第12話
「遅くなって済まない。
明日の予定はもう決めてあるか?」
12月23日の21時過ぎ、地球での自宅として住んでいる億ションに、姿を現す和也。
自室でメールの処理をしていた有紗は、家の中に生じた和也の気配に、直ぐに部屋から出てくる。
「お帰りなさい。
まだ何も決めてないけど、今年も家の中でゆっくり過ごせば良いんじゃないかしら」
「何処か行きたい所や、やりたい事は無いのか?」
「・・無いとは言わないけどね」
「どうした?
何か問題でも有るのか?」
「私の外見、こちらの常識に合わせて、49に見せてるでしょう?
幾ら年齢よりかなり若く見えるとはいっても、もうあなたと並んで歩いていては、恋人には見えないだろうから・・」
少し寂しげに、そう口にする有紗。
「・・そうだったな。
自分にはお前の歳はいつもと同じに見えるから、他の者達からどう見えるかを忘れていた」
リビングのソファーに座り、有紗が珈琲の準備をしている間、暫し何かを考える和也。
冷えた部屋が、その豊かな香りに包まれる頃、横に座っていた有紗に、和也は声をかける。
「今度の誕生日で50になるお前に、言えた義理ではないが、お願いがある。
もう一度続けて、御剣グループの社長をしてくれないか?」
「もう一度?
どういう意味?」
「今まで失念していたが、幾ら自分の仲間内では本来の姿で見えるとはいえ、その他の者達からは確かにこちらでの年相応に見えるのだ。
自分の妻として、あるいは恋人のように振る舞うには、かなり場所を選ばなければならない。
お前の気持ちを考えれば、高齢と呼ばれる歳まで今の状態を続けさせる訳にはいかない。
だから、今後その役を担わせる眷族達も含めて、50歳で交代させる。
それ以後は、その娘と称して、別の眷族を充てようと思う。
だが今回は、まだその役を任せられる眷族を育てていない。
なので、大変申し訳ないが、お前が50になったら、引退と称して全ての現場から身を隠し、その後はその娘として、新たな人間の役を演じて欲しいのだ。
本来のその姿からな」
言い終えて、申し訳なさそうに、有紗の様子を窺う。
「・・有難う。
私ね、もし自分一人だったなら、別に他からどう見えても良いの。
幾ら老けて見えようと、見窄らしく感じられようと、私しか居ない、あなたがいない世界でならば、他人の目など、さして気にならないもの。
でも、あなたに出会えて、妻にまでして貰えた事で、私の外見でさえ、自分一人の問題ではなくなったの。
あなたの隣に居る以上、あなたに相応しい女性でいたい。
その容姿、振舞い、考え方でさえ、あなたに恥をかかせない女でいたい。
あなたとデートしてる時、共に歩いている時、その連れとして、陰で笑われない存在でいたいの。
あなたはあまり表舞台に出ないし、ここ14年は、私と一緒に居る所を見せた人も極限られるから、今の私を見て、あなたを連想する人はほとんどいないけど、私の気持ち的には嫌だったの。
あなたの妻である私が、仮令僅かでも、あなたの評価を下げるかもしれない事が。
外見上の歳の差が離れ過ぎて、下らない事を考える者が出てきそうな事が。
だってあなたは私の全て、その存在意義なのですもの」
有紗がほっとしたように笑う。
「容姿が女性の全てではないけれど、この世界では、まだまだ女性には、先ず若さと美しさを求める傾向がある。
だから、あなたと釣り合う年齢に戻れる事が、素直に嬉しいわ」
「・・自分を責めないのか?
約束を破って、連続でお前に重荷を負わせるのだぞ?」
「今回は仕方ないわよ。
徒に、そのためだけに眷族を増やそうとして、あちこち女性に手を出す方が問題よ。
また暫く、あなたの為に色々やれるんだし」
「本当に済まない」
「でも、早急に眷族にできる女性が一人、いるわよね?」
「誰の事だ?」
「皐月よ。
私が知らないとでも思っていたの?
あなた、あの子に手を出したでしょう?」
「断じて手を出してはいない」
「嘘よ。
なら何であんなに若返っているの?
ちょうど彼女が休みを取っていた間、あなたも何処かに行ってたわよね?」
「確かに彼女と過ごしてはいた。
だが決して抱いてはいない。
ただ、・・彼女が望むので、マッサージに性感を刺激する要素を取り入れ、序でに細胞を若返らせただけなのだ」
「別に怒っている訳じゃないわよ?
皐月なら私も認めるし、寧ろ有難いわ。
彼女、もうあなたにメロメロでしょ?
仕事中も、時々スマホを見て、ニヤニヤしてるもの。
あれ、絶対あなたの写真よ?
・・今までずっと仕事を頑張ってきて、グループを支えてくれたんですもの。
私に遠慮せず、しっかり可愛がってあげて」
「・・彼女が自分の眷族になる事を望むだろうか?」
「望むわよ。
あなたに愛して貰えるのなら、絶対。
そうすれば、私が自分の娘としていきなり登場しても、皐月がその存在を肯定してくれるわ。
『彼女は間違いなく、あの方の娘です』ってね」
「自分はお前の父親としては、大っぴらに名前を出せない。
色々面倒になるからな。
過去に遡って出した事にする出生届も、父親の欄は空欄で出す。
苗字も香月のままだ。
法律上は所謂私生児の扱いになるが、あくまで書類上の事だし、そうだからといって、誰にも文句は言わせん。
今のお前の代わりとして、その娘役であるお前がグループを管理し、皐月を社長秘書のまま手伝わせる。
紛らわしいが、今回だけはそれでいこう」
「そうね。
その方が良いわ。
誰が親かなんて、同性婚さえ認められ始めた世界では、あと数十年で、あまり重視されなくなりそうだもの」
「今年のクリスマスは、お前本来の姿で過ごそう。
公式に表に出る前に、少しくらいプライベートで顔を見せておくのも良いだろう」
「本当!?
なら、二人でやってみたい事があるの。
極普通の、学生らしいデートがしてみたい。
私、学生の頃、そういうのに憧れてたのよ。
・・尤も、そうしたいと思う相手も、そんな余分なお金も無かったんだけどね」
とても嬉しそうな顔をする有紗を見つめながら、和也もまた、妻の細やかな希望を叶えてやれる事を、素直に喜んでいた。
翌日の午前10時。
和也は一人で繁華街の待ち合わせ場所に居た。
あれから有紗は、今日と明日を完全にオフにするために(メールすら見ない)、また部屋に籠って、全ての仕事を片付けていた。
いつもなら、久し振りに帰った日は、彼女が出勤する直前までベッドから出して貰えないが、昨日だけは、『先に休んでて』と言われ、自分だけ早く寝た。
そして朝、二人で朝食を取った際、こう言われたのだ。
『学生の恋人同士のように、外でデートの待ち合わせがしたいの』
その要求に応えるべく、和也は一人で先に出て、部屋から電車で数十分の駅前で、ポツンと一人、突っ立っていた。
暇潰しに、それとなく人間観察をしていた和也の耳に、少女の声が響いてくる。
「交通遺児育英募金にご協力をお願いします」
良く晴れた空に、人々が吐く息が白く立ち昇る冬の朝。
イブの雰囲気が色濃く漂う駅前の広場で、学校の制服を着た少女が、それ程大きくはないが、良く通る奇麗な声で、行き交う人に募金を呼び掛けていた。
清潔さを心掛ける以外に、さしてお洒落もしていない、一見地味な少女だが、心の美しさを表すような澄んだ瞳と、目鼻立ちの整った顔、姿勢の良い立ち姿が、和也の目を引いた。
この手の募金は、大抵幾人かの集団でやるものだが、彼女は一人でやっている。
興味が湧いて、和也は暫く少女を見つめた。
高校卒業を間近に控え、私はお世話になっている育英会のために、この日に自ら志願して街頭に立った。
幸い大学も早稲〇大学に推薦が決まり、受験の心配もない。
クリスマスを共に祝うような相手もおらず、この日なら、人々の善意が期待できると考えたためだ。
私の父は、私が中学1年の時、運転中にスマホをいじって前を陸に見ていなかった人の車に撥ねられ、亡くなった。
父を撥ねた人は、最初は己の非を認め、謝罪を繰り返していたが、保険会社の人間に何か言われたのか、ある時から自分の非を一切認めなくなり、父がよそ見をしていたからだと嘘を吐くようになった。
裁判をやれば良かったのだろうが、父を失い、精神的に参っていた母は、何年も続く裁判を嫌い、保険会社の言いなりに、相場の3分の1程度の賠償金で済ませてしまった。
事故に遭った日が、会社の休日だった事もあり、労災の対象にもならなかった。
私達のその後の暮らしは一変した。
母と子供二人。
貰った少ない賠償金でも、私と妹の高校卒業くらいまでは何とかなるが、それ以降の不安は尽きない。
母は専業主婦だったので、事故後に体調を崩して2年程療養した後で働きに出たが、正社員にはなれず、パートを掛け持ちして遣り繰りした。
私は主に料理と買い物を担当し、妹は掃除と洗濯を手伝って、残った時間は遊びにも行かず、家で勉強していた。
今まで仲の良かった友達と居ても、私達を憐れむような眼差しで見られる事が多かったし、『可哀想』、『頑張って』と、こちらが『何を?』と尋ねたくなるような言葉を連発されたからだ。
ちょうど反抗期に差し掛かる時期であったが、自分達の為に、あまり良くない体調を押して働いてくれた母に、時折無視する事はあっても、酷い言葉は使えなかった。
そんな暮らしが少し変わったのは、高校に入ってから。
新聞で、交通遺児育英会の事を知り、奨学金を貰える事ができるようになってからだ。
金額は、高校だと一人当たり月に最大4万円くらいだが、妹は妹で別に借りられるから、それでも大分助かった。
勉強とバイトしかない高校生活ではあったが、借りられた奨学金によって、心に僅かなゆとりが生まれたし。
これまでにも何度か、同じ奨学生仲間と交代で募金活動をしたが、あまり良い記憶はない。
交替時間に私がそこに行くと、私に募金箱を手渡した相手は、せいせいした、或いはやっと交代だと言わんばかりの表情で、私を見る事が多い。
ボランティア活動であるはずなのに、まるで義務から解放されたかのような顔をする。
その気持ちが分らないとは言わないが、少なくとも、表情に出すべきではない。
もしそれを、これから募金しようとしている人が見ていたなら、白けて止めてしまうかもしれないのだから。
私が今日、たった一人でここに立った理由はこうだが、立ち始めて約30分、まだほんの三人しか、募金をして貰えない。
何だろうと顔を向けてくれる人はまだしも、ほとんどの人は、視線さえ寄越してはくれない。
度重なる事故や災害で、人々が募金疲れしているのかも。
或いは、彼らこそがその当事者なのかもしれない。
そんな事を考えながら、私は、道行く人の迷惑にならない程度の声で、募金を呼びかけ続けた。
『残念だが、うちの会社にもう君は必要ない。年明けから、1か月の猶予をやるから職探しをするように』
昨日上司に言われた言葉を思い出し、僕は暗い気持ちで駅へと歩いていた。
高校卒業まで、呑気に何も考えずに過ごしていた僕は、陸に努力もしなかったせいで、大学も二流に入るのがやっとだった。
大学で頑張ろうと思ったが、元々家で一人で過ごす事が好きだった自分には、サークルは入ろうという考えが浮かばず、かといって教室で積極的に人に話しかけるタイプでもなかったので、必要な情報が得られず、就職活動からもかなり出遅れた。
大学での授業は、心を入れ替えて、かなり真面目に受けたのだが、買わされた教科書に書いてある事をただ話しているだけのものが多く、正直、あまり面白いとは思えなかった。
成績はオールAであったが、惜しくも主席は逃してしまった。
就職活動に直面し、僕は初めて現実を知る。
どんなに大学での成績が良くても、入った大学が二流以下なら、人気が高い一流企業に入る事はほぼ不可能だ。
先ず書類で落とされるし、運良く最初の面接まで漕ぎ着けても、親にコネがなかったり、特定の資格がないと、真面目に話も聞いて貰えない。
『うちは即戦力が欲しい』
面接でよく聞かされた言葉だが、大学で勉強に精を出していた人間に、一体何を求めているのだろうか?
もしかして、陸に授業にも出ず、色んなバイトの経験でも積んでいた方が良かったのか。
外食産業や、小売りの店舗を数多く展開する企業なら、まるでバイトみたいな社員として採用してくれそうな所もあったが、体力勝負に自信のない僕は、これも敬遠した。
結局、2部上場の聞いた事もない会社の営業として採用されたが、顧客に対して誠実に対応しようとした僕は、嘘を吐いてまで物を売る事ができず、毎月のノルマをほとんどクリアできなくて、2年目で予告解雇された。
『お前は要領が悪いんだよ。年寄りなんて、どうせこっちが言った事を陸に覚えてねえよ。売る時だけ適当な事言って、後はのらりくらりと交わしていれば良いのさ』
営業成績がいつも上位の先輩から言われた言葉だ。
確かに、どうでも良い相手なら、そうする事も一理あるのかもしれない。
正当なクレームではなく、言いがかりに近い苦情なら、寧ろその方が有効な場合もある。
でも相手は、自社の商品に興味を持ってくれた、今後もお付き合いをお願いしたい、大切なお客さんじゃないのか?
嘘を重ね、相手を騙していた事が判明した時、その相手から失うものは、一体どれ程大きいだろう?
それに、仮令懸命に働いたとしても、人を騙して稼いだお金で食べるご飯は、果たして美味しいと感じるだろうか?
駅までの道を、様々な事を考えながら歩いていた僕の耳に、少女の凛とした声が響いてくる。
「交通遺児育英募金にご協力をお願いします」
この寒空の中、朝から他人の為にたった一人でボランティア活動をしている。
思わず足を止めて眺めていたが、誰も募金をしようとしない。
きっと彼女も、親を事故で亡くしたんだな。
両親が揃って、普通に暮らしていた僕と違って、彼女には、その普通すら無かったのかもしれない。
少し考える。
うん、そうだな、1食我慢すれば、僕も彼らに何かをしてあげられる。
あの時代、何もせずに今後悔している僕から、まだ未来の選択肢が残る彼女らに、細やかだが贈り物をしよう。
そう考えて、彼女の元に歩み寄り、500円玉を1枚募金箱に入れる。
「有難うございます!」
彼女からかけられた言葉は、最近は他人から褒められた事のない僕にとって、その足取りを、少し軽いものにしてくれた。
『寒い』
学校指定のコートを羽織っていても、足元から来る寒さはどうにもならない。
かといって、以前見てびっくりした、スカートの下から体操着のズボンを穿こうとは思わない。
トイレに行きたくならないよう、朝の珈琲は控えてきたが、あと1時間くらいが限度だろう。
1時間ここに立って、まだ七人。
華やかな服装で通り過ぎて行く人々は、まるで自分とは別の世界の住人のようだ。
溜息を吐きたくても、ここでそんな真似はできない。
再び声を上げようとした将にその時、私の耳に、柔らかなヴァイオリンの音が響いてくる。
一体何処から?
少し首を巡らせると、自分から二歩程離れた隣に、全身黒で統一した服装の男性が立っている。
僅かに首を傾け、年代物のヴァイオリンを弾く姿は、彼の端正な容姿と相俟って、とても素敵に見える。
弾いている曲は、一昔前にかなり流行した、春を象徴する花のもの。
その美しいメロディーは、人を励まし、亡き人との思いに浸り、そして前を向く者への、慈しみに溢れている。
その調べを聴いている内、私の心に様々な思い出が浮かんできた。
父とよく遊んだ公園、そこに咲く桜の花はとても奇麗だった。
仕事から帰って来た父は、着替えると、真っ先に私達の顔を見に来てくれた。
仕事で来れなかった運動会や文化祭では、帰って来ると、母が撮った映像を見て、私達を撫でてくれた。
その手の温もり、その表情を、今でもはっきりと思い出せる。
妹と二人で、左右から父と手を繋ぎ、ゆっくり歩きながら見た夕焼け。
夏の夜空の下、父と見上げた星空。
あの星々は、何であんなに奇麗だったんだろう。
『弥生、どんな時でも、人に何かを言う前に、少し考える癖をつけると良い。
今は嫌だと思う人も、言い方を変えれば、違う見方をすれば、もしかしたら、異なる気持ちが芽生えるかもしれない』
『人を非難するのは、1番最後にしなさい。
先ずは自分に非が無いか、他に手段がないか、よく考えてからにしなさい』
『お前達はお父さんの事ばかり褒めるが、お母さんにも、ちゃんとお礼を言いなさい。
お父さんが頑張れるのは、お前達がいるから、そして、お母さんが支えてくれるからなんだよ?』
父の残した言葉が、心から溢れてくる。
頬が温かい。
眼が熱い。
ひとりでに流れてくる涙が、吐く息の白さと共に、私の視界をぼやけさせる。
コトン、チャリン。
何時の間にか前に居た人達から、募金箱に次々と善意が寄せられる。
「あ、有難う、ございます」
嗚咽で言葉を途切れさせながらも、どうにかお礼の言葉を口にする。
その後暫く、隣の彼は、黙って静かにヴァイオリンを奏でていてくれた。
「ヴァイオリン、お上手なんですね」
彼が演奏を終え、人通りが途切れた瞬間に、思い切って声をかけてみる。
その声に反応し、こちらを向いた彼は、穏やかに微笑みながら応えてくれた。
「それ程でもない。
もしそう感じてくれたなら、それは聴いてくれた人の心が、澄んでいたからだろう」
え?
瞳が蒼い?
そう感じた時には、彼の瞳は漆黒に戻っていた。
「もう終わりにして帰るのか?」
「え、・・はい。
お陰様で、ある程度の寄付が集まりましたし」
そろそろトイレにも行きたい。
「なら、もし良ければ、自分がここで募金箱を見ていてやるから、トイレくらい済ませてきたらどうだ?
それを持ったまま入るのは、大変だろう?」
何で分ったの?
「じゃあ、済みませんが、少し見ていていただけますか?
お願いします」
募金箱を下に置き、公衆トイレへと向かう。
彼が持ち去るなんて、私は微塵も考えはしない。
和也は、彼女の姿が見えなくなると、募金箱に1万円札を2枚入れる。
「お待たせ。
とっても素敵な演奏だったわよ」
途中で到着し、邪魔しないように離れて見ていた有紗が、声をかけてくる。
「済まないな。
少しでも手伝ってやりたくて・・」
「良いのよ。
あなたのそういう所、大好きだから。
ちゃんと私の分も、入れてくれたのね」
募金箱を見て微笑む。
「それより、どう、私の姿?
いつもはこの容姿でも、落ち着いた服ばかり着ているから、新鮮でしょ?」
そう告げる有紗の姿は、確かにこれまでの彼女とは一線を画する。
あまり砕けた感じの服装ではないが、色使いや素材、形が、10代の女性を感じさせる。
「そんな服も持っていたんだな」
「ううん、来る前に買って来たの、海外で」
少し時間がかかったのは、転移で服を買いに行っていたかららしい。
「済みません、お待たせしました」
そこに、先程の少女が用を足して戻って来る。
和也の隣に居る有紗を見て、息を呑むのが分った。
『綺麗な人』
ちょっとお目に掛かれないくらいの美少女が、見るからに高級そうな衣服に身を包んで、彼と仲良さそうに話をしている。
自分の心に芽生えかけた淡い想いが、急速に萎んでいく。
『あんな素敵な人に、私なんかじゃ、やっぱり似合わないよね』
「どうも有難うございました。
私、直ぐ戻らないといけませんから」
適当な事を口にして、募金箱を抱え、急いでその場を離れる。
さっきまであまり感じなかった寒さが、また
「・・あのまま行かせちゃって良いの?」
「ああ。
彼女には、後でこちらから連絡させるから」
「そう、やっぱりね」
「やっぱりとは?」
「あなたがわざわざ動くくらいだもの。
このままで終わるはずがないと思ったわ」
「不満か?」
「そう見える?」
「いや」
有紗が直ぐ近くまで寄って来て、いきなり和也にキスをする。
和也がヴァイオリンを弾いていた時からずっと彼を見ていた女子、有紗の登場から目を離せずに見つめていた男子達双方から、歓声や溜息が漏れる。
「いきなり何をする。
ここは公道だぞ?」
「知ってるわ。
でも、一度してみたかったの。
今までは、人目のある所ではできなかったからね。
そろそろ行きましょ」
そう言って、微笑みながら和也の腕を取る。
彼女の夢だった、同じ10代としてのデートの始まりであった。
先ずはウインドウショッピング・・のはずであったが、いざやってみると、今一つ楽しくなかったようだ。
当時と違い、今の彼女には、売り物であれば買えない物などない。
欲しい物があれば、その場で直ぐ買える。
こういうのは、あれこれ想像するのが楽しいのだと思う。
そんな訳で、苦笑いした彼女は、和也を古本屋へと連れて行った。
古本屋といっても、立ち読みし放題で、陸に本を探せない某チェーン店ではない。
古書特有の、黴臭い匂いが微かに漂う、神保町なんかによくあるようなお店だ。
懐かしい本、あの頃読めなかった、買えなかった本を探して、本好き特有の時間を過ごす。
和也も本は大好きなので、偶に目についた本を手に取り、ざっとページを捲る。
30分以上かかって、お互い数冊の本を買い、それを浄化して(本の状態ではなく、汚れや菌のみ)、人から見えないように、こっそり収納スペースに放り込む。
昼食は、有紗が前から気になっていたという、某ハンバーガーチェーン店。
それ程の値段ではないのに、やはり当時は勿体ないと尻込みしたらしい。
『こういうのは、一人で食べても味気ないのよ』と、小さな口で懸命に頬張りながら、笑っていた。
お昼時でもあり、周囲の好奇の視線が増してきたので、食べ終えて、早々に席を立つ。
和也はマ〇ネーズが苦手なので、数種のハンバーガーを食べたが、どれも皆、ソース類は一切抜いて貰っていた。
次に向かったのは、ゲームセンター。
有紗曰く、ここはある意味、節約の最大の敵。
ゲーム機なりソフトは買えば手元に残るが、ここで使ったお金は、何一つ手元に残らない。
クレーンゲームなど、運良く取れればその景品は得られるが、ほとんどの場合、他のお店で買った方が安く済む。
限定品は他では売ってないだろうと和也が言うと、『そうだけど、今はメーカーに一言言えば、くれるしね』と、これまた苦笑い。
『それは大株主のお前だけなんじゃ』、とは口にしない和也であった。
昔ながらの名曲喫茶で、買ったばかりの古本のページをめくりながら、珈琲を飲む。
ゲーセンの次くらいに、節約の敵だと思っていたカラオケに初めて入る。
でもお互い、知っている曲、最後まで歌える曲は、予想以上に少なかった。
和也は1曲しか歌わず、あとはひたすらタンバリンを叩いていたが。
クリスマスプレゼントに何か贈ろうかと尋ねる和也に、静かに首を振る有紗。
「もう形ある物は良いわ。
私が今欲しいのは、あなたとの時間だけ。
これまでに色んなものを贈って貰えた。
お金、衣類、マンションや宝石、美術品など、数えたら切りが無い。
でもやっぱり一番嬉しいのは、あなたと二人でこうして過ごしている事なの。
・・今日は有難う。
若い頃に戻って、色々試してみたけれど、容姿は戻れても、気持ちはもう戻れないのね。
何も知らない、夢と希望と将来への不安しかなかったあの頃。
貧しくても、忙しくても、楽しい事をする時は、まるで宝箱を開けた時のような気持ちはあった。
でも今は、ほぼ何でもできるし、やる前から結果や中身が分ってしまう。
勿論、それが嫌だと言ってる訳じゃないわ。
だってそれは全て、あなたのお陰だから。
あなたから貰った、力や経験だから。
・・ただね、その時にしか味わえない気持ちは本当にある。
その事が、少し悲しくて、そして懐かしいだけなの」
ほんの少し、寂しげな表情を見せた有紗に、人生の大先輩である和也は、ある提案をする。
「これから、ある場所に行ってみないか?
もしかしたらその場所は、今のお前の気持ちを、多少なりとも和らげてくれる」
「・・連れてって」
他から見えない場所で、静かに抱き付いてくる有紗を伴い、和也は転移する。
現れた先は、オース〇リアの田舎町。
そこの、とある教会の前に二人は居た。
イブの夜、いや、こちらではまだ昼間だが、この地の住人達から見えないように姿を消しながら、和也は有紗に話しかける。
「約200年前、この地で生まれた歌がある。
お前も知ってる、恐らく世界で最も有名なクリスマスソングだ。
今ではそれを、多くの者が、様々な意味や願いを込めて歌うが、作られた当時は、平和を願う祈りの歌であったと同時に、どうしようもない貧困や飢えに苦しみ、現世での絶望から、来世での救いを求める魂の歌であったとも言われている。
・・今の日本は平和で豊かだ。
貧しい者も、居るには居るが、当時のこの地と比べれば、比較にさえならない。
他国の影に怯え、自由さえ制限されていたこの地で、何故あんな美しい歌が生まれたのだろう?
神に捧げる歌だから?
偉い人に聴いて貰うため?
教会の威信をかけて制作したからか?
自分は、どれも違うような気がする。
歌というものは、人の心をそのまま映す鏡でもある。
その歌詞は、書いた者の本心を、そのメロディーが、作った者の想いを正確に表現した時、それは世に残る名曲となって、人々に受け継がれる。
技巧や形式に拘り、欲に
きっと作者は、世が平和になる事を、人々が幸せになれる事を祈りながらも、自らもまた、己ではどうにもならない絶望の淵から、救って欲しかったのではないかな。
メロディーが美しいのは、彼らの心が純粋に前を向いていたからだろう。
・・でもそんな美しい歌でも、作者がこの曲を歌った当時、もしそこでこの曲を聴いたなら、今を生きる者達は、どう感じた事だろう?
陸な設備や楽器もなく、声楽家でもプロでもない者が混じって歌われた歌。
それを貶める積りは毛頭ないが、現代の耳の肥えた者達には、もしかしたら物足りなく感じるかもしれない。
自分はな、殊に書物や音楽は、当時の状況を想像しながら、今を楽しむものだと思っている。
食べ物は、気候や土中の成分などで、確かにその時にしか、その味は味わえない。
なら行為はどうか?
これもお前が言うように、残念ながら、その歳、その無知で未熟な状態でしか、味わえないものが多いのは確かだ。
だがそれは、良し悪しだと自分は考える。
まだ若く、それにかける資金や時間が少ない時にした行為が、必ずしも楽しい、良い思い出や記憶になるとは限らない。
もしかしたら、中途半端なもののせいで、本来は楽しいはずの行為が、苦痛にさえなり、後にそれを再度楽しむ機会さえ、奪ってしまうかもしれない。
お前が若い頃、感じた憧れ、したいと願った事柄、抱いた夢や希望は、上を知らない当時の未熟なお前のもの。
年を経て、嘗て憧れた行為が、然程お前の心に響かなかったのなら、それはお前が成長したか、元々あまり重視していなかったかの、どちらかではないだろうか?
・・自分には、子供時代というものが無い。
世界を観察していた時に垣間見た、昔の子供達がしていた遊び、メンコ、凧揚げ、ビー玉やコマ。
見ていた当時は参加したいと思ったものもあるが、ゲームや漫画、アニメ等、他に面白いものが増えた今では、そう感じる物は無くなった。
だがそれを、悲しいとは思わない。
当時の記憶は記憶として、懐かしく思えばそれで良い。
やりたい何かをする前に、どんどんもっと面白そうなものが出てくる時代だ。
一々それを悲しんでいては、不老不死という能力は、あまりに重過ぎる。
・・だから、逆に考えたらどうだ?
数百年、数千年先、文明が行き着く所まで行ってしまったその時に、過去を懐かしむその行為が、却って今より新鮮に感じるだろうと」
「・・つまり、その行為が地球で味わえなくなった時、今はつまらないと感じていても、他の星で見かければ、中身や程度が予め分っていても、懐かしさがそれをカバーして面白さを感じる、そういう事?」
「まあ、そんな所だ」
「フフフッ、確かにそれは、私達にしかできない楽しみ方ね」
「観察者であった自分は、他にも楽しみ方があった。
仮令自分はその内容や結果を知っていたとしても、未だそれを知らない者達が、期待に胸を膨らませ、嬉しそうにその行為をする様を見るのが好きだった。
その時その者が感じたであろう喜び、嬉しさ、楽しさを想像し、共有する事で、自分もそれをした気になれた。
そしてそれは、人に贈り物をするという行為もに繋がる。
嘗て自分が楽しんだ物、美味しかった物、感動したものを、大切な相手にも味わって欲しくて贈る。
自分はその歳でできなかったが、大事な相手には、それを経験させてあげたいと、背中を押す。
その裏には、貰った相手の気持ちや様子を想像し、自分もまた、幸せな気持ちになれるという無意識な思いが隠れている。
大切な人が幸せになるという事は、自分を幸せにする事でもあるのだ」
「・・・」
有紗は思い出す。
自分が皐月に様々な贈り物をしてきたのは、彼女の働きに対する褒美の意味もあるが、自分ができなかった事、したかった事を、せめて彼女には楽しんで欲しかったからだ。
そしてそうする事で、彼女の反応を想像し、自分もまた、幸せになれたのだ。
「・・私、あなたの事、大好き」
有紗がそっと腕を組んでくる。
「いきなり何だ?
では、そう言ってくれたお前に、もう1つ何かしよう」
和也は有紗を連れて、上空に上がる。
大気圏を超え、地球がすっぽり見える位置までくると、広大な宇宙空間に、『サイレントナイト』の曲を流す。
曲が進むにつれ、地球上に映し出される様々な土地の暮らし。
平和な国も、争いがある地域も、豊かな暮らし、そうでない生活を、まるで慈しむかのように映し出す。
和也はそれを見て、何も言わない。
ただ黙って見つめている。
有紗は、そんな彼の優しい眼差しから、何かを汲み取り、そして自分も彼に寄り添いながら、その想いに浸るのであった。
「さて、もう暗いし、店もあまり開いてないから帰るか」
日本に戻って来て、閉店し始めた多くの店を眺めながら、和也は言う。
「まだよ。
だって最も大切な事をしていないもの」
「?
学生が行くような店は、もうほぼやってないぞ?」
「良いから付いてきて」
有紗が和也の腕を取り、先導していく。
歩いて行く内に、段々人家や店が少なくなり、やがて独特のネオンが灯る建物が多くなる。
「ここに入りましょ」
同じ様な建物が固まる中で、一際奇麗な建物の前で立ち止まる有紗。
「おい、ここって・・」
「人目に付きたくないから、ほら、早く」
半ば無理やり連れ込まれる。
彼女は素早くパネルのようなボタンを押し、キーを受け取るとエレベーターに乗り込む。
「職業上、不味いんじゃなかったのか?」
「この容姿なら問題ないわよ。
今の私は、あの人の娘という設定なんだし」
扉が開くと、足早に部屋に入り、鍵を閉める彼女。
「ああ、緊張した」
「何故今更このような場所に?
自宅では駄目だったのか?」
「一度入ってみたかったの。
だって、ほぼそれだけが目当ての場所でしょ?
一体どんな雰囲気なのか、少し興味があって・・。
こんな歳じゃないと、恥ずかしくて勢いで入れないし」
1番高い料金の部屋だからか、室内は広く、とても落ち着いた雰囲気だが、ただ、その室内の半分近くを、1つの大きなベットだけで占めていた。
有紗はそのベットの上に腰かけ、和也に告げる。
「無理やりで御免ね。
こういう場所はもう二度と来ないでしょうから、一度だけ、私の我が儘に付き合って。
その代わり、明日皐月を家に呼んで、あなたの眷族にするのを手伝ってあげる」
「・・この手の場所は、防音がしっかりしてるのか?」
「またそれを言うの?
少なくとも、以前の私のアパートよりは、大分増しなはずよ。
もし気になるようなら、その時は、・・あなたの唇で塞いで」
両手を広げ、『きて』と誘ってくる有紗。
二人だけの時間が、また始まった。
「こんな日に社長の自宅に呼ばれるなんて、一体何事かしら?」
25日の朝に、いきなり届いたメール。
『今日は会社を休んで良いから、11時頃、私の自宅まで来て』
香月社長は毎年、イヴを含めたクリスマスを必ずプライベートで休むので、こんな事は初めてだ。
もしかして、何かの私的なパーティーだろうか?
念のため、フォーマルな服装で来たが、手土産持参の方が良かったかしら。
家に来る時は何も買ってこなくて良いと前から言われているし、彼女の事だから、もし必要なら予め指示があるだろう。
そう考えながら、建物のインターフォンを押す。
最上階が全て社長の物(最初に買った物件とは異なる)なので、億ションでもあり、何時来ても、その広さに圧倒される。
「いらっしゃい」
社長自ら出て来てくれて、部屋へと案内される。
「今日は一体どのようなご用件でしょうか?」
出された珈琲に手も付けず、先ずは気になる点を確かめる。
「貴女に話があるのよ。
・・貴女、私の夫が好きよね?」
「は?
いきなり何ですか?
お会いした事もございませんが」
「嘘、既に会っているはずよ?
リゾート施設で2日も同じ部屋に、しかも同じベットで寝たでしょう?」
「え!?
・・いえそれは、確かにそうした相手はいますが、決して社長の旦那様ではございません。
彼はまだ10代でした」
「まあ、貴女、そんなに若い男性とお付き合いしてるの?」
「・・正式にはまだ付き合ってはおりません。
というか、私が一方的に迫っているだけで、彼はまだ何もしてはくれません。
名前すら、ちゃんと教えて貰っていませんから」
「それにしては、随分若返ったわよね?
男に愛されて、ストレスが解消できたんじゃない?」
「・・信じて貰えないかもしれませんが、あの人には不思議な力があるようで、だからかもしれませんが、自分の事をあまり話してはくれません。
私は唯、彼からマッサージをして貰っただけなんです。
物凄く気持ち良くて、恥ずかしい話ですが、何度も意識を失いました。
それで、気が付くと、こんなに身体が若返っていて・・」
「確認するけど、貴女はその少年が好きなのよね?
単なる遊びではなく」
「・・はい。
生まれて初めて恋をしました。
歳が離れ過ぎていますから、向こうが承諾するとは思えませんが、・・結婚したい、そう考えています」
「2、3日過ごしただけの、しかもその時が初対面の相手に?」
「自分でも呆れています。
でも、・・好きなんです」
下を向き、何とも言えない顔をする皐月。
「最初に戻るけど、貴女が惚れた相手が、もし私の夫だったらどうするの?
諦める?
それとも私から奪ってみせるのかしら?」
「それはないとは思いますが、もしそうなら、諦めます。
大恩ある社長に、そんな事できません。
それに、私では社長の足下にも及ばないですから」
「・・私が認めると言ったら?」
俯いていた皐月が顔を上げる。
「ある条件を飲んでくれれば、仮令私の夫であっても、貴女も彼と関係を持って良いわ。
というより、あなた達の関係に口を挟まない。
私だって、夫に対して独占権がある訳ではないし・・」
「?
どういう意味でしょう?」
「入って来て」
有紗が、扉の向こうに声をかける。
その声に反応して、開かれる扉。
その先には、あの少年が居た。
「!!!
・・嘘」
和也を見て、呆然とする皐月。
その目は、信じられないものを見たかのように、大きく見開かれている。
「紹介するわね。
彼が私の夫であり、御剣グループの創始者で会長の、御剣和也さん。
そしてもう1つ、仲間以外は誰も知らない顔がある。
彼はね、この世界、地球だけじゃなく全宇宙の創造神。
所謂、神様なの」
「・・・失礼ですが、社長、本気で言ってますか?」
遠慮がちにではあるが、かなり呆れてそう言ってくる。
「勿論よ。
良い機会だから、私の本当の姿も見せてあげる」
有紗が魔法を解除し、眷族としての真の姿になる。
「!!!
・・そんな、私まで夢を見てるの?」
皐月が自分の顔を両手で確かめ、目の前の事実を受け入れようと必死に努力している。
「貴女、今まで疑問に感じなかったの?
私の外見、49に見えた?
たった25年弱で、ゼロから世界最大の企業グループを作り上げたのよ?
そのグループの会長が、マスコミ等、表舞台に全く姿を現さないなんて、普通ある?
うちのグループが、経営戦略を間違えた事あるかしら?
後継者が必要な私に、子供がいないのは何で?」
「・・待って下さい。
少し待って。
今頭の中を整理しますから」
皐月は懸命に頭を働かせる。
有紗の言った事、その1つ1つを検証し、更に目の前の、どう見ても18、9の彼女の姿をも考慮に入れる。
加えて、自身の体験も。
「・・まさか、本当なんですか?」
未だに少し信じられないような表情をする彼女に、有紗が決定打を放つ。
「今から転移で貴女の部屋に行きましょうか。
まさか、掃除くらいはしているのでしょう?」
そう微笑むと、皐月の腕を取り、一瞬で消える。
腕を取られたと思ったら、直ぐに周囲の景色が、いつも見慣れたものへと変わる。
「ふーん、ちゃんと片付けているのね。
あれだけ忙しいのに、掃除もサボってないなんて、流石ね。
でも、これは何かしら?」
有紗が、机の上の写真立てを指差す。
それは、和也に迫るために撮った、例の写真。
裸の自分と、その傍らでぐっすり眠る、彼の姿が映っている。
「そ、それは・・」
いきなり自分の部屋へと帰って来たり、もう訳が分らなかった。
「別に貴女を責めてる訳じゃないのよ?
引き伸ばして、抱き枕にプリントしてたら、流石に少し引いたかもしれないけれど。
・・私の家に戻るわね」
再び転移で和也が待つ自宅の部屋に戻る。
度重なる出来事に、皐月の頭はパニック状態になり、完全に落ち着くまで、暫しの時間を要した。
「・・今まで黙っていて済まない。
あの時は言えなかったが、君の成長を自分はとても喜んでいる。
自分の課した状況を適切に理解し、よくあそこまで努力した。
今のグループがあるのは、有紗の力と、君の貢献あっての事だ。
だからあの時、自分は君に、細やかな褒美を与えたのだ」
やっと平静を取り戻した彼女に、今度は和也が声をかける。
「・・貴方は本当に、神様、なんですか?」
己の気持ちに整理をつけるために、敢えて本人にそう尋ねる皐月。
「そうだ。
そして有紗は自分の四人目の妻、己の眷族だ」
「!!」
四人目?
「有紗に頼んで、君を今日ここに招いたのは、君に大事なお願いがあるからだ。
先ずは話だけでも聞いてくれないか?」
「・・はい」
「来年で有紗は50になる。
本来なら、人としての寿命を迎える程度の歳まで、グループを任せておきたいのだが、見かけすら歳を取らない自分の側で、彼女だけ、仮令表面上の事とはいえ、老いて行かせるのは心苦しい。
なので、来年の誕生日で全てから引退させ、今度はその娘として、再びグループを率いて貰う事にした」
「!!
引退ですか!?
え、その娘としてって、まさかいきなりそのお姿で?」
「そうだ。
過去に生まれた事にして、表舞台にデビューさせる。
超大富豪の娘なのだ、それまで隠匿されていたとしても、不思議ではあるまい。
有紗の周囲に居た者には、記憶操作で、彼女が子供を産んでいた事にする」
大人数の記憶操作か・・・本当に神様なんですね。
「そこで君にお願いだが、自分の仲間になって、今まで通り、有紗を支えてくれないだろうか?
彼女の存在をスムーズに認めさせるためにも、君の力が欲しい。
それに、何度も有紗に負担をかけるより、時には君にも、自分の娘役を演じて、グループを率いて欲しいのだ」
「私をお仲間に?
それはつまり、社長と同じ、貴方の眷族になるという事ですか?」
「そうだ。
人ではなくなり、不老不死として、果てしない時を過ごす存在となる。
他にも、幾つかの能力を得られる。
有紗が先程見せた、転移もその1つだ」
「・・お返事する前に、社長と二人だけでお話させていただけませんか?」
「分った。
済んだらまた呼んでくれ」
和也が一人でリビングから出て行く。
「お話って何かしら?」
「社長は四人目の妻だとお聞きしましたが、あの方にはそんなに沢山の奥様が?」
「ええ、今はまだ四人だけれど、これからも増えると思うわ。
理由は、・・分るでしょう?」
「ええ、まあ」
顔を少し赤らめて、そう答える皐月。
「他の妻の方々って、どんな方々なんですか?」
「皆異世界の方々で、それはもうお美しい方ばかりよ。
特に和也さんが最初に妻になさった方は、お会いしたら、きっとびっくりするわよ?」
「そんなに!?
社長よりもですか?」
「残念ながら、数歩上を行かれるわ」
「!!!
社長は、私が同じお仲間になっても良いんですか?
・・彼に抱かれても」
「良いわよ。
さっきも言ったけど、私にそれをとやかく言う権限はないの。
私達は妻と言えど、そういう事に関しては、皆平等。
妻の一人である私も、ほかの眷族の皆さんも、彼はその点では区別しないわ」
「?
妻の方以外に、他のお仲間がいるのですか?」
「ええ、お仲間には、男性の方もいらっしゃるようだし、女性の方も、全てが彼の妻という訳ではないわ。
只の眷族としてだけ、という方も多いと聞くわよ」
「・・不躾な質問ですけど、只の眷族としてでも、その、可愛がってはいただけるのでしょうか?」
「ええ、貴女が望めば。
言ったでしょ、彼はそういう事で区別しないの。
・・私に遠慮しなくても良いのよ?」
皐月の遠回しな表現に、彼女の考えを理解した有紗が、やんわりと付け加える。
「・・私は、社長と同じ立場を望みません。
社長は私の恩人で恩師、そして憧れですから。
増して、他にも妻の方は大勢いらっしゃるのですもの。
私なんかでは、きっと霞んでしまいます。
・・でも、もしお許しいただけるなら、彼の”女”としては、加えていただきたいです。
そのために必要な条件があるのなら、頑張ってクリアします。
ですから、これまで通り、社長のお側で働きながら、時々、あの方に可愛がっていただけたら・・。
そんな我が儘な事を考えています」
「・・そう。
眷族になれば、そこからは長い道のりですもの、その方が良いかもしれないわね」
「あの、先程から気になっていたのですが、どうして子供を作らないのですか?
色々面倒な手順を踏むより、そちらの方が楽だと思うのですが」
「彼には今の所、その積りが無いの。
だから、私達は彼から子種の代わりに、抱かれる度に、少しずつ能力と美しさを貰ってる。
貴女も、彼とそうなれば分るわ」
「抱かれる度に、綺麗になる、ですか。
社長、随分可愛がっていただいたのですね」
「こらっ、そんな事言って良いの?
抱かれる前から、あんな写真を大事に飾っているくせに」
皐月の冗談に、有紗も笑顔で突っ込む。
「これからも宜しくね。
貴女は私の右腕、無くてはならない存在。
共に頑張って行きましょう」
「はい、社長」
「じゃあ、あの人を呼ぶわね」
念話で別の部屋に居た和也を呼び寄せる。
「済んだようだな。
それで、結論は?」
「眷族になって、私達を支えてくれるって」
「そうか。
・・それで良いんだな?」
和也が皐月の顔を見る。
「はい。
末永く、宜しくお願い致します」
「?
では、今からもう眷族になるか?
それとも、何かしらの準備を終えてからにした方が良いか?」
『直ぐに』と答えようとした皐月の耳に、有紗が何かを囁いている。
その後、真っ赤になった皐月が、神妙になって答えた。
「もう少しだけ後で。
・・私、まだ経験ないので、下手だったら御免なさい」
『??』
訝る和也の後ろで、有紗が客室のベッドがある部屋の扉を開けている。
数時間後、晴れて眷族の仲間入りをした皐月の右手には、その薬指に、象徴たるリングが輝いていた。
「三笠弥生さんですね?」
冬休み中ではあったが、学校の応接室に急に呼ばれ、駆け付けた私を、とても綺麗な女性が迎えてくれた。
電話口で、校長先生から、呉呉も粗相のないようにと念を押されていたし、ここに来る前に顔を出した職員室でも、教頭先生が同じような事を口にされたので、恐らく何処かの偉い人なのだろう。
「はい」
その女性は、椅子から立ち上がり、ご自身の名前を名乗った。
「私、御剣グループ社長秘書の、立花皐月と申します」
今や誰でも知っている、日本が誇る世界的企業、御剣グループ。
その社長秘書なら、下手な国会議員よりずっと力がある。
総理ですら、頭が上がらないとさえ言われているのだ。
先生達のあの態度も頷ける。
「今日ここにお邪魔したのは、貴女にとって、良いお話があるからです」
椅子に座るように勧められ、姿勢を正してお話を聴く。
「実は先日、貴女が一人で街頭募金に立っていた所を、うちの会長がご覧になり、貴女に金銭的な援助をしたいと仰りました。
その内容はこれです」
目の前のテーブルに、1枚の書類を提示される。
そこには、大体こんな事が書かれてあった。
高校から借りた、私の育英会の奨学金、並びに、現在借りている妹の奨学金を、全て自分(会長)が払う。
姉妹共、大学での奨学金は、育英会に代わり、その卒業まで、自分が負担する。
その額は、一人月額8万円で、無条件給付。
大学の、入学金や授業料も負担すると書いてある。
もし必要なら、特別なアルバイトを紹介するとも。
「・・妹の分まで。
一体私の何処を、そんなに気に入って下さったんですか?」
破格の条件に驚きながらも、疑問に思ってお尋ねしてみる。
「会長曰く、『寒い中、たった一人でトイレを我慢して頑張っていたから』、だそうです」
『!!』
恥ずかしさで、顔が少し赤くなるのが分る。
「済みません、冗談です。
『貴女の心が、とても奇麗だったから』、そう仰っておられました」
場を和ますためか、冗談を言って下さった彼女は、笑顔で尋ねてくる。
「会長のご厚意を、お受けしますか?」
「はい、喜んで!
会長さんは、どんなお方なのですか?」
「そうですねえ、足も長いですけど、1番の魅力は、やはりお心の広さと優しさだと思います。
私も、実は会長に援助していただいた一人です。
書類に書かれているアルバイトは、お勧めですよ?
私も学生時代、7年間やらせていただきました」
その後、事務的な手続きのお話をして、早々に帰られた彼女。
私も何時か、あんな素敵な女性になりたい。
母だけに、これ以上の負担を掛けずに済む喜びと、妹の驚く顔を想像しながら、私はその日、とても幸せな気分で家路に就いた。
「君、お客さんが来ているよ。
片付けは良いから、直ぐに会議室に行きなさい」
上司が机の整理をしていた僕にそう告げる。
誰だろう?
この地に知り合いなんて、陸に居ないはずなのに。
ドアを開けると、凄い美人が待っていた。
「初めまして、
斎藤さんですね?
突然お邪魔して申し訳ありません」
御剣グループ?
超一流企業体じゃないか。
就職活動では、どうせ無駄だと受けもしなかったけど・・。
「私に何か御用でしょうか?」
「はい、会長のお言葉により、貴方をスカウトに参りました」
「え、私をですか!?」
「そうです。
もしご希望なら、貴方を我がグループの何れかに、採用致します」
「大変有難いお申し出でありますが、私の事を何処でお知りになったのでしょう?
取り立てて優れた業績を上げた覚えもありませんし、お恥ずかしい話、この会社も、もう直ぐ解雇されるのですが・・」
「会長曰く、『貴方が先日、少女に募金をしているのを見たから』、だそうです」
「・・それだけですか?
それだけの事で私を!?」
あまりの事に、思わず呆然としてしまう。
「貴方は今、それだけと仰いましたね?
でも実際、あの日、ある出来事の前に、彼女に募金をした人は極限られます。
しかも貴方は、予定解雇を言い渡されて、失礼ですが、あまり所持金もお持ちではなかったはずです。
勿論、ここに来る前に、貴方の仕事振りをざっと調べました。
契約は、確かに陸に取れていませんが、取ったものに関しては、その後もずっと継続されています。
他の方が取った契約のその後も調べてみましたが、どれもあまり長続きしてはおりませんでした。
・・私達御剣グループが、採用において最も重視する項目は、その方の人間性です。
企業にとって、人は命、財産そのものです。
どんな製品も人の自由な発想から生まれ、あらゆるサービスが、人の手を経なければ行き届かない。
言葉は悪いですが、中途半端な学歴の方より、仮令高卒と雖も、豊かで誠実な心をお持ちの方が欲しいのです。
・・貴方は会長の、”あの”会長の御眼鏡に適ったのです。
自信を持って当グループにいらして下さい。
いらして、下さいますよね?」
「・・はい。
有難うございます。
精一杯、働かせていただきます」
自分を認めてくれる人の言葉って、どうしてこんなに心に響くんだろう?
年が明け、世界の経済界に大ニュースが伝わる。
御剣グループの社長が引退し、その娘が全てを引き継ぐというニュースが。
テレビのどのチャンネルでも特集され、陸に取材もできないアナウンサー達が、限られた情報をまことしやかに伝えていた。
そして有紗の勤務していた学園は、教師生徒共に、暫く授業にならなかった。
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