第18話

 パラッ、・・パラッ。


深夜、誰もいない校舎の自室で、ジョアンナは魔法書と格闘する。


ベイグ家にいとまを告げ、正式に和也の下で働くようになった彼女は、暇さえあれば魔法書を読み耽っていた。


持ち前の勤勉さで、教養科目は既に高等学校のものを全て習得し、残るは少し苦手な魔法のみ。


苦手とはいえ、初等学校で学ぶものには苦労しないが、流石に中級以上の魔法となると、魔力がそれ程高い訳ではないので、思うように練習できないせいもあり、苦戦していた。


せめて、知識だけでも先に習得しようと、日々何冊もの魔法書を読んでいる。


ここは時間の流れが外の5分の1なので、読み込んだ本は、部屋にうず高く積まれ、彼女が今読んでいるのは禁呪の書物である。


メイドとしての仕事を終え、ここの教師以外にやる事がなくなった彼女は、がむしゃらに勉学に励んだ。


家が貧しかったせいで、貴族であるのに高等学校に通えなかった彼女は、その無念の思いをここで晴らすと共に、1日も早く和也に必要とされるよう、必死に勉強した。


和也から与えられた本を全て読み終えた後は、経済や政治を中心に、あらゆる類の知識を求めて、国の大図書館へと通い、そこで目星い本を見つけては、後で和也に頼んで複製品を手に入れた(そのためだけに、和也にわざわざ転移先を増やして貰ったほどだ)。


そんな彼女を、和也は嬉しげに見はしても、相変わらず、手を出してはこない。


エリカに申し訳ないとは思いつつ、隠れて何度かキスをしたが(既にエリカは念じるだけで和也の居る場所を視覚に収め、その会話すら聴けるので意味はないが)、それさえ常にこちらからだ。


何のストレスも感じず、栄養価の高い上質の食事を取り続け、将来的にも不安のなくなった彼女は、それまで以上にお洒落にも気を配った結果、今や女盛りの真っ最中であるはずなのに。


それだけが、不満と言えば不満であった。


だが、勿論彼女はそんな事をおくびにも出さない。


日々明るく品のある笑顔を振り撒きながら、その視線は和也だけに向けられていた(勿論、授業以外で)。


「魔物の使役ねえ・・。

心が通じていなければ、虚しいだけだと思うけど・・」


強制的に従わせても、自らの意思が加わらない限り、その魔物の本来の力は出せないのではないか。


催眠術の類のような、偽物の情報を与えたり、精神を操って従わせる行為は、本当には自分の事を好いている訳ではないから、何だか寒々しい。


「私には向いてないわね」


一通り読み終え、無造作に積み上げる。


やはり自分自身の魔法を強化した方が良い。


そう考えた彼女は、後で和也に相談する事にして、遅すぎる睡眠へと向かった。



 その日、本の複製を頼んだ和也と共に、大図書館へと来ていたジョアンナは、見知らぬ男性から声をかけられる。


「失礼だが、君は何処かの貴族の方だとお見受けするが」


「はい?

私ですか?

・・一応、貴族ではありますが、どのような御用件でしょうか?」


「いきなりで申し訳ない。

私は陛下より伯爵の位を賜っている、〇○家の□□と申す者。

もし宜しければ、この後少し、お時間を頂けないだろうか?」


見るからに品の良い、自信に溢れた壮年の男性が、そう告げてくる。


「済みません。

今日は主人と来ておりますから・・」


「既にご結婚なされておりましたか。

それは大変失礼致しました。

・・お相手の方が羨ましいですな」


男はジョアンナに丁寧に詫びると、直ぐにその場を去って行く。


少しして、頼まれた本の複製を終えた和也が戻って来る。


「・・もしかして、ご覧になっていました?」


「ん?

先程の件の事か?

・・あの男性の気持ちも分らんではないがな。

中々に紳士的ではあったし。

ああいう事、結構あるのか?」


「・・ええ、まあ」


「あの男性、何か誤解していたようだが?」


「私は間違った事を申してはおりません。

貴方が私の主人であるのは、本当の事です」


「その言葉に錯誤があったのでは・・いや、何でもない」


終始笑顔の彼女から、何だか変なオーラを感じて、それ以上の言葉を飲み込む和也。


「帰るか」


「ご主人様、お時間がございましたら、この後少しお付き合い願えませんか?

魔法を見ていただきたいのですが・・」


「魔法?

・・別に構わないが。

とりあえず一旦戻ろう」


校舎にある彼女の部屋まで転移し、そこで詳しい話を聴く。


「それで、一体何の魔法を見て欲しいんだ?

下級のものではないよな?

何かに必要なのか?」


「中級の攻撃魔法を幾つか覚えたいのです。

今日はまともなかたでしたが、あそこで声をかけてくる人の中には、かなりしつこい方もいて、しかも、事もあろうにご主人様を愚弄する者も偶にいるので・・」


どうやら一人の時にはかなり頻繁に声をかけられているらしい。


以前と違い、屋敷の中で働いている訳でも、メイド服に袖を通している訳でもないので、何処の家の者か分らない者達が、彼女の美しさに惹かれて寄って来るのだろう。


彼女に断られた際、汚い捨て科白を吐く者もいるようだ。


「私だけが罵られるなら良いんです。

でも、思い通りにならないからといって、ご主人様を口汚く侮辱するのだけは許せません。

彼らに罰を与えるためにも、自身の身を護るためにも、強力な魔法を覚えたいのですが、中々思うように発動できなくて・・」


「暴言のみに、中級魔法で制裁するのはやり過ぎだぞ。

普段の君なら、その程度、笑って往なすだろうに・・」


「・・ご主人様を、好きな殿方を侮辱されれば、幾ら私でも怒ります」


「それでも中級魔法は駄目だ。

身を護るためなら構わないが、中級以上は攻撃に使えば相手を殺しかねない。

悪意ある接触を弾く障壁を、常に君の身体に張っておいてやるから、殺傷能力の高い魔法は今は使えなくて良い。

・・自分に向けて、何か攻撃魔法を放ってみろ。

威力は気にしなくて良い」


「え?

ご主人様にですか?

・・何故ですか?」


「魔法の発動過程を見てやる。

何と無くだが、君が攻撃魔法が苦手な理由が分る気がするのでな」


暫く躊躇っていたが、自分如きの魔法で和也が傷つく事など有り得ないと考えたのか、渋々風刃を放ってきた。


目前で消滅するまで、和也はその一部始終を具に見ている。


「今度は中級魔法を使ってみろ。

攻撃系のな。

成功するしないは関係ないから、好きなので良いぞ」


あまり乗り気がしないのか、緩慢な動作で発動に入る。


「自分を、君に暴言を吐いた、嫌な奴だと思って放つんだぞ」


何かを思い出したのか、瞬間的に威力が増すが、成功する前に魔力が霧散する。


「今度はヒールを使ってみてくれ」


これは慣れてでもいるのか、とてもスムーズに発動する。


「・・大体分った。

ほぼ思った通りだな」


「一体何処が悪いのでしょう?

知識や理論に問題はないはずなのですが・・」


「結論から言うと、今の君には攻撃魔法は向いていない。

相手を殺せない程度の弱い魔法ならともかく、中級以上はほとんど無理だろう」


「・・やっぱり、私には魔法の才能が無いのですか?」


選りに選って、その事を和也の前で晒した事に、情けなくて下を向くジョアンナ。


「そうは言っていないぞ。

・・例えばだな、もし自分が君を捨てて、その後、君の大切な家族や友人達を誰かに皆殺しにされたりしたら、物凄く上達するかもしれん。

そんな顔をするな。

あくまでたとえ話だぞ。

自分から君を手放す事なんて、絶対にないから」


「・・つまり、どういう事なのですか?」


「端的に言えば、君の性格に攻撃魔法は向かないという事だ。

君は優し過ぎる上、心も非常に澄んでいる。

主に相手を傷つけ、殺す事を目的とした魔法を放つ際、それがブレーキとなって邪魔をするようだな。

だから、攻撃に用いない、水や土魔法の中級なら、魔力量さえ問題なければ恐らく使えるはずだ。

試した事あるか?」


言われてみれば、これまでは中級魔法を、攻撃に使うものだとばかり考えていた。


嫌な人を撃退したり、より多くの、強力な魔物を倒すためのものだとばかり・・。


「魔法というのは、理論や形式面さえ理解すれば発動すると考えられがちだが、感情や性格、経験等が、実はとても大きく作用する。

より大きな魔法を使う際は特にそうだ。

勿論、だからといって、別に攻撃魔法が得意な者を、性格が悪い奴だと貶めている訳ではないぞ。

あくまで向き不向きの問題なのだ。

・・お前達の魔法を手助けする精霊や魔素、彼女達にも、極僅かながら感情や意思があり、その得意とする魔法も違えば、好みも異なる。

術者の意思に、その魔法に対する躊躇いや嫌悪が少しでも見られれば、彼女達の興味は薄れ、本来の威力を失うだろう。

上級未満の精霊など、子供と大差ない。

術者に共感すれば、より大きな効果を生むが、気に入らなければ大した効果を齎さない。

自分(や眷族達)のように、強制的に彼女らを従わせるだけの理由や力があれば、別だがな」


「・・私、そんなに優しくも純粋でもないですよ?

心の中では、色々と真っ黒な事も考えてます」


「ほう、例えば?」


「言わないと駄目ですか?

・・ご主人様を、どうやって籠絡しようかとか。

あ、勿論妻になろうなんて考えておりませんよ?

ただ、もう少し積極的に、手を出してはいただけないかな、なんてくらいしか・・」


そう言って、上目遣いに自分を見てくる。


「・・君の仕事に、そういったものは含まれていないのだが・・」


「仕事じゃありません!

願望です!」


「・・もう少し待って欲しい。

あと1年経ってもまだそう言ってくれるなら、以前にも言ったように、今とは別の選択肢を設けるから。

そのお詫びと言っては何だが、望むなら、今から君に新しい魔法を授けよう。

君の性格等を考慮し、最適かつ将来的にはとても有益になる魔法だ。

どうする?」


「・・それを受け取ったら、キスも駄目になりますか?」


「・・いや、そのくらいなら構わないが」


「なら喜んで」


「では、もっと傍に来て、自分と両手を繋ぎ合わせてくれ」


和也が前方に伸ばした両手に、ジョアンナのそれがしっかりと結びつく。


俗にいう、恋人繋ぎというものだ。


「目を閉じて、こちらが送る魔力の流れを感じ取り、そのイメージを膨らませてみてくれ」


そう言うや否や、和也から大量の魔力が送り込まれ、自分の体内を巡り始める。


「この魔法は攻撃用ではない。

君のこれまでの人生や、読んだ書物なんかを参考にすれば、イメージし易いはずだ」


目を閉じた暗闇の中から、和也の声が聞こえてくる。


より神経を研ぎ澄ます。


暫くして、送り込まれた魔力の一部が十分に身体に浸透すると、心の視界が急に開けた。


頭の中に、青空が広がる。


春。


待ちわびた季節を求めて、子供達が外を駆け回る。


雪解けの水はまだ冷たく、日差しは心地良い温かさを以って、頬を照らしてくる。


土から芽を出したばかりの山草の匂い。


蔵書や衣類等の虫干しで、ほんのり漂う黴臭さ。


お花見の中で、家族皆の笑い声が弾ける。


夏。


容赦ない日差しの中、少しでも涼を求めて近くの小川へ。


足下の小石が心地良く足裏を刺激し、命の限り鳴き続ける蝉の声に、水の流れる音が伴奏を施す。


天に向け、精一杯花を開く植物。


蛍の幻想的な光を浴び、見上げる星空。


時々、魔物の不躾な鳴き声が、折角の時間の邪魔をする。


秋。


夏の間に刈っては干した草の山。


枯草の、良い匂いに包まれて、その上で昼寝する。


滋味溢れる野菜や茸。


収穫を祝うお祭りで、口にするご馳走。


村人の、恋が芽生える時期でもある。


冬。


厳しい寒さと、外出を阻む雪。


静かな室内で、薪をくべる音を背にして内職に励む。


暖炉の前に、家族で集まり、ゆったりと過ごす時間。


祖母の昔話に耳を傾け、母の膝の上で微睡んでゆく。


『懐かしい。

私の子供時代は、今思えば随分幸せだったのね。

貴族といっても名ばかりで、十分な教育さえ受けられなかった事を、ずっと残念に感じてはいたけれど、書物を読むだけでは得られない、素敵な経験を積ませて貰ってた。

貴族という、華やかな世界の裏にある、黒く醜い側面を見る事もなく、心を育てていただいた。

・・有難う、お父様、お母様、そして大切な人達。

大人になり、日々のせわしさの中で忘れがちなこの想いを、もっと大事にしないとね』


そう思った彼女の中に、1つの歌が生まれる。


『え?』


その歌は、ジョアンナの心を楽譜にでもしたかのように、身体全体に響いてくる。


思わず目を開けて、ご主人様の顔を見る。


「どうやら生まれたみたいだな。

・・人は誰しも、心の中に、其々の原風景を持っている。

それはともすれば、より大きな出来事によって描き替えられてしまう事もあるが、死にゆくその時まで、その者と共に在る大切な心の拠り所だ。

君に与えた魔法は、術式などでは発動しない。

君の心が、世界に漂う精霊や魔素の共感を得た時、その力を借りて世に広がる。

この魔法は、強いて言えば統治魔法。

そこに住む民の心に芽生えた負の感情を、歌の波動で消し去るものだ。

永続的な効果はなく、その場限りのものでしかないが、暴動やパニック等を鎮静化するには最適と言って良い魔法だし、聞いた者達は、暫く安らかに眠れる。

唯一の難点は、あらゆる邪な感情に作用するので、1日か2日、夫婦生活に支障が出る者もいる、というくらいだな。

尤も、そこに純粋な愛情しかなければ、恐らく影響はないはずだが・・。

マイナスに分類されるものでも、正当な理由がある感情、例えば処罰や敵討ちなどには、ほぼ影響力はない。

仮にあっても、その日に行おうという気がしない程度だな」


「有難うございます、ご主人様。

とても素敵な魔法ですね。

でも、私の将来に、この魔法がどう絡むのでしょう?」


「それはまだ秘密だ」


「・・それとですね、私の今の気持ちから、ご主人様に対する願望の幾つかが消えているのですが、もしかして、この魔法のせいですか?」


ジョアンナの笑みが濃くなる。


「純粋なものなら消えないはずだぞ。

変な事でも考えていたのか?」


「ご・しゅ・じ・ん・さ・ま?

フフ、フフフッ・・」


「あ、しまった。

今日はこれから用事があるのだった。

済まんジョアンナ、また後でな」


転移していく和也を見送り、彼女は独り言つ。


「・・そんなに変な事は考えていませんでしたよ?

せいぜい、ああしてこうするくらいしか。

・・多分、他の皆さんもやってますよ。

普通ですよ、ふ・つ・う」



 「はい、それまで。

ここまでにしておきましょう」


男性に稽古をつけていたエメラルドが、そう声に出すと、向こう側で同様に実戦訓練をしていたメイと女性も、各々武器を下ろす。


「それにしても、本当に強くなりましたね。

人間限定でなら、もうかなりのものでしょう」


ここでの訓練に参加して約4か月になるエメラルドは、この夫婦の頑張りを高く評価すると共に、彼らの今の実力を冷静に分析し、賛辞を呈する。


「御剣様のお陰です。

この9か月、普通の人間ができる何倍もの訓練を積ませていただき、更に皆様のご指導を得てきた事で、やっと納得のいくレベルまで仕上げる事ができました。

心から感謝致します」


男がそう言って頭を下げると、その妻である女性も口を開く。


「本当に、夢のような日々でした。

美味しい食事にふかふかのベッド、最高の温泉。

訓練による負荷がなかったら、とても現実とは思えません」


「あれだけのメニューをこなしておいて、そんな事言える人の方が少ないわよ」


笑いながらそう口にするエメラルドの顔が、一瞬で引き締まる。


「お見えになったわ」


ちょうどその時、和也がダンジョン内に転移してくる。


「・・仕上がったようだな。

どうだった、ここでの生活は?」


こうべを垂れて控えるエメラルドの脇で、同じように頭を下げる二人に、和也はそう問いかける。


「楽園を漂う、蝶のようでした。

数多の蜜を自由に味わいながらも、この暮らしは、今のこの瞬間は、もしかしたら夢なのではないかと・・。

普通の人間では得られない、平民では手の届かない暮らしを満喫させていただきました」


久々に和也に会った男が、本当に嬉しそうな顔で、そう答える。


「あなた、それでは御剣様には遊んでいたように聞こえてしまうわよ?」


女性の方が微笑みながら付け加える。


「ルビーさんやエメラルドさんの胸をお借りし、メイさんとレム君に鍛えられたお陰で、御剣様のご厚意に恥じない仕上がりになったと自負しております。

これで、何とかご恩返しができそうです」


「二人共、満足できたようで何よりだ。

自分は君達のような、努力を惜しまない者が好きなのだ。

そして、力を手にしても、傲慢になって人を見下すような事をしない、弱かった頃の己を忘れず、力なき者達の目線でものを見れる者達が。

序でに言うと、互いの伴侶を、心から大事にできる存在がな。

・・君達を援助したのはそういう理由だ。

だから何の見返りも求めない。

これからは、己の暮らしを大事にしていくが良い」


「・・有難うございます。

でもそれでは、私達の気が済みません。

妻が今隣に居るのも、身に余る力を得られたのも、全て御剣様のお陰。

何でも結構です。

私達に、ご恩返しをさせてはいただけませんか?」


男の隣で、その妻も頷いている。


「そこまで言うなら・・そうだな、この村に住まないか?

住む家はこちらで用意するし、序でに仕事を頼みたい。

二人一組でダンジョンAの迎撃要員になって、ルビー達を補助して欲しい。

エメラルドには、そろそろ別の仕事を頼みたいのでな。

老いて体力が衰えてきたら、実習用の校庭で、子供達に剣術を教えて貰いたい。

仕事の日でも、暇な時は、何をして過ごしていても良い。

給料は、家と食事を提供する代わりに、二人で月に銀貨150枚。

週休2日で、休みの日には、キンダルまでの転移魔法陣を開こう。

それでどうだろうか?」


「それはご恩返しと言えるのでしょうか?

こちらとしては、願ってもないお話ですが・・」


二人で顔を見合わせた夫婦は、遠慮がちにそう尋ねてくる。


「君達がここで暮らしてくれれば、その内子供が生まれるかもしれないだろう?

それは村の繁栄にも繋がり、ジョアンナの生家の税収も増える。

自分としては、非常に助かる」


「・・では、お言葉に甘えさせていただきます。

正直、ここの温泉と食事は、他ではそう味わう事のできないものですから、名残惜しかったのです。

何から何まで、本当に有難うございます」


「あの時、命懸けで妻の為に戦っていた君を、自分は好ましく思っている。

そしてその後の姿勢もな。

今後の詳しい事については、村の名主に伝えておくから、彼から聴いてくれ。

それからエメラルド、後で話がある。

・・メイも頑張っているようだな。

家に、あとでパンを届けておこう」


「有難う!

この間のパンも、凄く美味しかった!」


喜ぶメイに、笑顔を返した和也は、また何処へと転移していく。


頭を下げながら、それを見送る彼女ら。


エメラルドが夫婦二人に声をかける。


「良かったわね。

あなた達の頑張る姿を、ご主人様はいつもちゃんと見てるわ。

私の代わり、宜しくね?」


和也の言葉に感極まっていた二人は、涙を堪え、ただ黙って頭を下げるのだった。



 「はいこれ、頼まれていた本。

各2冊ずつで良かったわよね?

もう高等学校用の教材が必要になるなんて、随分優秀なのね。

幾つの子達だったかしら?」


先日、エリカがマサオとアケミ用に欲しいと言ってきた、歴史と経済、政治、算術用の本を、ヴィクトリアから受け取る和也。


「確か四人共、今は14歳くらいだと思う。

まあ、学べる時間が他より長いせいもあるが、確かにあいつらは優秀だ。

何れは王都で、専門学校に通わせても良いと考えている。

・・ところで、これは新品のようだが、図書館から借りたものではないのか?」


「最初だから、学校で使用している教材を用意したわ。

図書館の本を複製するなら、これを終えてからにした方が効率良いから。

そうすれば、あと3冊くらいで済むわよ?」


「そうか。

忙しいのに、手間をかけて済まない。

幾らだった?」


「もう、こんな事で、あなたからお金なんて取らないわよ。

キスの1つでもしてくれれば、それで良いわ」


そう言って自分に抱き付く彼女に、望み通りの支払いをする。


「でも、四人なのに、2冊ずつで良かったの?」


「ああ。

トオルとタエは、都会の学校へは通わず、村に残って家の手伝いをする積りのようだな。

宿屋がかなり忙しくなったお陰で、親だけでは人手が足りないらしい」


「ミレニーが社交界で自慢しているものね。

あのシャンプーは、貴族なら誰でも欲しがるでしょうし」


「有紗に頼んで、この星専用に、木製の容器と紙の詰め替え品を特別に量産させた甲斐がある。

『料金の代わりに、2日間寝室から出して貰えなかったが、今後を考えれば安いものだ』」


「そういえば、もう直ぐね。

あなたの妻全員で集まるの。

・・わたくし、見劣りしないと良いけれど・・」


「珍しく自信なさげだな。

・・自分は美術品の類を集めているのではない。

女性にとって、容姿は関心の高い分野かもしれないが、自分に必要なのは、決してそれだけではない。

独占欲の強い自分には、何より向けられる気持ちが重要だし、それに自分の妻は、最高の名花揃いだと自負している。

気楽に楽しんでくれると嬉しい」


「・・有難う」


はにかんで笑顔を向けてくる彼女に、夜の順番待ちの予約を入れられてから、その場を辞する。


ダンジョンに戻り、子供達の教室の机に受け取った本を積み上げ、今度はエメラルドの館へと転移する。


自分を待っていてくれた彼女に一言詫び、早速話を始めた。


「お前に新たに任せたい仕事とは、破落戸や魔物の収集だ」


「はあ。

・・生きたままですか?」


意外な事を言われ、きょとんとする彼女。


「済まん、説明が足りなかったな。

・・実は、ある事情があって、今のダンジョンCに入れる魔物や罪人の数をかなり増やしたい。

自分が地道にやっても良いのだが、今後も何かと忙しい上、他の星での役割もある。

それに、あそこに容れるもの達は、誰でも良い、どれでも構わないという訳にはいかない。

人として許せぬ行いをした者、理性を失い、無差別に攻撃してくる魔物などに限られる。

故に、根気よく、ある程度継続して探す必要があるのだ。

その役を、お前に頼みたい」


「この大陸の地下迷宮でですか?」


「いや、この世界全体でだ」


「・・2つ程お尋ねしても宜しいですか?」


「ああ」


「先ず、私の顔は、既にエスタリアでは割れております。

あそこで狩りをすれば、直ぐにまた追手がかかるでしょう。

それを排除しても宜しいのであれば、問題ありませんが」


「お前にこの仕事を頼んでいる間は、幻影の魔法を掛けておくので心配はない。

その間は、自分達、お前の仲間以外には、全くの別人に見える。

自分が魔法を掛ける以上、真実の瞳など、如何なる判別魔法も効果がない」


「成る程。

では2つ目。

そのお仕事は、どのくらいの期間、どれ程の数が必要でしょうか?

仕事中は、ここに戻って来てはいけませんか?」


「期間はとりあえず30年。

数は多ければ多い程良い。

勿論、何時でもここに帰って来て良い。

良い仕事をするには、適度に休む事も必要だ。

その辺りは、お前の判断に任せる」


「あの、追加の質問で申し訳ありませんが、ダンジョンCはそんなに大きいのですか?

幾ら内部で殺し合うとはいっても、30年も収容し続ければ、相当な数になりますが。

向こうから勝手にやって来る者もいるのですし・・」


「まだ言ってなかったが、ダンジョンCは生きている。

最初に自分が与えた魔力とコアを基に、日々成長しているのだ」


「生きている?

ダンジョンがですか!?」


「明確な意思はないから、正確には作動していると言った方が無難だな。

機械の如く、ある一定の作業をひたすら繰り返しているのだ」


「参考までに、どんな事をしているのかお聴きしても宜しいですか?」


「ん、興味あるのか?

・・所持金のある者が入れば、死んだ後、その全額がルビーの館にある宝箱に入る。

一定以上の性能を有する防具や武器は、基本的には宝箱の中身となって、ダンジョン内の何処かに出現する。

それ以下は吸収され、構造の維持に使われるな。

人や魔物が死ぬと、1日程度で内部に吸収され、ダンジョンの養分となる。

そこで使用された魔法は内部の魔素を高め、それをコアが吸収しつつ、ダンジョン維持に必要な、様々な措置を取る。

例えば、ダンジョンに必要な高位の魔獣の餌が足りなくなれば、ゴブリン等低級の魔物を自動的に生み出し、その餌にさせるのだ。

自分もある程度定期的にコアに魔力を与えているから、今ではかなりの大きさ、広さになっているはずだ。

あそこの内部はお前達の居住区同様、異空間に繋がっているから、好きなだけ拡張できるのが利点だな」


「・・そんなに大規模なものを、一体何に使用なさるので?

てっきりあそこは、罪人等の処分場だとばかり思っておりましたが・・」


「今はまだ内緒だ。

この先どうなるか分らない、多分に不確定なものだから・・」


「・・とりあえず了解致しました。

あそこへ送る破落戸の判定基準は、私の主観で宜しいですか?」


「それだとかなり厳しそうだから、お前のリングに、そのための機能を追加しておこう」


和也が苦笑いする。


「今後、お前の眼には、送るべき人物が赤く見える。

その者は無条件で送れ。

赤く点滅している者は、一両日中にその罪を犯す。

その場合は、尾行等をして、実行に着手した瞬間に送れ。

被害者となる者の身の安全を十分に確保せよ。

送り方は簡単だ。

お前の意思で、その掌に赤い球体が生じるから、そこに吸い込めば良い」


「魔獣や魔物も、対象は赤く見えるのですか?」


「そうだ」


「・・あの、人の場合、女性もあのダンジョンに送って宜しいのですか?」


「ん、どういう意味だ?」


「女性の場合、他にも使い道がありますが・・。

重罪を犯した者でも、容姿が良ければ、奴隷として娼館等に高く売れますし、命を失うくらいなら、その方が良いと願う者も居るのではと・・」


「・・自分は、仮令罪人と雖も、女性に対してそのような行為を強制したくはない。

仮令罪人でも、余程の事がない限り、最後くらいは戦って死ぬ権利を与えたい。

それに、お前の眼に赤く映る存在は、相当の事をした(する)者達だ。

同じ罪を犯しても、そこに正当な理由や酌量の余地があれば、赤くは映らんのだ。

だから、迷わず送れ」


「分りました。

出過ぎた事を申しました。

お許し下さい」


「気にするな。

意図をきちんと説明しない、自分が悪いのだから」


俯いてしまった彼女に、優しくそう声をかける。


「・・あとは報酬の面くらいだな。

何か希望するものはあるか?」


「できましたら、ルビーと同じものを」


「・・それで報酬になるのか?

自分を相手にしても、子供は作れないぞ?」


「承知致しております。

私が死なない以上、種族が途絶える訳ではありませんし、その、もう私の相手には、ご主人様以外に考えられませんので・・」


「・・分った。

ただ、それだけを報酬にはできん。

ルビーと違い、お前にはそれが不可欠ではないし、それでは自分が、仕方なくお前の相手をするようにも取れる。

実際、そんな事はないのだからな。

他にも何か考えておく」


「有難うございます。

そう仰っていただけて、幸せです」


「話は以上だ。

済まないが、今日はこれからまだ用事がある。

より詳しい話は、明日またしよう」


「はい」


「ではな」


転移する和也を見送り、エメラルドは、もう直ぐ目を覚ますであろうルビーに向けて独りごつ。


「これでやっと、貴女に並べるわね。

もう今までみたいに自慢させないわよ?

フフフッ」



 「起きたようだな」


もう直ぐ日が陰る時分、寝室の壁際の椅子に座る和也が、そう声をかける。


「今回も随分と寝てしまいましたわね。

・・折角のご褒美の時間だというのに、我ながら情けないですわ」


ベッドから半身を起こし、豊かな胸の上を滑り落ちる毛布を払い除けながら、そう呟くルビー。


「まだ仕方ないだろう。

その内、もっと短くて済むようになるはずだ。

それとも、もう少し加減した方が良いか?」


「それは嫌です。

私にとっては、至福の時間なのですから。

・・あの二人も、今日で卒業でしたわね?

今後はどうすると言ってました?」


「恩返しがしたいと言うので、あの村に住まわせ、エメラルドの代わりをさせる事にした」


「彼女に新しい仕事をお与えになるのですか?」


「ああ。

お前にも言っておくが、ダンジョンCは、日々その魔力で成長を遂げている。

あそこは、本格的なダンジョンにする積りだ。

なので、より多くの罪人や魔物を、彼女に集めて貰う」


「・・報酬には何を望まれました?」


「お前と同じものだ」


「やっぱり」


想像できたのか、苦笑いしている。


「今はまだ食欲の方が勝ってますけど、その内メイも、そう望むのではないでしょうか?」


「メイには手を出す積りはない。

仮令、彼女がそう望んだとしてもな。

・・母親の魂を宿した木に誓ったのだ。

保護者として、ずっと見守っていくと」


「・・そうですか」


母親の件を知っているルビーが、その瞳に悲しみの色を纏わせる。


自身の母親も、古の魔術師達によって、似たような目に遭っているのだ。


「ご主人様、まだ今日という日は終わりではありませんよね?

・・私にもっと、真の愛情を分け与えて下さいませんか?

彼らのような醜い欲望ではない、その美しいお心で、私を満たして下さい」


ベッドから立ち上がり、和也に向かってゆっくり歩いてくる。


眷族化した事で、その翼を自由に消す事ができるようになった今の彼女は、眠る時にはいつも消しているせいで、その見かけは人とほとんど変わらない。


弟に甘える姉のような仕種で、和也をそっと包み込むのであった。

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