第4話 誰がために
菜津野の黒板見回りは続いていた。
この学校はネットワークを否定しているだけあって、今どきの技術製品がまるで使われていない。
コンピュータやプリンタもないから先生たちは手書きしたプリントを版画みたいに印刷する原始的手法に頼っている。
テレビがないので映像を使った授業もできない。もちろんコンピュータの授業なんてあるわけもない。
生徒をやたら厳しく監視しているのに監視カメラもなく風紀委員の人力チェックに頼っている。だから黒板にマンガを書くのも発見されにくいのは菜津野にとってありがたかった。
休み時間の見回りで、風紀委員の名札を付けた菜津野があちこちの教室に入ると生徒たちは最初こそ緊張していたが、菜津野がまるで風紀取り締まりをやる気がないことに皆も気付いてきた。
今は入ってきたのが菜津野だと確認したら生徒たちはそのまま休み時間をゆるく過ごすようになっている。
このところ生徒たちの会話には不死鳥伝の話が増えてきて、菜津野は喜ばしく思っていた。
菜津野の書いた報告簿が出回っているのだ。なにせ風紀委員の公式記録であり、今後の問題対応のためにも生徒は悪事の実態を知るべきであるという美里の見解がお墨付きを与えていた。
描かれ続ける黒板マンガのストーリーは緊迫感が増すばかりで目が離せない。誰かが勝手に続きを書いているというのに、もう本編としか菜津野には思えなくなっていた。
報告簿に転載されたマンガを読んでいる生徒たちも、すっかり不死鳥伝そのものとして語っているようだった。
菜津野のゆるすぎる見回りに対し、美里のそれはまさしく刑事のように厳しい。
放課後の見回りで美里が入っていった教室を菜津野が覗いてみると、ひとりひとりの全身を取り調べていたのだ。まるで犯罪者扱いだ。
それにしても服まで脱がすわけではないのに隠された物品をたちどころに暴いていく美里の眼力には恐れ入った。
ノートを切って作ったトランプがシャツの下に押し込められていたり、鉛筆を加工したサイコロがポケットに入っていたり、美里の目からは逃れられずに没収されていく。
目と目を交わし合っていた男女が美里に見とがめられて、女にはクラス替えが言い渡され、男は接近禁止のうえに独習室入りまで命令される。
逆らう気力もなく、男はすごすごと美里についていく。
独習室がどんなにひどいところなのか気になって菜津野はついていった。
隔離された棟に独習室はあった。
小さな部屋が延々と並んでいて、扉の窓には鉄格子が被っている。受け渡し口は食事用だろう、つまり食事のときも外には出られない。
部屋は狭い寝床と小さな机にトイレがあるだけ。監獄にしか見えなかった。
重そうな扉が開かれて、さきほどの男が収監される。扉が閉められて鍵の音が響いた。
美里はそのまま奥へと進んでいく。菜津野は距離を置いてからついていく。
部屋の利用率が低いというよりも十二分に部屋が用意されすぎているせいか、無人の部屋が多い。
その一つの前で美里は立ち止まり、鍵を開き、中に入った。自分で扉を閉めるとオートロックされる。
慌てて菜津野は駆けてきて、
「ちょ、ちょっと、美里さんなにしてるの!」
中の美里に声をかける。
菜津野がついてきていたのに気付いていたのか、美里は驚きもせずに返事する。
「自分も入ってみなければどんなものか分からないと思いまして」
分厚い扉の向こうから平然とした様子で答えてくる。
「どうやって開けるんだろう、これ」
「お気になさらずに。先生にしか開けられないわ」
「風紀委員の鑑なのに、授業に出れなくなっていいの」
「出られるかどうか分からなくて困る気持ちを知っておきたいのよ」
「やたら厳しい堅物かと思っていたのに、もしかして変な人なのかな」
菜津野は心の中をだだ漏れにする。
「ふふふ、菜津野さんこそ変な人だわ」
「え、あたしが変?」
「どうしてあのマンガにあそこまで一生懸命なの。あなたが書いたマンガでもないのに。自分が書いた気分で自慢したいの?」
菜津野は虚を突かれて困惑する。
「不死鳥伝はダイゴ先生のマンガだから、あたしの書いたマンガじゃないよ。あたりまえだけど。そう、不死鳥伝は面白いからかな」
「でしたら自分が読めればそれでいいのではなくて」
扉の前に座り込んだ菜津野は頭をかきむしる。
「えっと、ほら、ジョーイたちの話をみんなとできたらうれしくて、あ、でも風紀委員になっちゃったから誰もマンガの話をしてくれないんだよね。そうだ、もしかして、ほらジョーイのことを美里さんはどう思う?」
美里はしばらく沈黙してから言った。
「救いようがないほど愚かで、そのために落ちた地獄から出ることができない男ですわ」
「読んでるじゃない美里さん! そう、ジョーイはバカなんだけど、でもそこがいいんだよね。だって……」
菜津野は長々と語り、美里が時折り返事をした。
菜津野にとって、この学園に来て以来初めての楽しい時間だった。
すっかり遅い時間になったことを菜津野は自分の腹が鳴ってようやく気付いた。
「あ、話過ぎちゃった、ごめんね。晩御飯取ってくるから待ってて、あの生徒の分もいるかな」
菜津野は立ち上がって、ばたばたと走っていく。
静かになった独習室で美里はつぶやいた。
「私は読んでいませんわ」
美里が収監した生徒の報告簿を菜津野が提出して、そこに美里が入ってしまったことも書いておいた翌日、先生たちが慌てて美里を独習室から出してきた。
先生たちは理解に悩んだあげく、これはこれで風紀委員のお手本だと受け止めたようだった。
まだ夜明け前の早い時間、教室に美里が入ってきた。
チョークを持って黒板に向かい、静かに直線を引く。定規を使ってもいないのにまっすぐだ。
次々に直線を引いて枠組みを描いていく。
教室の後ろからガタリと音がした。
掃除道具入れが開き、そこから菜津野が出てきた。
「おはよう、美里さん」
「おはようございます菜津野さん」
後ろを振り返りもせずに美里は答える。線を描き続ける。
「やっぱり美里さんだったんだね」
「どうして分かったのかしら」
「うん、そりゃもう、これだけ見回っているのにこっそり書けるなんて、ローテーションを知ってる風紀委員じゃないと難しいよ。使われる教室のパターンもだんだんつかめてきたし、美里さんが書く文字と絵のタッチがなんか似てるし、それに美里さんが独習室に入っている間は新作が書かれなかったでしょ」
美里は微笑みながら書き続ける。
「タッチは変えたつもりだったのだけれど、菜津野さんの目は騙せないわね」
菜津野は美里に並ぶ。
「どうして不死鳥伝を書いてるの。ファンなの?」
「私が作者のダイゴだからよ」
「え? え!」
「そこまでは分かってもらえなかったかしら」
からかうような目で美里は菜津野を見る。
「そんな、そりゃ不死鳥伝の続きそのものとしか思えなかったけど、でもまさか、こんなところで黒板に書いてるなんて!」
「ふふふ、ここは虜囚編の取材に最高なのよ」
「は、はははは」
呆れかえって菜津野は笑う。
「ねえ菜津野、前からあなたにお願いしたいことがあったの。ベタ塗りと集中線、それに背景処理をやってくれないかしら。菜津野はいい腕をしていると思うわ。私のためにお願い」
「ははははは、いい、いいよ美里。指示して」
二人は描いていく。
ふと美里が問う。
「菜津野はどうして手伝ってくれるのか教えてくれるかしら」
しばらくしてから菜津野が答える。
「言葉じゃ答えられないこともあると思うんだ」
美里が笑った。心の底からの笑みだった。
「そうね、だから私はマンガを書いている」
それから数日後、風紀委員会にて監視カメラの全校導入が発表された。
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