第10話

 『今大丈夫か?』


『あら珍しい。

大丈夫よ、何かしら?』


和也からの念話はそう多くはないので、少し驚いた有紗が、メールを処理する手を止めて、そう尋ねてくる。


パソコンの時刻に目を遣ると、深夜の2時を表示していた。


『預かっている彼女達だが、そろそろ頃合いだと思う。

そちらの方で、転入手続きを進めてくれ』


『もう?

・・あの子、ちゃんと笑えるようになった?

あなた以外の人とも、やっていけるのかしら?』


『心配ない。

馨は随分成長した。

今ではもう、他の二人と普通に会話できるし、入浴だって共にしている。

学校でも、話しかけられればきちんと受け答えできるらしい』


『そう。

嘸かしあなたに懐いているのでしょうね。

何時から転入させるの?

やはり、年度が替わってからの方が良いわよね?』


『いや、なるべく早い方が良い。

年内にしてくれ。

それから、後の二人、沙織と美樹もそちらに入れる。

そのように手配してくれ』


『随分急ね。

何かあったの?』


有紗の声に、多少の訝しさが混じる。


『お前が心配するような事は何もない。

・・ただ、少し懐かれ過ぎた気がする。

彼女達はこれから、自らの足で社会に出て行かねばならない。

いつまでも誰かに背中を押され、道を開いて貰っていては、彼女らの為にならない。

自分は、ずっとその傍に居てやれる訳ではないから・・』


『・・そうね。

御免なさい。

あなたに頼めば、何れはそうなると思っていたけれど、私が考えていたよりずっと早かったわね。

でも、あの娘達、素直に応じるかしら?

あなたの側を離れようとはしないんじゃない?』


『それについては自分に考えがある。

お前にも、後で口裏を合わせて貰うので、宜しく頼む』


『一体何をさせる積りかしらね。

あまり女の子を泣かせては駄目よ?』


『分っている』


『・・今年も、クリスマスは大丈夫?』


『勿論だ。

イブを含めて、その日は必ず空けている。

何かリクエストでもあるのか?』


『今年のイブは、この部屋で、あなたの手料理が食べたいな。

長いお付き合いのエリカさんや紫桜さんはともかく、この間遊びにいらしたアリアさんでさえ、あなたの手料理を食べていたと仰ってた。

私も食べてみたいな。

駄目?』


『別に良いぞ。

向こうの世界では、こちらのようなちゃんとした店が見当たらなかったから、必要に応じて作っていたに過ぎん。

自分もこの数か月で大分料理の腕が上達した気がするから、お前がそれで良いのなら、そうしよう』


『嬉しい。

あとね、相談があるの。

24日のイブは、これまで通り、二人きりで過ごしたいわ。

でもね、25日は皐月も呼んであげたいの。

その日は彼女にとっても、眷族化した、とても大切な日でしょう?

だから、今後はお昼過ぎから彼女も呼んで、25日は三人で過ごしましょうよ。

・・良いわよね?』


『ああ。

昼過ぎに呼ぶのは寝坊を見越してか?』


『そうよ?

あなたが陸に寝かせてくれないから』


『それは逆だろう』


『フフフッ。

今年も期待してて』


嬉しそうに笑う有紗に就寝の挨拶をすると、和也は静かに瞳を閉じる。


この数か月は実に有意義だった。


これまではゲームでしか体験してこれなかったが、実体験の方がずっと良い。


やはり、人の中での暮らしは楽しい。


ゲームでは味わえない、人の息吹がそこにはあるのだから。



 「君達三人に、御剣学園からの招待状が届いている」


数日後、三人が集う朝食の席で、和也はそう切り出した。


「え、御剣?

それってあの御剣学園!?」


美樹が途端に反応する。


全寮制で、全ての費用がかからない上、今や全国屈指の進学校。


その卒業生は、国内だけではなく、海外の名門大学にも多数入学し、芸術やスポーツの面でも、プロとして大いに活躍し出している。


「そうだ。

この名を冠する学園は、今の所1つしかない」


「でもいきなり何で!?

もしかして、インターハイと、この間の国体が評価された?」


先日行われた国体の競技で、どちらも1位に輝いた美樹が、興奮を隠し切れずにそう尋ねてくる。


「君に関しては恐らくそうだろう」


「私が選ばれる理由が分りませんが?」


美樹とは対照的に、冷めた口調でそう告げる沙織。


「君に関しては、自分の推薦が大きく関与している。

その人間性、能力、意欲。

どれも十分、基準を満たしている」


「貴方の推薦って、今更ですけど、やっぱりグループの関係者でしたのね。

そんなに私を買って下さるのですか?」


その点に関する発言だけは、凄く嬉しそうな顔をする。


「そうだ。

同好の士というだけではなく、君の人柄を高く評価している。

あちらには、最新のコンピュータ設備が整っているし、選択科目の中に、君のやりたいものがあるぞ?」


「!!」


「それから森川君、君には是非来て欲しいそうだ。

理由は、・・グループの社長が学園の理事長だと言えば、分るかな?」


「!!!」


馨が、自己の考えを確認するかのように、和也の顔を見る。


それに頷き、更に言葉を付け足す和也。


「彼女は決して君を忘れてはいない。

自分がここに来たのも、向こうでの生活に逸早く慣れて貰う、その訓練のためでもある」


馨の目から、涙がどんどん溢れてくる。


「言うまでもない事だが、こちらとあちらでは、学生にとって必要な、その何もかもが違う。

三人共、了承という事で良いだろうか?」


三人が顔を見合わせる。


まだ何か聴きたい事でもあるのだろう。


代表して、沙織が口を開く。


「御剣さんはどうなるのですか?

貴方は一体、グループでどういうお立場なんですか?

もし御剣さんと離れる事になるなら、私と美樹の二人は、ここに残りたい。

高校生活はあと1年ちょっと。

それならば、その時間を貴方と一緒に過ごしていたい。

夢へと向かう時間が仮令1年遅れても、私達は、そちらを選びたいです」


「私も、可能ならここで貴方と過ごしたい。

あの方も大切なお方だけれど、私の今があるのは、貴方のお陰だから・・」


馨までがそう言ってくる。


「・・心配するな。

自分の次の就職先は、学園の用務員として既に決まっている。

グループでの立ち位置は、うだつがあがらない、傍系の三男坊だな」


「本当ですか!?

向こうに行ってもまた会えるのですね!?

用務員室に遊びに行っても良いんですね!?」


沙織が凄い勢いで尋ねてくる。


「偶には、またご飯作ってくれる?

毎日でなくても良いから、時々は、マッサージをお願いしても良い?

あたしの身体、もう御剣さんに、すっかり馴染んじゃったからさ」


美樹が真面目な顔して、人聞きの悪い事を言ってくる。


「・・またご一緒に、歌のレッスンができますか?

上手に歌えたら、頬を撫ででくれますか?

嬉しい時、悲しい時、辛い時には、お部屋のドアを叩いても良いのですね?」


縋るような馨の目が、和也を見つめてくる。


「君達は多分、用務員の仕事を誤解しているぞ。

その職務の中に、そのようなものはない・・が、まあ、偶になら良いだろう。

飽く迄も、君達が望んだ場合に限るがな」


それを聴き、三人がもう一度顔を見合わせる。


「「なら是非お願いします」」


三人の声が、完全に重なり合った。



 終業式前の転校という事で、そこからは異例の速さで手続きが進む。


沙織と美樹の両親も、転校先があの御剣学園と聴いて、非常に喜んだそうだ。


学費等が一切かからない事(これに喜んだのは美樹の親)に加え、その人脈が物凄い(沙織の親はこちらを重視)。


学校の教師達も、彼女ら一人につき300万円、計900万円の寄付金が有紗から高校に支払われ、大層喜んだ校長により発破をかけられて、その事務手続きを加速させた。


因みに、彼女ら全員が抜けて誰も居なくなった女子寮は、新たな寮母を迎えて、その翌年から満室になる。


和也により改修と掃除が施され、エアコン等の設備が充実した寮は、防音室にピアノまであるため、主に音楽系の部活の生徒達に人気で、その寮から、かの御剣学園に三人もの転入生が出た事も、験担ぎの意味で好まれた。



 引っ越し作業を終え、一足先に現地へと向かった三人を見送り、和也は独り、寮の窓辺に佇む。


12月にしては暖かな日差しの中、少し乾燥した風が、彼の心を慰めるかのように吹き抜ける。


『本当にこれで良かったの?』


声をかけるタイミングを見計らっていたかのような、有紗からの念話。


その声音には、彼を心配し、彼女ら三人を憐れむような響きがある。


『自分なりによく考えた積りではあるが、やはり、少し寂しいものだな』


『人の縁を大事にするあなたですもの。

幾ら彼女達の為とはいえ、こういうやり方は、その流儀に反するでしょう?』


ここを出て、学園の寮に入る頃には、彼女達三人の記憶から、和也の事が奇麗に抜け落ちている。


そうしたのは和也だし、己の正体(神であること)を明かせない以上、仕方のない事ではある。


歳を取らない彼は、いつまでも人の傍には居られない。


有紗や皐月のように、外見上だけでも変化させない和也は、自身の秘密を打ち明けられる者以外の側には、決して長く居続ける事ができない。


馴染みの店のように、その者達だけの意識に働きかければ良い場合とは異なり、不特定多数に晒される場では、幾ら本人達に違和感を感じさせぬよう力を働かせても、その周囲の者達との接触や、会話などの干渉を受ける事により、意識の食い違いに疑問を持たれてしまう。


一纏めにして洗脳する事もできるのだが、それをやり出すと切りが無いし、面倒なので、彼はやらない。


『徒に関係者を増やせぬ以上、仕方がないし、彼女達にはまだ多くの出会いがある。

『器』であるお前達とは違い、他にも愛せる者が生じるし、この世界では、多くの場合、人は幸せに暮らし得る。

寮長として、父親役としての自分の役割が済んだ以上、ここは潔く身を引く所だろう』


『・・そう。

今まで私の我が儘を聴いてくれて有難う。

あなたが送ってくれた彼女らを、今度はこちらでしっかりと育てていくから。

それと、クリスマスの件だけど、皐月、物凄く喜んでいたわよ?

私は途中からあなたに会えた(救われた)けど、愛する人ができた後の、一人きりで過ごすクリスマスは、やはり相当寂しかったみたいね。

もう少し早く声をかけてあげればよかったわ』


それから数分後、話の最後に、『早くあなたに会いたいわ』と告げて、仕事に戻った有紗。


約束のイブまではまだ10日ある。


自己が直接関わった者達との別れに慣れていない和也は、その寂しさを紛らわすべく、妻や眷族達の下に顔を出す。


ルビーに精気を分け与え、各ダンジョンの状況を聴く。


Aの存在はかなり有名になり、冒険者達の腕試しや、ルビーのファン達(主に貴族)で盛況のようだ。


当然かの村に滞在するため、陶磁器の生産が軌道に乗った村と合わせ、ヘリ―家の財政は、屋敷の増改築ができる程に豊かになった。


今ではヴィクトリアの招待のお陰もあって、時々は貴族のサロンにも顔を見せるそうだ。


また、村への移動に余計な時間を取られないよう、オレア家など、お得意様の屋敷内には、和也によって五人まで移動可能な転移魔法陣が作られた。


魔法の発動には、予め登録した者の遺伝子パターンが必要なので、誰もが自由に使える訳ではないが、瞬時に移動できるため、非常時の緊急避難用にも役立つと、設置先にとても喜ばれた。


ジョアンナの所にも立ち寄り、近況を聴いて帰ろうとしたが、どうしてもと懇願され、1泊する。


彼女の妹弟達を含めて共に夕食を取り、入浴時には、ジョアンナに『お背中をお流しします』と入って来られる。


共に入るのは初めてであったが、『何かお有りになったのですか?』と、心配そうな顔をした彼女と語らう事で、その後は穏やかな時間を過ごせた。


同じベッドに入っても来たが、『今回は何も致しませんから』と、ただ腕を取られて眠るだけだった。


どうやら気を遣わせてしまったようで、却って申し訳なかった。


最後にエリカの所に寄る。


アリアはオリビアの所に遊びに行っていて、今は居ないそうだ。


自身の気持ちを上手くコントロールするようになったオリビアのお陰で、今の二人は本当に仲が良い。


オリビアがここに遊びに来るだけではなく、アリアの方からも、偶に向こうに泊りがけで遊びに行く。


和也からのお年玉で、アリアが彼に願った内容は、オリビアと三人で写る、彼女による絵画のモデル。


互いに着飾った二人が、椅子に座る和也を中央に、その左右から寄り添う構図。


アリアがオリビアに対して、これまでよりずっと好意的なのは、オリビアの、和也に対する気持ちの変化も大きく影響している。


そこには、他の男性と接する時のような、他人行儀さが微塵も感じられない。


長い付き合いではあるが、それだけでは決して生まれない、家族以上の親しみがある。


アリアとの事で、色々と心を配り、手を尽くしてくれた和也に対し、彼女が恩を感じているのは当然だが、遊びに来た際に、三人で過ごす様々な時間や、任された国の運営に関する相談、議論を通し、和也の人となりをより深く見てきたオリビアが、彼に心を許したせいだ。


それは三人(若しくは四人)で入る風呂の光景にも表れ、最初は渋々、和也とは少し距離を取った、彼とは反対側のアリアの隣にしか入らなかった彼女が、今ではその直ぐ隣か、エリカがいない時には、アリアとは反対側の和也の隣に入る程である。


「こちらに・・」


和也の顔を見るなり、エリカはそれだけを告げると、彼を寝室へと引っ張っていく。


徐に服を脱ぎ、ただ黙って和也をベッドへと引き込む。


お互い無言での時間の中で、ただエリカの吐息にのみ、耳を傾ける和也。


随分な時を経て、考え事をしていた和也の後頭部を、意識を失いつつも、彼の背中に回され、その拘束が解かれる事のなかった彼女の手が、優しく撫でてくる。


「少しは気分が晴れました?」


身を起こし、仰向けになった和也に向けて、エリカが笑みを含んだ声で尋ねてくる。


「付き合わせて済まん。

我ながら、少し情けないが・・。

だがお陰で、もう大丈夫だ」


「有紗さんの頼みで、寮母さんの代わりをなさっていらしたのですよね。

そんなに良い娘達こたちだったのですか?」


「そうだな。

楽しい時間だった。

そして、今後の良い経験にもなった。

・・お前を初めて抱く前に、自分達の子供について話し合った事を覚えているか?」


「ええ。

あの時のわたくしは、『あなたの子なら、是非欲しい』と言った気が致します。

ただ、わたくしもまだあなたと二人きりの時間を過ごしていたいし、作るとしても、ずっと後で良いというお話でしたね」


「そうだ。

それについてだが、今回の件で悟った事がある。

自分は、己の子を欲しない。

恐らく、永遠にな。

・・駄目か?」


「構いませんが、理由をお尋ねしても?」


「笑うなよ?

・・もし女の子が生まれた場合、その子が成長して、誰か他の男の下に嫁ぐ姿を、自分は見たくはない」


「・・・」


エリカが歯を食いしばり、必死に笑いを堪えている。


「それにな、仮令男の子が生まれたとしても、母にもなった妻達が、幾ら自分の『器』であったとしても、自分(和也)以上にその息子達へ愛情を注がないという保証もない。

・・自分は、そうされたら寂しい」


「もう駄目」


堰を切ったように、エリカが笑い出す。


枕にその美しい顔を押し当てて、身を震わせて無言で笑っている。


「笑うなと言ったのに・・」


「・・だって、選りに選って、そのような理由なのですもの。

・・御免なさい。

もう少しだけ、待って」


何とか笑いの衝動を抑えようとするエリカ。


和也も流石に言っていて情けないのか、ただ黙って天井を見ている。


数分後、漸く笑いの発作から解放されたエリカが、半身を起こして和也を見つめてきた。


「あなたって、本当に可笑しな人。

全能の神でいながら、そんな事を気になさるなんて。

・・でも、あなたのそういう所を愛おしくて堪らないと感じるわたくしも、傍から見れば、やはり可笑しいのでしょうね」


和也に覆い被さり、ゆっくりと唇を合わせて、再度身を起こす。


「最初に1つ訂正しておきます。

わたくし達『器』は、仮令あなたとの子をしても、あなた以外のその子を、きっと心からは愛せないでしょう。

あなたとの子だから、当然愛情は持てます。

ですが、あなた以上には決して愛せない。

産んだ子があなたの下から去れば、わたくしはその後、その子の事を偶にしか思い出さない自信があります。

世の母は、きっとその夫同様に、子にも愛を与えられるのでしょう。

もしかしたら、夫よりも子供の方を、ずっと大切にする女性だって多いのかもしれません。

でもわたくしには、今のわたくしにとっては、あなた以上に大切なものなど、この世に何一つ存在しないのです」


「・・自分はこれまで、数えきれない程の母親という存在を見てきた。

生まれて直ぐに、自分に向かってその小さな掌で、懸命に保護を求めてくる子。

そのあどけない表情を見て、心が動かぬ者は少ないだろう。

暮らしにゆとりがない者の中には、確かに、産んで直ぐの子を切り捨てる者もいる。

でも多くの母親達は、仮令自分が食べなくとも、その子達には何とかして食べさせてきた。

傍から見るだけなら、それは心温まる光景だろう。

だがそれ故に、自分は恐れるし、不安でもある。

子ができれば、お前達が離れていってしまうのではないかと・・」


「わたくしの言葉を疑うのですか?」


エリカが、『不本意です』といった表情をする。


「例を出そう。

例えば、こんな感じだ。

お前との子が、自分の下から離れ、何処かで窮地に陥ったとする(和也は子を設ける際は、その子を寿命ある人間として誕生させる)。

自分の下を去る以上、何の手助けもしないと告げた息子に知らん顔する自分に対して、お前はその子に言うのだ。

『お母さんが助けてあげるわね。

大丈夫、お父さんは今、お庭を眺めていて気が付かないわ。

今の内にこれを受け取りなさい』

そうして、お前がリングで作った強力なアイテムをこっそり息子に渡す間、自分はそれに気付かない振りをして、ぼーっと庭を眺めていなければならん」


「・・・」


「娘の場合はこうだ。

娘にとって役に立たない、不利益や害悪を齎す男を次々に排除(遠隔地に飛ばす)する自分。

そしてそのピンチには颯爽と駆けつけるのだが、何故か娘は親の苦労を分ってはくれない。

『もう、お父さんのせいで、私全然強くなれない。

少しは自由にさせてよ』

辛辣な娘の言葉を受け、地面にのの字を書く自分に、『あなたは娘を甘やかし過ぎなのです。それでは彼女の為になりませんよ』と叱るお前。

自分が、『お前だって息子には甘いではないか』と反論しようものなら、『何か仰いまして?』と笑顔で圧力をかけられるのだ」


「・・・」


「・・そんなに変か?」


「その人間味を喜ぶべきなのか、発想の豊かさを称賛するべきなのか、判断に悩みますね」


何も言わないエリカに恐る恐る尋ねると、困ったような表情で、溜息と共にそう告げられる。


「何れにしても、わたくしも理解致しました。

あなたは子を作らない方が良いですわ。

過保護過ぎるし、わたくし達への愛が大き過ぎます」


エリカが再び和也に覆い被さって、至近距離からその瞳を見つめてくる。


「本当に困った旦那様ですね。

天上で裁きを下すお姿からは考えられない、まるで、母の愛情を独り占めしたいと駄々を捏ねる、大きな子供のよう。

なのにわたくしは、又してもそんなあなたが愛おしくて堪らない。

・・心配しなくても大丈夫。

わたくしは、何時でも、何処でも、どんな時でも、ただひたすらに、あなただけを見ている。

あなたがわたくしの守護をして下さっているのと同様に、わたくしだって、常にあなたを見ているのですから。

・・無粋なプロテクトに、邪魔をされない限りはね」


唇に温もりを感じる。


それをこじ開けられ、口内を、熱いぬめりが襲ってくる。


そうしながらも、なおも自分を見つめる、その優しくて甘い視線に晒されながら、心を無にする和也であった。



 「何か緊張してきた」


美樹が落ち着きのない様子で、上擦った声を出す。


現地に着いた馨達三人は、自室の荷物の整理もそこそこに、その翌日に講堂に呼ばれる。


御剣学園は、転入生があると、その生徒を全校生が集まる講堂で皆に紹介する。


全職員、中高の全生徒が見守る中、理事長が歓迎の言葉を述べ、それによって逸早く周囲に溶け込む手助けをすると共に、学園生同士の結束を強めるのだ。


「私も。

三人だけで数百人の前に出るなんてね。

・・馨、大丈夫?」


沙織が、ひっきりなしに髪に手を遣りながら、隣の彼女を気遣う。


「はい、何とか」


やがて時が来たらしく、重厚な扉が内側から開けられる。


扉を開けた人物の一人が、馨を見て微笑む。


『また会えて嬉しいわ』


声には出さず、唇の動きだけでそう告げてきた女性の顔を見た馨が、瞬時に涙ぐむ。


『先生…』


自分を助け、施設へと導いてくれた中学の担任が、今、目の前にいる。


大きな喜びと共に、予め教えられた通り、理事長が待つ壇上の手前、中央に3つだけ並べられた椅子に向かって、ゆっくりと歩き出す。


三人が歩を進めると、ピアノの旋律に乗って、2階席の左右に控える全校生が校歌を斉唱し始め、場の雰囲気が一気に盛り上がる。


「ようこそ御剣学園へ。

私達は、あなた方を歓迎致します」


校歌の斉唱が終わり、皆が着席した後、理事長である有紗の声が、全講堂に響く。


「我が学園に、新たに三人もの生徒を迎えられた事、教職員一同、大変嬉しく思っております。

ご存知の通り、我が学園には、才能だけでは決して入れません。

あなた方のこれまでの人生で、何をどう感じ、どのように対処してきたか、自身だけではなく、他者の存在や権利を肯定し、それに相応しい言動を取れたかが、その合否を大きく左右します。

今この場であなた方を見守る、全職員、全生徒が、これからはあなた方の味方であり、仲間です。

今の混迷の世に、不安と希望を織り交ぜて、手探りで漕ぎ出そうとするあなた方の羅針盤となり得る教職員。

より良い人格を形成してゆく中で、その才を切磋琢磨するのに欠かす事のできない、同年代の友や、優秀な先輩方。

幸運にも、この学園にはその全てが揃っています。

あなた方はこれから、唯々学園生活を楽しんでくれればい。

ただそれだけで、世に必要とされる、技量や心得の基本が身に付くはずです。

私達教職員も、あなた方が毎朝その制服に袖を通す度に、喜びと誇りが自然に湧き出るよう、努力していきます。

願わくば、あなた方のこれからに、笑いと気力が溢れますように」


祝辞を終え、壇上から去る際、有紗を凝視する馨と目が合う。


公の場ながら、目元に笑みを浮かべ、あの懐かしい笑顔を見せてくれた有紗に、馨は涙を抑える事ができなかった。



 「流石は御剣の食堂だよなー。

味も量も、文句ないレベルだった」


式典後、馨の元中学の担任だった女性教師に各施設を案内された三人は、その後、寮の自分達の部屋の片付けをやり、一緒に食堂で夕食を食べて、1番私物の少ない馨の部屋に集まった。


お喋りの最中、美樹がふと疑問を口にする。


「ただな~、何か一味違うんだよな~。

自分の舌が覚えている味じゃないって言うか。

・・あたしの舌、そんなに肥えているはずないんだけど」


「私もちょっと、そう思った。

それに、部屋の片付けをしていて、少し違和感があったの。

今やってる、お気に入りのゲームがあるんだけど、それを何時何処で手に入れたのか、思い出せないのよね。

結構古い物だから、新品では売ってないはずなのに、ネットで買った記憶もないの」


「先輩もですか?

実は私も、少し気になる事が・・」


「何があったの?」


「夏に三人で、海辺の別荘に行きましたよね?」


「ええ、行ったわね」


「それって何処の別荘でした?

誰にお借りしたものでした?」


「え?

・・あれ、思い出せない。

美樹、貴女覚えてる?」


「ん?

・・そう言えば誰だったっけ?

あの時の写真に写ってるだろ?」


「これですか?」


馨が透かさず、1枚の写真を見せる。


そこには、輝く海を背景に、三人が仲良く並んで、微笑んでいる姿がある。


「あれ、可笑しいな」


三人があれこれ考えれば考える程、どんどん記憶が曖昧になっていく。


明日からは授業に参加する事もあり、その日はそこでお開きにして、皆でお風呂に向かう三人であった。


翌日の朝には、三人の頭から、昨日の疑問がすっかり抜け落ちてしまっている。


そして、其々が疑問に感じた点は、各自に都合の良いように、記憶がすり替えられていた。



 「「おはようございます」」


それから数日後の朝、冬休みに向けて、皆があれこれ会話をしながら通う学園内の道を、せっせと掃除する一人の少年に、馨達三人も挨拶をしていく。


作業服姿のその少年は、深く被った帽子を更に下げて、挨拶を返す。


「おはよう」


そのまま通り過ぎて行く三人の気配を、その背中で感じ取りながら、少年は作業を続ける。


やがて掃除を終えた彼は、高等部1階の突き当り、職員室とは正反対の位置にある、用務員室と書かれたドアを開け、振り返りもせずに、静かに入って行くのであった。



 年が明け、3学期が始まり、選択科目に音楽の授業を取った馨。


その何回目かの授業で、担当教師によるピアノの伴奏で課題曲を歌う試験があり、その際、彼女から思いもよらぬ言葉をかけられる。


「・・貴女、以前に声楽を習った事があるのですか?」


「え?

・・いえ、そのような経験はありませんが・・」


「・・そうですか。

でもそれにしては、とても見事な歌ですね。

発声も、その音階も、実に見事に表現されています。

歌う事が嬉しく、楽しい。

貴女の歌からは、そんな気持ちが溢れてますよ」


「・・・」


その言葉に、何だか奇妙な懐かしさを感じる馨であった。



 それから3年後。


学園を卒業した馨達三人は、皆其々の道を歩み始めた。


沙織は親の了解の下、大学の理工学部に進むと共に、専門学校にも通って、念願の、コンピュータグラフィックを本格的に学び始めた。


美樹は大学には進学せず、スポーツ選手を数多く抱える企業に入社して、その援助を受けながら、オリンピックを目指し始めた。


高3のインターハイで出した記録が、オリンピックの標準記録にもう少しで届きそうだったせいである。


馨は、奨学金を受けて大学の教育学部に進み、教師になるための勉強の傍ら、趣味で、ネットに自身が作詞作曲した歌を流し始めた。


偽名で載せたその歌は、悲しくも懐かしい旋律で、誰かに何かを呼びかけているような、切なさを伴った曲である。


聴いた者の心に何かを訴えるのか、次第に再生回数を伸ばしていき、その心地良い声と共に、徐々にファンを増やしていった。



 「あら、またこの曲が流れてる。

あのの声、とても素敵だし、人気になるのも分るわ。

・・でも、何だか複雑なのよね。

これ、あなたに向けての曲でしょう?

聴く度に、あの娘に隠し事をしている身としては、切なくて仕方がないのよ。

・・本当にもう、女泣かせなんだから」


有紗がそう言って、パソコンで曲を聴いてる和也の傍に、淹れたての珈琲を置いて行く。


その微かな湯気の向こうで、今では商業化までされ、街角でも耳にするようになった歌が流れる。


和也はそれを、黙ったまま、何度も何度も繰り返し聴いていた。


『どんな時にも 必ず夢に見ている

頬を撫でる 大きな掌 温かい その温もり


夏に下向く 不安げな向日葵のよう

青い海 輝く波 闇の中 照らす花火


長く歩いた 一人きりの細い夜道

その先に光がある 身を包む闇夜がある


何時か感じた 父のようなその愛情

沈黙の時間でさえ 何よりも楽しい刻


・・・・・・・ ・・・・・・・

・・・・・・・ ・・・・・・・

・・・・・・・ ・・・・・・・』

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