第10話

 まだ薄暗いテントの中で、徐に起き上がるミザリー。


ゆっくりと、音を立てずに外に出て、トイレと洗顔、歯磨きを済ませる(偶に軽い入浴も)。


洗濯機(もうすっかり慣れた)でタオルや下着を洗いながら、その間に肌の手入れ等の身だしなみを整える。


結界で囲まれた敷地の外では、時々早起きの獣に出会う事もある。


人は通らないような場所なので、下着姿でトイレや風呂場に移動しても、別に恥ずかしくはない。


テント備え付けのサンダルをペタペタさせながら、再びテント内に入り、最近の日課に取り掛かる。


ベッドで眠る和也(和也は寝返りを打たないので、常に仰向けで寝ている)が、身の危険を察知しない限り中々起きないのは、既に実証している。


彼女が偶に寝返りを打って、和也の胸や足を、その手足で軽く叩いても先ず起きないが、下着を脱がそうとすると目が覚める。


一緒に眠るようになってから、その寝付きの良さと寝起きの悪さを少しからかったら(彼女は和也を意識して中々眠れなかったから)、『何も心配するものがないからだ』と教えてくれた。


例えば、もし彼に剣などを刺しても、欠けたり折れたりするのはその武器の方で、彼には傷さえ付かない。


魔法は全て当たる前に消滅するし、延焼等の間接的な効果を狙っても、結局はそれが彼に届く前に消える。


万物の創造主であり、不老不死の彼には、世に存在するあらゆる攻撃、効果が効かない。


口内に取り入れたものでも、呑み込んだ瞬間に、それが消滅してしまう。


汗が出たり、風呂で湯の温かさを感じるのは、それを楽しむために、彼が敢えてそう調節しているからであり、そうしなければ、彼は仮令太陽の中でさえ、汗一つかかない。


では何故、戦いや試合などで、彼はわざわざ攻撃を避けたり、魔法をキャンセルしたりするのか?


理由は簡単で、自分を少しでも人として見て貰いたいからだ(試合などでは、面白みを出すためでもある)。


そんな和也が、眠る際に唯一気を付ける事、それが自身の性的安全である。


抱く女性は最後まで面倒を見る、妻か眷族のみ。


一夜の過ちや、仮初の性的関係を避ける和也には、実はこれが最大の危険に相当する。


風呂で女性と混浴しても、彼は通常、相手の裸身を芸術作品として見るし、自身の身体も、敢えて隠そうとはしないが、寝ているベッドで、無断で下着を脱がそうとする行為には、彼の意識が警告を発する。


彼が応えない限り、そうされても性的関係は結べないのだが、彼自身のけじめとして、そこは守っている。


彼の言葉の真意を尋ねたミザリーは、和也から、神である事、不老不死である事を伏せられた上で、その大まかな説明を受け、試しに翌日、実際に彼の下着を脱がそうとしてみた。


結果は散々で、それに手をかけた瞬間、テントの外に転移させられていた。


慌てて戻ると、何事もなかったかのようにまた寝ているので、その姿に少しカチンときた彼女。


以来、面白半分に、何処までなら彼が反応しないかを検証してきた彼女は、キスでは直ぐに起きない事を確かめ、人知れず喜んだ。


自身の初めてのキスを、愛する相手とはいえ、彼が寝ている間に盗むように済ませてしまう事には、一抹の寂しさと情けなさがありはしたが、この時間は誰にも邪魔されない、二人だけのものだという嬉しさがそれを凌駕した。


頬から唇へ、やがてはその舌を使っての口づけ。


この時間があるからこそ、ミレーやレミーが和也と二人で写真を撮った際にも、彼女は同じ事をせがまずに済んだ。


今日も今日とて、その目を開けたまま、彼が起きる兆候を示さないか注意しながら、行為に励む。


昨夜は訓練も練習も、普段より熱を入れて取り組んだ。


あの、自分を性欲の対象としか見ていない、薄汚い男を徹底的に懲らしめてやる。


自分をそんな目で見て許されるのは、和也たった一人だけ。


その強い想いが、彼女の自己研鑽に熱を注ぎ、和也をして、『大分良くなってきたぞ』と言わしめている。


戦いの前に、彼から大いなるエネルギーを頂いて、その場に臨む。


尤も、明日も明後日も、またそうする積りなんだけど・・。


「おはよう」


薄く目を開け、ぼんやりと自分を見てくる和也に挨拶する。


テントに漂う珈琲の良い香りが、気分を切り替えてくれた。



 「皆様お待たせ致しました。

本日の目玉、『可笑しな二人』と『商人A』の、指定戦のお時間がやって参りました。

前回の戦いで圧勝した『可笑しな二人』に、当時のメンバー二人が未だに床に伏している『商人A』が、その雪辱を果たすべく挑んだ第二戦。

その気合の程は、何と二十人という、指定戦史上初の人数からも窺えます。

相変わらず最低限の二人しかいない『可笑しな二人』が、最大限の『商人A』にどう挑むのか。

ここに居る皆様と共に、じっくりと見ていきたいと思います」


戦いを煽るアナウンスを聞き流しながら、和也がミザリーに声をかける。


「今回は君にも少し残しておこう。

治癒師と魔術師の四人は、君が倒せ。

自分が弓士を全て倒したら、頃合いを見計らって攻撃をしかけろ。

刃を潰した練習用の剣(鉛の錘が付いている)を持って来たな?」


「ええ」


「君に向こうの魔法は効かないから、ある程度は手加減してやれよ?」


「分ってるわ」


「・・何か良い事でもあったのか?」


「何で?」


「随分嬉しそうな顔をしている」


「貴方がやっと少し、私を認めてくれたからね」


「最初から認めてはいる。

でなければ傍に置かない。

・・ただ、少しばかり過保護なだけだ」


「・・有難う。

頑張るね」



 一方の『商人A』側。


「お前ら本当にあんな奴らに負けたのか?」


大きな斧を抱えた巨漢が、馬鹿にしたように治癒師と魔術師の二人を見る。


「あの黒服、相当な手練れなんだよ。

魔法が全く効かないし、剣士も弓士も瞬殺されたんだ。

馬鹿にしてるとあんたがやられるよ」


前回和也に魔力を搾り取られた魔術師が、恐ろしそうに彼を見る。


「魔法が効かない?

そんな事あんのか?

お前の魔法がトロかったんじゃないか?」


傭兵として参加した、ギルドランクBからCの男達が、ゲラゲラ笑って彼女達を馬鹿にする。


「中級魔法も満足に打てないお前じゃなあ。

俺の上級魔法でと言いたい所だけど、ここじゃ禁止されてるしな。

まあ、中級でも思い切り魔力を込めれば、あんな奴らすぐ吹っ飛んじまうさ」


ギルドランクBの男性魔術師が、女性魔術師を見下してそう言う。


「でもよ、向こうの女、物凄く良い女だよな。

傷つけるのは勿体ねえし、依頼主からも気を付けるように言われてるけど、勝ってこっちに頂いたら、俺達にも回してくれねえかな?」


「そしたら報酬なんて要らねえよな?」


調子に乗って馬鹿笑いしている男達に、ほんの一瞬、和也の鋭い視線が向けられた事に、彼らを無視して黙って和也を見ていた治癒師の女性だけが気付く。


その凍るような冷たさと、心臓を射抜かれるような鋭さに、思わず悲鳴を上げそうになる。


前回は直ぐに倒されて、その後、重傷を負った仲間二人の治療に当たったが、自分の治癒では完全には直らなかった。


剣士の男性はまだ増しで、歩行に多少の支障が出るくらいで治りそうだが、弓士の男性は一生寝たきりかもしれない。


自分の魔法は、この国の治癒師では中くらいのレベル。


決して高度ではないが、かといって、通常の骨折や切り傷が治らないなんて事はない。


その私が、何度治癒を施しても、ある程度までしか回復しなかった彼らの身体。


私は、その原因を知るのが怖い。


彼らの治療の際、私の魔力を弾くような感覚があった事を、気のせいだと思いたい。


今回も役に立たなかったら、ご主人様から再び売られると聴かされている。


でも、寧ろその方が良いかもしれない。


もう間近で、人が血を流すのを見たくはない。


これまでの戦いに参加した事で、もう十分、義務は果たしたはずだから。


「それでは試合開始です」


観客の大歓声を背景に、和也がすたすた歩き出す。


その彼目掛けて、男性魔術師二人が中級魔法を放ち、それに弓士達が呼応して、一斉に矢を放つ。


中には風の魔法をその矢に乗せてくる者もいて、前回相手した弓士の倍の速度で飛んでくる。


その5本の矢を、和也は両手の指で次々と抓んでは、手首のしなりだけで更に倍の速度にして投げ返す。


次の矢を番えようとしていた弓士達は、それに全く反応できずに、自分達が狙った部位を、自らの矢で貫かれて倒れていく。


故意の殺しは禁止であるにも拘らず、和也の頭を狙った者は、その矢で自分の頭を貫かれ、即死する。


そうでない者も、刺さるどころか、そのまま防具ごと身体を貫通していく矢に、それで生じた肉体の穴を呆然と見つめながら、血を吐いて倒れる。


少し遅れて届きそうであった、火と風の中級魔法は、やはり和也の手前で奇麗に消滅する。


「なっ!!」


自信満々であった魔術師達の顔に、初めて狼狽の色が浮かぶ。


狼狽えて何度も魔法を放ってくるが、和也はそれを無視して、戦士達に近付いて行く。


「何だあいつ!?

本当に魔法が効かねえ!

・・取り囲め!

皆で一斉攻撃して仕留めるんだ」


十一人の男達が、剣や槍、斧などの武器を構えて、和也を遠巻きに取り囲む。


それを見たミザリーが、未だに和也に無駄な攻撃をし続ける、二人の男性魔術師の下に走り出す。


「私が居るの、忘れてない?」


その足音にこちらを振り向いた男に、剣を一閃させる。


骨が折れる鈍い音がして、一人が地に倒れると、もう一人が彼女に向けて、下級魔法を連発する。


「死ね、死ね!」


至近距離から何度も放つその魔法も、彼女に届く事はない。


「女の子に言う台詞じゃないわよ」


ミザリーがゆっくり剣を構える。


「お前達は一体何なんだ!?

どうして魔法が通じない!?」


目を血走らせてそう叫ぶ男に、彼女は剣を振り抜く。


「ガッハッ」


「もう一発」


「ガッ」


骨が折れ、内臓にでも刺さったのか、血反吐を吐いて倒れる男。


「手当しなくて良いの?」


先程からただ黙って見ているだけの治癒師に、そう声をかけるミザリー。


その女性は静かに首を横に振る。


まだ息のある弓士を助けようとして放った治癒魔法が、何の効果も無いまま跳ね返された。


最初に倒れた魔術師にも掛けたが、やはり効果が無い。


これ以上それを見せられれば、魔法が使えなくなりそうで怖かった。


「貴女は何もしないの?」


怯えるように自分達を見ている女性魔術師にも、一応そう声をかけてやる。


「・・しないわ。

しなければ、そちらも何もしてこないわよね?」


前回、和也の攻撃を受けたこの女性は、誰にも言ってはいないが、実はその総魔力量が半分に減っていた。


今ではもう、魔力が完全に回復していても、中級魔法を放てるだけの魔力が無い。


奴隷商に売られたもう一人の魔術師が、大人しく彼に降伏したが故に、何もされなかったと聞いて、この女性もそれを見習う事にしたのだ。


それでもし主の怒りを買ったとしても、せいぜい自分も売られるくらいだ。


本音では、主の夜のしつこさに辟易していた彼女は、もうその方が良いと判断した。


「大人しく降参すればね。

武器を捨てなさい。

もう直ぐ向こうも終わるから」


女性がその通りにすると、ミザリーは和也の方を見る。


果たして、あちらはかなり悲惨な事になっていた。



 「止めてくれ。

降参、降参する!」


残りの十一人で取り囲み、前後左右から攻撃を仕掛けたは良いが、彼には全く歯が立たなかった。


ミザリーを邪な眼で見て暴言を吐いた剣士は、切りかかった剣ごと和也に素手で殴られ、己の剣を自身の身体に突き刺したまま、3m程吹っ飛んで絶命する。


側面から槍で突いた者は、刃先を引っ張られて彼に引き寄せられ、他の者の攻撃の盾に使われて、串刺しになって放り投げられる。


盗賊のように死角から短剣を繰り出す相手には、和也の脚が唸り、宙に蹴り上げられて、落ちて来た所を更に拳で殴られ、身体を陥没させながら、仲間にぶち当たる。


巨漢の斧が、その重い攻撃を和也の頭に浴びせようとして、逆に二本の指で斧を抓まれ、驚愕に目を見開いたまま、和也の拳によって胸の中央に大穴を開けられ、息絶える。


魔法が一切効かなくても、まだ自分達が圧倒的優位に立っていると信じていた男達は、あっという間に数人が倒され、その後、一人、また一人と絶命していく様を見せられて、完全に戦意を喪失してしまった。


何と言っても、相手は武器さえ持っていないのだ。


素手でいとも簡単に鋼の剣や斧を叩き割り、粉々に砕く人間。


汚い返り血を浴びる事を嫌い、障壁でそれを受け流す和也は、凄惨な戦いの場で、なお美しく映える。


残り二人になった所で、向かって歩いた相手が武器を放り投げ、審判ではなく和也に土下座して、涙ながらに命乞いをしてくる。


もう一人に目を遣ると、その者も急いで同様な行動を取った。


最初の大歓声が嘘のように消え、無言と化した場内。


試合など見慣れているはずなのに、呆然と突っ立っている審判に、改めてその視線を送る和也。


「・・勝者、『可笑しな二人』」


いつもなら、その声に対して何らかの反応が生じる闘技場だが、この時ばかりは静まり返ったままだった。



 「当分は、貴方と戦う相手が出ないでしょうね」


試合後、闘技場の受付で、今回の賞金の授与と賭け金の払い戻しを受けた際、係の者から苦笑交じりにそう言われた。


「もしいたとしても、貴方方には、もうほとんど儲けになりませんし」


今回の配当は何と15倍。


和也とミザリーが、金貨1000枚ずつ自分達に賭けたのに、それでもそんな配当率になっていた。


二人が其々に受け取った配当金だけでも、金貨1万5000枚。


ミザリーの顔が若干引き攣っている。


もしアイテムボックスが無かったら、一人では一度に持てない量である。


そこに、あの商人の賭け金の金貨600枚、勝者の報酬、金貨4000枚弱が加わる。


勝者報酬は、総賭け金から運営の手数料2割を差し引いた、その額の1割だから、実に金貨5万枚近くがこの試合だけで賭けられた事になる。


後で分る事だが、あの商人は自分が勝つ事を疑わず、己でも金貨1000枚を賭けた上、仲間内の商人達にも大勢声をかけて、総賭け金額を増やしていた。


そうする事で勝者報酬を大幅に高くし、その中から、新たに雇った傭兵達の費用を捻出しようとしていたのである。


結局彼は、この試合で破産し、仲間内でも爪弾きに遭って、その後惨めに過ごす事になる。


「もう十分に稼いだし、王国主催の大会以外、この町では出ない積りだ」


「それが良いでしょうね。

貴方はもう、この町の富裕層として、多くの商人達に認識されているはずです。

貴族の中にも、もしかしたら貴方に目を付けた方がいるかもしれません。

暫くは、大人しくしていた方が身のためです。

・・って、余計なお世話でしたね。

貴方なら、仮令軍隊とでも渡り合えそうですから」


周囲の視線が集まり出したので、早々にその場を立ち去る。


これも後に、本人達の口から判明するのだが、馴染みの受付嬢は金貨364枚を儲け、もう将来に不安がなくなったと、和也一人をギルドの別室にこっそり誘って、その熱い口づけで以て、感謝の意を表してくれた。


行きつけの店の娘は、それまで貯めていたお小遣いを全部賭けたらしく、金貨42枚も儲かったと大喜びして、個室の永久使用権を与えてくれた(手書き。ハートマーク付き)。

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