第17話

 「では、後は二人で楽しんでくれ。

散策の質を落とさぬよう、アリアに色々渡してあるから」


翌日の朝、アリアと二人でオリビアを迎えに来た和也は、地下迷宮の入り口を少し過ぎた所で、女性達にそう告げる。


「念のため、オリビアには保護魔法を掛けておく。

この迷宮を出るまでの時限魔法だが、ここに居る間は、誰も君には危害を加えられない。

何処かに連れ去ろうとしても、障壁が跳ね返すから安心して楽しんでくれ」


「有難う。

相変わらず、至れり尽くせりね」


「君が自分と出会うまでのアリアに、良くしてくれていた礼でもある。

異論はあるだろうが」


和也が去ると、オリビアがアリアに言う。


「手を繋いで貰っても良い?」


「どうぞ」


アリアが差し出した左手を、嬉しそうに握る彼女。


「今回は何処へ行くの?

またあの湖に行く?」


「それも良いですが、6階層の森へ行ってみませんか?

和也さんが、良い場所があると教えてくれたんです」


「へえ、・・でも2日で往復できる?」


「それは大丈夫です。

今回の散策は、オリビア様に私達の事を色々と知っていただくためのものですから。

ただ、他の人に知られると面倒な事になるので、他言無用でお願いしますね」


「・・分ったわ。

約束する」


「有難うございます。

では、行きましょう」


前回の散策で、2階層と3階層への入り口は把握してあるので、女性二人だけの自分達に頻繁にかけられる声を無視して(或いは愛想笑いで済ませて)、さっさとそこまで移動する。


途中何度か弱い魔物に遭遇したが、アリアを見るなり逃げて行った。


「ここまで来れば後は楽です」


3階層へ降りた所で、アリアが周囲の様子を探る。


強行軍でここまで来ただけに、疲労の見えるオリビアに微笑む彼女。


「済みません、お疲れですよね?

もう少しでお茶にしますね」


オリビアの手を握り直し、6階層まで転移するアリア。


「え!?」


突然周りの景色が変わった事に、オリビアが驚きの声をあげる。


「・・貴女、もしかして転移したの?」


「はい。

私も使えるようになりました」


「・・・」


「ここには魔物以外の邪魔者は居ませんから、直ぐお茶の準備をしますね」


オリビアの為に、和也から貰ったトイレとテーブルセットをリングから取り出し、更に食器やお菓子を並べる。


埃や虫が入らぬよう、周囲に障壁を張った中で、お茶を楽しむ二人。


「・・美味しい。

このケーキ、何処の?

うちの御用達にする」


「前回、旦那様が話題にしたパン屋さんのものです」


「ああ、成る程。

・・それで、そろそろ話を聴かせて貰える?

貴女が彼を『旦那様』と呼ぶ理由もね」


「・・オリビア様は、私の事、好きですよね?

それは、仲の良い友人としてではなく、異性に向けるものと同じなんですよね?」


「そうよ。

貴女の事、大好きなの。

可能なら結婚したいくらいに」


「もし領主様が、オリビア様の婚姻をお決めになられたら、どうなさるのですか?」


「断るわ。

私は男と一緒になる積りは無いの。

そこには違和感しかないんだもの」


「断れるのですか?」


「五分五分ね。

後継ぎではないから、子供を産む必要はないし、経済的にも裕福だから、他の家から婚姻を餌に援助を得る必要もない。

ただ、家に迷惑をかけないよう、自分で稼ぐ手段を見つけないと、自己主張するのは難しくなる。

これまでも少しずつお小遣いからお金を貯めてきたけど、婚姻を断ったら、貰えなくなるだろうしね」


「もし断れない場合は、どうするのですか?」


「・・家を出るかもしれないわ。

でも、そうしたらアリアは私と会ってくれないわよね?

依頼も出せなくなるし・・」


「そんな事はありませんけど・・」


「本当!?

お金や地位が無くても、私と親しくしてくれる?」


「少し傷つきますね。

今までだって、有難く援助は受けていましたが、それだけが目当てでお付き合いしていた訳ではありません。

確かに、過度なスキンシップには少し困りましたけど、本当に嫌なら、私はお断りしています。

私を囲おうとされた人の中には、実際、もっと良い条件を提示される方が大勢いましたから」


「御免なさい。

・・でも、何でそんな事を聴くの?」


「私は旦那様が大好きです。

心から愛せる人は、彼唯一人だけ。

既に結婚して、彼に抱かれてもいます」


「!!!」


「何度も何度も意識を手放し、疲労が限界近くまで達しても、彼から回復されれば、また自分から求めにいきます。

私には、その一時ひとときが至福の時間なんです。

他の誰にも与える事のできない、触れられたくない喜びなんです。

・・正直に言います。

旦那様は、もし貴女が望むなら、私が貴女をその庇護下に置いても良いと言いました。

私も貴女が嫌いではありません。

妹のように感じる時もあり、こうして二人で過ごす時間も、今は楽しいとさえ思っています。

ですが、オリビア様が真に求めているような、そういう感情までは、今の所ありません。

ですから、もし私の側で暮らしたとしても、もしかしたら、ずっとそういう行為はないかもしれません。

それでも、貴女は私の側に来たいですか?」


過度な期待を与えて後になって苦しめるより、最初から全てを伝えて判断させた方が良い。


そう考えて、はっきりと口にするアリア。


聴いていたオリビアは、途中から視線を下に下げた。


「・・行きたいわ。

だって貴女が本当に大好きなんだもの。

仮令自分で自分を慰める事になっても、貴女の傍に居たい。

抱き締めたり、頬にキスするくらいは良いのでしょう?」


「ええ、それくらいは。

それともう1つ、お伝えしなければならない事があります。

私はもう、人間ではありません。

旦那様の眷族の一人になって、共に永遠の時間を彷徨う存在です。

もう少ししたら、身体の成長も止まり、以後は老化する事もありません。

・・貴女は人間です。

これから大人になり、高齢になり、そしてやがては死ぬ定め。

貴女が旦那様に認められ、眷族として受け入れて貰えなければ、共に過ごす時間は数十年でしょう。

それでも、この私と、限られたその人生の時間を謳歌したいですか?」


途中で大きく目を見開いたが、黙ってアリアの言葉を聴いていたオリビアが、やがて口を開く。


「やはり、彼は人ではないのね。

一体何者なのか、教えてくれる?」


「神です。

全ての世界を生み出した、唯一の神。

それが和也さんです」


「真面目に言ってるのよね、それ。

・・神・・か。

唯一神って、神は沢山いる訳じゃないんだ?

今度各教会にも課税しようかしらね」


オリビアの両の瞳から、大粒の涙が溢れ出す。


「只でさえ女同士で難しいのに、その上神様の仲間入りしちゃうなんて、私は一体どうしたら良いの?

お金では買えない、努力でもどうにもならない、御負けに、流れる時間まで違うなんて・・。

うっ、うううっ、うう・・」


アリアはただ黙って彼女を見ている。


心に痛みはあるが、これを我慢できないようでは、到底和也と共に生きていく事はできない。


彼が事前に自分達に確認していたのは、正にこういう事なのだから。


「どうしたいか決まりましたか?」


彼女の嗚咽が少し収まるのを待って、努めて穏やかに、そう尋ねるアリア。


「・・一緒に居たい。

それでも私は、貴女と一緒に居たい。

何でもするから、貴女が言う事全てを聴くから、私を傍に置いて下さい。

・・貴女と、一緒に居たいの」


最後の一言は、静かだが、まるで魂の叫びのようであった。


「・・分りました。

オリビア様には負けました。

貴女の気持ちに何処まで応えられるかは分りませんが、可能な限り、一緒に居ましょう。

和也さんが居る時は、私はあの人の側を離れない。

だけど、彼が何処かに行っている間は、なるべく貴女方との時間を作ります。

それで良いですね?」


「!!!

・・有難う。

やっぱり、貴女で良かった。

貴女だけを追いかけて良かった。

とっても嬉しいわ」


顔を上げた彼女は、再び涙を流しながらも、満面の笑みを作る。


「・・でも、『貴女方』って、他にも誰かいるの?」


「今はいませんが、旦那様が、今後増えるかもしれないと・・」


「負けないから。

せめて貴女の愛人の間では、1番になるわ!」


「愛人!?

変な言い方しないで下さい。

せめて友達か妹で・・」


「私が心でそう思っているだけだもの。

大丈夫、ちゃんと公私のけじめはつけるわ」


すっかり冷めてしまったお茶を魔力で温めてやりながら、アリアは心中で苦笑いする。


やはり彼女には、冷たくし切れなかった。


でもそれで良いやと思う。


少なくとも、自分の心に嘘は吐いていないのだから。



 「いらっしゃいませ」


「あれ、アンリさんは?」


「彼女は今、仕込みの最中で・・」


「何だ、じゃあまた後で来る」


「・・・」


もう何回同じ事を言われたか分らない。


そう告げるのは全て男性ばかりだが、自分と出会う前の彼女の話からは、今のこの状況を考えられない。


友人が増え、明るくなった彼女は正に美しく、この市場の顔でもある。


買いに来る客全てが、注文より先に彼女の事を尋ねるのだ。


フードの下に見える口元に、思わず笑みが零れた。


和也は今、セレーニアの市場で、アンリの代わりに店番をしている。


知り合いに会うと不味いので、『蒼き光』の巡礼者が着るような、フード付きの貫頭衣を身に着けて、顔を隠している。


アリア達と別れ、その足でこの世界に来た和也。


大分在庫の少なくなったアンリのパンを仕入れようと、その家に赴いた和也は、市場に出かける準備をしていた彼女に理由を話し、そこに出来上がっていたパンを全て譲り受けようとした。


喜んで差し出そうとした彼女だが、その際、その様子に少し違和感を覚えた和也は、見つめられて視線を逸らすアンリの心を覗く。


案の定、その幾つかには既に予約が入っていて、和也が全部貰ってしまえば、彼女はその分を急いで焼き直さねばならない。


中には、そうすると間に合わない予約もあった。


『私が謝れば済む事ですから。その方には申し訳ありませんが、私の優先順位には、常に御剣様が頂点に居られます』


彼女はそう言って、なおも全部差し出そうとしてきたので、和也は礼を言いつつも、ある提案をしたのだ。


『では自分が市場で店番をするから、君は新たにパンを焼いてくれないか?君のパンのファンが増えて、なるべく沢山欲しいのだ。今日はずっと、君を手伝うから』


それを聴いたアンリは、真っ青になってよろめいた。


『そんな!!恐れ多くも御剣様に、店番をさせるなんて事できません。ミューズが知ったら、私、何をされるか・・』


そう言って断ろうとする彼女に、和也は呟いたのだ。


『仕方ない。今後は無断で店頭から貰う事は勿論(エリカ編16参照)、こうやって買いに来る事も控えよう。君に余計な労力をかけたくないからな』


それを聴いた彼女の反応は劇的だった。


ぼろぼろ涙を溢し、和也に抱き付いてきたのだ。


『済みません。申し訳ありません。どうかそれだけはお許し下さい。私、パンを作れなくなってしまいます』


ちょっとだけ駄々を捏ねる積りが、あまりに大きな影響を与えてしまった事に、今度は和也が慌てる。


『いや、済まん。君のパンがないと困るのは自分の方なのだ。本当なら、毎日でも買いに来たいくらいだぞ』


アンリがそっと、泣き顔を上げる。


『・・本当ですか?』


『勿論。他の皆にも是非食べて貰いたい故、ある程度は我慢しているのだ』


再びそっと、抱き付いてくるアンリ。


『嬉しいです。これからも、御剣様の為に一生懸命お作りしますね』


このような遣り取りを経て、どうにか店番を任され、昼前からずっとここに立っている。


だが、売れたのは予約分を取りに来た者を除けば、その全てが女性のみ。


しかも、アンリではない自分が何故ここに居るのかを問い質される。


その度に、適当な言い訳を伝え、顔を見られないよう下を向く和也だったが、そんな彼の前に、また一人のお客が来た。


今日こんにちはって・・あれ?」


アンリでない事に気付いた彼女が、まじまじと和也を見る。


「!!!」


深くフードを被り、口元しか見えない和也に直ぐ気が付いた彼女は、大声を上げそうになった自身の口を、慌てて両手で抑える。


「・・いらっしゃいませ」


「な、何故ですか!?

どうして貴方様が店番などを・・」


ごまかせないと知った和也は口元に人差し指を立て、『内緒な』と意思表示する。


「アンリに大量のパンを注文してな。

それを直ぐ作って貰うため、自分が店番をすると彼女を説得したのだ」


「それにしたってアンリったら。

恐れ多くも御剣様に、こんな事をさせるなんて」


「彼女を責めるな。

強硬に拒絶した彼女に、無理やりさせたのは自分なのだ。

それに、自分は嬉しい。

アンリのパンが、如何にこの地に根付き、必要とされているのかが直に分るのだから。

・・お前も見違えたぞミューズ。

前回皆で過ごした時から、更に美しくなったな。

この仕事が終わったら、お前の所にも少し顔を出そうと思っていたのだ」


「!!!

・・嬉しいです、御剣様。

そのようなお言葉、かけていただけるなんて、・・私は本当に幸せ者です」


涙ぐむミューズを見ながら、和也は苦笑して、少し呆れたように告げる。


「アンリもそうだが、お前達は自分(和也)を過大評価し過ぎだ。

そこまでお前達に敬われる事など、自分は何もしてないぞ。

この国を救ったのだって、エリカの為という私欲なのだ」


「私達が貴方様をお慕いするのは、それだけが理由ではありません。

もっと他に、大切な理由があるからなのです。

・・パンを2つ、頂けますか?

御剣様がお選びになったパンを、私に手渡して下さい」


「何でも良いのか?

それなら、・・これとこれだな」


パンと引き換えにお金を差し出すミューズの手を、和也は軽く握る。


「え!?

あ、あの、・・嬉しいです」


「仕事以外に、毎日のように大聖堂で作業をしているようだな。

有難う。

お前達が精魂込めて造った大聖堂は、自分が永劫に守っていく。

如何なる災害からも、どんな攻撃であっても、決して傷つけさせたりはしないから」


そう言いながら、握った手に魔力を通して、彼女の全身の凝りを解してやる。


「ん、・・ああっ」


聞きようによっては悩ましく聞こえる声を発し、心地良さそうに頬を染める彼女。


「あまり根を詰めるなよ?

自分がここに居る事は、他の皆には内緒にしてくれ」


和也の言葉に、『はい、御剣様』と小さく答えた彼女は、何だかとても幸せそうに、来た道を戻って行った。



 「フンフンフーン」


お昼を買いに行くと言って出て行ったミューズが、何やら大層ご機嫌な様子で戻って来た。


「一体どうしたの?

貴女が鼻歌を歌うだなんて、珍しい事もあるわね」


「え!?

・・いや別に、ああそう、アンリがお釣りを間違えてさ、銅貨2枚得しちゃったんだ!」


「・・・」


『それでごまかしている積りなのかしら』


「貴女がそんなに貧しい訳ないでしょ。

何を隠してるの?」


「あーっ、そういえば、午後から店にお客が来るんだった」


あからさまに怪しい言動を残して、彼女が去って行く。


その速さに、魔眼を使う暇も無かった。


自分もまだお昼を食べていないリセリーは、面倒だけど、市場まで行ってみる事にする。


あのミューズが、あんなに可笑しな態度を取るなんて、絶対に何かある。


普段、リセリーはあまり昼に出歩かない。


御剣教の教皇として、確固たる地位を築いた今の彼女には、道を歩くだけで大勢の信者が寄って来る。


その全てに丁寧な応対をするので、酷い時は100ⅿ歩くだけで1時間近くかかるのだ。


自室で衣服を着替え、町娘のような格好をして、念のためフード付きの外套を羽織る。


大人になり、背も伸びて、更に美しく成長したリセリーは、そんな格好でも人目を引くのに十分なのだが。


何とか無事に辿り着いたアンリの屋台では、彼女ではなく、別の人が店番をしていた。


嬉しい事に、どうやら御剣教の信者のようである。


フードに邪魔されて、顔がよく見えないが、男性なのは間違いない。


店の前に立った自分に、その男性が声をかける。


「・・いらっしゃいませ」


「!!!」


ミューズと全く同じ動作をする彼女。


直ぐに抱き付きたい所だが、こんなに人目がある場所では、今の自分の肩書が邪魔をする。


何とか押し止まると、震える声で注文する。


「貴方を下さい」


「いや、それは多分に周囲に誤解を与えそうな表現だぞ。

・・元気そうだな。

直接顔を見たのは、就任式以来かな?

いや、エリカ達と風呂に入った時か」


「ここで何してらっしゃるのですか?

只の店番ではないのでしょう?」


「只の店番だ。

その代わりに、パンを大量に作って貰っている」


「相変わらず、アンリには甘いんですね。

この間も、お風呂を造ってあげたばかりか、一緒に入ったでしょう?」


「色々と迷惑をかけているのに、彼女は自分(和也)から報酬を受け取ろうとはしない。

だから、こちらから気にかけてやらねば、アンリに申し訳ない。

お前が気にする程の事は、何もしてない積りだが」


「お風呂に二人だけで入るのは、十分気になるわよ」


嫉妬に燃えた両の瞳が、フード越しに和也を見据える。


「・・なら今晩、お前も来るか?

仕事を終えたアンリと、ゆっくり風呂に浸かる約束をしているのだが・・」


「良いの!?」


「構わん。

彼女も何も言わないだろう」


『それはどうかしらね?

聴いた以上、遠慮はしないけど』


「嬉しい。

じゃあ、仕事をさっさと片付けて、お邪魔するわね。

恐らく、ミューズも付いて来るわよ?」


「大丈夫だ。

それくらいの広さはある」


『この人、本気で言ってるのよね。

何人も奥さん娶って、やる事やってるはずなのに、どうしてこうなのかしら』


「・・そのパンと、あとそっちのを1つずつ下さい」


後ろに他の客が並びそうだったので、早々に会話を切り上げるリセリー。


お金を払い、和也に目配せすると、直ぐに帰って行った。


それから暫くは平穏だった。


相変わらず、アンリが居ないと分ると帰る客もいたが、女性客の中には『アンリとどういう関係?』などと興味津々に尋ねてくる者もいて、和也が『いつもお世話になっているので、今日はそのご恩返しにお手伝いを』と告げると、『なあんだ』と苦笑いして帰って行く。


客が居ない時は、市場やその向こうに見える住宅街をぼんやり眺めながら、『良い国になったな』と感慨無量の和也であったが、そんな彼の前に、旅人と思われる、一人の女性が立ち止まった。


随分長く旅をしてきたらしく、外套は汚れと解れが目立ち、本人も少し窶れているが、その彼女は、和也が立つ屋台のロゴを凝視したまま動かない。


少しして、徐に懐に手を入れ、首からつり下げた革袋から大事そうに1枚の紙を取り出すと、それと何度も見比べる。


やがて、震える指先で、あるパンを指すと、『それを下さい』と硬貨を渡してきた。


半信半疑で、ゆっくりとその場でパンに齧りついた彼女は、何度か噛み締めたのち、細い涙を流し始める。


その光景を見ていた和也は、不意に思い出した。


彼女は、自分が以前手を差し伸べた女性だと。


辺境の小国で、確か修道院のシスターをしていたはずだ。


どんなに働いても、祈っても、何ら応えてくれない神に絶望しかけ、その命を自ら断とうとしていたのだ。


その国は貧しく、疫病も多かった。


僅かな魔力で信者達にヒールを掛け続け、魔力が尽きて倒れそうになっても、更に身体に鞭打って、寝たきりの患者の世話をしていたが、国の援助もなく、寄付もほとんど無い状態での修道院の経営はかなり厳しく、目の前で力尽きて死んでいく者を黙って見送る事しかできなかった彼女は、親のように慕っていた神父が亡くなった時、到頭耐えきれずに死を選ぼうとした。


和也は、そんな彼女に、十分な魔力と魔法を与え、2枚の金貨と共に、幾つかのパンを与えたのだ。


てっきりその後は普通に暮らせているとばかり思っていたが、何故そのような格好になってまでここに来たのか、少し心を覗いてみる。


そして、人知れず溜息を吐いた。


いきなり豊富な魔力で強い魔法を使えるようになった彼女は、その小国で次第に聖女と崇められ、半ば強制的に修道院から連れ出される。


教会の総本山に閉じ込められ、意に添わぬ象徴としての役目を強いられた彼女は、一度しか聞いた事のない神の声を再び聴こうと、その後何度も呼びかける。


だが、間が悪い事に、エレナに役目を与えた後の和也は、そう頻繁にチャンネルを開いている訳ではないので、その呼び声に気付かなかったらしい。


やがて、孤独の内に、その重責に耐えられなくなった彼女は、隙を見て逃げ出し、それからこの国へ向けての長い旅に出たのだ。


セレーニアに誕生した教団、『蒼き光』には、神より直に授かり物を受けた教皇がいる。


その噂は彼女の居た国にも伝わっており、神の声を再び聴ける奇跡を求めて、リセリーに縋りに来たのである。


和也は、己の迂闊さを恥じ、そして反省する。


手を差し伸べた以上、きちんと最後まで見ていてやる責任がある。


それを怠り、彼女にここまでさせたのは自分なのだ。


自然と、心で彼女に語り掛けていた。


『済まなかった。

要らぬ苦労をさせたな』


頭に直接響いてくる、あの時と同じ声に、パンを噛みしめ、涙を流していた彼女の眼が見開かれる。


『我は決して、お前を見捨てた訳ではない。

ただ少しやる事があってな、そのチャンネルを閉じていたのだ。

お前がした、その後の苦労、そして苦しみは、今見せて貰った。

安心しろ。

我は徒に手を差し伸べはしない。

お前には、それを受けるだけの資格と価値が、確かにあるのだ』


言葉を聴いている彼女の瞳から、流れ落ちる涙の量が増えていく。


『もし行く当てがないのなら、我からリセリーに話してやろう。

御剣教の信者でなくても、お前を受け入れ、保護してくれるはずだ。

もう誰も、何も、お前に強制する者はいない。

好きなように、望むままに生きるが良い』


「・・神様。

私の信じる神様は、やはりここに居られた。

・・御剣様だったのですね。

そうとは知らず、随分遠回りしました。

どのお方かも分らずに、盲目的に祈る日々。

旅の野宿でした、心細い思い。

顔を隠し、身を窶し、やっと辿り着いたこの国で、頂いたパンの包みと同じものを見つけたのは運命なのですね。

・・嬉しいです。

見捨てられたと思い、不安で張り裂けそうだったこの胸に、新たに宿る信仰の光。

私は、御剣様の下へ、『蒼き光』に入ります。

今度こそ、祈りを捧げる相手を間違えない。

やるべき事を見失わない。

願わくば、どうか私の行いが、御剣様のご意思に沿いますように・・」


天を向き、流れ落ちる涙を気にもせず、そう呟く彼女。


和也はその言葉に、魔法で以て応える。


彼女の全身が、一瞬青く光る。


擦り切れ、解れた衣服が真新しくなり、遠回りさせた分だけ、重ねさせた歳を返す。


そしてその胸元に、小さな光を生じさせた。


驚いた彼女が、その光を支えるように両の掌を向けると、光が止み、手の中に、あの時と同じ2枚の金貨と、パンの入った包みが残る。


そして囁かれる、当時と同じ言葉の数々。


彼女は、涙で見えなくなった両目を瞑り、ただひたすらに天を仰ぐ。


そこから彼女に向けられた淡い光は、何だかとても、済まなそうであった。



 「奇麗な所ね。

森の奥に、こんな素敵な場所があったのね」


オリビアは、アリアに案内された場所を見て、感嘆の溜息を漏らす。


6階層の森の奥深く、アリアに転移で連れて来られたその場所は、様々な花の咲き誇る、秘密の花園であった。


木々で囲まれた、約50㎡の花畑。


その少し手前には、テントとテーブルが置ける程度の空き地があり、花園の1m程上空には、花々を鑑賞する際、その花を踏みつけないよう、魔法の通路が設えてある。


花園の周囲には、和也によって張られた結界があり、風や日の光、花々の花粉を運ぶ虫たち以外は入れないようになっている。


それには、和也がここを見つけた際の、ある出来事が関係していた。



 オリビア達の為に、キャンプに相応しい場所を探していた和也の瞳に、美しい花園が映る。


そこに転移してみると、直ぐに一人の魔物の気配に気が付いた。


「自分には、君に危害を加える意思は無い。

勿論、ここの花々にも。

だから、姿を見せてくれないか?」


そう和也が問いかけると、暫く和也を観察していたその女性が姿を現す。


大きな花に擬態していたその女性、彼女は、花の魔物であるアウレイアであった。


「・・何で分ったのですか?

今まで見破られた事ないのに」


身体の節々は植物のようでも、その顔は人間の女性とあまり変わらない彼女が、自分をじっと見つめながらそう口にする。


「自分に隠し事はできない。

君の場合は、そこに漂う魔力で分る」


「魔術師達が姿を見せなくなってから、人間は来た事無かったのに・・。

何の用ですか?」


「ただ花を愛でに来ただけだ。

それと、後で野営をするための場所探しだな」


彼女の顔が強張る。


「花園に入る積りなら、容赦しませんよ?」


「・・それは、自分と戦う意思が有ると言っているのか?」


「ここまで一人で来れるくらいだから、貴方は強いのでしょう。

ですが、ここだけは荒らさせない。

やっと確保できた場所だもの。

仮令命を危険に晒してでも、私はここを守る」


言いながら、僅かな風に乗せて、強烈な麻痺効果のある花粉を飛ばしてくる。


だが当然の如く、和也には何の効果も及ぼさない。


それが分ったのか、今度は無言で魅了の魔法を放ってきた。


「どうしても戦いたいと言うのなら仕方ないが、自分はここを荒らす積りはないぞ」


和也が上げた右の掌に、青い魔力が集まる。


魔法が効かないと分った彼女は、今度は地中から根を伸ばし、和也の両手両足を拘束し、その胸に向けて、鋭く尖った腕を伸ばしてくる。


「だから自分にはその気が無いと言っているだろうに・・」


和也は無造作に身体に巻き付いた根を千切り、向かってくる、長く伸びた腕目掛けて、魔力を集めた掌を当てた。


その瞬間、彼女の身体が青く光り、そしてそれと呼応するように、花園の花々に活力が増す。


「!!」


「傷ついたその身体で、あまり無理をするな。

ここを守るために、他の魔物と戦い続けたその身体では、もう大した力が残っていないだろう?」


「・・何で助けてくれるの?」


自身の身体に蓄積していた毒や傷が消え去り、魔力と生命力が満ちてくる事を実感した彼女が、訝しげにそう尋ねてくる。


「君はもっと人の言う事に耳を傾けた方が良い。

自分は最初から、ここを荒らす気は無いと言っている。

当然、君を傷つける積りもない」


「だって、今までそんな事言う人いなかったし、折角咲いた花を踏みつける魔物ばかりが来たから・・」


気のせいか、何だか拗ねたような物言いに、思わず笑みを漏らす和也。


「貴方、変な人。

私達魔物と向き合って、そんな風に純粋に笑える人は初めて。

・・本当にここを荒らさない?」


やっと彼女の顔から緊張が抜けてくる。


「ああ、約束しよう。

ただ、この花々は鑑賞させてくれ。

花を傷めないよう、空中に通路を創るから」


そう言いつつ、花園の上空に、散策のための通路をこしらえる和也。


魔法で作られたそれは、まるで透明なガラスの如く、足元が透けて見える。


花園の入り口付近の木々を少し伐採し、そこにテント用の空き地を作り、花園全体を結界で覆う事で、そこを荒らす魔物や人の侵入を阻む。


出来上がった通路を和也が歩くと、その下に咲く花々が、まるで彼を歓迎し、喜んでいるかのように、その花びらに艶を纏わせる。


まだ蕾でしかない花たちは、それを僅かに震わせる事で、嬉しさを表現していた。


「・・貴方、何者なの?

ここの花たちがこんなに喜ぶなんて、有り得ない。

まるで、親を慕う雛鳥のよう」


和也はそれには答えず、花園に魔力を撒き与え、そこに流れる時間を進めながら、花々の乱舞を引き起こす。


季節ごとにしか咲かない花、昼夜の何れかにしか開かない花、特定の条件下でしか開花しない花たちが、花園のあちこちでその美しい姿を見せていく。


1日に一度だけ、同じ時間にその演出が見られるように、周囲の魔素を強化し、ここに居る各精霊達に申し付ける和也。


また拗ねられると困るから、念のため、精霊王達にも後で伝えておく積りだ。


「・・奇麗だわ。

毒を持つ花も、滅多に花を付けない植物も、土の中で出番を待ってる種でさえ、貴方の心に応えてる。

ずっとここを守ってきた私ですら、こんな光景見た事ない。

・・教えて。

貴方は一体誰なの?」


花々を愛でている和也が、視線はそのままに、徐に口にする。


「御剣和也、この世界を創った神だ」


「・・そう。

それじゃあ、勝てないわね。

花たちが喜ぶのも、無理もないわ」


少し寂しそうに微笑む彼女に、和也は視線を向け、問いかける。


「ここの花がこうして美しく咲くのは、君がずっと守ってきたからだろう?

花たちもそれに感謝している。

だが、同時に心配もしているな。

ずっと戦い続けてきた、君の身体を。

仲間がいない、君の境遇を。

自身の成長と繁殖に使うための魔力を、全て戦いに注ぎ込んでいるみたいだな。

・・ここはもう心配ない。

自分がしっかり守ってやる。

だから、自分の創った安住の地に行く気はないか?

そこで仲間を増やし、かの地を花々で満たしてくれると嬉しい」


「貴方が創った場所?

地下迷宮から地上に出ろという事かしら?」


「違う。

別の世界に行くという意味で言っている。

・・魔獣界といってな、戦いに疲れた者や、静かに安心して暮らしたい者達が、身を寄せ合い、楽しく暮らせる場所なのだ」


「他の魔物と居れば、争いは起きるでしょう?」


「いや、その世界は互いを傷つけ合う事はできない。

他愛無いじゃれ合いはできても、身体に傷が残るような攻撃はできないのだ。

口喧嘩や、棲み分けは可能だけどな」


「じゃあ、肉食の魔物なんかは、何を食べてる訳?」


「その世界は果物や魚介に事欠かないから、それである程度は代用可能だし、肉自体は、自分が時々他から用意してやっている」


「そんな事までしてるんだ?

どうしてそこまでするの?

魔物なんか、保護して何になる訳?」


「そこに理性と感情があるなら、人と区別して扱う理由は無いだろう?」


「・・貴方のお勧めの世界に行ってみる。

そこで仲間を増やしてみるわ。

でもそうしたら、もうここへは二度と戻れないのかしら?」


「大丈夫だ。

もし戻りたくなったら、自分が何時でも戻してやる」


「有難う、それを聴いて安心した。

そこまでしてくれる貴方の為に、奇麗な花を沢山咲かせてくるわね。

・・じゃあ、お願い」


送られた彼女を出迎える皆の姿を遠視しながら、彼ら(彼女ら)が元気でやっている事に、僅かに目元を緩める和也であった。



 「今日はここで野宿します。

夜になったら、とても素敵なイベントがあるので、今の内に色々やってしまいましょう」


空き地にテントとトイレを出したアリアは、オリビアに尋ねる。


「お腹空いてる?

それとも少しお昼寝しますか?」


「あのねえ、子供じゃないのよ?

・・少し汗をかいたから、できればお風呂に入りたいけど、流石にそこまでは無理よね?」


「大丈夫ですよ?

旦那様が特別に用意してくれたんです。

何日も旅に出る場合、人には必要なものだろうからと。

好評なら、幾つか作るとも言ってました」


そう言いながら、リングから扉を取り出す彼女。


人一人が通れるくらいの木製の扉の上部には、『女湯』と書かれた暖簾が垂れ下がり、扉の後ろは何もない。


それを地面に垂直に立てると、その前面に魔法のパネルが浮かび上がる。


「ええと、露天と内風呂のどちらが良いですか?」


唖然とするオリビアに、そう聴いてくる。


「分ってはいたけど、あの人、少し変よ。

神様って、そこまで他人の事を考えてくれるものなの?

もっとこう、泰然としていて、人の暮らしや気持ちになんか、あまり関心がないものだとばかり思っていたわ」


「・・旦那様は、ずっと独りでいました。

誰からも気に掛けて貰えず、誰にも話しかける事さえできずに、人々の暮らしを眺めては、その寂しさを紛らわせていたんです。

あの人に出会う前の私には、人に何かをしてあげたいと感じる事は少なかったので良く分りませんが、人嫌いでもない限り、孤独な人ほど、心で色々と考えてるようです。

人の行動や振舞いを見て、自分だったらこうするのに、こうしてあげられるのにと考え、本を読んでは、その筆者や主人公に自分を重ねて、彼らの言動に裁きを下す。

評論はともかく、物語では、大分読む本が偏りそうですが・・。

人と環境に恵まれた者から見れば、他愛無い遊びのように感じるかもしれませんが、彼らにとって、少なくとも旦那様には、とても大切な心の拠り所だったみたいです。

・・貴女達は幸せですよ?

何といっても旦那様が創造主なのですから。

彼が、人間をゲームの駒のように使い、飽きれば放り出す、使い捨ての操り人形としか考えない人ではなくて、本当に良かったですね」


「他人事のように言うけど、貴女はそんな彼でも愛せるの?

散々抱いておきながら、飽きたらポイ捨てされても許せるの?」


「勿論愛せますよ。

というか、私はあの人しか愛せません。

意見の食い違いで喧嘩はしても、最終的には彼の考えを尊重します。

ポイ捨てを許す気はありませんが、彼には無用の心配です。

旦那様は、自分だけのものをとても大切にする人ですから」


「・・露天にして頂戴!

屋外で、全てを曝け出して、お湯に浸かりたいわ!」


「はい。

でも安心して下さい。

向こうからは、こちらが見えませんから」


パネルを操作したアリアが、タオルを渡してくる。


「ごゆっくり」


「貴女も一緒に入らないの?」


「私は結構です。

それに、ここの風景を、少し描いてみたいですから」


「ケチ」


「そんな事言ってる間は、危なくてご一緒できませんね」


「フンだ」


勢いよく扉を開けると、そこには別世界が広がっていたのだが、和也のする事に段々と慣れてきたオリビアは、その驚きを心中で噛み殺し、ゆっくりと風呂を堪能するのであった。



 少し早めの夕食を終え、アリアは、和也に予め教えられた時間になると、テントからオリビアを連れ出す。


人工の月が辺りをぼんやりと照らす中、花園の上に設えられた通路を二人で歩く。


「一体何が始まるの?」


「内緒にしておいた方が、きっとより楽しんで貰えると思います。

・・ほら、始まりますよ」


アリアが指差す方向を見ると、薄暗い花園の一部が、僅かな光を帯びている。


手を繋ぎ、そこまで歩く二人。


透明な通路越しの一部の花々が、精霊と魔素の力を借りて、ゆっくりと、その花を開かせる。


月明りを浴び、魔力を帯びて淡く輝く花びらと花弁。


花の種類ごとに、少し時間を置いて、次々に開花していく。


「わあ!

・・奇麗~。

それにとても良い香り。

あ、今度はあっちで咲くみたいよ。

早く行きましょ」


興奮して、己の手を引っ張るオリビアを見ながら、アリアの表情もまた緩む。


まだ子供と言っても良い歳なのに、随分と大人びた考えをするオリビア。


高貴な生まれだから仕方がないのかもしれないが、せめて自分と一緒にいる時くらい、年相応の表情を見せて欲しい。


それはこれからの彼女にとって、必ずプラスになるから。


「何ぼーっとしてるの。

ほぉら、次はあっちみたいよ?

遅れたら折角の開花を見逃しちゃう」


「もう、そんなに引っ張らないで下さいよ。

転びますよ?」


「また子供扱いして!

・・奇麗~、私この花初めて見た」


僅かな時間だけ、幻想的なショーが繰り広げられるこの場所は、二人にとって正に秘密の花園。


余程嬉しかったのか、オリビアは、その後寝る前までずっと、夜風に揺れる花々を眺めていた。



 「おめでとう、よくここまで頑張りました。

今日でとりあえず、貴女方はわたくしの指導から卒業になります。

今の貴女方なら、旦那様のご期待に十分応えられるでしょう。

・・これは、頑張った貴女方への、わたくしからの細やかな贈り物です」


マリーがリングから2つの武器を取り出す。


1つは長剣。


シンプルだが、鞘には丁寧な細工が施され、中々に高価な代物である事が分る。


もう1つはロッド。


金属製の持ち手の上に、透明な水晶が載っている。


「2つ共、わたくしが直々に魔力を込めました。

素材は鋼ですが、ミスリル同様の切れ味や魔法耐性がある上に、氷の属性が付いています。

強度も十分でしょう。

この世界でなら、どんな魔物相手でも、刃こぼれすらしないと思います。

ロッドには、上級魔法である氷雨が仕込んであります。

かなり魔力を消費しますが、威力は申し分ありません。

ここぞと言う時に使って下さい」


「有難うございます。

8か月に及ぶご指導をしていただいた上、このような贈り物まで頂き、どうやってご恩をお返ししたら良いか分りません」


「本当に有難うございます。

非力だった私が、自信を持って戦場に立てるのも、全てマリー先生のお陰です」


ユイとユエの二人が、深々と頭を下げながら、マリーに感謝の言葉を述べる。


「貴女方はきちんと努力をし、やるべき事から逃げずに、旦那様の為に、己に鞭打って励みました。

口先ばかりの人間が多い中、言葉よりもその行動で以て、わたくしのモチベーションを保たせました。

誇って良いです。

僅か8か月の訓練ですが、その中身は、通常の10年分以上に相当します。

これからしっかり、旦那様の為に働いて下さい」


「「はい!」」


マリーが帰ってから少しして、今度は和也が姿を見せる。


「無事にマリーの訓練を終えたようだな。

ご苦労だった。

自分からも、お前達に褒美をやろう。

だが、その前に風呂に入って疲れを取るが良い」


訓練後のままの状態なので、二人とも汗が髪や衣服に染みついて、落ち着かないだろう。


「あの、それなら御剣様も如何ですか?」


「・・何故だ?」


「私達二人だけが入っていては、御剣様をお待たせしているので、のんびりできません」


「なら自分は暫く何処かに行っていよう」


「それはもっと駄目です。

折角お越しいただいた御剣様を追い返すなんて、有り得ません」


「別に追い返されたとは思わないが・・」


「お願い致します。

何なら、これがご褒美でも構いません」


「・・まあ、良いだろう。

ただし、褒美はきちんと別に与える」


ユイとユエの二人がかりの説得に、渋々応じる和也。


風呂自体は好きなので、三人で入る事にする。


その際、風呂場を少し拡張した。


「お前達の今後について話しておく」


身体を洗い終え、和也の対面に浸かる二人に、話を始める。


「お前達には、今後9年ちょっとの間、主に2つの仕事を任せる。

1つは、ギルドにおいて、まだ駆け出しの女性達を助け、欲にまみれた男共の魔の手から、彼女らを救う事。

もう1つは、仕事の際に立ち寄った村や町、若しくは店などで、奴隷として売られそうであったり、現にその身分に窶している者達の中から、これはという者を厳選し、ここに連れて来る事。

その際の資金は全て自分が払う故、真に価値のある者なら、金に糸目は付けない。

ここまでで何か質問はあるか?」


二人が驚いた顔をする。


てっきり、ここのダンジョンか何処かで、戦闘要員として働くものだとばかり思っていたようだ。


「ギルドで女子を助けるというのは、共にパーティーを組んで、仕事をするという事ですよね?

一度組んだ相手が、ある程度成長するまでずっとですか?

それとも、毎回違う相手でも良いのでしょうか?」


「その辺りはお前達の判断に任せる。

未だ力なく、稼ぎも覚束無い者達が、仕方なく意に添わぬパーティーに入り、理不尽な目に遭う事を少しでも減らせればそれで良い」


「奴隷をお買いになって、どうされるのですか?

購入する奴隷は、女性限定でしょうか?」


「確かに金を払って引き取る以上、『買う』という表現を使う事になるが、別に奴隷のままで居させる訳ではない。

ここに着いたら直ぐに奴隷から解放し、お前達のように訓練をさせたり、教室で授業を受けさせたりして、独り立ちできるための技量を磨かせる。

故に年齢や性別には拘らないが、本人の人間性や意欲、根性は重視する。

ここで言う真に価値ある者とは、何も容姿や能力に優れた者だけを指す言葉ではない。

お前達のように、(容姿は別にして)仮令持っている能力はそこそこでも、己の誓いを裏切らない、常に向上心を失わない者を指す。

そういう者こそが、実は1番伸びるのだ」


話を聴いていた二人が、次第に下を向いていく。


汗とは異なる何かが、ぽつりぽつりと湯に落ちていく。


「・・どうした?」


「御剣様、・・有難うございます」


「礼を言われる事ではないぞ。

エリカ、妻の一人だが、あいつも教師が板についてきた。

今教えている子供達が卒業した後も、きっと授業を続けたいと思うだろうしな。

・・まあ、お前達の姿を見て、この仕事を与える事にしたのは否定しないが」


二人が湯の中で移動し、左右からそっと抱き付いてくる。


それから各々が和也の肩に頭を載せ、静かに泣き始めた。


和也は身動き1つする事なく、暫く、そのままの状態で時を過ごした。


二人が落ち着いた後、風呂から上がり、和也は彼女らに褒美を与える。


1つ目は白銀の鎧。


上半身と両腕、両足を守る軽装備だが、身体全体をカバーする防御障壁が付いているので、不意打ちにも効果がある。


軽くて動き易い特殊金属で作られており、その防御力はミスリルと同等だ。


2つ目は、リングへの機能追加。


転移の制限を、ビストー王国全土へと拡大し、魔物などが使う、あらゆる状態攻撃への耐性を付加する。


和也に連絡するための通信機能を設け、魔力の泉と万能言語能力を付加する。


3つ目に支給品。


携帯トイレと防御テント、そしてアリアにも持たせた携帯浴場を、二人で1つずつ与えた。


最後に、今後正式に仕事に就くので、彼女らの給料を月に一人金貨1枚ずつに変更し、送り出す。


住む場所が決まるまで、ここを使う許可も与えて。


己が創った世界が、また少し良くなる事を確信して、家へと帰る和也であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る