第8話

 「三笠先輩、こっちです」


もう少し寝ていたかった、日曜のお昼。


少し重い頭を抱えて、どうにかここまでやって来た。


昨夜、想い人が同じだという理由からか、プライベートにまで踏み込ませて下さるようになった立花先輩のお誘いで、お酒を飲みに行った。


私はそれまで、大学のサークルの飲み会でしか、お酒を飲む事はしなかったが(それも最初の1杯だけ)、意外にもお好きだという先輩に連れられて、彼女の馴染みのお店に入った。


壁一面にずらりと並ぶ、ワインのボトル。


数百本はあるだろう、その棚の隣の席で、ソムリエの方の説明をお聴きしながら、グラスを4杯も空けた。


白1杯に赤3杯。


赤はライト、ミディアム、フルボディの順。


正直、今まで御付き合いで飲んでいた居酒屋のビールは、私には美味しいとは思えなかったが、ここのワインは違った。


注がれたグラスから香る匂い、その美しい色、ワインによって変えられるグラスの形も興味深く、勧められるままに、ついつい飲み過ぎてしまった。


料理の味が更にワインを引き立たせ、真向いでグラスを揺らす先輩の仕種がまた様になっていて、雰囲気とアルコールの両方に当てられた私は、いつも以上に酔いが回り、先輩にタクシーで送って貰った後、さっさとベッドに潜り込んだ。


翌朝、スマホの電源を切ってなかった事を後悔する。


まだ9時前だというのに、大学の後輩から電話がかかってきたのだ。


茶道のサークルで、何故か自分に懐いていた、2学年下の


明るくて可愛くもあったので、男性にもかなり人気があった。


その娘が、御剣グループに入社した私に、是非お話を伺いたいと言ってきた。


彼女も来年、グループの中核企業の何れかを受けたいそうだ。


OG訪問とでも言うのであろうか?


就職活動とは無縁だった私は、その辺の事情には疎いが、熱心に頼んでくるので、宿酔で機能の低下した頭が、つい肯定の返事を返してしまった。


昔から、面倒な事は先にするのがモットーの私は、『今日でも良いですか?』という彼女の問いに、頷いてしまう。


渋々ベッドから出て、シャワーを浴び、身支度を整える。


社会人になってから一人暮らしを始めたので、休日にはやる事が沢山あったが、今日は目を瞑る事にして家を出た。


指定したファミレスに入ると、子供のように手を振ってくる。


恥ずかしいので止めて欲しい。


「お待たせ。

どうして私の電話番号を知っているの?」


席に着くなり、段々冴えてきた頭に浮かんだ疑問を先ず口にする。


社会人になるに当たり、学生時代に使用していた機種とその番号、アドレスを、全部変えた。


御剣グループの社長秘書ともなれば、立花先輩に言われるまでもなく、取り入ろうとする人が増える。


その事を危惧して、家族以外の人では、まだ先輩と有紗社長にしか、教えてはいない(仕事用は社給携帯)。


「妹さんに教えて貰ったんです。

お家の電話に出た彼女に、急ぎの、大事な用があると頼んだら、幾つかの質問の後、教えてくれました」


『まったくあのは。

まだまだ危機管理が甘いわね。

後でしっかり教えておこう』


溜息を吐きたくなりながら、口を開く。


「言っておくけど、誰にも教えないでね。

もし他からもかかってきたら、即座にまた番号を変えるから」


「分ってます。

先輩、無試験での入社ですもんね。

そんな人が、普通の部署に居るはずがないし」


見かけに騙されるが、この娘もかなり頭が切れる。


にこにこ笑って愛想も良いが、本気で怒ると、かなり辛辣な言葉を使って相手を攻撃する。


以前、サークルの飲み会で、私にしつこく言い寄って来た男子相手に、周りが退くような毒舌を吐いた。


決して激しく、大声でもないのだが、冷静だからこそ、相手の心に刺さるのだ。


その男性は、後日サークルを辞めていった。


「さっきは寝起きで頭が働いてなかったから、もう一度確認させて貰える?

貴女はうちのグループの、主要4社の何れかを受けたい。

それで私に何かアドバイスをして欲しい。

できれば、人事の誰かを紹介してくれないか。

そういう事よね?」


「はい。

先輩もまだ入社1年目ですし、それ程社内にお知り合いもいないでしょうから、最後の要件は希望的観測の域を出ません。

私にとって大事なのは、先輩のお話をお聴きする事ですから」


ざっとメニューを見て、店員さんに注文をしてから、話を再開する。


「私の話ねえ・・。

知っての通り、私は入社試験を全く受けていないし、参考にはならないと思うけど」


「それですよ。

何で受けずに入れたのですか?

だってあの御剣ですよ?」


「運が良かったのよ。

・・私が奨学金を受けながら、学生生活を送っていた事は知ってる?」


「いえ、知りませんでした。

そう言えば、お父様は確か交通事故で・・」


「ええ。

高校から育英会の奨学金を受け始めて、大学でも継続して受けようとしていたある日、偶々私が一人で募金活動をしていた所を、グループの会長さんがご覧になっていたらしいの」


「御剣グループの会長がですか!?

伝説的な人物じゃないですか。

彼、どんな方なんです?」


「私もお会いした事はないから、正確な事は分らない。

会長にお礼をお伝えする時は、いつも社長秘書の方が間に入って下さっていたから」


本当は既に知っているのだが、流石に全部は話せない。


「社長秘書と言うと、立花さんですよね?

何度かお名前が新聞に載っていたので知っていますが、かなりお若く見える、とても綺麗な方でした」


「私の憧れの先輩ですから。

・・話を戻すわね。

それで、その私の姿に感銘を受けられたという事で、わざわざ立花先輩を学校に遣わして下さったの」


「先輩ですもの、お一人で募金に立つお姿は、嘸かし映えた事でしょうね」


「そんな事ないわよ。

実際、初めの内は、ほとんど集まらなかったし」


窓辺から見える外の景色に、まるで何かを思い出すかのように、その優しく、温かな眼差しを向ける弥生。


「見る目がない奴ら」


「ん、何?」


ぼそっと呟いた彼女の声を聞きそびれた弥生が、視線を戻しながら尋ねる。


「いえ、別に。

お話の流れからして、大学からは会長直々の援助を受けられて、就職の際も、お口添えを頂けたと」


「そう」


「御剣の会長からのご援助か・・。

差し支えなければで結構ですが、一体幾らくらいだったのですか?」


「・・毎月8万円の奨学金と、入学金、授業料全額。

高校で借りた分も、全て肩代わりして下さったわ。

妹の分までね」


「流石御剣・・と言いたい所ですが、意外と普通ですね。

かの御剣の会長だから、もっとこう、何千万も頂いたのかと思いました」


彼女の家は裕福だ。


グループとは無関係だが、親が何かの会社を経営してると聞いた事がある。


だからだろう。


お金に対する考え方が、私とは少し違う。


「貴女は、もし何もしなくても、誰かから毎月100万円ずつ貰えると言われたら、働こうと思う?」


「え・・そうですねぇ、遊んで暮らす分には足りないですが、少なくとも、嫌な仕事には就きませんね。

好きな仕事が見つかるまでは、働かないと思います」


「貴女に誰か、目をかけている人がいて、その人に援助をしたいと考えたとする。

その時、毎月10万円あれば足りるのに、100万円ずつあげようと思うかしら?

その人は、夢を叶えるために頑張ってる。

でもその夢は、毎月沢山のお金が入るのなら、別に叶えなくても良い。

それでも貴女は、その人に100万円ずつ渡す?

その人の折角の努力を、才能を伸ばす機会を、棒に振ってしまいかねないのに?」


彼女の眼を見て、ゆっくりと、語り掛けるように、そう告げる。


「・・済みません、失言でした。

大富豪だから、このくらいはなんて、勝手に想像していました。

お恥ずかしい限りです」


いつもの笑顔が、鳴りを潜めている。


「でもお陰で、私から貴女に、御剣の先輩として話してやれる事が見つかったわ。

・・うちのグループが1番大切にしているものは人材。

中途半端な学歴より、社員一人一人の人間性を重視する。

大勢の社員の中には、中卒の方だっていると聞いたわ。

でもね、そんな事に関係なく、皆で目標に向けて力を合わせる事ができるのが、うちのグループの素晴らしい強みなの。

待遇が良いせいもあるけれど、社員の皆が、他の仲間のカバーに入り、誰かが躓けば、他の誰かがそれを支える。

女性だって、皆生き生きと働いてる。

何度産休に入ろうと、何年育休を取ろうと、送り出す方も、休む側も、『また帰って来いよ』、『また戻って来ます』と、笑顔で言える会社なの。

・・貴女がうちのグループを望むのなら、残された大学生活を、しっかりと楽しみなさい。

誰が貴女の面接を担おうと、入社試験で堂々とその学生生活を誇れたなら、きっと落ちる事はないはずよ」


「噂に違わず、とても良い会社なんですね。

先輩のお言葉も、とても参考になりました」


「半分は立花先輩からの受け売りよ。

グループにとっても、貴女のような人材が入る事はプラスになるわ。

頑張ってね」


「本当ですか?

先輩は、私が入る事を喜んでくれるのですね?」


「ええ、勿論」


運ばれてきた料理に手を出しながら、弥生は微笑む。


自分を見つめる彼女の眼と、己の言葉が発する熱量の違いに、最後まで気が付かない弥生であった。



 「御剣さん、どうですか、この制服?」


体感の上では、めっきり短くなった秋が顔を覗かせ、寮生の三人も、冬服に袖を通すようになった。


その初日、朝食を食べにやって来た沙織が、はにかみながら、そう尋ねてくる。


いつもはもっとゆっくりしているのに、制服を見せるため、わざわざ1番早く来たらしい。


「む・・」


和也の脳内で、素早く選択肢が現れる。


1・『落ち着いた色合いが、君によく似合っている』


2・『もう少し、スカートが短い方が良い』


3・『色気が足りないな』


表示される選択肢の中に、『これはどうなんだろう』というような物が混じるが、和也の長年に亘るゲーム経験が、選択肢とはそういうものだと彼に教えている。


当然1が、脳内で点滅する。


「落ち着いた色合いが、君によく似合っている」


「本当ですか!?

嬉しい。

地味だと言う娘もいますけど、私はこの色が好きなんです」


席に着き、微笑む彼女の前に、出来立てのオムレツと、ロースハムの載った皿を出していると、残りの二人もやって来る。


「ちぇっ、先を越されたか」


「フフッ、残念だったわね」


悔しそうな美樹に、沙織が得意そうに答える。


インターハイの200m走と幅跳びが、其々全国3位と2位に入賞した美樹は、和也から与えられた資料を基に、どんどん力を付けている。


マッサージの時間に、柔軟体操まで取り入れ、股関節を柔らかくした事で、よりスピードに乗れるようになった。


更に、ここでのバランスの良い食事は、良質の筋肉を増やし、余分な脂肪をなくしていく。


味も量も申し分ないので、間食に菓子などを食べる必要が無く、また、その気も起きなかった。


同様に馨も、細かった身体に少しずつ肉が付き、女性らしい体つきになっている。


和也が作る料理を、毎食楽しく、喜んで食べているせいで、段々と食も太くなってきている。


「ねえ御剣さん、もう直ぐ、うちの高校の文化祭があるんです。

お時間に余裕がお有りでしたら、見に来ていただけませんか?」


最近、借りたゲームの攻略や感想を話しに(学生の彼女は、平日は多い日でも2、3時間しかやれないので、和也が貸した、やり込みゲームは中々終わらない)、管理人室を訪れる機会が大分増えた沙織が言う。


「沙織何言ってんの、駄目だって!」


美樹が慌ててその言葉を否定する。


「えっ、・・どうして?」


「御剣さんがうちの学校に来たら、女子達がどんな反応をするか分ってる?

ここにまで押しかけて来るかもしれないよ?」


普段の買い物も、そのほぼ全てが宅配(彼女らはそう思っている)の和也は、滅多にこの寮から出ない。


なので、町の人の中にも、和也とこの寮を結び付けて考える人はいないのだ(エアコン等の工事は、和也の命を受けた皐月が、現地で手配している)。


「そうだった。

・・済みません、先程のお話は忘れて下さい」


申し訳なさそうにそう告げる沙織に、和也は分っているという顔をする。


「男性の自分が女子寮の管理人をしているのだ。

世間体が悪いのは十分に理解している。

だから、日中もなるべく外には出ない」


「御剣さん、先輩方は、そういう意味で言ったのではないと思いますよ?」


呆れたような顔をしている二人の代わりに、馨がそう口にする。


「?」


「もうそれで良いや」


美樹が溜息を吐いて、そう話を締め括った。



 その日、和也はとあるアニメ映画を見ていた。


沙織が、物凄く奇麗な背景を描く会社の作品だからと、勧めてきたのだ。


36インチの画面で見るその作品は、確かに一見の価値があった。


背景画だけではない。


キャラクターの美麗さ、音楽の秀逸さ、そのストーリーも、中々によく練られていて、和也をして、最後まで目を放させなかった。


・・ただ、気になる点が1つだけあった。


神である和也だから見えたのであろうが、その映画の中で、背景の中を漂う、1つの魂を目にしたのである。


それは何処か寂しげに、まるで何かをやり残したかのように、特定の背景で現れた。


和也は気になって、その魂の記憶を探る。


『・・・』


程無く、深く目を閉じた彼は、その魂の望みを叶える事にする。


この会社の、このシリーズに限って、今後出される作品の中へ、その魂を転移させてやる。


その魂が、心残りを解消し、新たな生を求めて転生の門を潜ろうとする、その時まで。

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