アリア編

第1話

 「これで良し」


ここは和也の居城である謁見の間。


其々の椅子が並ぶ、その少し離れた右側に、新たな魔法陣が作られている。


大きな円形の魔法陣の中に、時計の文字盤のような配列で並ぶ、12個の小さな魔法陣。


現在点灯している箇所は3つ。


0時に当たる場所の胡蝶蘭、3時の場所の白百合、そして9時に相当する鈴蘭である。


6時の場所の桜には、未だ明かりが灯されていない。


小さな魔法陣には、資格ある者が載れば瞬時にその紋章が管理する星へと移動する機能がある。


白百合ならスノーマリー、鈴蘭なら地球というように。


また、その星で何か自分達に関する重要な出来事が起これば、魔法陣が点滅して知らせる仕組みにもなっている。


エリカに与える星を見つけた和也は、それを伝えた彼女から熱烈なお礼を受け、その際、日頃構われている事へのお返しとばかりに、プロテクトを完全に外した。


その結果、たった一人で一日中彼の相手をした彼女は今、海よりも深い眠りに就いている。


初めての時と異なり、回復魔法すら使用しなかったため、恐らく数日は目を覚まさないであろう。


底のない愛情を伝えるための行為とはいえ、流石に罪悪感を感じた和也は、ほとぼりが冷めるまで、今回見つけた星をゆっくり見て歩く事にした。


寝室に戻り、穏やかな呼吸を繰り返すエリカの髪を愛おしげに撫でると、そっとその姿を消すのであった。



 「さて、今日も良い仕事を探しますか」


午前の麗らかな日差しを浴びて、アリアはそう独りごつ。


ここは商業都市、キンダル。


迷宮世界ロストパレスにある6つの大陸、その内の最大の大陸であるマライカンの、ほぼ中央に位置する。


この世界は、太古の昔に偉大な魔術師達が数々の王国を建てて暮らしていたが、過熱する研究と競争が頻繁に不慮の事故を引き起こしたため、一般の人々は、そのあおりを受けて荒廃してゆく地上を捨てて数百年に亘って地下に潜り、そこに新たな町を造って暮らしていた。


だが、ある年一人の大魔術師が実験に失敗したせいで、地上に何か月も大雨が降り、氾濫した河川や増水した海水が、その出口を求めて地下へと雪崩を打って入り込んだ結果、そこで静かに暮らしていた大勢の人々の命を奪う。


それまで、数では圧倒的に勝っても、力では断然劣った人々は、魔術師達の愚行に黙って耐えているだけであったが、到頭その怒りが爆発し、世界各地で大規模な反乱が起こる。


強い魔力を備えてはいても、その量には限りがある魔術師達は、四六時中襲ってくる人々の攻撃に対処できずに、どんどんその数を減らしていく。


遂には、今度は彼らが地下に逃げ込み、そこでひっそりと隠れ住むようになった。


長い戦いの末、地上を取り戻した人々は、そこに自らの国を建国し直し、逆に追い詰められた魔術師達は、地下にあった町を基に、大陸全土に伸びる、広大な地下迷宮を造り上げる。


時が流れて、魔術師達の生き残りが人知れず地上に戻った後も、彼らが生み出した魔物や魔法生物は変わらずにそこに取り残されて、その強い魔力が更に近隣の魔獣などを引き寄せるため、その迷宮は、今では攻略不可能とさえ言われる程の場所と化している。


100年、1000年という時の流れは、彼らが迷宮に残してきた遺物に計り知れない価値を生み、現在では多くの冒険者達が、命懸けで各地の地下迷宮を探索する。


冒険者という身分が、職業としても成り立つこの世界では、国ごと、地域ごとに多くのギルドが存在し、そこを訪れる人々で、日々活況を呈していた。


アリアは、そんなギルドをよく利用する、アルバイト感覚で仕事を受け持つ冒険者。


つまり、本業は別にある。


本来の彼女の姿は画家。


とはいえ、それはまだ職業として成り立つ程の稼ぎを生み出さない。


なので、彼女は3日に一度くらいはギルドに顔を出し、割の良いアルバイトに精を出しているのだった。


「今日は」


馴染みの受付嬢に挨拶し、いつものように採取系、労働系の依頼がある掲示板に向かう。


ギルドが開いてからまだ1時間しか経っていないが、それなりの混雑を見せる室内で、皆が彼女に視線を向ける。


理由は単純。


彼女の容姿が非常に優れているからだ。


160㎝を少し超えるくらいの背丈に、豊満な胸と、芸術的なカーブを見せる腰の曲線、サラサラの美しい薄茶色の髪は、肩よりも少し短い。


色白の肌と、髪と同じ色の、奇麗な虹彩を放つ、少し大き目の瞳。


美しさと可愛さの同居する端正な顔立ちは、一度見たら忘れない程の印象を与えるはずだ。


性格も明るく、穏やかだが、誰にでも良い顔をする訳ではない。


他者との線引きは明確で、一定の距離以上は、決して自分の領域に踏み込ませない。


なので、冒険者としても活動しながら、特定のパーティーには所属していないし、仕事も選ぶ。


一人でもできる薬草などの採取や、店での手伝い、荷物運び等の労働系ばかりを専門にしているのはそのためである。


本来なら、女性一人でするその種の仕事は、大した利益にならないはずだが、彼女を指名してくる個人や店も多く、そういう依頼は他より5割くらい報酬が高い。


彼女が店で働けば、それを目当てに大勢の客が訪れるし、貴族や富豪の女性達(男性は言うに及ばず)からも、絶大な支持がある。


そう、アリアは女性に非常に持てるのだ。


決して男装の麗人のような中性的な顔立ちではないのに、ある種のフェロモンでも発散しているのかと疑うくらいに、周りに女性が寄ってくる。


そのため、画家としてモデルの女性に困る事はないが、相手が女性でも時には身の危険を感じる事もあり、あまり人物画を描かない。


もし彼女が人物画を専門にすれば、それだけで十分に暮らしていけるというのにだ。


自分の家のお抱えにしようと頼んでくる貴族も多いが、彼女は決して頷かない。


お金より、もっと大切な何かが、彼女にはあるらしかった。


「あら?」


討伐系の掲示板の前に、見知らぬ少年が立っている。


自分はここの常連でもあるので、大概の人は見知っているが、今までに会った事がないのは確かだ。


会っていれば、間違いなく覚えている。


だってあの格好、魔法具でもないのなら、冒険者を嘗めている。


自分のように、非戦闘系の依頼を受ける者でさえ、何が起きるか分らない以上、野外や地下での仕事を受ける際には、最低限の装備は身に着ける。


私の戦闘スタイルは格闘で、補助に数種類の魔法を使うが、手首から肘までの両腕と両脛、上半身には、硬化の魔法が掛けられた革装備を身に着け、拳と足には、特殊な魔法金属が付いた、グローブを着け、ブーツを履く。


魔物が存在し、柄の悪いならず者や盗賊の類がはびこるこの世界では、いつ何時なんどき、襲われるか分らない。


不意打ちを避ける意味でも、そのくらいの装備は必要になる。


なのに彼の格好は、真っ黒でひらひらした上着とズボン、それと、これまた黒い革靴だけだ。


武器と思われる物は、極普通の剣1本。


これも、そんなに高価な物には見えない(つまり魔法などの付与がない)。


それらを総称した私のイメージは、平たく言えば、田舎から出てきた三流貴族(服と靴の仕立ては良いが、剣は安物で、お供がいない)、若しくは少しくらい余裕のある商家か何かの嫡男といった所だ。


何れにしても、決して討伐系の掲示版の前で、依頼を探す格好には見えない。


もしかして、どんな依頼がどれくらいするのかを、事前に調べているだけなのかな?


自分の領地や仕事先にでも、厄介な魔物が棲み着いたのだろうか?


いつもは他人の事などあまり気にかけない私が、珍しく視線を止めていたのが災いし、その気配に気付いて振り向いた彼と目が合う。


「・・今日は。

ここは初めてですか?」


別にがんをつけていた積りはないので、微笑んで挨拶する。


「今日は。

今日が初めてです」


表情に何の変化も見せず、声にも抑揚がない。


私を正面から見て、私に見つめられて、ここまで動じなかった人は初めてだ。


どんなに取り繕っても、瞳に映る色までは隠せない。


この人、ちょっと面白い。


そんな事を考えていると、彼の興味はまた直ぐに掲示板に戻る。


今まで、私から声をかけられた人達は、何とかしてその会話を保たせようと、あれこれ話しかけてきたというのに。


益々興味が湧いてくる。


「もしかして、何かの依頼を頼みに来たのですか?

それなら、金額を含めた相談が、あちらのカウンターでできますよ?」


要らぬお節介かな、そう考えもしたが、もう少し彼と話してみたくて、そんな事も言ってみる。


「有難う。

頼みに来たのではなく、受けに来たのだが、あまり勝手が分らない」


今度は振り向きもせず、そう言われた。


私達の会話に耳を傾けている人達の、その視線が僅かに厳しくなる。


やはり皆、私と同じ事を考えるよね?


その格好でそこに立つのは、どうかと思うよ?


「この大陸のギルドはね、素人でも、どんな依頼も受けられるの。

でもね、受けて失敗したら、報酬の何倍もの違約金を取られる事もある。

何度も失敗したり、途中で投げ出せば、最悪除名処分になって、以後は二度と依頼を受けられない。

だから、自信がない時は、事後報告で依頼をこなす事もできるのよ?

報酬は半減するけど、慣れない内は、それも手よ?」


「依頼をこなすのではなく、素材の買い取りだけを頼む際にも、登録は必要なのだろうか?」


相変わらずこちらを見ようともしないで、そう聴いてくる。


「それなら登録の必要はないけど、ランクは上がらないわよ?

ランクが上がれば、色々とギルドが便宜を図ってくれるから、どうせこなすなら、登録した方がお得だと思うけど」


「・・・」


無言で聞き流された。


場の雰囲気がピリピリしてくる。


ここには私に良くしてくれる顔見知りも多いから、彼の態度に思う所がある人も居るみたい。


面倒な事にならない内に、会話を一旦切り上げた方が良いかも。


「念のために聴くが、魔物を倒すとお金が落ちたりするだろうか?」


「え?

・・いえ、そんな事はないと思うけど・・。

そうよね、皆?」


魔物といえば、ゴブリンかスケルトンくらいしか倒した事がない私は、自信がなくなり、周りの皆にも確かめてみる。


皆、笑いながら頷いてくれた。


どうやら、彼を世間知らずのお馬鹿さんだと認識したらしい。


張り詰めていた空気が、一瞬で霧散する。


「色々有難う」


彼はそれだけ言うと、さっさとギルドを出て行った。



 「待って!!

そこの君、黒い人!」


人で賑わう通りを余所見しながら歩く自分に向けて、その後ろから、先程聞いた声がする。


振り向くと、案の定、その彼女が自分へと駆けてくる。


「ねえ、少しお話しない?

良いお店があるの」


息切れもせず自分に追い付くと、何故か、彼女はいきなり誘ってきた。


「自分に何か用か?

それならここで頼む。

まだこの星のお金を持っていないのだ」


「星?

国ではなくて?

そんな良い服着てるのに、お金持ってないの?」


一張羅の平凡なデザインでも、この星ではそう見えるらしい。


「無一文だ。

所持品を売れば、お金になるかもしれないが・・」


「意外ね。

私が奢るから、付き合ってくれないかな?

貴方に興味があるの」


「自分にか?

・・もしかして、これが逆ナンというやつなのだろうか?

君は見かけによらず、結構大胆なのだな」


「どういう意味かは分らないけど、恐らく違うと思うわよ?

何だか失礼に聞こえるもの。

私は単純に、貴方と話がしたいだけ。

少なくとも、今はそう」


少し目元が険しくなったが、笑顔までは崩さない。


「・・分った。

ご馳走になろう」


基本的に飲食の誘いを断らない和也は、悪い人間には見えない彼女の再三のお誘いに、そう答える。


「有難う。

こっちよ」


含みのない笑顔になった彼女は、和也の手を引き、目当ての店へと案内するのだった。



 少し薄暗い店内に、客はまだ疎らにしかいない店。


常連なのか、店の者の案内を受ける事なく、奥の個室へと入って行く。


向かい合って席に着くと、程無く店員らしき女性が注文を聴きに来る。


「いらっしゃい。

貴女が男連れで来るなんて、明日は雪でも降るのかしらね」


20代後半くらいの、色気に溢れた女性が、そう彼女に話しかける。


「言われてみれば、確かに初めてね。

でも安心して。

まだそんな仲じゃないから。

私は果実酒とドライフルーツのケーキ、貴方は何にする?」


そう言って、こちらにメニューを向けてくる。


「同じ物を」


「はいよ。

・・後で話を聴かせてね」


店員は彼女にそう告げると、静かに去って行った。


「先ずは自己紹介からね。

私の名前はアリア。

歳は17で、職業は画家。

冒険者は副業で、週に1、2回くらい、簡単な依頼をこなしているわ。

討伐系のものには手を出さないから、ランクは何時までも低いまま、Eランクね。

両親とは死別して、今は一人暮らし。

父から教わった護身術を、自分なりに発展させた格闘術が、私の戦闘スタイルよ」


ランプの明かりが昼から灯る、薄暗い部屋で二人きりになると、彼女はそう話を切り出す。


初対面と言っても良いくらいなのに、かなり細かく個人情報を伝えてくる。


「随分詳しく話してくれるが、若い女性が、見知らぬ男にそこまで話すのはあまり感心しないぞ。

自分が悪い人間なら、間違いなく今の情報を利用して君を狙う。

君はもっと、己の容姿を自覚した方が良い」


あまりに警戒心がないので、つい、小言のような事を言ってしまう。


「あら、やっぱり貴方にも、そういう気持ちはあるの?

あまりにも表情に出さないから、てっきり枯れた人だとばかり思っていたわ」


そういえば、エリカに意地悪してから、反省してプロテクトの強度を最大にしていたな。


今の自分は、どんな女性を見ても、妻達を除けば人間性以外の何も感じないはずだ。


「性的な感情を持ち合わせていない訳ではない。

ただ、それを表す時と場所、相手を選んでいるに過ぎない。

君のしなやかで、弾力と起伏に富んだ瑞々しい身体は素直に美しいと感じるし、澄んだ瞳と声音の響きには、心が癒されもする。

だが、それだけだ。

今の自分には、その手の心配は皆無だから安心してくれ」


「そういう事を言ってくる人程、本来は警戒しなくてはいけないんだけれど、どうやら貴方は別みたいね。

もし違ったら、私の目が節穴だったと諦めて、大人しく死ぬ事にするから、その時は宜しくね」


先程の女性とは違う少女が注文の品を運んできて、会話が一旦中断される。


その少女が退室すると、甘い中にも、爽やかな酸味のある果実酒を口にした彼女が、再び話し出す。


「じゃあ、今度は貴方の番。

私が教えたくらいの事は話してね」


そういう意味か。


仕方がないな。


「自分の名は御剣和也。

歳は見た目通り、住所不定、無職。

この国には今日初めて来た。

家族は・・妻が複数いる。

これから何か仕事をして、とりあえずはお金を稼ぐ積りだ。

戦闘は・・まあ、一通りはできるな」


「やっぱり貴族なのね」


「?

いや、自分にこの世界での地位はないが」


「苗字があるじゃない。

それに、その歳で複数の奥さんがいるのでしょう?」


「親がいなかったから、名前は自分で勝手につけただけだし、妻はその、長く一人でいた自分に世界が同情してくれて、宛がってくれたようなものだから・・」


「よく分らないけど、つまりはこういう事?

貴方はその恵まれた外見を利用して、各地で奥さんを複数貰っては、彼女達に働いて貰って、遊んで暮らしていると」


「!!」


言われてみれば、容姿云云ようしうんぬんは別として、そうとも取れるか。


マリーには主に軍事面で、紫桜はその従者を介して、有紗は正に資金力で貢献して貰っているし、エリカだって、その親達に色々押し付けている。


最初に少し与えはしたが、後は基本的に、その者任せだ。


「・・確かに、そう言えなくもないな」


深い溜息が聞こえた。


「可笑しいな、私の目、本当に節穴になったのかしら?

・・いえ、そんなはずはないわ!

私の心がここまで騒ぐなんて初めてだもの、きっと何かあるはずよ。

貴方、他にも色々隠しているでしょう?」


初めて見せる鋭い目で、自分を睨んでくる。


「君の示した情報の対価としてだから、勿論、言っていない事もある。

自分には初対面の相手に、それ程込み入った話をする習慣はない」


彼女がじっと、自分を見る。


数秒、数十秒、その視線を自分の眼に固定してくる。


「・・ねえ、これから何か、仕事をすると言ってたよね?

なら、今日は私に付き合わない?

私、野外で薬草を摘みながら、絵の具の顔料を探す積りなの。

運が良ければゴブリンくらいの魔物は出るから、薬草の他にもそれを倒せば、幾らかのお金になるわよ?」


瞳に宿る力を緩め、元の状態に戻った彼女が、そう提案してくる。


「分った」


ご馳走して貰った分くらいは、働いて返そう。


そう考えた和也は、それから彼女と町外れの森へと赴くのであった。



 「ここは私のお気に入りの場所なの。

色んな薬草が生えてるし、小川も流れてるから、結構良い顔料が取れるのよ?」


そう言うと、薬草そっちのけで浅い川に入って、顔料の素となる石や貝を探す彼女。


町からここまで歩いてくる約2時間程の間に、彼女と色々な話をした。


そのほとんどは彼女自身についての話で、自分はただ相槌を打つだけであったが、それでも大分、最初の頃よりお互いに打ち解けてきた。


二人で街中を歩いていると、結構な人数の者達が、自分達を凝視してくる。


品のない者からは、舌打ちさえ聞こえてきた。


育ちが悪いと、口元にも締まりがなくなるらしい。


彼女はそういった視線には慣れているようで、全く意に介さずに、自分に話しかけてくる。


父親は冒険者であったが、彼女が10歳の時に魔物に襲われて亡くなった事、母親も翌年病で亡くなり、15になるまでは、さっきまで居た店の女主人が、親代わりとなって育ててくれた事。


彼女は母親の妹に当たるそうだ。


あの店は、昼間は軽い飲み物と、食事や菓子類を出す健全な店だが、夜は本格的な酒場として、冒険者達の溜まり場となる事。


まだ小さかった彼女は、昼だけ店で働きながら、夜は訓練や母の趣味だった絵を描く事に時間を充ててきた事。


その時以来、叔母の店は凄く可愛い娘が居ると評判になり、元から料理の味が良かったせいもあって、今でもとても繁盛しているとのこと。


15になり、一人前の大人になると、一人暮らしを始めて絵を描き続け、その傍ら、生活費の補填のために、簡単な依頼をこなす暮らしを続けているそうだ。


街を歩いている間に遭遇した、品格に欠ける者達を思い出し、女の一人暮らしに不安はないのかと尋ねた自分に、彼女は苦笑してこう言った。


『あの町を治めている領主の娘と、私、かなり仲が良いの。まあ、一方的に気に入られているだけなんだけどね。だから、あの町にいる限り、誰も私に手を出さないわ。私の意に反して何かしようものなら、間違いなく首が飛ぶから。危険なのは、町の外や地下迷宮に居る時ね。そこで襲われたら、流石に誰の仕業か分らないもの。だから、そういう場所には必要以上に行かないようにしてるの』


そういえば、ここも危険な野外に該当するなと思い出し、和也は浅瀬で探し物をする彼女に、そう尋ねてみる。


「ここだけは特別。

見晴らしが良いし、森の入り口付近で、明るい内なら頻繁に近くを他の冒険者達も通るから。


それに、私も全くの無力という訳ではないしね」


いきなり、彼女がこちらに顔を向ける。


「何なら、少し試してみる?」


真面目な顔でそう言われた。


期待した魔物も出そうにないし、手持無沙汰であった和也は、その申し出を受ける事にする。


「良いだろう。

少し稽古をつけてやろう」


和也は、その力の行使に関してだけは、あまり韜晦とは縁がない。


自分の力を使うまでもない相手なら、他の者に任せる事も多いが、その力を見せたくはないからといって、わざわざやられる事まではしない。


それは無意味に己を卑下するか、相手を馬鹿にする以外の何物でもないと考えるから。


そんな事をするくらいなら、最初から何もせずに逃げる。


「あら、随分自信が有るのね。

それに、やっと少し、私が見たい顔つきになったわ」


探し物を止めた彼女が、こちらにやって来る。


拳に付けたグローブを外し、ブーツに付いた金属部分を取り去って、自分に告げてくる。


「折角だから、何か賭けない?

エッチな事でなければ、何でも良いわよ?」


「構わないが、それは死亡フラグと同じだな。

口にした者は、大概惨めに負ける」


「言うじゃない。

女だからと甘く見てると後悔するわよ?

私が勝ったら、貴方の過去を洗いざらい聴くわ。

奥さんが何人か、どんな生活を送ってきたのか、隠してる事全部。

・・魔法は使えるの?」


「使えるが、君相手には必要ない。

君は自由に使って良いぞ」


彼女の端正な顔が、無表情になる。


「お言葉に甘えるわね。

じゃあ、・・いくわよ?」


そう告げるや否や、物凄いスピードの蹴りを放ってくる。


難なく交わすと、今度は逆の足が飛んできた。


風の魔法で身体速度を上げているのは明らかだが、それにしても、良いスピードを持っている。


避ける度に、腕、拳、足を織り交ぜた、多彩な攻撃が繰り出され、その1つ1つが、風を切る音と共に、和也の身体の側を通り過ぎる。


パアン、パアン。


何時の間にか紙のハリセンを出した和也が、彼女の隙をついて、胴や尻に攻撃を当てていく。


「くっ」


屈辱に燃える彼女は、更に攻撃魔法を仕掛けてくる。


風弾、水球。


当たれば危険な火球や風刃は使ってこない。


「手加減してると掠りもしないぞ」


「馬鹿にして!」


そこからは本当に何でもありだ。


火球、風刃、氷槍。


結構多彩な魔法を使える。


だが惜しい事に、あまり威力がない。


この程度では、せいぜい人か、下級の魔物くらいにしか通用しないだろう。


自分の攻撃が全く通じない事に、怒りと焦りを感じた彼女が、到頭最後の手段を出してくる。


「バインド!」


言葉と共にダッシュで攻撃を仕掛けてきた彼女の頭に、ハリセンをお見舞いする。


パアーン。


一際大きく響いたその音が、結果的には戦闘の終わりを告げる合図となった。


しゃがみ込んだ彼女が、涙目で自分を見てくる。


「何なの貴方?

物理的な攻撃はともかく、魔法まで全て消滅するなんて可笑しいじゃない!

やっぱりその服、特殊な魔法具なの?」


「只の服だ。

まあ、汚れないようにはなっているがな。

・・それよりも、自分は勝ったよな?

約束通り、願いを聞いて貰おう」


「何よ、何させる気?

エッチな事は駄目だからね」


「一晩泊めてくれ」


「・・私を奥さんの一人に加える気なの?

エッチは駄目だって言ったのに・・」


不思議な事に、和也にそう告げられたアリアは、そうしても良いかなという気にすらなってくる。


普段の彼女なら、先ず鼻で笑うか、ひっぱたく所だ。


「違う、そうではない。

魔物も出てこないし、これから薬草を摘んで君を町まで送り届けると、自分のお金を稼いでいる時間がない。

ここの薬草が幾らで売れるかは知らんが、恐らく宿代には足りないだろう?

野宿ができない訳ではないが、できれば、食事を取って風呂にも入りたい」


「遊び人のくせに贅沢ね。

本当に私に何もしない?」


「しない。

誓って何もしない」


「何か私に魅力がないような言い方だわ。

・・良いわよ。

泊めてあげる。

でもその代わり、少しは貴方の事も教えて。

それでどう?」


「分った。

済まないが、宜しく頼む」


この後、せめてものお詫びにと、沢山の薬草を摘み、序でに顔料探しも手伝って、和也はアリアの家へと向かうのであった。



 余談だが、和也との行き過ぎた行為によって妻達が何日もの深い眠りに就くのは、肉体的な疲労も然る事ながら、和也から与えられた体液を、自己の能力に変換するために必要な時間だからである(和也とて、最初から体液を与え過ぎて、相手に負担をかけている訳ではない。普段なら、その女性が行為に慣れ、体力がついてくるまでは自重している)。



 カーテンを通してぼんやりと漏れる朝日と、立ち込める絵の具の匂いに包まれた、8畳くらいの小さな部屋。


1つしかないベッドの反対側には、描きかけの絵が架けられたイーゼル、その傍にはテーブルとイスが1つずつ。


入り口とは別の扉を開けると、地球の西洋式に似たバスタブとトイレ。


魔法が発達した世界だけあって、上水道はともかく、下水道だけはきちんと整備されているようだ。


換気扇の代わりにある小窓は開け放たれ、昨夜の湯で湿った部屋を、カビから防いでいる。


あれから、ギルドで薬草を換金したアリアは、和也を部屋に招き入れ、頂き物の上質なパンと、何かの玉子、燻製肉、野菜を用いた簡単な食事を出してくれた。


電気やガスといった、近代的な生活には欠かせない便利なものが未だ使われていないこの世界では、特に都市部において個人の家で頻繁に料理をする習慣はなく、大抵は、店で何かを買って帰ったり、外食で済ませたりする。


朝早い家庭では、夕食を食べない家も多かった。


1つしかない椅子の代わりに、ベッドに座る事を許された和也が、有難く食事を頂く様子を見ながら、『美味しい?』と微笑む彼女は、何だかとても嬉しそうだった。


お風呂も、大変だから毎日は湯を張らないそうだが、和也の為に、わざわざ魔法で水を張り、炎の魔法で沸かしてくれようとした。


だが、流石にそこは和也が手を貸す。


只でさえ昼間の戦闘で彼女の魔力は減少している。


無理をさせれば、数日は影響が出かねない。


風呂場に僅かに残っていた汚れとカビを浄化し、ピカピカにした浴槽に、たっぷりの湯を張って、先にアリアを入れる。


遠慮する彼女を、『湯など何度でも入れ替えられるから』と言い含め、見当たらなかったシャンプーを渡して背中を押す。


覗かれる心配などまるでしていない彼女が、湯上り後にまた汗をかかないように部屋の温度を調整した後、和也は描きかけの絵に目を向ける。


昼間訪れた店を描いた物だろう。


夜の店内に、大勢の客と、それを相手に働く女性達が描かれている。


ルノアールなどの印象派のタッチに似たその絵は、和也が見ても、中々のものだと思う。


有紗が管理する、地球の億ションの一室にでも飾りたいくらいだ。


部屋の隅に散見する埃や、壁や床の汚れなんかを浄化しながら待っていると、程無く上機嫌のアリアがバスローブ姿で浴室から出てきて、目を丸くする。


その素材本来の美しさを取り戻した室内は、ランプの明かりの中で、輝いて見えたから。


入れ替わりに風呂に入った和也が満足して出てくると、絵を描いていたアリアは絵筆を置き、『そろそろ寝る?』と尋ねてくる。


頷くと、ローブを脱ぎ捨て、下着だけの姿で、先にベットに潜り込む彼女。


自分は床で寝るぞと告げた和也に、『襲わないなら入ってよ』と強く主張してきたので、狭いベッドの半分を借りる事にする。


背を向けて寝ようとした和也の肩を引き倒し、仰向けにしてから、その胸を枕に、眠りに就くアリア。


自分に負けた後、何らかの心境の変化があったのか、初めの頃とは随分印象が違って見える。


力に固執するようには思えないから、多分、他に理由があるのだろう。


森からの帰り道、聴かれるままに、妻達の事や、どういう育ち方をしてきたかなど、当たり障りの無い部分だけ、話して聞かせた。


長く孤独に苦しんできたと言った時、そっと目を伏せたから、恐らく、そんな所に同情してくれたのかもしれない。



 「おはよう」


和也が目を覚ました途端、耳元で待ちかねたような声がする。


視線だけをそちらに向けると、振り向けば唇が触れ合いそうな位置で、大き目の瞳がこちらを見ている。


「あら残念」


まるで周到に計画した悪戯が失敗した時のような言葉を漏らし、アリアがベッドから上半身を起こす。


大分明るくなった室内で、う~んと伸びをする彼女。


まだ横になっていた和也の視界に、下着に包まれた、豊満な胸が揺れ動く様が映る。


視線を感じてそちらに目を遣ると、彼女がニヤニヤしながらこちらを見ていた。


「気になる?」


「別に」


正直、プロテクトが最大でなかったら、危うく凝視していたかもしれない。


「本当に襲ってこなかったね。

ちょっとだけ、自信を失っちゃった。

貴方の奥さん達、よっぽど綺麗なんだね」


「女性の美しさは、外見だけではないぞ。

仕種、振舞い、考え方、話し方。

色々な要素が絡み合って、その人特有の美を形作る。

一人として全く同じ存在がいないから、そこに固有の美が生まれるのだ」


「うわ、何か優等生的な発言ですな。

そんな事言ってても、実際、大きな胸が好きなんでしょ?

奥さん達、皆大きいって、昨日聴いたもんね」


「女性の美しさと自分の好みは、時に異なる事もある。

君だって、惚れた男ができれば、痘痕あばたえくぼかもしれないぞ」


「その心配はないかな」


和也ひとの顔を見て、そんな事を言ってくる。


「さて、もう起きようよ。

朝ご飯食べて、早めに動かないと」


ベットから出て、洗面所に行くアリア。


そういえば、今日はこちらの予定に付き合ってくれると言ってたな。


昨日の事を思い出す。


ギルドで薬草を換金する際、摘んだ薬草を全てアリアの物として換金したら、それは駄目だと少し彼女と揉めた。


大人二人が2時間摘んでも、銀貨2枚にすらならない。


これでは彼女も生活が大変だろう、そう考えて自分は辞退したのだが、彼女に言わせると、薬草は序でで、顔料探しがメインだったという。


その顔料が、貴方のお陰で沢山取れたのだから(彼女には内緒で、近隣の川からも似たような物を転移させた)、寧ろ薬草は貴方が全部受け取るべきだと。


少し面倒に感じたので、それなら明日、自分の仕事を手伝って欲しい、そう告げたら、渋々だがお金を受け取ってくれた。


『無一文のくせに、欲が無いのね。まあ、あれだけの腕があれば、直ぐに稼げるか』


ちょっとだけ、失礼な事を言われた気がする。


その帰り際、生活費は大丈夫なのかと尋ねたら、『私の主な収入源は、労働系の依頼。何処かの店で、半日くらい店員をすれば、銀貨3枚くらいにはなるから。それに、お土産までくれるしね』と微笑まれた。


家賃はどうしてると重ねて聴くと、『ご贔屓さんに、週に一度のお茶会への参加を条件に、只で貸して貰ってるの』と、これまた苦笑された。


美しいという事は、それだけで才能なのだな。


和也はこの時、呑気にそう考えていた。


「君にお願いがある」


「幾ら貸せば良いの?」


「違う」


「冗談よ。

で、何?」


朝食の後、今後の事について話をしようとした和也に、アリアが真面目な表情を作りながら、そう口にする。


「・・君は口が堅い方か?」


「喧嘩売ってるの?

私がそんなお喋りに見える?」


「そう怒るな。

念のため確認しただけだ。

もう1つ尋ねるが、君が今やっている仕事は、今後も君にとって不可欠なものなのだろうか?」


「どういう意味?」


「その仕事でないと駄目なのかと聴いている」


「私は非力だから、討伐系の依頼は受けられないし、好きな人以外と群れるのは嫌だから、パーティーにも入らない。

店員など労働系の仕事をしてるのはその結果であって、他にもっと良い仕事があれば、そちらを選ぶわよ?」


「因みに生活費は、家賃を除いて月にどのくらい欲しい?」


「・・そうねえ、少なくとも銀貨40枚くらいは必要かな」


「身の安全が保障されて、美味しい食事と広くて清潔な個室が与えられれば、共同生活をするのに躊躇いはないだろうか?」


「一体何の質問?

一緒に住む相手と家賃次第だけど、そんな所があれば、是非お願いしたいわね」


「・・実は、先着一名様に限り、今の条件で助手を募集している」


「誰が?」


「自分が」


「奥さん達におねだりでもする積り?

本当によくできた奥さん達よね。

・・そんなに夜が上手なの?」


「君の履歴書に、性に興味津津と付け加えておこう」


「本気で殴るわよ?」


「・・それで、どうだろうか?」


「住む所と食事があれば、給料は暫く待ってあげるから、奥さん達に頼るのは止めて、貴方がきちんと稼いだお金を頂戴。

同居する相手は貴方だけ。

もし増える場合は、ちゃんと私の許可を取って。

それで良いなら、お願いするわ」


「勿論自分で稼ぐ積りだが、それだけで良いのか?」


「何で?」


「君は結構人気者みたいだから、もっと要求が高いのかと」


「あのねえ、私、自分の部屋に誰かを泊めたの初めてなの。

なのに、あんな下らない賭けに負けたくらいで、貴方を迎え入れた理由をもっと考えてよね?

でも、今何となく分っちゃった。

貴方に奥さんが多い理由。

できる女性程、貴方のような男性に、何かしてあげたくなるのかも。

自分がいなくちゃこの人は駄目、みたいな・・きっとそんな理由なのね」


「・・・」


「これから宜しくね」


アリアが微笑みながら差し出してきた右手を、和也はしっかりと握りしめた。



 「確かこの辺りだな」


ごつごつした岩がむき出しになって散在する山脈地帯。


キンダルのあるビストー王国の国境付近に、一際険しい山が聳える。


火山でもないのに硫黄の臭いが周囲に立ち込めるのは、この山に棲み着いた巨竜のせいだ。


『魔竜ガルベイル』


太古に栄えた魔術師の時代から生存していると言われ、大陸最強の一角とも言われている。


その被害に苦しむ周辺の国々は、こぞって討伐隊を差し向けたが、只でさえ並みの魔法や剣では傷も付かない鱗に覆われている上、空を飛んで山すら崩すブレスを吐かれては、手の打ちようがなかった。


なので、和也が見た際も、ギルドの掲示板の1番上で、その依頼書は、時の経過による黄ばみを帯びていた。


「ねえ、一応聴くけど、ここに何しに来たの?」


私は敢えてそう尋ねる。


あの後彼は、『では出発しよう』と一言だけ呟いて、私の腰に腕を回すと、いきなり転移した。


魔術が発達したこの世界でも、転移を使える者は極限られるし、自分以外の存在を同時に転移できる人間は、ほんの一握りしか存在しない。


しかもその距離。


私の家からここまで、馬を走らせても、優に20日以上かかる。


こんな距離を飛べるなんて、聞いた事がないし、有り得ない。


人には其々魔力量というものがあり、太古の大魔術師達でさえ、せいぜい馬で5日分程度の距離しか飛べなかったと言われている。


なのに、彼は私を抱えてここまで飛んできた。


御負けに、恐らく初めての場所に。


転移する際、普通はその目的となる場所に、自分の魔力を用いて予め何かを残しておく。


最も一般的なのは魔法陣だが、そこから移動しないものなら、別に小石でも何でも良い。


そうしないと、転移先を正確にイメージできずに、最悪海に落ちたり、何処かの森で迷ったりする。


空間の無い場所や、自分より魔力が強い所には転移できないから、岩の中とかに入り込む恐れはないが、誰かの家にいきなり現れて、トラブルにもなりかねない。


転移による不法侵入は、死罪を含む厳罰の対象になるので、まともな人なら先ず誰もやらない。


私がここが何処だか辛うじて分るのは、討伐隊に参加した、国お抱えの絵師が描いた1枚の絵を、以前見た事があるからだ。


命からがら逃げて来た絵師が描いたその絵は、恐らく後に上塗りしたのであろう、この山を包む空気を、かなり重苦しい色で表現してはいたが。


朝起きてから、私はかなり失礼な言葉を、意図的に彼に用いた。


可能性は低かったけど、もしかしたら抱いてくれるんじゃないかと考えてもいたし、案の定何もされなかったと知った後は、彼に可愛がられているであろう奥さん達に嫉妬して、随分な物言いをしてしまった。


私は今まで、恋をした事がない。


それ以前に、人に対してそこまで深い想いを抱いた事もない。


親や叔母さんにさえ、感謝と親愛に近い感情は持てても、愛情と呼べるより踏み込んだ気持ちまであるか(あったか)と言われれば、自信がない。


だから、言い寄る人は多くても、煩わしさと嫌悪感が先立ち、どうしても一線を画してしまう。


『あなた達は、私の求める人じゃない』、と。


なのに、彼に会った瞬間、興味が湧いてきたのだ。


それはどんどん大きくなって、その日の内に、今まで知らなかった感情を私に齎す。


一昨日までの私には、理由はどうあれ、その日会った男と同じベッドで寝るなんて、理解すらできなかっただろう。


初めての感情に戸惑う私を、手慣れた彼が導いてくれてもよさそうなものなのに、出会った頃と同じく、相も変わらず飄々としているから余計に腹が立つ。


先程の言葉にも、何処か冷たい響きが混ざったのは、きっとそのせいだ。


「勿論、お金を稼ぎにだ」


「かなりの魔力があるようだけど、勝てる見込みはあるの?

国の軍隊ですら、相手にならないのよ?」


「とりあえず、魔竜とやらに会ってみよう。

君はここで留守番しているか?」


「こんな所で独りになるなんて嫌よ。

一緒に行くわ」


さっさと先へ行く彼の後を追い、私は辺りに漂う嫌な気配に身震いした。



 『人の臭いがする。

やれやれ、またか』


我は眠りから覚め、ゆっくりと身を起こす。


太古の昔、魔術師共のおもちゃとして、色々身体をいじくられ、人の反乱に乗じて逃げ出して以来、各地を転々として過ごしてきた。


まだ体が小さかった時はそうでもなかったが、一人前に成長すると、獲物を獲るため空を飛ぶだけで、人々から恐れられた。


我とて生き物である以上、腹は減るし、何も食わなければ何時かは死ぬ。


必要以上に狩る事はしなかったが、それでも奴らはわざわざ巣まで来て、いきなり攻撃を仕掛けてきた。


自殺願望のない我は、当然の権利として応戦しただけであるが、その結果、更なる攻撃の手が増えるという悪循環に陥り、一時期は本当に煩わしかった。


ここ数十年、やっと落ち着いてきたが、それでも年に何組かの人間が襲ってくる。


己の巣の周りには、そんな奴らが遺していった、数々の武器や防具が転がっている。


正直、邪魔でしょうがない。


今回もまた、狩りをする手間が省けたと前向きに考える事にして、侵入者を待ち構える。


そして、その男はやって来た。


「邪魔するぞ」


相手から、攻撃以外の言葉をかけられたのは、逃げ出してから初めてだ。


不思議な事に、声をかけてきた男からは、人の臭いがしない。


自分が先程感じた臭いは、その後ろで震えている女のものだ。


「おお、沢山あるじゃないか」


その男は、正面で攻撃を仕掛けようとした我を無視して、周囲に転がる人の武器に目を遣った。


「ジャッジメント」


魔法を唱えたと勘違いした我が、二人に向けてブレスを放つ。


だが、信じられない事に、それはいとも簡単に、見えない何かに弾かれてしまった。


「こちらには攻撃する意思はないが、どうしてもと言うなら、相手にはなるぞ」


その瞳が蒼穹の如く輝いた男が、穏やかにそう告げてくる。


我は迷った。


先程のブレスは、本気ではないにしても、その3割くらいの威力がある。


最初は従順な振りをして、隙を見て襲ってきた奴もいたから、ここで一気に殺してしまった方が安全だが、そうすると、折角の巣が壊れる。


「人が信用できないか?

それなら、1回だけは大目に見てやろう。

全力で攻撃してくるが良い。

巣の心配なら要らん」


瞳を蒼く輝かせたまま、男がそう言ってくる。


得体が知れない恐怖を感じた我は、咄嗟に、最大級のブレスを吐いた。


だが、その結果は先程よりも酷かった。


二人の前で、弾かれる事もなく消滅してしまう。


「気は済んだか?」


全力で攻撃されてなお、穏やかに語り掛けてくる男に、我は静かに膝をつき、頭を地につける。


どうやっても勝てない。


ならば、その慈悲に縋るのみ。


「なあ、食うに困らなくて、敵もいない世界で、穏やかに暮らす積りはないか?

時々人の怨嗟が鬱陶しいかもしれないが、所詮は精神体故、何もできはしない。

逆にストレス発散や、遊び相手に使うと良い。

今はまだ、他の住人は少ないが、その内仲間が増えるかもしれない。

異種族だろうがな。

・・どうだ?」


この男は、何を言っているのだろう?


まるで、別の世界にでも連れて行ってくれるみたいではないか。


「その通りだ」


『!!』


先程から、何か変だと感じていたが、もしかしてこの男は、我の考えが理解できるのだろうか?


「ああ」


『!!!』


「行く気があるなら頭を上げろ。

お前は別に、悪い事はしてはいない」


その言葉に、我はゆっくりと頭を上げる。


「ああそうそう、ここに転がっている、武器の類を貰っても良いか?

それと、巣の中に落ちている、お前の鱗」


我は頷く。


「済まんな。

・・では、送り届けるぞ」


男が右手を胸元まで上げ、その掌を上へと広げる。


そこに生まれた黒い球体に、我の身体が吸い込まれていく。


気が付くと、今まで居た巣ではなく、陽の入らない、薄暗い闇の世界に居た。


だけど、何だかとても暖かく、居心地が良い。


周りを見渡すと、豊富な植物に様々な実が付いて、良い香りを放っている。


水辺も多く、ほんのり潮の香りがするから、海もあるのだろう。


何時の間にか近くに来ていた狐の魔物が、2匹で我を興味深そうに眺めている。


まだ子供だが、随分と人懐っこい気がする。


新しい暮らしが始まったばかりだが、多分、これだけは言えるのだろう。


あの男は、いや、あのお方は、きっと創造主に違いないと。


「正解」


何処かから、妖艶な女性の声がした。



 「・・ねえ、今の何?

何なの!?」


私は、目の前で起きた出来事が信じられなかった。


魔竜を軽くあしらった事もそうだが、問題なのはその後。


まるで彼を、何処かの世界に送り込んだように見えた。


実際、魔竜と、そのような内容の会話みたいな事をしていたし。


「先ずは仕事を済ませてしまおう。

話はそれからだ」


そう言った彼は、そこら中に転がる武器や防具を拾っては、浄化し、修復してから何処かに放り込んでいく。


アイテムボックスが使える事は、私と模擬戦をした時に、いきなりハリセンを出した事から何となく分ってはいたが、私が知る魔法と違い、大分物が入りそうだ。


この世界の魔法は基本的に無詠唱。


攻撃の度に『火球』、『水球』などと口に出していては、その分攻撃が遅れて、それが致命的になりかねない。


魔法というのは、その者の精神作用に魔素と魔力が反応するものだから、敢えて口に出さずとも、ちゃんと発動する。


まあ、意識的に威力を強めたい場合などに、口にする人は多いが。


武器類が済むと、今度は魔竜の鱗を集め始めた。


生半な武器や防具なら、こちらの方が圧倒的に高値が付く。


それなりの枚数があったらしく、彼も満足げだ。


「では、撤収しよう」


未だ呆然と成り行きを眺めていただけの私に近付いて、来た時と同じように、腰に腕を回してくる。


瞬時に転移した先は、私の家ではなく、何処かの森の中。


「・・ここ何処?」


少し投げやりにそう口にした私に、彼は言う。


「自分達の家の、建設予定地だ」


「はあ?」


不覚にも、最早そんな声しか出てこなかった。

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