第33話

 「「優勝おめでとうございます」」


第2屋敷での夕食時、食事を兼ねた祝勝会が開かれる。


昨夜の入浴の際、己の失言の責任を取り、大人しくしていた和也に付け込んで、少しやり過ぎた感のある彼女達は(皆で和也を洗ったり、抱き付いたりしていた)、今日の試合で見た、彼本来の姿に何かを感じたせいもあり、かなり殊勝な態度で臨んでいた(食事の用意をするレミー以外は、全員が見に行った)。


和也自身は別に気にしていなかったのだが、準々決勝、準決勝における、屋敷内では決して見せる事のない彼の表情が、彼女達に、和也と自分達との距離を再認識させたのだ。


ミザリーには見せる、自分達の知らない顔。


力を示す意思を持って戦場に立つ彼の姿は、今の自分達ではまだ踏み込めない、壁のようなものを感じさせる。


昨夜の行為は、それを犯すルール違反。


そう反省した彼女達は、彼が自主的に自室のドアを叩いてくれるまで、節度を持って待つ事に決めた。


「有難う。

わざわざ用意してくれたのだな。

自分の好物ばかりで申し訳ない」


「貴方のためのお祝いだからね。

私は最後まで何もしなかったし」


「そんな事ないぞ。

君にはあの場に立っているという、とても大事な役目があった」


「相変わらず、私の扱い酷いわね」


ミザリーが苦笑いする。


『逆に羨ましいですよ。

それだけ彼が、貴女には心を開いているんですから』


「ん、何?」


自分の顔を見ているエマに、『どうしたの?』という表情を向けるミザリー。


「いえ、・・次は貴女の番です。

明日からの個人戦、頑張って下さいね」


「ええ。

彼のお飾りという評判を覆せると良いけど・・」


「自分は見に行かないが、くれぐれもポカるなよ?」


「見に来てくれないの?」


「色々忙しいし、勝つ事が分っている試合だ。

賭けに参加したら、早々に出かける」


「・・じゃあせめて、夜はちゃんと訓練と練習に付き合ってよ?」


「済まんが、明日だけは休む。

明日は朝から出かけて、帰りは翌日の昼近くになる予定だ」


「どちらに行かれるのですか?」


トロトロに解れた牛テールの赤ワイン煮を出しながら、レミーが尋ねてくる。


「仕事で、妻の部下達に会ってくる。

もうそんな時期なのでな」


「!!!

・・ちゃんと帰って来て下さいね?」


「?

勿論だ。

こちらも、これから少し忙しくなるからな」


和也の言葉で、一瞬だけ室内に漂った緊張感は、再度の彼の発言によって霧散する。


皆がほっとして食事を再開する中で、ミザリーだけは何故か少し面白くないような顔をして、その夜、魔法の練習を終えた後、朝まで彼に抱き付いて眠るのだった。



 「お帰りなさい。

何か大切な用事?」


地球の、有紗の家に転移してきた和也。


その気配を感じて、仕事中の彼女が自室から出て来る。


簡単な要件なら念話で話す事が多いので、彼がわざわざ顔を見せたからには、それなりの案件だと推測できる。


「皐月を呼んでくれ。

二人に話がある」


「今日は彼女も自宅で仕事をしてるから、直ぐに来れると思うわ。

少し待って」


念話で3階の自宅に居る彼女に連絡を取りながら、珈琲の準備をする有紗。


皐月は1分もしないで和也の居る部屋に転移してきて、カップとお菓子の準備を手伝うと、居間にある大きなソファーの、和也の対面に座る。


珈琲を出した有紗が皐月の横に座ったのを見計らい、和也が口を開いた。


「もう直ぐ皐月は50歳になるな」


お互いの眼には、眷族化した本来の姿で映るので忘れがちだが、幾らまだ30そこそこに見えるとはいえ、巷では、彼女は既に老年の域に差し掛かっている。


「うっ、実感がないとはいえ、そう言われるとやはり応えますね」


「私も最初は大変だったわ。

50歳の振舞いから、いきなり10代の言動に直すのだから。

仕種とかは変えないで済むけど、やはり他人に対する口調はね。

・・それで、どうするの?

今いきなり彼女を引退させて、また10代の年齢からやり直させるにしても、流石に私の子供としては無理よ?

私今、28歳の設定だし」


「50歳を超えたはずの皐月は二度と人前には出さずに、陰で仕事をこなして貰うという設定にする。

その裏で、本来の姿に戻った皐月には、有紗が再度50を迎え、引退するまで、こっそりグループの業務を手伝って貰いながら、自分の個人的な仕事も頼む積りでいる。

そして有紗が引退した後は、その娘として、本来の姿からグループの社長を引き継がせる」


「つまり、今後22年間は、皐月は本来の姿で過ごしながら、他者にその存在を明確に知られる事なく、グループ秘書の彼女とは飽く迄別人として、生活させる訳ね。

でもそれだと、表向きの私の第1秘書には、弥生を引き上げないといけなくなるわよ?

流石に、私の立場で現場に秘書を伴わないという訳にはいかないもの」


「彼女も既に入社して3年。

まだ25歳と若くはあるが、その大役を引き受けて貰う。

ただ、人のままでは些か辛いだろうな。

うちのトップは少数精鋭で、体力的にも能力的にもかなりの負担がかかる。

皐月でさえ、人の間はその全てを仕事に向けねばならなかった程だ。

少し早い気はするが、彼女にもこちらの事情を打ち明けて、協力を頼むしかないだろう。

・・問題なのは、果たして彼女がそれを受け入れてくれるかだが」


「「それは大丈夫よ(です)」」


有紗と皐月、二人の声がハモる。


「何故そう言い切れる?

自分はあの時以来、彼女に会った事はないぞ?」


「じゃあ聴くけど、それで何で彼女を私達の仲間にしようと思うの?」


「彼女の心がとても美しかったからだ。

彼女なら、グループを一時的に任せていっても、必ず人に幸せを齎してくれる。

それに、ある程度の不幸、若しくは痛みも経験している。

人の心の痛みが分らないようでは、グループのトップには立てない。

能力だけが高くても、それだけでは駄目なのだ。

彼女はそれらの要件を満たし、尚且つ、自分に心を開いてくれた。

感謝してくれているようだし、それならこちらの指示にも従ってくれるだろう」


「・・それだけ?

もっと大切な要件があるでしょう?」


「?

例えば?」


「あなたを誰よりも愛していること。

それが絶対の要件だわ」


有紗がそう断言すると、皐月も深く頷く。


「初めから伴侶同伴で眷族化するならともかく、女性一人でそうなるからには、あなただけを愛し、他者に決して目を向けない身持ちの固さがないと、後々問題が生じる。

あなたもそれが嫌で、眷族にする女性を厳選しているはずよ?」


「それは自分に女としての愛情を向けてくる者の場合だ。

自分の為によく働いてくれた者に対しては、仮令自分に友愛しか待たなくても、仲間として迎え入れる事はある」


「でもこの件については駄目よ。

もしその人が、あなた以外の誰かを愛し、その愛した人の要求を受け入れてしまえば、子供が生まれてしまったなら、相続面で、あなたが最初に考えたやり方が破綻する。

眷族と人では寿命が異なっても、その人が財産分与や生前贈与をしてしまえば、ものによってはグループの資産に多大な影響が出る。

だからこそ、一時的にでもグループのトップをさせるなら、あなただけを愛している人でないと駄目なの。

あなたなら、仮令何かされても過去に遡ってその人を切り捨てたり、行為自体を無効化できるのでしょうけど、そういうの、あなたは嫌でしょう?」


「・・そうだな。

この世界の法律は、色々と面倒だ。

確かにその点も考える必要がある。

だがそうすると、弥生はどうだろうな。

流石に嫌われてはいないだろうが」


「大丈夫。

彼女はあれ以来、あなたをずっと愛してきたわ。

あなたが私の夫だと知っても、皐月の想い人だと分っても、ずっとあなただけを想ってきたのよ?

その事は、私と皐月が誰よりも理解してるわ」


「そう言うが、自分が実際に彼女と接したのは、あれ一度きりなんだぞ?」


ほんの20分程度、交わした言葉さえ、数えるまでもないくらいなのだ。


「人が恋に落ちるのに、時間は関係ないわ。

言葉であったり、光景であったり、印象であるかもしれないけれど、その時その人の心に刻まれたものが、他の何よりも強いものであったのなら、それは何時までも色褪せる事なく、その人の心に残ってる。

あの冬の光景は、あの時のバイオリンの音色は、あなたのその姿は、今でも鮮やかに、彼女の脳裏で息づいているのよ。

だってあなたは、名前も知らない、追憶の彼方に居るような人じゃない。

自分の住む国の、それこそ同じグループで働いている人なのだから」


「・・そこまで言うのなら、先ずは自分一人で会ってみよう。

それで駄目そうだったら、再度お前達の意見を聴く」


「そうね。

最初はあなただけで会った方が良いわ。

・・それにしても、皐月は今後22年間もこの姿で活動できるのね。

彼女に一体何をやらせるの?」


「簡単に言うと、世界各地での買い付けだな。

目当てはレアメタルや貴金属、特に金やプラチナだ。

今、この世界は紙幣が飽和状態で、強いと言われるドルや円でも、徐々にその価値を落としている。

特に円などは、何時暴落しても可笑しくない。

ばら撒きや借金の返済の度に、何だかんだと理由を付けては、国が紙幣を刷っているのだから当然だな。

長く続くゼロ金利は、企業の設備投資の促進というのが建前だが、本当の目的は、増え過ぎた国の借金に対する利息を、少しでも抑制するためだろう。

個人が組む住宅ローンの金利を下げるためなどという、苦しい理屈を捏ねる者もいるが、元々買えない者達に無理をさせて買わせ続けた結果、何が起きたかは、とある大国の歴史が証明している。

銀行の利息を上げれば、年金で暮らすお年寄りや、多くの預金を持つ者達が、毎年その利息分で消費活動を行い、国が余計な事をせずとも、経済が活性化する。

今後資産が増える見込みがない年金生活者は、自身の預金が目減りする事に不安を感じ、富裕層の多くも、それを嫌う傾向にある。

だからこそ倹約をし、お金を蓄え続ける。

だが、自己の所有する預金に毎年数%の利息が付くならば、余生を楽しみたいお年寄り達は、その分だけは己の楽しみに回すだろう。

高齢者の人口が、今どれだけいるかを考えれば、その額の大きさは自ずと分るはずだ。

議員や役人達も決して馬鹿ではない。

なのにそれを理解していながら、担当機関に圧力をかけて、国の為にゼロ金利を続けざるを得ないのだ。

株や投資といった、運や不確定要素が絡むものに素人を参入させずとも、預金に利息さえ付ければ、高利回りを謳う胡散臭い詐欺に騙されて、なけなしの蓄えを失う高齢者も減るのにな。

そういう訳で、自分は紙幣という、約束手形のような存在を過信しない。

皐月には、世界各地を巡り、仮令露店で売られているような品に含まれる微量の金やプラチナでも、どんどん購入して貰う。

そしてそれを自分が分解し、インゴットにして保管した上、なるべく世に出さない。

いつか本当にそれが必要になる、その時までな」


「世の中を見てると、時々驚くものね。

『これにそんなに支払うの?』って。

日々食べる物にさえ窮する人達がいる一方で、世界中でお金が有り余っていて、何にでも直ぐに高値が付く。

成果主義、能力主義が間違っているとは思わないけど、過剰なまでの競争は、人を追い詰め、そのゆとりを失わせていく。

せめて私達がその防波堤となり、少しでも人々を守っていかないとね」


有紗がしみじみとそう口にする。


「頼むな。

・・因みに、今度お前が50歳を迎えた時は、皐月同様、それなりの猶予時間を与える。

皐月が10代で社長の座に就く頃には、弥生があと3年で50になる。

50になったら弥生を引退させ、再度その娘として元の姿で皐月の秘書に当てれば、次にまた社長の座に就くまでに、30年弱くらいはお前の自由に過ごせるだろう」


「30年の自由時間か。

一体何をしようかしらね?

妻の皆さん達と、冒険でもする?

フフフッ」


「色々考えると良い。

・・皐月も、仕事や買い付けの傍ら、空いた時間を存分に楽しんでくれ」


「時々はあなたも付き合ってくれる?」


「勿論だ」


グループの立ち上げから繁栄に至るまで、そのほぼ全てを担ってきた二人に、改めて深く感謝する和也であった。



 「せえ~んぱい、今日飲みに行きませんか?

凄く素敵なお店を見つけたんです」


大学の後輩で、今年入社したばかりの彼女が、そう誘ってくる。


自分と同じ秘書課だが、私と違って社長専属ではなく、一般の重役達を補佐する立場。


うちの重役は4割が女性なので、彼女の上司も女性である。


私の仕事上、こうして課室で会うのは週に一、二度だが、会う度に誘ってくる。


私なんかに声をかけずとも、彼女を誘ってくる男性は多いのだから、そちらに付き合ってあげれば良いのに。


内心でそう思いながらも、いつもの如く、断りの返事を返す。


「御免なさい。

寄る所があるから・・」


「え~、またですか?

いい加減付き合って下さいよ。

先輩、まだ彼氏いないでしょう?」


頬を膨らまし、不満げな顔をする彼女。


「貴女こそ、早く彼氏を作れば良いでしょ。

幸い、相手には困らなさそうだし」


「今は必要ありません。

男って、付き合うと直ぐ束縛しようとするじゃないですか。

女同士の方が、気楽で楽しいですよ」


「そうなの?

私はまだ(付き合った)経験ないから分らないわ」


「私だってないですよ」


「じゃあその考えは、一体何処から来る訳?」


「今の時代、実体験の代わりになるものなんて、幾らでもあるじゃないですか。

私の場合、ゲームと漫画ですけど」


「ゲーム?」


「恋愛ゲームなんてやってると、いつも思いますよ?

『ああこのシナリオ書いてる人、きっと一度も女性と付き合った事ないんだろうな~』って。

今時の女子高生が、教室でのお喋りで、『彼に孕ませて欲しい』なんて、言う訳ないじゃありませんか。

そういうのって、可愛い娘に自分の子供を産ませて、その娘を所有物扱いする思想と変わりませんからね。

あとやたら複数の女の子を周りに侍らそうとするやつ。

それも大抵、皆可愛くてハイスペックなんですよね。

でもそれって、自分に何もないから、せめて高価なアクセサリーで飾ろうという、安易な考えと同じだと思うんですよ。

だから何の努力もなしに、異常なくらい、向こうから寄って来るんです。

現実から目を背け、自分を高めるためには何が必要かを陸に考えもしない人が作ると、そういうゲームばかりになるんです。

ツッコミどころ満載ですよ。

笑えるから良いですけど」


「酷い言われようだけど、それって女子も同じじゃない?

イケメンやお金持ち、有名人ばかりを有難がるゲームや漫画は多いでしょ?

私は漫画を読まないし、ゲームもした事ないけど・・」


「ですね~。

楽して簡単にお金持ちになりたい。

自分の事棚に上げて、相手にばかり高いスペックを要求する。

悲しい事に、世の中そんな考えで溢れてますね~。

だからこそ、先輩みたいな人は貴重なんです。

変に取り入って来ないから、一緒に居ると落ち着くし、中身のない会話で時間を浪費せずに済むから、その場の雰囲気を純粋に楽しめるんですよ」


「それって褒めてるの?

何だか上から目線のように聞こえるけど」


「勿論褒めてます!

済みません。

私の周囲の人と比べてるから、言い方がどうしてもそうなっちゃって・・。

お気を悪くされたのなら、謝ります」


そう言って、学生時代でも滅多に見せなかった不安な表情で、頭を下げてくる。


決して悪い娘じゃないし、大学時代は何度も(しつこい男性から)助けられたから、他意が無いのは理解している。


あまり無下にするのも可哀想なので、笑って答える。


「そこまで気にしてないわ。

・・今日は無理だけど、今度付き合うから」


「本当ですか!?」


「ええ。

皐月先輩に鍛えられたから、これでもそこそこお酒が飲めるようになったのよ?」


「有難うございます!

楽しみに待ってますね」


心底嬉しそうな顔をして、部屋を出て行く彼女。


私も帰る準備をして、電車を乗り継ぎ、もうすっかり常連となってしまった、とあるカフェへと向かう。


まだ誰にも話してないが、大学生になって以来、月に一度はこの店に足を運ぶ。


別にそれ程他と比べて珈琲の味がぬきんでている訳ではないけど、ここにしかないものがある。


窓際の席から見える景色。


ちょうどそこは、私が初めて、たった一度だけ彼と会った場所なのだ。


珈琲とケーキをお供に、私はその席で、数十分程想いを巡らす。


誰とも付き合わない、他の誰にも代えられない相手がいる私は、せめてあの場所を見ながら、様々な空想に耽る。


街中での、大胆に腕を組んだデート。


初夏の海で、散々悩んだ水着を披露する姿。


クリスマスのディナーとその後(ちょっとだけ大人な感じ)。


お正月の初詣で、着物姿で並んで歩く街並みなど。


空想の中の彼は、何時だってあの時と同じ、凛々しくて、優しい笑顔を浮かべている。


時が止まったかのように、二人して、当時のままの姿で微笑んでいる。


時々涙が出るので、もしかしたら、お店の人に何か誤解されてるかもしれない。


ケーキセットで1800円もするので、少しくらい長居しても平気だろうし、落ち着いた店なので、あまり若い人は来ないから、それ程混まない。


今日もまた、いつものようにそうしていると、初めて幻覚に襲われる。


視線を向けているその先に、彼が立っている。


一度深く目を閉じ、残っていた珈琲を飲んでから、恐る恐るまたその場所を見る。


・・彼はまだ、そこに立っていた。


伝票を摑み、会計を済ませると、慌ただしく店を出る。


道行く人にぶつからないよう、逸る心を何とか抑えながら、彼に近付く。


何て声をかけよう?


どんな顔をして彼に会おう?


僅かな時間の間に押し寄せる、思考の大波。


唯々足だけが、心を代弁するかのように動く。


「久し振りだな」


私に気付いた、彼の一言。


それだけで、私は涙を流す以外に、何もできなくなってしまった。



 「仕事は楽しいか?」


人目を避けるように、歩き出した二人。


華やかな通りを抜け、疎らな明かりが灯るビル群まで来ると、彼がそう声をかけてくれる。


「はい。

お陰様で、毎日が本当に充実しています。

・・それから、遅くなって済みません。

頂けた数々のご援助に、心から感謝しています」


やっと泣き止んだ私は、とりあえずハンカチで涙だけを拭いて、そう口にするのが精一杯だった。


メイクの崩れた顔を見せまいと下を向く私に、再度彼が話しかけてくれる。


「実は今日、わざわざ君に会いに来たのは、非常に大切な話があったからだ。

電話やメールでは話せない、決して他者に聞かれてはならない話だ。

これから少し時間が取れるだろうか?

できれば場所を移したいのだが」


暗くなり始めた空を見上げながら、穏やかな声色でそう言ってくれる彼。


その姿をこっそり目尻に捉えながら、私も返事を返す。


「時間なら大丈夫です。

入社と同時に一人暮らしを始めたので、門限はありません」


「こんな事を言うと、多分に誤解されそうだが、ホテルに部屋を取っても良いだろうか?

誓って可笑しな事はしないし、君に触れる事もしない。

ただ途中で邪魔されるのが嫌なだけなのだ。

それでも気になるようなら、少し遠いが、本社の会長室を使う」


無試験での入社と雖も、私も当然、社員研修は受けた。


仮令仕事と雖も、直ぐ側に人の居ない個室で異性と二人きりになる事は、固く禁じられている。


上司の立場でそれを強要すれば、うちのグループは、最悪首が飛びかねない。


けれど勿論、親しい個人同士、仕事を離れた関係でのお付き合いなら話は別だ。


グループ内の恋愛は禁止されていないし、同じ部署で働く者同士が結婚しても、どちらかが辞める必要もない。


私の返答が遅いのを否定と勘違いした彼が、申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。


「気を悪くさせたようで済まない。

やはり会長室を使おう」


「あの、・・実は私の家、ここからそれ程遠くないんです。

家賃をケチらなかったので、防音もしっかりしてます。

もし宜しければ、如何ですか?

掃除もしっかりやっていますので・・」


「だがそれでは、君に迷惑がかかるのではないか?

見られて困る物もあるだろう?」


「迷惑なんて、・・かかりません。

貴方に対して疚しい物など、何一つありませんから」


「ではその言葉に甘えよう。

食事は済ませたのか?」


「まだですが、買い置きがありますし、そんなにお腹も空いてないので・・。

あ、御剣様もお食べになりますか?

それなら何か買って行きますが」


「自分は大丈夫だ。

今日は話さえできればそれで良い」


「分りました。

それではご案内致します」


通りを走るタクシーに手を挙げ、彼を自宅まで案内する。


御剣グループの社長秘書として恥ずかしくないよう、それなりの物件を選んでおいて良かった(彼女は事前に配属先の通知を受けていた)。


まさか彼を自宅に案内できるとは。


10分程で着いた場所は、まだ新しい、5階建ての賃貸マンション。


2DKで月14万円もするけど、今思えば、必要な投資だったと自分を褒める。


鍵を開け、彼を寝室とは別の部屋に通すと、自分は急いで手を洗い、うがいを済ませる。


崩れたメイクを完全に落とし、珈琲とおしぼりを用意して、そこでソファーが1つしかない事に気付く。


キッチンから椅子を運び、彼の対面に置いて、自分はそこに座った。


「お待たせして済みません。

こんな状況ですが、どうかお許し下さい。

それで、お話とは何でしょう?」


「これから自分が話す事は、全て事実であり、そこに嘘偽りはない。

信じられない事もあるだろうが、先ずは自分の話を最後まで聴いて欲しい。

君からの質問には、その後で答える」


「分りました」


「もう直ぐ、皐月は50になる。

うちのグループの社長とその秘書には、ある秘密があってな。

どちらも50歳を境に表舞台から引退し、以後は全く人前に出る事はない」


『先輩がもう直ぐ引退!?』


「勿論、死んだ訳ではないから、間接的になら意思表示が可能であり、必要があれば、それを行使して貰う事もある。

引退した者の後釜には、その娘を当て、基本的にはグループの社長と専属秘書を、数人の同じ人物でローテーションしながら遣り繰りして貰う」


『娘?

先輩は独身のはずでは?

それにローテーションって、まるでずっと生きているみたいな言い方・・』


「皐月が引退した後は、君を有紗の第1秘書にし、彼女が50になるまでの22年間、その傍で頑張って貰う」


『私が先輩の代わりに!?』


「そして君が50歳を迎えた時、今の君は表舞台から姿を消し、新たな存在である君の娘として、次の社長に就任する皐月の第1秘書に就いて貰いたい」


『??

それってどういう意味ですか?

流石に理解できないのですが‥』


「・・君は、自分と再会した時、何も感じなかったのか?

あれから7年近いが、自分は当時と何処か変わっただろうか?」


『!!!

・・空想の中の貴方は、何時だってあの時と同じ、今のお姿。

それが当たり前過ぎて、言われるまで気付かなかった。

何も変わってない。

素敵なお顔、凛々しい表情、そして穏やかで優しい眼差しも・・』


「・・自分は人ではない。

その存在に敢えて名前を付けるなら、『神』という言葉が1番相応しいだろう。

有紗は、複数いる妻の内の一人だ。

皐月も我が眷族として、既に人ではなくなっている。

今の有紗は、前社長である有紗と同一人物。

次に社長として現れるその娘も、今の皐月が本来の姿に戻っただけなのだ。

彼女達は、この世界で疑われる事なく暮らせるように、元の姿から毎回ゆっくり年を取るように見せかけながら、これから何度も交代していく。

そしてその輪の中に、君も入って貰いたい。

精密な記録が残る現代では、ある程度は魔法でごまかすとはいえ、流石に二人だけでは無理がありそうだからな。

勿論、これは強制ではない。

人の枠から外れ、果てしない時間を生きるのは、時に死ぬより辛い事もある。

自分がこれまで君に援助してきたのは、純粋に君の心の美しさに惹かれたからであり、今回の件とは全く関係がない。

だから遠慮や偽りなく答えて欲しい。

この選択は、たった一度きりだ。

断られた場合は、今日自分と会った後の、君の記憶を全て削除し、以後二度と、自分は君の前に現れない。

ただその場合でも、君の仕事や人生には何の不利益も無いから安心してくれ。

・・では、君の問いや答えを聴こう」


『・・今のお話は何?

これを直ぐに信じられる人は、きっと危ない人だと断言できただろう。

そう、彼の言葉でさえなければ。

幸か不幸か、私には、彼の言葉を疑うという事ができない。

お世話になってきたからではない。

あの時瞳に、心に焼き付いてしまった印象が、気持ちが、それを許さない』


何時かの先輩の忠告を思い出すまでもない。


珈琲に手を伸ばしてくれる彼を見ながら、私は一旦気を静め、口に出すべき言葉をじっくり考えてから、声に出した。


「お話から察するに、私も皐月先輩同様、御剣様の眷族にお迎えいただける、そう考えて宜しいのですね?」


「そうだ」


「以前、皐月先輩と食事をした際、彼女は貴方を愛していると仰ってました。

それに先程、御剣様は妻が複数いらっしゃるとも。

それが意味する所は、私でも、ご寵愛を頂ける可能性があるという事ですか?」


「・・君にそういった相手が他に誰も存在せず、尚且つ君が望むなら、自分はそれに応える積りはある」


「本来の姿というのは、御剣様の眷族になった際の姿の事でしょうか?

私の場合、今のこの姿ですか?」


「自分の眷族になると、その者が最も美しい時まで遡るか、それまでは成長し、その姿で固定される。

以後は不老不死となり、共に長い時を彷徨う存在となる」


「・・有難うございました。

それだけを確認できれば十分です。

末永く、宜しくお願い致します」


そう言って、椅子から立ち上がった彼女が、床に正座して、頭を下げてくる。


「それだけで良いのか?

因みに、妻と眷族のどちらを望む?」


「皐月先輩がそうなさったように、私も妻などという、不相応な立場は望みません。

ただお側に置いていただければ、それで十分です。

先輩と二人で、グループを立ち上げられた有紗社長のお力になり、頑張っていきたいです」


「・・そうか、有難う。

だが今後は、ローテーションの都合上、君がグループの社長になる事もある。

その時は、有紗なり皐月が、君の専属秘書になるから気にしないでくれ」


「・・善処致します」


「そんなに畏まらないでくれ。

初めて会った時、君は冬空の中で、トイレを我慢しながら頑張っていた。

できればあの時のように、もっと砕けた感じで接してくれた方が良い」


苦笑しながらそう言ってくれた彼の手には、何時の間にか、銀色に光るリングが握られている。


「立ち上がって、右手を出してくれ」


長年の空想が、現実となる瞬間。


恐る恐る右手を差し出した私の手を取り、彼がその薬指に、リングを嵌めてくれる。


「このリングの詳しい機能については後で説明する。

今はとりあえず、有紗達の下へ行こう。

二人が君を待っている。

・・言い忘れたが、これから宜しくな。

共に長い時を過ごしながら、少しでもこの世界を良くしていこう」


「はい!」


あの日、私は神様に出会った。


誠実に生きる事、自分の信念を曲げない事、自分と他者を無闇に比べない事。


そのどれが私を、彼の下へと導いてくれたのかは分らない。


願わくば、ずっと彼の望む私でいられますように。


ずっとずっと、彼の側に居られますように。

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