、頬を少し赤く染めている。
「珠玉・・・。男で身長高くて、一つ結びでいつも蜂みたいな恰好してる。」
珠玉は首を傾げた。
「少し抜けてて、何考えてるか分からない奴・・・。」
「何が言いたいんだ?」
急に珠玉の表情が、今まで見たことのない冷たいものに変わった。
微かに威圧感を覚えた。
「あの会話の時、そんなことを思うお前は、なんで允升を遠ざけようとしてたんだ?拒絶してるなら分かるが、お前も少なからず好意はあったんだろ?」
触れてはいけないことは分かる。
けど、これから一緒に行動していく中で、これを見過ごしてはいけない気がした。
「急だったから、気持ちの整理ができなかっただけだ。あんなの、すぐに答えを出せるわけがないだろ。」
こんな質問じゃあ、煙に巻かれてしまう。
僕が知りたいのはそういう事じゃない。
その威圧感の正体だ。
「違う。もっと別の気持ちがあったように見えた。それが何なのか、知りたい。」
珠玉はじっと僕の顔を見つめた。
「それは本能なのか?」
さっきまでの雰囲気が嘘のように、珠玉は苦笑した。
言っている意味が分からず、首を傾げた。
「まあ、いずれ分かることだし・・・隠しても仕方がないよな・・・。」
そう言うと、懐から隔離と書かれた札を取り出して、上に向かって投げた。
札から薄暗いガラスのような幕が出て、僕たちを取り囲んだ。
「な、なにをする気だ?」
「何って・・・知りたかったんだろ・・・。」
口元に笑みを浮かべる珠玉に薄気味悪さを感じた。
4
天津の言葉が脳裏に浮かぶ。
これを見越して、あいつは楽しそうにしていたのだろうか・・・。
まあ、あいつが望む展開には絶対にさせないが・・・。
「お前も知ってるだろ。この世界の力の基準を・・・。」
自分の目を指さしながら言った。
「ああ。僕みたいな赤い目は、月が出てる時だけ力が使えない。お前みたいな緑はいつでも使える・・・・そのくらいには・・。」
それに頷いた。
「目の色は他にもあるんだ。黄色は緑よりも力が強い。青は式神の印。それで・・・。」
そう言いながら俺はコンタクトを取った。
珪は大きく目を見開いて驚いた。
「俺みたいな黒い目には、なんの力もない。」
「何も力が無いにしても・・・それはそこまでして隠すものなのか?」
その顔に苦い笑みを浮かべた。
「ああ。この国の決まりで、俺みたいなのは死なないといけない。もちろん、俺にかかわった奴も全部・・・。」
「な、なんで・・・。」
「さあ。俺が生まれる前に決まってたことだから、分からない。下手に動けば、じいちゃんもただでは済まないだろうな・・・。」
あいつが俺の前から消えたように。
コンタクトをつけなおして、珪の方を見た。
「これが允升と一緒に居たくない理由。」
それと同時に結界を解いた。
「お前は・・・・辛くないのか?」
何故か泣きそうな顔をして珪は言った。
「お前が泣く必要はないだろ。知られなければ、何もなかったのと同じだ。」
じっと珪が見つめてくる。
それにため息を吐いた。
「辛くないと言えば、嘘になる。けど、お前と会ってから楽しいと思えたのは事実だ。」
珪の頭を軽く撫でた。
「そろそろ帰ろう。」
5
木の上で、夜風を心地よく感じながら、雲一つない空を見つめていると、何かが反対の枝に止まった。
「珍しいな。お前が来るのって・・・」
ゆっくりと起き上がり、後ろを振り向いて、その姿を見た途端、心臓が止まるかと思った。
「簡単に人を見捨てるあなたが、国を守るなんてできませんよ。」
あの日と同じように、頭から血を流してボロボロな姿をした允明がそこに立っていた。
允明は死んでいる。
頭で理解できていても、これは堪える。
允明がゆっくりと近寄ってくる。
「部下の僕でさえ、救えないんですから。」
「ほんま・・・胸糞悪いな!」
勢いよく、お腹を蹴り飛ばすと、允明は木の幹に勢いよく体を打ち付けた。
「珠玉かと思ったら、お前か・・・。允升。」
「バレるの・・早いな・・・。」
激しくむせながら允升は、允明の姿のまま言った。
「お前、珠玉がおらんとなんもできんはずじゃ・・・。」
そこまで言って、ありえないと思っていたことが起きていることを確信した。
「珠玉の奴も変わったんじゃな・・・。絶対にお前なんか頼らんと思っとったんじゃけど・・・。」
息を整えながら、允升を睨んだ。
「遊信・・・お前が珠玉を勝手に巻き込んだのが許せないから来た。でも、珠玉が俺を頼ってくれたから、この姿で殴るだけで済ましてやる。」
本当にこいつ・・・頭おかしいな・・・。
「その前に、お前は珠玉と何の話をしたんだ?」
そう言いながら、袖口からナイフを出してきた。
「子守を頼んだだけじゃけど?あいつ、天津から離れたから暇じゃろうし、なんかあっても今みたいに対処できるけん、安全じゃろ?」
「天津から離れた?なんで・・・。」
不思議そうな顔をして、胸蔵を掴まれた。
「もしかして・・・・手がかりでも見つけて、いらなくなったから?あの子供の面倒見てるのは・・・こいつのせいで・・・。」
何かを考え込む様子を見せた。
「なあ、手がかりって・・・珠玉は何を見つけたと思う。」
急に突拍子もないことを・・・。
「そんなん、一番近くに居ったお前が知っとるんじゃないんか?第一、俺はお前らがなんのために天津の所に居ったのか・・・。」
「張騫を探すためだ。それなら、人数が多い方が有利だ。けど、今はあえて一人になってる。これってさ・・・。」
その先の言葉を確信にしたくて、俺に答えを求めるように、視線を向けてきた。
「子文が見つからんのが分かったから、その後を追うためとか?」
仲良くないから、単純に思ったことを口にした。
「死ぬにしても・・・何か目的があってするんじゃないのか?」
「ありそうじゃけど、お前はなんで敵の俺とこんな話をしとるん?」
嫌な予感がする。
「確実に死ぬためならお前らを利用するだろ・・・。ということは、その目的を潰せば、珠玉は死なない。」
やっぱり・・・。
ため息を吐いた。
「あいつ・・・意外に猪突猛進なところがあるしな・・・。国の中をひっかき回されるのはごめんじゃけん、手伝ってやるわ。」
「リミットは、お前が押し付けたことが終わるまでだ。」
そう言い終わったと同時に、勢いよく允明の姿の允升に殴られた。
こいつ・・・。
6
珪が眠ったのを見計らって、家の外に出た。
ここ最近、あいつの傍にばかりいて、一人になる機会がなかった・・。
満月の光を全身に浴びながら、久しぶりに夜道を歩く。
懐かしく感じる夜風に前髪を揺らしながら、靴の底越しに感じる地面の感触を心地よく思った。
少し前まではこんなのしょっちゅうだったのに・・・。
そう思うと、笑いが込み上げた。
「あーあ。こんな感情・・・覚えたくなかったのに・・・。朴牧のせいだ・・・。」
大きな木の前にたどり着き、空を見上げた。
晴れ晴れとした夜空が見えた。
あの時、珪を引き取ってくれていたら・・・。
そもそも、天津の見送りさえしなければ・・・。
「こんなにも・・・死にたくないなんて思わなかったのに・・・。最後の俺のわがままくらい・・・聞いてくれたって良いだろ?」
珪と会って、楽しいって思わなかったら・・・。
木の幹に横になって、目を閉じた。
張騫は・・・何を思って、あの日この場所に居たんだろうか・・・・。
深呼吸をして、ゆっくりと目を開けた。
「弱音くらい吐いても良いだろ?考えこみ過ぎて、疲れたんだから・・・。」
不自然に木の葉が重なる音が聞こえる。
「気は変わらない。俺はそんなに強くないんだ・・・。」
無理に笑みを浮かべて呟いた。
それに答えるように、見えない指先が額に触れた。
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