第11話

 「ねえあれ、何とかならないの?」


オリビアが、珍しく気不味げな表情で言ってくる。


和也達が朝起きると、障壁にへばり付くようにして、四人の男女がこちらを見ていた。


皆が皆、中々の衣装と装備を身に着け、容姿も並以上で、迷宮内でもきちんと身だしなみを整えている。


普通なら、そんな彼らに驚いて、いなくなるまでテントの中に居るか、障壁を解除して理由を尋ねるなりしそうなものだが、そこは和也なので、まるで彼らが目に入らないかのように、テントの外にテーブルを出して、朝食の準備をし始める。


アリア達女性陣は、彼らを気にして、トイレ以外はテントから出ず、和也がベッドを終って代わりに出した流し台で、洗顔や歯磨き(この世界では、それまで浄化を使うか、せいぜい口を漱ぐくらいしか手段がなかったが、和也が家でアリアに出した歯ブラシとミント味の歯磨き粉が殊の外好評で、それ以来、彼女は習慣化している。磨き終えた後の爽快感が癖になるらしい)をして、髪や服装等を整える。


和也がテーブルに、珈琲と3種のパン、ローストポークと温野菜にオムレツ、2種類の果物を並べ終える頃には、しっかりと身支度を整えた二人がテントから出てきた。


歯磨きをアリアに教わったオリビアは、自分用に、和也に注文するのを忘れない。


新たに注文する際は、使用済みの物を返品する事を条件に(プラスチック製だから)、受け入れる和也。


例によって熱々の食事を取っている最中、相変わらずへばり付くようにしてこちらを見ている彼らに耐えられなくなったオリビアが、小声で和也に告げる。


安眠できるように、障壁外部の音は遮断してあるので、彼らが何を言っていても、こちらには届かない。


「気にするな。

その内いなくなるだろう」


「気になるわよ!

さっきからずっとこっちを見てるのよ?

私達に何か言いたいんじゃないの?」


「敵に襲われてる訳ではないし、身なりも良いから飢えてる訳でもないだろう。

なら、死にはせん」


そう言いながら、和也は呑気に珈琲を飲んでいる。


自ら進んで助けてやる事もあれば、乞われても知らんぷりする事もある和也を見てきて、オリビアも、その境界線が何となく分ってきた。


「・・つまり、彼らは貴方の基準に満たない人達なのね。

でも、ずっとああしていられると、落ち着いて食事もできないわ。

助けないまでも、せめて追い払って頂戴」


「仕方ないな」


アリアまでそうして欲しそうな顔をするので、和也は渋々席を立ち、一人だけ障壁の外に出る。


「何の用だ?」


「遅いぞ!!

一体何度言わせれば気が済むんだ!

人を無視して呑気に食事などしおって。

早くそこのトイレを貸せ!」


「ほう、あれがトイレだと分るのだな。

やっと認知され始めたか。

だが断る」


「何!?

それは公共の物だろう。

勝手に周りに障壁など張りやがって!」


「あれは自分の所有物だ。

迷宮に点在する他の物とは違う」


そう言って、和也はさっさとトイレを終ってしまう。


「ああっ!

貴様、俺達に喧嘩を売る積りか!

何処へ隠した?

早く出すんだ!」


「用くらい、その辺の茂みで足せば良いではないか。

これまで一体どうしていたんだ?」


「下賤な庶民ならそうするのだろうが、俺達は上流貴族だ。

増してこの方は・・。

迷宮に潜って2日、運良くどんどん下へ降りる道が見つかり、調子に乗ったのが不味かった。

それまでは良く目にしたトイレが、急に見つからなくなって・・」


気遣わしげに後ろを見る男。


釣られて和也も視線を向けると、そこには今にも漏れそうなのを必死に我慢している女性が居た。


言葉を紡ぐだけでも危ないのか、物凄い視線だけを和也に向けてくる。


別にそこまで悪い者達ではないので、女性の隣にトイレを出してやる。


和也とて、彼らに恥をかかせるのが目的ではない。


ただ少し、礼儀を教えるだけの積りだったのだ。


出てきたトイレに大急ぎで入る女性。


暫く、双方無言の時が過ぎる。


やがて女性が出てくると、今度はもう一人の女性も入る。


二人の男性は、口は悪いが意外と紳士的であった。


少し離れて、トイレとは逆に身体を向けている。


和也は一人、障壁内のテーブルに戻って再度、珈琲を飲み始める。


オリビアが、『何だ、トイレを借りたかったのね』と、苦笑いしていた。


女性の後に、少し間をおいて二人の男性も使用し、それから、テーブルでそれを眺めていた和也に、来い来いと指で指図してくる。


「何だ?

使用料は特別に只で良いぞ」


「これを買い取ろう。

迷宮で使った物とは異なり、これは持ち運びができるのだな。

幾らだ?」


「それは非売品だ。

売り物ではない。

それに、買ったところでアイテムボックスに入るのか?」


「入るわ。

辛うじてね。

だから早く売りなさい。

お幾ら?」


先程真っ先にトイレに駆け込んだ女性が話に入ってくる。


「・・金貨500枚なら良いぞ」


「なっ!」


「それは特注品扱いだから、他より高い。

本来なら、それでも安いくらいだぞ。

この大陸では、他に作れる者などいないのだから、持っているだけで自慢の種にもなる」


相変わらずの上から目線で、しかも強引に話を進めようとする相手に、和也はかなり金額を上乗せして伝える。


しかも、微妙に自尊心をくすぐってもやる。


「・・少し高過ぎるのではなくて?

200枚くらいが相場ではないかしら」


市場しじょうに出ていないのだから、そんなものはない。

売るならこちらの言い値だな」


「私はオレア侯爵の息女よ。

仲良くしておけば、良い事あるわよ?」


「生憎、貴族の友人には困っていない」


「・・・」


先程までの我慢が余程応えているのか、簡単には諦められないようだ。


「意外だな。

戦って負けたら安く売れと言ったり、勝手にアイテムボックスに入れたりはしないのだな。

まあ、自分の物は、許可なく入れる事はできないが」


「オレア家の名に懸けて、そんな泥棒のような真似はできないわ。

それに貴方、かなり強そうだもの。

私よりアイテムボックスの容量がずっと大きいようだし、強固な障壁を、長時間張り続けているしね」


「思った程馬鹿ではないのだな」


「貴様!!

この方に何て口の利き方だ!」


男性二人と、もう一人の女性が色めき立つ。


「止めなさい。

あなた達では多分彼に勝てない。

ここに監視カメラは無いのよ?」


「しかし・・」


納得のいかない連れを宥めて、その女性は尚も交渉してくる。


「金貨300枚。

今までのこちらの非礼はお詫びするわ。

だから、それでどう?」


その態度から、どうやら和也が何を求めているかを察したらしく、口調も穏やかに、そう言ってくる。


「少し利口になったようだな。

それに免じて、金貨200枚にしてやる。

持って行け」


金貨100枚入りの袋2つと引き換えに、制約を解除し、アイテムボックスに終えるようにしてやる。


「有難う。

良い買い物ができたお陰で、以後の迷宮探索に不安はないわ。

私はミレニー。

・・貴方のお名前、聴いても良いかしら?」


「和也という」


「・・覚えたわ。

また会えると良いわね」


そう言うと、直ぐに四人は去って行く。


金貨の袋を抱え、障壁内に戻って来た和也に、オリビアが声をかける。


「トイレを売ったの?

ちゃんと予備を持っているんでしょうね?

それで、幾らで売ったの?

まだあるなら、私にも売って頂戴」


「金貨200枚だ」


「はあ!?

ちょっと、あれそんなにするの?

確かに凄い機能だけど、幾ら何でも高過ぎない?」


「300枚で買うと言ったが、礼儀を学んだようなので、100枚負けてやった」


「・・彼女、名前言ってなかった?」


「ミレニー・オレア、侯爵の娘だそうだ」


「道理で・・」


「知っているのか?」


「私はあまり社交界に出ないから、名前だけ。

経済の規模では、うちに匹敵する家よ。

でも、あんな遠くからここまで来るなんて、一体何の用事かしら?」


「意外だな。

あまり社交界に出てないのか?

華やかな場所が好きなのかと思ったぞ」


「嫌いじゃないけど、あんまり顔が売れると、求婚相手が増えるでしょう?

お父様はまだ好きにさせてくれるけど、婚約なんてされたら嫌だし」


「トイレの件に戻るが、家にでも置くのか?」


「そうよ。

私の部屋に置くの」


「あれをか?」


「ええ。

全く臭わないし、デザインだって、シンプルだから部屋の調和を壊さない。

寒い時は、わざわざ部屋から出てトイレに行くのが面倒なのよ。

だから、知り合いのよしみで金貨100枚で売って?」


「・・ジョアンナに2週間の休みをくれたら、只で良いぞ」


「本当!?

そんなに彼女を気に入ったんだ?」


「ああ。

来年度から、正式に自分の下に来て貰う」


「ちょっと、聞いてないわよ?

家のお客にも、彼女のファンは多いのに・・。

密かに嫁に欲しいと言ってくる貴族だって多いんだから」


「そんなに、よくあんな短いスカートで茶を運ばせたな」


「あれは彼女が自分から志願したのよ。

貴方を見て、自分がその役をしたいって。

・・でもまあ、仕方無いか。

彼女の気持ちが最優先だしね。

もう手を出したの?」


「君達貴族と違って、自分は見境なく女性に手を出さない」


「失礼ね!

貴族だって、上になればなる程、そういう事には慎重よ。

家族が知らない所で、どんどん子供ができてたら、色々争い事が起きるんだから」


「アリア、これは当座の”生活費”だ」


オリビアの抗議をスルーして、金貨100枚入りの袋を1つ、彼女に渡す。


「!!

・・嬉しい」


受け取ったアリアが涙ぐむ。


「ちょっと、彼女泣いてるわよ?

まさか今まで給料払ってなかったの?」


「まあ、そういう事にしておこう」


すっかり冷めた珈琲を魔力で温め直して、それを飲みながら、暫し、時を過ごす。


その傍らでは、未だ涙を浮かべるアリアを、オリビアが、『可哀想に。酷い男よね』と慰めていた。



 4階層ともなると、随分人が少なくなる。


1時間歩いて、3組出会うかどうかだ。


その分、魔物の数が多くなり、質もぐっと高くなる。


だがこのパーティーは相変わらずだ。


頻繁に出会う魔物を、和也は視線だけで撃退する。


彼らは思考が人より単純な分、危険の察知にだけは長けているようである。


「貴方と歩いていると、ここがまるでその辺の森みたいね」


最早魔物と出会っても驚きさえしなくなったオリビアが、アリアにべったりくっ付きながら言う。


「退屈そうだな。

湖がある5階層に降りるか?」


「良いの?

でも、今日中に帰れるかしら?」


「それは問題ない」


「なら行ってみたい。

湖なんて、子供の頃、移動途中の馬車から見ただけだし」


「結構箱入りなんだな」


「皆が皆、貴方みたいに非常識でないだけよ」


透視で5階層への道を見つけ、時々邪魔な魔物を赤い球体に吸い込みながら降りて行く。


到着すると直ぐ、今までとは一変した景色が現れる。


ひたすら広い湖。


それが、疎らな木を従えて、2㎞先まで続いている。


水の色は濃い青色。


穏やかな水面に、時々何かが跳ねて波紋を作る。


「奇麗」


アリアとオリビアが感激したように言葉を漏らす。


どうやらアリアも、ここまで大きい湖は初めてのようだ。


「少し遊んでいくか?」


周囲を透視し、この辺りの水中に魔物がいない事を確認した和也が、二人に声をかける。


「何して?」


「この湖の水は、飲めるくらいに澄んでいる。

その気があるなら、泳ぐ準備をしてやるが」


「私が泳げると思う?

でも、アリアと水の中で戯れるのは魅力的ね。

着替えはどうするの?」


「自分が二人分用意してやろう。

アリアもそれで良いか?」


「良いけど、貴方は?」


「自分は見張りだ。

それに、少しこの景色を眺めていたい」


湖の向こう岸には、小高い山が聳え、水によって浸食された岩肌が、荒々しくも芸術的な造形を創り出している。


「とか言って、本当は私達の水着姿をじっくり見る積りね。

良いわよ、好きなだけ見てね」


笑ながらそう告げるアリアの側に、着替え用のテントを出し、その中に数種類の水着を揃えてやる。


中に入った二人が、時々楽しそうに騒ぎながら、着替え始める。


暫くして、アリアは赤いビキニ、オリビアは、水色のワンピースで出てきた。


その手には、泳げない二人の為に和也が配慮した、浮き輪が握られている。


「・・もう少し胸があれば、アリアと同じような水着が着れたのに」


若干悔しそうに言うオリビアの手を引いて、アリアが水の中に入る。


火の精霊に指示して、一時的に周囲の気温を数度高めにした和也は、おっかなびっくり浮き輪で浮かぶ彼女達を視界の片隅に捉えつつ、腰を下ろして、木の幹に背を預け、暫し心を空にした。



 「良いなあ、アリアは。

そんなに胸が大きくて」


水上で、浮き輪代わりの、その背丈と同じくらいのマットの上に横になって寛ぐ彼女に、同様のオリビアが羨ましそうに声をかける。


「今まで、大きい事で良い思いをした事はない気がしますが、彼が好みだと言ってくれたので、最近ではこれで良かったと考えています」


僅かに顔をオリビアの方に向け、まだ少し濡れた髪から水滴を頬に滴らせたアリアが、そう言って微笑む。


人工の太陽が穏やかに照らし出す彼女の顔は、水面の青と良く映える。


「胸の大きなメイドの娘も、『肩が凝って大変なんです』なんて言ってたけど、貴族が着る服って、何故か胸があった方が似合うのよね」


アリアの表情に見惚れながら、オリビアは何とか会話を続ける。


正直、今回の迷宮散策は大正解だった。


初めは、護衛とはいえ邪魔者が一人居る事に、あまり良い気はしなかったが、今では彼が一緒で本当に良かったと思っている。


アイテムボックスが使えない者なら大荷物で、実力に不安がある者なら隊を成して挑む、地下迷宮の3階層以降。


それを、然したる危険もなく、まるで自宅の庭のように闊歩し、出される食事は平時の家の物の上をいく。


風呂だけは無いが1日くらいなら浄化で補えるし、眠ったベッドも快適で、トイレは家を凌ぐ。


そして何より、彼と一緒に居る事で、アリアが普段自分と二人きりの時には見せない、物凄く魅力的な表情をする。


ベッドで隣に寝た時も、その匂いと柔らかさ、温かさに自分を抑えるのが大変だったが、今は別の意味でくらくらする。


大好き。


本当に、心からそう言える。


男のものになってしまった彼女だが、その相手が彼ならまあ許せる。


あらゆる意味で有能だし、欲がなく、目下の者にもちゃんと気配りができる。


この依頼の間も、極力、私の邪魔をしないように配慮してくれてる。


依頼料の金貨1枚なんて、200枚をポンと稼ぐ彼には、大した額でもないだろうに。


本気で怒らせると相当危ない事も分ったし、彼にも言ったけれど、これからは仲良くしていきたい。


それが、アリアとずっと付き合っていける、唯一の道だろうから。


「・・ねえアリア、私の事、何番目に好き?」


1番にはなれなくても、2番目には・・。


そう期待して、勇気を出して問うた質問に、彼女は答える。


「今の所、3番目でしょうか。

・・今後(彼の他の妻の方々にお会いすれば)どうなるかは分りませんが」


何時の世も、真実は非情だった。


「もう知らない」


マットから転げ落ちて、水中にぶくぶく沈む。


「!

何やってるんですか」


アリアが潜って来て、抱き締めながら引き上げてくれる。


その首に、思い切りしがみついて、水着越しに肌を触れ合わせる。


『今はこれで勘弁してあげる』


そう思えるくらい、素敵な体験だった。



 じゃれ合う二人を眺めながら、和也はもう一方で、離れた場所から自分達を見つめる視線に気が付いていた。


ただ、その視線には悪意が全く感じられなかったので、今は放置しておく。


「そろそろ帰る準備をしよう」


立ち上がり、水辺に近付いてそう声をかける。


やがてやって来た二人に、浄化を掛けてから、濡れた肌と髪を瞬時に乾かしてやる。


着替えを終え、名残惜しそうに地上への道を歩くオリビア。


和也の案内で最短コースを進み、向かってくる魔物がいれば、余計な戦闘を省いて赤い球体に吸い込む。


途中一度の小休止を入れて、体力のないオリビアに回復を施しながら、僅か4時間で5階層から地上へと帰って来る。


5階層での長時間滞在に耐えうる者が、国にさえほんの僅かしか居ない事を考えれば、これは驚異的なスピードであった。


陽が落ちる前にオリビアを屋敷に送り届け、出迎えたメイド達に、移動の傍ら和也が魔法で採取した、大きなざる一杯の高級茸や果物等を土産として渡す。


「また是非付き合ってね」


オリビアの満足げな表情と声に見送られ、屋敷を出る。


「自分は少しやる事がある。

お前は先に帰って良いぞ。

ご苦労だったな」


人気ひとけの無い道で、和也はアリアにそう声をかける。


「そう?

じゃあ、エリカさんも待ってるし、先に帰るね。

それと・・」


アリアが近寄って来て、ゆっくり、しっかりと唇を重ねてくる。


舌でノックされた自己の唇を緩めると、透かさず入り込んできて、口内を執拗に愛撫される。


「生活費を貰ったし、これは恋人の、ううん、夫へのキス。

・・想像していたより、ずっと良いものだったわ」


そう告げて、はにかみながら転移していく彼女。


和也は暫くそこに立ち、アリアがいなくなった場所をぼんやりと眺めていたが、やがて少し嬉しそうに唇を歪めて、自身もまた、地下迷宮の5階層へと転移した。



 「ル~ル~ルルル~・・・」


人工の月明かりを浴びて、広い湖に顔を出す岩場の上で、歌を歌う少女。


周囲に他の存在は無く、たった一人で、誰にともなく歌っている。


その湖水のように澄んだ歌声は、強い魔力を伴い、常人が聞けば、忽ち虜にされてしまうだろう。


奇麗な長い髪が、裸の上半身と共に、歌の魔力に反応して、ぼんやりと光っている。


「良い歌だ。

君のオリジナルかな?」


水深がかなりある湖水の上に、いきなり現れた少年。


それに驚いて水に飛び込もうとした少女は、己の身体が言う事を聴かない事に愕然とする。


「怖がる必要は無い。

自分は君に、何の危害も加えない。

だから、少しだけ話に付き合ってはくれないか?」


月の光のような、穏やかな声。


自分を見つめる、蒼穹の如き瞳と、水中から太陽を見るような、仄かに温かく、優しい笑顔。


昼間垣間見た表情とはまた違った意味で、孤独な少女の心に、嘗てない程の好意を齎す。


「貴方は、・・誰?」


「御剣和也という」


怯えが取れ、身体から緊張が抜け落ちた少女が、静かに尋ねてくる。


「水の上に立てるなんて凄い魔力ね。

それに、もしかして、昼間私が貴方を覗いていたのを知ってるの?」


「ああ」


「この階層で、無邪気に肌を晒して泳ぐ人なんて、初めてよ?」


「予め透視して、水が奇麗な事も、危険が無い事も分っていたからな」


「人間じゃないの?

私と同じ、人工生命体かしら?」


「そのどちらでもないな。

・・君はずっと独りでここに?」


「そうね。

初めは、私を生み出した魔術師達が、近くの場所に屋敷を構えて数人で住んでいたけど、その内仲間割れして、お互いに殺し合った挙句、誰もいなくなってしまったわ。

以来数百年、もっとかな、ずっと独りでここに居る」


「寂しくはないのか?」


「もう慣れた。

水のない場所では長くは生きられないし、その水も、魔素が濃く溶け込んでいないと駄目だから」


どうやらそれが、彼女の食事代わりらしい。


「・・それに、こんな姿だしね」


そう言いながら、視線を自身の足へと向ける。


奇麗にくびれた腰の下、そこには、瑠璃色の鱗に覆われた、魚のような下半身がある。


「君の歌は、とても澄んだ音色で、聴いている者を夢や幻へと誘う。

だが、本気で魔力を込めなければ、それは心地良い子守歌だ。

どうだろう、自分の創った世界に来ないか?

ちゃんと海や湖もあるし、まだ僅かだが、そこには仲間が居て、きっと君と友達になってくれる」


「貴方が創った?

・・・条件が2つあるわ。

1つは、私の本気の歌を聴いてくれる事。

もう1つは、時々はそこに顔を見せに来てくれる事。

それを聴いてくれるなら、行っても良いわ」


「分った。

では、先ずは君の本気の歌とやらを聴こう」


目を閉じて、聴く態勢に入った和也に、静かに深呼吸した少女が、ゆっくりと歌を紡ぎ出す。


これまで過ごしてきた、長く孤独な時間。


他人と接したくても、怯えと諦観で避けてばかりいた自分。


歌だけが、そんな自分の支えであり、唯一の友達だった。


今日、貴方に出会うまでは。


そんな意味合いの歌詞が、凄まじい魔力の波に乗って、和也の耳朶に届く。


心を込め過ぎた少女の瞳から、感情に押された涙が流れ落ちる。


和也はそれを聴きながら、少女の下半身を、人のそれへと作り替える。


「!!!」


彼女の流す涙が、熱く大きな雫となって、どんどん零れ落ちて行く。


最後の言葉を紡いだ後、少女の魔力に反応していた湖水が次第に輝きを失い、やがて普段の穏やかな水面に戻る。


「・・良い歌だった。

自分の心に、しっかりと響いたぞ」


優しくそう告げる和也に、少女は暫く、泣き続けるのみであった。


「これを着るが良い」


時が立ち、落ち着いた少女に、和也はビキニの水着を渡す。


流石に、何も身に着けていない状態で送るのは、気が引ける。


「それから、君の下半身だが、君の意思で自由に変化可能だぞ?

水中では、元の方が良い場合もあるだろうからな」


「有難う。

凄く嬉しかった。

足で立つって、こんな感じなのね。

今はまだ、何のお礼もできないけど、もっと上手に歌えるようになるから、必ず顔を見せに来てね」


「ああ。

・・では、そろそろ送るぞ」


掌に黒い球体を浮かべた和也が、穏やかに少女を見つめる。


「お願いします」


球体に吸い込まれた先は、薄暗い、でも、とても長閑で暖かい場所。


自分を待ち構えていたような魔物たちが、私を見て、一瞬人間かと驚いたようだが、下半身を元に戻すと、直ぐに近寄って来て、話しかけてくれた。


どうやらこの世界では、どの種族にも言葉が通じるらしい。


これなら、私の歌を聴いても、きっと理解してくれる。


微かな潮の香りと波の音、それから水量の豊富な、大きな河川。


時々濃い魔素に乗って、変な声が何か言ってくるけれど、子狐らしい魔物が、直ぐに撃退してくれる。


御剣様、神様は、私の初めてのお友達で恩人、そしてとても大切な御方。


何時かきっと、あの方に最高の歌が届けられますように。


そう強く願う私の周りで、何故か闇の精霊が、大きな溜息を吐いた気がした。



 「もう12月かあ。

・・今年もまた、あの日がやって来るのね」



 「香月先生、その服何処で買ったんですか?

私も欲しい。

今度のクリスマスプレゼントに、父におねだりしようかな」


「うーん、貴女くらいの年齢ではまだ早いんじゃないかしら。

色々探せば、若い貴女に似合う服は、幾らでもあるわよ?

今しかできないお洒落を楽しんでみたら?」


「先生、そのボールペン、もしかしてWATARM〇Nですか?

私もそのブランド好きなんです。

ただ、少し重いのが難点ですけど」


「フフッ、私はそれが良いの。

勿論、デザインも好きよ」


昼休み、学食で食べる時は、周囲の席が直ぐに生徒達で埋まる。


男子生徒は遠慮して中々寄って来ないけど、女子達の行動はとても素速い。


旦那様に会うまでは、職員室で自作のお弁当を抓む事が多かったけれど、何かと忙しい今では、お弁当を作る手間さえ惜しい。


100を優に超える大企業の筆頭株主として、その情報処理や経営への助言を求められる事も多く、御剣グループ主要4社では、何と社長も兼任している(まだなり立ての頃、学校にそれを報告し、就業規則に反するかを尋ねたら、ただ笑顔で、何時までも居て下さいとだけ言われた)。


なのに彼は日々の莫大な(株の)稼ぎで遠慮なくどんどんその数を増やしていくから、正直、普通の人間だったら、睡眠不足で肌が荒れるくらいはしただろう。


この身体と今の生活に慣れるまでは、他の妻の方々よりもずっと一緒に居られる時間が多かったが、この半年、彼は家を空ける事が多くなり、特にここ3か月は、一度も顔を見せていない。


その存在上、仕方のない事ではあるが、この星はカップルが楽しむイベントが多く、そんな時には、彼の温もりが欲しくなる。


出会う以前は、10年近く独りで暮らしてきたのに、随分贅沢になったものだ。


今度家に帰って来たら、時間が許す限りベッドから出さない。


そんな、生徒達の前では口に出せない事を考えながら、一方で、夢と希望に満ちた若い世代の話に相槌を打つ。


「先生、ほとんどお化粧なさってませんよね?

それでその肌って、何か秘訣でもあるんですか?」


「私もお聞きしたいです。

どうしたら、そんなに髪に艶が出るんですか?」


「そんな事聴いて、さては誰か好きな人でもできたのかしら?

貴女達はまだ10代なんだし、ストレス溜めずに健康に気を配っていれば、自然とそうなるわよ」


「え~、無理ですよ~。

勉強が大変だし、スマホやお洒落に時間を取られて、最近はお母さんも忙しいから、ご飯も適当なんです」


「そうですよ~。

それに、そのくらいで先生みたく綺麗になれるんなら、世の中美人で埋まってますよ~」


「フフフッ、実際そうじゃない。

貴女達だって、随分可愛いわよ」


「またそうやってはぐらかす~」


「だって実際、何もやってないんだもの(彼に愛して貰う以外はね)」


「世の中不公平~」


「ぶ~ぶ~」


「じゃあ、お先に。

早く食べないと、もう直ぐ予鈴よ」


午後の授業の準備をするため、職員室へと向かいながら、頭の中では別の事を考えていた。


『あと何年、こうしていられるかしらね』



 思っていたより、ずっと時間がかかりそうだ。


少女を魔獣界に送った後、夜の湖水を見つめながら、和也は今後の事を考える。


初めは軽く済ませる積りだった下準備も、アリアと出会った事で、大分違う方向へと進んでいる。


アリアだけじゃない。


ジョアンナも、もしかするとヴィクトリアでさえ、これからの選択次第では、ずっと関わっていきそうな気がする。


エリカに贈る星で、一体何をやっているのかとも思うが、縁ができ、自分を慕ってくれる者達を、そう無下にはできない。


抱える者が多くなれば、それだけ責任と気配りが増えるが、嘗て人との遣り取りに飢えていた自分には、寧ろ望む所だという気もしている。


ただ、こちらでやる事はまだまだ多いから、一旦地球の有紗の所に顔を出し、その旨を伝えておく必要がある。


もう直ぐあちらはクリスマス。


彼女を妻にしてから、その日だけは彼女の為に大事にしてきた。


金に任せて豪遊した事もあれば、二人きりで部屋で過ごした事もある。


毎回同じなのは、最後はベッドで想いを伝え合うという事だけだ。


これだけは、毎年欠かさず彼女が求めてくる。


今年も彼女の為に時間を作るため、翌朝から、動き出す和也。


先ずはジョアンナに会いに行く。


「ジョアンナ、オリビアから休暇の件はもう聞いたか?」


「はい。

有難うございます。

明日から2週間のお休みを頂ける事になりました」


「既にやる事は決まっているのか?」


「いえ、ここでの授業がありますから」


「それなら心配ない。

子供達にも2週間の休みを取らせる」


「・・では、久し振りに実家に顔を出そうと思います。

随分帰っていないので、家族の様子も見てみたいですから」


「そうか。

では今日の授業後に、直ぐ近くまで送ってやろう。

それとも、一旦町に戻って、土産でも買っていくか?」


「宜しいのですか?

でしたら、家族と執事の皆に、何か買っていきたいです」


「分った。

右手を出せ」


『?』


言われるままに、右手を差し出すジョアンナ。


和也は、その薬指に嵌められたリングに、新たな機能を付け加える。


「このリングに、アイテムボックスの機能を付けておく。

君の魔力に影響を受けずに使えるから、色々入れておくと良い。

それから、これは支度金だ。

来年度から、自分の下に来て貰うからな」


そう言って、彼女の手首を返し、侯爵の娘から得た、金貨の袋1つを掌に載せる。


「お心遣い、有難うございます。

・・ですが、かなり重い気が致しますが」


あまり力を入れていなかった腕に、ずしりとくる重さを感じて、思わず落としそうになった袋を、慌てて両手で支え直す彼女。


「金貨100枚入っている」


「・・金貨、ですか?」


てっきり銀貨だとばかり思っていた彼女は、あまりの事に一瞬思考停止状態となる。


「・・・そんな、多過ぎます!」


「自分はそうは思わない。

君はきっと、自分にとって、なくてはならない人材になる。

だから寧ろ、安いくらいだ。

正式に自分の下に来てくれた際には、給料も月に金貨3枚、ボーナスとして年に5か月分払う。

・・人の好意はお金では買えない。

お金がある時だけ、調子が良い間だけの好意は、その相手にとって、真の気持ちとは言い難い。

君なら、仮令自分が貧しくとも、落ちぶれようとも、きっと最後まで付いてきてくれる。

そう思えるからこそ、君を高く評価するのだ。

実家にも一人、ずっと仕えてくれてる者が居るのだろう?

もし余ったなら、その者にも少し分けてあげると良い」


「・・・」


何も言えず、笑顔で静かに涙を流すジョアンナ。


そこに、エリカの授業を終えて、休み時間になった子供達がお茶を飲みにやって来る。


「ああっ、御剣様が、ジョアンナ先生を泣かせてる!」


「御剣様、何で先生を泣かせてるの?」


子供達が騒ぐ中、後からやって来たエリカがしたり顔で言う。


「トオル君、マサオ君、ああいう男性になってはいけませんよ?

無自覚に、さらっと女性の心を揺さぶる男性を、専門用語でジゴロと言うのです」


「分りました」


「覚えました」


既にエリカに心酔している彼らは、一も二もなくそう口にする。


「お前達、明日からの2週間、授業はお休みにする。

親の手伝いをするなり、好きな事をして過ごしていろ。

ただ、ここには来れるようにしておいてやる。

食事や自習がしたければ、いつもの時間までは、好きに使って良いぞ」


「「はい、有難うございます」」


「後で迎えに来る」


ジョアンナにはそれだけ告げると、和也は早々にその場を後にした。



 「ユイ、ユエ、少しは強くなったか?」


「御剣様!

いらしてくれたのですか?」


午前は筋肉と体力の強化に励んでいる二人が、互いのメニューをこなしながら、良い汗をかいていた。


「頑張るお前達に差し入れだ。

訓練を終えたら食べられるよう、部屋に冷蔵庫を設置してやる。

・・前回見に来た時よりも、また更に身体が締まったな」


動き易いよう、スポーツブラとブルマーのような衣類のみしか身に着けていない彼女達。


腕や腹、太股などが丸見えなので、その筋肉の付き具合がよく分る。


少し考えて、和也は、彼女達の胸の膨らみだけは、どれだけ筋肉を付けようとも、形が変わらないようにしてやる。


若い彼女達は、プライベートではお洒落だって楽しみたいはず。


着こなせる服が限定されてしまうのは、幾ら強くなる為とはいえ、可哀想に思える。


「有難うございます。

もう終わりますので、お時間があれば、一緒にお茶など如何ですか?」


「少しくらいの時間はあるが、良いのか?」


「勿論です。

私達は御剣様の部下。

遠慮なさらず、是非」


「なら、言葉に甘えよう」


少しして、既定の訓練を終えた二人と、扉の裏にある生活スペースへと入って行く。


「ユエ、私先にさっとシャワーを浴びるから、準備をお願いしても良い?」


「うん」


そう言うと、ユイは風呂場へと入って僅かな衣類を手早く脱ぎ、全裸になってシャワーを浴び始める。


中の見えないトイレと違って、浴室は、少しでも解放感を出すため、透明な強化プラスチックで造ってあるので、ここからその姿が全て見える。


「念のため伝えておくが、彼女の姿、ここから丸見えだぞ?」


お茶の準備をしているユエにそう告げる和也。


「・・御剣様には、もう隠し事を一切しないと二人で誓ったんです。

貴方様のお命を狙うなんて愚かな事をした私達には、今はそれくらいしか、こちらの誠意を示す事ができません。

本当は、二人であちらのご奉仕をとも考えたのですが、マリー先生のような美しい奥様達を既にお持ちの御剣様にはご迷惑でしょうし」


「自分は既に、お前達を微塵も疑ってはいない。

マリーの訓練は過酷だろう。

これまでの苦労や苦しみは、この短期間で作り上げた、お前達の肉体が証明している。

その顔つきだって、以前とは見違えるようだぞ?

だから、そんな事までしなくて良い。

お前達は、只でさえ男性が苦手ではないか」


「御剣様だけは別です。

貴方様にだけは、全てを委ねられます。

それに、嫌々やっている訳ではありません。

・・もしかして、かえってお見苦しかったですか?」


「いや、そこまでは言ってないが・・」


「あ、済みません。

隠し事、1つだけありました。

おトイレだけは、今後もお見せできません」


「それはこちらからお断りする」


「ユエ、お待たせ。

シャワー空いたよ?」


「うん。

もう葉が開く頃だから、御剣様に先にお出ししてて」


「分った」


そう言うと、今度はユエが浴室に行き、同様に裸になって湯を浴び始める。


「・・・」


「済みません、ご気分を害されてしまいましたか?

・・決して誘っている訳ではございません。

私達は唯、御剣様に末永くお仕えしたいだけなのです。

そのために、精一杯の誠意をと・・」


下着姿で出てきたユイが、手早く服を着て、和也に紅茶を出す。


「自分がお前達に課している訓練は過酷だ。

普通の人間なら、まず1か月は持たないだろう。

それを耐え、長期間この狭い空間から出さない自分に、何故そこまでできる?」


「貴方様のなさる事は、厳しいながらも必ずその人の為になる。

そう信じられるからです。

最近になって、ベニスさんも訓練に加わる事が増えましたが、彼女も初めは、先生にしごかれて泣く事もありました。

でもやっぱり、ずっと続いています。

訳をお聴きしたら、御剣様の事を、沢山話して下さいました。

『あんな男、他にいねえよ』

彼女、何度も繰り返しそう仰ってましたよ?

自らの経験と重ね合わせて、私達二人は、ここに来た当初よりもずっと強く、切に願いました。

もう二度と、あの方に隠し事すらしない。

身も心も曝け出して、その上で、末永くお仕えしたいと」


「何かあちこちで過大評価されているようで、その反動が怖い気もするが。

・・仲間だから、部下だから、しもべだからという理由で、性的な事まで共有する必要はない。

そういう事は、義務や習慣などではなく、心が求める相手とするもの。

それをきちんと理解しているなら、自分の方からはもう何も言わん」


「その点は大丈夫です。

私達は、今まで正にその”心”を守るために、頑張ってこれたのですから」


「お待たせ致しまして、申し訳ありません」


シャワーを終えたユエが、やはり下着姿で出てきて、傍らで素早く服を着る。


「そこに設置した冷蔵庫に、ある世界ばしょでこの時期だけ作られるケーキを入れてある」


二人がその場に視線を向けると、確かに、何時の間にか、新しい機械が置いてある。


「だが、今はそれより・・」


二人の、まだ少し濡れた髪を魔力で乾かしてやりながら、和也は各自の右手、その薬指に、リングを生じさせる。


「そのリングには、転移とアイテムボックスの魔法が付加してある。

転移は、今はまだ、こことキンダルの町の往復用だ。

どちらの魔法も、消費する魔力はリング自体に備わっているから、お前達の魔力残量を気にせず何度でも使える。

今後は、暇な時間はここから出て、町で過ごしても良い。

訓練はまだまだ続けるが、少し外の空気を吸わせないと、思考が偏り過ぎるみたいだからな」


和也は苦笑しながら続ける。


「まだ支払っていなかった給料、2か月分を、其々のアイテムボックスに入れてある。

金貨1枚ずつだな。

ただし、まだギルドには接触するな。

お前達に正式に仕事を与え始めるまでは、二人だけで買い物や気分転換するくらいにしておけ」


「有難うございます。

ですが、・・何故いきなり?」


ユエが遠慮がちに尋ねてくる。


「信頼には、信頼で応える。

もうお前達は、自分の下を黙って去ったりはしないだろう。

だから魂の制約も解除した。

・・明日から3日間、特別休暇を与えるから、自由に過ごして良いぞ。

マリーには、自分の方から伝えておく。

お茶、有難う」


椅子から徐に立ち上がり、礼を言って、何処かに転移していく和也。


二人はそれを、深いお辞儀と感謝、その信頼を得た大きな喜びで以って、見送るのであった。



 「久し振りだな、女王」


セレーニア王宮のベルニアの下に、和也は転移する。


「おお、御剣殿、よく参られた!」


「今大丈夫か?」


「大丈夫じゃ。

私室にて話そう」


宰相を連れ、奥の私室で話をする。


「いきなりだが、明日から3日間の予定はどうなっている?」


「ん?

・・どうであったかな?」


ベルニアが、隣に座る宰相を見る。


「特に何もない。

今は至って平和なものだ」


「なら神ヶ島の花月楼に、温泉に浸かりに行くのはどうだ?

実は今、エリカとマリーに仕事を頼んでいるのだが、自分が所用でいなくなる間、少し労ってやりたくてな。

エレナを含め、彼女らと過ごしてくれるなら、自分が宿に伝えておく」


「おお、それは楽しみじゃ。

エリカが仕事とな?

何をしておるのじゃ?」


「学校で、数人の子供達を教えている」


「エリカが教師を!?

それは一度見てみたい光景じゃの。

マリーは何を?」


「自分の個人的な部下として使う人間を、しごいて貰っている」


「あやつは自他共に厳しいからの。

御剣殿という伴侶を得て、大分融通が利くようになり、丸くはなったが、大丈夫なのかえ?」


「ああ。

細心の注意を払って鍛えてくれている」


「そうか。

任せておけ。

妾が責任を持って、相手をしよう。

とても楽しみじゃ」


「何かとお願いばかりで済まないな」


「何を言う。

今のこの平和があるのは、偏にそなたのお陰じゃ。

平和なだけじゃなく、民が皆楽しく暮らしてる。

礼を言わねばならぬのは、こちらの方じゃ」


「そう言って貰えると助かる。

では、自分はこれで失礼する。

後程、宿から予約の連絡を入れさせよう」


和也は静かに腰を上げると、同様に立ち上がった二人に、封筒を渡して転移する。


和也が立ち去った後、二人がその中を覗くと、そこには、教室で子供達を教え、食堂で皆と一緒に給食を食べる、エリカの様々な写真が入れられていた。



 今日もまた、深い森に建つ家の窓辺で、この世界に満ちる声に耳を澄ます。


ご主人様から頂いた力、思念の海。


そこには本当に、ありとあらゆる声が流れてくる。


聴き始めた当初は、流石に休み休みでないと耐えられなかったが、今ではそのチャンネルを加減する事で、日によっては1日中聞いていられる。


ご主人様が魔獣界をお創りになった事も大きい。


怒りや憎しみ、怨嗟の内、聴く価値も無いものは、全てあちらで処理される。


窓枠に置かれたハーブティーの立てる湯気が、窓から見える何時もの世界を、ほんの僅かに優しく見せる。


楽しかった、ご主人様の居城での日々を思い出していると、家の直ぐ前に、当のご主人様が姿を現した。


「めげずにやっているか?」


「元気に」、とは聴いてこない。


私達は病気やケガとは無縁だから。


「はい、お陰様で大分楽になりました」


家の中にお招きし、久し振りのお客様に、取って置きのハーブティーをお出しする。


「エレナ、お前に冬の休暇をやる。

明日からエリカやベルニア夫妻、マリー達と一緒に、花月楼に泊まりに行け」


「!

・・有難うございます。

ですが、ご主人様は?」


少し目を見開いて驚きながらも、自分の都合を確認してくる。


「自分は毎年恒例の用事がある」


「ああ、もうそんな時期なんですね」


エルフという、元から月日には疎い種族であったが、ご主人様の眷族になってから、それが一層酷くなっている。


毎年冬の同じ日に、ご主人様は妻のお一人と、二人だけの時間をお過ごしになる。


お二人にとって、とても大切な日なのだそうだが、エリカ様の専属メイドをも自認する私としては、ご主人様に是非「エリカ様記念日」なるものもお創りいただきたい。


その日に、私にお二人のお世話をさせていただけたなら、どんなに幸せだろう。


「エリカ様は今、如何お過ごしですか?」


「数人の子供達の教師をしている」


「!!!

エリカ様が教師を?

その子供達、何か特別な存在なのですか?」


「いや、極普通の人間の子供達だ。

・・そんな目で見るな。

別に強要などしてはいない。

エリカが自分からやりたいと言ってきたのだ」


私の目が、鋭く細められたのを見たご主人様が、苦笑しながら告げてくる。


「エリカ様が?」


「この星では、その名ばかりが独り歩きして、少し息苦しかったようだ。

誰も自分を知らない世界で、今は伸び伸びと暮らしている」


「・・そうですか」


「詳しい事は、あいつから直接聴くが良い。

お前もゆっくり休めよ?」


「はい。

お心遣い、有難うございます」


ハーブティーを美味しそうに飲んでくれたご主人様は、去り際に、『そういえば、お前には何も与えてなかったな』と口にして、雪月花の焼き印が付いた、金の延べ棒を3本置いていかれた。


ご主人様、有難いのですが、両替が面倒です。



 「あやめは居るか?」


花月楼の玄関で、出てきた仲居の者に、和也は尋ねる。


「はい、呼んで参りますので、少々お待ち下さいませ」


初対面で、和也の事は知らないであろうが、そこは高級旅館としての教育が行き届いている。


言葉遣いも仕種も、非常に丁寧である。


暫くすると、奥からあやめが顔を見せる。


「御剣様、ようこそおいで下さいました。

どうぞ、お上がり下さい」


「忙しい所を悪いな。

直ぐに帰るから、茶は要らん」


広間に通されると、お茶の用意に立とうとしたあやめを引き留める。


「そんな、お久し振りですのに、皆に会われていかれないのですか?」


「済まん。

今日はかなり忙しくてな。

早速だが、明日から3日間、例の部屋に、セレーニア王宮の面々と、エリカ、エレナを受け入れてくれ。

全部で五人だ」


花月楼には、和也がらみの突然の予約に対応するため、いつもは使われない貴賓室が1棟ある。


ベルニアなどの夫婦と、それ以外の独身者でも一緒に使えるよう、何部屋かに分かれた離れを、丸々1つ、空けてある。


「畏まりました」


「支払いは、いつものように、酒や野菜、その他の補充で頼む。

もし現金が必要なら、後で請求してくれ」


「御剣様から頂くお酒やシャンプーは、他では決して手に入りませんし、野菜や米、調味料も逸品揃い。

それらで商売させていただけるだけで、お金は貯まる一方です。

本来なら、余計に頂いた分を、こちらからお返ししなくてはならないのですから」


「子供も増えたし、金は幾らあっても困るまい。

志野や影鞆達も元気か?」


「はい、勿論。

志野は相変わらず独身を通し、最近、女子おなごの養子を取りました。

影鞆さんは、奥様との間にできた二人のお子を、雪月花の白雪さんの下に送り、色々学ばせています。

この島も大分人口が増えましたから、役場の奥様の仕事を手伝ってもいます。

菊乃も、変わりませんね。

旅館の若女将をしながら、友人達とファンクラブとやらの活動に勤しんでいます。

偶に白雪さんに呼ばれて、未だに世直しごっこをしてますね。

喜三郎さんも、道場が軌道に乗り、向こうで所帯を持ちましたし」


「そうか。

・・時の経つのは、早いものだな」


「・・もう24年ですからねえ。

初めてお会いした時は、菊乃なんか、まだ15の子供でしたのに・・」


懐かしそうに過去を振り返るあやめに、和也も当時を思い出し、頬を緩める。


「これはお前達への土産だ」


帰り際、和也は広間に多くの品を並べる。


着物に帯、櫛や化粧箱など、昔ながらの職人が、丹精込めて作った逸品を見つけると、その都度買い集め、収納スペースに入れておく和也。


そういった物は、今の地球より、この島で使われた方がより味が出る。


そう考えての事だ。


序でに、この島、この時代で読んでも違和感がないような本を、書かれている文字を変換して、これまた大量に積んでいく。


未だ娯楽に乏しい島では、和也がこうして持ち込む本が、将棋や囲碁と並んで、宿泊客や村人達の楽しみの1つとなっているのだ。


「いつも有難うございます。

今度はお暇な時、ゆっくりおいで下さいね。

皆も喜びますから」


あやめに見送られ、玄関先で転移する。


その後、エリカとマリーに休みの事を告げ、買い物を終えたジョアンナを実家に送り届けて、和也は有紗の下へと急ぐのであった。

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