第15話
「私には、息子が一人います。
ただ、生まれつき身体が弱く、今は元気に外で遊ぶ事さえできません。
治癒師の魔法や市販の薬でも効果がなく、食欲不振や頭痛、嘔吐を繰り返しては、年々身体が弱ってきています」
改めて、きちんと話を聴いて貰える事になったサリーは、供の二人に休憩を与えて下がらせ、メイドにお茶を運ばせる。
紅茶の葉が開く頃、手ずからそれを上品に皆のカップに注ぎ、また話し始める。
「私の夫は、壮年になってやっとできた子供に、最初は大きな期待を寄せ、幼い頃から様々な習い事をさせてきましたが、その何れにも大して優れた才能を発揮できなかった息子の前で、次第に溜息を吐く事が増えました。
息子に対する愛情は人一倍あったものの、町を治める大貴族として、何か1つでも良いから、民に誇れるものが、息子の中に欲しかったのでしょう。
・・その頃からです。
元々身体はあまり丈夫ではありませんでしたが、6歳を前にして急に顔色が悪くなり、あまり食べもしないのに、何度も繰り返し吐くようになりました。
口臭がするのを嫌がり、人前にも出なくなって、部屋に引籠るようになると益々症状が酷くなり、窶れていく息子の姿を前に、夫はそこで初めて、己の身勝手さを恥じました」
話し疲れたのか、それとも気分を落ち着けようとしているのか、彼女がそこで紅茶を一口飲む。
「後悔した夫は、高名な治癒師を招いたり、評判の高い薬師を探したりして、何とか息子の病を治そうとしました。
でもその何れもほとんど効果が出ないまま、時間だけが無駄に過ぎていたある時、その内の一人である薬師が、夫に言ったのです。
『どうやらご子息には、内臓に重い疾患があるようですな。口臭がきついのは、内臓が腐りかけている証拠。強力な解毒剤が必要です』と。
そしてそれを作るためには、より強い毒性も持つ生き物の、肝臓を煎じる必要があるとも。
・・正直、半信半疑ではありましたが、結局夫はそれに賭ける事にしました。
ギルドを通して情報を集め、この町とミレノスのちょうど中間くらいの険しい山の中腹に、毒を吐く竜が居る事を突き止めました。
夫は両方の町のギルドに依頼を出し、私が止めるのも聴かずに、自らも討伐に向かいました。
・・恐らく、自分を責めていたのだと思います。
息子があんな状態になったのは、自分が夢を見過ぎたせい。
自己の理想を押し付け過ぎたが故に、産まれた時は唯それだけで嬉しかった息子が、こんな姿で苦しんでいる。
真面目な人でしたから、その分、思い詰めてしまったのでしょうね」
彼女が再度、紅茶に口を付ける。
お飲みになりません?
良い香りですよ?
まるで毒など入ってはおりませんよと告げるかの如く、和也達に視線を向けて微笑みながら、もう一度口を付ける。
「確かに良い味だ。
ファーストフラッシュとは贅沢な」
和也が一口含んでからそう言うと、再度嬉しそうに微笑む。
「やはり、お分りになるのですね。
何処かの貴族のご出身なのかしら?」
「いや、つい最近までは(和也の感覚で)、身寄りのない、只の引籠りだった」
「まあ、ご冗談ばかり・・」
何だか二人の間に親密な空気が漂い始めた気がして、ミザリーが割って入る。
「本当に美味しいです」
そんな彼女にも、サリーは意味ありげな顔を向ける。
『大丈夫。貴女から取ったりなんかしないわ』
まるでそう言っているかのような表情。
ばつが悪そうに、ミザリーが下を向く。
「貴女の父親である彼には、本当に申し訳ない事をしました。
足手纏いだった私の夫を庇って、魔物の毒を浴びたと、そう聴いております。
ご立派な剣士であられたのに、さぞやご無念だった事でしょう。
でもどうか、あの時逃げ帰って来た者達を責めないであげて。
彼らだって、泣く泣くそうせざるを得なかったの。
誰かが報告に戻らなければ、その安否確認で、再び犠牲者を出す恐れがある。
私がこうして貴女に事実を伝えられるのも、彼らのお陰なのよ」
「有難うございます。
私は今まで、闘技場での連日の無理な戦いで疲れ果てていた父が、力及ばず、倒されたのだとばかり思っておりました。
貴女のお言葉で、そうではないと分っただけでも救われます」
「そう言ってくれるのね。
・・貴女にアンザス家の手が伸びた時、実は私も動こうとしました。
一足早く、奴隷商の彼が貴女を保護し、自宅に匿った事を知り、以後はそれとなく監視するだけに
貴女が新しい主を得て、ギルド登録をした時には、その身分が奴隷ではなかった事を、心から喜びました。
それ程までに美しい貴女を、仮令奴隷から解放した後でも、自己の下に繫ぎ止めて置けるという確固たる自信。
それを備えた男性に巡り合えたのだと、まるで我が事のように嬉しかった。
先程彼が怒りを爆発させた時、その引き金となったのは、彼自身の事ではなく、貴女の事だった。
それもまた、私をとても満足させてくれましたよ?
死ぬほど怖い目にも遭いましたが、それだけの価値はありました」
「この人の、あの姿を見てなおそう言えるなんて、貴女も相当肝が据わってますね」
ミザリーが、和也の顔をちらっと見て、苦笑いしながらそう告げる。
「そうでもないと、女一人で政治の世界に首を突っ込めませんから」
「・・君が自分をここに呼んだ理由はそれなのか?
自分を試した事も?」
紅茶の感想以外、それまで黙って聴いていた和也が、ここで彼女にそう問いかける。
「いいえ、違いますよ」
「では何だ?
君の息子を助けて欲しい、そういう事かな?」
「それも・・違います。
息子の病は、もう半ば諦めています。
夫を失い、彼女の父親にまで迷惑をかけた。
何人もの治癒師、薬師にお金を使い、縋ってはきましたが、息子は弱っていくばかり。
恐らく、もう何年もは生きられないでしょう」
「君の夫の命を奪ったその竜に、復讐する気はないのだな?」
「・・全くないとは言えません。
ですが、向こうが何かしてきたのではなく、こちらの都合で殺しに行った結果ですから・・。
貴方なら多分、その竜を殺せるでしょうが、その理由となる薬師の話にも、今は信憑性がなくなりましたから」
「・・その薬師って、もしかして・・」
「そうです。
ミレノスの町の、あの薬師です」
「・・・」
ミザリーが絶句する。
「貴方をここにお呼びしたのは、王家の内紛に、秘密裏に手をお貸し願えないかと考えたからです。
・・私の姉が、第4夫人として現国王に嫁ぎ、男子を産んだ事はご存知でしょうか?
この国には男子にしか王位継承権がなく、第1夫人と第3夫人には女子しか生まれなかったため、第2夫人の産んだ子が、次の王になる事が半ば決まっておりました。
けれど、姉が男子を産んだ事で、そこに厄介な問題が生じてしまったのです。
継承権第1位の第1王子はあまり出来が良くはなく、第1夫人の娘である第1王女が、その補佐についております。
継承権第2位の公爵は、高齢でもあり、今更王位を継ぐ気はないので、第2王子の甥が、事実上は継承権第2位として存在します。
現国王は、老いてからできた甥を可愛がり、しかもその子がなまじ優秀だったせいで、それまで陽の当たらなかった第3夫人の娘である第2王女が、彼に近付いて来たのです。
補佐名目でその傍に居れば、様々な利益にありつける。
王女本人にはその気が無くても、その親である第3夫人としては、娘の将来のためには何としても甥に王位を継いで欲しい。
王室は完全に二分された状態になり、重臣達にもどちらに付くかで水面下での争いが起こり始め、姉や甥の近辺でも、最近になってきな臭い動きが出始めました。
・・闘技場での圧倒的な戦いの噂を耳に入れ、私は貴方を、甥の護衛にと考えたのです。
表立っては派手に動けませんので、飽く迄も、家庭教師くらいの立場で傍に居て欲しいと。
でもそのためには、先ずは貴方のお人柄を知る必要があった。
権力に媚びず、利益に踊らされず、義や人情を重んじる方でないと、この仕事は任せられない。
ですから私は、敢えて
言い終えて、その返答を伺うかのように、和也の顔を見る。
「幾つか質問しても良いか?」
「どうぞ」
「先ず初めに、最終的な目標は何だ?
君の甥を王位に就かせる事か?
それとも単に、彼の身を護るだけで良いのか?」
「私としては、甥の身を護れさえすればそれで満足です。
どちらを次代の王にするかは、国王陛下のご意思が重要ですから」
「では次に、期間はどれくらいだ?
次期国王が正式に決まるまでか?
そもそも、その甥とやらは一体幾つなのだ?
それによっては数年単位、下手をすれば十数年の話になるだろう?」
『どうやら頭も良いようですね』
和也の問いに、何かを納得したかのように、サリーが答える。
「次期国王が正式に決定されるまで、若しくはそれに対する障害が一切なくなるまで。
甥は今年で14歳。
もう後1年で成人です。
陛下のご年齢から考えて、その頃までには、恐らく決まっているでしょう」
彼女の内心まで聞こえている和也は、苦笑いをしつつ、最後の質問をする。
「その仕事は、自分自身でやらなければ駄目か?
自分が信頼する、相応の能力を備えた者に、代わりにやらせても良いだろうか?
その者なら、その程度の仕事くらい、難なくこなせると自分が保証しよう。
・・それから、仕事の報酬は何になる?」
「・・本来なら貴方自身にお願いしたい所ですが、貴方がそこまで仰るなら、代わりの者でも結構です。
報酬は、着手料として金貨5000枚、もし甥が王位に就いた暁には、更に金貨1万枚を差し上げます。
それとは別途に、王都での家賃、生活費として、月に金貨2枚をお支払い致しましょう」
「着手金は金貨300枚で良い。
月々の生活費も必要ない。
成功報酬は金貨1000枚。
それで十分だ」
「仕事内容に対してそれでは、事実上要らないと仰っているのと変わりませんよ?
そう言えば、もうかなりの資産をお持ちでしたね。
それでも人は、えてして更に欲しがる生き物なのですが・・」
クスクス笑いながら、楽しそうにそう言ってくる。
「先方に仕事開始の連絡が届くのはどれくらいだ?」
「ここから王都まで馬車で5日。
ですから急いでも6日はかかります」
「なら自分が手紙を預かろう。
その方が確実に早い」
「分りました」
「向こうには、家庭教師ではなく護衛を送る。
自ら姿を現さない限り、通常の者には彼女が見えないから、護衛には打って付けだろう。
直ぐに手紙を書いてくれるか?」
「・・はい。
宜しくお願い致します」
頭を下げると、いそいそと己の執務室へと向かうサリー。
和也はそれを見送ると、ミザリーにここで待つように伝えて、何処かに転移する。
「君がサリーの息子だな?」
2階の奥、ドアの前にさえ誰もいない部屋のベッドに、10歳くらいの少年が横になっている。
顔色が悪く、大きな部屋であるのに、
和也は先ずそれを浄化すると、突然声をかけられて驚いた少年の身体を透視した。
『成る程、自家中毒の重い症状に、膵臓と大腸も傷み始めているな』
「貴方、誰ですか?」
少年が、覇気のない顔でそう尋ねてくる。
「治癒ならもう結構です。
どうせ治らない。
薬だって、効きもしないのに値段だけは高くて、馬鹿らしいだけです。
お引き取り下さい」
「自分は別に、君がどうなろうと構わないのだが、不貞腐れて無駄死にする前に、あるものを見せてやろうと思ってな。
君のそのちっぽけな命を救おうと、尊い命が少なくとも2つ、失われた。
生にしがみついて踠くのも、諦めて早死にするのも、先ずはそれを見てからにしろ」
そう告げると、和也は少年の頭の中に、ある映像を強制的に送り込む。
それに伴い、少年の目がかっと見開かれた。
奥深い森の中の洞窟、その手前の広場は、まるで猛毒にやられたみたいに、地面が緑色に腐っている。
「ハロルド様、ここから先は危険です!
お下がり下さい!」
一人の剣士が、盾を構えて進もうとする父に、そう怒鳴っている。
「私は逃げる訳にはいかんのだ。
それでは息子に合わせる顔が無い。
父親として、あの子を追い詰めた責任を取らねばならぬ」
「ですが相手は竜です!
貴方の剣では傷も付かない!」
男達の数メートル先では、全身に毒が回り、所々腐りかけている竜が、今将に何かを吐こうとしている。
「くっ」
剣士が自身に風の魔法をかけ、剣を構えて跳ねる。
その鋭い剣先は、竜の腐りかけた部位を穿つが、内臓にまでは届かない。
反撃してくる太い尾を避けようとして後方に跳んだ剣士の足を、既に息絶えた仲間達の死体が邪魔をする。
バランスを崩した剣士を見て、父が無謀にも攻撃を仕掛ける。
「ハロルド様!」
盾が尾によって弾き飛ばされ、無防備になった父を、竜の、毒を交えたブレスが襲う。
剣士の身体がぶれるように加速し、父親の前に出る。
「ガァーッ」
ブレスを剣で裂こうとするが、完全には防げず、身体の至る所に毒を浴びる剣士。
「・・ゴ・フッ」
盛大に吐血した剣士が、尚も気力を振り絞り、竜に向かおうとする。
「おのれ!」
父が怒りに任せて振るった剣は、簡単に弾かれ、到頭父も、その毒を浴びる。
「グハッ」
やはり多量の血を吐いて、地面に倒れ伏す父。
「・・済まぬ。
息子よ、済まぬ」
「ウオーッ!」
剣士が最後の力を振り絞り、竜に突撃するが、最早その剣筋に切れはなく、簡単に尾で以て吹き飛ばされる。
「・・お前達は、逃げるが良い。
ゴフッ。
生き延びて、妻に伝えよ。
・・私は、愚かだった。
・・お前を、愛している。
ゴ・フッ。
息子を、た・の・・」
父の命で、後方に控え、その成り行きを見守っていた二人の荷物持ち。
その彼らに、父が最後の言葉を必死に伝えている。
身動きしなくなった父と、吹き飛ばされたまま動かない剣士。
前方の竜は、それ以上彼らを攻撃しようとはせず、何故か黙って見つめるだけだ。
「旦那様、申し訳ありません!」
後を託された二人が、その荷物をほとんど放り出して、泣きながら走り去って行く。
少年の脳内に映し出された映像と音声は、そこで途切れる。
「今見た映像は、全て実際に起きた出来事だ。
お前一人の為に、少なくとも二人の女性の、掛け替えの無い相手が失われた。
それを、彼らが勝手にやった事だと無視するのも、お前の自由ではある。
自分なんかのために、無駄に命をと、嘆くだけでも許されるだろう。
・・お前が患う病には、同情はする。
幼い頃から親が失望する姿を何度も見せられて、そのストレスが自己へと向かい、お前の身体を蝕んだ。
日々の苦痛や吐き気に対する鬱憤を、親の地位を笠に着て、周りに当たり散らさなかった点は高く評価しよう。
お前が真面目で、ある程度悩んだからこそ罹った病とも言える。
・・だがな、難病に罹り、治らないからと嘆いて不貞寝するだけでは、勿体ないと自分は思う。
一度しかない人生に、何が起こり、どう喜んで、如何に嘆き悲しんだか。
それは己だけが記せる物語であり、家族や肉親、愛する者が後にその糧とする、最高の表現でもあるのだ。
勿論、周りに誰も居なければ心細いし、他者の手を借りなければ、その暮らしもままならないだろう。
それを恥ずかしがる必要は無いし、口に出せないなら、せめて文字に記せ。
何かをして貰った時、ただ微笑むだけでも、その気持ちは相手に伝わる。
頭痛、倦怠感、吐き気に腹痛。
よく今まで耐えた。
しかしそれをただ黙って我慢するだけでは、お前の後悔や自責の念が、己の身体を傷つける鋭い刃となって、その病状を更に悪化させるだけだ。
・・お前を真に愛する者なら、お前が吐く弱音を、屈めた背中を、何れは黙って受け入れ、包んでくれる。
無理に耐える事も、必死に隠す事も、互いに良い結果を生むとは限らない。
父親の死に様をどう捉えるかは、お前の自由だ。
母親の、夫を失った悲しみ、この先独りで生きて行く辛さを、思い遣れるのならな」
少年は、生まれて初めて、人からそんな事を言われた気がする。
大きな町を治める、伯爵家の一人息子。
自分の能力がどうであれ、その肩書だけは外れない。
辛かった。
父が失望する顔を見るのも、息子の病を己のせいだと責める姿を見せられるのも。
病に罹ってから、皆から腫物に触るように扱われた事も。
母が陰で時々泣いていた事も。
だから次第に皆から遠ざかり、それが余計に皆を苦しめていた。
・・自分は、あと何年生きられるか分らない。
でも、この目の前の不思議な人が言うように、仮令無様でも足搔いて、迷惑をかけても人と接して、今生きている母にだけでも、その本音を語ろう。
父が好きだった。
母を愛している。
それだって、確かに僕の本心なのだから。
「どうやら結論に達したようだな」
和也が少年に微笑む。
「覚えておくと良い。
親が子に期待するのは、ある意味当然だ。
自己の分身であり、夢を託せる相手であり、その愛情を惜しみなく向けられる、とても貴重な存在なのだから。
そして、それにどう応えてゆくのかも、子の特権である。
幼い内は言われるままに親の言う事をよく聞いて、相手が歳を取ってから、それを根に持って見放すか。
若い内は反発して、一度はその下を去っても、世間を知り、親の苦労が骨身に染みたら、また戻って親孝行するか。
自分なら、後者のような『ざまあ攻撃』を推奨する。
身に着けた力、蓄えた知識、作り得た財産や人脈は、全て他者のために使ってこそ光り輝く。
他人をあざ笑うためにする努力より、喜ばすための鍛錬を。
もし自分が神であり、転生を希望する者に特別な力を与える立場なら、自分は躊躇いなく後者に授ける。
・・そろそろ時間だ。
ではな」
少年に治癒を施し、その身体を完全に癒すと、和也はまたミザリーの下に戻る。
手紙を書き、報酬を用意して待っていたサリーに、その長いトイレを詫びると、さっさと屋敷を去る。
少年が、元気になった姿を晒して、彼女におずおずと抱き付くのは、その少し後である。
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