第3話

 「ここで何を探せば良いんだ?」


早朝に行動を開始した三人は、直ぐに3階層へと降りて行き、これまでの階層にはなかった、林へと分け入る。


地下迷宮の天井の高さは、太古に人の住居として使われていた1、2階層では8ⅿくらいであるが、迷宮全体に酸素を齎す森林や地底湖がある深い階層では、100ⅿ以上ある場所もある。


そういう場所は、大体が魔術師達の大規模な魔法の実験場として使われた跡で、爆発等の衝撃により、地上の住人達を刺激しないように、地下深くで行われていたらしい。


地下迷宮への入り口は、大陸全土の至る所にあり、そこからも空気が流れ込むので、迷宮内で火を使っても問題はないが、森林のある緑地地帯での強烈な火魔法は、各国の法律によって厳しく禁止されている。


過去に何度か起きた、地下火災による煙害が問題となって、国同士が戦争寸前までいった事もあり、ギルドにおいても、高位の火魔法を使う冒険者の管理は徹底されている。


因みに、1、2階層は主に魔石を用いた人工照明が基本だが、3階層以降の緑地や地底湖では、魔法による不安定な天候となる。


魔物や冒険者達が用いた魔法に含まれる魔素が、魔術師達の残した人工天気システムに影響を及ぼし、水魔法が多く使われた時は雨に、風魔法が多ければ暴風に、火魔法なら灼熱の人工太陽が顔を出す。


現在、その存在が確認されている最下層は6階層であるが、そこから生きて戻った者はなく(転移しようにも、その場の魔力が強過ぎて、術者の魔法を打ち消してしまう)、一説には、もっと下の階層には、海があるのではないかとも言われている。


「茸よ。

強い魔力を持った、茶色くて大きな茸。

独特な香りと、その味わいから、貴族や富裕層に人気が高いの」


「どのくらいあれば良いんだ?」


「最低でも袋2つ分。

大きいものなら1本で銀貨1枚になるから、頑張って稼がないと。

二人の時だと、ここまで来れないから」


「強い魔物でも居るのか?」


「・・うん、厄介な蜂がね。

赤子の拳くらいの大きさで、素早く襲ってくるから気を付けてね。

もし木の上に巣を見つけたら教えてちょうだい」


和也は力を用いてざっと周囲を見渡す。


300ⅿ程先の大木の枝の間に、直径2ⅿを超える大きな巣がある。


「・・1つ見つけたが、どうする?」


「ええ!?

もしかして探索系の魔法まで使えるの?

・・潰しに行きましょう。

蜂の針とその幼虫は、ギルドで売れるから」


「・・・」


先程からずっと黙っている魔術師の女性が、相棒の顔をちらっと見る。


その眼には、何故か悲しそうな色が見えた。


巣の近くまで来ると、剣士の女性が指示を出す。


「ここは緑地だから強力な火魔法は駄目よ。

水はあまり効果ないから、剣で応戦して。

貴方と私が前衛、後衛の彼女に風魔法で倒して貰うわ。

良い、いくわよ?」


和也が剣を出して構えた時、その後ろで声がした。


「バインド」


僅かに首を動かしてそちらを見ると、魔術師の女性が、悲しそうに魔法を唱えていた。


「パラライズ」


何故か自分に向けて魔法を使ってくる。


「・・御免ね。

本当に御免なさい。

貴方に恨みはないんだけど、こうしないと、今の暮らしを守れないから」


剣士の女性が巣に向けて水魔法を放つ。


巣を攻撃され、中から出てきた多数の蜂が、怒り狂って和也に襲い掛かってくる。


「その服の色が仇になったわね」


急いで自分から距離を取った彼女が、相棒を連れ、後方の大木の陰に隠れる。


今将に自分を刺してこようとする蜂達に向けて、和也は一言呟いた。


「燃えろ」


その言葉と共に、全ての蜂が瞬時に燃え尽きる。


そして、彼はゆっくりと振り向く。


「どういう事か説明して貰うぞ」


「・・何で動けるの!?」


唖然としてそう口にした彼女に向けて、和也は歩いて行く。


「来ないで!

バインド、パラライズ、コンフュージョン!」


魔術師の女性が、執拗に精神系の魔法を放ってくる。


それを全く意に介さず向かって行く和也に、剣士の女性が斬りかかってきた。


キン、ドカッ。


剣先を弾き、鳩尾に蹴りを入れる。


防具の上からではあるが、その強烈な蹴りに吹っ飛ばされた彼女は、意識を失う。


「!!

止めて。

もう抵抗しないから、これ以上は止めて、お願い!」


武器を投げ捨て、そう懇願する彼女に、和也は言った。


「理由を説明しろ」


大木の根元に座り込んだ和也は、魔術師の女性に向けて、そう告げるのだった。



 「私達は、ある商人の奴隷なの」


落ち着いた彼女が、ゆっくりと話し出す。


二人共、同じ村の出身で、子供の頃からずっと仲が良かった事。


自分達は不思議に思わなかったが、二人の振舞いを見て、次第に村人が眉を顰め出した事。


ある時、二人がキスをしている所を目撃されて騒がれ、双方の親に奴隷として売られた事。


彼女達の村は、ある宗教が盛んで、その宗教は、同性愛を異端として嫌悪していたらしい。


奴隷を買いに来た商人の女性に、二人一緒の条件で買い取って貰い、以後はその主人の為にギルド登録して稼いでは、毎月の利益の半分を差し出す事を条件に、二人の仲を許して貰っている事。


だが先日、その女主人が二人を呼び出し、こう告げたそうだ。


『アリアの連れになった若い男を始末しろ。然も無いと、お前達の仲を今後は認めず、娼館で客を取らせる』


未だ男性を知らず、その存在に恋愛感情を抱けない自分達は、その言葉に従うしかなかったと。


事情を話し終えた彼女は、自分の身を差し出すから、ユイには手を付けないで欲しいと頼んできた。


和也は、ユイの意識を取り戻させると、魔術師の女性にその後の展開を説明させ、こう告げる。


『話は分った。とりあえずは茸を採って、町に帰ろう。それまでは二人に何もしない』


二人は何かを諦めたように、その言葉に従うのであった。



 「あの店に寄って行こう」


翌日地上に出ると、もう夕暮れで、街は買い物や食事を目的とした人々で溢れていた。


「個室を頼む」


店に着いて店員にそう告げると、三人で先日の部屋に案内される。


女主人は他の客相手に忙しいのか、注文を取りに来たのは別の女性だ。


和也は、人数分の簡単な食事と飲み物を、30分後に持ってくるように頼み、それまでは誰も来ないようにと念を押す。


店員が去ると、和也は改めて二人に向き直った。


「さて、それでは二人とも、服を脱いでくれ」


和也の言葉に、身を強張らせながらも、ゆっくりと服を脱いでいく二人。


薄暗い照明に照らされて、二人の裸身が室内にぼんやりと影を落とす。


「?

背中を向いてくれ」


二人が従うと、和也は声を出した。


「・・これか」


二人の背中の右側に、小皿くらいの紋章が刻まれている。


「一人ずつこちらに来てくれ」


魔術師の女性が向かおうとした所を、ユイが遮り、呟く。


「私から。

・・できれば、抱かれてる姿をあまり見ないで」


和也の正面にやって来た彼女が、その膝に跨ろうとして止められる。


「ちょっと待て。

一体何をやっている?」


「何って、私を抱くのでしょう?

後ろ向きの方が好みなの?」


「・・済まん、説明が足らなかったか。

服を脱いで貰ったのは、君達の奴隷紋が見たかったからだ。

何処にあるのか分らなかったからな。

今からそれを消すから、少し背中に触れるぞ」


和也はそう言うと、背中を向かせた彼女の紋の上に掌を当て、それを瞬時に消し去る。


「もう服を着て良いぞ。

次は君だ」


魔術師の女性を呼び寄せ、同様に奴隷紋を消し去る。


「・・紋が消えた?

でも、・・何で?」


お互いに背中を確認し合い、己の血を基にした、奴隷商の特殊な魔法である奴隷紋が消えている事に驚く二人。


この魔法は、その特殊性と重要性の観点から、国が特別に認可した者にしか、習得が認められない。


非常に強力な制約魔法で、主人と定めた者の命令には基本的に逆らえず、無理やり反抗しようとすれば、全身が激しい痛みに襲われ、最悪、死に至る。


なので、奴隷になる者は、契約前に1つだけ守るものを許され、多くの者は、自己の命を選択する。


だがそれでさえ、主人が直接には『死ね』と命令できないというだけで、過酷な環境下で働かされる犯罪奴隷のように、間接的には殺す事も可能なのだ。


二人に早く服を着るように促すと、和也は説明を始めた。


「君達は、脅されたとはいえ、何の罪もない者の命を狙った。

それを行動に移した。

同情すべき点はあれど、完全に許す事はできない」


服を着終え、和也の向かいに並んで座った二人は、その言葉に下を向く。


「だから、今後は自分の為に働いて貰う。

自分の部下としてな。

奴隷紋を消したのはそのためだ」


意外な事を言われ、二人同時に和也を見る。


「自分は君達を、奴隷としては拘束しない。

だがその魂を縛る事で、自分の下からは逃げられないようにする。

訓練期間を含めて10年働いて貰った後は、制約を解いて二人とも解放しよう。

その間の給料は、二人で月に金貨1枚。

仕事で得た報酬は、自由にして良い。

仕事の内容については、訓練が終わり次第伝えるが、非合法のものではない事だけは言っておく。

ここまでで、何か質問はあるか?」


呆気に取られた二人は、その問いに答えるのに時間がかかった。


これでは、罰というより労働契約ではないか。


奴隷であれば、一生理不尽な生活から抜け出せない。


そこから解放されるためには、主人の慈悲に縋るしかないのだ。


だが、まともな身体なら、最低でも金貨5枚以上で取引される奴隷を、解放してくれる主人は滅多にいない。


主人が解放せずに死ねば、その権利は相続人に移る。


奴隷は言わば、物と同じ扱いなのだ。


そんな奴隷という身分から自分達を開放してくれた彼は、命を狙われたにも拘らず、拘束中は給料までくれるという。


二人で金貨1枚という額は、前の主人に稼ぎの半分を差し出した後の、今の二人の収入よりずっと高い。


酷い時は、月に銀貨40枚くらいしか残らなかったのだから(だから、嫌々他のパーティーに参加する事もあったのだ)。


しかも、10年経てば解放してくれる。


自分達はまだ若い。


それからでも十分、二人だけの時間を持てる。


「・・本当にそんな待遇を頂けるなら、喜んでお仕え致しますが、でも何故私達にそこまでしてくれるのですか?

ユエの精神魔法は確かに強力ですが、魔術師としては中級程度ですし、私の剣も、ギルドランクが示す通り(Dランク)、太刀打ちできるのはせいぜいオークかリザードマンくらいですよ?」


待遇が良過ぎて、却って不安になる二人。


「・・まあ、君達の過去を多少哀れに感じたせいもある(戻ってくるまでの間に、ジャッジメントを使って二人の過去を見ている)。

人の気持ちというものは、中々に難しい。

皆と違う、自分はそう思えない、何故自分はこうなのか。

人知れず悩み、本心を隠して意に反する行動を取り続ける事は、心に大きな負担を強いる。

己に力なく、手を差し伸べてくれる者さえいなければ、それが人の笑みさえ奪ってしまう事もある。

自分はなるべくなら、多くの者に笑っていて欲しい。

その者達が、大切にするものを守りながら暮らせる世になって欲しい。

そして自分がそう願う者達の中に、当然君達も入っている。

他とは多少異なる恋愛感情を持っているというだけでは、他人に迷惑をかけない限り、虐げられたり蔑まれる理由にはならない」


聴いてる二人の瞳から、一滴の涙が流れていく。


やがてそれは大きな粒となって零れ、とめどなく溢れてくる。


そこへ、ノックの音と共に、店の女主人達が料理を運んできた。


泣いている二人の女性を見て、彼女の目が鋭くなる。


「本当に・・最低ね」


それだけ言うと、嫌悪感を露に、ドアを激しく閉めていった。


「・・今度は何故、自分は彼女を怒らせたのだ?」


訳が分らない和也に、二人が涙を拭いながら言う。


「後でちゃんと私達が説明しておきます」


「何だかよく分らんが、宜しく頼む。

・・さあ、とりあえず食べよう。

この後まだ行く所がある。

ここは自分の奢りだ」


心に蟠っていたものが消え去り、自然な笑みを見せるようになった彼女達と食事を楽しみ、女主人の冷たい視線に晒されながら店を出た後、ギルドで茸を換金し、和也は二人の部屋に同行する。


そこで全ての荷物を収納スペースに入れると、二人を連れて、自分が造ったダンジョン前へと転移した。


驚きで開いた口が塞がらぬ彼女達を余所に、和也は入り口で声を発する。


「訓練用」


すると、扉の上部にあるランプが青く輝き、その下に、『訓練用』と文字が表示される。


ゴゴゴゴッ。


入り口の扉が開く。


「さあ、中に入ろう」


和也の後について、恐る恐る中に入って行く二人。


その中は意外に広いが、大きな広場が1つあるだけだ。


奥の行き止まりで、和也が他とは色が違う壁に触れると、その後ろに部屋が出現する。


ベッド、トイレ、浴室があり、食事ができるテーブルとイスもある。


6畳程の何もないスペースに、彼女達の部屋から持って来たものを出してやる。


「君達には、これから暫くここで生活して貰う。

先程の何もない広場は訓練場だ。

障壁が張られているから、仮令どんな魔法を放とうがびくともしないし、思い切り叫んでも、声が外に漏れる事はない。

君達を鍛える講師はこちらで用意するし、日々の食事も毎食自分が手配する。

余計な事は考えず、ひたすら強くなるための訓練をして欲しい。

講師役の者からのお墨付きが出れば、通常の生活に戻し、それからは仕事に就いて貰う。

給料は訓練中も支払うし、それからこれを渡しておく」


先程ギルドで換金した銀貨64枚を、そのまま彼女達に差し出す。


「・・貴方の取り分は?」


驚きの連続で陸に声も出ない二人の内、ユエがこちらを心配して尋ねてくる。


「自分は蜂の巣を貰ったからそれで良い」


あの後、和也は中にいる女王蜂と幼虫を眠らせ、巣全体を密閉して収納スペースに放り込んでいた。


「偶には会いに来てくれるの?」


ユイが不安そうに聴いてくる。


「月に一度くらいならな。

生活で出たごみは、この袋に入れておいてくれ。

食事が終わった容器を回収する際、それもこちらで捨てておく」


袋を差し出した手を、二人がそっと握る。


「色々有難う。

それから・・本当に御免ね」


二人が左右から、和也の頬に唇を寄せてくる。


「・・訓練頑張れよ。

自信と誇りは、自らの努力で身に付けた力から、生まれるものなのだから」


そう言い残して和也が消えた後、二人はお互いを抱き締め合って、唇を重ね合う。


「何だか夢のような出来事の連続だったから、やっと実感が持てたわ」


「そうね。

・・訓練、頑張りましょうね。

ここまでしてくれた、あの人の期待に応えないと。

・・やだ、そういえばまだお名前も聴いてなかった」


「ほんとだ。

私達のご主人様になるかもしれない人なのに」


「やっぱり貴女もそう思った?

私達が、自然にキスできたものね。

男の人、苦手なはずなのに」


「良い人だよね、彼」


「ええ。

とっても素敵な人。

・・さあ、今日はもう寝て、明日から頑張りましょ。

早起きして、講師の先生をお待ちしないと」



 「邪魔するぞ」


夜遅く、とある商家の居間で寛ぐ女性の下に、一人の男が姿を現す。


いきなり部屋に現れた男に、そこに居た中年女性は悲鳴を上げ、大声で使用人達を呼ぶが、誰一人来ない。


「無駄だ。

彼らは今、深い眠りに就いている。

無用な犠牲を出したくないからな」


「あんたは一体何者なの!?

不法転移は重罪よ?」


「自分を罰する事など、誰にもできんよ。

それより、聴きたい事がある。

何故、自分の命を狙った?」


「!!」


その言葉で、彼女は自分が誰だか分ったらしい。


「やっぱりあの二人じゃ駄目だったのね。

けちらず、もっと手練れを雇えば良かったわ。

・・貴方がアリアにちょっかいを出したからよ。

あの娘は私達皆のものよ。

男なんかが手を出して良いはずがない」


「あの二人を見殺しにする積りだったのか?

仮に成功したとしても、迷宮で自分と共に行動していた事は、多くの者に見られている。

彼女達だけが戻れば、不審に思う者もいるだろうに」


「奴隷の事まで一々気にしていられないわよ。

大して稼いでこないし、あの二人は命じゃなくて、身体に手を出さないという事を制約の守りにしてるから、結構可愛いのに、抱けもしなかったからね」


どうやらそちらの方の気まであるらしいこの女性は、一向に自分を襲ってこない和也に、質問を投げかける。


「それで、どうするの?

私を殺す?

でもその積りなら、さっさとやっているはずよね?

私を抱きたいの?

それともお金かしら?

幾ら欲しいの?」


自分の命が目的ではないらしいと悟った彼女が、半ば開き直ったように尋ねてくる。


体に自信が有るのか、誘うような仕種も見せる。


「・・先ず、あの二人を貰い受ける。

奴隷紋は既に消去したから、二人はもうお前の言う事は聞かない。

それから、お前の財産の半分・・と言いたい所だが、不動産や商品等は要らないから、現金の7割を貰っていく」


和也はそう言うと、この家と、商人ギルドの金庫にある彼女の資産から、金貨で700枚を自分の収納スペースに転移させる。


「随分取るのね。

・・仕方がないわ。

持って行きなさい」


まさか商人ギルドの金庫の中まで把握されているとは思いもしない彼女は、この家にある分の金貨200枚を基に、そう言っている。


アリアはオリビアのお気に入りだから、今回の件が漏れたら不味いのは、彼女も同じだ。


「犯した罪にもよるが、潔い悪党は嫌いではない。

・・ではな」


「持って行かないの?」


「既に貰った」


この後暫くして、金策に苦しむ商人の店が、大幅な値引きセールを始めるのであった。



 『今日も疲れたわね』


1日の仕事を終えて、アンリは身体を伸ばしながら凝りを解す。


夕食前に風呂に入ろうと、小さな浴槽に水を張ろうとした所で、入り口のドアをノックする音がする。


こんな時間に自分を訪ねてくるのは極限られた者しかいないので、少し警戒しながら返事をする。


「どなたですか?」


「夜分にすま・・」


急いでドアを開ける。


「・・よく自分だと分ったな。

少し驚いたぞ」


案の定、御剣様だったが、意外にも少し驚いた顔をなさっている。


「仮令どなたを間違えようとも、貴方様だけは決して間違えませんよ」


直ぐに中にお招きして、お茶の用意をする。


「疲れている所を済まないな。

今日は君にお願いがあって来たのだ」


紅茶をお出しして、私が向かいの席に着いた所で、御剣様が話し始める。


「分りました」


話を聴くまでもなく、彼からのお願いなら、答えは常に決まっている。


「・・まだ何も言ってないぞ。

うら若い女性が、話を聴く前からそんな事を言っては駄目だ。

もし自分が、『お嬢さん、これから自分と良い事しないか?天国へ連れて行ってやるぜ?グへへ』と言う積りだったらどうするのだ?

もっと・・」


「喜んで」


「・・・自分は、君の将来が非常に心配になってきた」


「御剣様にしか言いませんよ、こんな事。

貴方様のお言葉は、私にとって最優先かつ絶対ですから」


「これからお願いをする立場で、こんな事を言えた義理ではないが、そんなに自分を特別視しなくても良いんだぞ?

君には君の人生を楽しむ権利がある」


「ですから、私は私の好きなように生きています」


「・・それなら良いんだが。

もし負担に感じたら、遠慮なく言ってくれ。

お願いというのは、明日の朝から、食事を二人分余計に作って欲しいという事だ。

昼は君も屋台に出てるだろうから、売り物のパンを幾つか貰っていくが、朝と夜の分は、二人分余計に作って、テーブルの上にでも置いておいて欲しいのだ。

実は今度、短期(エルフ的には)で人を二人雇う事にしたのだが、その者達は訓練中ずっとダンジョンに籠っているので、自分達で食事が用意できない。

なので申し訳ないが、君の食事と同じ物で良いから、余計に準備してはくれまいか?

自分が魔法で用意しても良いのだが、身体を酷使して訓練に励むであろう二人に、せめて手作りの美味しい物を食べさせてやりたいのだ」


「勿論構いませんが、その人達は人間ですか?

それとも別の種族でしょうか?

それによって、多少は味付けを変えませんと」


「人間だ。

女性のな」


「・・分りました。

明日の朝からご用意致しますね」


「助かる。

それで支払いの件だが、何で払えば良いだろうか?

これは自分の勝手な都合で頼むのだから、報酬は是非とも受け取って欲しい」


アンリとしては、彼から報酬など貰いたくはないのだが、そう念を押されてしまっては仕方がない。


何か考えるが、咄嗟には出てこなかった。


「遠慮しなくても良いぞ。

何かないか?」


悩む彼女の頭に、以前彼とその妻である紫桜さん、ファンクラブの二人と入った露天風呂の事が思い浮かぶ。


「・・でしたら、また一緒にお風呂に入っていただけませんか?」


「そんな事で良いなら、別に構わないが。

何時が良い?」


「あの、実は今日これからお風呂に入ろうと思っていたので、できましたら、その、今から・・」


和也はこの家の風呂場を透視する。


二人入れば窮屈な程の浴槽に、狭い洗い場。


これでは日々の疲れも満足に癒せまい。


勝手に改造するのはどうかとも考えたが、土地も空いてるし、誰に迷惑をかけるでもないから良いだろう。


浴室の広さを3倍に、浴槽を檜に変えて2倍の大きさに、そして湯を様々な効能のある温泉にして、常に湧き出るかけ流しにした。


浴室全体も新しく石造りで作り替え、内側からしか見えない窓に、外の明りが入るようにする。


「分った。

準備ができたから、さあ、入ろう」


「え?」


彼女が風呂場を見に行く。


「・・・」


「気に入らなかっただろうか?」


後を付いて来た和也が、少し心配そうに告げる。


「そんな事ありません。

貴方様は何時だって、私が本当に欲しいものを下さいます。

今だって、嬉しくて泣いてしまいそうで・・」


徐に服を脱ぎ出した彼女は、全てを脱ぎ去ると、洗い場で振り向いて、後から続いた和也を抱き締める。


「どうした?」


「済みません。

是非一度、こうしてみたくて。

・・やはり、温かいですね。

貴方のお心そのままに・・」


暫くそうしていた彼女は、ゆっくりと身体を離すと、照れたように告げてくる。


「ミューズには内緒でお願いしますね。

ファンクラブ憲章違反ですから」


互いにかけ湯をして湯船に入れば、そこからは静かな時間が流れていく。


和也の隣にぴったりと寄り添ったアンリは、その時間を大切にするかのように、風呂から出るまでずっと言葉を発しなかった。



 「旦那様が前触れもなくいらっしゃるなんて、珍しいですね」


もう直ぐ日付が変わろうかという時刻。


そろそろ床に就こうかと考えていたマリーは、自室にいきなり現れた和也を、微笑みで以って迎え入れる。


「済まない。

迷惑かとも考えたのだが、少し急ぎの用があって、邪魔する事にした。

面倒事を頼むのに、念話だけではどうかと思ったのでな」


「夫の来訪を迷惑がるような人は、あなたの妻の中には居りません。

頼まれ事を面倒だと感じる方も。

わたくしは寧ろ嬉しいです。

一体どのような事ですか?」


「実はな、女性を二人、鍛えて欲しいのだ。

その者達は理由わけあって自分の命を狙ってきたのだが・・どうした?」


「いえ、別に」


瞬間的に物凄い冷気を感じて、和也が話を止める。


「?

・・人間的には良い者達だし、鍛えれば伸びそうな才能の持ち主だ。

お前も忙しいとは思うが、毎日3時間くらいで良いから、相手をしてやってはくれまいか?」


「勿論良いですよ。

今はどの国も大人しくて、エルクレールを見習って、自国の文化に力を入れていますから暇なのです。

3時間と言わず、6時間くらいは付き合ってあげる積りです。

・・鍛えて何かに使うのですか?」


「自分の部下として、10年程役に立って貰う積りだ」


「旦那様は今、何をなさっておいでなのですか?」


「エリカに与える星を見つけたので、その下見と下準備を兼ねている所だ。

・・そういえば、その説明がまだだったな。

今度妻達一人一人に専属の星を与えようと考えてな、マリーにはこの星、スノーマリーを、有紗には地球を、あとの二人には他を探していたのだ」


「わたくしにこの星を!?

エリカ様ではないんですか?」


「ああ、そのエリカが、他が良いと言っているからな。

・・決してここが嫌いという訳ではないのだが、幼い頃から感じてきた壁や、名ばかりが独り歩きして、自分らしく振る舞えない事に不満があったようなのだ。

だから、誰も自分を知らない星で、好きに生活してみたいと言っていた」


「・・そうですか。

確かにあの方は、常に人目を引いておりましたから、お気の休まる暇がなかったのでしょうね。

紫桜さんの方は?」


「彼女もあれで中々好奇心が強いから、きっと見知らぬ星を欲しがるだろう」


「軍人のわたくしは、環境の変化をあまり好みませんからね」


「いやいや、マリーあってのこの星だから。

いつも助かってます」


「フフッ、有難うございます。

ここは旦那様と出会い、結ばれた、とても大切な場所。

わたくしがしっかりお預かり致します」


「そう言ってくれると嬉しい。

二人が居る場所への転移情報は、リングに入れておく。

では、宜しく頼むぞ」


そう告げて転移しようとした和也の腕を、マリーが素早く摑む。


「どうした?」


「いけませんよ、旦那様。

寝る前の妻の部屋を訪れて、何もしないでお帰りになるなんて、妻達の反乱を招く素ですよ?

久し振りですから、たっぷりと可愛がって下さいね」


和也はその日も、アリアの下に帰る事はなかった。



 「貴女達ですね?

旦那様が鍛えて欲しいと仰るのは」


あれから明け方近くまで、和也と共に居たにも拘らず、マリーの表情には疲れなど微塵も見受けられない。


寧ろ全身に活力が漲っているように見える。


目が覚めると、何時の間にかテーブルの上に置いてあったサンドイッチと果物、紅茶に驚き、それを食べ終えてあまりの美味しさに言葉も出なかった所に、広場に誰か来た事を知らせるランプが光って、慌てて部屋から出てきた二人。


そこに立っていたのは、びっくりするような美しさを伴った、若いエルフの女性だった。


この大陸には存在しないが、何処かの大陸には生存すると言われる幻の種族。


彼女達も見たのは勿論初めてだ。


プラチナブロンドに輝く髪から覗く、その少し鋭い耳の先端が、辛うじてそうではないかと教えてくれる。


軍人のような鎧姿で、武器は何も持っていない。


「はい、私がユイ、彼女がユエと申します。

宜しくお願い致します」


二人揃って頭を下げる。


「貴女達は運が良いですよ?

わたくしだから良いようなものの、もしエリカ様や紫桜さんが、旦那様のお命を狙った事をお知りになったら、きっと只では済まなかったと思います。

わたくしだって、旦那様が可愛がって下さらなかったら、今日の訓練で手加減できたか分りません」


ただ微笑んでいるだけなのに、心臓を鷲摑みにされたような息苦しさを感じる。


「その事については、二人共本当に申し訳なく思っています。

今はもう、あの方のお役に立つ事以外、考えてはおりません」


苦痛に耐えながらも、彼女の目を見て、懸命にそう訴える二人。


「・・良いでしょう。

その気持ちを忘れない事です。

では、始めましょうか。

先ずは貴女達の実力を見ます。

二人同時に攻撃してきなさい。

手加減は無用です」


マリーからの威圧が消え去り、状態の戻った彼女達が、武器を構えて攻撃に移る。


ユイの剣が彼女を突き、ユエは精神系の魔法を連発して動きを封じようとする。


だが、その剣先は指で弾かれ、代わりに拳を腹に貰って蹲るユイ。


ユエの魔法は何の効果も発現しない。


「・・貴女達、もしかして素人なの?

まさかこれが全力ではないわよね?」


和也から才能がありそうだと聴いていたので、それなりにできるのだとばかり考えていたマリーは、そのあまりの呆気なさに暫し呆然とする。


「済みません、決して手を抜いた訳では・・。

自分達は一応、ギルドランクDなのですが」


痛みに顔を顰めながら、ユイがそう告げる。


「ギルドですか・・。

相変わらず、メンバーに陸な教育を施していないようですね。

そしてそれは、どの世界でも変わらないのね」


和也に出会う以前、国として何度か彼らに依頼を出した事もあるけれど、金額の遣り取りで見せる浅ましい情熱以外、彼らに何かを感じた事はないマリーは、個人の能力に頼りきりで、しかもランクが正確にその者の能力を反映していないシステムに、非常に懐疑的である。


兵力とは、そこに属する者達が、皆一定以上の能力を備えている事が前提だ。


そうでなければ細かな作戦など立てられない。


彼女は軍の指揮官として、常にそう考えている。


「大体の事は理解したわ。

暫くは訓練方法を変えましょう。

先ずユイさん、貴女には剣の素振りを通して、基本の型を学んで貰います。

それからユエさん、貴女は私が良いと言うまで、全力で魔法を放ち続けなさい。

そうね、風刃が良いわ。

それくらいはできるわよね?」


彼女が頷くのを見て、其々の立ち位置を決める。


「ユイさん、先ずはこの型から」


リングから剣を取り出し、マリーは地面と直角になった、美しい剣筋の上段切りを見せる。


そして透かさず今度は地面と平行の、鋭い突きを繰り出す。


最後に一旦剣を引いて、地面と平行に剣を払った。


「大切なのはスピードと、インパクトの際の気の込め方。

肩に力が入らないように、剣筋がぶれないようにしてね。

さあ、やってみて」


マリーの動作を見ていたユイが、それを真似てみる。


「上段切りの剣筋が曲がってるわよ。

突きの際はもっと軸足に力を込めて。

それじゃスピードと威力が出ない。

払う剣筋が斜めになってるわよ。

地面と平行になるよう注意して」


何度も何度も繰り返させ、一応形になると、後はひたすら反復させる。


「貴女はそれを続けてるのよ?」


ユイにそう言うと、今度はユエを指導する。


「待たせたわね。

いい?

あそこに的を創るから、それ目掛けて全力で魔法を打ち続けなさい。

休んじゃ駄目よ。

なるべく早く、1回1回最大限に魔力を込めてね。

さあ、始めて」


20ⅿ程前方に現れた的に向けて、ユエが風刃を放つ。


「もっと早く。

1回1回の魔法にぶれがあるわよ。

威力が区区まちまちよ。

毎回全力を込めなさい」


100発程放つと、明らかに威力が低下してきて、直ぐに魔力切れが起こる。


当たり前だが、同じ魔法でも、使用者によって使う魔力の量も、その威力も全然違う。


全力で放つ彼女の風刃は、並の者の数倍の威力はあるが、言ってしまえばそれだけだ。


オークやリザードマンなら1発で倒せても、地竜やマンティコアには掠り傷しか付かない。


よろける彼女を支え、魔力を注入してやる。


『!!!』


「理解したなら続けなさい。

今度から的を少し動かしていくから、正確に当てるのよ?」


非常識な行為に目を見開いて驚くユエにそう告げて、マリーは再度ユイへと赴く。


100回以上も同じ動作を繰り返し、その都度力と神経をすり減らしている彼女は、汗を滴らせ、呼吸が荒くなっている。


マリーは浄化で彼女の衣服に染みた汗を除去し、体力だけを回復させる。


「これから負荷を掛けるわよ。

剣と足腰が重くなるけど、頑張ってね」


そう言うと、ユイの動きがかなり遅くなる。


「スピードはともかく、剣筋にぶれを生じさせては駄目。

動きの1つ1つを丁寧に、意識してやりなさい」


疲労すれば回復し、魔力切れには注入を繰り返しながら、其々2時間程続けた後、30分程度の休憩を入れる。


身体に疲労はなくても、精神はかなり摩耗しているし、筋肉の張りや凝りが酷い。


そこを敢えて回復させないのは、今の弱い組織を壊し、より強靭な肉体にどんどん作り替えていくためだ。


二人共どっかりと地面に腰を下ろし、マリーが与えた水を飲むのがやっとだ。


「初日にしては、二人とも中々良いわよ。

そのやる気は大いに評価するわ」


マリーの優しい声に、ユエが疲労を押して口を開く。


「先生のお名前をお尋ねしても宜しいですか?」


「マリーです」


「差し支えなければで結構ですが、あの方とはどのような・・」


「妻の一人です」


「「ええ!?」」


疲れて地面に横たわっていたユイまでが、驚いて顔を上げる。


「そんなに驚く事ですか?」


「済みません!

こんなに美しいエルフの方を娶られるなんて、あの方は一体・・。

道理でアリアもぞっこんな訳だ」


「?

どなたです?」


「町1番の、いえ、多分国1番の美人で、今はあの方の下で助手をしていると聞いてます。

私達があの方を狙ったのも、それに嫉妬した主人に命令されたからで・・」


「フフフッ、旦那様は相変わらずですね。

そんな事になっているなら、もっと可愛がって貰うべきでした」


怒りでも嫉妬でもない、微妙な表情を浮かべて、そんな事を言うマリー。


「さあ、そろそろ再開するわよ。

ユイさんは今度は別の型を、ユエさんは数歩走ってから魔法を放つこと。

あと1時間やったら、お昼にして良いわ」


その後、昼食を挟んで更に2時間程の訓練を強いられ、心身共に疲れ果てる二人。


因みに昼食の時間は、マリーは自室に戻り、自分の仕事をしていた。


その疲労だけを取り除き、汚れた衣服を浄化してやると、マリーは二人に言葉を残して帰って行く。


「明日からは訓練の時間を2時間遅らせます。

その時間を利用して、二人共基礎体力の増強に励みなさい。

特に腹筋と足腰を重点的にね。

仮令動けなくなっていても、訓練前に回復させるから大丈夫です。

魔術師といえど、剣すら扱えないようでは、少数での集団戦に対応しきれません。

長時間の戦闘でも耐え切るだけの、体力と精神力を養いなさい。

旦那様の部下として働く以上、無様な真似はさせません」


「・・覚悟はしていたけど、予想以上に厳しかったね」


マリーが去ると、ユイが苦笑しながら言う。


「そうね。

何度魔力切れでふらついたか分らない。

でも、全力で何かをしているという、その充実感は物凄いわ。

それに、こんな訓練、他では絶対にできないもの」


「確かに。

魔力注入とか、身体の組織を弄らずに、疲労だけを取り去るとか、ちょっと想像つかないね。

一体何者なんだろう、彼女」


「余計な詮索はしない方が良いかも。

今私達がやるべき事は、言われた事をしっかりとこなす事だけ。

さあ、お風呂に入ってご飯にしましょうよ。

夕食が楽しみだわ」


「うん!

ここの食事、ちょっと異常だよね。

普通のパンや果物に見えるのに、食べると物凄く美味しいもんね」


そんな二人の期待に応えるかのように、夕食は毎回豪華だった。


日替わりのパンとデザート(これには二人共瞬く間にファンになった)、それに肉料理かシチューが毎回付いて、夜だけ特別に、香り高いワインまで用意された。


全ては、和也の為に、手間と心を惜しまない、アンリの努力の賜物である。



 余談ではあるが、後にそれを知った和也は、アンリの家の防犯をより強固にし、火災などの災害から完璧に守ると共に、来客に応じてドアを青か赤に光らせた上で(不審者撃退機能付き)、ドアの外の人物が誰か見えるようにして、他の家から少し距離がある彼女の家を護った。

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