第17話
(話は昨日に遡る)
「貴女がサリーさんの姉ですか?」
自室に居たコリーは、突然そう声をかけられて、飛び上がらんばかりに驚いた。
「誰ですか!?
何処に居るのです!?」
その声に反応するかのように、部屋の中に、一人の若い女性が現れる。
長身で、赤い髪と真紅の瞳を持つ、とても美しい女性(異世界の人間と接するため、翼は体内に隠している)。
この国の王妃の一人である自分でさえ、年齢を別にしても、彼女と並ぶと明らかに見劣りしてしまう。
その美貌と知恵で第4夫人の地位を手に入れ、待望の男子まで授かった自分の眼から見ても、彼女の人間離れした美しさは異常に映る。
もし社交界にでも出たら、きっと身動きできない程多くの男性達から、その周囲を囲まれてしまうだろう。
「私はルビー。
ご主人様の命を受け、貴女と息子さんの護衛をしに来ました。
これがその件についての、サリーさんからの手紙です」
そう言って、彼女が一通の手紙を差し出してくる。
恐る恐る受け取って、裏の蜜蝋に押された印を確かめる。
妹のものである事に安堵し、その場で封を切り、中身を読むコリー。
そこには、自分達の身を案じて、彼女が最も信頼する護衛を送ってくれた事、その期限、護衛の方法等が、確かに妹の筆跡で書かれている。
ただ最後の文面、『決してその者を粗雑に扱わないこと。相手が多少礼を欠いても、目くじらを立てずに大目に見て下さい。下手に怒らせると、死にますよ』が気になる。
読み終えて、もう一度じっくりその女性を見る。
そう言われると、美しいだけではない、何か得体の知れない雰囲気を感じる。
聡明な妹がそう言うのならと、納得するコリー。
陶器でできたごみ箱の上でその手紙を燃やし、改めて彼女に話しかける。
「委細承知しました。
私の名はコリー。
息子の名はロダン。
どうか宜しくお願いします」
そう告げた彼女が、呼び鈴を鳴らす。
「お呼びでしょうか?」
「息子を連れて来て。
それと、お茶の用意も」
「畏まりました」
直ぐにやって来たメイドにそう告げると、ルビーに椅子を勧め、自身も腰を下ろす。
メイドは一瞬ちらりとルビーを見るが、何時の間に、何故そこにいるのかという疑問は表に出さない。
流石に王家に仕えるだけあって、よく訓練されている。
暫くすると、扉がノックされ、少年が一人、部屋に入って来る。
「母様、お待たせ致しました」
その後ろから、先程のメイドが紅茶とお菓子を運んでくる。
皆が席に着き、お茶が配られた所で、視線でメイドが退出した事を確認したコリーが口を開く。
「先ずはロダン、彼女にご挨拶を。
彼女の名はルビー。
サリーが私達の護衛にと、わざわざウロスから派遣してくれた方です」
少年が徐に立ち上がって、挨拶と共に腰を曲げてくる。
「初めまして。
私の名はロダン。
王位継承権第3位の、この国の第2王子です」
「初めまして。
私はルビー。
次期国王が正式に決定されるまで、あなた方二人の身を護るよう、ご主人様から命を受けております。
普段は姿を隠し、必要な時だけ表に出てきます。
それと、もし私が食事中にどちらかの肩をそっと摑んだら、とりあえず食べるのを止めて下さい。
どれに毒が入っているかは、その後分るように教えます」
彼女が椅子に座ったまま、そう答える。
和也の眷族たるルビーにとって、敬意を向け、尊厳を崇める存在は唯の一人だけ。
その妻達や仲間にも、それに近い敬意は払うが、絶対的な存在は和也しかいない。
増してやそれ以外の者達など、丁寧語を使って貰えるだけ増しなのだ。
母親が何の反応も示さないので、少年もそれを気に掛けない。
この辺りが、この少年が優秀だと評価される所以でもある。
第1王子なら、自分は立ち上がらなくても、相手がそうすれば間違いなく怒り出す。
「姿を隠すとは、どういう意味ですか?
何処かに控えているのなら、食事中など咄嗟の時に、間に合わないでしょうし・・」
少年の問いに、彼女は実演で答えを返す。
「こういう意味です」
椅子に座っているルビーの姿が、二人に見えなくなる。
「え!?」
また直ぐに、姿を現す彼女。
「理解できました?」
「・・失礼ですが、貴女は人間ではないのですか?」
「ええ。
でもそれが、今回の仕事に何か関係しまして?」
ルビーが妖艶に笑う。
「・・いえ、何も」
「ですから私には、食事も、休む場所さえ必要ありません。
転移も遠視も、透視すら可能ですから、あなた方が何処に居ようと、完全に護って差し上げます。
あなた方が、ご主人様のご不興を買わない限りは・・」
「・・そのご主人様とは、御剣和也さんの事ですか?」
それまで黙って聴いていた、コリーが口を挿む。
「その通りです。
唯一にして至高、絶対にして完全。
それが私のご主人様、御剣和也様。
あなた方は非常に運が良い。
あのお方に支持されている内は、何が起きても心配いりません」
自分の主をそう語る彼女の、自信に溢れた言葉。
それを聴き、この所の周囲の不穏な動きに不安を募らせていた二人は、安堵の溜息を漏らす。
「改めて、どうか宜しくお願いします。
私はともかく、息子の命だけは、何があっても守ってあげたいのです」
「ご主人様は、物語においては常にハッピーエンドを好まれます。
彼ご自身が関わった以上、以後のこの国の物語に、仮令1ページとして、あなた方が不幸になる展開は訪れない。
母親が、息子の幸せのために命を落とす。
それはそれで美しい筋書きではありますが、それでは後に残された息子に対して、その成長は促しても、心に負い目を残す事になる。
だから私は、ご主人様のために、必ずあなた方二人を護る。
安心して下さい」
ルビーにそう微笑まれた二人は、今度こそ本当に、心から笑えるのだった。
「呼んでるわよ」
ギルドに顔を出した和也を呼び寄せるように、エマが小さく手招きしている。
それに逸早く気付いたミザリーが、肘で軽く小突くようにして、和也に知らせる。
「何か用事か?」
馴染みの彼女に微笑みかける和也の前に、エマがまた1枚のメモを差し出してくる。
「後で目を通して下さい」
「・・君は今日の休憩時間、何か予定が入っているか?」
「え?
・・いえ、特には」
「ならその時間に、共に食事でもしないか?
お勧めの店があるから、そこで好きな物をご馳走しよう」
「・・良いんですか?」
「勿論」
「では是非!
14時から休憩なので・・」
「分った。
その時間に、ギルドの前で待っている」
「はい!」
嬉しそうに、小声でそう答えるエマに、メモの礼を述べ、一度外に出る和也達。
因みに、和也が少しくらい受付と仲良く話していても、ギルドにたむろしている連中は、もう何も言ってこないし、ミザリーに対して露骨な視線を向けようともしない。
この町の闘技場における、和也達の二度目の指定戦、観戦した者達からは『黒い悪魔の降臨』と呼ばれるその試合で、彼らの和也に対する見方が完全に逆転してしまった。
中には全財産を相手に賭けて大損した者もいるが、最早その不満さえ口には出せない。
常に六人居るこのギルドの受付嬢の中でも、エマは1、2を争う人気者だが、今まで誰も、私的に彼女を誘う事には成功しなかった。
そんな彼女が、和也に対して積極的にアプローチを仕掛けても、悔しがるのは出遅れた他の受付嬢だけであった。
「少し予定が変わったから、時間潰しに迷宮にでも行くか」
「良いけど、14時だとあと4時間くらいしかないわよ?」
和也から懐中時計を渡されているミザリーは、リングからそれを取り出し、時間を確認する。
「そんなに時間はかからない。
寧ろ直ぐに終わりそうだ」
何処か遠くを見ているような彼の視線。
その眼差しが通常のものに戻ると、路地裏に彼女を連れ込み、何処かへ転移する。
「今度は何処なの?」
現場に着くと、ミザリーが不思議そうにそう尋ねてくる。
彼女が見慣れた森とは、大分その植生が異なる。
それに、今までとは異なり、それ程人目を憚るような場所ではない。
森の中ではあるが、注意して探せば、誰でも見つけられそうな位置にある。
「隣国の外れにある森だな。
ここを造った者は、どうやら性格がひねくれていたらしい」
「何で?」
「中には全く魔物がいないが、その分数多くの仕掛けがある。
自分の知恵と技術を、後世の者に示したかったのだろう」
『でもそれだけじゃ、別に他の人と変わらないのでは?』
そう思いつつ、和也に付いて行くミザリー。
入り口をこじ開けて中に入ると、そんな思いは何処かに吹き飛んでしまう。
10m進んだ辺りから、嫌な罠が出るわ出るわ。
突然横から飛んでくる毒矢。
知らずに歩けば落ちる落とし穴。
その下には、まるで剣山のように、槍が突き立ててある。
前方から転がって来る巨石。
隠し扉に気付かないと、同じ場所をただぐるぐる回るだけの通路。
しかも足元は、何かの苔なのか、やたらに滑って満足に歩けない。
床を踏み抜くと、天井からごっそり落ちて来る、汚泥のような異臭物(汚物ではない)。
それを奇麗に落とさず次の部屋に入り、壁に束ねてある小枝に、松明用かと考えて火をつけようものなら、一瞬にして身体が燃え上がる。
最後の部屋の手前にある貯水池で、手や身体を奇麗にしようとすると、強酸水に肉を溶かされる。
その場で事前に、和也から1つ1つ罠の解説を受け、それらの被害を全く受ける事なく(全て和也が潰して回った)最後の部屋まで辿り着いたミザリー。
その彼女でさえ、制作者の執拗な罠にはうんざりしていた。
迷宮の1番奥、その最後の部屋には大きな宝箱が1つだけ。
もしここまで辿り着けた者がいたなら、さぞやその中身に期待した事だろう。
「開けてみろ。
大丈夫だ、これには何の罠もない」
和也にそう言われ、恐る恐る中を覗くと、そこには只の紙切れが1枚。
『ハズレ』
そう書いてある紙を握り締めたミザリーが、徐に身を起こし、思い切り宝箱を蹴飛ばしている。
「信じられない!」
「そう怒るな。
こいつの知恵が回る所は、正にこういう所なのだ。
腹を立ててここで帰れば、本当に無駄足なのだが・・」
和也はそう言うと、行き止まりの壁を魔法で壊し始める。
すると、3m程先に、僅かな空間が生まれる。
そこでは、今や白骨と化した迷宮の製作者が、小さな宝箱を抱えていた。
「こんな所に・・」
ミザリーがそう呟く先で、和也が室内を浄化し、死体が抱えた箱を魔法で開ける。
「・・古王国金貨みたいね。
それもたったの300枚くらい」
「この迷宮を造るのに、相当の金が掛かっただろうしな。
・・彼にとっての財産は、この金貨ではなく、己の知恵を集めた、ここの迷宮自体なのだ」
「ならもっと楽しい場所にすれば良かったのにね。
人を殺すためだけの場所なんて、誰にも褒められないわよ、きっと」
「そうだな。
これは迷惑料として貰っておこう」
浄化した金貨全てを、魔法で収納スペースへと移し、彼女の腰を抱き、外へと転移する和也。
それから、人が入って死ぬ事のないように、迷宮自体を崩して埋める。
気分的にさっぱりしたかった二人は、一度テントに戻って共に風呂に浸かり、淹れたての珈琲を飲んでから、エマを迎えに行くのであった。
「お待たせ致しました」
時間通りに迎えに行くと、それを待っていたかのように、エマが出てくる。
立場上、仕事先の前でずっと立っているのは憚られたのだろう。
彼女を連れ、三人でいつもの店に行く。
個室で注文を済まし、彼女から渡されたメモの内容について話を始める。
「アンザス家所縁の者が、ミレノスで自分達の事を探しているとか?」
「はい。
先日情報を仕入れた男の仲間が、昨日偶々こちらの闘技場に顔を見せておりまして、その彼が言うには、アンザス家所縁の商人が、どうやらあなた方に再戦を望んでいるようです」
「商人?
金貸しではなく?」
「はい。
あの男はもうそのような余力はありません。
本家の資産を大分減らした事で、かなり絞られたようです。
そのパーティーも解散されました。
元々彼らは奴隷ではなく、本家の護衛や部下達なので」
「向こうでは、自分達の噂はこの町ほどではないのだろうか?
もうここでは賭けが成り立たないだろうと言われたが」
「前回の戦いが奇麗で素速いものでしたから、それ程の衝撃にはならなかったようですね。
負けた方も、偶々運が悪かったくらいにしか思われていないそうです。
それに、あの試合は運営が急ぎ過ぎた結果、賭けに参加できた市民も少なかったですから」
「ミレノスは、ここから馬車で4日くらいの場所だろう?
もう自分達の情報が届いていても良さそうなものだが・・」
「犯罪者や国の特別手配のものとは違って、闘技場での情報は、ギルドが関与しない分、そう簡単には広まりません。
商人や冒険者などの特別な存在を除けば、市民が町の外、しかも馬車で何日もかかるような場所まで足を運ぶのは希です。
ですから自ずと社会が閉鎖的になり、情報も外に流れ難くなります」
「では何故、君が協力(有料)を得ている彼らは、そんなに情報を摑むのが早いのだ?」
スープパスタを呑気に啜り、そう尋ねる和也。
同じく子羊のチーズカツレツを頬張るエマが、それを呑み込んでから答える。
「彼らは、それが半分仕事だからですよ。
冒険者として2つの町を行き来しながら、着いた町の闘技場で賭け事をする。
その際、次の勝負で参考になるよう、そこで色々と情報を得てきます。
そしてそれを、只では人に教えない。
当然ですよね。
情報が広がれば、それに乗ってみようとする人が増え、その分だけ自分達が大穴を当てた際の儲けが減りますから。
私が最初に銀貨1枚で彼らから情報を得られたのは、彼らにも、多少美味しい思いをさせてあげたからです。
ギルドに入ったばかりの、割の良い護衛依頼を、掲示板に張り出す前に教えてあげたのです。
・・内緒ですよ?」
苦笑いしながらそう話すエマに、カルボナーラを上品に食べていたミザリーが、口を拭いてから問いかける。
「なら今回も、結構な情報料を取られたんじゃないの?」
「・・金貨1枚払いました。
高かったですが、今の私なら払える額ですから」
「・・君は以前、新しい家を探すと言っていたが、もうそれは済んだのか?」
パスタのスープを飲んでいた和也が、ナプキンで口を拭き、そう尋ねる。
「・・いえ、まだです。
『あれ、私、そんな事彼に教えたかな?』
なるべく職場に近い方が良いのですが、そうすると、部屋が狭い割に料金が高くて・・。
もうお金に不安はありませんが、できるだけ節約してますから」
「他の女性達との共同生活は嫌かな?
勿論部屋は別々だ。
それに、掃除洗濯、賄いまで付いている。
家賃、食費は只。
場所は郊外にあるが、秘密の移動手段で、市街とその家までは、ほぼ時間差なく、何度でも移動できる」
「そんな家、本当にあるのですか?
家賃が只って、それじゃ経営が成り立たないじゃないですか」
和也が冗談を言っているのだと思ったエマは、笑いながら、そう口にする。
「自分が所有している屋敷だから、家賃など要らない。
君さえ良ければ、これまでのお礼も兼ねて、そこに部屋を与えよう。
途中で立ち退けなんて言わないから、ずっと住んで良いぞ?
君が何時か、生涯を共にしたいと願う相手を見つけるまで、いつまでも住んで良い」
和也の表情から、今の言葉が真実だと理解した彼女は、表情を引き締め、静かに聴いてくる。
「どうして私にそこまでしてくれるのですか?」
「君と同じだ」
「・・本当に?」
『いや、それは違うから。
絶対に何か勘違いしてるから。
彼はただ、貴女の厚意に、厚意で返しているだけよ?』
ミザリーが、微妙な表情でエマを見る。
「ああ。
自分は人の厚意には、厚意で返す事にしている(初恋で盲目になっているエマには、『好意』には『好意』で返すと聴こえている)」
「・・嬉しい。
仮令何人いても良いから、ずっと可愛がって下さいね」
生まれや育ちで他者に劣ると自覚しているエマは、自分が和也の妻の中に加われるとは、元から考えていない。
数多くいるであろう、彼の妾の一人になれるだけでも、彼女にはとても幸せな事なのだ。
屋敷で共同生活する事になる女性達も、彼女の認識では、自分と同じ存在だと思われている。
「?
大丈夫だ。
月に1、2回は顔を見せる。
生活費も、毎月きちんと担当者に渡しておくから」
『薄々感じていたけど、あなた、やっぱり馬鹿なんじゃない?
ここで、この場面で、どうしてそう答えるの!?
何でもできて、何でも知ってそうだけど、こういう面だけは、あなたって、本当に馬鹿だわ!』
ミザリーが、今度は呆れて和也を眺めている。
そんな女性達の内心を余所に、まだ食べ足りない和也は、スープパスタの御代わりを頼むのだった。
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