第2話「独りぼっちの影響」

「うわああああ!」

その叫び声に珠玉は目を覚まし、素早く隣に視線を向けた。

そこには、肩で息をしながら布団を強く引っ張っている珪の姿が見えた。

後ろから珪を抱きしめた。

「大丈夫。ここにお前を傷つける奴は誰もいない。」

宥めるように、何度も大丈夫と言っていると、そのうち珪は静かになった。

顔を覗き込むと、疲れ切った顔をしていた。

「落ち着いたか?」

そろそろ突き飛ばされるだろうと思ったら、珪は身を預けるように寄り掛かってきた。

そして、静かに目を閉じて寝息を立て始めた。

たく・・・。

ふと、窓から入る朝日がやけに奇麗に見えた。

もう、ずいぶん落ち着いてこんな朝を迎えてこなかったことに気が付いた。

それにため息を吐いた。

着替えて、ご飯作らないと・・・。

珪をどかそうとしたとき、着物の裾をガッツリ掴まれているのに、またため息が出た。


暖かさを全身に感じた。

それが心地よかった。

ゆっくり目を開けると、いつもの風景が見えるかと思ったが、やっぱり違った。

ここは・・・自分の家じゃない・・・。

そう思うと、悲しみが胸の奥からとめどなくあふれてきた。

それを否定したくて、目を閉じようとしたとき、真横からあいつの顔が目の前に見えた。

「いい加減、起きろ。」

不機嫌そうな顔をして珠玉は言った。

「な、なんでお前が・・・・。」

言いかけたところで、珠玉に後ろから抱きかかえられているのに気が付いた。

逃げるように飛びのくと、壁が背中に当たった。

「お前・・・一体何考えてるんだ!!」

肩で息をしながら珠玉を睨んだ。

なんで僕が悪いみたいな顔をしてるんだ・・・。

「お前が服を掴んだから動けなかっただけだ。」

寝衣を整えながら、寝台を降りた。

「とりあえず、これを着ろ。」

棚から緑色の服を出すと、布団の上に置いてきた。

広げてみると、大人用のサイズだった。

「お前・・・・僕がこれを着れると思ってるのか?」

「服一枚だと不便だろ。サイズを合わせたいから、とりあえず着ろ。」

「おせっかいだ。」

すると珠玉は、小さい引き出しから木箱を取り出した。

「まあ、全部やってもらったら気分が良くないよな。」

木箱を僕の傍に置いた。

「そこに糸と針が入ってるから、好きなように使え。俺は朝ご飯作ってくる。」

さっさといつもの黄色い服に着替えて、珠玉は部屋から出て行った。

誰がこんなことをするか・・・。

自分の服を着ようと部屋の中を見渡したが、どこにもなかった。


朝ご飯に洗濯に掃除と森か・・・。

台所に立とうとしたとき、じいちゃんの姿が見えた。

「おはよう。今日はゆっくりできたかい?」

それに苦笑いをした。

「遅くなってごめん。今からご飯作るから・・・・」

机の上に朝ご飯が置かれているのが見えた。

「たまにはゆっくりするのも良いよ。私はもう食べたから大丈夫だよ。」

じいちゃんはそう言って、椅子から立ち上がった。

「朴牧先生と約束があるから、もう出るね。」

笑顔でじいちゃんは言った。

「じいちゃん、行ってらっしゃい。」

じいちゃんが出ていくと同時に、珪が寝間着のまま部屋から出てきた。


「お前・・・僕の服をどこにやった。」

テーブルの横に立っている珠玉に言った。

「だいぶ汚れてたから、今日洗う予定だ。だから、代わりの服渡しただろ?」

「だからって、僕になんの断りもなしに、そういうことをするか?」

珠玉は顔を顰めた。

「自分で洗いたかったのか?」

「そういう問題じゃない!少しは、声をかけたりしても良いだろ?」

「分かった。今度から気を付ける。」

珠玉は椅子に座った。

「それで、洗濯は自分でするのか?」

洗濯なんて・・・。

生まれて一度もやったことがない。

いつもは召使がやってくれていた。

「ああ。それくらい、自分でやれる!お前なんかに頼らなくたって!」

売り言葉に買い言葉・・・。

そんな言葉がお似合いな状況になったと、言ってから気が付いた。

けど、ここで引き下がることがどうしてもできなかった。

すると珠玉は僕の顔をじっと見つめて、何かを考え込む仕草を見せた。

「場所とか教えてやるから、先にご飯食べよう。」

珠玉はため息を吐きながらご飯を食べ始めた。

「別にお前に教えてもらわなくても、僕は一人でもできる。」

「勝手に変なことされたら、こっちが迷惑だ。それよりも、早くご飯食べろ。」

おいしそうなご飯がテーブルの上にのっている。

お腹が空いた・・・。

しぶしぶ、僕は椅子に座った。


「おい、ふざけてるのか・・・。」

家の裏の井戸で何をするかと思えば・・・。

洗濯って・・・ただ、桶の中の衣類を踏みつけて遊んでるだけじゃないか・・・。

「うちには、水が扱える奴が居ないんだから、仕方がないだろ。」

洗濯って、力を使ってするものだったのか・・・。

「そんなことしたら、服が傷むんじゃないのか?」

「破れたら繕えば良いだろ。」

桶から視線を逸らさずに珠玉は言った。

「二度手間じゃないか。それなら、ああいった紙を使ってすれば楽じゃないのか?」

「札のことか?」

頷いて答えた。

「生活が成り立たないくらい、あれは高いんだ。滅多なことがない限り、あんなの使わない。」

僕が力を使おうとしたとき、札で封印したくせに・・・。

「そんなに言うんなら、お前はどうやって洗うんだ?」

足を止めて、僕の服を指さしながら言った。

珠玉のやってる洗い方以外・・・僕は方法を知らない。

服を掴んで、珠玉が入っている桶の中に服を投げ入れた。

「お、お前・・・。」

驚いた様子で珠玉は桶の隅に立った。

次の言葉を聞く前に僕は桶の中に入って、複雑そうな顔をしている珠玉を見た。

「自分の服を洗ってるだけだ。文句でもあるのか?」

ため息を吐いた様子が嬉しく感じた。

「ない。けど、裾くらいまくれ。」

その言葉を聞いて、寝間着の裾が盛大に濡れているのに気が付いた。


結局、二人とも全身ずぶぬれになった。

その場で服を脱いで干し、下着のまま家の中に入った。

「お前!服脱げってこれから僕に何をする気なんだ?」

前を歩く珠玉の背中を睨んだ。

「何度も外に出たくないからだ。あのまま干した方が良いだろ。」

珠玉は朝と同じようにタンスから服を引っ張り出して、僕に向かって投げた。

「とりあえず、それ着ておけ。」

視線を向けると、こいつが普段から来ている上着だった。

「お前の服なんて嫌だ。」

服を握りしめて差し出した。

「我慢しろ。きれいなのがそれしかないんだ。」

背中を向けて珠玉は黒いズボンをはいた。

「寒い・・・。」

恨めしく睨むと、珠玉は寝台の上に置きっぱなしになっていたあの服を手に取った。

「二人で縫い上げすれば早いだろ?俺は上着するから。」

上着を手に取ると、珠玉はなぜか僕に渡してきた。

「お前のサイズを知りたいから、これ着ろ。」

言われた通りに着ると、珠玉は僕の服の裾を折り曲げ始めた。

「これで動きやすいか?」

それに答えてから、上着を珠玉に渡した。

すると、床に座り込んであの木箱の中から針と糸を取り出した。

「器用なんだな。」

ふいにそんな言葉が出てきた。

「まあな。」

なんだか、少し嬉しそうな顔をしている気がする・・・。

それを横目にズボンを珠玉がやったようにまくった。

見様見まねで縫い付け終わった。

ズボンをはこうとしたとき、なぜか足が袖口から出てこなかった。

その瞬間、珠玉が噴き出すように笑ったのが見えた。

仕方がないだろ!

僕は初めてなんだから!!

と言ってやりたかったが、必死に口を閉じて睨んだ。


こんなことをしていたら、もう夕方になっていた。

珪は百面相をし過ぎたせいか、寝台の上で静かに寝息を立てていた。

もう、服も乾いている頃だろうな・・・。

そう思って手に持っていた、あいつの服を床に置いた。

そのとき、あいつの服が、引き出しからはみ出ているのが見えた。

「こんな所にあったのか・・・。」

見えないように、引き出しの奥に再度しまい込んだ。

部屋から出ると、ちょうど帰ってきたじいちゃんと目が合った。

「じいちゃん、お帰り。」

「ただいま。珠玉、そんな恰好で一日過ごしてたのかい?」

それに苦笑した。

「今から濡れてた服を取り込んで来ようと思ってたんだ。」

「そんなに無理ばっかりしてると、風邪ひくよ?さっさと、上着てきなさい。」

机に荷物を置きながらじいちゃんは言った。

荷物の中を見ると、いろんな食べ物が見えた。

朴牧のついでに買い物に行ってきてくれたのか・・・。

「ほら、ぼさっとしてないで、早く行きなさい。」

急かされるように、家の外に出た。


オレンジ色の光が、部屋の中に流れ込んでいるのが見えた。

視線をそこに移すと、昼間と違って寂しく感じる景色だった。

一日の終わりを告げる色だからだろうか、こんな思いになるのは・・・・。

起き上がると、珠玉の姿が何処にもなかった。

薄暗い床には服だけが置かれて居る。

床に足を下ろすと、冷たい感触があった。

濡れてない。

なのに、なぜかそう感じる。

床に置いてある服が、誰も着ていないのは分かっているのに、倒れている人の姿が見える。

「あ、ありえないんだ・・・。だって、ここは・・・あいつの部屋で・・・。」

これが現実じゃないと思いたくて、服を掴むと重みを感じた。

その瞬間、体が冷たく重くなっていくのを覚えた。

大きく口を開くが、うまく呼吸ができない。

「う、嘘だ・・・。こんなの・・・・。」

最後の望みと思い、目を細めて倒れている人の顔を覗こうとした瞬間、部屋の扉が開いた。

視線をそこに向けると、兄貴が不敵な笑みを浮かべているのが見えた。

「兄貴・・・・。なんで・・・殺したんだ・・・。」

振り絞るように言ったその時、両肩を掴まれた。

「珪、俺の顔をじっと見ろ。俺は誰だ?」

兄貴・・・兄・・・・。

こっちをまっすぐ見つめる緑色の瞳が見えた。

あれ?

じっと見つめると、それが珠玉の顔なのが分かった。

「しゅ・・・珠玉・・・。」

そう言うと、珠玉は頷いた。

「ゆっくり、深く呼吸をしろ。」

珠玉が大げさと思えるくらい息を吸い込んだり、吐いたりしているのを見て、僕もそれをした。

だんだん、体が楽になっていくのを実感した。

僕が住んでいた場所には無かった、簡易な机に棚、寝台、薄汚れた天井・・・そして、あいつが渡してきたお古の服・・・。

僕は・・・何がそんなに怖かったんだろう・・・。

ここには似ているものが無いのに・・・。

体の力が抜けるように息を吐くと、珠玉が明かりをつけた。

「大丈夫かい?」

心配そうな顔をした劉が入り口に居るのが見えた。

「大丈夫。」

珠玉はそう答えて、僕の顔を見た。

そして、劉の方を向いた。

「じいちゃん。悪いけど、そこの洗濯物たたんできてくれないかな?」

「何かあったら、すぐに呼ぶんだよ。」

そう言って、散らばっている洗濯物を拾い集めて、劉は部屋から出て行った。

気が付くと、僕は珠玉の服の裾を掴んでいた。


なんで、こいつはいつも俺の服ばっかり掴んでるんだ・・・。

朝の出来事を思い出しながら、珪を見て思った。

こういう時は一人の方が・・・。

「お前の目的はなんなんだ?どうして、僕に優しくするんだ?」

弱々しい声に思えた。

「目的なんてない。気が付いたら、お前を助けてて、こんな状況になってただけだ。」

見捨てられなかった自分を恨ましいと思いながら言った。

「お前こそ、そんなに俺を嫌ってるのに、なんで俺の服なんか掴んだんだ?」

珪は眉間に皺を寄せた。

「意味なんてない。気づいたらこうなってた。」

それがおかしく思えた。

「何がおかしい。」

笑っていたのが気づかれたみたいだ。

「俺もお前が思ってるように、自分の気持ちがいまいち分からないだけだ。」

「僕は違う気がする・・・。」

珪に視線を向けると、悲しそうな顔をして胸元を握りしめていた。

「これを理解してしまったら・・・僕は僕で居られなくなるから・・・。分かりたくないだけなんだ・・・。きっと・・・。」

珪は視線を落とした。

「お前に助けられた状況を否定したって、この先どうやって生きていけば良いかなんて、僕には分からない。」

もう一度、珪は俺をじっと見つめてきた。

「僕がわがままを言っても、見捨てる素振りもない。むしろ、僕を受け入れる準備を少しずつしている。もう一度聞く、なんでお前はこんなに優しくできるんだ?」

珪は・・・何もかも失って、不安だったんだ。

「優しくした覚えなんてないから、分からない。お前がそう思ってるのが不思議だよ。」

「理由もないのに助けるなんて・・・不安なんだよ。きっと、なにかがあるんじゃないのかって思ってる。」

理由か・・・確かにな・・・。

「それならずっと傍に居てやるよ。その理由がなくても、お前が安心できるくらいに・・・。」

別に珪が不安に思おうが、俺には関係ないはずだ。

だけど、一人にされた時の不安を知っているから、そうしたいと思えなかった。

俺はきっとこの約束を守れない。

それに歯がゆさを感じながら、無理に笑みを浮かべた。

「っは・・・・その言葉・・・信じてみるよ。」

苦笑しながら珪は言った。


10

「劉さんとお前・・・仲が良いな。」

願うなら前の生活に戻りたかったから、二人の様子が羨ましかった。

「そう見えるのか。」

少し嬉しそうな顔をして珠玉は言った。

「なんで嬉しそうにそう言うんだ?普通、当たり前だろとか言うんじゃないのか?」

首を傾げながら言うと、珠玉は複雑な顔をした。

「そんなに顔に出てたのか・・・。お前といると調子が狂うな・・・。」

顔を両手で触りながら珠玉は言った。

「俺のせいで、兄貴みたいな人が居なくなったから・・・それで無理してるんじゃないのかって思ってたんだ。」

言ってる言葉に違和感を覚え、なかなかそれを飲み込めない。

「俺は捨て子なんだ。」

それで兄貴みたいな人か・・・。

「その日、二人でかくれんぼしてたんだ。木の中に隠れてたんだけど、疲れてて寝ちゃったんだ。日が傾いた頃に、寒くて目を覚ましたらさ・・・。その人の血まみれの服だけが、木の幹に残ってたんだ。」

「死んでたのか?」

「分からない。必死に探したけど、どこにも居なくて・・・。あの時、俺が寝なかったらこんなことにはならなかった。じいちゃんだって、俺よりその人の方が良かったって思ってるんじゃないかって、そんなことばっかり考えてたんだ。」

今の僕もだ・・・。

「僕の時は、親が目の前で死んでたんだ。気が付いたら、兄貴に手を引かれて森の中を走ってたんだ。」

目の前を走る兄貴の背中を見つめながら一緒に走った。

時々、騒がしい声が聞こえてきたりしたが、兄貴を見ていると少し落ち着いた。

何度も疑問をぶつけたが、その答えは何一つ返ってこなかった。

「めちゃくちゃ不安だったんだ。しばらく走ってたら、急に地面がなくなって・・・気づいたら、星空見つめてたんだ。僕一人で・・・。」

「森の中からどうやって、あそこまでたどり着けたんだ?」

ここまで来るのに無我夢中だった。

「確か・・・・赤い服着た僕と同じくらいの年の男が来て・・・・付いて行ったら、いつの間にか姿が見えなくなったんだ。それからお前と会ったんだ。」

珠玉の顔を見ると、真剣な表情をしていた。

「お前はこの先、どうしたい?」

「戻れるなら・・・あの日を迎える前の生活に戻りたい。あれが当たり前だって、そう思い続けたかったんだ。」

それを口にしたとたん、涙がとめどなく溢れ出てきた。

戻らないのが分かり切っているから・・・やるせない。

「分かった。」

「簡単に言うな。」

珠玉は顔を顰めた。

「そんなの十分に分かってる。言っただろ、お前を不安にさせないって・・・。」

何をする気なんだ・・・こいつは・・・。

「もしかして、時を戻せるのか?」

するとため息を吐かれた。

「そんな大きなことはできない。結局、目的の達成はお前の気持ち次第だ。俺は、選択肢を増やすことならできる。」

珠玉は人差し指で僕の胸を軽くついた。

「例えば、お前の兄貴に会うとか、家に帰る、そんなことからだ。」

兄貴はともかく・・・

「家に帰るって・・・帰れる状態じゃないぞ。帰ったら、なんだかよく分からないけど、たぶん死ぬだろ。」

真顔で僕でも分かりそうな問題を言うな・・・。

「言っただろ。不安にさせないって。」

「ありえない・・・。」

「信じるか信じないかは、お前次第だ。」

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