第36話
「こんな所で何してるの?」
ギアスの側に建てた第2屋敷での盛大なお祝いの翌日、暫く使う事のないその屋敷に結界を施して、和也達は皆、ウロスにある第1屋敷へと戻って来た。
闘技大会での完全制覇の速報が齎されるや否や、町中がお祭り騒ぎとなり、飲食店は夜遅くまで酒を飲んで騒ぐ者達で溢れた。
次期国王が、この町の領主の甥であるロダンに決まった事もあり、『ミカナ』も利益度外視で、肉まんとあんまんを3日間、一人2つまで無料で配った(和也から、全支店の恒久免税権を得たと聞いたカナの発案)。
和也達の活躍を伝え聞いた若者達は、自分もいずれはと奮い立ち、冒険者ギルドの依頼を旺盛に受けたので、長い休暇から受付業務に戻ったエマも、嬉しい悲鳴を上げていた。
街を歩けばこれまで以上に注目された和也達は、その事に気疲れし、お祭り騒ぎが収まるまで、屋敷から出ずに同居人である女性達との時間を持った。
レミーとミレーは上機嫌で家事や研究に勤しみ、ミーナやミサも、日中は彼らに教えや訓練を受け、夜は帰宅したエマを交えて皆で夕食や団欒を楽しんだ。
カナやリマも、忙しい日々の仕事の後に、夕食を食べに来る事が多く、増え続ける支店数と従業員に喜んでは、目を輝かせて今後の展望を語っていた。
和也はそんな彼女達を終始穏やかな眼で見つめていたが、時折悩んでいるような表情を垣間見せる事もあり、試合後に話すと言った、己の願いを述べる機会をそれとなく窺っていたミザリーは、それに気付いて少し不安を抱いていた。
今宵、星が奇麗だと夜空を見上げに外に出た和也の跡をつけ、屋敷の裏手の、木々の疎らな高台に寝そべる、彼の隣に腰を下ろす。
「星を見に行くと言ったはずだが」
「そうは見えないわよ?
・・何か悩んでいる事でもあるの?」
「自分(和也)の事より君の話とやらをした方が良いのではないか?
あまり長引かせると、約束自体を忘れてしまうかもしれん」
「・・薄々は分っているのでしょう?
私を、貴方の眷族に迎え入れて欲しいの。
同盟の彼女達と共に」
和也の眼を見ず、前を向いてそう告げるミザリー。
「最初はね、私だけでもと思っていたの。
ヴィクトリアさんのお話を聴いた時、それさえ難しいんじゃないかと不安になったから。
でも、やっぱり皆と一緒が良い。
私だけそうなっても、なれなかった彼女達を見る度、きっと心が痛む。
会うのが辛くなる。
だからお願い。
皆一緒に迎え入れてくれないかな」
拒絶されるのが怖いのか、相変わらず和也の方を見ないでそう言ってくる。
「自分もそれについて考えはしたが、結論から言うと、君以外は眷族にする積りはない。
勿論、彼女達が人としての生を全うするまでは、責任を持って手厚く保護する。
希望者には、このままあの屋敷でずっと暮らして貰う考えでもいる。
自分も時々は屋敷に顔を出すし、一部を除いて、彼女達の不安や悩みにも耳を傾ける。
だが、眷族にまではしない。
自分が地に降りてから、実に多くの者達と接してきた。
その中には、眷族にするか迷った者も多い。
あまりに多くの眷族を生み出せば、その者達が活動する事によって、世のバランスが崩れかねない。
だからそうするには、その者にある程度の実績や理由が要る。
残念だが、彼女達にはそれが足りない。
だから・・」
そう答える彼の声には、いつものような覇気が無い。
まるで、内心の葛藤を無理やり押さえ込んでいるような口振りだ。
「どうしても駄目なの?」
「・・・」
雲に隠れていた月が顔を覗かせ、夜空が少し明るくなる。
「ねえ、私と賭けをしない?」
両手を後ろ手で地面につき、視線を夜空に向けて、ミザリーが呟く。
「賭け?」
「私と貴方で鬼ごっこをしましょう。
貴方が逃げて、私が摑まえる。
もし期限内に私が貴方を摑まえる事ができたら、その時は皆を眷族にしてくれないかな?」
「それでは何のデメリットもない」
「・・もし摑まえる事ができなかったら、私も眷族になるのを諦める。
それでどう?」
「自分は、その妻か眷族以外の女性を抱かない。
失敗すれば、君もその対象になるぞ?」
「うっ、・・その時は、朝の日課で我慢する。
それは良いでしょう?」
「偶にしか顔を見せないけどな」
「・・・」
「自分は常にその鬼ごっことやらを続けられる程、暇ではない。
だから月に三度だけ、今までこの世界で行った事のある場所に姿を現そう。
自分を摑まえるのは現実的に無理だから、その時自分が居る場所に辿り着いただけで、君の勝ちとする。
期間は10年。
その間、自分は君達の前には現れない。
各地を探す君のために、最初に君と住んだ場所にある、テントとトイレ、携帯用の風呂を貸し与える。
賭けが始まれば、ウロスとミレノスの町中以外で、君が自由に転移できる場所は月に3か所までだ。
あとは歩いて探すしかない。
10年経っても見つけられなければ、君の負けとして、その後は君達が己の人生を全うするまで、時々屋敷に顔を出す。
念のために言っておくが、賭けの間、もし君が1か月以上同じ場所に留まっている場合には、そこは訪問先から外す。
・・それでもやるか?」
「・・やるわ。
私達全員が幸せになるためだもの。
少しでも可能性があるのなら、それに賭ける」
「まるで眷族にならないと、幸せにはなれないような言い方だな」
「世の女性全員がそうだとは言わないけど、愛する人と思うように愛を紡げない人生は、私は不幸だと思う。
最初から脈が無い、完全に他人としての生活なら未だしも、(共に入浴するなど)一度は手が届きそうな場所まできたのに、それ以降は夢さえ見たら駄目なんて、酷過ぎる(私はキスはするわよ)。
私が日々、どんな思いで欲求に耐えているか、貴方に分る?
襲いかけた事だって、一度や二度ではないわよ(外に飛ばされるからしないけど)?」
「自分なんか、1千億年以上は独り身で、その間、言葉を交わす相手すらいなかったぞ?」
「でも生きてるじゃない。
生きていれば、やがてそうなる可能性だって生まれる。
でも私達は人間。
あと数十年という、限られた時間しかないの」
「・・それで、何時からその賭けとやらを始める?」
「今から。
時間が経てば経つ程、この決意が揺らぎそうで怖いもの」
「皆に相談しなくて良いのか?」
「良いわ。
きっと皆賛成してくれると信じてるから」
「では始めよう。
途中でギブアップしたければ、テントの中にある、(枯れる事のない)バラの一輪挿しに話しかけろ。
そうすれば、ヴィクトリアに繋がる」
「分った。
負けないから!」
その夜から、彼が傍に居ない暮らしが始まった。
事後承諾を迫られたのに、同盟の仲間達は、本当に誰一人私を責めなかった。
少し後に事の顛末を知ったカナやリマも、『それなら仕方ないわね(ですね)』と、苦笑しつつも許してくれた。
でも私は知っている。
報告を聴いた皆の手が、微かに震えていた事を。
私が気付かないと思って、陰でこっそり泣いていた事を。
時々厨房で、ぼんやりと佇んでいるレミー。
暗くなっても灯りを点けず、地下の仕事場で、虚ろな目をしているミレー。
エマは泣き過ぎて腫れぼったくなった目を隠すように、翌日の化粧が少し濃くなったし、ミーナは日中は外に出て、くたくたになるまで親の仕事を手伝い、身体を動かすようになった。
ミサも、この屋敷に来てからは受ける事のなかった、泊りがけの依頼をギルドで受け始めた。
それでも、皆が皆、仲間の前では笑顔を絶やさない。
無理して笑っているのがお互いに分っていても、誰もその事には触れない。
私に、進捗状況を尋ねる事さえしてこない。
寧ろ、確定していた眷族への道を失うかもしれないのに、仲間の為に賭けに出た私を、必要以上に気遣ってくれる。
月3回の転移を使い果たし、その後歩いて各地を回り、疲れ果てて屋敷に帰ると、レミーが黙って私の好物を作ってくれる。
何日も帰らない私が、その間の食料を求めて『ミカナ』へ顔を出すと、カナが沢山の、出来立てのお弁当を無言で渡してくれる。
聴きたい事、言いたい事だって色々あるだろうに、いつも笑顔で見つめてくるだけだ。
私はその度に、必死に泣くのを我慢する。
彼と共に泳いだ海辺では、誰もいない砂浜に、棒きれで何度も『負けない。負けない!』と書いては波に消された。
移動途中で夜を迎え、森に張ったテントの中で、『寂しいよう』と呟く事が、何時の間にか癖になりつつある。
だけど私は、己の選択を後悔した事だけはない。
それだけは絶対にするもんか。
何時か皆で笑い合うために、私は今日も彼を探すのだった。
6年の歳月が流れた。
まだあどけない少女のようだったミーナやリマも、ぐっと大人になり、知的な雰囲気を醸し出す美人へと成長した。
カナやレミーはかなり色気を増して、店の常連や街ゆく人々の視線を集めている。
エマとミサは、名実共に冒険者ギルドの看板とまで呼ばれ、エマの窓口には、駆け出しの頃に資金面でこっそり世話になっていたらしい者達が、その恩返しとばかりに、人気のない依頼を何かの序でに受けに来る。
ミサは、依頼で余所の町へ行く傍ら、そこで聞き込み等をして和也の足取りを探り、ギルドの窓口でそれとなく他の冒険者から情報を聞き出すエマと共に、ミザリーの行動を補佐していた。
ミザリー以外は何の制約もなく其々が行った事のある町へと自由に転移できるので、その仕事上頻繁に他の支店を行き来するカナやリマも、常に目を光らせてはいるのだが、何故か一向に和也を見つける事ができない。
時々耳にする情報も、『何処其処の支店で彼が肉まんを食べていた』とか、『賊に襲われそうだった女性を助けた』なんていう、真偽の怪しいものばかりで、それでも実際にそこまで足を運べば、当然の如く、彼は既にその場を離れている(因みに4割くらいは真実だった)。
同盟の皆で、月に一度会議を開き、自作の地図上に彼の足取りを記載して次を予想するのだが、裏をかかれてばかりで、全く出会えない。
皆が其々に隠し持つ、『彼に会ったらする事リスト』には、度重なるストレスのあまり、決して他人には見せられない(エッチな)記述が増えた。
更に2年が過ぎる。
迫り来る期限に、顔にこそ出さないが、内心では気が気でない日々が続く。
その間、様々な場所へ行き、色々な人に会った。
闘技場で戦い、その後彼によって一人だけ奴隷から解放された男性は、私に偶然会うと、『あの時の礼に奢るよ』と言って、酒場に連れて行った。
今は奥さんもいて、ギルド職員の仕事に就きながら、幸せに暮らしているそうだ。
『あの後、貰った金貨を使って飲んだ酒、どうという事のない安酒だったが、人生で1番美味いと感じたっけ。
諦めていた自由を取り戻し、自分次第でこれから何でもできるんだと思ったら、それまでの辛さや苦しみを、奇麗さっぱり忘れられた。
自分の努力や働きが、全て己に返って来る喜び。
俺は生きている。
心から、そう実感できるようになった。
あいつには、本当に感謝してるよ。
今どうしてるのかは知らねえが、会えたら必ず伝えるぜ。
礼の言葉と共に、こんな良い女を泣かせるなってな』
私の顔を見て、そう言って笑ってくれた。
男色の商人から解放した二十人の女戦士達、その内の数人にも会った。
隊長格だった女性は、今も独り身で、王国主催の大会後は、何と『ミカナ』の支店で、用心棒兼売り子として働いているそうだ。
あの時彼が配った、一人当たり100枚の金貨は、彼女には使う事ができず、今も大切に保管してあるらしい。
『あんな素敵な人に出会ってしまったら、もう他の男性と一緒になろうなんて思えません。
他のメンバー達は、もっと現実を見ろと言って、三名を除いてさっさと結婚してしまいましたが、生まれた子供に、あの人と同じ名を付けた娘もいます。
・・私は、貴女を応援しますよ?
一度きりの、自分だけの人生ですもの。
少しくらい我が儘で、頑固であっても良いと思います。
妥協して後でずっと後悔するより、意地を張り通して、仮令やせ我慢でも笑っている方が貴女らしい。
勝手ながら、私はそう感じます』
閉店後の『ミカナ』支店内をお借りして、二人で何度も酌み交わしたお酒は、何時になく私を酔わせ、余計な事まで口にさせた。
『あの人、身持ちが堅く、スタイルが良くて胸の大きな娘が好みよ?
貴女奇麗だし、脈あるかもね』
それを聴いて嬉しそうに微笑んだ彼女とは、それから偶に会う仲になった。
レジーナも、やっと領地内の問題点を解消し、これから婿探しをするそうだ。
『誰か良い人いない?
品があって、強くて、優しく、お金持ちで、内政に口出ししない人。
あちこち出歩いてる貴女なら、そんな男の一人か二人、心当たりがあるんじゃない?』
私がこの8年、彼を探して国中を歩き回っている事を知っている彼女は、敢えてそうおちゃらかし、遠回しに私を気遣う。
その辺りの不器用さは、初等部の頃と大して変わらないようだ。
そのくせ、貴族が集まるサロンや行事では、サリーさん達と一緒になって、政治活動そっちのけで、彼の噂を収集しようとしてくれている。
サリーさんと言えば、その一人息子が、私が援助してあげてた少女と恋仲になった。
主に捨てられ、病を抱えて死にそうだった母を助けてと、ギルドに依頼を出した少女。
彼によって母娘共々救われた後は、母親が『ミカナ』で元気に働く傍ら、彼女は私の援助で初等学校に通い、元から優秀だったせいもあり、かなり上位で卒業して、高等学校へも通ったのだ。
勿論、学費等は全て私が面倒を見た。
そのせいか、彼女は私に凄く懐いて、偶に会えば、色々な事を話してくれる。
サリーさんの息子である次期領主に告白された時も、母親を差し置いて、真っ先に相談された程だ。
幸い、サリーさんは、ロダンが次期国王に内定した事で、それ以上の政治的権力を欲しなかった。
自分の大事な一人息子の相手には、その血筋よりも、本人の気持ちを優先した。
利発で気が利き、高等学校での生活で礼儀作法まで洗練された彼女を見て、サリーさんは二つ返事で許可を出した。
彼女の後ろ盾が私(即ち和也)だった事も効果的に作用したのだろうが、サリーさんが彼女を見るその眼は、明らかに優しかった。
もう一人、忘れてはならない娘がいる。
花売りだった少女だ。
彼女も私が資金面での面倒を見て、初等学校と高等学校の両方に通わせていた。
『ミカナ』の研修所で初歩の仕事を学んだ後、学校に通いながら、忙しい週末だけ店の手伝いに加わり、空き時間は、施設の庭で、よく花を育てていた。
彼に貰った不思議な花を、とても大切に世話していて、年に一度、たった1粒だけ付けるというその実を、大事に終っていた。
その彼女が、ある時私に1つの鉢植えをプレゼントしてくれた。
そう、彼が渡したあの花の鉢だ。
戸惑う私に彼女は言った。
『それは私が、実を使って新たに育てた花です。
あの方から頂いた鉢植えではありません』
その実は、植えなければ、その年の楽しい生活を思い出させてくれるもの。
逆に、植えてしまえば、その年の嫌な事を全て忘れてしまえるもの。
辛い人生を歩んできたこの娘に、彼が癒しの光として与えた花の実だ。
それを使うという事は、1年分の楽しかった思い出を、形として残せない事を意味する。
『今の私は、お二人のお陰で本当に幸せです。
生活には何の不自由もなく、学校にまで通えて(この時点では高等学校)、お友達やお仕事仲間に囲まれて、日々楽しく過ごしています。
その思い出は、もう形にしなくても大丈夫。
私の心の中で、それらはいつまでもしっかりと色づいている。
・・今、真にこの実を必要としているのは、貴女や、そのお仲間の皆さんではないですか?
あの方がお側にいらっしゃらない暮らしに耐えられない時は、どうぞこの実を使って下さい』
私は彼女の頭を撫で、折角の鉢植えを受け取りながらも、実を使う積りはない事を話した。
『今の暮らしは確かに侘しい。
明かりが消えたみたいだし、皆で笑っていても、何処か寒々しい。
でもね、その辛さを忘れようとは思わないの。
だってそれは、裏を返せばそれだけ彼が大事だという証だから。
寂しさや苦しみが大きかった分、会えた時の嬉しさや喜びは、その何倍にもなる。
その時、彼に飛びついて泣き喚いて思い切り愚痴を言ってやるためにも、この痛みをしっかりと覚えておく必要があるの。
だから、気持ちだけ貰っておくね。
勿論、生った実は大事に保管しておいて、彼が戻った後で、喧嘩した時にでも見るから』
『強いんですね』
無理して微笑む彼女に、私も苦笑しながら言った。
『半分以上、やせ我慢だけどね』
そしてまた、1年が経ってしまった。
「本当に良いお天気ね。
今日は何を干そうかしら」
燦々と輝く朝日がふんだんに入り込む屋敷の2階から、レミーが庭で揺れる洗い立ての洗濯物を見ながら、そう呟く。
最後の1年。
未だ各地を探し回るミザリーを除いて、他の仲間達は其々の仕事に励みながらも、最早奇跡とも思えるご主人様の発見に全力を尽くしていた。
私は疲れて帰って来る皆の為に、そうそうここを動けないが、あの出不精のミレーでさえ、研究と出版準備を一段落させ、今は故郷の村に情報を得に行っている。
「・・ご主人様、そんなに私達がお嫌いですか?」
彼がこれまでにしてくれた事を考えれば、そんな事は有り得ないと断言できるのに、最近は愚痴や恨み言ばかりが口をついて出る。
もしやと思って、以前に彼の大好きな牛テールの赤ワイン煮を大量に作って、厨房から
私も勿論辛いが、ミザリーにはどう謝って良いか分らない。
私達を数に入れなければ、彼女だけはご主人様の眷族になれたのだ。
それなのに、失敗すれば最早抱いてさえ貰えないなんて、可哀想過ぎる。
各部屋の布団を日に当てた後、最後に玄関先にある、胡蝶蘭の鉢植えに水をやる。
誰が、一体何時の間に置いたのか、住人の誰も知らないという謎の鉢植え。
その美しい花びらに、くたくたになって帰宅する皆が癒されるので、今では全住人に受け入れられている。
さて、お茶を飲んだらもう一仕事しなきゃ。
今夜は何にしようかな?
「うーん、彼が最後に顔を見せたのは、確か1か月前くらいかしらね。
村の護衛に当たる二人とその部下達の、練度を確かめていったわ」
母の言葉を聴きながら、私は溜息を吐く。
この9年に限って言えば、私よりも母の方がずっと彼に会っているなんて、かなり応える。
『喧嘩して別居してるの。
だから彼が今何処に住んでいるかも知らないし、何をしてるのかも分らない』
大分苦しい言い訳だったが、眷族云々の話を母にする訳にはいかないから、『その後あの方とはどう?』と尋ねられた数年前に、屋敷の仲間との色恋沙汰が原因で大喧嘩して、彼が独りで屋敷を出て行った事にしてある。
母は大いに呆れて、『男の下半身に人格なんて求めては駄目よ』と私を諭したが、こうして偶にその所在を聴きに来る私を見て、まだ未練たらたらだと感じているらしく、他に男を探せとは言ってこない。
どうも彼から言質を取ってあるらしく、私達の関係如何に拘らず、今や村の特産品ともなっている椎茸の取引量は、今後もずっと一定数を確保されるらしい。
『ミカナ』の支店も、ほぼ国中の主要な町にできたから、肉まんの具材となる椎茸は、幾らあっても足りない。
この村にも大分お金が落ちてきて、村人の暮らしは本当に豊かになった。
最初はたった二人だけだった自警団も、ユイさんとユエさんのお陰で、今は十数人いる。
そのお二人は数年前に任を終えられて、以来ここへは足を踏み入れてはいない。
「前にも言ったけど、もし彼がこの村に来て、これから何処に行くのかを話したら、その時はなるべく引き留めて、直ぐに誰かをこっそりウロスまで走らせて。
そのための馬は買ってあげたでしょ。
幾らかかっても良いから、お願いね」
「そんなに気になるなら、もう貴女の方から頭を下げて、さっさと謝ったら?」
呆れたような口振りでそう話す母に、やり場のない怒りを感じて、早々に家を出る。
何時の頃からか、椎茸のホダ木がある森の付近に、白百合の花が増えていた。
野生の花の、その強い香りを嗅ぎながら、私は屋敷へと転移した。
「今月も各支店の売り上げは上々みたいね。
最近はほぼ毎日、複数の店で大入袋を出してるものね」
カナが上機嫌でそう言うと、報告書を提出したリマも、嬉しそうに笑う。
「ええ。
今や肉まんとあんまんは、この国の国民食と言っても過言ではありません。
安さと美味しさで、すっかり市民の間に定着しています」
「嬉しい限りだわ。
・・それで、あちらの報告の方はどうなの?」
「・・芳しくはありません。
各支店員の記した表によれば、ここ1年、あの方の来店頻度と店での滞在時間が、大幅に減少しています。
これでは、予測や対策を立てるのは難しいかと・・」
「そう。
・・本当に意地悪な男ね。
今度会ったら、思い切り伸びたスープパスタを食べさせてやる」
「随分長引きましたよね。
当初の予想では、2、3年もあれば摑まえられる予定でしたが・・。
私達はともかく、ミザリーさん、もう限界なんじゃないですか?」
「彼女にはかける言葉が見つからない。
私達は仕方ないとしても、ミザリーだけは是非とも眷族にしてあげたい。
もし賭けに負けても、私は彼にその事を全力で頼む積りよ」
「自信失くしますよね。
私達って、そんなに周到に逃げ回る程、彼には魅力がないのでしょうか?
・・この頃両親がね、いつまでも独り身の私を心配してか、余計な口出しをしてくるんですよ。
『お前を嫁にと望む男性は、それこそ大勢いるんだよ』って。
私には、あの方しか受け入れられない。
その事を知らないからかもしれませんが、少し煩わしいです」
「だから最近、屋敷の方に住んでるのね。
私の両親には、彼は国外での商談に当たっていると言ってある。
尤も、そんな嘘を吐かなくても、私が好きなようにさせてくれるでしょうけど。
・・今の『ミカナ』は、彼なしでは有り得なかった。
その事は、うちの両親もしっかりと認識してるから」
事務所から出て、二人で店舗まで歩く途中に、あの娘が誰かから貰って植えたという、鈴蘭の花が咲いている。
「どちらにしても、もうあと1年もない。
皆が笑える未来こそ、最高なのでしょうけど・・」
「いらっしゃいませ」
数年前、サイアスの町に突如として誕生した、この国初となる銀行は、今日も手持ちの資金を預けに来る、複数の客達で賑わっていた。
ミーナの父親に約束した通り、半年以上の肉体労働を通して市民の考えや暮らし振りを学んだ彼らに対し、和也は銀行の母体となる土地や建物と共に、金貨3万枚の運転資金を貸し与えた。
彼らは和也の教えに従い、日々経営マニュアルを熟読しつつ、アイテムボックスが使えなければ、それまでは家に隠しておくしかなかった客の余剰資産を安全に預かると共に、商売で急に資金が必要になった者や、一時的に税が払えぬ状態になり、奴隷落ちが危ぶまれる者の中から、己が信用できると信じた相手だけに、相応の担保と引き換えにお金を貸した。
強制執行等の法的手続きが未だ脆弱な国における回収力強化のため、領主にその都度一定額の手数料を支払い、そのサインを得る事で(後に数が増え、面倒だからと押印になるが)、貸付の際の誓約書の効力を高めた。
屋敷で経済学を学んでいたミーナがサイアスに転移で通いながら実務を取り仕切り、その父親が社長となって始めた会社は、市民の需要もあって、僅か1、2年で急成長した。
それまでは、僅かなお金を借りるにも、法外な利息や怪しげな人種に頼らざるを得ず、泣き寝入りする事の多かった人達が安心してお金を借りられるようになり、自己資金を預けに来る者達は、安心と、僅かと言えど、その額に応じた利息まで得られ、この仕組みは直ぐに他の町にも普及した。
銀行の立ち上げ時は、目が回る程に忙しかったミーナだが、だからと言って、和也探索の同盟任務を放棄していた訳ではない。
諸手続きの際には、一度くらいは会えるだろうと踏んでいたが、書類での指示や、何時の間にかなされている事がほとんどで、全く会えなかった。
そのくせ、母や妹は、彼から直にお祝い品まで頂いたというから腹が立つ。
「こんな事なら、遠慮せず、もっと沢山甘えておけばよかった」
最近になって、忙しくてストレスが高まってくると、無意識にそう呟いている彼女。
以前は、ミザリーが居る前ではどうしても彼女に遠慮して、自分がしたい事の半分もできなかったのだが、彼に会えない今になって、それが非常に悔やまれる。
勿論、今でも必死になって彼を探し回る、彼女が最優先であるという想いは変わらない。
自分達に機会を与えるため、己のチャンスまで棒に振りかけている彼女に対して、深い感謝と、上手く表現できない申し訳なさが合わさって、その顔を見るのが辛い時もある。
「それにしても、あの方は本当に真面目ね。
眷族でない女性は、仮令据え膳状態でも抱かないなんて、女と見れば直ぐに手を出したがる世の男性を少しは見習って欲しいくらいよ。
それならば、私達も多少は救われるのに・・」
奴隷の身で、初めて彼に会った時の事を思い出す。
「あの時は、まさか手を付けられないなんて、考えもしなかったな」
執務室の机上に置いてある、鉢植えのシクラメン(ピアス)に、そっと溜息を吹きかける。
妹が、誰かから開店祝いとして受け取ったそうだが、ミーナはこの花が好きだった。
「・・そう、失敗してしまったのね。
残念だけど、生きて戻ってくれて良かったわ。
あそこの魔物は癖があるから、今度ミサに倒し方を教わった方が良いみたいね。
私から話を通しておいてあげる。
・・それで、違約金は払えるの?」
彼女らが依頼を受ける際、今月は苦しいから、収集系ではなく、敢えて報酬の高い討伐系を受けたいと言っていたのを思い出し、心配して小声で尋ねてみる。
案の定、それを払うと、今夜から暫く食事にすら困るという。
やはり止めるべきだったわね。
「今回だけ、違約金は私が払っておいてあげる。
その代わり、きちんとミサの指導を受けてね。
それから、この事は他の皆には内緒よ?」
相変わらずの小声でそう伝えると、彼女達は深く頭を下げて、お礼を述べて行った。
自分の財布から銀貨5枚を出し、依頼書に『受領』と記載した上、手元にある、ギルドの簡易金庫へと入れる。
少し甘いと思う時もあるけれど、こうして助けた何割かは、その後しっかりと実力を付け、ギルドの役に立ってくれている。
死と隣り合わせのこの職業で、たった一度の失敗で、路頭に迷うなんて遣り切れないに違いない。
幸いにも、御剣様やミザリーのお陰で、何度も美味しい賭けに参加できて、今の私には金貨1万枚以上の資産がある。
賭けてた時は、もう十分なんて考えもしたけど、こうしてみると、あの時沢山稼いでおいて良かったと思う。
私がまだ駆け出しの冒険者だった頃は、夢はあってもお金はなかった。
今はそのどちらもあるけれど、側に居て欲しいと願う、最も大切な人がいない。
ギルドを辞めて、私も彼を探しに出ようとしたのだが、直前でミザリーに止められた。
『これは私と彼の賭けだから』
そう言われて渋々引き下がったけど、今は大分後悔している。
彼の側であんなにも幸せそうに笑っていた彼女は、今はほとんど屋敷にすら帰らず、余裕のない顔をして、必死に彼を探している。
もう少しで、二人の賭けが終了する。
御剣様がお戻りになったら、何を差し出してでもお願いする積りだ。
どうか彼女だけは、眷族としてお側に置いてやって欲しいと。
「リーダー、ご無沙汰しています。
今年もまた、見事に咲きましたね」
侘しかった共同墓地の片隅に、『これでは寂しいだろう』と、御剣様が植えて下さった、1本の桜の樹。
その可憐で繊細な
「人に与えられた時間というのは、長いようでいて、本当にあっという間です。
未だに、貴女と過ごしたあの3年を、ついこの間の事のように思う時があります。
人の記憶とは厄介なもので、思い出したい事だけが浮かんでくる訳ではありません。
嫌な事、悲しい出来事も、それと一緒に湧いて来る。
やっと貴女の悲惨な姿を忘れる事ができそうだと思ったら、今度はまた別の、角度の異なる問題に直面しています。
リーダー、貴女には、誰か心を寄せる相手がいましたか?
ずっと過去にでも、愛する人がおりましたか?
私には、もうかれこれ10年近く、ずっと想いを寄せ続ける相手が存在します。
・・ええそう、まだ報われないですよ?
それでも、私だけの相手なら、多少は救われるのですが、その人には、既に妻となった方以外にも、とても多くの女性が想いを寄せています。
・・勝ち目はないから諦めろって?
それができれば、わざわざこんな場所まで愚痴を言いに来ませんよ」
まるで今の彼女(リーダー)の心を代弁するかのように、墓石の上を、小さな虫がよたよたと歩いていく。
「・・もっと厄介な事にですね、私自身が、自分の幸福よりも、仲間の幸せを願っているのです。
いやいや、何も矛盾してはおりませんよ?
ミザリー、少なくとも彼女だけには、幸せになって欲しいのです。
エマも以前、同じような事を言っていました。
ミザリーがあの方の側に居ると、彼の雰囲気が輪をかけて穏やかになります。
とても自然に笑うのです。
少し悔しいですが、そこは私達には真似できません。
・・リーダー、もし今度彼がここを訪れたなら、私にピピッと合図を送ってくれませんか?
私達が見つけた時のために、彼女は月に3回ある転移チャンスの1つを、常に使わずに取ってあるんです。
今度貴女の好物だったお酒をお供えしますから、どうか宜しくお願いします」
墓石の隅まで辿り着いた虫が、その小さな羽を広げて飛び立つ。
それを見送り、踵を返すミサの後ろで、桜の小枝が数枚の花弁を舞い落すのであった。
「あの御方はまだ見つからないのですか?」
「ええ。
本当に月に三度、ちゃんとこちらに来ているのか怪しくなるくらい、見つからないわね」
「今更ですが、やはり無謀な賭けだったのでは・・」
「仕方がないわ。
仲間を見捨てて、自分だけが眷族になるなんて、どうしても嫌だったし。
それにもし賭けに負けたとしても、その後は人としての寿命が尽きるまでは、偶に会えるのだもの」
「本当にそれだけで良いのですか?」
「・・・」
奴隷商の彼とは、和也がいなくなった後も、こうして定期的に会い、情報を交換している。
その仕事柄、奴隷を仕入れにあちこちの町や村を回るので、貴重な情報源として、彼には包み隠さず真相を話してある。
奴隷商と言っても、彼は今、厳密にはその商売をしていない。
確かに奴隷を仕入れはするが、それを客に売り捌く事はない。
仕入れた奴隷を、必要なら館で教育し、その後屋外で適正な職業に就かせては、その給与を徴収する。
そしてそれが購入代金に達した時、金貨1枚を握らせて、その者達を速やかに解放する。
当然、その間の奴隷達の衣食住費は、全額彼の自己負担だ。
商売にならないどころか、毎年結構な赤字になるが、闘技場における、和也と私絡みの賭けにほぼ毎回律儀に参加して、国有数の資産家と呼ばれるまでになった彼には、痛くも痒くもないのだろう。
『これまで人を商品扱いしてきた私の、生きている間だけの、せめてもの道楽ですよ』
そう言って笑っていた。
ずっと和也の行動を見続けてきた彼は、何時か自分もそうありたいと、心に決めていたようである。
「・・それにしても、あの御方は本当にお堅い。
貴女にここまで愛されて、まさかお手をつけずにいらっしゃったとは・・」
「ここまでくると、愛妻家というより、恐妻家よね。
今度会ったらそう言ってやろ」
最後に負け惜しみのような台詞を吐いて、館を出る。
この後はまた、味気ない徒歩での探索だ。
暗くならない内に、さっさと町を出た。
早目の夕食後、テント内で椅子に座ってぼうっとしていた私の耳に、テーブル上にあるバラの一輪挿しから、懐かしいヴィクトリアさんの声が届く。
「お久し振りね。
その様子だと、大分応えているみたいね」
「ご無沙汰してます。
絶賛やせ我慢中です」
「フフフッ。
分るわ。
わたくしもそういう時があったから。
でも、そろそろ期限が近付いてきたでしょ?
勝算はあるの?」
「・・正直、お手上げですね。
彼、本当に月に3回、こちらに来てますか?」
「それは間違いないと思うわ。
旦那様は、そういう大切な事では、決して嘘は吐かない」
「彼、そちらでは何をして過ごしています?
専ら奥様方へのご奉仕ですか?」
「全然そんな事ないのよ?
エリカさんは別として、こちらから誘わないと、陸にキスもしてこないし。
今は溜めてたゲームの攻略に夢中ね」
「ゲーム、ですか?」
「まあ、一種のお遊びよ。
最近になって、有紗さんの星では大分見直されてきたみたいだけど、わたくしから見れば、疑似恋愛を含めて、子供の遊びと大差ないわ」
知らない名前が幾つか出てくるが、きっと妻の方々だろう。
「・・ねえ、賭けに負けたら、本当に眷族になるのを諦めるの?」
「それは・・。
私から持ち出した賭けですから、今更何を言っても、彼は聞く耳を持たないでしょう」
「貴女の気持ちはどうなの?
以前と全く変わらない?」
「少し変化がありましたね。
会えなくなって、触れる事ができなくなって、それまでの時間が如何に貴重なものであったのか、私がどれだけ彼を必要としているのか、より正確に理解できるようになりました。
・・そりゃあ会いたいですよ。
今でも大好きですよ。
思い切り抱き締めて、強引に唇を塞いで、しっかりと抱き合って眠りたいですよ。
たった1日でも想いが叶うなら、残りの寿命を全て差し出しても良いくらいに愛してますよ!
・・正直に言うと、自分でも時々、馬鹿な事をしたなと考える事はあります。
でも、この狂おしい気持ちが私だけのものではないとしたら、他の皆にもあるのだとしたら、仮令やり直せても、やはり私は、また同じ選択をすると思います。
フフフッ、馬鹿でしょう?」
『思っていた以上に重症ね』
「・・そんな所で独りでいるから、そこまで思い詰めるのよ。
この後時間あるわよね?
1時間後、あの花園に来なさい。
以前に彼が少女を案内した、あの場所よ。
わたくしとお花見でもして、気分を落ち着けなさいな。
分った?」
「・・はい」
「あなた、わたくしと一緒に、夜のお散歩に行きませんか?」
居城の自室に籠って、ゲーム画面を眺めていた和也に、エリカのお誘いが入る。
「散歩?
・・こんな時間にか?」
「アリアさんからお聞きしたのですが、わたくしの星に在る、とある花園で、夜のほんの一時だけに見られる特別なショーがあるとか。
是非見てみたいのですが」
「ああ、あれは確かに素晴らしいが・・。
二人だけで行くのか?」
「皆さんにお尋ねしたら、全員で見に行こうというお話になりました」
今のこの居城には、もう十何度目かになる妻達の定例会のため、六人全員が揃っている。
「エレナは行かないのか?」
「彼女はここで、やりたい事があるそうです」
「お前が行くのに珍しいな。
・・分った。
直ぐに支度をしよう」
「謁見の間で、皆でお待ちしていますね」
「・・奇麗だわ。
名前も知らない花があるけど、本当に美しい。
あなたの魔力を感じるから、そのせいもあるのかしら?」
和也の右隣を歩く紫桜が、順を追って開花していく沢山の花々に、称賛と感嘆の言葉を贈る。
「本当に奇麗。
映像に残して、私のパソコンの壁紙に使いたいくらい」
彼らから二歩ほど離れた場所で、有紗も夢中で花に見惚れている。
「私とオリビアの、大切な思い出の場所なんですよ?
皆さんに気に入っていただけて、嬉しいです」
マリーを案内していたアリアが、誇らしげにそう口にする。
「これだけのものが残せたのは、ここが地下迷宮だからですね。
ここの魔物は総じてレベルが高い。
普通の人間なら、この階には足を踏み入れる事すら難しいでしょう。
秘密の花園。
確かにその通りですね」
己の象徴である、白百合の亜種を目にしたマリーが、そう言って微笑む。
「それにしても、今頃になって何故ここの話題が出たのだ?
アリア、何か理由でもあったのか?」
そう言えば、ここ暫く、オリビアやジョアンナに会っていないな。
そんな事を考えながら尋ねた和也に、問われたアリアが、困ったような表情を向ける。
「それにお答えする前に、わたくしからあなたに1つ、お尋ね致したい件がございます。
・・旦那様は、わたくし達に何か隠してる事がお有りですよね?」
先程から、和也の左隣で黙って花を見ていたエリカが、相変わらず花に目を遣ったまま、幾分感情を抑え気味な声で、和也にそう問いかける。
「お前達に隠し事?
一体何の事だ?」
エリカの様子が少し可笑しい事に気付いた和也は、幾分腰が引け気味に、恐る恐るそう問い返す。
「あなたは最近(飽く迄彼女達、眷族としての時間感覚)まで、『ざまあ系』とやらの実践と観察をしていらしたのですよね?
それは結局、どうなりました?」
「何故そんな事を聞く?
・・ほぼ終了し、自分が思った通りの結果が出て、非常に満足したが」
何時の間にか、他の妻達全員が、話を止めて、自分の方を凝視している。
「その実践の過程で、いつもの如くお知り合いになられた複数の女性達は、その後どうなさいました?」
「・・今はその内の一人と、ある賭け事の真っ最中でな、その結果如何で、今後を決める約束を交わしている」
「どんなお約束かお尋ねしても?」
「10年以内に自分を見つける事ができれば、その者の仲間全員を、我が眷族として迎え入れる。
逆に見つけられなければ、その者に与えようとした眷族への資格を、なかったものとして取り扱う。
何れにしても、自分が一旦は彼女達をその保護下に置いた以上、人としての寿命が尽きるまで、彼女達がそう望む限りは、ある程度の責任を持つとは言ってある」
「・・それで合っていますか、ミザリーさん?」
話の途中から、何と無くそんな気はしていたのだが、エリカが視線を向けたその先には、ヴィクトリアに付き添われた、半ば呆然とした表情の、彼女が立っていた。
「・・あの、どういう事でしょうか?
私はただ、ヴィクトリアさんに誘われて、ここにお花見に来ただけなのですが・・」
「お呼び立てして御免なさいね。
初めまして、ミザリーさん。
わたくしはエリカ。
旦那様の妻の一人で、今回の件の首謀者でもあります」
「は、初めまして。
ミザリー・レグノスです」
エリカの美貌を目の当たりにして、不安を一瞬で吹き飛ばされたミザリーが、たどたどしくも、どうにか言葉を紡ぎ出す。
「最初に謝罪致します。
わたくし達は、とある花々を通して、ここ数年の、貴女方の生活を垣間見ておりました。
必要な事であったとはいえ、貴女方に無断でそうした事を、心からお詫び致します。
申し訳ありません。
・・ですが、それによって、ここに居る彼の妻達全員が、貴女方の人となりを粗方把握する事ができ、仲間として受け入れる事に同意できたのです」
「花?」
「ええ。
もうご存知だとは思いますが、彼もわたくし達も、人ではありません。
神という言葉が、1番近い存在だと思います。
不老不死の肉体に、絶大な力。
わたくし達の仲間になるという事は、この世での不可能をなくす事にも繋がります。
だからこそ、多くの方がその地位を欲しがり、何とかして手に入れようと、様々な策を弄する可能性があるのです。
・・貴女だけは、最初から何の問題もありませんでした。
毎朝の日課とやらを拝見していれば、貴女が如何に旦那様をお好きか直ぐに理解できます。
今回の眷族化のお話では、その事が最重要の要件でしたので、貴女は問題なかった。
ですが、失礼ながら他のお仲間の方々には、表立っての行為がない以上、ある程度の調査が必要ではありました。
旦那様はこう見えてとても寂しがり屋で、一度受け入れた女性が心変わりする事をとても嫌います。
ですから、貴女方には可哀想でしたが、暫く旦那様が傍に
「なあエリカ、自分は何も聞いていないぞ?
幾らお前達とはいえ、些かやり過ぎではないか?」
「わたくし達が敢えてそうしたのは、旦那様と彼女達、双方の利益のためですよ?
旦那様はわたくし達に遠慮して、徒に眷族の数を増やさないようにしょうと判断なさった。
その結果、あなただけを慕う、実に七名もの女性を切り捨てようとなさいましたよね?」
「人聞きが悪いな。
眷族にしないだけで、きちんと最後まで面倒を見る積りではいた」
「あんなにもあなたに惚れさせておいて、一切手を出さずに死ぬまで過ごさせるなんて、ある意味拷問と同じですよ?
あなたが言っている事は、彼女達には女を捨てろと言っているに等しいのです」
「・・・」
「まだわたくしとお付き合いを始めたばかりの頃、あなたとお話したはずですよね?
行き場のない気持ちを抱え、絶望の涙を流す人の手助けができるのなら、そうして欲しいと、わたくしは心からそう願うと。
・・あなたは、わたくしがしたその真摯な願いを、聞き届けてはくれないのですか?」
「いや、そんな事はないのだが・・」
「旦那様、わたくしからも良いかしら?
いつもなら、そう大して悩まないのに、何故今回に限ってそんなに厳しい条件を課すの?
数が多過ぎるから?
わたくしが焼餅を焼くからかしら?
ならばこれから遊びに行く時は、常にわたくしを同伴なさいな。
わたくしは大抵暇よ?
あなたが無意識に立てる恋愛フラグを、悉くへし折って差し上げるわ」
「紫桜、自分は自分なりに、色々考えてはみたのだ」
「旦那様、わたくしにも一言だけ言わせて下さい。
仮令今回、彼女達全員を眷族として受け入れたとしても、果てなき旅路のお供には、まだ決して多過ぎるとは言えません。
わたくしの見る限り、彼女達は本当に旦那様の事がお好きです。
受け入れて差し上げる事はできないのですか?」
「マリーも賛成か」
「受け入れてあげれば良いんじゃないかな?
その方が、きっと上手くいくと思うけど」
「アリア、お前もそう思うのだな」
「わたくしも、ミザリーさんともっと仲良くなりたいし、その彼女が大切に思う仲間達なら、信頼できるわね」
ヴィクトリアがそう言うと、有紗も続く。
「私も賛成。
きっと大丈夫。
この星を管理するにも、人手は必要でしょ?」
「・・皆さん、有難うございます」
思ってもみなかった強力な援軍を得て、少し窶れて、瞳の光彩を失いつつあったミザリーが、両目の端から涙を滴らせる。
「・・皆の考えは理解した。
正直に言えば、自分も今回はかなり悩んだ。
彼女達全員の気持ちを汲むか、全体のバランスを取るか。
妻達に遠慮していた事実も否定しない。
ゲームに逃げていたと言われれば、その通りかもしれない」
苦笑しつつ和也は続ける。
「嵌められた感がしないでもないが、ミザリーがこの場に辿り着いた以上、彼女との賭けは自分の負けだ。
約束通り、皆を眷族として迎え入れる。
ただミザリー、君だけには選択肢を与える。
自分の妻になるか、眷族として側に控えるか、そのどちらが良い?」
「え?
・・妻?」
「自分では嫌か?」
「そんな事ない!
そんな事ないけど・・私はどちらかというと、眷族の方が良いかな」
「理由を聴いても良いか?」
「ずっと側に居たいから。
何の柵も無く、ただ貴方の側に居て、好きに貴方を見ていたいから。
貴方が誰かを助け、誰かを守り、誰かの為に戦う様を、1番近くで見たいから。
妻の皆さんとお会いできて、私には荷が重いかな、なんて感じたのも理由の1つ。
・・それでは駄目?」
「・・貴女、少し危険だわ」
「紫桜さん、折角良い所なんですから、茶々を入れては駄目ですよ」
「・・ミザリー、こちらに来て、右手を出せ」
言葉に従った彼女のリングを、眷族のそれへと作り替える。
「これから宜しくお願いしますね」
「仲良くして下さいね」
嬉しそうに笑うエリカと有紗。
マリーやアリア、ヴィクトリアも、満足そうに微笑んでいる。
「わたくしも、今後はずっと彼の側に居ようかしら」
ミザリーに対して何らかの危機感を抱いたらしい紫桜は、そんな事を呟いている。
「さあ、お城に帰りましょう。
ミザリーさんの歓迎会を兼ねて、エレナがご馳走を用意して待ってるわ」
その場を締め括るエリカの声に、和也はまるで肩の荷が下りたかのように、そっと言葉を漏らす。
「妻達に助けられたな。
危うく、『実績が足りないと言われて眷族になれなかったけど、実は・・・。今更なってくれと言われても、もう遅い』なんて事になるかもしれないところだった」
レベッカ王国。
建国以来、戦いと侵略の歴史を刻んできたこの国は、国王ロダンの治世以降、ぱったりと、その好戦的な性格が鳴りを潜めた。
その後の長い歴史においては、隣国からの侵略を受けた事も何度かあるが、その度に、何処からともなく謎の戦士集団が現れて、それらを完膚なきまでに撥ね返した。
八名からなるその集団は、全員が黒き鎧に身を包んだ若い女性達であり、顔はよく確認できなかったそうだが、皆が皆、抜群のスタイルを維持していたという。
この国には、国民ならば誰もが知っている企業が2つあり、市民の胃袋とまで言われる『ミカナ』と、同じく市民の財布と親しまれたМ銀行は、国と共に、いつまでも在り続けた。
ウロスとギアス近辺にある2つの屋敷。
今では一体誰の持ち物かさえ定かではないが、不思議な事に、この2つの屋敷には国からの治外法権が認められており、何人と雖も、その住人の許可なく立ち入る事はできなかった。
結界で覆われたその屋敷内では、夜ごとに歓声や笑いが起こり、周囲を囲む田畑や山林には、屋敷から漏れ出る食事の良い匂いが漂っていたという。
余談だが、この国には今、奴隷制度は存続しない。
その財を惜しみなく注いで、非常に多くの奴隷達を解放した一人の奴隷商人と、誰とも知れない、物好きな少年に感化された国王が、制度自体を廃止したお陰である。
後に奴隷解放の父とまで慕われた商人の男性は、いつもこんな事を話していたという。
「私は、ただ真似事をしていたに過ぎません。
あの日偶然出会い、その眩しい光に憧れて、自分もそうありたいと、彼の模倣をしていただけ。
・・本当に称えられるべきは、私ではなく、彼なのです」
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