第16話

 「ここにお前の家を建ててやる。

新たな仕事を与えるまでは、暫くこのダンジョンで働いていてくれ」


あの後、一緒に彼女の家に赴き、必要な物を収納スペースに放り込むと、マライカンまで転移してきた。


家ごと運ぶかと尋ねたが、かなり老朽化していた上、あまり良い思い出が無いというので、取り壊してきた。


ただ、彼女の両親の墓だけは、周囲の土壌ごと持って来た。


新たに建てる家の側に、添えてやる積りでいる。


「ダンジョン?

魔物と戦えという事でしょうか?」


「いや、相手は人間だ。

詳しい事は彼女に聴いてくれ。

このダンジョンを任せている、自分の眷族の一人だ」


和也が視線を向けた先に、彼の気配を感じたルビーが転移してくる。


「お帰りなさいませ、ご主人様。

そちらの方は、新たなお仲間でしょうか?」


和也の隣に立つエメラルドの指に、リングが嵌められているのを目敏く気付いたルビーが、そう尋ねてくる。


「魔人のエメラルドだ。

お前と同じ立場でもある。

暫くはここを手伝わせるから、色々と教えてやってくれ。

・・最近、客の入りはどうだ?」


『同じ立場』という台詞に、彼女の眉が微妙に動くが、その表情に変化は見られない。


「Aはまだ月に1組か2組です。

その認知には、もう暫くの時間が必要かと。

その反面、Cが好調です。

多い時には月に三十人程度の入りに。

尤も、そのほとんどが、金貨1、2枚しか落とさない雑魚ですが・・」


「Bの二人はどうしてる?」


3か月の訓練を終え、延長を希望した彼らは、和也が課した試験に見事に合格し、もう半年の滞在を許されている。


「相変わらず真面目に訓練しております。

あの二人を見て、私は人間に対する認識を少し改めました」


「そうか」


満足げに頷く和也。


ユイとユエも、もう外で仕事に就かせても良いくらいにまで仕上がっている。


あとはマリーの判断次第だ。


「あの、ご主人様、できましたら少しだけお情けを・・」


考え事をしていた和也に、ルビーが遠慮がちに告げてくる。


「ああ、済まん。

こちらに来い」


嬉しそうに抱き付いてくるルビーに、口移しで精力を送り込んでやる。


「この間の褒美もまだだったな。

2日分の時間を与える。

好きな時に呼ぶが良い。

ゴーレムとメイにも、其々約束のものを送っておこう」


「有難うございます。

・・幸せですわ」


唇を離し、恍惚の表情を浮かべる彼女は、女性が見ても、ぞくりとくる程に艶めかしい。


「・・あの、私の事、忘れてません?」


エメラルドが遠慮がちに告げてくる。


「済まんな。

彼女には必要な事だから。

・・お前の家は、既に建ててある。

そこの魔法陣に載れば、瞬時にその家まで跳んで行ける。

あとは二人で相談して上手くやってくれ。

自分にはまだ用があるから」


『その内また顔を出す』と言い残して、和也が姿を消す。


残された二人は、恭しく頭を下げてそれを見送った後、お互いに見つめ合った。


「・・貴女もまだなのね。

フフッ、仲良くやれそう。

私はルビー、サキュバスよ。

宜しくね」


エメラルドを見て何かを悟った彼女は、嬉しそうに右手を差し出す。


「・・サキュバスが経験の有無を見分けるというのは、本当の事だったのね。

でも御免なさい。

そう遠くない内に、私も貴女と同じようになるわ。

私はあの方に、自身の全てを捧げると誓った僕。

その事に、例外は無いの」


ルビーの手を握った彼女が、当たり前のようにそう告げる。


二人が握り合う手に、徐々に力が加えられるが、眷族同士が互いを傷つけられない事は、そうなった後に本能的に分るので、どちらからともなく通常の握手に戻す。


「まあ良いわ。

独り占めできる方ではないし、奥様方には元から敵わないしね」


ルビーが納得したように笑みを浮かべる。


「奥様?

あの方、ご結婚されているの!?」


エメラルドが驚いた声を出す。


「当然でしょ。

周りの女性が放っておくと思うの?」


「ははっ、それはそうか」


苦笑いする彼女に、ルビーは告げる。


「とりあえず貴女の家に行きましょ。

場所を確認しておきたいし、そこでここの事を説明するわ」


「ええ、お願い」


後に親友となる二人の付き合いは、こうして始まった。



 「お姉様、一体どうされたのですか?

今日は一段とご熱心ですのね」


王族専用の大浴場で、普段より時間をかけて身体を磨くヴィクトリアを見ながら、妹の一人がそう声をかけてくる。


「今日はわたくしにとって、とても大切な日になるの。

多分、この国にとっても・・」


「それはもしかして、昨晩お戻りにならなかった事と何かご関係が?」


「ええ。

・・貴女には、事前に知らせておくわ。

でもまだ他言無用よ。

・・わたくし、結婚するの」


可愛がっている妹達の一人であるこの少女に、そっと囁くように秘密を打ち明ける。


「!!!

・・どなたとですか?」


大きく目を見開き、緊張で掠れたような声を出して、そう尋ねてくる。


この姉様ねえさまが男性になびくなんて初めてだ。


「うーん、それは説明するのが難しいわね。

色々と、秘密の多い人なのよ。

でもこれだけは言えるわ。

凄く優しくて、素敵な人。

ちょっと唐変木だけど、一度ひとたびその懐に入れば、以後は何の不安や苦しみも無くなる。

その力強く逞しい腕で、魂ごと包んでくれるわ」


長く美しい髪を洗うため、両腕を上げている彼女の豊かな胸が、その指の動きに合わせてリズミカルに揺れる。


自分には足りないものに見惚れながら、少女は更に問いかける。


「王宮をお出になるのですか?」


ヴィクトリアの王位継承権は第2位だが、別に嫁に行けない訳ではない。


「いいえ、結婚した後も、わたくしだけここに住み続けるの。

会いたい時は、何時でも会えるから」


「お姉様の転移でですか?」


『この国の方なのね』、そう理解する妹。


「そうね。

でも彼ならたった一度の転移で、この大陸中、何処でも好きな場所に行けるわよ?」


「!!!

・・その方、人間ですか?」


震える声でそう聴いてくる。


「わたくしが、ただ優しくて格好良いだけの人を好きになると思うの?

そんな人、他にも沢山いるでしょう?

それに、わたくしがここに残るのよ?

この国にとって、不利益となる相手ではない事は分るわよね?」


妹の質問に対して直接には答えず、それでいて、その心配を取り除くよう、言葉を選ぶヴィクトリア。


「お姉様がお幸せになれる、ご結婚なのですね?」


暗に、生贄や政略結婚の類ではないのですねと尋ねている。


「勿論よ。

それにね、これは皆には内緒だけど、わたくしのお相手は、貴女達をオルレイアの魔の手から助けて下さった方よ」


「!!!

・・そうですか。

それなら安心できます。

おめでとうございます、お姉様。

心から祝福致します」


「有難う。

・・貴女にも、早く素敵な人が見つかると良いわね」


湯中りしたように赤く肌を染めた妹を尻目に、ヴィクトリアは、もう間も無くの逢瀬に、心をときめかせるのであった。



 「・・身体は大丈夫か?」


己が抱き抱えていたヴィクトリアが意識を取り戻した事に気付いた和也が、労るように、彼女にそう声をかける。


顔を上げ、汗で張り付いた前髪を指先で掻き分けた彼女は、ゆっくりと、身体を擦り合わせるようにして、和也の唇に自身のそれを合わせていく。


先程までとは異なる、何かの確認のような口づけを終えると、彼女は静かに呟いた。


「まだ平気。

お願い、もう少し・・」


彼女の顔が、和也の視界を覆っていった。



 「エリカさんの指輪は、私の物とは大分違いますよね。

ヴィクトリアさんのは私と同じ形状だし、何か特別なリングなのですか?」


今夜はエリカと二人だけで寝ているアリアは、隣で本を読んでいるエリカの指を見て、そう尋ねる。


本に栞を挟んだエリカは、当時を振り返り、嬉しそうに語る。


「あの時の旦那様には、わたくし以外を妻に迎える気がありませんでしたから、贈られた指輪も、異世界の結婚指輪を参考になさったようですね。

ですが、その後わたくしと色々お話をしまして、複数の妻を娶るようにお考えを変えられたので、それ以降は妻達を守り、戦う力をリングにお与えになったのです」


「その指輪には、何の機能もないのですか?」


「いいえ、3つありますよ。

空間障壁、物質変換、魔力の泉ですね。

前の2つはとても強力なので、それだけで事足りるのです」


「?

障壁機能なら私のバトルスーツにも付いてますが、それとは違うのでしょうか?」


「そうですね。

恐らく、大分異なります。

例えば、アリアさんのリングに刻まれた魔神の力を用いても、わたくしには効果がありません。

わたくしに危害を加える事が可能な存在は、唯一、旦那様だけなのです」


「!!!

・・この魔神の力が何だか分るのですか?」


「ええ。

向けられた者の好意、愛情等を、自在に操れるのですよね?

仮令同性同士でも、身体を重ねて愛を語るまでに」


「お願いします!

他の方には黙っていて下さい。

凄く恥ずかしい力なので・・」


「あら、そうですか?

素晴らしいお力ではありませんか。

どなたからも嫌われずに済むなんて、凄い事だと思いますよ?

それに、恐らくですが、旦那様は眷族間の女性同士の恋愛には寛容です。

旦那様に抱かれるためには、男性は彼だけである事が必要不可欠ですが、女性は複数いたとしても、多分、問題にはなさいません。

以前、そういう類の書物を彼の書庫で見つけ、お尋ねした事がありますが、その時こう仰っていました。

『女性の身体は芸術でもある。・・美しければ、それで良いのではないかな。勿論、そこに愛情と嗜みは必要だと思うが』

アリアさんは女性にもお持てになるのですから、いっその事、ご自分の軍団でもお作りになられたら如何です?

女性兵士を統べる軍団長。

格好良いです!」


「エリカさん、本気で言ってます?

眼が笑ってますよ?」


「フフフッ、御免なさい。

でももし仮にそうしたとしても、旦那様は怒らないという事です」


エリカの眼が少し真面目になる。


「・・貴女には、その力を使わずとも、好意を向けてくる女性がいるでしょう?

旦那様の妻である以上、男性は決して許されませんが、女性であれば、その庇護下に置いても構わないという事です。

報われない思いを抱えた者に、絶望の内に、不幸になる選択を敢えて選ばせるくらいなら、貴女が囲ってあげた方が、皆が幸せになれる可能性が高まる。

そういう考え方もあるのだと、知っておいて下さいね」


「・・はい」


その静かながらも妙に迫力のある視線に晒され、そう口にするのがやっとのアリア。


「勿論、貴女が嫌ではない場合のお話ですよ?」


そう告げた後、再び茶目っ気を取り戻したエリカが、アリアに微笑む。


「さて、難しいお話はこれくらいにして、昨晩の体験談をお聴き致しましょう。

・・如何でした?」


「内緒です!」


真っ赤になって、横を向くアリア。


エリカとじゃれ合うその心からは、己の力が恥ずかしいという負の思いが、何時の間にか無くなっていたのだった。



 「男女の営みが、こんなにも良いものだとは思わなかったわ」


意識の狭間を行ったり来たりしながら、夜明けまで和也を放さなかったヴィクトリア。


緩慢な動きでベットから身を起こし、サイドテーブルに置かれた水差しに手を伸ばす。


喉を鳴らすその下で、重力に逆らう豊かな胸が、彼女の動きに合わせて揺れ動く。


「これでは確かに、ある程度自己主張しないと、順番が回って来ないわね」


エリカに言われた言葉に納得したように、口元に笑みを浮かべる。


「落ち着いたら風呂で汗を流そう。

今日はもう良いだろう?」


「・・今日は、ね。

その言い方なら、また直ぐにでも相手をしてくれそうね。

なら良いわ」


「・・お前は、自分の何処に惚れたんだ?」


不意に和也がそう聴いてくる。


「なあに?

わたくしの口から直に言わせたいの?」


男女の睦言の類だと思っていた彼女に、和也はそれとは異なる表情を見せる。


「自分の妻になる者には、『器』という存在がいるのだそうだ。

その者の意思に関係なく、出会った瞬間から、強烈に惹かれると言っていた。

・・お前は、恐らく『器』ではないだろう。

マリー同様、純粋に自分に目を向けてくれた一人だと思う。

そんなお前の立場なら、女性は一体自分の何処を見て、気に入ってくれるのかを教えて貰えると思ってな(既に和也は、彼女の好意に対して疑いを抱いていない)」


「もしかして、貴方がわたくしを妻に迎える事に懐疑的でいたのはそのせい?」


「『器』なら、ほぼ強制的に、自分の側から離れられないと聴く。

世界が自分の為だけに創ってくれた存在だからな。

・・だがお前達二人は違う。

自分に愛想を尽かせば、去って行く可能性もある。

お前を何度も試すような真似をしたのは、本当に申し訳なかった。

ただ、長い事独りで居たせいで、折角得た存在を、なるべくなら手放したくないだけなのだ。

手に入れる前なら、寂しい思いをしないで済むからな」


情けない事を口にしている自覚はあるのか、彼女の顔を見ず、虚空を眺めながらそう告げる。


「わたくしも、今まで異性に目を向けた事など無いから、自分の意見にどれだけ客観性があるかは分らないけど、そんな事、一々気にしなくても良いんじゃないかしら。

人が人を好きになるのって、決まった図式がある訳じゃない。

幼い頃からずっと見てきた。

何かの拍子にその人の隠れた魅力に気付いた。

容姿や声、匂いに惹かれる。

それこそ、運命だなんていう、思い込みすら理由になるわ。

どんなに誠実に生きても、人や動物に優しくても、相手にとってそれが琴線に触れるものでなければ、少なくともその人には意味がない。

個性と野蛮さをはき違えて理解したり、酷い時には相手と付き合いながら、その視線は自身のみに向けられていたりもするのよ?

・・わたくしは、一目見た時、貴方の容姿だけには好感を持った。

少しお話して、腹も立てたけど、その人柄も気に入った。

ある程度の時間を経て、積み重ねられた気持ちの数々が、何時の間にか、貴方だけに目を向けさせていたの。

以前も言ったけど、貴方の能力がその引き金になった事は否定できない。

でもそれは許して欲しいわ。

わたくしに限らず、人が誰かに興味を持つ時、相手の人柄以外に何かあったとしても、可笑しくはないでしょう?」


「そうだな。

それは自分にもある事だ」


「・・でも、本当にエリカさんの言った通りだったわ」


未だベッドに横になり、宙を見据える和也に、ゆっくり覆い被さっていく彼女。


「今日はもうお終いではなかったのか?

・・あいつ、何と言っていた?」


「あと1回だけ・・」


少し冷えた身体に熱を貰うように、その身を押し当ててくる。


「『あの人に抱かれないと、真には理解できない言葉がある』

『旦那様に抱かれて初めて、納得できる表現がある』

そう仰っていたわ」


震える唇が、和也のものを塞ぎにくる。


「何という言葉だったんだ?」


「・・教えない。

とても大切な言葉だから」


お互いに、それ以上話す事は無理であった。



 「ヴィクトリアさんの花は何でしょう?

その花の匂いを嗅ぐようにしている女性にも、見覚えないですね」


今日も遅い朝食を取りながら、アリアがヴィクトリアのリングに現れた絵柄を見て、そう尋ねてくる。


因みに、材質は同じミスリルだ。


エリカは既に授業に行っていて、この場には居ない。


「オールドローズのレディ・ヒリンドンという花だな。

女性の方は、地球で主に古代に信仰されていた、イシスという女神だ」


「どんな女神様なんですか?」


「色々説があるが、魔女の元祖とまで言われる強力な魔術師、といった所だな」


「へえ、魔法の得意なヴィクトリアさんにぴったりですね」


「貴女のは何か、まだ聴いてないわよ?」


「えっとですね、・・人の気持ちや情欲を操る魔神だそうです」


「・・意外だわ。

清純そうに見えるのに、結構黒い所があるのかしら。

わたくしには使わないでね。

貴女と愛を語る気は無いわよ?」


「酷い。

私だって無いですから」


「フフフッ、冗談よ。

そんな風には思ってないわ」


「・・ヴィクトリアさん、一晩で変わりましたね。

やはり綺麗になってますけど、雰囲気も随分柔らかくなった気がします」


「旦那様からゆとりを頂いたから。

それと、沢山の想いも。

・・貴女と同じ様にね」


アリアの顔が赤く染まる。


「・・それは、まあ、沢山貰いましたけど」


「そういえば、エリカさんのリングは普通に宝玉しか付いてないけど、何でなの?」


思い出したように聴いてくるヴィクトリアに、珈琲を飲んでいた和也は答える。


「エリカは自分が直接守護しているからだ。

あいつに何かあった時、あいつが困った時、仮令助けを求めてこなくても、常に自分が見ているからな」


「「・・・」」


アリアとヴィクトリアが絶句する。


「もしエリカに何かあれば、自分は平気でこの世界を消滅させるくらいの事はするぞ?

無闇やたらに人を助けない代わりに、徒に人の世界に手を出す事はしないが、自分が絶対に許せぬ事をすれば、眷族と大切な者達だけを保護した上で、もう一度創り替える。

自分は、駄々を捏ねたりミスに文句を言っただけで優遇してくれるような、そんな優しい神ではない。

お前達も勿論大事だが、自分にとって、エリカと同等のものなど存在し得ないのだから」


冗談を言っているようには見えない和也に、二人は、『エリカさんだけは絶対に守らねば』と、内心で冷や汗を流す。


アリアは和也が怒った所を見てはいるが、その際の怒りは、あの時の比ではないだろうから。


「・・貴方の他の妻の方々にもお会いする機会はあるかしら?」


ヴィクトリアが話題を変える。


「その内、自分の城に場を設けよう。

互いに親睦を深めた方が良いだろうしな」


その後、ゆっくり食事を楽しんだ三人は、其々の時間を過ごしに行く。


城に戻るヴィクトリアを見送り、アリアは描き始めた和也の肖像画を進めるべく、自室に籠る。


目を閉じればその姿が浮かぶくらいに見慣れた彼を、カンバスに起こしていく。


一心不乱に描いていた彼女を、何処かから静かに見つめる視線に偶々気が付いたのは、和也の眷族として莫大な力を得たからに他ならない。


その視線は、この世界とは異なる場所から、じっと彼女を、より正確には、その描く絵を見つめていた。


視線に悪意が無いので、怯える事はなかったが、和也がこの家に張った簡易結界を通して見つめてくる以上、それなりの実力者ではある。


牽制する意味も兼ねて、思わず口に出す。


「誰?」


『私の視線に気付いたんだ?

それ、お父様よね?

完成したら、私に頂戴』


まだ子供のような声が、淡々とそう彼女の頭に響いてくる。


「あの、・・どなたですか?」


『私を知らないなんて潜り。

お父様の妻に相応しくない』


「御免なさい。

まだなったばかりで、知らない事も多いんです」


『・・その絵、くれたら許してあげる』


「これは既に予約が入ってて・・。

エリカさん、知ってます?」


『・・あいつか。

あいつだけは無理だ。

お父様が常に見張ってて何もできないし、もし手を出したら物凄く怒られる』


「やっぱりそうなんですね。

・・ところで、貴女一体誰なんですか?」


『・・ディムニーサ。

お父様が1番可愛いと言ってくれる娘(他の精霊王達から大いに異論あり)』


「旦那様に子供はいないはずですが・・」


『口を慎め。

私達はお父様の子供。

お父様によって生み出され、自我を与えられ、共に悠久の時を過ごしてきた掛け替えの無い家族。

お前ら下等種とは違うのだ』


「御免なさい!」


強烈な怒りが感じられるその響きに、思わず本気で謝るアリア。


『・・特別に許してやるから、私にもお父様の絵を描いて』


「時間がかかっても良いなら描きますけど?」


『どれくらい?』


「う~ん、半年から1年弱ですかね」


『何だ、そんなの待つとは言わない。

それで良い』


「どうせなら、ご一緒の絵を作られては如何です?

家族なら、同じ枠に収まってみては?」


『・・それい。

凄く良い!!

是非そうして!』


「分りました。

後で貴女のお姿を拝見できますか?

無理なら画像や映像でも良いですが・・」


『ちょっと待って。

お父様と並ぶには準備が必要。

後で送るから』


「はい。

では、お待ちしてますね」


アリアを見つめていた視線はそこで途切れる。


「どんな人なんだろう?」


話し方は独特で、声は子供みたいだけれど、彼の眷族になった私でも無視できない程の威圧感がある。


興味津々で待っていた彼女の下に後に送られてきた映像は、無表情だが凄く可愛い少女が、精一杯のお洒落をしてきたような、とても微笑ましいものであった。



 『また迷宮散策の護衛をお願い。報酬は金貨1枚、そしてあとの2枚分で、家の皆に何かサービスするわね』


オリビアからの依頼を手にした和也は、少し考える。


そうだな、そうしよう。


独り頷く和也を、受付の女性が微笑んで見ている。


「ギルド登録しませんか?

この依頼はかなりランクが高いので、直ぐ上までいきますよ?」


「何故だ?

只の探索だろう?」


「地下迷宮の4階層以降に行ける方は少ないです。

それも、ほぼ一人か二人の護衛だけで、泊りがけで行ける方なんて、そうはいませんよ?

依頼主がご領主様のご家族という点からも、評価が高くなります。

必ず無傷で連れ帰る事が前提ですから」


オリビアから報告でも受けたのか、意外に詳しい事まで把握しているようだ。


「自分は登録には興味ない。

だが、今回の依頼はアリアをメインにするから、評価は彼女に付けてくれ」


「!!

・・それは少し無謀では?

監視カメラがある1、2階層ならともかく、3階層以降にも足を運ぶのですよね?」


受付嬢の眼が険しくなる。


「大丈夫だ。

全責任は自分が持つ。

何なら、ヴィクトリアに確認を求めても良いぞ。

彼女もきっと、問題ないと言うはずだ。

急ぎだから、手紙は自分が彼女に届けてやろう。

自分なら、今日中に彼女に手渡せる」


周囲に聞かれぬよう、彼女だけに聴こえるような声量で、そう告げる。


受付嬢が目を大きく見開く。


その言葉に含まれた様々な情報を、どうやら正確に理解したらしい。


この女性もかなり有能だ。


和也は少し感心しながら、彼女に暫しの時間を与えるため、奥の空いたテーブルに着いて、本を読む。


それを視線だけで見送りながら、受付嬢は頭の中で考えを整理する。


『つまり、こういう事よね。

アリアはこの1年弱で相当に強くなっている。

第1王女とアリアにも、直接的な強い接点がある。

あの人と王女の関係は、かなり深い所まで進んでいる。

そしてあの人は、何らかの能力を持っている。

そうでなければ、Eランクのアリアを短期間でそこまで強く鍛える事なんてできないし、遠く離れた王都まで、1日で行けやしない』


自分の窓口に事務処理中の札を出して客を他の窓口へと誘導しながら、彼女はどうしたものかと考える。


前回、ベイグ家より送られてきた事後報告書には、どの階層まで行き、彼の態度がどうであったかしか書かれていない。


あとは特記事項として、オレア家の息女と接触を持った事だけが添えられていた。


彼女の他にはギルドの幹部しか知らされていないが(何を隠そう彼女は幹部社員。現場の細かい様子を探る目的を兼ねて、一人だけ受付として働いている)、彼は前回、何と5階層まで行ったそうである。


たった三人、しかも戦力になるのは彼くらいという状況で。


そして驚くべきは、戦闘らしい戦闘をほとんどしなかったという記述。


その理由までは明記されてなかったが、たった2日で、5階層を往復できるという事も信じられない。


・・ヴィクトリアは王位継承権第2位の王女だ。


只の飾りではない。


その彼女と太いパイプを持つ彼の言葉を、軽んじる真似はできない。


領主様にはまだ伏せて、とりあえず第1王女にお伺いを立てる事にした彼女。


もし何かあっても、それさえしていれば、ギルドは罪を負わないで済む。


早速手紙を書き、ギルド印の付いた蜜蠟で封をして、和也に渡す。


「宜しくお願いします」


「確かに預かった。

今日中には返事を貰って来よう」


「!!!」


青ざめる彼女を残し、和也はギルドを出る。


さっさと人気のない路地裏まで来ると、その場でヴィクトリアの部屋に転移する。


「仕事中済まない。

直ぐにこれの返事をくれないか?

少し急ぎの案件なのでな」


「何だ。

てっきり夜まで待てなくて、新妻に会いに来たのかと思ったのに」


読んでいた書類から顔を上げ、そう言って微笑むヴィクトリア。


和也から手紙を受け取り、ざっと読んで、さっさと何かを書き込んでいる。


「はい、これで良いわよ。

でももうアリアの力を見せてしまうの?

ギルドに知られると、色々と利用されるのではなくて?」


「別にリングの力まで必要になる訳ではない。

今のあいつなら、素手だけでも御釣りがくる。

お前だって、既に眷族以外で相手になる者はいないぞ?」


「そうよねえ。

今までは少しでも魔力を強くしようと励んでたのに、これからは手加減する術を学んでいかないと駄目だものね。

嬉しいけど、ちょっとだけ面倒だわ」


「ストレスが溜まったら、自分が相手をしてやる。

思う存分、好きなだけ魔法を撃ち込んで良いぞ」


「・・そうね、その時は貴方に思いきり相手をして貰う。

ただし、魔法とは違う、別の事でね」


彼女の瞳が艶を帯びる。


「さて、用も済んだし、邪魔しては悪いからもう帰るな。

仕事、頑張ってくれ」


転移しようとする和也に、後ろから声がかかる。


「愛してるわ」


「・・有難う。

その言葉は、何時聴いても心が和む」


そう告げて姿を消した和也に、ヴィクトリアは独りごつ。


「本当よ。

魂の底から、そう感じてるわ」


恋は盲目というけれど、わたくしのは、それよりずっと高みにある愛。


やるべき事、守らねばならぬ事、その全てをきちんと理解した上で、彼を最上位に置いている。


彼の為になるなら、わたくしは彼を戒め、時には手を出す事も厭わない。


でも彼を真に傷つける事だけは、それがどんなものであっても決して許さない。


そうエリカさんとも約束したし、仮令口に出さずとも、アリアもそう考えている事は理解できる。


徐に椅子から立ち上がり、窓辺に寄って外を見る。


わたくしの大好きな国、その街並みと、そこに住む人々。


それら全ての素を彼が創り出したのかと思うと、嬉しさで身が震える。


僅かに目を細め、口元を緩めたのは、窓から差し込む光のせいだけでは、決してなかった。



 「待たせたな。

返事を貰って来た」


「・・今度、当ギルドからの依頼も受けていただけませんか?

緊急の手紙の配達や、連絡事項の伝達だけでも結構です。

1回につき、金貨2枚お支払い致します」


渡された手紙を読み、ヴィクトリアの花押を確認した受付嬢が、そう頼んでくる。


「それなら金貨200枚で、王宮と何度も遣り取りできる装置を作ってやるぞ?

その方が、好きな時に使えて便利だと思うが。

手紙の他にも、装置に載せる事の可能な、小さな物なら送れる。

生き物は駄目だがな」


「・・上に相談する時間を頂けますか?」


「ああ。

・・それで、オリビアの依頼の件は問題ないのか?」


「はい。

ヴィクトリア様の保証が得られましたので、問題ありません。

ただ念のため、オリビア様に事前にその旨をお伝えし、同意を得て下さい」


「分った。

ではこれからアリアを連れて、先方に依頼を受けに行く」


「宜しくお願いします」


和也がギルドを出て行くと、自分の窓口に休止の札を出し、大急ぎでギルド長他幹部連中との話し合いを始める彼女であった。



 「依頼を受けに来た、アリアとその連れだ」


例によって門番にそう告げる和也。


今回は隣にアリアが居るせいか、少し顔を顰めただけで取り次いでくれる。


残ったもう一人の方は、更に美しくなった彼女に見惚れて、ぼけっと口を開けている。


「・・お通り下さい」


戻って来た方も、今その事に気が付いたのか、アリアしか目に入らずに、彼女だけにそう告げる。


無視された形の和也は、門番達に礼を述べて通る彼女の後ろを、黙って付いて行く。


「いらっしゃい!

・・会いたかったわ」


応接室で待つ和也達の下へ、急いでおめかししてやって来たオリビアは、ドアを開け、アリアを一目見た瞬間、急に大人しくなって頬を染める。


挨拶するアリアに、どうにか平静を保って告げる。


「アリア、また貴女と遊びに行きたいの。

・・付き合ってくれる?」


「良いですよ。

ただ、その事で旦那様からお話があります。

先ずはそちらを聴いていただけませんか?」


『旦那様?』


居並ぶ二人の関係は、以前よりずっと落ち着いて見えるのに、何だか妙に親しげに感じる。


嫌な考えを振り払うように、その連れへと目を向ける。


「何かしら?」


「今回から、迷宮探索の依頼は、主にアリアと二人だけで行って貰う。

勿論、突然そう言われても納得できないだろうから、迷宮に潜る前に、今の彼女の力を少し見せてやろう。

・・これから少し時間取れるか?」


「いきなりどうしたの?

アリアと二人だけなんて、私は凄く嬉しいけど、3階層以降に行く積りなら、貴方が必要よ。

私だけでなく、アリア自身も危険に晒す。

前回の事、忘れた訳ではないでしょう?」


「その不安を払拭するために、事前に力を見せておくのだ。

自分も何かと忙しい。

君の依頼が来た時に、いつも同行できるとは限らんからな。

ただ、どうしても不安だと言うのなら、自分も最後まで同行する。

その代わり、今後は依頼を出されても、直ぐに対応できるかは保証できない」


オリビアは、アリアの方を見る。


「貴女もそれで良いの?」


「ええ、構いません。

6階層以降でも大丈夫だと思います」


普段、自分(オリビア)に対して控え目な彼女から、自信を持ってそう告げられる。


「一体何があったの?

・・分ったわ。

貴女の今の力とやらを見せて貰う。

支度するから少し時間を頂戴」


部屋を出て行くオリビアを見つめ、アリアが口を開く。


「やっぱりいきなり過ぎたんじゃない?

私もあなたから言われた時に思ったけど、どうして突然そんな事するの?

彼女、あなたの事もちゃんと評価してるじゃない」


「・・お前独自の軍団を作るそうだな?

女性だけの、お前専属の軍を。

なら自分は極力邪魔しない方が良いだろう?」


「何で知ってるの!?

・・エリカさんね?

違うの、あれは只の冗談なの。

仮令女性でも、あなた以外とはそういう事はしないから!」


真っ赤になって、慌ててそう否定するアリア。


「エリカは何も言ってない。

ヴィクトリアが意識を失っている間、お前達の会話を聴いていただけだ。

・・あいつも言ってたが、自分は女性ならば割と寛容だ。

エリカだけは認めないが、他の皆には、各自の判断に任せる。

だからといって、決して他の妻達を蔑ろにする意思は無いし、当然だが、手当たり次第に認めると言っている訳でもないぞ?

その選択が、お互いの未来にプラスにしかならない場合だけだ。

・・以前、エリカとも話した事があるのだ。

己の愛した者が、既に誰かの伴侶となっていた場合、普通の者ならそれで諦めるのだろうが、中にはどうしてもその相手しか愛せない者もいるだろう。

その場合、重婚の認められない世界では、泣く泣く他の者に嫁ぎ、相手を愛せぬまま精神面で不幸になるか、一生独り身でいるかのどちらかになる。

今はまだ婚姻とは無関係の事が多い同性同士でも、愛した相手にその気が無ければ成立しないという意味で、似たような苦しみを味わう。

その属する社会が、そうした関係に不寛容なら尚更だ。

・・自分は我が儘だ。

己は数多くの妻を娶っても、その妻達には決して逆を認めない。

長く独りだった自分は、己だけのものを集め、それに固執する癖が付いた。

だから基本的に、一旦手に入れたものに、他者の手がつく事を嫌う。

妻に当てはめ辛うじて許容できるラインは、手を出す相手が美しい女性のみ。

これは全くの主観だが、見ていて美しければ、そこに純粋な気持ちしかなければ、まあ、ある程度は許容できる。

取られたという気が起きないし、その妻が自分を第1に想ってくれている事が大前提だがな。

自分が見るに、オリビアはお前に対して純粋で真っ直ぐだ。

無理に囲う必要はないが、彼女の気持ち次第では、意に添わぬ政略結婚をさせて悲しませるより、側に置いて笑いながら生を送らせるのも手ではある。

彼女には、それに値するだけの価値があるから。

何れにせよ、お前の気持ち次第だがな」


「・・貴方は私が、女性とはいえ他の誰かとキスしても、嫉妬したりしないの?」


「言っただろう。

美しい女性ならカウントしないだけで、無関心ではないのだ。

それに、相手が受け入れれば、別にプラトニックでも良い訳だし」


「彼女と二人だけで行動して、その辺りを計れと言っているのね?」


「そうだ。

何度も言うが、別に強制してはいないぞ?

お前が嫌なら、側に置く必要はない」


「分ったわ。

彼女の事は嫌いじゃないし、これまでの恩もある。

確かめるくらいの事はするわ」


アリアが和也をじっと見る。


「何だ?」


「私が心から愛してるのは貴方だけ。

その事を忘れたら許さないから」


「お前もちゃんと覚えていろ。

お前は自分の妻だぞ」


「フフフッ、今凄くときめいた。

今夜、・・良い?」


「いい加減、やりたいゲームがあるのだが・・」


「駄~目!

妻をその気にさせた夫の義務よ。

連日で大変だろうから、あまり無理させないわ」


オリビアが戻るまで、二人はずっとそんなじゃれ合いを楽しんでいた。



 「・・前から思ってたけど、貴方、人間じゃないの?」


自分とアリアを連れて、別の大陸へと転移した和也を、真剣な表情で見つめるオリビア。


「その問いに答えられるかどうかは、まだ分らん」


「アリアは知ってるの?」


「ああ。

自分と行動を共にする時点で伝えてある」


「なら良いわ。

彼女を騙しているのでなければね。

・・それより、ここ何処?」


見慣れない風景に、辺りを見回す彼女。


「エスタリアにある、獣人族が作っている国の、とある村の前だな」


「やっぱり別の大陸なのね。

貴方、国に仕える気は無いの?

王位以外なら、どんな地位でもくれるわよ?」


「興味ない」


「女とお金にしか関心無いの?」


「人聞きが悪い事を言わないで欲しい。

娯楽や芸術にも、大いに興味がある」


「旦那様、向こうから人が来るわよ」


アリアが前方を見つめ、真面目な声を出す。


和也達は、村の入り口へと繋がる森の中で立っている。


その逆側から、数十人の武装した男達が、荷を運ぶ馬車を伴って歩いてくるのが見えた。


「彼らは?」


オリビアの問いに、和也は答える。


「後ろにある村から、獣人の女子供を攫っては売りさばく、つまらない破落戸だ。

アリアのお披露目を兼ねて、奴らに罰を与える事にした」


「あの人数を、アリア一人に相手させる積りなの?」


オリビアの声に怒りが混じる。


「大丈夫だ。

アリアは自分の大切な存在。

その彼女を、自分が危険に晒す訳がなかろう」


「でも!」


「・・アリア、三人以外は皆殺しで構わん。

その三人は奴隷として、村に渡してやる」


瞳を真紅にした和也が、怒りを抑えてそう告げる。


「分った。

・・ここで待ってて」


破落戸との距離を詰めていく彼女を、オリビアは祈るように見ていた。



 「おい、誰か来るぞ!」


「凄え良い女だ!!」


「獣人なんてどうでも良い!

あいつを売れば、一生遊んで暮らせるぜ。

・・尤も、それは俺達が散々楽しんだ後だがな」


徒党を組んで気が大きくなっている彼らは、その容姿に見合う下卑た笑いを張り付かせ、小汚い服から剣を抜く。


「おっと、ここは行き止まりだ。

運が悪かったな。

あんたみたいな上玉は、昼でも一人で野外を歩いたら駄目だぜ?

俺達みたいな商人に、捕まっちまうからよ、ギャハハハ」


「・・念のために聴きますね。

貴方達、私に何かする積り?」


「はは、そりゃそうだろう。

森で極上の得物を見つけたんだ。

捕まえて、犯して、何人か子供を産ませた後で売りつける。

それが俺達の商売だからよ」


「それを聴いて安心しました。

初めて人を手にかけるのです。

やはり、躊躇いはありました。

でも、貴方のその言葉が、それらを吹き飛ばしてくれた」


俯いて怒りに耐えていたアリアが、その顔を上げる。


「さようなら」


「ギャッ」


「ヒッ」


「グハッ」


目に見えない速さで繰り出される、アリアの拳。


風を切る音より先に到達する蹴り技。


その1つ1つが相手に当たる度、拳は身体を貫通し、蹴りは胴体を拉げさせる。


「ば、化け物だ。

全員で攻撃しろ!」


四方から、アリア目掛けて飛んでくる攻撃。


数発の魔法は障壁の前に消え去り、矢は届く前に折られ、剣や槍は刃先を砕かれる。


何十もの死体が横たわり、残された者達からは、助命を求める声がする。


「た、助けてくれ!

俺は今日が初めての仕事なんだ。

まだ誰にも手を付けてない!」


「知ってます。

だから、まだ生きているでしょう?」


「ヒイイッ」


そう口にするアリアの表情を見て、三人の男達は白目を剝く。


彼女の他に動く者がいなくなると、和也はオリビアを連れ、その近くまで転移する。


返り血で穢れたその身を浄化してやり、所持金と武器を没収した死体を、ダンジョンCへと転移させる。


伸びている三人は、縄で拘束した。


「こんな姿を見ても、まだオリビア様は、私を好きだと言えますか?」


大きく目を見開いて自分を見つめる彼女に、そう問いかけるアリア。


その瞳には、親しい者を失うかもしれない悲しみが、儚さとなって揺れている。


突然、オリビアがアリアに抱き付く。


「良かった。

アリアが無事で、本当に良かった」


「私が怖くないですか?

人殺しですよ?」


「だから何なの!?

私達だって、生きるために何の罪もない動物や魔物を殺すわ。

それよりずっと増しよ」


「・・有難うございます」


その頭を、優しく撫でるアリア。


そんな二人を尻目に、和也は獣人の村の、その門の向こうに、メモを添えて三人の身柄と没収した所持金、装備の全てを転移させる。


「・・帰るぞ」


アリアの肩に優しく手を添え、三人で元の場所に戻る。


「これで分ったか?」


屋敷の正門近くに転移した和也は、オリビアにそう確認する。


「・・ええ。

貴方が私のアリアに何をしたかは、後で直接本人から聴く。

二人だけで迷宮に潜っても問題ない事も理解した。

ただ、事情を知らない家の者達が心配しないよう、貴方も一緒に迎えには来て。

今度からはそれで良いわ」


「分った。

明日で良いのか?」


「ええ、お願い」


彼女を門まで送り、アリアと二人で家路に就く。


「・・御免なさい。

今夜はあなたを放さないかも。

今頃になって、自分の力が少し怖くなっちゃった」


「構わん。

それは夫の務めでもある」


「何日もあなたを独占して、エリカさん、怒らないかな?」


「大丈夫だ。

エリカは自分には過ぎた妻だから。

きっと何も言わずに背中を押してくれる」


「羨ましいな。

何時か私も、あなたにそう言って貰える日が来ると良いけど」


和也が徐にアリアの肩を抱く。


「まだ至らない妻には、今自分がどう思っているのかを、その身体に教えてやろう」


今宵もまた、其々の時間が過ぎていく。


明日は寝坊ができない二人が、その後どんな時を過ごしたかは、他の誰にも分らない。

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