第3話 風紀活動

 菜津野が風紀委員に入って間もなく、学長自らが風紀委員を招集した。

 放課後の風紀委員室に集められた風紀委員を前に、教壇から学長が演説を始める。

 風紀委員は全員立っていて、学長ひとりが腰を下ろしている。なんだか異様だなと一番後ろに立っている菜津野は思う。

 最前列には美里がいて、学長の言葉に聞きほれているようだ。


「メディアやネットワークは害悪であるとしっかり分からせねばならない!」

 学長は威圧的に言う。

「メディアは嘘を垂れ流す。甘い嘘は心を腐らせて体を衰えさせる。メディアは人間を退廃させる麻薬なのだ!」

 興が乗ってきたのか学長のテンションはどんどんヒートアップ。

「ネットワークは偽のつながりだ。暖かい家族とのかけがえのない絆を断ち切ってしまう。本物の絆を取り戻さねばならない!」

 学長が皆を見回す。

 美里が拍手を始め、皆もつられたように拍手。

 菜津野は申し訳程度に手を合わせてから祈ってみる。学長がいつかまともになりますように。無理か。


 学長の命令を受け、今後の重点活動を美里が黒板に列記していく。まだ入ったばかりの一年生なのに、その熱心さからか学長からの信頼をもう勝ち得ているようだ。

「スマホ禁止、まあ誰も持ち込めてないしね。恋愛禁止、アイドルグループみたいな。遊び禁止ってあいまいな。え、お菓子禁止なの!」

 声に出して感想を述べていた菜津野は周りの風紀委員からにらみつけられる。


 美里が最後にとりわけ大きく書いたのは、黒板にマンガを落書きした者を摘発せよ、だった。

「摘発ってあなた、刑事ドラマですか」

 さすがに気を使って菜津野も小声で発言したのだが、美里からまっすぐに視線が飛んできた。

「そう、私たちは学園を守る刑事。害悪を調べ、見つけ、捕まえ、処分するのよ」

 美里が宣言して、学長もうんうんと頷く。

 菜津野は本気っぷりに呆れながら思った。処分ってどうするつもりなんだろう。


 菜津野たちには風紀委員の活動ローテーション表が配られた。

 服装チェック、持ち物チェック、髪型チェックなど並んでいる中で、特に時間のかかる作業が黒板の見回りだ。

 早朝から放課後、夜の番まである。

 すべての黒板をまめに巡回チェックせねばならない。

 さすがに風紀委員たちの多くが気を重くしていたようで、菜津野がなるべく多く黒板見回りをしたいと言ったら喜んで代わってもらえた。

 菜津野的には願ったりかなったりである。


 翌朝から早起きして菜津野は寮の部屋を出る。ちなみに寮は六人部屋でプライバシーもへったくれもない。

 四月の早朝はまだ肌寒い。

 菜津野が着ているのは一律に地味な制服だ。コートの類は支給されていない。

 マンガの続きが黒板に描かれていたらいち早く見つけるために規定の見回り時間よりも早く出ている。

 他の風紀委員とは遭遇しないものと菜津野は思っていた。違った。

 廊下の向こうに美里。来なくていいのに近づいてくる。


「おはようございます菜津野さん」

「おはよう! 美里さん」

「早起きは良いことだわ菜津野さん」

「美里さんもね」

 見た目に丁寧な態度の美里だが、その視線は刑事のように細かく菜津野をチェックしている。


「制服の緩みは心の緩みよ」

 美里はそう言って、菜津野のセーラー服のそこかしこを引っ張り矯正する。

「緩いほうが動きやすいんだよね」

 菜津野は言い返す。

 美里が微笑んだ。目は笑っていない。

「無軌道な動きを正していくのが風紀委員の務めよ」

「んー じゃああたしは自分の務めを果たしに行くから」

 菜津野はその場をそそくさと立ち去ろうとしたところに、

「私はもう朝の務めを終えたところなの。菜津野さんを指導してあげるわ」

「え、あたし一人でいいよ」

「遠慮しないで。絆は大事よ」

 美里が強引についてくる。

 菜津野は困ったが仕方ない。黒板の見回りを始めた。


 各階の教室を見回り、さらに大型の合同講義室へ。

 扉を開いた菜津野はしばし絶句した。

 この合同講義室には黒板が三面もあって、そのすべてにチョークでマンガが描かれていたのだ。不死鳥伝の続きが合計十二ページ分だ。


 ついてきている美里のことなどすっかり忘れて、菜津野はかぶりつくように読む。

 誰かが勝手に続きを描いているものだというのに、キャラクターたちの生きざまが菜津野の胸を打つ。

 これは不死鳥伝そのものだと感じてしまう。

 読みふけって、読み返して、

「この続きは!」

 嘆息する。


「菜津野さん、ずいぶんと細かく確認するのね」

 美里から声をかけられて菜津野は飛び上がった。完全に失念していた。

「ああ、うん、しっかり記録しておかないといけないから」

 菜津野は答える。

 美里は無表情に小首をかしげて、

「読んでいるときの菜津野さんは表情が移り変わって面白かったのに、作り笑いは今一つね」

「え、作り笑い」

 美里が自分の表情など気にしているとは思わず、菜津野はぽかんとした。


「さあ、消しましょう」

 美里が黒板消しを持つ。

「待った、あたしが全部消すから!」

 その手からさっと黒板消しを引き取った菜津野は、右端から慎重にチョークの線を黒板消しでなぞり始めた。

 消すんじゃない、セーブしてるんだと自分に言い聞かせながら。


 そんな菜津野を美里はじっと眺めている。

「今回のお手柄を報告すれば、学長から褒美がもらえるわ。報告簿の提出を忘れないで」

「ーーーー、え、なに?」

 菜津野は集中していて言葉が耳に入っていない。

「ふふふ、また後でね」

 美里はくるりと回って合同講義室を出ていった。


 放課後の風紀委員室。

 美里から渡された風紀活動報告簿を手にして、菜津野は目を輝かせていた。

「そっか、これ、これだよ! やったね、書くよ!」

「珍しい人ね、報告簿を書くのがそんなにうれしいだなんて」


 菜津野は並んだ机の一番奥に陣取り、鉛筆を手に取る。

 黒板に描かれていたページを思い出す。隅から隅まで、その物語を、そのタッチを。

 脳内に焼き付かせていたそれらをプリントアウトするみたいに菜津野は報告簿へと書き込んでいく。


 これまでに読んだすべてのページを余さず菜津野は再現した。


 菜津野から報告簿を受け取って目を通し終わった美里は、無表情なままだが少し驚いているようでもあった。

 菜津野ははりきって言う。

「パーフェクトな報告でしょ!」

「そう、ですね」

「これは消さないよね、報告だから!」

「報告ですので風紀委員の全員に回覧します」

 美里は報告簿を閉じた。

「今回の発見について、褒美がいただけます。ジゴクマンジュウ五個は確実でしょう」

 部屋にいた他の風紀委員たちがざわりとする。うらやましそうに菜津野を見てくる。

「え、お菓子もらえるの!」

「お菓子ではありません、滋養強壮ジゴクマンジュウです」

「んー いいや、みんなで食べて! あたしはまた見回ってくるから」

 菜津野は意気揚々と部屋を出ていく。


 その後姿を見送りながら美里はつぶやいた。

「面白い人。ここまで入り込んだかいがあったわ」

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