第5話
「君の剣は素直過ぎるな。
直ぐに軌道が分ってしまうから、その分相手に避けられ易い。
それに、スピードとパワーが全然足りない。
男性とも戦うのであれば、もう少し筋力を付けた方が良い」
夕食前に、毎日1、2時間程、和也から訓練をして貰える事になったミザリー。
剣で相対する彼女に、和也は、通常の槍と同じ長さの、細い鉄の棒で相手をする。
今はまだ彼女に好きに打ち込ませ、時折カウンターを繰り出して、寸止めした上、棒の先から気弾を打って、少しよろめかせる。
「素振りは、基本の型に忠実にやるものだから、その影響かもね。
でも、パワーはともかく、スピードも足りない?」
苦しそうに息をついた彼女が、そう言ってくる。
「今のスピードでは、ウルフ系の素速い魔物や、小型の飛行魔獣に苦労するぞ?
・・筋力の強化と並行して訓練した方が良いようだな。
これを両手両足に付けてくれ」
そう言って、各3㎏の錘が入ったバンドを手渡す。
「重っ!
これじゃあ、暫くは慣れるだけで精一杯ね」
全部身に着けた彼女が、身体を動かしながらそう告げる。
「訓練中は、身体に負荷をかけながら、その疲労だけは抜いてやる。
そのまま毎日訓練してれば、それなりに筋力がついてくる。
食事でも、たんぱく質を多めに取らせてやろう」
「たんぱく質?」
「簡単に言うと、主に肉だ」
「有難う。
じゃあ、またお願いね」
それから約1時間、更に剣の稽古を続ける二人であった。
「ああっ、生き返る」
露天風呂に身を沈めたミザリーが、深い溜息を漏らす。
夕食後、今日は和也も湯に浸かるため、先に入るように彼女に勧めたが、『やる事があるから』と、後で入ると言われた。
なので、入り口の暖簾を『男湯』に変えて楽しんでいたところ、何と全裸の彼女が入って来て、背中を流すと告げてくる。
真っ赤な顔をしたミザリーに、『こういうのはルール違反だと思うが‥』と苦情を述べると、『でも私、貴方に何のお返しもできないから・・』と、俯いてしまう。
『自分はな、女性には特に、自己を安売りして欲しくはない。あんな制約を掲げるくらいに大事にしているものを、そんな理由で投げ出さなくて良い』と、彼女を傷つけないよう優しく諭したら、『別に投げ出してない』と剝れられる。
『直ぐ出るから少し待ってくれ』と申し出たら、『もう見せちゃったし、これからは、偶に一緒に入りましょ』と微笑まれて、今に至る。
「寝る前に下着になった時にも思ったけど、貴方の身体も凄いわね」
和也の向かい側に腰を下ろした彼女が、そう言って目を細める。
「時々言われるが、そうなのかもしれんな」
「ふ~ん」
何故か彼女の機嫌が悪くなる。
「明日は闘技場に登録して、それからギルドの依頼をこなす。
風呂から出たらマッサージもしてやるから、早く寝ろよ?」
「・・有難う」
湯船の外ではちょうど
「今から君の身体に魔力を循環させる。
凝りも完全に解れるし、かなり気持ちが良いはずだ。
その流れを身体全体で感じて、体内を巡る魔力の存在を意識しろ」
マッサージの後、彼女の身体に魔力の偏りがあると教えたら、それがどう影響するのかと質問される。
上手に魔法が使えないはずだと告げると、申し訳なさそうに、『治せる?』と尋ねてくる。
造作無いので『大丈夫だ』と答えると、裸の上半身をこちらに向けて、ベッドにうつ伏せになった。
「いくぞ」
肩甲骨の中央辺りに手を添えて、ゆっくりと、少量の魔力を流してやる。
「んんっ」
和也の魔力が全身を流れるにつれ、彼女の肌が桜色に上気していく。
「意識を流れに集中しろよ?
魔力とはどんなものなのかを、身体で、感覚で理解するんだ」
和也の流す魔力に促されて、彼女の中に滞っていた魔力の塊が、徐々に溶け出して、共に流れ始める。
相当気持ち良かったのか、暫くすると、彼女の寝息が聞こえ始める。
和也はそれに気付くと、薄い毛布を掛けてやり、ランプの灯りを消す。
自身は椅子に座って目を閉じながら、明日の予定を再確認し、浅い眠りに就いた。
頬に何かの感触を感じて、和也は緩慢に目を開く。
目の前に居たミザリーが、明るい声で『おはよう』と挨拶してくる。
「体調はどうだ?」
「凄く爽快な気分。
それに、身体が軽いわ」
「恐らくだが、あれを続けていけば、君の魔力量はかなり増えるだろう。
それに、今まで使えなかった魔法が、使えるようになる」
「本当!?
なら是非続けていきたいけど、あの場所(肩甲骨の後ろ)でないと駄目かしら?
気持ち良過ぎて直ぐ寝てしまうから、ベッドを占領しちゃって貴方に悪いわ」
「意識を集中できる場所なら何処でも良い。
手を繋ぐだけでも問題ないぞ」
「ならそれでお願いしても良いかな?
起きてれば、少しは眠気も払えるし」
「分った」
「・・貴方は魔法も詳しそうだけど、私に向いている魔法って、何かあるかな?
折角なら、それに挑戦してみたいしね」
「・・風の魔法が良いかもしれん。
君の魔力の魔素構成では、風が1番強い」
「風刃は知ってるけど、他にはどんなものがあるの?」
「鎌鼬や、風牙などの攻撃魔法があるが、君にお勧めなのは、身体強化系だな」
「風の魔法でそんな事ができるの?」
「戦士なら、寧ろそれが主流だ。
風圧を利用した戦闘速度の上昇や、相手の攻撃速度の低下など、使い方によってはかなりの効果が出る」
「ならそれを頑張って覚えてみる。
・・お願いばかりで申し訳ないけど、手伝ってくれる?」
「構わないぞ」
「有難う。
私、何でお返しすれば良いかな?
お風呂で背中を流すだけじゃ足りないよね」
「君も律儀だな。
自分の趣味でやっている事だし、お礼など不要だ」
「趣味なの!?
人の手伝いをする事が?」
「そうだ。
・・少し前までは、ただ黙って見ているだけしかできなかった。
どんなに請われても、どれだけ助けてやりたくても、変に意地を張って、何もしなかった。
その方が人のためになると信じての事ではあったが、少なくとも、自分のためにはならなかった。
だから、その枷を僅かに外した今は、自分がそうしたいと思う者には、なるべく手を差し伸べる」
「私を助けてくれるのも、・・単に趣味だからなの?」
「それを否定はしないが、自分だってその相手くらい選ぶ。
誰でも良いという訳じゃない。
君は確かに、自分に選ばれるだけのものを持っているから安心しろ」
不安げに尋ねてきた彼女に、そう言って微笑む。
「貴方が何時か私を手放そうとしても、私は絶対に付いて行くから。
決して離れてなんかやらない。
全てを諦めかけていた昔とは違い、今の私には、どうしても欲しいものができた。
だから、これからは貴方に認めて貰えるよう、頑張って努力するから。
して欲しい事があれば、何でも言って」
何かしらの決意を込めた瞳で、ミザリーがそう告げてくる。
「ならとりあえず朝食にしないか?
君も腹が減っただろう」
「・・そうね」
何だか上手くはぐらかされたような気がして、面白くないような顔をする、彼女であった。
「登録をお願いしたいのだが」
闘技場の受付で、係の者にそう願い出る。
「お一人ですか?」
「いや、二人だ」
身分証(ミザリーの物は、奴隷商の者が、買い手が決まるまで何とそのままの身分で保管してくれていた。家は取り潰されたので、今は一般市民)を確認され、二人分の料金を支払う。
「少し尋ねたいが、参加の予約は
「前日の閉場までですね。
参加者が少なければ、稀に当日でも受け付ける事があります」
「では、明日の試合の参加予約を今この場でしたいのだが」
「分りました。
個人戦とパーティー戦のどちらですか?」
「パーティー戦でお願いする」
「有難うございます。
ではここに署名を。
・・はい。
確かに受け付けました。
組み合わせと開始時間は、明日の開場と同時に張り出されます」
「分った。
有難う」
次の用件であるギルドへの道すがら、ミザリーが尋ねてくる。
「何であんな名前なの?」
「ん、気に入らなかったか?」
「そうじゃないけど、・・何だか弱そうよ?」
受付で和也が記入したパーティー名を見た彼女が、何とも言えない表情でそう告げてくる。
「仮初の名前など、品性を保っていれば、どうでも良いではないか。
寧ろ『覇王』や『○殺し』なんかの大袈裟な名前が付いていた方が、自分的には恥ずかしい。
(自分がしているゲームでは)そういった名を名乗る者ほど、実は弱かったりするものだから」
「『名は体を表わす』とも言うわよ?
『可笑しな二人』って、可笑しいのは貴方だけでしょう?」
「酷い言い草だ」
「貶してる訳じゃないわよ。
実際、貴方の
「・・この国が魔法で遅れているだけだ。
世界には、もっと凄い国が沢山あるぞ?」
「大陸1、2の強国なのよ?
そんな国、本当に在るの?」
「ある。
・・相変わらず、君を見ていく男性が多いな」
街で擦れ違う男のほとんどが、ミザリーの顔や身体を眺めていく。
苦笑する和也に、彼女は言う。
「私の裸を見たのは(親以外で)貴方だけだから、心配しないで」
「別に心配はしてない。
この世界は随分と露骨なんだなと思っただけだ」
「そう?
何処もこんなものじゃないの?」
「自分の知る世界では、自ら際どい格好をしておきながら、視線を向けただけで文句を言う者も居る」
「何それ?
嫌ならそんな格好しなければ良いじゃない」
「確かに」
話をしている内に、ギルドの建物が見えてくる。
「そういえば、この町に魔法協会のようなものは在るか?」
「在るけど、小さいわ。
大きなものは、王都に行かないとないわね」
「そうか」
「用があるの?」
「ああ。
だが、それ程急ぎではない」
ギルドの中に入り、依頼が掲載された掲示板を眺める。
「討伐系を探してるの?」
「いや。
お手伝いや労働系だな」
「・・何で?」
「生活には困らないから、君への給料が払えれば良い。
それに、無闇に魔物を殺したくないし、自分の目的にも適っている」
「目的?」
「『ざまあ系』の実践だ」
「またそれ?
いい加減、どういう意味か教えてくれない?」
「・・怒るなよ?」
「私が怒るような事なんだ?」
「・・大雑把に言うと、仲間外れにされたり、奴隷に落とされたりした者が、ある日突然力に目覚めて、自分を虐めたり馬鹿にした者達に復讐するというものだ」
「・・・」
「自分は決して、君を道化と見做してはいない。
ただ確かめたいだけなのだ。
程度にも依るが、馬鹿にされようと、酷い仕打ちを受けようと、自分が大成した後にまで、その者達を嬲る気にしかならないものなのかを。
それ即ち、身を起こしてまで、再び彼らの土俵に降りて行くという事だろう?」
「やっぱり可笑しな人。
そんな事試して、一体何の意味があるの?
言っておくけど、貴方が私を捨てて逃げた時だけは、私もそうなるかもしれないわ。
命は狙わないけど、別のものを貰いに行く。
だから、それだけはやめてね」
「・・善処しよう」
何でもないような顔でそう言われたので、却って怖い。
「あれなんかどう?
貴方の言う、労働系でしょ?」
『商隊の護衛』と書かれた依頼書を指さすミザリー。
「それは以前にした事がある。
自分としては、こちらが良い」
『下水道の掃除』と書かれたものを指さした。
「本気?
・・多分、かなり汚いわよ?」
「だからこそだ。
自分が掃除をして奇麗にした方が、町の衛生上も良いだろう」
「たはは、あのお風呂があるからまあ良いか。
髪に臭いが付かないと良いけど」
「君にはさせないぞ?
自分だって、手作業でやる積りなんてない」
「そうなの?」
「(この時代の)ああいう場所は、病気の巣窟だ。
きちんとした装備なしに入れば、変な病気に感染しかねない」
言いながらその依頼書を外し、受付へと持参する。
「こんにちは。
・・本当にお二人でこれをやるのですか?」
和也が持参した依頼書を見て、馴染みの受付嬢が、顔を曇らせる。
「お願いする」
「立場上、言ってはいけないのですが、・・かなり汚いそうですよ?
お金に困ってませんよね?」
小声でそう教えてくれる。
「気を遣ってくれて有難う。
大丈夫だ。
ちょっとしたコツがあるのだ」
「・・そうですか。
期限は1か月。
報酬は金貨4枚です。
終わったら、必ず入浴後に、こちらに報告して下さい」
苦笑いしながらそう告げられる。
「分った」
「貴方、あの人に気に入られているみたいね」
ギルドを出ると、ミザリーがそう言ってくる。
「客商売なのだから、受付が愛想が悪いはずがなかろう」
「それだけかしら」
「そんな事より、これから直ぐ現地で仕事にかかるが、君は何処で待っている?」
「どれくらいかかるの?」
「作業自体は10分くらいだな」
「ええ!?
・・期限は1か月なんでしょう?
そんなに直ぐできるの?
町全体なのよ?」
思わず大声を出してしまい、恥ずかしそうに周囲を見回す彼女。
「訳もない。
あまり見たくもないので、魔法でさっさと片付ける」
「ああ、成る程。
・・って、この規模を!?」
「行ってくるから、君はこの辺りに居てくれ」
「私も行く」
結局、彼女と一緒に依頼主である町の担当部署を尋ね、下水への入り口を教えて貰って、作業開始の署名を貰う。
その後、転移でその場所まで行き、和也はそこに足を踏み入れる事なく、地下の通路に向けて浄化を放つ。
その上で、内部に居たネズミや昆虫、小型の魔物を全てダンジョンC(和也がエターナルラバーに創ったもの)へと転移させ、それから一気に放水した。
物凄い量の水が下水を流れ、出口を求めて町の外にある川や湖へと流れ込む。
水圧で町の各所にあるマンホールの蓋が飛ばないよう、それらを魔法で抑えながら、まるで水洗トイレで水を流すかの如く、放水を続ける。
2、3分それを行った後、強風を起こして内部の空気を入れ替え、作業を終える。
「・・終わった。
風呂に入りに行こう」
「え?
別に汚れていないけど」
「気分の問題だ。
自分はあそこで入るから、君はテント内で休んでいてくれ」
「なら私も入る。
貴方の髪を洗ってあげるから、私の背中をお願いしても良い?」
「良いぞ」
「フフッ。
もうあのお風呂なしでは生活できない。
便利な道具も色々揃っているしね」
風呂に入って再度町に転移し、先程の部署に、作業の終了を告げに行く。
「何だ、もう諦めたのか?
坊ちゃんのお遊びじゃねえんだ。
迷惑なんだよ、そういうの。
きちんと違約金払えよ?」
和也の服装を見て、始める前から懐疑的だった男は、ここぞとばかりに文句を言う。
「
終わったから報告に来たのだ」
「馬鹿を言え。
町全体だぞ?
あれからまだ2時間しか経ってないじゃないか」
「時間など関係ない。
要は奇麗に掃除したかどうかだろう?
疑うなら、これから自分と一緒に見に行こう」
「・・分った。
行ってやる」
重い腰を上げた男が、和也と下水の入り口まで来る。
普段ならここまで臭ってくる悪臭が、全くしない事に、訝しさを感じる男。
先に下水に降りた男が、目を丸くする。
「嘘だろ!?」
いつもなら、鼻を抓むか目を背けながら作業をする場所が、造りたての水路のように、奇麗になっている。
思わずずっと先まで走ってみたが、何処も同じように奇麗になっていた。
やがて、呆然とした表情で、男が上に上がって来る(和也は下に降りていない)。
「一体どんな魔法を使ったんだよ(飽く迄男は比喩として言っている)?
有り得ないだろう」
「それで、終了したという事で良いよな?」
「・・ああ。
明日、職員全員で再び潜って、もう一度町中を確認するが、とりあえず署名はしてやる。
ギルドへの支払いは、明日の最終確認が済んでからだ。
報酬の受け取りは、その後になるからな?」
「分った」
和也は男から終了の署名を貰うと、未だ呆然としている彼を残して、さっさとその場を後にした。
「どうだった?
ちゃんと署名貰えた?」
テントに帰ると、風の魔法の初級書(ビストーの大図書館の物を、和也が複製し、翻訳した)を読んでいたミザリーが、本を閉じて寄って来る。
今回の依頼の真実を、風呂の中で和也に聴かされた彼女は、腹を立てると同時に呆れた。
『彼らは最初から、この依頼が完遂されるとは考えていない。素人が1か月でやれるようなものではないし、何よりその臭いに耐えられない。なのに依頼を出したのは、違約金(代えが利くから報酬の2割)目当てと、少しでも自分達の作業が減れば良いと考えたからだ。報酬が高いから、それに釣られる者が多いと当て込んだのだろう』
そう彼女に教えた彼の方は、意外にも気にした素振りを見せない。
何故怒らないのかと尋ねた彼女に、彼は言った。
『それが彼らの仕事とはいえ、日々あのような場所で作業をしていれば、時には休みたいと思う事も、人を騙してまで楽をしたいと考える事も、理解はできる。今回の件が彼らの戒めになれば、自分はそれで良い』
報告に行っても直ぐには信じないだろうから、ここで待っているよう言われた彼女。
戻って来た和也から、その結果を聴いて、微妙な表情をする。
「やっぱり完全には信じないよね」
彼らの気持ちは分る。
自分だってこれまでの経緯がなかったら、絶対に信じない。
因みに、この2日後、彼らは渋々ギルドに支払いをする事になる。
細部まで確認したが、その仕事に文句のつけようもなく、毎年国から支給される経費から、こっそり貯めてきた裏金を、全部吐き出した。
だが、彼らにとっても悪い事ばかりではない。
和也が一度、完全に掃除をしたせいで、長く苦しめられていた悪臭が大分減り、その後の仕事がし易くなった。
「今日はもう町には行かない。
ここで君の剣と魔法の訓練をして、食事を楽しんだら、後は風呂に入って寝る」
「また入るの?」
「風呂は何回入っても良いものだ。
別に君は来なくても良いぞ」
「入るわよ。
訓練で汗をかくから当たり前でしょ」
「・・・」
今夜も変わらぬ夜が過ぎていく。
そんな彼らを、紫桜は、何とも言えない表情で遠視していた。
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