第25話

 「・・ミレー?」


その日、偶の外出で市街に出ていた私を、聞き覚えのある声が呼んできた。


声のした方向に顔を向けると、男女の二人組が自分を凝視している。


以前、自分が奴隷に差し出されるまで組んでいた四人パーティー、その内の二人だ。


「・・お久し振りね」


今となっては、彼らの事などもうどうでも良いが、僅かな皮肉を込めて、そう言ってやる。


「・・今、どうしてるんだ?」


剣士だった男の方が、恐る恐るそう尋ねてくる。


「お陰様で、今は最高の暮らしをしているわ。

人生、何がどう転ぶか分らないものね」


「・・まだ奴隷のままよね?」


低レベルの治癒師だった彼女が、申し訳なさそうに聴いてくる。


「いいえ。

素晴らしいご主人様に巡り合えて、買われた後、直ぐに解放されたの」


「じゃあ今は、その人の妻に?」


自分が制約の守りに『貞操』を選んだ事は、彼女達も知っている。


「もしそうだったら、どんなに嬉しい事か。

・・残念ながら、まだ只の部下よ」


「え?

でも解放されたんでしょう?」


「私のご主人様はね、その辺の男共とは違うの。

何の見返りもなく、買ったその場で自由にしてくれたわ」


「!!!」


「じゃあね」


話したい事がある訳ではないから、さっさと立ち去ろうとすると、まだ何か用があるのか、更にこう言ってきた。


「お願い、待って!

・・折角また会えたのだから、何処かで少しお話できないかな?

貴女が怒っているのは当然だし、私達は本当に酷い事を貴女にしたけれど、せめてそれを謝らせて欲しいの。

お願い!」


二人が揃って頭を下げてくる。


往来で人が見ているし、この二人はまだ増しな方だったから、仕方なくそれを受け入れる。


「・・少しくらいなら良いわ」


安心して話せる店を『ミカナ』くらいしか知らない私は、お昼時でもないので、彼らをそこへと連れて行った。



 「いらっしゃい、今日は一人じゃないのね。

・・彼がいないみたいだけど、特別に個室を使わせてあげる」


私やレミー、エマ、それに最近加わったミーナ(屋敷に住む皆は、親愛の情を込めて、互いに呼び捨てにしようという事になった)は、彼女にご主人様の部下と認識されているので(何故かギルド職員のエマまで)、彼に準じた扱いをして貰える。


その代わり、時々、屋敷内でのご主人様の行動を聴かれる。


何を好んで飲食するとか、皆でどんな話をしただとか、新しく連れて来た住人に関する情報などを。


ミザリーさんから、このカナさんもご主人様を狙う同士だと教えられたので、なるべく詳しくお知らせする。


皆で一緒に幸せになろう。


屋敷の住人達と、カナさん、そしてリマさんを含めた私達六人は、とても一人だけでは彼に振り向いて貰えそうにないので、何時しか同盟を組む事になった。


先日の、ミザリーさんのお話が原因で。


何でも、彼女はご主人様の妻のお一人にお会いしたらしい。


人間離れした美しさ、そのスタイル。


強大な魔力と計り知れない能力。


そんな方が、何と六人もいらっしゃるらしい。


しかも、その他にも従者のような方々まで・・。


彼が何処かに行っている間(和也は時々、一人でふらっと数時間程、姿を消す時がある)、屋敷やこの店に顔を出すミザリーさん。


その彼女が、妙にさっぱりした様子で告げたのだ。


『私は、彼の妻の座は狙わない。

それはもう諦めた。

でも絶対に彼の女にはなる。

それだけは、その事だけは決して譲れない』


彼女に何が起きたのかは、私達には正確には分らない。


でも、私達の中でも頭一つはぬきんでた容姿と能力を持つ彼女が、『妻の座はもう諦めた』とまで言ったからには、余程の事があったとしか思えない。


彼女はそれを絶対に教えてはくれないが、暗に、私達にも警告してくれたのだろう。


妾、若しくはそれに準じる立場さえ、決して容易ではないと。


それを聴いたカナさんは、珍しく凄く険しい表情になり、表立っては彼に対する態度こそ変えはしないが、裏では着々と既成事実へ向けての準備を急いでいる。


先ずは外堀を完全に埋めると言っていた。


私達も、今はご主人様に任された各々の仕事を精一杯やり、それでしっかり成果を出して、彼の気を繫ぎ止めておかねばならない。


レミーの作る日々の食事に、ご主人様がお好きだと仰った、料理本のメニューが増えた。


エマが朝、部屋から出て来る時間が少し遅くなった。


毎日より入念に、髪や肌などの手入れをし始めた。


ミーナも勉強だけでなく、レミーから家事や料理を習い、私に魔法の教えを乞うてきた。


リマも到頭、支店の第1号店を、ミレノスに出すそうだ。


ご主人様は、新しい町の闘技場で大量に稼ぐ度、そこで支店用の土地と建物を購入し、荒らされないよう結界を張ってから戻られるらしい。


『もう幾らあるのか考えるのを止めた』


苦笑交じりにそう言っていたミザリーさんは、この頃、新たな闘技場で戦う度に、屋敷の皆に金貨100枚ずつくれる。


一般市民が15年以上かけて稼ぐような額を、毎回お小遣いのように渡してくれる。


エマ以外は皆、奴隷として売られた経験があるだけに、『私達の値段って一体・・』と、微妙な気分になったりもする。


ご主人様に出会うと出会わないとでは、その人生は全く逆になっていた。


同盟の皆がそれをしっかり自覚し、心から感謝しているからこそ、今の私達の団結力がある。


カナさんにお礼を述べ、磨き抜かれたテーブルのある、個室へと入る。


『ミカナ』と言えば、今ではこの町の、押すに押されぬ人気店。


領主のハロルド家でさえ、ご主人様の手前、届けさせずに店までメイドが肉まんを買いに来る。


そんな店のVIP席に案内され、緊張で堅くなる昔の仲間に、ミザリーさんのお陰で懐が異様に暖かい私が、『ご馳走するわ』と口にする。


驚く彼らにメニューを渡し、その注文を終えてから、話を聴き始める。


「先ずは謝罪をさせてくれ。

あの時は、本当に申し訳なかった」


椅子から離れた男が床に膝を着いて土下座すると、もう一人もそれを真似る。


「本当に御免なさい」


「・・もう良いわ。

あなた達の謝罪を受け入れます。

だから、椅子に座って頂戴」


「有難う!」


胸のつかえが降りたような表情で、嬉しそうにそう言ってくる彼ら。


その身体を浄化してやると、椅子に座り直した二人が、ぽつぽつと話始める。


「あの後さ、俺達は直ぐにパーティーを解散した。

自分達が招いた結果が、急に怖くなったんだ。

金貨に目が眩んで、君の人生を許可なく台無しにしてしまったから。

・・君以外のメンバーは、あの戦闘でほとんど役に立たなかった。

俺はこの娘を護るのに精一杯で、君を敵の矢に無防備に晒してしまったし、リーダーも、相手の魔術師に直ぐにやられてしまったしな。

田舎から出て来て、自分達の力も陸に測れなかった俺達。

あのままパーティーを続ければ、金のない俺達は、今度はこの娘を要求されるかもしれない。

そう思うと、もう二度と闘技場で戦う気にはなれなかった」


剣士の男が乾いた笑いを浮かべながらそう口にすると、今度は治癒師の女性が言葉を紡ぐ。


「田舎にも戻れなかった。

もし帰ったら、貴女の母親に必ず聴かれる。

『ミレーはどうしたの?』と。

その時、私には返す言葉がない。

彼女に合わせる顔が無い。

本当に、何て事をしてしまったのだろう。

その後悔で、頭が変になりそうだった」


俯いたまま、絞り出すような声でそう話す。


あの時、強硬に反対した自分に、飽く迄も我を通したリーダー。


この二人も、消極的ではあったが、それに賛成した。


唯一反対した自分が、相手の報酬として奴隷落ちする理不尽。


怒りと悔しさで我を忘れそうになる中、最後に残った理性で、どうにか『貞操』を制約の守りに選べた。


もし今のご主人様に出会えなかったら、私の身に何かあったとしたら、私はこの場で彼らを殺してしまったかもしれない。


実際、それ程の事をされたのだから。


・・でも、あの時奴隷に落ちなければ、私はご主人様と出会えなかっただろう。


もし出会えたとしても、その懐深くには入れなかったに違いない。


そう考えると、彼らの行為の是非はともかく、結果的には大正解だったのだ。


先程私の口から出た許しの言葉の全ては、今の自分の立場にこそ起因している。


「正直、あの時は気が狂いそうなくらい、あなた達を憎み、恨んだ。

あの男の奴隷だった間も、片時もそれを忘れなかった。

闘技場で敵に魔法を放つ時、その時だけは、少しだけ気が晴れた。

自分と同じ様な人を、単に増やしていただけなのにね。

・・でも、そんな私を、今のご主人様が変えてくれた。

彼に出会えた幸運だけで、これまでの経緯全てを、些細な事として受け入れられる。

だから私は今、あなた達を許せる。

それで良いわ」


「・・どうでも良いかもしれないが、リーダーの彼は死んだよ。

解散した後、他のパーティーに入って、そこで魔物に対する盾に使われ、呆気なく命を落とした。

三人で借りていた部屋に、ある日、その仲間だった人がお金を請求しに来た。

彼のせいで失敗した依頼の補償をしろと言ってね。

勿論断ったよ。

お金が無いから一緒に住んでいただけで、俺達はもう彼とは無関係だったからね。

ただ、そのせいでその家には住めなくなった。

何時寝込みを襲われるか分らなかったから。

・・そんな訳で、二人で新しい寝床を探している時、君に再会できたのさ」



 「中に入らないの?」


個室の入り口付近で気配を消していた和也は、料理を運んできたカナに、小声でそう声をかけられる。


妻達の連続予約に応えて、こちらに戻って来て以来、ミザリーの様子が少し変わった。


自分に対して以前のように怒らなくなり、訓練と練習は前にも増して熱心に励むのに、四六時中傍に居るという事はしなくなった。


日に一度、1、2時間くらいは、屋敷やこの店、リマの下に顔を出しているようだ。


毎日一緒に風呂に入りに来るし、相変わらず同じベッドで眠るので、自分に対する彼女の興味を削がれた訳ではないらしい。


今も、彼女は一人で屋敷に行っている。


「極個人的な話のようだから、それが済むまではと思ったのだが・・」


「料理を運び入れるから、ちょうど良いタイミングなんじゃないかしら」


そう言ってカナが戸をノックしたので、仕方なく自分も入る事にする。


「ご主人様、個室をお借りして済みません」


自分の顔を見たミレーが、慌てて立ち上がり、そう謝ってくる。


「構わない。

カナが良いと言うのなら、好きに使うと良い」


ミレーの隣に座った和也を、彼女が二人に紹介し、向こうも其々名乗ってくる。


和也の顔を見た二人は、物凄く緊張していた。


自分達のかたきを討ってくれた和也に感謝すると共に、『黒い悪魔』の異名を取る彼を恐れてもいる。


その彼が、ミレーの主人であった事にも大層驚いていた。


「ミレー達の田舎は何処なのだ?」


彼女達自身の問題は一先ず解決したようなので、当たり障りのない話をする。


「ウロスから徒歩で4日くらいの場所にある村です。

田畑と森、あとは大きな池が幾つかあるくらいで、何もない所ですよ。

だから村の若者は大抵町に出て行き、老いるとまた戻って来て、そこで土に還るのです」


「若者に仕事が無いのか?」


「日常的にある仕事は、日々の糧を得るための、畑仕事か狩りや釣りくらいですからね。

退屈ですし、其々が自分で何かやる事を見つけないと、生活が単調で飽きるのでしょう」


「君はどうやって魔法を学んだのだ?

そちらの女性も、治癒魔法を多少は使えるようだが・・」


「町から戻って老後を過ごす人の中には、極偶に、書物を持ち帰ってくれる方がいるのです。

そういう方が、村で子供達に初級の魔法を教えたり、有料で本を貸し与えて、写本を作らせてくれるので。

尤も、決して安くはないので、学べる子は限られますが」


「ミレーの家は、村の名主なんです。

私は子供の頃から彼女と遊んでいたので、そのお零れに与れたんです」


「現金はどうやって稼いでいるのだ?」


「毎年の収穫で余った分や、簡単な内職で雑貨を作り、それを村に寄った商人に売って、小銭を得ます。

名主の家と雖も、年に金貨5、6枚になれば御の字です」


「村の人口はどれくらいだ?」


「大体八百から千人くらいですね。

その7割は老齢(50から70)です」


「簡単な仕事なら、村に与えてやれるがどうする?

具体的には、その肉まんの具の中に入れる予定の、椎茸を栽培して貰いたい。

今後どんどん支店を増やすので、数は幾らでも欲しい」


和也を除く(彼はいつもの)全員が、必ずどれか1つは注文している、肉まんとあんまんの皿を見ながらそう告げる。


「宜しいのですか!?

なら是非お願い致します!」


和也がする事なので、ミレーは『本当ですか?』とは聞いてこない。


「君達二人は、今何か仕事をしているのか?」


「え、俺達ですか?

・・日雇いや、ギルドの労働系の依頼で、何とか食い繫いでます」


「税金を払えるくらいには、稼いでいるのだな?」


「・・節約を続ければ、何とか」


どうやらこの二人は付き合っているようなので、二人分で年に金貨1枚の税を用意しなければならない。


「足りなければ、好きなだけ注文して良いぞ。

支払いは全て自分が持つ」


二人の前に並べられた皿が空になっているのを見た和也が、そう促す。


「・・済みません」


「有難うございます」


ミレーの手前、遠慮していたのだろう。


和也がカナを呼ぶと、肉まんを4つずつ注文していた。


「食べながら聴いてくれ。

君達も、村に帰って自分の仕事を手伝う気はないか?

椎茸の栽培自体は、主に村の高齢者に任せれば良いが、治安の維持や、病気の治療等にも人手は要る。

こちらでも探しはするが、その一端を君達が担ってくれると有難い。

魔法書も、初級の物なら全種類を村に寄付しよう。

自分の援助と引き換えに、君達二人の給料は、月に銀貨40枚ずつを名主に保障させる」


「!!」


二人が顔を見合わせる。


この二人は、パーティーを解散して以来、各々で月に銀貨40枚以上を稼いだ事がない。


村の実家に戻れば、家賃さえ必要なくなる。


しかも、定期的にその額が保障されるのだ。


「その給料とは別に、君達自身が空き時間に副業をするのは自由だぞ?」


「やらせて下さい」


「お願いします」


二人で頭を下げてくる。


「・・君達は、きちんとミレーに詫びを入れた。

勿論、それで全てが許される訳ではないが、人としての最低ラインは確保した。

もし彼女の身体にまで害が及んでいたなら、自分は決して君達を許しはしなかったが、幸いにもそれは免れた。

ミレー自身が謝罪を受け入れたようなので、自分も君達に手を差し伸べる。

今後の暮らしに、その後悔の念を役立てる事を期待する」


「・・本当に済みませんでした。

これからは二人で、村のために頑張ります」


再度二人が頭を下げる。


「村に帰る前に、何処かに寄る必要があるか?

なければこの後直ぐに出かけるが」


「え、・・借家は引き払ったので、特に寄る場所はないですが、一緒に行っていただけるのですか?

徒歩だと、急いでも3日以上かかりますよ?」


「転移で行くから問題ない。

ほんの一瞬だ」


「・・そうですか」


彼らが、まるで人外の存在でも見るかのように和也を見る。


彼の隣に座るミレーが、『普通はそういう反応をするわよね』とでも言うかのように、苦笑いしている。


食事を終え、漸く『ミカナ』の支店化に漕ぎ着けたカナに、慰労と感謝の意味を込めて、金貨100枚入りの布袋を渡す。


「二人の店なんだから、もうこんな事しなくても良いのに。

・・でも、有難う」


そう言って、個室の出入り口で抱き締めてくる。


もしミザリーがこの場に居たら、『到頭身体まで使って攻めてきたわね』とでも思うだろう。


それくらい、和也の腹に、その大きな胸を押し付けていた。



 ミレーの記憶を基に転移した村は、確かに長閑な場所だった。


水に恵まれているせいで、水田が多い。


その田畑に囲まれるようにして、250戸程の集落がある。


見張りのいない門の前に転移した和也達は、ミレーの案内で、彼女の家に赴く。


確かに他よりは立派だが、都市では粗末な部類に入る家の前で、連れて来た二人と一旦別れる。


彼女が戸を叩き、声をかけると、直ぐに女性が一人出て来る。


「お母さん、ただいま」


「お帰りミレー。

・・突然帰って来たりして、一体どうしたんだい?

そちらの方は?」


「とりあえず中に入れて。

大事な話があるから」


「ああ、御免ね。

どうぞお入り下さい」


和也を見て、何処かの貴族とでも思ったのか、丁寧にそう言ってくる。


「失礼する」


居間のような部屋に通され、椅子に座って待っていると、先程の女性がお茶を運んで来る。


おしぼりはないようなので、和也が部屋全体を浄化すると、それ程汚れていない部屋でも、見違えるように奇麗になる。


「・・有難うございます」


彼女が目を丸くして、びっくりしている。


「済みません」


ミレーが何かを恥じるように、小声でそう言ってくる。


大方、気の利かない母だとでも思っているのだろう。


「お父さんは?」


「今は畑に出てる。

・・ところで、こちらの方はどなた?」


「この方は御剣和也さん。

私のご主人様で、この村に投資をしにいらして下さいました」


「ご主人様!?

・・あなた、何時の間に結婚したの?」


まさか自分の娘が奴隷に落ちていたなんて考えもしない彼女は、そう言ってから、まじまじと和也を見てくる。


「自分はミレーの夫ではなく、上司だ。

彼女は今、自分の屋敷で薬学に励んでいる。

とても優秀で、よく働いてくれて非常に助かっている」


「あら、そうだったのですか。

でもあなた、村の子とパーティーを組んで、冒険者の真似事をすると言ってなかった?」


ミレーの方を向いて、不思議そうに尋ねてくる。


「お互いに向いていなかったのよ。

ウロスの町に着いて、一度仕事をした後、直ぐに解散したわ」


連れて来た二人の為にも、ミレーの奴隷落ちの件は隠す事にしてある。


リーダーだった男の死は、家族の手前、ほぼ事実を伝えるという事も。


ここへ転移する前に、その男はミレーに告白して振られたという事実も、彼女の口から判明している。


彼女を強引に賭けの商品にしたのは、その腹癒せのようであった。


他の二人はそれを知らず、聴かされて酷く驚いていたが。


「でしょうねえ。

あなたが冒険者なんて、絶対に続かないと思っていたわ。

魔法は優秀だけど、どちらかというと出不精だし、奇麗好きだから、野宿なんて嫌でしょう?

陸に畑にも出ないで、本ばかり読んでいたものね。

肉体労働なんて、あなたには無理よ」


和也の前で、遠慮なく自分の過去を話す母親に、怒りの籠った目を向けるミレー。


「そこまで言う必要ないでしょ。

お母さんだって、掃除が苦手じゃない。

ご飯も時々手を抜くし」


「私は忙しいのよ。

お父さんは畑仕事ばかりで、村の事務処理を私に丸投げするし。

・・あなたも早く良い人を見つけて、私に楽させて頂戴よ」


「お母さん!」


「・・取り込み中済まないが、こちらの話を進めても良いだろうか?」


「済みません!

もう、お母さんのせいだからね!

ご主人様は、この村にとって、非常に良いお話を持ってきて下さったのよ?」


「先程の、投資とかいうお話ですか?

こう言っては何ですが、こんな村に、それ程の価値が?」


自分達が名主をしている村なのに、随分と遠慮が無い。


まあ、ある意味客観的ではあるのだが。


「自分が投資をするのは、この村に魅力があるからではない。

飽く迄も、ミレーの故郷だからに過ぎない」


「まあ、・・もしかして、この娘に気がお有りなんですか?

お気に召したなら、どうぞご遠慮なく・・」


「・・いや、彼女を高く評価しているが、娶ろうとまでは考えていない」


「・・何なら、お妾さんでも良いですよ?

貴方のような方なら、うちは大歓迎です」


「彼女は一人娘なのだろう?

それでは後継ぎがいなくなるではないか。

それに、実の娘の前で、妾発言は親としてどうなのだろう?」


「こんな村の名主なんて、それ程必死になって守るような地位ではありませんよ。

それに、私達は娘が幸せであればそれで良い。

平民には、体裁よりも暮らしの方がずっと大事です」


「・・何れにせよ、誰とどう生きるかを選ぶのは彼女だ。

自分は貴女に、彼女を大切に扱うとしか約束できない」


「・・誠実な方のようで安心しました。

お話を戻させていただきますが、どんな投資をして下さるのですか?」


「飲食店で扱う料理の具材として、椎茸の栽培を頼みたい。

かなり大量に必要になるから、村の何割かには、仕事を斡旋できるだろう。

この村は水が豊富で、森の空気は程良く湿り気を帯びている。

周囲にクヌギの木が沢山生えているのも好都合だ。

施設やタネコマ(しいたけ菌)、初期で使用するホダ木(椎茸の原木)は、全てこちらで用意する。

育成方法や作業手順についても、素人でも分る資料をお渡しする。

初期費用は徴収しないし、収穫した椎茸は、それが食用になる限り、全て、毎年一定の値段で買い取る」


「・・そこまでしていただけるのですね。

概算で結構ですが、村の収入は年間でどの程度になりますか?」


「そちらが提供してくれる敷地や人員次第だが、最初の2、3年は、こちらの支店数の都合もあり、大体金貨30枚くらいだろう。

ただ、10年を目途に、この国の全都市に支店を構える予定でいるから、そちらがこちらの需要を全て満たせれば、年に金貨200枚にはなる」


「!!!

・・是非やらせて下さい。

敷地も人材も、可能な限りご提供致します」


「助かる。

それから、ここに来る時連れて来た二人、その彼らには、椎茸栽培とは別の仕事を任せるので、その分の給料、月額銀貨40枚ずつを、彼らに支払って欲しい。

栽培が完全に軌道に乗るまでの10年間は、その給料は自分が払う。

だが、その後は村の利益の中から遣り繰りしてくれ。

この村の感覚では高額に思えるだろうが、彼らには、村の治安や医療を担って貰う。

そのための訓練や勉強はきちんとさせるので、納得して貰いたい」


「分りました」


その二人って誰?


そう思っている母親に、ミレーが説明している。


その後、当初の敷地(ホダ場)を何処にするか、商品の受け渡しはどうするか等を話し合った後、提供された土地に、魔法で伏せ込み(タネコマを打ち込んだホダ木を約1年半寝かせておくこと)用の管理施設を建て、村の裏手の、間伐を施して風通しをよくした広葉樹の森に、約5万本のホダ木を組む。


人や獣に荒らされないよう、村の管理者達だけが通れる結界を張って、春と秋の年2回の収穫に備えた。


その一連の作業中、途中から合流したミレーの父親や村人数人は、和也の規格外の魔法に目を白黒させ、この方には絶対に逆らわないと心に決めていたという。


ウロスに戻る前、ミレーが自分の部屋に寄りたいと言ってきた。


『一緒に来て下さいませんか』、そう言われ、後を付いて行く和也。


8畳くらいの部屋には、机と本棚、ベッドにクローゼットくらいしかない。


和也が本棚の中身を見ていると、部屋の戸をそっと閉めたミレーが、静かに近付いて来る。


「ご主人様、お礼がしたいです」


振り向いた和也の唇に、彼女が自身のそれを、ゆっくりと合わせてくる。


「いきなり済みません。

・・でも、これはお礼ですから。

エマにもされましたよね?」


暫くして、目を逸らせながら離れた彼女が、言い訳のようにそう告げてくる。


「自分に対してそんなに気を遣う必要はないぞ。

このような事は、本来は愛する相手とするものだ」


机の上に、約束した魔法の初級書を全種類重ねると、顔を赤くしたミレーの頭を無骨に撫で、部屋を出る和也。


彼女の母親に魔法書の件を話し、二人だけで屋敷に転移する頃には、既に夕暮れの空模様へと変化していた。


「私、これからも頑張りますから」


別れ際、ミレーが穏やかにそう告げてくる。


「期待している」


満足そうに頷いて転移する和也を見送りながら、『そちらではないのですが』、そう思う彼女であった。



 「元気そうで何より」


エターナルラバーのエスタリア大陸、そのとある場所に、今彼女達は住んでいる。


和也がそこを訪れた時、二人は湯上りの肌を冷ましている最中で、下着姿のままであった。


「御剣様!」


和也に気付いたユイとユエが、嬉しそうに抱き付いてくる。


和也の下での、約10年に及ぶ働きを経て、彼女達は晴れて自由の身になった。


嘗て彼女達が夢見た、二人だけの生活を与えようと、以後は係る事を止めようとした和也に、彼女達は泣いて縋り付いてきた。


『これからもずっとお仕えさせて下さい』、『せめて一度だけでも、私達の想いに応えて欲しいです』、そう泣かれて、困り果てた。


『君達にはお互いの相手がいるではないか。

異性に興味のない君達の、今のその気持ちは、単なる親愛の情であって、伴侶に向けるような愛情ではないだろう』


そう説得したが、聞き入れては貰えなかった。


10年。


その間、自分の為に厳しい訓練に耐え、その後は本当によく働いてくれた彼女達。


この二人に救われた者の数は、1000や2000ではない。


『契約終了後は、二人だけの時間を持てる』


二人の当初の夢のため、こちらから関りを断とうとしたのに、逆に酷く悲しまれた。


『どうしても・・』


そう懇願してくる彼女達に、無責任な関係を持たない事を旨とする和也は、己の眷族になる事を条件に、その想いを受け入れた。


『二人で一緒に・・』


異性を受け入れるのは初めてであった彼女達は、その時そう口にして、以後は行為に及ぶ度に、必ず三人で事に当たる。


彼女達にとっては、それが1番幸せな形のようであった。


眷族化の際、その容姿はその者が最も美しい時まで遡る。


若返りを果たした彼女達は、元の大陸から離れて、このエスタリア大陸で、表向きは冒険者として活動しながら、相変わらず女性や女性のみのパーティーを助け、時々スノーマリーに遊びに行く。


マリーという、自分達の師匠でもある和也の妻に、初めて事の報告に行った際には、恐怖で全身が震えたと言っていた。


あの時は必死で陸に考えもしなかったが、冷静になると、やはり彼女に対して申し訳ないという気持ちが沸き起こり、それでも筋を通すため、二人で彼女の下に出向いたそうだ。


報告を聴いたマリーは、彼女らの意に反して微笑んだという。


『これからも宜しくお願いします』


そう述べて、眼前で深く頭を下げ続ける二人を認めた。


その時以来、この三人は偶に会っている。


何処かに一緒に出かけたり、食事を共に楽しんだりしながら、その長い生を過ごす術を探している。


己を律する事に真面目なマリーは、女王夫妻とエレナ、和也の妻達を除けば、親しいと言える相手がいなかった。


ユイとユエの二人が、そんな彼女を慕ってくれる事を、和也自身もとても喜んでいた。


「今、少し時間を貰えるか?」


「勿論です。

どうぞこちらへ」


ユイがテーブルの上を片付け、ユエがお茶を淹れ始める。


「あまり気を遣わないでくれ。

話をしたら、直ぐ帰る」


「駄目です。

折角お越しいただいたのですから、少しは寛いでいかれて下さい」


片付け終わったユイが、和也の好きな和菓子を出す。


マリーの所に遊びに行った際、彼女が有紗から贈られた品を、少し分けて貰ったようだ(有紗は、妻達に菓子を贈る際は、その全ての種類を一箱丸々送る)。


「ほう、『○和』のあんこ玉だな。

久し振りだ」


代わりに和也は、収納スペースから『アン○ェリーナ』のモンブランを二人に出してやる。


「有難うございます!」


「今日ここに来たのは、お前達に頼みがあったからだ。

4、5年の間、週に3、4回、各1、2時間で良いから、ある世界で男女二人を鍛えてやって欲しい。

まだ素人同然なのだが、彼らには、せめて人並に戦えるくらいの実力をつけて欲しいのだ。

その村は呑気で、外敵に対する備えが足りない。

だから、彼らにその守備の一端を担わせる。

男は剣士で、女は低レベルの治癒師だ。

女の方は、魔法を教えるだけで良い。

男も徹底的に剣を鍛えてくれ。

お前達のように、剣と魔法、そのどちらも使えるようにする必要はない。

恐らく、そこまでは無理だからな」


「それは構いませんが、御剣様はその世界で、一体何をなさっているのですか?」


ユイがそう尋ねてくる。


「『ざまあ系』の実践と観察だ」


「?

よく分りませんが、何かの実験をなさっているのですね?」


ユエが確認してくる。


「そうだ。

平たく言うと、いじめに遭ったり蔑まれていた者が、その立場が逆転した時、己がされた事を繰り返すのかどうかを観ている」


「・・何故そのような事を?」


「趣味の延長だからだな」


彼女達二人が顔を見合わせる。


「男性も指導するからには、少しくらい、ご褒美を頂いても宜しいですか?」


「何が欲しい?」


「・・予約権を」


「時々思うのだが、自分の妻や眷族の女性達には、他に楽しみがないのであろうか?

もっとこう、夢のあるものを要求されたいが・・」


「それ以外の事なら、大概は自分達で叶えられるのです。

だから、私達はあなたの腕の中で夢を見たい」


「ユエは上手い事を言うね」


「・・・。

妻達の手前、規定分以外でそう多くは与えてやれないので、1年で各1回分、5年として各5回分で良いだろうか?」


「十分です。

有難うございます。

マリーさんに教えていただいた甲斐がありました」


「?

あいつは何と言っていた?」


「『攻めなさい。

攻め続ければ、やがて必ず向こうから折れて下さいます』と」


「・・・」


「しっかり鍛えますので、ご褒美、宜しくお願いしますね?」


嬉しそうに笑う二人に、それ以上何も言えない和也は、あんこ玉を口に入れ、その甘さで現実逃避に走るのであった。

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