第1話「ジレンマ」

「あー名残惜しいなー。珠玉が来てくれたら、この旅も楽しくなると思うのになー。」

両頬を膨らませて、不機嫌そうな顔で天津は言った。

「俺は楽しくない。」

すると天津は口を尖らせた。

「えー。この国よりはだいぶ生きやすいと思うよ?」

腹の立つ笑みを浮かべて、俺の顔をじっと見つめている。

「うるさい!さっさと・・・」

言いかけた口を天津の人差し指によって塞がれた。

まっすぐな緑色の瞳が冷たく笑った気がした。

「そんなこと、微塵も思ってないって分かってるくせに、律義に付き合うなんて・・・かわいいね。」

クスクスと笑いながら天津は一歩後ろへ下がった。

珠玉は目を細めた。

「次に会うとき、珠玉がどんなふうに苦しんで、みすぼらしくなってるのか・・・楽しみなんだよね。」

自然と奥歯を強く噛みしめた。

「ごめん、ごめん。」

そんな気持ちを察したのか、天津は軽い調子で言った。

「次に会うときはもう、この世に居なかったね。」

「お前の顔を二度と見ないで済むなら、それも良いかもな。」

虫を払うように手を振った。

「それじゃあ。」

天津は海に停泊していた大きな船に乗り込んでいった。

乗り込んでからしばらくすると、まるで月に向かうように出航して行った。


昼間の喧騒がまるで嘘かの様に静まり返った街。

珠玉は月明りに照らされた街道を一人歩いていた。

そんなとき、少し離れた先で豪華な着物を着た少年が歩いてくるのが見えた。

辺りをキョロキョロと見回していたので、不安な様子なのが分かった。

護衛もつけないで、こんな街中に貴族か・・・。

面倒だな・・・・。

ため息を吐いて、その少年と会わないように、次の路地で曲がろうとしたとき、低い声が微かに聞こえてきた。

再び視線を少年に向けると、薄汚い恰好をした3人の男に囲まれているのが見えた。

男たちは手慣れた様子で少年を抱きかかえた。

それとともに、袖口にいつも入れていた石を素早く、男たちの足元に向かって力いっぱい投げた。

地面に叩きつけられると同時に、男たちの視線が一斉に俺に向いた。

その瞬間、男の一人に振り上げた右足をその頭に当てた。

男は崩れ落ちるように倒れこんだ。

少年を抱えて逃げようとする男の前に、もう一人がナイフを持って俺の前に立ちはだかった。

大きくナイフを振り上げたと同時に、姿勢を低くしながら男の足を勢いよく蹴り飛ばした。

男のナイフを持った手を勢いよく踏み込んで、少年を抱えている男の背中を殴った。

少年を抱える腕の力が弱まったのを見て、男から少年を奪った。

抱えたまま、地面に倒れこもうとする男の腕をねじ上げて、背中の上に座り込んだ。

「お願いだ・・・・。そいつが居ないと俺たち・・・・。」

弱々しい声で男は言う。

「そんなの、お互い様だろ。それよりも・・・・。」

少し力を入れると、男のうめき声がした。

「ここでの出来事、全部忘れるって言うなら、存在まで取らないけど・・・・どうする?」

男は泣きそうな声で引き下がると言い、他の仲間を連れて闇の中へと消えていった。

体を震わせながら俺をじっと見ている少年の方を振り返った。

見たところ、怪我はなかった。

ため息を吐いて、次の言葉を言おうとしたときだった。

「助けてくれなんて誰も頼んでない!余計なお世話だ!」

怯え切った様子で、少年は威嚇した。

その時、月明かりに照らされて、少年の赤い瞳が見えた。

貴族で赤い瞳の上、夜道に一人・・・・。

考えれば考えるほど最悪で、できればこれ以上関わりたくない。

けど、ここに置いておけば、こいつは近いうちに死ぬだろう・・・。

「お前を助けたわけじゃない。あの人さらいが気に入らなかったら、ああしたんだ。お前は関係ない。」

本当に・・・・関係ない・・・だから・・・。

悩んでいると、少年が突然倒れた。

よく見ると顔色が悪く、弱々しく呼吸をしている。

本当に最悪な日だ・・・。

ため息交じりに少年・・・遠い国の王子を背負った。


「いらっしゃい!」

元気な声とともに、朴牧が家から出てきた。

「珍しいね!紺からここに来てくれるなんて・・・・ってどうしたの?その子・・・。」

俺の背中で眠っている少年の顔を見ながら言った。

「俺は珠玉だ。さっき、拾った。ひどく衰弱してるみたいだから、そっちで引き取ってくれないか?」

じっと、俺の顔を見つめると、朴牧は微笑んだ。

「手当はするけど、これぐらいなら紺でも見れるでしょ?ちゃんと連れ帰ってあげなよ。」

その言葉を聞いて、顔が引きつった。

「俺に医療知識なんてない。だから・・・」

言いかけた瞬間、抱きつかれた。

振りほどこうとしたが、少年が邪魔でそれができなかった。

「絶対にダメ。この子は紺が見るべきだよ。じゃないと、劉さん紺が帰ってこないって悲しむからね・・・。」

まっすぐな緑色の瞳を見て、奥歯を強く噛みしめた。

「俺は子供じゃ・・・・」

「紺は大人だよ。だから、言ってるんだよ。」

言いかけた言葉を遮るように言った。

「さすが・・・・人の心を読んでいれば、簡単に診療所も繁盛するだろうな。なおさら、ここが良いと思うぞ?」

朴牧は怒るでもなく、苦笑いをした。

「そんな・・・・完璧に読めるわけじゃないよ。ただ、ぼんやりと・・・感じるだけなんだ。だから、僕には紺が何をしようとしてるかなんて、本当の所は分からない。」

朴牧がゆっくりと離れた。

「とにかく、拾ってきた以上は最後まで責任もって面倒みないと!僕も、困ったときは協力するからさ!」

ウインクをしながら朴牧は言った。

これ以上話しても、こうなってしまってはもう無駄だ。

「手当だけ頼む。」

頭を悩ませながら中へと入った。


真夜中、じいちゃんを起こさないように、ゆっくりと家の扉を開けた。

すると、奥の部屋に明かりが灯っているのが見えた。

「じいちゃん、ただいま。」

ため息を吐いて言った。

「珠玉、お帰り。」

いつも通り、優しい笑みを浮かべてじいちゃんは言った。

「珠玉、その子・・・・どうしたの?」

俺の背中で眠りこけている少年を見て、じいちゃんは驚いた顔をした。

「帰る途中、拾ったんだ。悪いけど、ここに置いても良いかな?じいちゃんには迷惑かけないように俺が面倒みるからさ・・・・。」

こんなことを頼むのは初めてだったから、怖かった。

恐る恐る顔を見ていると、じいちゃんはにっこり笑った。

「迷惑だなんて、全く思わないよ。家族が増えるのは嬉しいしからね。」

その言葉を聞いて、胸が熱くなるのを感じた。

嬉しい反面、申し訳なさもあった。

「珠玉、連れてきてくれてありがとう。」

心底嬉しそうな顔をして言った。


俺は何をやっているんだろうか・・・。

天津から解放されて、肩の荷が一つ降りたところだと思った矢先に、こんなことに・・・。

少年を寝かせた寝台の横に座り込んだ。

窓からこぼれる月明りに照らされた顔を横目で見ると、眉間にしわが寄っていた。

恐らく、悪夢でも見ているのだろう・・・。

ため息を吐かずにはいられない。

こいつは昔、知り合いから聞いた遠い国の王子だろう。

こんなに幼いのに、よくこんな遠い国までこれたものだ。

きっと、誰かが途中まで手引きをして、この国まで運よく着いたのだろう。

でなければ、国境付近で死んでるはずだ。

誰が一体・・・あんな大変なことを手引きできたんだ?

それなりに有名でないとできないはずだし・・・国が絡んでる可能性が高い・・・。

そこまで考えて、頭を掻きむしってうなだれた。

下手に動けばじいちゃんの命も危ない。

全く・・・・・。

「自分が情けない・・・。」


朝の支度が終わって、少年の様子を見ようとしたとき、部屋から話し声が聞こえてきた。

少年とじいちゃんがなにかを話してるのだろう。

部屋に入ると、昨日よりは元気そうな顔をした少年とその隣に座り込んでいるじいちゃんの姿が見えた。

「おはよう。珪君、この子の名前は珠玉って言うんだ。ここに人を呼んできたのは、初めてだから本当にびっくりしたよ。」

のんきな声でじいちゃんは言う。

「じいちゃん、これ以上余計なこと言わないで。」

そう睨みながら言うと、じいちゃんは子供っぽく口をとがらせて、やれやれと言った。

「年寄りは退散しますか・・・。珪君、ゆっくりしていきなさいね。」

そう言うと、じいちゃんは部屋から出て行った。

それを見届けてから、珪と正面を向くように床に座った。

「具合はどうだ?」

少年・・・珪は怪訝そうな顔をした。

「礼だけは言う。ありがとう。」

ちゃんとしたことができることに、少し驚いた。

「でも、僕は助けてくれなんて一言も言ってない。あのままにしてくれれば良かったんだ。」

珪は睨みながら言った。

「弱いくせに粋がるな。月が出ている日に力が使えないお前なんて、鴨葱だ。」

すると珪は顔を真っ赤にした。

「僕だって、お前みたいに緑の瞳だったら、こんなにひどい目に合うこともなかったんだ・・・。お前らのせいで、僕はこんな風になったんだ!!」

目に涙をためて言った。

「違う。お前が弱いから、こんなことになったんだろ。」

「こんなんじゃなかったら、僕はこんな目に合わなかった!ここを出ていく!」

昨日からこいつは・・・・面倒ごとばっかり・・・・。

じいちゃんになにかあったって、こいつに責任なんか取れるわけがない。

珪の両手首を掴んで、寝台に押し倒した。

「そんなに言うなら、俺を倒してみろよ。力でも何でも使って・・・。」

両足をばたつかせていたが、それを片足で固定した。

力を使えないように、素早く札をお腹に貼った。

「今だってそうなのに、あの時のお前に何ができたんだ?」

「お前!卑怯だ!正々堂々・・・・・」

「一人で生きていくんなら、待ってもらえると思うな。誰もお前の遊びになんか付き合わない。昨日の奴らだって、自分の食い扶持を確保するために、必死だったんだ。」

「なら、なおさらお前はなんで、助けたんだ!」

涙声で珪は言った。

その答えは今でも見つかっていない。

あの時、勝手に体が動いたんだ・・・。

「人を助けて優越感に浸りたかっただけだろ!この、偽善者!!」

「お前、俺が居なかったらとっくの昔に・・・・」

「珠玉、ストップ!」

じいちゃんに後ろから肩を掴まれた。

涙で顔がぐしゃぐしゃな珪が見えた。

「否定ばっかりして決めつけたら駄目だよ。珪君はなにもできないわけじゃない。珠玉にできないことだってできるんだから。」

「じいちゃん・・・。」

「それに、体が癒えきってないのにそんなことしては、治るものも治らないだろう。」

泣きじゃくる珪の背中をさすりながらじいちゃんは言った。

「お前が一番分かってるはずだろう?」

悲しそうな顔をして、じいちゃんが言ったその言葉が胸に深く刺さった。

急に自分がしでかしたことが恥ずかしくなり、俺は無言でその場から立ち去った。


家から少し離れた川辺にしゃがみ込んだ。

「あんなことぐらいで、何苛立ってんだ・・・・。」

ため息を吐きながら、綺麗に流れる水を見つめた。

じいちゃんに迷惑をかけないように気を付けたつもりが、今こんな様になっている。

穴があったら入りたい気分だ。

また、ため息が出てきた。

珪だって、長旅で疲れ切っていた。

道中危険な目にもたくさん合ってきただろう。

今の珪の心に余裕があるわけがない・・・。

そんなの分かり切っていたのに、この口が滑ってしまった。

いつもなら・・・・こうならないのに・・・なんでこうなっているんだろうか・・・。

俺が一番分かってる・・・か・・・。

「自分の気持ちも分からないのに、どうやってわかるって言うんだよ・・・。」

近くの岩にうなだれかけた。

「見つけた。」

その言葉とともに、地面に吸い付くように勢いよく倒れた。

全身をプレスされているように重くて、指一本動かせない。

「お前、昨日の赤目のガキをどこにやったって・・・・」

男の足先だけが見えたと思うと、大きな顔が急に見えた。

「その黄色の着物に一つに束ねた長い髪の毛・・・お前、珠玉か?」

その言葉を聞いて目を見開いた。

「図星みたいだな・・・。昨日は仲間がお世話になったなと言いたいところだが、お前でラッキーだったよ。」

前髪を掴みあげられた。

「お前の噂は聞いている。俺らの所に来いよ。お前の知りたがってる情報もあるからさ・・・。」

珠玉は大きく目を見開き、視線を移動させた。

「はったりだろう・・・。」

「兄貴に会いたいんだろ。俺なら合わせてやれる。だから、俺の駒になれ。」

それを鼻で笑った。

「情報って・・・それだったのか・・・。一つ、教えてやる。」

全身の筋肉に力を入れて、ゆっくりと重力に逆らって立ち上がった。

「な、なんで・・・。立てるんだ?」

「俺に兄貴なんていない。残念だったな。」

男の前に赤い少年が突然現れた。

「こんなの、俺にとっては日常茶飯事だ。」

そう言ったと同時に、赤い少年が明るい剣で男を一突きにした。

「ねえ、この国では人さらいって厳罰なの知ってた?おじさん・・・。」

赤い少年の剣が消えると同時に、男は地面に倒れこんだ。


「珠玉・・・僕たちを利用しないでくれるかな・・・。」

不機嫌そうな顔をして、赤い少年こと赤は言った。

「利用って・・・お前らが無能だから、こんな輩がこんなに入ってくるんだろ。こっちは迷惑してるんだ。」

「こう見えても、忙しいの。今だって、パトロールしててたまたま通りかかっただけなんだから・・・。」

「嘘つき。ここはお前のサボりスポットだろ。第一、お前ら国が天津から何も聞いてないわけがないだろ・・・。あいつから情報買って、治安を維持してるくせに・・・。」

赤は咳払いをした。

「いつかお前ら突き出してやるからな・・・。」

「あんなのと一緒にするな。あいつが居なくなって、清々してるんだ。」

赤は苛立った様子を見せた。

「さっきまで珍しく落ち込んでたくせに・・・・。よくわからないけど、きちんとした方が良いんじゃないの?」

それを聞いた瞬間、恥ずかしさが戻ってきた。

「う、うるさい・・・・。」

話を変えたくて咳ばらいをした。

「それよりもお前、僕に聞きたいことがあってここで待ち伏せてたんだろ?」

赤はその青と赤のオッドアイの目で俺を見てきた。

「ああ。赤い瞳の王子は元気にしてるのか?」

赤が顔をひきつらせた。

「改まって聞くからどんなことかと思えば・・・・元気すぎてうざい。」

「そうか・・・。」

「って言っても、お前がそんなこと、聞くわけないよな。弟の世話・・・しばらく頼むな。今は会わせられん。」

目を見開いて、赤を睨んだ。

「あんな危ない賭け・・・一度だって、珪に怖い思いをさせるな。本当に思ってるなら、ちゃんと傍に居させてやれ。」

「俺、賭けは嫌いなんじゃって。」

俺が助ける前提であんなことを・・・・。

「遊信・・・偶然なんてないんだな・・・。」

どうしようもできないことが歯がゆい・・・。

「何を今更いっとん?お前がよくやっとるじゃんか。」

赤はクスクスと笑いながら言った。

「まあ、お世話してもらっとるけえ・・・一つだけお前に教えてやるわ。」

何を?

首を傾げて、赤を通じて喋っている遊信を見た。

「お前も子文と同じで、どこまでも優しいんよ。じゃけえ、見捨てられんのじゃって。それを認めたくないけん、そんなに悩んどんじゃろ?素直になれよ。」

そう言うと、赤は笑いながら消えていった。

体温が上昇するのが自分でもわかった。

「余計なお世話だ!!」


家に戻ると、不機嫌そうな顔をした珪の姿が見えた。

部屋に入るのをためらいそうになった時、後ろからじいちゃんに背中を押された。

改めて前にすると気恥ずかしい。

素直になれ・・・・か・・・・。

珪の顔をみた。

「さっきは・・・お前の気持ちも考えないで言い過ぎた・・・・。ごめん。」

すると、珪は顔を顰めた。

「そうだ。お前が全部悪い。そして、僕はお前を許さない。」

自然と目をほめて珪を睨んだ。

「全部なわけがないだろ。お前に許されなくても別に構わない。」

突っかかりそうなところを、またじいちゃんが割って入った。

「珠玉!やめなさい!」

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