第7話
「・・できる。
できるが、自分はそれをやらない。
貨幣を自由に創れば、激しいインフレを引き起こし、結果としてその国の経済を破綻させるし、食料を過大に生産すれば、需要と供給のバランスが崩れて商品価値が下がる。
何れも、その国の者達に要らぬ迷惑をかける行為だからな。
同じような理由から、余程価値の高い動産も、無闇に創りはしない。
自分が気にせず創るのは、その場限りの食事とか、巷に溢れ、多少数が増えても価値の変わらぬものばかりだ。
あとは、せいぜい暮らしに役立つ施設くらいだな。
尤も、自分が特別視する相手には、この限りではないが・・」
暫く考えた末、ヴィクトリアには真実を話す事にした和也。
適当に煙に巻く事もできるが、自分に対して誠実に接しようとしている彼女には、こちらも誠意を見せるべきと判断する。
「・・貴方の国は何処?
その国では、皆そんなに魔力や能力が高いの?
もしかして、何処かの大陸には居ると言われる魔人か何かなの?」
ヴィクトリアが呆然として聴いてくる。
「済まないが、出身は言えない。
ただ、自分は魔人や亜人の類ではないし、この大陸の人間でもない」
「何故、この大陸に来たの?」
「妻に贈る地の、下見と下準備のためだ」
「・・四人いるのでしたね。
きっと素敵な方々なのでしょうね。
・・最後に2つ聴かせて。
貴方はこの国の敵にはならないわよね?
それと、今後も誰かを娶る気はあるのかしら?」
「余程の事がない限り、自分は先制攻撃をしないし、相手を敵視したりもしない。
その相手が嫌なら距離を置くだけだ。
妻の数は・・多分、増えそうな気がする(エリカに言われたアリアの事を考えている)」
それまで見せていた表情から、何時になく優しい笑顔に変えて、最後の問いをしてくるヴィクトリアに、和也も真剣に、彼女の眼を見てそう答える。
「・・そう」
ヴィクトリアの表情に、安堵と喜びが加わる。
「なら、わたくしはもう何も言わないし、常に貴方の味方よ。
これからも宜しくね」
薄暗い室内で、その双眸にある種の想いを込めて、右手を差し出す彼女。
和也はその手を、しっかりと握った。
「では撤収しよう。
こちらに来てくれ」
その後、魔法書と算術の本を手に入れた和也は、他の場所で何かを探していたヴィクトリアにそう声をかける。
「御免なさい、少し待って下さる?
・・あった」
目当ての本を見つけた彼女が、それを胸に抱え、小走りに駆けてくる。
そして空いている方の腕を、和也の首に回す。
「・・そこまでくっ付かなくても良いのだが」
「嫌よ。
転移で振り落とされたら、何処に落ちるか分らないもの」
「・・まあ良い」
さっさと王宮の彼女の部屋へと転移した和也は、ヴィクトリアに礼を言って立ち去る。
「今回は助かった。
機会があれば、また会おう」
「ええ、必ず」
和也を見送り、ヴィクトリアは表紙を隠すように抱えていた本を、そっとテーブルの上に置く。
その表紙には、こう書かれていた。
『貴族女性の婚姻、その心得と心構え』
「お帰りなさい」
家に戻った和也を、エリカが出迎える。
「ただいま。
今日は何をしていたのだ?」
「少し前まで、アリアさんに絵を描いて貰っていました。
わたくしの肖像画をどうしても描いてみたいと仰るので」
「何!?
・・彼女は何処に?」
「今は庭で鍛錬をなさってます」
和也は急いでそこまで歩く。
「言い値で買おう」
「・・いきなり何よ?」
ボディスーツを着込んで鍛錬に励むアリアに、和也は告げる。
「エリカの肖像画の事だ。
完成したら、是非譲ってくれ」
「ええーっ。
あれは私用に描いてるんだけど。
どんな服でも、どんなポーズでも絵になる人だから、創作意欲が湧きまくりだわ。
私の代表作として、シリーズ化したいくらい」
「・・譲ってくれないなら、エリカにモデルをさせんぞ?」
「ちょっと、何子供みたいな事言ってるのよ。
神様のくせに、情けなさ過ぎ。
それに、貴方は本人を好きにできるじゃない」
「芸術として、ずっと眺めていたい景色は、本物も勿論素晴らしいが、写真や絵画もまた格別なのだ。
それを見ながら、様々な事を思い出せる。
思い描ける。
・・時間を忘れるくらいにな」
少し遠い目をして、何かを思い出してでもいるのか、その顔に、僅かな寂寥感が漂う。
「・・そんな顔しないで。
分った。
あげるから」
「我が儘を言って済まない。
他にも描いてくれるなら、別に今描いているものでなくても良いぞ。
幾らで譲ってくれる?」
「お金なんて要らないわよ」
「だが、君はそれを職業にしているのだろう?
丹精込めた良い仕事には、それなりの報酬を払いたいが」
「じゃあ、代わりに何か1つお願いを聴いて。
それでどう?」
「分った。
君がそれで良いなら、そうしよう」
「アリアさん、わたくしもお願いがあるのですが」
何時の間にか、エリカが傍まで来ていた。
「はい、何ですか?」
「旦那様の肖像画が欲しいのですが、1枚、描いてはいただけませんか?」
「勿論、良いですよ。
それは私も欲しいかも」
二人が和也の顔を見る。
「・・エリカがそう言うなら、甘んじてモデルを引き受けよう」
「フフフッ、アリアさん、格好良く描いて下さいね?」
「ええ。
どんな構図にするか迷ってしまいます」
この後、和也は地球の画材専門店に赴き、大量の絵の具と筆、カンバスを買い込み、アリアを驚かせるのであった。
「わたくしも何かお手伝いしてみたいです」
深夜、同じベッドの中で、和也の話を聴いたエリカがそう告げる。
和也を挟んで反対側には、下着姿のアリアが横になっている。
あの後、鍛錬を終えたアリアと三人で風呂に浸かり、食事をして、お互いの趣味の時間を経た後、共に眠りに就こうとしている。
その際、傍らの二人に、和也が偶々知り合った子供達に教育と仕事を与える旨の話をすると、エリカが控え目にそう言ってきた。
「子供相手だから別に反対はしないが、そんなに楽しくはないと思うぞ?」
「わたくし、人にものを教えるのは初めてですけど、簡単な魔法や算術くらいなら大丈夫だと思います。
ここに居て、一人の時間を過ごすより、折角なら見知らぬ誰かとお話してみたい。
あなたやアリアさんがお忙しい時は、わたくしも、何か仕事ややる事を見つけて、それに打ち込んでみたいです」
「・・障壁が働くから危険はないだろうが、お前の容姿でいきなり人込みに出すのは好ましくない。
少人数の子供相手に様子を見るのも手だな。
良いだろう。
では魔法と算術は、エリカに任せる」
「有難うございます。
どんな子供達か楽しみです」
「私は流石にその時間はないかな。
今は鍛錬と絵を描く事で一杯一杯ね」
「お前は寧ろそちらをしっかりやってくれ。
エリカの絵、期待しているぞ?」
「はいはい。
貴方って、本当にエリカさんが大好きなのね。
愛されてますね、エリカさん」
アリアが和也越しに、エリカにそう話しかける。
「フフフッ、それで、今日はどう致します?
わたくしをお抱きになりますか、あ・な・た?」
エリカが笑いながら和也の頬に手を当ててくる。
「アリアが隣に居るのに、そんな事はしない」
自分をからかうエリカに、憮然と反論する和也。
「大丈夫です。
私、目をつぶって、耳を塞いでますよ」
「嘘を吐け」
アリアの言葉に、苦笑と共に、そう返す和也。
今日もまた、和也にとって、嘗て夢見た日常が過ぎていく。
二人から寄せられる温かさを子守歌に、静かに瞼を閉じる。
「おやすみなさい」
二人の囁きが、そっと彼の耳朶を撫でるのであった。
「おはようございます!」
二人の子供達が、現れた和也を見て元気に声を出す。
「ほう?
良い目をしている。
希望と熱意、誠意に満ちている。
良いぞ、学ぶ者はそうでなくてはな」
和也は笑顔で扉を開ける。
「実習用」
扉の上部のランプが青く光り、パネルに『実習用』と表示される。
ゴゴゴゴッ。
開いた扉の中に、子供達を案内する。
「ええ!?」
入り口から少しした場所に、広いグラウンドと、一棟の校舎が建っている。
子供達を連れて校舎の教室内へと転移した和也は、もう声も出ない彼らに、適当な椅子に座るように告げる。
日本の学校によくある、机と椅子がセットになったものの1つに彼らが身を置くと、その机の上に、数冊の教材を出す。
法律、経済学、歴史2冊、文学、魔法書4冊、算術。
「今出したものは、この国の初等教育で教えられるものだ。
お前達には、先ずはこれを学んで貰う。
魔法書と算術以外は、主にお前達の自習だ。
文字が読めるようだから、自分達のペースで、しっかりと読み進めろ。
もし分らない箇所があれば、メモを取り、次回質問しろ。
魔法と算術には、特別教師が付く。
全て学び終えたら、其々の科目別に試験をする。
合格すれば次へ、落ちれば再度その科目だけは復習させる。
ここまでで何か質問はあるか?」
「この教材は持ち帰っても良いのでしょうか?」
1冊当たり、厚さが10㎝はありそうな本を指しながら、マサオが質問する。
「それは駄目だ。
秘密保持のため、ここでの使用のみにする。
ただし、自分で写本した物は構わない。
家での学習用にはそれを使え」
和也は各自の机の上に、写本用のノート数冊と、筆記用具を出してやる。
「1日どれくらいここに居ても良いんですか?」
アケミが手を挙げて尋ねる。
「お前達の都合にもよるが、・・そうだな、こうしよう」
和也は、教壇の上に時計を2つ設置する。
「左がここでの時間、右がダンジョンの外での真の時間だ。
ここでの時間は、現実の5分の1の速度で進む。
つまり、ここに5時間居ても、外では1時間しか経たない。
よって、ここに居られる時間は、15時間までとする。
外に出た時、時差を感じて体調が可笑しくならないようにはしてやろう」
「魔法と算術は、講師の方が見えられるそうですが、時間割はどうなっているのでしょうか?」
「そうだな・・では最初の5時間を魔法と算術に当てよう。
各1時間ごとに10分の休憩を入れる。
その間に、トイレに行ったり水を飲むと良い。
それに伴い、ここでの授業開始時間を設定する。
現実時間で朝9時から。
何かで二人共来られない日は、30分の経過を以って、その日は休校とする」
マサオの質問に答えた和也は、そこで何かを思い出したかのように言う。
「なお、昼食の用意はしなくても良いぞ。
ちゃんと給食を出してやる」
「食事まで出してくれるんですか!?」
「一応、学校教育だからな。
好き嫌いはあるか?」
「いいえ、食べ物の選り好みをする人なんて、うちの村には居ませんよ」
アケミがそう言って、嬉しそうに笑う。
「・・あまり食べられないのか?」
「恥ずかしい話ですけど、1日2食がやっとです」
「もしかして、税が高いのか?」
「いえ、他と比べても増しな方だと思いますが、何分、うちの村には特産品が無いですし・・」
「ここでは幾ら食べても構わん。
食べ過ぎて、眠くならないようにしろよ?」
「有難うございます」
「最後に、仕事の説明をしておこう。
仕事のための訓練は、お前達四人全員が揃ってからにする。
内容は、清掃作業に関する知識の習得と実技演習だ。
多少の体力も必要だから、グラウンドでの基礎訓練もする。
ここでの時間で、1日1時間くらいだな。
自分が満足するレベルまで到達したら、仕事を与える。
報酬は、その難易度によって、一人銀貨5枚から20枚だ」
「!!!」
子供二人が絶句する。
村では、稼ぎの良いタエの宿屋でも、月に銀貨30枚も稼げば大喜びなのだ。
「・・本当にそんなに頂けるのですか?」
「こちらが要求するレベルをきちんと満たせば、必ず払う」
二人は、さっさと残りの二人を説得しようと決めた。
「それでは最後に、特別講師を紹介しよう。
・・エリカ先生だ。
最大限の敬意を持って接するように」
和也がエリカを転移させる。
「今日は。
エリカです。
魔法と算術を担当します。
宜しくね」
現れたエリカが二人に笑顔で挨拶する。
「・・女神様だ」
「・・・女神様がご降臨なされた」
だらしなく口を開けて、呆然と彼女を見つめる二人。
「言っとくが、お触り禁止だからな!」
「フフフッ、あなたったら」
「じゃあエリカ、後は宜しく頼む。
何かあったら、念話で知らせてくれ」
「はい」
和也が転移して姿を消すと、エリカは二人の子供達に声をかける。
「じゃあお二人とも、早速授業を始めましょうか。
魔法書1の教科書以外は机の中に終って下さいね」
二人は言われた通りにそそくさと本を終う。
心地良い声音と、その
そしてそれは、人数が四人に増えてからも、同様に続くのであった。
「アリアの連れが、オリビアに用があると伝えてくれ」
自分を睨む二人の門番にそう告げると、案の定怒られた。
「貴様、ちゃんと様を付けんか!
きちんとオリビア様と言え!」
文句を言いながらも、渋々取り次いでくれる。
暫くして門が開かれ、館の入り口まで案内される。
そこに控えていたメイドは、和也に対して凄く好意的であった。
以前とは違う応接室に通される。
直ぐに、オリビアがやって来た。
「何の用?」
「メイドを一人貸してくれ。
3年くらいの間、1日2時間程度で良い。
その分の給料は、こちらが払う」
「いきなりね。
何に使うの?」
「近所の子供の教育にな」
「そのくらい、自分で探せば良いじゃない。
うちのメイドは身元と質が高い分、給料もそれなりよ?」
「月に幾らくらい払っているのだ?」
「高い娘で金貨1枚、安くても銀貨70枚ね」
「○○村に近い出身の者は居るか?」
「ああ、それなら、その村を治めてる下級貴族の娘が居るわよ?
ほら、この間、貴方にお茶を運んで来た娘。
あの後、メイド達に気配りを見せた貴方を凄く褒めていたから、頼めば嫌とは言わないんじゃないかしら」
「ではそのメイドを借りたい」
「・・どうしようかなぁ?
別に貴方にそうしてやる義理などないし」
「なら、自分も活動拠点を他の町に移そう。
もう二度と、君がアリアと会う事はないだろう」
「卑怯よ!
アリアを持ち出すなんて」
「どうする?」
「分ったわよ。
貸してあげる。
その代わり、ちゃんとこちらが減らした分の給料を、彼女に払いなさいよ!?」
「それは勿論。
それとは別に、君にも礼をしよう。
月に一度くらいなら、アリアとお茶を楽しんでも良いぞ。
彼女には自分が話をつけておく」
「本当!?
有難う、凄く嬉しい!
今彼女をここに来させるから、後は彼女と話をつけて頂戴。
私はこれから習い事があるから」
そう言って、オリビアは弾むように部屋を出て行く。
それから少し間を置いて、ドアをノックされる。
返事をすると、この間のメイドが嬉しそうに姿を見せた。
「ご指名有難うございます。
何でも、お仕事をご依頼いただけるとか」
椅子に座るよう促すと、腰を下ろした彼女が笑顔でそう尋ねてくる。
「ああ。
君は貴族だったんだな」
「はい。
貴族とはいっても、小さな村を幾つか治める貧乏貴族ですけれど」
「○○村を知っているか?」
「はい、うちが治める村の1つです」
「実は、今度その村の有望な子供を四人程教育する事にしてな。
ついては、その子らに掃除や洗濯の仕方、料理や礼儀作法等を教える教師を探していたのだ。
それを君にお願いする事にした」
「はあ、それは構いませんが、その子達はこの町に住むのですか?」
「いや、あの村に居る」
「お嬢様からは、1日2時間程度で3年程とお聴きしていますが、あの村に滞在しろという事でしょうか?」
「違う。
その事については、少し厄介な秘密がある。
これから話す事は、他言無用で頼む。
オリビアにもな」
「お嬢様にもですか?」
「ああ、知られると国単位で面倒事が起きる可能性がある。
今それを知っているのは、この国の第1王女だけだ」
「ヴィクトリア様ですか!?」
「知っているのか?」
「ええ、お会いした事はございませんが、お名前だけは」
「君には決して迷惑をかけない。
だから、秘密は守って欲しい」
「・・分りました。
お約束致します」
「助かる。
あの村までの移動についてだが、転移で行って貰う」
「私は転移などできませんが」
「分っている。
魔法を行使するのは勿論自分だ。
君にはこの屋敷の近くから魔法陣で転移して、あの村の近くにあるダンジョンで、彼らを教えて貰う」
「他人を転移できるのですか!?
しかもあそこまで!?」
「まあ、そういう事だ」
「それは・・確かに他に知られると大変な事になりますね。
・・でも、凄いんですね。
この間の圧倒的な強さといい、それ程の魔力といい、お望みなら、王にもなれるのではないでしょうか?」
「興味ない」
「富や権力にも固執なさらないなんて、『英雄色を好む』の
クスクス笑いながら、そんな事を言ってくる。
「それなら君の下着にもっと反応したと思うが?」
「まあっ!
有難うございます。
正直言って、少し女としての自信を失くしていたんですよ?」
「君は美しい。
その心もな。
・・それでは実際に現場まで行ってみよう。
こちらに来てくれ」
立ち上がって傍に寄って来た彼女の腰を抱え、和也はダンジョンの中、教室外の廊下まで転移する。
窓越しに、エリカが子供達に優しく魔法を教えているのが見える。
「・・どなたですか?
あの素晴らしくお綺麗な方。
折角取り戻した女としての自信が、脆くも崩れ去ってしまいます」
「自分の妻の一人で、エリカという。
仲良くしてやってくれ」
「・・道理で。
あの方と比べられては、全ての女性が霞んでしまいますわ」
「自分の自慢の妻の一人だ。
どれ、少し挨拶していこう」
戸を開け、授業の邪魔をした事をエリカに詫びてから、傍らの彼女を紹介する。
アケミは彼女を知っていたようで、びっくりしていた。
「そういえば、まだ名前を聴いていなかったが・・」
「ジョアンナ・ヘリ―と申します。
宜しくお願い致します」
その日、また一人、エリカに知人ができた事を喜ぶ和也であった。
「給料についてだが、オリビアには幾ら減額されるか聴いているか?」
紹介が終わり、再度二人だけで廊下に出ると、和也はジョアンナに尋ねる。
「私は1日12時間勤務で、月に銀貨90枚ですので、その2時間分、銀貨15枚を減らすと伺っております」
「12時間?
住み込みなのか?」
「はい。
仕事上、その家の秘密を知る機会もございますから、誘拐などの犯罪から身を護るためにも、その方が良いのです。
お家賃も食費もかかりませんし」
「休暇はあるのか?」
「はい、勿論。
1日1時間の休憩と、週に1日、年に6日の有給休暇がございます」
「結構きつい仕事なのだな。
君は貴族なのだろう?」
「下級貴族の、しかも後継ぎ以外の身では、何処もこんなものではないでしょうか。
ベイグ様のお屋敷で働かせていただいている私は、寧ろ恵まれていると思います」
「ベイグ?」
「キンダルのご領主様です。
ご存じなかったのですか?」
「ああ。
『それはそうか。
オリビアに苗字がない訳ないよな』」
「・・では、ここでの仕事の報酬は、月に銀貨70枚でどうだろう?」
「ええ!?
2時間でそんなに頂けるのですか?」
「教えて貰う事は多岐に渡るし、手間を取らせる詫びでもある。
それと、ここでの時間は現実の時間の5分の1の速度で進む。
ここで10時間過ごしても、実際には2時間しか経たない。
子供達に指導して余った時間は、君の好きに過ごして良い」
「・・時間を操る事なんてできるんですか?
スロウの魔法は超高難易度ですが、それでさえ、時間ではなく、相手の身体能力を一時的に下げるだけだと言われていますが」
「・・内緒な」
「・・はい。
『この方、もしかして・・』」
「君にこれを渡しておく」
和也は、ジョアンナの右手の薬指にリングを嵌める。
「これは、ここへの転移魔法陣を開く鍵だ。
帰りは、屋敷の直ぐ近く、人の居ない場所へと転移する。
この仕事に就いて貰っている間は、何時でも何度でも使えるから、好きに活用して欲しい。
必要な魔力はリング自体に込められているから、君の魔力には影響ない。
それと、ここでは食事もお茶も自由に取れるから、その時は食堂に行ってくれ。
毎日十分な量を用意しておく」
「有難うございます」
深く丁寧にお辞儀する彼女は、まるで何かに気付いたようであった。
『地下迷宮の5階層、屋敷を守るゴーレムの退治』
例によって掲示板を見ていた和也の眼に、新しい依頼が飛び込んでくる。
最近見つかった太古の魔術師の屋敷に、侵入を拒む厄介なゴーレムが居るそうだ。
特殊金属で作られているから、魔法も効き難いとのこと。
金貨50枚。
屋敷で手に入れた宝やアイテムは、優先的にギルドに売却せよと書いてある。
早速、和也は現場に向かう。
5階層をざっと透視すると、入り口から20㎞程先の森に、小さな屋敷がある。
そこまで飛び、玄関のドアを開けると、直ぐ正面に
和也を見て、ゆっくりと動き出す。
だが、こちらが攻撃する素振りを見せないと、何もしてこない。
和也はゴーレムを分析する。
どうやら、動力となる魔力が残り少ないようだ。
相手の魔法攻撃を自分の動力として変換する機能が付いているから、こちらが魔法を使うのを待っているのだろう。
「ジャッジメント」
和也の頭に、このゴーレムの過去が次々と入り込んでくる。
造られた経緯、主人との思い出、その主人を失ってから。
子供のいなかった魔術師夫婦が、その代わりにと作った事。
夫婦との日課だった散歩。
本当の子供のように話しかけられ、可愛がられた日々。
彼らが相次いで亡くなると、他の魔術師達にその遺産を漁られ、思い出の品を幾つも奪われた事。
その後、僅かに残った品を守るために、1000年以上も、ずっと一人で屋敷を守ってきた事。
和也の双眸が、蒼穹の如く輝く。
「なあ、この屋敷ごと、うちのダンジョンに来ないか?
そこで働いてくれれば、この屋敷の保全と、お前への魔力供給を保証しよう。
攻撃されてもお前が傷つく訳でもないし、何より、友達になってくれる仲間が居るぞ?」
和也はゴーレムの人工知能にそう話しかける。
ゴーレムは何かを考えているが、決め手に欠けるようだ。
和也は自分の側に、彼の亡くなった主人達を映し出す。
途端に、ゴーレムが震えた。
まるで泣いているようにも見える彼に、和也は語り掛ける。
「嘗ての思い出を大事にするのは良い。
それはとても素敵な事だ。
何気ない日常で、ふと浮かんでくる数々の記憶に、思わず笑みが零れ、或は懐かしくて涙する。
そうした心の動きは、確かに己を支える要素の1つであるが、これから出会う者達と作る新たな思い出もまた、お前の心に確実に何かを刻んでくれるぞ。
・・一緒に来ないか?」
ゴーレムが、ゆっくりと、こちらに向かって頷く。
「そうか」
和也は笑顔になり、彼を屋敷ごと自分のダンジョン内、その居住区へと転移させる。
次いで自らもそこへ転移して、気配を感じて出迎えに来たルビーに、事情を説明する。
「仲良くしてやってくれ」
「畏まりました」
「メイはどうしてる?」
「私と過ごす以外は、今の所、鍛錬と昼寝を繰り返しております」
「何か言っていたか?」
「またパンが食べたいそうです」
「これを渡してやってくれ」
和也は収納スペースから、銀のブレスレットと、アンリのパンを幾つか取り出してルビーに渡す。
「それから、お前にはこれな」
ルビーを引き寄せ、口移しで、その精気を流し込んでやる。
「有難うございます、ご主人様」
眼をとろんとさせて、礼を言う彼女。
和也は、ゴーレムの屋敷を置いた森の周辺を、嘗て彼が主人達と散歩した場所に似せて造り変えると、ルビーに見送られ、静かにその場を後にした。
「あんた、いつもここで掲示板見てるけど、今まで一度も達成してないんだって?
良かったら、一度あたいのとこで仕事してみないか?
簡単な護衛だから、そんなに実入りは良くないけど、途中に森があるから、その気になれば色々手に入るかもしれないぜ?
アリアに給料払わなきゃならないんだろう?」
討伐系の掲示板を眺めていた和也に、採取、労働系の掲示版を見ていた女性が声をかけてくる。
30前後だろうか、筋肉質の、バランスの取れた豊満な身体を、厚めのレザーアーマーに包んだ、中々に魅力的な女性だ。
長く茶色い髪が、彼女の小麦色の肌とマッチして、唇に引かれた紅と共に、大人の色香を放っている。
「・・誘ってくれて有難う。
君のパーティーは何人なんだ?」
「三人だ。
戦士のあたいの他に、神官、魔術師が居る」
「神官?
初めて聞くが、何の神を信仰しているんだ?」
「魔法の神さ。
この大陸では結構メジャーだから、あんたも知ってるだろ?」
「・・いや」
「そんな
この国の人間なら、子供でも知ってると思うぜ?
・・そういやあんた、魔物が金落とすと思ってたんだっけ」
あの場に居たのか、クスクス笑っている。
「一時的とはいえ、君の所に男性の自分が加わっても平気なのか?
きっと他の二人も女性なのだろう?」
「あたいのパーティーに男を入れるのは初めてだが、既にその了解は取ってある。
寧ろあいつらも乗り気だったぜ?
アリアを落とした男がどんな奴か知りたいんだとさ」
「日程はどれくらいだ?」
「目的地で1泊するから、往復で5日だな。
報酬は4等分で一人銀貨15枚。
出る魔物は下級ばかりだから、まあ、こんなものだな。
依頼主とも顔馴染みだから、気を遣わない分楽だぜ?」
『ジャッジメント』
「・・分った。
今回は世話になろう」
ユイ達の件があるので、念のため彼女の過去を見た和也は、瞳を蒼くしつつも、苦笑しながらそう答えた。
「そう来なくちゃな。
この後時間大丈夫か?
他の二人にも紹介したいんだが・・」
「大丈夫だ」
「じゃあ付いて来てくれ。
馴染みの店で、二人が待ってるんだ」
何だか嫌な予感がしつつも、嬉しそうにそう告げる彼女の後を付いて行く和也。
「・・この町での会合には、ここは定番スポットなのだろうか?」
目の前に建つ店を見ながら、諦めたように和也が言う。
「ん?
あたいら冒険者には、定宿みたいなもんさ。
寝泊まりはできねえが、酒と飯は大体ここで取るぜ?」
中に入ると、案の定、女主人が出迎える。
「先に二人来てるはずなんだが、何処だい?」
「・・奥の個室よ」
この女性と顔見知りらしい女主人は、笑顔で彼女にそう告げた後、一転して無表情な目で和也を見る。
「・・ほんっとうにお盛んですこと」
和也が目を逸らして彼女の脇を通り過ぎる際、彼だけに聞こえる声でそう言ってくる。
聞こえない振りをして、さっさと移動した先では、二人の若い女性が和也達を迎え入れる。
「紹介するぜ。
こっちが神官のミー、その隣が魔術師のケイだ。
ほんであたいが戦士のベニス。
改めて宜しくな」
個室の席に和也と並んで座ったベニスが、向かいの二人を指して、そう告げてくる。
「和也だ。
宜しく頼む」
ドアがノックされ、酒とつまみが運ばれてくる。
女主人が直々に運んで来て、其々の前に飲み物を置く。
和也はそれとなく自分の前に置かれた酒の成分を分析するが、可笑しなものは何も入っていない。
どんなに自分を嫌ってはいても、出す料理や飲み物にまで、嫌がらせはしないようだ。
プロとしての自覚はきちんとあるらしい。
「ベニス、貴女この人と知り合いだったの?」
珍しく、彼女が客に声をかける。
「ん?
話したのは今日が最初だ。
今度一緒に仕事をする事にしたんだ」
「ふ~ん、皆、一体この人の何処がそんなに良いのかしらね?」
去り際に、そう言いながら、和也に一瞥をくれてドアを閉める。
「・・あんた、あいつの尻でも触ったのか?
あいつはあんなエロい身体してるけど、身持ちはかなり固いぜ。
アリアがいるんだから、その身内にまで手を出すなよ?」
ベニスが呆れたように言ってくる。
「自分はそんな事はしない。
不幸な誤解が積み重なっただけだろう」
「・・まあ良い。
話を戻そう。
ミー、ケイ、彼に自己紹介してやれ」
「私はミー。
魔法神の神官で、中級までの回復魔法と、火と水の初級魔法、それに浄化とライト、解除が使えるよ。
歳は23で独身。
宜しくね」
女性らしい柔らかな曲線と雰囲気を持つ、愛嬌のある顔立ちの女性が挨拶してくる。
「私はケイ、魔術師です。
攻撃魔法は火と風が中級、水と氷が初級。
あと、浄化とライト、精神系の魔法を幾つか。
それも全て初級。
年齢は22で、独身です。
宜しく」
真面目そうな、地味ではあるが、中々に目鼻立ちの整った女性がその後に続く。
「和也だ(苗字は言うと色々面倒なので省略)。
魔法は、まあ人並みには使える。
武器は大体何でも使える。
パーティーでの役割は、恐らく、どれもこなせるだろう。
年齢は数えた事がない」
「おいおい、それじゃ良く分らんぞ。
何の魔法が使えるんだ?」
ベニスが再度呆れたように言ってくる。
「だから普通の者が行使できる魔法なら何でも使える。
程度は良く分らんがな」
「本当ですか!?」
ミーが激しく反応する。
「ああ、多分」
「じゃあ、アイテムボックスはどうですか?」
「当然使える」
「どのくらいの量が入るんですか?」
「・・家3つ分くらいかな」
本当は制限などないのだが、流石にそれは言えないので、極控え目にそう告げる和也。
「!!!」
周りの空気が変わる。
「・・マジか?」
和也は知らなかった。
この世界におけるアイテムボックスの魔法とは、自身の魔力に応じた大きさの異空間を生み出すもので、そこに入れた物が劣化しないのは、単にその空間に、空気や水、細菌などの余計なものが存在しないからである。
人には寿命があるので、入れたまま数百年、数千年と経ったものを、出した事もない。
和也のように、流れる時間さえ止めて、無秩序にポンポン放り投げて入れられるものでは決してない。
普通なら、何かを入れる前にその空き状況を頭の中で確認し、置く場所をイメージしながら入れるし、容量を超えて入れようとしても、魔法自体が発動しない。
自身に付着した空間に入れる訳ではないから(異空間にコインロッカーのようなものが沢山あって、それぞれが空いているスペースに物を終うような状態)、中に物を入れたまま転移しても平気だが、己の魔力が少なくなれば当然その作り出せる空間も狭まる訳だから、転移で魔力が減れば、その分入り切れなくなった物が何処かに放り出される結果となる。
ダンジョンや迷宮などの道端に、偶にお金や物が落ちているのは、太古に慌てて逃げた魔術師達が、転移で減った分の魔力では維持できなくなった中身を、溢していった物なのだ。
だからこの時代の転移者も、その魔法を行使する際には、着替えや食料など、最低限の物しかアイテムボックスに入れておかない。
自分達の部屋の家財道具を全て入れたまま、御負けに彼女ら二人を伴って長距離転移をした和也を、ユイとユエがどう思ったかは、推して知るべしである。
「マジだ」
「・・あの、もしかして転移も?」
ミーが恐る恐る聴いてくる。
「勿論使える」
「!!!」
「・・どのくらい飛べるんですか?」
彼女が興奮で掠れた声で尋ねてくる。
「・・多分、隣町への移動分くらいだな」
何だか雲行きが怪しくなってきたので、更に控え目にそう告げる和也。
だが、ここでもまた、彼は選択を誤った。
この国に限らず、通常、町と町の間には、かなりの距離がある。
町と言っても、それは地球の行政単位での話ではない。
この世界の町は、地球で言う所の大都市、数十万から数百万の人々が住む、その国の主要都市なのだ。
町と町までの間には、数多くの村が存在し、今回依頼で行く場所も、当然その中にある。
ヴィクトリアが王都からキンダルまで2回の転移で来れたのは、町が隣同士だからで、しかもそれでさえ、この国で数人しか居ない実力者の彼女だからできた事である(彼女はそこまでの魔力を溜めるのに、2日以上かかる)。
「・・一度、転移を見せてくれないか?
何処でも良い、好きな所へ飛んで見せてくれ」
静まり返った室内に、同様に声を掠れさせたベニスの声がする。
「分った」
和也はベニスの肩を抱き、事前に現場を透視で確認してから、彼女の部屋へと二人で転移する。
あちこちに服や物が散らばった部屋、その空いたスペースに、二人で現れる。
呆然と周囲を見回す彼女の肩から腕を放し、距離を取ろうとするも、足元に脱ぎ捨ててある下着を踏みつけそうになり、その場で動けずにいる。
「ここ、あたいの部屋だよな?
・・二人で飛んで来たって事か?」
「そうだ。
他の二人が待ってるからもう帰るぞ」
色々面倒になってきた和也は、再度彼女の肩に腕を回し、強制的に元の場所へと転移する。
そこで、今度は両目を見開いた二人と向かい合う羽目になる。
「・・もしかして、二人で飛んだんですか?」
震えながらそう声に出すミーに、ただ頷く。
「結婚して下さい!」
「何!?」
意表を衝かれたその言葉に、今度は和也が驚く。
ミーの隣では、ケイが怒ったような顔で、彼女を睨む。
最早混乱は最高潮に達していた。
暫くして、何とか平静を取り戻した室内。
辛抱強く彼女に謝るミーの隣で、ケイはまだ少し面白くないような顔をしている。
「あいつら、付き合ってんだよ。
・・この国には、同性同士での秘め事を嫌悪する宗教もあるけどよ、そんな事には目くじら立てない場所もある。
まあ、知られると厄介な事もあるから、他の奴らには内緒な。
ミーの奴は神官だけあって、珍しい魔法に目が無くてよ。
時々ああして暴走するが、一過性のものだから許してやってくれ」
こちらも落ち着きを取り戻したベニスが、二人を見ながらそう執り成してくる。
「ところで、どうしてあたいの家を知ってたんだ?
それに、転移って、一度行った場所でないと飛べないんじゃなかったか?」
テーブルの下で、ベニスが和也の太股を撫でながら、耳元で妖しい声を出してくる。
「もしかして、あたいに惚れて、こっそり跡をつけていたとか?」
「それはない。
自分の転移は、未知の場所でも問題ないからな。
君の家に着いたのは、君の魔力を辿って行った先にあったからだな」
適当にごまかしを入れてそう話す和也を、またしてもベニスが真剣に見つめる。
「未知の場所でも飛べる?
魔力を辿っただと?」
気が付けば、二人の世界に入っていたミーとケイも、こちらを凝視している。
「あんた、マジであたいらのパーティーに正式加入しないか?
アリアにはない、大人の女の味をたっぷりと教えてやるぜ?」
「和也さんはきっと魔法神の申し子です。
是非我が教団に入って下さい!」
「・・いや、どれも間に合っている」
一度落ち着いた場の雰囲気が、またしても騒がしくなる。
どうにか彼女らを宥めて、これからの話をし終えた頃には、既にかなりの時間が経っていた。
和也の両脇を抱えるようにして店を出て行く彼女らを見て、女主人が理解不能といった目で和也を見る。
余談だが、後に転移の事をべらべら喋った事を知ったヴィクトリアに、和也は酷く叱られるのであった。
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