第23話

 「それで、私がここに連れてこられた理由なのですが・・」


和也にそっと右手を取られ、以前贈られたリングに、眷族への門を開く機能を付加して貰ったジョアンナは、間近で見る彼の顔に照れて、何かで紛らわそうと、そう口にする。


直ぐにでも眷族化しようかと申し出る和也に、『少し時間を下さい』と答えた彼女。


『何時でもなれる』という和也の言葉に、それならと、もう少しだけ、人としての時間を楽しむ道を選んだようだ。


自分の気持ちに応えてくれるという約束は、彼女が眷族化を承諾した時点で、既に確定している。


今の身体のままでも、彼女が望みさえすれば、妻達や他の眷族の女性から予約が入っていない限り、何時でも応じてくれるそうだ。


因みに、ジョアンナが譬えとして出した、『偶には違う女性に手を出してみたい』は、和也によって、『二度とそんな事を言ってはいけない。自分をそんな風に卑下するな』と、やんわり叱られた。


「君に歌を歌って貰うためだ」


「歌・・ですか?

わざわざお聴かせする程上手ではないと思いますが、何故、ここで?」


「マライカン全土に、あまねく響き渡らせるためだ」


「え!?

・・幾らご主人様のご要望でも、流石にそれは恥ずかしいです。

それ専門の、もっと上手な方にお願いした方が宜しいかと・・」


貴族の嗜みとして、最低限の音楽の心得はあるが、それは専ら聴く方で、自らが実践する方ではない。


ダンスの訓練で、子供の時から音楽には接してきたが、ここ暫くは、それからも遠ざかっている。


「歌と言っても、君が考えているようなものではない。

以前に君に授けた魔法、あれを使って貰うだけだから」


「あの統治魔法とかいうやつですか?

確かに心に歌が響いてきましたが、あの時の歌詞は、もう既に忘れてしまいました。

申し訳ありません」


心底済まなそうにそう口にする彼女に、和也は笑って言う。


「自分が自ら、直接君に授けた魔法だぞ?

そんなやわなものであるはずがなかろう。

大丈夫だ。

いざ使う段になれば、自然とまた君の心に湧いてくる」


「同じ歌詞がですか?」


「歌詞はその時の君の気持ち次第で、多少変化する事もある。

歌い手により、同じ歌でも印象が違って聞こえるように、君の心がその時伝えたいと思う事柄が、自然と歌詞となって現れるのだ。

まあ、その魔法の特色上、仮令君が怒っていて、誰かに怒りをぶつけたいと考えていたとしても、負の感情だけは反映されないようになっているが・・。

そういう時は、恐らくメロディーまで変化して、悲しげな調べとなる事だろう。

・・先程の件、もう怒っていないよな?」


「フフフッ、さあ、どうでしょう?

・・冗談です。

今の私の心には、ご主人様に対する愛しさしかありませんから」


和也が微妙に落ち込んだように見えたので、慌ててそう付け足す。


このご主人様は、一般的な主人と違って、私達使用人の気持ちを過度に汲んで下さる。


とても有難いご配慮だが、今みたいに、迂闊に冗談も言えない時がある。


こんなに貴方様を想っているのに、中々伝わらないなあ。


『私達を呼んでくれたら、手を貸してあげる』


『え!?

今の声、何?』


突然頭の中に響いてくる声に、びっくりするジョアンナ。


思わず目を見開いてしまう。


『お父様の僕になるなら、こんな事で一々驚いていては駄目。

ほら、早くお父様にお願いして』


『な、何をですか?』


驚きながらも、声には出さず、きちんと心で会話をする彼女。


こういう機転が利く面も、和也からの評価が高い理由の1つだ。


「・・娘達の気配がするな」


戸惑っているジョアンナに、苦笑しながらそう呟く和也。


「娘さん、ですか?

・・お子様がいらしたのですか!?」


物凄く驚いている。


「娘と言っても、君が考えているような存在ではない。

自分が生み出した、精霊の王達の事だ」


「精霊王!?

そんな方々が何で私に!?」


目の前に、その上位に位置する神が居るのに、ここでも律儀に驚いている。


この事からも、彼女にとって、和也は敬うだけの存在ではない事が分る。


「・・姿を見せるが良い。

悪い事をしている訳ではないのだろう?」


虚空を見据え、和也が苦笑しながら言う。


『宜しいのですか!?

では、お言葉に甘えて』


先程ジョアンナに話しかけた者とは異なる声が、弾んだように、そう返事をする。


かなり広い謁見の間(改装したせいで、100㎡くらいある)の中央、その上空に、突然浮かび上がる6つの円。


6色の魔法陣の中から、其々個性的な服装をした、六人の女性達が現れる。


「お父様、ご機嫌よろしゅう。

お会いできて嬉しいですわ」


「大好き」


「また貴女は抜け駆けして!

言葉が足りないのは幼い証拠よ?」


「そっちこそ、変な言葉を使って、馬鹿みたい」


「な!

お父様の為に、あちらの世界の情報収集にさえ余念が無いわたくしに向かって・・」


「そこまでです。

お二人共、お父様が呆れていますよ?」


「「!!」」


出てきて早々、喧嘩を始めたエメワールとディムニーサに、ファリーフラがやんわりと釘を刺す。


「相変わらずで何よりだ。

今回は皆でどうした?」


「・・お父様が、先日の戦に呼んで下さらなかったから、寂しくて・・」


珍しく、レテルディアがそんな事を言ってくる。


「妻達ばかり可愛がっていては、娘が寂しい思いを致しますわよ?」


「最近、プロテクトが掛かる事が多過ぎますわ」


「もっとお父様との時間が欲しいです」


他の皆も、口々に寂しさを訴えてくる。


「済まなかったな。

人への攻撃で、安易にお前達の力を用いれば、幾ら加減するとはいえ、周囲の環境を含め、その被害は甚大になる。

今回は、それ程強い力を欲しなかったので、あれくらいでちょうど良い。

お詫びに、其々の機体(『六精合体』参照)に、地球の美味しい菓子を送っておこう」


「「!!」」


「お父様有難う。

漫画に出てくるようなお菓子を、一度食べてみたかったの」


ディムニーサが、いつもは無表情な顔に薄っすらと笑顔を浮かべて、如何にも嬉しそうにそう述べる。


「物を食べるなんて初めて!

どんな感じがするのでしょう?」


優等生のファリーフラでさえ、興奮を隠せないでいる。


「ん?

これまで送った事なかったか?」


「ブブーッ。

お父様ギルティ。

罰として、紅茶も一緒に下さいな」


メルメールの可愛らしい要求に、和也は頬を緩ませる。


「分った。

マリ〇ージュフレ〇ルを見繕っておこう」


「?

お店の名前ですの?」


「個人的に好きなブランドでな。

有紗とよく飲んでいる」


『・・会話に入り込めない。

私今、凄い体験をしてるのよね』


神と精霊王達が一堂に集う場所に、たった一人、人間の身で参加しているジョアンナ。


なるべくその視界に入らないよう、見動きすらせずにいた彼女に、和也が声をかける。


「そういえば、娘達に何か頼まれていたようだが?」


「えっ、・・ええ、まあ。

何かをお手伝いして下さると・・」


「何を手伝いたいのだ?」


和也が今度は彼女達に尋ねる。


「お父様は彼女に、魔力を帯びた歌を歌わせるお積りなのでしょう?

でしたら、何時ぞやのように、わたくし達もお手伝いできる事があるのではと・・」


「一緒に歌いたいのか?」


「いえ、そこまでは・・。

ただ、聞く者に、より肉体的、心理的効果を与えられるのではないかと」


「ジョアンナさえ良ければ、その方が確かに効果が高いだろうが・・どうする?」


「是非お願い致します!」


何時の間にか歌う事が確定している状況に、少し泣きそうになりながらも、必死に懇願する彼女。


「分った。

では、そろそろ始めるとしよう。

お前達も宜しく頼む」


「「「はい、お父様」」」


玉座から10m程離れた場所に、1つの大きめの魔法陣を創り、その左右に3つずつ、精霊王達が入れる小型の魔法陣を敷く和也。


そして自らは、玉座に腰を下ろす。


「自分は音楽が好きだ。

特に歌はな。

申し訳ないが、今回はこの特等席で、お前達の歌を楽しませて貰いたい。

・・ジョアンナ、宜しく頼む」


和也に優しい眼差しで見つめられた彼女は、観念したように、だが強い決意を持って、魔法陣の中央に立った。


これからの果てしない時間を、彼に寄り添い、彼の為に生きると決めた自分が、こんな事くらいで尻込みする訳にはいかない。


何より、己の命より大切なご主人様が、自分の歌を聴きたいと言ってくれているのだから。


そう考えた彼女が、顎を上げ、しっかりと和也を見据える。


「いくぞ」


それを合図に、和也が魔法陣に魔力を流し込む。


同時に、謁見の間が、薄い闇に包まれる。


蒼く輝き出した魔法陣から、大量の光が溢れ、それに包まれるようにして、彼女は目を閉じた。


心の内から湧き上がるメロディー。


口に出すべき言葉が、その歌詞の全貌が彼女の頭の中に現れ、それがサポートの立場にある精霊王達と共有される。


静かに目を開いたジョアンナは、前方に座る和也だけを見つめて、歌い始めた。



 その頃、ビストー領を除くマライカン全土では、人々の間に言い知れぬ不安が広がっていた。


最大の強国オルレイアが解体され、新たに4つの国ができる事。


他の4つの国々でも、国王が強制的に交代させられ、新しい政権が誕生した事。


それらの知らせが加速度的に伝わるにつれ、その当事国の住人はもとより、無関係の5国内においても、『次は自分達の国が・・』と根拠のない憶測が生じ、人々は、己の生活の行く末を不安視していた。


そんな彼ら(彼女ら)の下に、それは突然響いてきた。


祭り等で演奏される、実際の音ではなく、その身体の中に、直に響いてくるメロディー。


優しく、穏やかで、心地良いその音色に、今している事の手を止め、人々は次第に耳を傾け始める(料理や仕事で火を扱っていた者には、レテルディアがそれを一時的に止め、馬車や馬で移動していた者達は、ヴェニトリアが、急に停まって他とぶつからないように、気流で調整してやる)。


そして、そうした者達の頭に、心に、新たな情景が浮かんでくるのだった。



 其々が持つ心の闇。


密かに隠し持つ不安、恐れ、怒り。


何気ない顔で、日々を何とか暮らしていく者達が、誰でも持っている負の感情。


善良で真面目な者ほど、そうしたものを抱える自分に、ある者は嫌悪感を抱き、またある者は劣等感に苛まれる。


そんな暗い心の視界を、まるで『ペール・ギュント』の『朝』の情景の如く、段々と晴らしていく旋律。


ファリーフラの力を借りて、人々の心に、より鮮やかな景色が広がる。


遠き日に、うず高く聳える山際から顔を覗かせた朝日。


昼寝にと寝そべった木陰から漏れてくる木漏れ日。


水遊びにと入った川で、水面から放たれる反射光。


思い出の中にある光の何れもが、時にはその頬をくすぐり、時には新たな希望を抱かせる。


『春になったら、皆で森に行こうよ。

厳しい冬を乗り越えた、色とりどりの木々や花々が、きっと私達を出迎えてくれるよ?』


『来年は、都会で仕事に就く積りだ。

沢山稼いで、お前達に楽させてやるからな』


『学校に通うの。

やっと夢が叶う。

どんな人と出会えるかな?

沢山勉強できると良いな』


『アハハハッ、こら、そんなに走っちゃ駄目。

私が転んじゃうでしょう?

慌てなくても、これからは暫くお外に散歩に行けるよ?』


様々な光を浴びながら紡いだ言葉の数々が、その時の感覚そのままに、人々の心に思い出される。


まるで、実際にその光を浴びているような、温かさを伴って。


歌詞の進行と共に場面は変わり、日差しが厳しい夏の光景へ。


魔法以外では中々涼む事もできないが、暑いなら暑いなりに、暮らしの中で何らかの楽しみを見つけ出す子供達。


『うわっ、ぬるい!

川の水でもこれかよ。

暑過ぎるだろ、今年』


下着姿で泳ぐ少年が、思わず漏らした不平。


『この時期は食べ物が直ぐ痛むね。

何とか保存できないかなあ』


仕事から帰って来る親の為にとご飯を作った少女が、ポツリと呟いた言葉。


その1つ1つに、レテルディアが眉を顰めるが、メルメールが笑顔で彼らの記憶に介入する。


「それだけじゃないでしょう?

暑い時に、より楽しくなる事はなあに?」


魔法陣を通して流れ込む彼女の魔力が、人々の埋もれていた記憶を掘り起こす。


『美味しい!

この果物、やっぱり暑い時が1番美味しいよね?』


『もう夕方か。

そろそろ行こうぜ?

あそこの水辺、この時期の夜はとても奇麗なんだ』


『お祭りが始まるよ?

早く行こうよ。

お母さんがお小遣いくれたんだ?

何を買おうかなー』


口元を汚しながら頬張る果物から、零れ落ちる果汁。


感動を共有したくて、蛍の光を見に、好きなの手を引いて歩いた近所の夜道。


豊作の翌年は、いつもより出店の数が多い村の夏祭りで、あれこれ悩んだ末、やっと決めた食べ物。


その汗や汚れを落とすべく浴びた井戸水は、その冷たさが、体温と共に、事後の興奮まで静めてくれた。


メルメールが、顰めっ面を止めたレテルディアにウインクする。


歌詞が中盤以降に差し掛かり、その映し出す光景が、秋から冬のものへと入れ替わる。


この世界の森は、怖い場所ではあるが、恵みを齎す宝庫でもある。


冬支度に向けて、子供達は浅い場所で薪や茸を集め、大人は狩りや収穫で、保存食作りに忙しい。


『良い匂い~。

干し草の匂いって、何でこんなに優しいのかな?

お日様の心が移ったのかな?

ならきっとお日様も、本当は優しいんだよね?

夏は少し、機嫌が悪いだけなんだ』


『奇麗ね。

暑かった年の紅葉は、本当に見事だわ。

辛い思いを沢山した分、普段より美しく着飾る事のできる木々。

私にも、今の病を克服できたなら、きっと素敵な人生が待っているわよね』


枯葉を踏む音と、それらをゆっくりと舞わせる緩やかな風。


あの時と同じ匂いの風が、彼女の髪を揺らしていく。


『・・秋祭り、良かったら俺と一緒に行かないか?

・・それとも、もう誰か他に、一緒に行く奴がいるのか?』


ずっと好きだった幼馴染に、初めて行動を起こした日。


俯いて何も言えない相手が、そっと手を握ってきた時の感動を、俺は絶対に忘れない。


年月と共に皺を刻んだ男の嗅覚が、当時祭りを見ながら彼女と並んで座った土手と、同じ土の匂いを捉えた。


歌が終盤に差し掛かる。


都会では、まるで何かを覆い隠すかのように、田舎では、収穫を終えた侘しい大地にせめて純白の衣を着せるかのように、音もなく降り積もる雪。


『寒い~っ。

雪が多いとは聞いていたけど、こんなに寒いなんて聞いてない!

あいつ、私を嫁に貰うために、敢えて黙っていたわね?』


田舎で初めて迎える冬の寒さに文句を言って、身を竦ませる女性に、義母が穏やかに笑いながら告げる。


『この寒さがあるから食べ物が日持ちするし、獣の肉も、これを乗り越えようとして脂が乗る。

あんたの好きな温泉だって、寒いからこそ、お湯の温かさが一層引き立つんじゃないのかい?』


うっ、それを言われると・・。


ここに来て良かった事は沢山あるし、不便に感じる事も、裏では何かを支えているのは事実だし。


『まあ、あたしは全然心配してないよ。

あんた達の仲の良さは、深夜に嫌という程、聞こえてくるからね』


『!!!』


真っ赤になった私を、期待するように見る義母。


『意外と早く、孫の顔が見れそうだね』


もう!


だからあれ程、サイレントの魔法を覚えたかったのに・・。


俯いて赤くなった顔を隠す女性の側で、囲炉裏の火が、パチンと音を立てた。


「今夜はゆっくりお眠りなさい。

今抱えている不安も、恐れも、その怒りでさえ、わたくしが特別に面倒見てあげる。

老いも若きも、如何なる種族の者でさえ、お父様の前では皆平等。

この世界に生まれた事を純粋に楽しめる者ならば、あなた達にはわたくし達の加護がある。

安心して、お眠りなさい。

明日もきっと、変わらぬ日常がやってくるから」


エメワールの穏やかな言葉が、曲の終わりに華を添える。


途中から目を閉じ、一心に、浮かぶ歌詞に魔力と想いを込めて歌っていたジョアンナが、そっとその瞼を開いていく。


歌の最中、内から湧いてくる感情の渦に、己の瞳を僅かに湿らせていた彼女が、薄い涙越しに、真っ先に視界に入れた和也の姿。


自分と同じように目を閉じ、背もたれに寄りかかるようにして座っている彼の表情は、まるでその余韻を楽しむかのように、笑みに溢れている。


やがて、徐に目を開いた和也が、一言だけ彼女に声をかける。


その言葉と響きは、以後の彼女の心の中で、決して色褪せる事はなかった。

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