番外編 世の理を超えたその先に 第3話

 『御剣総合医療センター』


それが、俺達がこれから定年まで勤務する医療施設の名である。


2週間に及ぶレジャー施設でのバカンスや、その後の日本における10日程の調整で、二人共体調は万全であり、長い事飛行機に乗って、アフリカ南西部のこの国にやって来た。


ここはアフリカでは豊かな国の方だが、長引く内戦で国内経済は混乱し、豊富な資源を有する割に、国民の生活は今一つぱっとしない。


児童の就学率は、欠席が目立つため、必修とされる無料の初等教育(8年)でも7割程度である。


そこには予算、教員不足、今なお国土の至る所に埋まっている地雷、劣悪な健康状態と、非常に多くの問題が潜んでいる。


御剣グループは、そんな中で、発展に向けて着実に歩んでいるこの国の未来に投資し、地元政府の協力を得て、巨大なプロジェクトを開始させた。


広大な土地を買い受け、そこに町を造り、核となるこの施設の他に、学校や職業訓練所、ホテル、スーパーマーケット、図書館などを建設し、地域の住民を無償で教育しながら、町の施設でその雇用をも受け持った。


学校教育においては、教員不足に対応するため、PCを積極的に活用し、ある教室での授業をネットでライブ配信し、同時に大勢の生徒に届けられるようにすると共に、スマホのアプリを活用して、語学の習得を何時でも何処でも可能にし、給食制にする事で、普段はあまり食べる事ができない子にも、栄養のバランスが取れた十分な量の食事を供給した。


基礎科目の習得さえ済めば、その後は本人の希望する分野の知識を存分に学ばせ、学習への意欲と熱意を途切れさせない工夫も凝らす。


ここでは画一的な人材を育成するのではなく、何かの分野に突出した生徒を生み出すべく、そのための試行錯誤を繰り返し、ノウハウとして蓄積している。


やはり女子の出席率が初めは芳しくなかったが、家庭科の授業と称して裁縫や料理を学ばせ、将来の介護職の育成にも貢献できるよう、簡単な介護指導を加えた結果、それが家庭での子供の世話や家事に役立ち、親からの支持を集める事に成功した。


職業訓練所では、パソコン操作やIT機器等の組み立て実習、主要国の生活習慣や大事なルール等を教え、併せて、どの国でも、どんな職種でも通用する基本的なマナーを習得させる事で、世界中の至る所で活躍できる人材を目指す。


生活に不安を抱えて訓練に身が入らない事がないよう、ここで訓練する者には、この国の平均的な月収が支払われた。


治安面にも力を入れる。


町民の生活が豊かになれば、その利益を狙ってくる者もまた、現れる。


地元政府から退役した優秀な元兵士(能力と人格面の両方で)を紹介して貰い、警備と後進の育成とで協力を仰ぎ、その者達の家族を手厚く保護する事で信頼を勝ち得、安心して住める町造りを進めていく。


因みに、彼らの武装は最新鋭の装備だ。


戦う事を前提にしているとはいえ、無駄に彼らを死なせる訳にはいかない。


極力その被害を食い止められるよう、装備とそのための施設にはお金を惜しまない。


理性を失い、話し合いのできない相手には、こちらも容赦はしない。


そんな者達のために、町を守る彼らを、折角育ててきた善良な町民を、一人として失う訳にはいかないのだ。


序でに、政府要人のSP候補も育成すると申し出たら、何と治外法権まで与えてくれた。


お礼にと、ここでの税収を、1割上乗せさせていただいた。


以上の形式的、実質的なシステム作りやその成果、取り決めは、立花さんがほぼ一人で成し遂げた。


俺達の仕事は、完成されたシステムと施設を用いて、この町を軌道に乗せていく事だ。


うちに契約書類を持って来た時も、只物ではないと感じたが、彼女の人脈やスキルは半端ではない。


御剣グループ社長秘書という肩書のハンデを取り除いたとしても、あそこまで仕事のできる人を、俺は見た事がない。


さぞかし私生活も充実しているのだろう。


メインの医療センターだが、初めて見た時、開いた口が塞がらなかった。


日本の何処よりも巨大で豪華な建物。


その設備はとんでもない。


一般設備は勿論、3Dの手術シュミレーションルームやCTスキャン、MRI、3つの集中治療室は言うに及ばず、百名が収容できるカンファレンスルーム、ホスピス病棟、ロボットアームによる遠隔治療室、特殊細菌培養室、食事付きの介護施設、俺専用の研究室、救急用のヘリポートにカフェとレストラン、滅菌ルーム、挙げていけば切りがない。


24時間働かせる積りなのか、俺達の住む所までセンター内にある。


奴は俺を過労死させる気か?


もしかして、それで江戸川さんを狙っている?


相変わらず、油断のならない奴め。


だが、残念ながらもう俺の勝ちだ。


各地を転々とする仕事から解放され、この地で定住するに当たり、江戸川さんが子供が欲しいと言い出した。


反対する理由は皆無なので、早速作り始め、今彼女は妊娠5か月だ。


仕事量を徐々に減らしていく彼女の代わりは、思わぬ所で得られた。


ト〇コに居た時、去り際に見送りに来てくれた母娘がいたのを覚えているであろうか。


その娘さんの方が、地元の大学を出て、看護師となってここに勤務する事になったのだ。


全ては、江戸川さんのお陰であった。


彼女はあの後、立花さんに内密に連絡を取り、閉鎖した病院の清掃目的を理由にして母娘にあそこの鍵を管理させ、皆に内緒でそこで勉強させていたのだそうだ。


しかも、俺にも内緒で自分の小遣いから生活費を工面し、後に事故で父親を失った娘さんの学費を支えていたのだそうだ。


その甲斐あって、彼女は優秀な看護師として、ここに来てくれた。


何でも、江戸川さんが改めて誘う前に、大学の在学中、就職案内の黒い封筒が届いたのだそうだ。


本人はてっきり、俺達が出したものだと勘違いしていたらしい。


母親の方も、自国での諸手続きが終わり次第、事務員として、ここに勤務する事が内定している。


ここで働く医療スタッフは、今の所二十三名。


その内訳は、医師が俺を入れて三名、看護師九名、ケアマネージャー一名、介護士十名だ。


数には入れていないが、この他に、通訳や調理師、清掃スタッフ等が活躍してくれている。


まだ運営を開始して1年弱なので、今後は更に増やしていく予定である。


これから、その内の何人かを紹介していこう。



 高遠医師(男性、28歳)の場合


文科省の事務次官であった父と、裕福な家の出身である母の間に生まれた長男として、何不自由なく育てられ、私立の一流中学、高校とエスカレーターで進む。


だが、医学部の大学受験で初めて挫折を味わい、2年浪人する。


その後、何とか希望の大学に合格するも、今度は父親が大学側に息子の合格に関して便宜を図るよう求めたという疑惑が明るみに出て、そこを半年足らずで自主退学し、翌年、別の大学の医学部に入り直す。


大分遠回りした彼は、それでも医学の道を諦めず、卒業後、系列の大学病院には進まずに、直ぐにこの医療センターに加わった。


ここに来た時、心に蟠りを抱え、少し卑屈でもあった彼は、今では立派な医師として、日々自己研鑽に励んでいる。


以下は、そんな彼の、これまでの様子である。



 それまでの僕は、よく言えば何でもできる、悪く言えば器用貧乏の、他の子より多少頭が良いくらいの生徒だった。


幸い家も裕福だったから、私立の高い学費を払っても、塾にも通え、参考書も豊富に買い揃えられた。


その一方で、何処か受験を嘗めていた僕は、スマホのゲームや、当時付き合っていた彼女とのデートなんかで時間を取られ、ある時期から思うように成績が伸びなくなった。


受験が段々と近付くにつれ、それはやがて焦りに変り、更に堅実な勉強の妨げともなって、到頭入試に全敗した。


浪人1年目の春、僕自身とその周囲はまだ平穏としていた。


医学部を狙うなら、1浪くらいは普通だし、お金にも困らない家であったから、やはりまだ気楽に考えていた節がある。


刻々と迫る試験日の恐怖から一旦解放され、あと1年あるやと、気を緩められたのも原因の1つだろう。


予備校を掛け持ちし、医学部受験体験記などのサイトで情報を漁り、今度は一端いっぱしの受験生を気取っていた。


どんなに良い環境に身を置いても、如何に優れた本を所持していても、それらを十分に活用しないのでは、そこから得られるものは少ない。


参考書はソフトではないし、僕はパソコンでもない。


買って書棚に並べて置くだけでは、それをPCにダウンロードするようには、頭に入らないのだ。


僕の可哀想な参考書達は、後に日の目を見るまでは、完全にお守りのようなものだった。


それでも夏までは比較的良かった成績は、部活を終えた現役生がスパートに入り出す秋にはまた下がり始め、冬になると前回より強い不安や恐怖のせいで、更に下がって、翌年の入試にも全敗してしまう。


浪人も2年目になると、流石に周囲も慌て出す。


僕の気持ちも塞ぎ出し、より良い予備校や塾を必死に探し始める親達。


僕は暫く家から出ずに、部屋でゴロゴロしながら、ネットのサイトをあちこち見ていた。


そんな時、ふと興味本位で覗いた家庭教師サイトで、一人の人物が気になった。


その人はもう40代をうに過ぎていて、検索に出てくる順位からも、若い人を欲しがる家庭からはあまり人気がないように見えた。


学校の先生なら、若いと却って経験不足とか言って、その指導力に疑問を持つ親も多いのに、こういう場所では知識が古いなどと言って逆に敬遠する人達の考えが、僕には分らない。


その人の実績や人物欄などを熟読した僕は、一度彼に会って話を聴いてみたいと思った。


僕が引籠りになる事を心配していた母にその事を告げると、彼女は大喜びで連絡を取ってくれ、3日後に彼に会う事ができた。


果たして彼は、僕が想像した通りの人物だった。


穏やかな物腰と落ち着いた雰囲気、塾や予備校のように、いきなりああしろこうしろと言ってこない。


先ず僕のこれまでの勉強方法を尋ね、勉強部屋と所持している教材に目を通す。


過去の成績表をチラッと見て、英語と数学の問題を1、2問尋ねてきた。


それだけで、今後の学習方針を立てたようである。


母が、契約の条件を、細部に渡り確認する。


時給は4000円払うとこちらが告げたら、週4回(1日3時間)も依頼してくれるならと、3000円で良いと言われた。


しかも、仮に区切りの良い所までやるために何十分か延長しても、その分は無料で良いとも。


後で聴いた話だが、彼はお金のためだけに、この仕事をしている訳ではないのだそうだ。


自分達には子供がいないから、自らの失敗や後悔を活かす場を求めて、この職業を選択したそうである。


では何故単純に教師の職を選ばなかったのか。


その疑問の答えは、後で知る事になる。


彼の指導を受け始めて、英語以外の成績は時間に応じて比例して上がっていき、英語は2か月くらい経ってから、反比例のグラフのように急上昇した。


物理以外の理科と、社会科目である歴史は、じっくりと教材を読み込み(世界史は小さな文字で500ページ以上あった)、それまでうろ覚えであった箇所を正確に暗記し直していき、物理、数学は、基礎問題を徹底的にこなして解法パターンを記憶した後、応用問題に初めて手を伸ばす。


以前は志望校の過去問ばかり解いていたが、何故答えがそうなるのかあまり理解できていなかった。


基礎を身につける事で、そこまで行く答案の流れが、はっきりと理解できる。


英語は、基本の文法を細かいとこまで教えられ、何故ここにはこれしか入らないのか、ネイティブの感覚ではこう聞こえるのだとか、非常に為になった。


レベルの高い学校なら、恐らく中学でしか、それもさらっとしかやらない事が多い5文型が、3000文字を超えるような長文を読む上で、200字以上の英作文を書く上で、如何に大切か身に染みて分ったし、助動詞や前置詞の役割の大きさや、関係代名詞や接続詞が果たす意味を正確に知る事で、何処とどう繋がるのかが見つけ易くなり、英文を読むスピードが飛躍的に増した。


高校生でも、前置詞の次に動詞が来たら、何故進行形になるか、正確に言える学生は多分半分くらいだろう。


助動詞がいきなり過去形になった時の意味を、3つ直ぐに言える人は更に少ないのではないか。


これまで通っていた予備校や塾は、一度に大人数を教えるせいか、あまり細かい事は教えてくれず、進度も速かった。


時々授業の終わりに講師室まで質問に行くと、他の予備校と掛け持ちしていて時間がないせいか、あまり良い顔をされない事も多かった。


ああいう所は、勉強に慣れた、成績の良い学生が、参考書では得られないものを求めて行く場所だと後に気が付いた。


だから、講義中ノートを取っている人などあまり見かけず、大体は、講師の話に耳を傾けながら、黒板を見ているだけだ。


講義の最中に、本来なら一番価値のあるその話を陸に聴かず、参考書を見れば書いてあるような事までせっせと黒板の文字をメモっていた僕は、彼らからしたら、さぞや不勉強に見えたであろう。


家庭教師は自宅まで来て下さるから、移動のための無駄な時間を節約でき、予備校の講義の間に間食していたファーストフードでカロリーを取り過ぎる事もなく、万全の状態で、翌年、僕は遂に第一志望の超難関校に合格した。


ところが、ここで思いもよらぬ事が起きる。


やっと学生生活に慣れたと思った矢先、マスコミが、父の疑惑を大々的に報道した。


それは、文科省の事務次官であった父が、息子である僕の入試に際して、大学側に便宜を図るように口利きをしたというもの。


僕にとっては、全くの、寝耳に水であった。


新聞や週刊誌で大分叩かれ、ニュースでも取り上げられて、民放のコメンテーターが、ある事ない事知ったような風に得意気に喋っていた。


結局は、それは半分事実で、半分偽りであったのだが。


父が大学側にそういう言葉を伝えたのは確かであった。


ただ、そこに金銭等の遣り取りがあった訳ではなく、父は単に、大学側に『何とかならないだろうか』と一度尋ねたに過ぎない。


大学側も、便宜を図ってはいないと完全に否定し、僕の入試結果だけで判断したと断言している。


けれど、周囲と比べて豊かな我が家は、そうでない人達の格好の憂さ晴らしの対象となり、中傷電話や嫌がらせのメールが相次ぎ、母は外出を躊躇うようになり、父は依願退職した。


検察は、父が捜査に非常に協力的であった事、退職という責任を取った事、既に十分、社会的非難を浴びた事等を理由に、父を不起訴処分にした。


僕も、大学を辞める必要はなかったのだが、周囲の学生の自分を見る目に耐えきれず、自主退学した。


父と母は、憔悴した僕に、僕の努力を無駄にしてしまった事、最後まで僕を信じ切れていなかった事を詫び、今の家を売って、母の田舎に引っ越す事を告げた。


僕はその時、彼らに明確な意思表示をせず、ただ、少し考えさせてと口にしただけだった。


先生に会いたい。


僕はその時、家庭教師をして貰った先生に会いたいと、そう考えていた。


色々と、相談に乗って欲しかったのだ。


勉強と共に、世間知らずな僕に、様々な事を教えてくれた先生。


実際に会って、話を聴いて欲しかった。


残しておいた連絡先に、恐る恐る電話をいれると、会う事はできたが、その場所には意外な所を指定された。


病院である。


先生は、・・入院していた。


どうやら大分前からガンを患っていたらしく、年に一度くらい、治療で2週間程入院しているという。


以前勤めていた会社も治療のために辞め、それで、家庭教師を始めたのだそうだ。


最初は余命1年と言われたが、今は医学も進歩して、化学療法が大分よく効いているので、それ程無理しなければ、そんなに心配せずとも良いらしい。


僕はそんな先生に、合格後の事をポツポツと話出し、彼は静かにそれを聴いてくれた。


『それで君はどうしたい?』


話し終えた時、先生はそう尋ねてきた。


僕はその時弱っていたので、無意識に先生に答えを求めていたのかもしれないが、先生は、あくまでも僕の人生だからと、その大事な決断に口を挟む事はしなかった。


ただ、もう答えは決まっているんじゃないか、そんな顔をしただけだ。


僕の想いは、本当はしっかりとその胸の内にあり、誰かに背中を押して欲しかっただけなのだろう。


医者になる。


その考えは、あの騒ぎの中でさえ、揺るがなかったのだから。


僕が医者になろうと決意した理由、それは凄く単純で、ただ、カッコ良かったからだ。


中学の終わりに付き合い始めた当時の彼女の父親が、事故で大怪我をして病院に運ばれた際、偶々二人でデートをしていた僕らは、彼女の母親からの連絡で、急遽その病院に向かう事になり、僕は成り行きで彼女に一緒に付いて行った。


そこで、担架に乗せられながら、集中治療室に運ばれる彼女の父を共に見送りながら、その母親と話す主治医らしき人物に目が留まった。


まだ40代くらいだが、力強く話し、数名のスタッフを引き連れて自信を持って手術室に向かう姿が、僕の目には、凄くカッコ良く映ったのだ。


漠然とした憧れだけでは、何時かその夢を見失ってしまう。


先生に出会う前の僕は、正にそんな感じだった。


それが、先生の指導の下、期待に応えようと努力を惜しまず、懸命に勉強した事で、その輪郭がより鮮明になって甦ってきたのだ。


あまり長居をすると先生のお身体に障るので、話を聴いて貰った後は、お礼を述べて早々にお暇する。


家に帰ると直ぐ、両親に告げた。


『この地に残って、来年また、別の大学の医学部を受験する』と。


父も母も、反対はしなかった。


今の家を売ったお金の一部で、少し離れた場所にちんまりとしたマンションを借りてくれ、生活費と学費も出してくれるとも言ってくれた。


家の売却を待たずに二人は引っ越し、僕は一人残ってまた勉強に励む。


翌年、また無事に合格を果たした僕には、1つだけ、心に抱える蟠りがありはしたが、その後の6年間を、自分なりに頑張って過ごした。


国家試験に無事合格した僕の下に、一通の黒い封筒が届いたのは、大学系列の病院に進むかどうか、本気で悩んでいた時。


あまり表立ってはなかったが、同じ大学の学生の中にも、やはりあの出来事を覚えている者は居て、時々変な目で見られていた。


封筒の中から出てきた書類に記載されていた勤務地は、ここから遥か遠いアフリカの地。


大学病院を蹴り、僻地で職に就こうとも考えていた僕には、正に、うってつけの場所だった。


何より、封筒の送り主は、あの御剣グループだ。


今では学生のほとんどが、そこでの職を希望するとも言われている、世界最大の企業グループ。


そんな彼らが、何故僕に白羽の矢を立てたのかは分らないが、僕は直ぐに返事を書き、マンションを引き払ってパスポートを持参し、飛行機に飛び乗るのだった。



 俺が彼とゆっくり話をしたのは、何時だったか、彼が介護病棟のお年寄り達を、ぼんやりと窓越しに眺めていた時が最初だ。


日本に居るはずの、彼の両親の事でも考えているのかと、ちょっと世間話序でに話をしてみたくなったのだ。


当然俺は、彼の父親の件を知っている。


俺を通さずに、グループが勝手に採用して送り込んでくる人物には、彼らが独自に調査した、詳細な報告書が添えられているからだ。


俺は変に彼を警戒させないように、何でもない風を装いながら、のんびりと口を開いた。


「親御さんの事でも思い出しているのか?」


いきなり話しかけられて驚いた彼は、その相手が俺である事が分ると、軽く会釈した。


曲がりなりにも俺はこのセンターの所長、実質的なトップだ(本当は江戸川さんかな)。


ここの運営に関して、予算と警備面以外のあらゆる権限を持っている。


予算はグループが勝手に作成して、その分を振り込んでくるからな。


これに関しては、こちらは事後報告と領収書等の提出だけだ。


「・・ええ。

今頃どうしてるかなって、少し」


「君がここに来て、もう3か月くらいか。

ご両親とは、連絡を取っていないのか?」


「ええ。

ご存じだと思いますが、あの件があった後、一人暮らしを始めてからは、ほとんど連絡らしい事をしていません。

ここに来る時も、メールで簡単に知らせただけです」


「不躾な質問だが、ご両親を恨んでいるのか?」


「恨んではいません。

ただ、ちょっとだけ、がっかりしたんです。

僕を信じていなかったのかな・・って」


「・・そこに座ろう。

少し、俺の話を聴いてくれないか?」


そう言って、日当たりの良い長椅子を指し示す。


共に並んで腰かけながら、俺はなるべく感情を込めないように気を付けながら、話し出した。


「世の中には、色んな人がいるが、俺は基本的に性善説を採らない。

人が皆善人であるのは、せいぜい4歳くらいまでで、それ以降は、育った環境や養育した親、保護者などの質によって、どうとでも変わるものだと思っている。

付き合う友人のレベルにもよるかな。

・・君がここに来る前、その報告書を読ませて貰い、実際に君と少し仕事をしてきたが、君は悪い人間ではない。

ちゃんと礼儀を弁えてるし、仕事振りも丁寧だ。

患者への接し方からして、人への敬意も備えている。

だから、俺は君のご両親も、悪い人達ではないと考える。

もし彼らがまともな人間でないなら、その子供は、君のような若者には育たないだろうから。

・・酷い親から素直な子が育つのは、せいぜい漫画の中くらいだよ。

大抵は、何処かが歪んだり、欠けたりしている。

人に必要なものを、親から与えられてこなかったのだから、それは仕方のない事でもある。

例外があるとすれば、それこそ親に代わる存在の支えがあった場合だな。

・・俺ももう直ぐ父親になるが、親というものは、子供ができた時、大体は喜ぶものだと思う。

中には純粋に喜ばない奴もいるみたいだが(エロゲにいる、劣等感からくる自己満足だけの奴とかな)、愛する人との結晶だし、己が果たせなかった夢や意志を、託せるかもしれない存在なのだから。

産んだ以上、親が子を育てる義務があるのは、法律を俟つまでもないが、でもそれは、一体何時までなんだろうな?

義務教育が終わるまで?

それとも18歳になるまで?

まさか親が死ぬまでとは言わないよな?

以前、引籠りのニートの言い分を新聞で読んだ事があるけどさ、彼は、自分が受験に失敗したのも、就職できなかったのも、資格試験に受からなかったのも、全部親のせいにしていた訳よ。

親からの期待が重過ぎた、親に使えるコネがない、親が試験勉強のための金を出してくれない。

正直、『おいおいおい』と呆れたくなった。

緊急避難じゃあるまいし、それしか道がなかった訳じゃない。

彼の言い分は、安易に逃げ道を選ばず、同じような境遇を、歯を食いしばって懸命に耐えている人達にも失礼だ。

よく犯罪者の事を、『彼がそうしてしまった理由を、もっと理解してやらねば』なんて庇う人がいるけど、俺に言わせれば、それは『そういう立場に居る人は、遠からず罪を犯す危険性が高い』と言っているようにしか聞こえない。

自分から助けを求めてこない、自らの想いを陸に伝えもしない者の事を、何で俺達がわざわざそこまで入り込んで理解してやる必要がある?

真に考えてやるべきは、何の落ち度もないのに被害を受けた、物言わぬ彼らの方だろうに。

受験なんて、普段からきちんと勉強してれば、最低でも、偏差値50程度の大学には入れる。

それを3年の半ばくらいまで遊んでて、仮令部活をやってたとしても、それは自分が選んだ事だろう。

好きな事をしながら、更に良い大学にも行きたいなら、その分余計に努力するのは当たり前だ。

正社員になれるかどうかは、運の要素も強いが、これもそれまでのほほんと過ごしてきて、就職活動だけで何とかしようなんて考えている方が悪い。

会社だって、金を払って人を何十年も雇い続けるのだから、少しでも優秀な人材を求めるし、面接の仕方や履歴書の書き方なんかでどうにかしようなんて思ってるなら落ちて当然だろう。

高校までの学費を出し終えた親に、大学や資格試験の費用まで、さも当然のように求めるのもどうかしてる。

親が自分から出してくれると言うのなら、感謝しながら有難く受け取るのは良いが、自分達の老後のための蓄えすら足りない彼らに、『親が出すのは当たり前だろ』なんて言ってる奴は、どうせ受けても受からんよ。

金が無いなら、本当にそれを望むなら、最悪自分で稼ぎながら行けば良い。

その努力が嫌なら、所詮はその程度、他の道を歩めば良いんだ。

稼いでる時間が勿体無い?

そういう事を言う奴に限って、普段は無駄な時間ばかり使っているものさ。

親がこうだ、親がなんだと言うのなら、自分は一体何の努力をしてきた?

親に自分を分って貰うための努力をしてきたのか?

親だからって、子供の全てが分る訳ではないんだ。

言葉で、態度で、誠実に伝えようとしないなら、伝わらない事だって多いんだよ。

親の方だって、『お前は自分達を分ってない』、きっと、そう言いたいだろうよ。

・・おっと済まん、これは君の事じゃないぞ。

あくまでその引籠りの言い分に対する、俺の意見だ。

両親から多大な愛情を受けて、それに態度で感謝を示してきた俺としては、一言彼に言いたかった訳よ。

『一言じゃない』、というツッコミはなしな。

で、ここからが本番だ。

君はご両親が自分を信じてなかったんじゃないかと疑ってるみたいだが、もしそうなら、彼らは君に大金を費やしたりはしないと思うぞ?

大学の学費はもとより、予備校や家庭教師なんかの費用も、何年も払えば決して馬鹿にはならないだろう?

幾ら金持ちだからって、趣味でもないのに無駄だと思う事に何百万もの金を出さないと思うよ?

彼らはきっと、君の合格を信じていたのさ。

ただちょっと、心配し過ぎて魔が差しただけ。

俺はそう思うな。

だって君、2浪もしたんだろう?

多少は親が心配しても仕方がないじゃないか。

それにな、失ったものは、父親の方が遥かに大きい。

事務次官と言えば官僚のトップだ。

それを自ら辞めねばならず、不起訴になったとはいえ、罪を認めた彼は、その事を忘れない人達から、ずっと後ろ指を指されかねない。

そんなリスクを冒したのは、みんな君の為なんだぞ!

そこまでしてくれた親を信じずにいてどうする?

彼がそうしたのは、息子を良い大学に入れて周囲に自慢するという、己の自己満足の為じゃないんだろう?

君があの時すべきだった事は、大学を辞める事じゃなくて、自分の力で合格したんだと、周囲に認めさせるための努力だったんじゃないかな。

当時の君の苦しみを知らない俺が言うのもおこがましいが、それまでの彼を思い出してみれば良いんじゃないか?

君の父親は、君にとって、一体どんな人だった?」


隅田さんの話を聴いて、これまでの事を思い出してみる。


小学校では野球をしてたっけ。


打順は7番で、打率が2割しかない僕に、父はいつもホームランを期待して、一生懸命応援してくれた。


当然、打てない事の方が断然多いのに、父は毎回、僕の打順になる度に、『今度は打てるぞ!』と言って、大きな声でホームランを期待してくれた。


そんな父を、周囲の人は少し笑って見ていたな。


僕は、父の期待に応えるべく、毎日素振りの練習をしていたであろうか?


血豆ができるまで、バットを振っただろうか?


それすらしないで、もし父が僕を応援してくれなかったら、どうせ期待されてないからと、拗ねたんじゃないか?


中学受験を乗り越えられたのも、両親の力が大きかったな。


父は仕事が忙しいのに、同じような受験を抱えた子供を持つ同僚の人達から、色々と情報を集めてくれ、良い参考書があると聞けば、ネットにない物は、わざわざ書店を何軒も回って買ってきてくれた。


母も家事の傍ら、塾の送り迎えだけじゃなく、毎日夜食を作ってくれて、自分の事しか見えなかった僕が陸にお礼も言わなかったのに、ずっと笑顔で励ましてくれた。


高校ではどうだった?


進路指導では、いつも担任から、現状ではそこは無理だと言われてたはずだ。


でも両親は、僕が頑張ってるからと、いつも担任に抵抗してくれてたよな?


その期待を裏切り続け、家庭教師の先生に出会うまで、陸な成果を示せなかったのは僕の方だろう?


結果も出せず、かといってきちんと自分の思いや考えも伝えずにいた僕に、彼らを非難する資格はあるのだろうか。


以前付き合っていた彼女に言われた言葉が、不意に頭に浮かんでくる。


『恋愛って、感情以上にお互いの約束と信頼の上に成り立つものだと思うの。その信頼を保つためには、一方通行の関係では駄目なのよ』


スマホのゲームに夢中になり、デート中もやっていて、話しかけてくる彼女の言葉に真摯に向き合わなかった僕に対する、別れの言葉だ。


・・どうして今まで気付かなかったんだろう?


父のやった事は、その立場を考えれば決して褒められる事ではないが、少なくとも僕の為にとしてくれた事だ。


お礼を言う事ではないが、『余計な事を』と一方的に非難する資格は、僕には無い。


仕事に熱意を持って、懸命に働いていた父の背中は、真っ直ぐで大きかった。


それが、仕事を追われ、家で中傷に耐えていた事で、可哀想なくらい、丸く縮んでいた。


その結果を引き起こした原因は、僕への愛情だろう?


・・・父に手紙を書こう。


電話では、今のこの感情を上手く伝える事ができない。


手紙で、じっくり気持ちを落ち着けて、父に、母に、感謝の言葉を送ろう。


自分の中で、今まで蟠っていた想いが、奇麗に消えていく。


そんな僕を、隅田さんは穏やかに見つめていた。



 『もう大丈夫みたいだな』


彼の顔を見て、俺はそう思う。


相手がどうしようもない奴なら、無理に関係を保つ必要はないが、彼のご両親はそうではない。


報告書によると、田舎で静かに暮らしているそうだ。


彼らを昔から知る、近所の住人にでも聞いたのか、以前と違って、あまり笑わなくなったとも記載されている。


笑いは心の栄養だ。


この時間が、彼らがそれを取り戻すきっかけになる事を祈りつつ、手間を取らせた事を高遠君に詫びて、腰を上げる。


長い病棟の廊下を、静かに歩いて行く俺を見かけて、いつものように、患者の子供達が、嬉しそうに声をかけてくるのであった。



 それから暫くして、高遠氏の両親の下に、一通の手紙が届く。


遠く海を渡って届けられたその手紙は、こう書き始められていた。


『前略

お元気ですか?

こちらは相変わらず暑いです。

今度の長期休暇に、そちらにお邪魔しても良いですか?

話したい事、謝りたい事、伝えたい事が、本当に沢山あるんです』



  斎藤看護師(男性、30歳)の場合


現在の日本の看護界では珍しく、男性でありながら介護ではなく看護への道を歩んだ彼は、その熱い理想とは裏腹に、様々な偏見と闘い、分厚い慣習の壁を乗り越えねばならなかった。


医学部を受験するには偏差値もお金も足りなかった彼は、医療に携わる道を諦めない代わりに、ある種のプライドを捨てねばならない。


大学の看護学部では、多くの女性に混じって、周囲の奇異の視線に耐えながら実習をこなす。


口さがない者達からは、『単に女の裸を堂々と見たいだけじゃねえの?』などと、陰口を叩かれる。


晴れて看護師になってからも、働く場所は限られていて、あまり女性患者の多い科には配属されなかった。


激務の割に、経験が浅い内はそれ程給料が良い訳でもなく、当初の熱意を失いかけていた。


そんな彼の下に、ある日一通の黒い封筒が届く。


かの御剣グループからのお誘いに、半信半疑で海を渡る決意をする彼。


以下は、そんな彼の、看護師として歩んできた、ここ数年の軌跡である。



 俺は小さな子供の頃から、看護師として働く母の姿を見て育った。


高齢出産を経て、夫と離婚し、女手一つで俺を育ててくれた母は、いつも忙しそうに働いていたが、この職に就いていて本当に良かったと、口癖のように言っていた。


人の命に係わる仕事に、不景気などない。


社会が高齢化していき、人が病院との関係を深めれば深める程、医療に従事する者の需要は増える。


大学病院等の大病院でなくとも、地域の有能な開業医の下には、日々沢山の患者が押し寄せる。


それを支える看護師だって、引っ張り凧なのだ。


子供の頃、病気になると、母の勤める個人病院にお世話になったが、患者が多くて本来なら2時間待ちとかの状況の中、母の伝手で行くと直ぐに診て貰え、御負けに薬代まで只だった。


母は看護師が三人くらいの病院の婦長だったが、国立の看護学校を優秀な成績で卒業し、同期は皆、大病院の総婦長なんかになっていく人達だったから、それなりの給料しか出せない地域の個人病院なんかでは、母を繫ぎ止めるため、様々な便宜を図ってくれた。


しかも、それまで国立や日赤なんかで共に仕事をしてきた若い研修医達が、ある程度の歳になってくると、各地の大病院で名医として活躍し出すので、母が働いている病院の内科に限らず、他の病院の外科や皮膚科なんかでも伝手ができて、やはり他の人と比べて恩恵を受ける事が多かった。


更にその恩恵は病院だけに止まらず、小学校や中学校なんかでも、俺の立場を若干押し上げてくれた。


近隣に大病院がない田舎町では、地元民が頼りにする医者は、その地域の名士でもある。


お金だけでなく、色々な所に影響力を持っている。


日々の授業に穴を開ける事ができない学校の教師達も、その例外ではない。


彼ら(彼女ら)は、自分や家族が病気になると、朝早い時間に俺の家に電話をかけてきて、少しでも病院の待ち時間を減らしてくれるよう、母に頼んでいた。


そのせいか、流石に内申書の数字までは無理だったが、学校生活という点においては、俺を気にかけてくれる教師が多かったのは事実だ。


俺は子供心に、『医者って凄いんだな』と、少し憧れていた。


残念な事に、俺には医学部に合格できるような頭はなかった。


勿論、生活に少し余裕があるだけの母子家庭である我が家に、頭以外で入れる程のお金はなく、かといって、景気に左右されない医療関係の職を諦めきれなかった俺は、思い切って、母と同じ看護の道を選んだ。


だが、喜んでくれると思った母は、意外にも、少し複雑な顔をした。


母の時代は、看護婦という以前の言葉が示す通り、その職は女性のものだった。


アンリとナイチンゲールに代表されるように、医師は男性で看護師は女性。


それが当たり前だった。


それでも医師の方は、20世紀の初頭辺りから、周囲の無理解と闘いながら道を切り開いた先達の努力が実を結び、入試における不利益は別として、今では普通に女性でもなれる。


だが看護師の方は、呼び名を言い換えただけで、相変わらず女性の比率が極めて高い。


俺の通った学校でも、男は俺一人だけだった。


母も、これまで男性の看護師を見た事がないと言う。


そんな状況であったから、俺が相談した時、お勧めしないとまで言われたが、最終的には俺の人生だからと、消極的にではあるが、応援してくれた。


俺も、我が国の憲法は男女平等を謳い、能力さえ有れば、職業選択の自由も有るのだからと、少し楽観視していたのだ。


実際に、病院という場所で働くまでは。


俺だって一応考えてはいた。


男性という立場では、田舎の閉鎖的な個人病院では働けない、というか、雇っては貰えない。


幾ら人手が足りない職種といえど、病院だって客商売なのだ。


患者から敬遠されるようでは、経営が成り立たない。


だから、わざわざ都会まで出てきて、慣れない独り暮らしをしながら、大病院での勤務に就いたのだ。


最初は、敢えて気のせいだと考える事にしていた。


女性患者が診察室に入って来ると、医師の側に控える俺を見て、ぎょっとしたような顔をする。


特に胸やふくらはぎより上の下半身を見せねばならない女性患者には、まず良い顔をされない。


例外なのは、60を過ぎたお年寄りくらいだ。


医師が男性でも、それはある程度は納得しているのか、表情を変えない女性患者も、看護師が男性なのは認められないらしい。


暫くすると、俺は診察室ではなく入院病棟で、主に高齢者相手の看護ばかりを担当する事になった。


それも看護師としての大事な仕事であるから、精一杯頑張ってきたが、真夜中だろうが時間に関係なくナースコールで頻繁に呼ばれたり(休憩の仮眠中でも飛び起きて駆けつけると、単に話し相手が欲しかったなんて言われる)、転落防止のために彼らの医療ベットは低いので(予算の関係で、電動式のベットを全部は備えられない)、毎日何度も彼らを抱き起していると、その内に腰を痛め出した。


国や自治体が医療費への補助を減らしつつある中、更に一定以下の子供の医療費まで只にしようなんていう政策まで議論され出して、その皺寄せを受けるのは、ほとんどの場合、俺達病院勤務者だ。


今時の病院は、セレブ相手の個人病院でもない限り、何処も経営が苦しい。


新たな削減策が議論され、実行に移されれば、病院は、スタッフの勤務時間や人数を減らすなどして対応せざるを得ない。


その結果、一人の人間が短時間に担当しなければならない患者の人数が増え、益々俺達は疲弊していく。


多くの場合、食事する時間すら満足に取れない。


『犠牲なき献身こそ真の奉仕』


クリミアの天使と呼ばれた、かの偉大なご婦人も、そう述べている。


一部の者のみの自己犠牲ばかりに頼るような経営は、決して長続きしない。


時々その医療費さえ払わずに逃げる者もいるから、なおさら怒りが収まらない。


建前に五月蠅いこの国は、何処其処の国のように、医療費を滞納し続ける患者を、道端に捨ててはこれない。


困るのは、お金を払って貰えず、サービスばかり要求される俺達だって同じはずなのに。


『只より高いものはない』


この言葉は、ある意味で、今のこの国が駄目になっていく理由を説明している。


人は無料で手に入るものに、重きを置かない傾向にある。


女性がこぞって憧れるようなハイブランドも、一般の人では中々手に入れられないから、仮令その良さが分らなくても、それを持っているというだけで優越感をそそられるのだ。


誰でもほいほい持てる物なら、増してやそれが只で皆に与えられるような物なら、ハイブランドといえど、見向きもしなくなる人は多いだろう。


高度成長期の入り口、人はまだ珍しかった三種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)に憧れ、それを手に入れるために必死に働いた。


それが経済を押し上げ、人の購買意欲を更に高めるという好循環を生む。


値段が高いから(自分へのご褒美や贈り物に箔が付く)、他の人には買えないから(優越感)、中々手に入らないから(コレクション意欲などを刺激する)。


人が高価なものを買う理由は様々だが、その根底にあるのは、好き嫌いは別として、値段が高ければ良いものである、若しくはそれを入手するのが難しいという気持ちだろう。


それが物やサービスに、ある程度の敬意を持たせているのは否めない。


どんなに良い物でも、どんなに良い仕事をしても、それに値段がなければ、必要以上に安ければ、やがては軽んじられていく。


保育園だって無料になれば、それまで我慢していた人や、入れる必要のない人達まで、只だからとサービスを使い始める。


それは結果的には、そのサービスを本当に必要とする者達の、利用できる可能性を更に狭めるという事に他ならない。


自治体からの十分な補填もないまま、病院にかかる費用だけが安くなれば、病院自体から医師の数が減り、かかれる科もどんどん限定されていくのだ。


料金の安さが、かえって自分達の首を絞める。


これは、そういう事だ。


誰かが得をすれば、大体は、その裏で他の誰かが損をしている。


人間関係だって、商売だって、どちらかが大幅に不利益を被る状態では、そこに特別な感情が介入していない限り、破綻するのは目に見えている。


給料日、振り込まれた給与の額を目にする度に、俺の労力はこんなものなのかと心が重くなる。


これでも介護職よりはずっと良いのだから、彼らも大変だ。


下を見て己を納得させるやり方は、あまり好きではないのだが。


荒みだした俺の心は、仕事以外でも少しずつその姿を現した。


ある時は、ちょっと洒落た店で商品を買う際に。


狭い場所に先客がひしめいていたので、直ぐ後ろで空くのを待っていたら、中々どかない前の女性客が、まるで俺を変質者を見るような目で睨んできた。


『ふざけんなよ!お前が何時までもどかないから、俺がここで待たされてんじゃないか。鏡見た事ないのか?お前の顔は、痴漢を気にするようなレベルかよ!?』


思わずそう叫びたくなる。


「俺もその商品を買いたいので、ここで待ってるんですが、邪魔な貴女を押しのけてでも、さっさと品物を取って、この場を離れろとでも?」


こいつも俺が男性だから、そういう目で見んのかよ。


余程怒りが顔に出ていたのか、その女性は慌てて去って行った。


またある時は、お気に入りの本を探しに書店に行った時。


その本があるはずの書棚の前で、やはり女性が二人で立ち読みをしていた。


小さな本を探して、女性達の後ろから書棚を隈なく見る際、邪魔な女性達を我慢していた俺に、何を勘違いしてるのか、女性の一人がわざとらしい咳払いをしてくる。


『店にとって有害なのは、お前らの方なんだよ!買う金がねえなら、別の場所へ行け!』


どいつもこいつも、男性が女性の側に居たら、そんなに可笑しいのか?


「済みませ~ん。

立ち読みが邪魔で本を探せないので、代わりに探して貰えますか?」


少し離れた場所に居た店員に向かってそう声をかけながら、その近くまで足を運んで改めて彼にそう頼み、元の場所まで戻って来ると、既に彼女達はそこに居なかった。


・・せめて読んでた本を元の所に戻していけよ。


躾のなってない彼女らに、あきれ果てる俺。


俺が自分のそんな状態に嫌気が差したのは、自宅の部屋で、一人で新聞を読んでいる時だった。


色んな人が、様々な意見を投書してくる欄で、他人を厳しく批判する意見に、何度も頷いていたのだ。


これまでなら、『そういう考え方もあるな』くらいにしか感じなかったはずなのに、何時の間にか、相手を激しく追及するその考えに賛同してしまっていた。


そっと己の頬に手を当ててみる。


今の俺、もしかしてわらってなかったか?


自分の心の荒み具合に、我ながら恐怖を感じ始めた俺の下に、一通の黒い封筒が届けられたのは、それから直ぐの事であった。



 御剣グループ。


田舎から出てきた俺でさえ知っている、超有名企業体。


今時の若い女性が、結婚相手に望む勤務先の不動の第1位である。


送り主の名前を見た時、誤配ではないかと何度も宛名を確認した。


かのグループが俺なんかに一体何の用だろうかと、中身を読んで確かめてみれば、何と転職の勧めであった。


勤務地がアフリカの某国となっている以外は、条件も破格である。


悪戯かもしれないので、念のため記載されている連絡先に問い合わせて真否を確認し、自分でもきちんと裏を取った後、それまでの病院に退職願を出して、俺は初めての飛行機に飛び乗る。


用意して貰えたビジネスクラスの席で、ぐっすり眠りながら辿り着いた先は、真新しい巨大な建物が幾つも聳える、海を臨む広大な地であった。


所長らしき人物と、その傍らに立つ美しい女性に出迎えられて、俺の第二の人生ともいうべき時間が流れ出す。


先の病院での反省点だけは忘れずに、俺は再び頑張る事にしたのであった。



 「所長、内科の方がかなり混んでいるそうなので、手が空いたら応援に来ていただきたいそうです」


俺は皮膚科で子供達を診ていた隅田所長に、そう伝える。


「分った。

高遠君にあと30分くらいで行けると伝えてくれ」


「はい」


速やかにその旨を伝えに戻る。


俺がここで働き始めて早4か月。


先ず初めに驚いたのは、患者の異性スタッフに向ける、その目である。


俺が普通に診療の場に立ち会っていても、誰も奇異の視線を向けない。


このセンターは、今の所かなりの人手不足でもあるので、一人の人間が、様々な場所を移動しながら勤務する。


斯く言う俺も、内科、皮膚科、小児科、外科と、1日の内にかなりの距離を動き回る。


日本の病院のように、1か所に腰を落ち着けて診るという事がない。


こんな巨大な医療センターに、まだ三人しか医師がいないなんて信じられないが、ここには大して酷くもない患者は来ないので、それでも何とかやっていける。


以前その事を遠回しに所長に尋ねたら、『その内送ると言いながら、何時まで経っても送ってこないんだよ、御剣の奴。あいつ、マジで俺の過労死を狙ってやがるんだ』と、珍しく愚痴られた。


他の人にはいつも親切で、笑顔を絶やさない方だけに、少し驚いた記憶がある。


その後、彼の奥様である美久さんが、『あの人、御剣様だけにはああだから、あまり気にしないでね』と笑って言って下さったっけ。


俺がこの地に来た理由の1つは、正直に言えば、未だ発展の最中さなかにあるこの国では、日本ほど人権だプライバシーだと言われないだろうと考えたからだ。


ある意味それは正解なのかもしれないが、本当の理由は実は別の所にあった。


患者が初めてこのセンターを利用する際、カルテ作りと称して、入念なアンケートに答えて貰う。


その中身には、アレルギーの有無や、これまでの病歴等は勿論のこと、宗教的制約やトラウマなんかも入っていて、どうしても異性の医師らに診て貰いたくない人には、ある程度の利用制限が課されている。


ここにも女性の医師が一人いるが、まだ若く、経験も浅いため、対応できる科が限られる。


具体的には、外科関連と産婦人科に対応できない。


これに対応できる医師は、今の所、所長ただ一人だけだ。


高遠先生も、現在必死に外科手術を学んでいるが、今はまだ助手止まりである。


そもそも、一人の医師が複数の科を掛け持ちできる事の方が尋常ではないのだが、うちの所長は、ほぼ全ての科の、基礎知識以上のものを備えている。


ご専門は遺伝子治療だそうだが、産婦人科と外科関連、皮膚科にも、かなり造詣が深い。


特に産婦人科は、奥様を他人に診せたくないとの理由で、かなり猛勉強なされたらしい。


ここには何と3Dの手術シュミレーションルームまであるから、実際の手術さながらに訓練できるのだ。


そして、男性を忌避する患者で、うちの女性医師にも対応できなければ、その人には申し訳ないが、紹介状を持たせて他の病院に行って貰う。


人手が足りない中、無用なトラブルを避けるため、ご理解いただいているようだ。


まあ、うちより優れた病院など、この国を含め、周辺国にさえないという事だから、ほとんどの患者が異を唱えない。


そうした事前の処置により、肉体疲労以外に、精神まで削られるという事がないのは嬉しい限りだ。


忙しいとは言いつつ、所長以外にはちゃんと週1日以上の休暇があるし(暇な時期は2日貰える)、給料だって以前の5割増しだ。


その上、福利厚生が大変充実しているので(下着を含めた無料のランドリーサービスや、マッサージや鍼治療といったアフターケア等)、仕事の疲れを翌日に持ち越す事が少ない。


食事だって日替わりのものなら3食無料でセンター内で食べられるから、手間いらずだ。


お陰で、気持ちに随分余裕ができて、日本に居た頃よりずっと、人に対して優しくなれた。



 斎藤看護師に関する資料を事前に読んでいた俺は、一応は注意して彼を見ていたが、あまり心配はしていなかった。


彼の心を苦しめた原因は、ここではほとんど存在しないからだ。


人権、殊にプライバシー権や最近煩くなってきたハラスメントといったものは、文明が栄え、人が我が儘になった国でしか、問題にならない。


日々を生き抜く事で精一杯の国や地域では、言葉は悪いが、そんな事は二の次なのだ。


アフリカの貧しい国を転々としながら、俺はその事を十分に理解した。


医師に裸を見られるのが嫌だとか、触られたくない、そんな事までされたくないなんて思っている者から、順に死んでいく。


病院に限らずとも、仕事先では雇い主に逆らえる事はあまりないし(法がきちんと機能していないから、給料さえ貰えず、直ぐクビになる)、場所によっては人の命は100ドルよりも安いから、簡単に殺される。


成果主義が行き過ぎ、職場での人間関係が歪になって、それに不景気によるリストラが輪を掛けたとはいえ、職場で語られるようなハラスメントは、アフリカの貧しい国々に暮らす人達から見れば、まだまだ大した問題ではない。


先進国でそれが問題視されるのは、肥大化した人権感覚と、抱えるものが増え過ぎ、身の丈や能力を超えた生活レベルを求める者達が、法律という枷に縛られ、自由な営利活動のできない企業と不必要な闘いをしているからに他ならない。


会社の経営が危ういなど、正当な理由があれば、一定数の社員を簡単に解雇できるようにする代わりに、学生のアルバイト以外、雇用形態を正規雇用のみに限定すれば、無意味なパワハラは激減するだろうし、解雇された人の次の職探しもかなり楽になる。


解雇要件が緩和されるという事は、景気や業績が回復した企業が、再び募集をし易くなる事を意味する。


ハローワークで困難なのは、正社員としての職探しであり、その他、収入や条件等は、自らがこれまで過ごしてきた時間の価値により、上下するのは仕方がない事だ。


求められるスキルが無いなら、自己が就ける仕事をするしかない。


原始より、生きるという事は、ある意味参加が自由な競争と闘いなのだから。


争いや労力を好まないなら、時代によって変化する国の施策に、翻弄される立場を甘受すれば済む。


ある日の夜、食堂で夕食を取る彼を見かけ、少しコミュニケーションを取ろうと近寄る。


「ここ良いかな?」


彼の対面の席に自分のトレーを置き、念のためそう尋ねる(因みにこの食堂のテーブルは幅が広く、俺でも会話しながらの食事が気にならない)。


「勿論です所長。

今日もお疲れ様です」


箸を置き、立ち上がって答える彼。


「どうだい?

ここにはもう慣れたかな?」


身振りで彼に座るように示して、自分も席に着く。


「はい。

お陰様で、言葉以外は何とか。

それも、お貸しいただいている翻訳機で、大分助かってます」


「1、2年もすれば、片言は話せるようになるさ。

患者の目を見て、何を伝えたいのか注意してやる事さえ怠らなければね。

・・生活面での不満はないかい?」


「それも、今はほとんどありません。

食事も本当に美味しいし、鍼治療が無料で受けられるせいで、痛めていた腰もかなり良くなりました。

欲を言えば、女性との出会いが限られるという事くらいですかね」


冗談を言うようにお道化ながら、最後にそう付け足す彼。


「これからもどんどん人材が入ってくる予定だから、そこで素敵な人に出会う事を祈っているよ」


日本での経験から、女性をあまり良く思っていないのではと少し懸念していただけに、彼がそう言うのに興味を持って、多少突っ込んだ質問をしてみる。


「もし気に障ったなら済まない。

君は男性の看護師という事で、日本では結構辛い目に遭ってきたと報告書で読んだ。

少なからず、偏見や差別とも闘う必要があっただろう。

なのでてっきり女性に良いイメージを持っていないとばかり思っていたんだが、違うのかい?」


その言葉を聴いた彼は、少し間を置いて、慎重に答えた。


「・・そうですね。

ここへ来るまでは、確かにそうでした。

半分八つ当たりのようなものでしたが、あの頃の私は、日々削られていく心を守るため、向けられる悪意に対して攻撃的になるしかなかったんです。

今思えば、余裕がなかったんですね。

・・ここへ来て、改めて考えてみたんです。

俺にも人権がある。

男女平等だ、差別だ、偏見だと喚いたところで、相手がいる事では、その相手にも同様な権利や考えがある。

心は女性だから女子大に入りたい。

女子と同じ女湯に入りたい。

そう考える、外見が男性の人がいたとして、その人が、自分がそこに入れないのは差別だから、入れろと強要する事は、全面的に正しい事なのでしょうか?

もしかしたら、過去に何らかのトラウマを負って、女子しか居ない場所にわざわざ来た人だっているかもしれない。

男性の姿や裸を見ただけで、恐怖を感じる人もいるかもしれない。

幾らその人が心は女性だと主張しても、それを知らない相手側から見れば、只の男性にしか見えず、恐怖や嫌悪感を抱くでしょう。

仮に知っていたとしても、男性器を切除するなりして相手の不安や恐怖を和らげる処置をしていなければ、その人達に我慢しろとまで言うのは、酷なような気がします。

大学なら、共学に通えば済むでしょう。

何故今になって、敢えて女子大に行きたいのか。

それまでだって、学校には通えたはずです。

お風呂やトイレだって、無条件にそれを認めれば、愉快犯や性犯罪者との区別がつきにくく、不幸な被害が生まれる可能性だってある。

その人が本当に心が女性であるという、学者や医師の診断書は、首からぶら下げてでもない限り、他の人には分らないのだから。

・・私は、きっと意地になってたんですね。

あまりに偏見や差別の視線に晒され過ぎたから、自分の権利を振り回すだけで、相手の事を何一つ考えなかった。

努力だけではどうする事もできない事はありますが、私はその努力さえ怠った。

ここで働き始めて、言葉があまり通じない相手に、一体どうしたら分って貰えるかを試行錯誤していたら、その事に気付けたんです。

今はもう、以前のような思い込みはないです。

素敵な女性を見れば心がときめくし、自分の側にも、そんな人に居て欲しいと感じます」


少し冷めてしまった料理を照れ隠しのように抓み出しながら、彼は穏やかにそう締め括った。


「・・そうか。

医は仁術とも言われるが、その職に携わる者だって人間だ。

自己犠牲の奉仕ばかりでは、やがては熱意も意欲も失って、心も荒むのは仕方がない事だと思う。

俺は今まで御剣で働かされてきて、これだけは文句なく良かったと言える事がある。

それはな、人が互いに心に持つ垣根を取っ払った時にのみできる、深く濃い、魂の付き合いができるという事だ。

生き残るために形振なりふり構わず励む者。

多くを望まず、現状を静かに甘受する者。

選択肢の限られた世界で、小さな窓から見える別世界に、何とかして手を伸ばそうとする者。

そんな彼(彼女)らと、こちらも本音でぶつかり、想いが繋がった時にできる手助け。

仮令その金の出所は御剣でも、彼(彼女)らに手を差し伸べたという、その成長を楽しみにできるという想いは、俺にだって味わえる。

性善説を採らない俺だが、人を信用しない訳ではない。

寧ろ採らないからこそ、時々出会える本物の輝きに、素直に喜べるんだ。

・・君がそういう風に考えるようになった事は、共に働く者として頼もしい。

今後もその働きに、期待しているよ。

邪魔して悪かったね」


元々食べるのが速く、彼の話を聴きながらも手を休めなかった俺の方が先に食べ終わり、そっと席を立つ。


律儀に席を立って見送ってくれる彼も、これからがより楽しみな内の一人である。


「さて、もう一頑張りするか」


徐々に明かりが消えていくであろう街並みを、遠く窓越しに眺めながら、俺は自らの研究室へと足を運ぶのであった。



 佐藤介護士(女性、23歳)の場合


田舎の4世代という大家族の中で暮らし、幼い頃から曾祖父母や祖父母の手助けをしてきた彼女は、自宅での介護で安らかに逝く事ができた彼(女)らを見てきて、将来は介護の職に就きたいと思うようになる。


福祉系の高校に進み、卒業後に約1年の実務経験をこなした彼女は、筆記と実務両方の試験に合格し、晴れて介護福祉士の資格を得、名簿登録を済ませた。


自分を可愛がってくれた祖父母達のようなお年寄りの日常に、僅かでも安らぎと余裕を持って貰うべく働き始めた彼女は、より需要の見込める都会に出てきて、多くの挫折を味わい、この国の介護職が抱える闇に打ちのめされる。


若い内にと転職さえ考えるようになった彼女の下に、一通の黒い封筒が届いたのは、正にそんな時であった。



 曾祖父母との思い出はあまり多くはないが、お祖母ちゃん子でもあった私は、小さな頃から彼女らとよく一緒に過ごしてきた。


両親達が畑仕事で忙しい間、幼かった私は、よく祖母に面倒を見て貰っていたのだ。


一緒にテレビを見たり、本を読んで貰ったり、小学校の運動会にはお弁当を持って応援に来たりしてくれた。


親に怒られると、決まって祖父母が味方をしてくれ、後で両親からあんまり甘やかさないでと彼女らが叱られていた。


田舎で中々嫁が来ず、晩婚であった父であるから、私には兄弟姉妹がなく、一人っ子だったが、全然寂しくなかったのは、偏に彼女らのお陰だ。


だから、そんな彼女らが段々と年老いていき、次第に身体の自由が利かなくなってきても、そのお手伝いが自然とできた。


私には、単なる日常の一コマでしかなかったのだ。


幼稚園に入るくらいに曾祖父母が相次いで亡くなり、高校に入る少し前には祖父が亡くなって、一人になった祖母を介護したくて、県でも数少ない福祉系の科を持つ学校に入学した。


だが、その卒業を俟たずに祖母は亡くなり、私は一時目標を見失ったが、高3の夏休みに自由参加の講習で地元の老人ホームを訪れ、そこで祖父母達のような年齢の方々をお世話する内に、やはりこの職に就こうと決心し直す。


卒業後、地元の小さな老人ホームで実務に励み、晴れて国家試験に合格した後は、より良い給料を求めて都会に出てきた。


正直、田舎の施設で貰える額では、何時まで経っても家から出て独立できないからだ。


やってやれない事はないが、将来のための貯金など、まずできない。


結婚して、共働きならなんとかなるが、生活費のために結婚するというのは、幾ら何でも夢がなさ過ぎる。


私だってまだ十分に若い。


欲しい物もあれば、行きたい場所、したい事も沢山ある。


祖父母がいない今、働く事に目的と意欲の両方を持ちたいと思うのは、贅沢であろうか?


田舎者の若い女性故、部屋の契約などで足下を見られないよう、父に付き添われて何軒か回り、無事に職場と住む部屋を確保する。


田舎の自宅の部屋と比べると、半分の広さもない部屋だが、曲がりなりにも自分だけの城だ。


父と別れの夕食を外で済ませた後は、明日からの暮らしに夢を膨らませて、早めの床に就いた。



 忙しさの中で、あっという間に月日が過ぎて行った。


都会には、田舎にはない時の流れがある。


朝の通勤、お昼休み、入居者との時間に帰宅までの道のり。


のんびりと景色を眺めながら自転車を漕ぎ、気にするのは天気くらいだった田舎とは異なり、ここでは何もかもが慌ただしい。


スマホを見ながら人を見ないで歩く人、平気で信号を無視する車(青になって渡ろうとしても、10秒くらいは油断できない)、好き勝手に走ってくる自転車。


心に余裕がない人が多いのか、自分の事しか考えない人がかなりいる。


お陰で私は、職場に辿り着く前に、既に大分疲れている。


朝のラッシュを経験して、今度住む場所は、絶対に職場まで歩いて行ける所にしようと決めた。


お昼だってびっくりだ。


これだけお店があるのだから、何処かには入れるだろうと高を括っていたら、自分の予算で入れる場所は皆凄い混雑で、運良く座れても、隣同士と肘がくっつくくらいのスペースしかなく、御負けに手も当てないでくしゃみとかしてくるから、おじさん(若い人も結構いるね)達の唾が私のご飯に飛んできて、二度と行かなくなった。


そのせいで、只でさえ忙しいのに、お弁当を作って行く羽目になる(コンビニ弁当は、値段の割に満足感が今一つだったから)。


田舎の職場では、食後にゆっくりお茶を飲んで同僚と無駄話するくらいの余裕があったが、都会の施設ではそんなゆとりもない。


気のせいかもしれないが、食べる速度が少し速くなったと感じる。


でも、一番気になるのは、同僚であるスタッフ達の質であり、その仕事の内容だ。


国家資格を持つ私には、それを持たない初任者研修終了者、いわゆるヘルパーさん達に対する指導や助言も仕事の内に入っている。


大抵の人達は、私より何歳も何十歳も年上なのだが、誰でも受けられる研修しか受講していないため、遥かに年下の私より、身分も給料も低い。


あまり気が進まないが、仕事だからと注意をしても、主に男性スタッフには良い顔をされない事が多い。


何故なら、彼らは所謂腰かけが大半なのだ。


他に仕事が無いから、とりあえず介護の職に就いているだけで、そこにはこの仕事に対する熱意も、入居者であるお年寄りに対する敬意も、ほとんど感じられない。


そんな彼らに、身体介助、特に他人の排泄の世話が、まともにできるはずもない。


例えば、途上国から来た人なら、自国の何倍にもなる給料の点で少なくとも満足しているから、言葉に苦労はしても、それなりにしっかりと働いてくれる。


だが、豊かなこの国で甘えて育った人達は、1つきに20万という額では納得しない。


その額だって、何の資格も能力もない人が貰うのであれば然程低いとは思わないが、家族を養わねばならない既婚者ならともかく、独身の若い人でも不平を言う。


文句を言うなら資格を取って、もう1段階上へと上がれば良いのに、その手間すら惜しんで、額だけに文句を言うのは流石にどうかと思う。


勿論、熱意と敬意を併せ持った男性スタッフだっているのだが、そういう人ほど、何も言わずに静かに辞めていくのだ。


そんな状態だから、介護施設で虐待だ殺人だと紙上で賑わっていても、もう驚かなくなった。


悪いのはスタッフだけではない。


運営側である施設もかなり酷い。


資金難を理由に何時までも老朽箇所を修繕しないし、消防法等で改善を指摘された場所でさえ、そのまま放っておくのが常態化している。


下手に口出しをすると、私にまでとばっちりが来るので、心は痛むが見て見ぬ振りをする。


認知症が進んで火の扱いがきちんとできない人もいるのに、正直、気が気でない。


何より酷いと感じたのは、お金の取り扱いだ。


以前、経理の人が辞めさせられる時、愚痴っていたのを陰で聞いて呆れた。


入居者が施設に入る際、大概は支払う事になる一時金。


それは本来契約通りにしか手を付けてはいけないもので、彼らが退所する際は、その残額分をきちんと返さねばならない。


なのに、選りに選ってそこから経営陣に多額の給料を支払っていた。


辞めさせられた彼女は、その事を指摘し改善を求めたため、クビになったらしい。


時々、新聞を読んでいて目にする広告に、疑問を感じる事がある。


例えばお墓の永代供養。


最初に100万円くらい支払えば、後はずっとその建物で小さな保管場所を使用できる権利をくれるらしいが、もしその建物のキャパが一杯になったら、以後の収入は一体どうする積りなのだろう?


無人でもない限り、人件費はずっと発生するし、仮に無人でも、施設の維持費は必ずかかる。


予め受け取った額を使い切ったら、破産でもする積りなのだろうか。


それとも、虫眼鏡でも使わないと見えないような小さな文字で、何処かに『足りなくなったら追加で費用を請求致します』とでも書いてあるのだろうか。


この手の疑問には、こう反論する人がいる。


『最初に貰った資金を運用して、毎年それなりの利益を生むから大丈夫です』と。


だが考えてみて欲しい。


毎年確実に、大きく儲ける事ができたなら、きっとその人は世界でも伝説の投資家となるであろう。


それができないから、サブプライムやリーマンショックなどの余波を受けて、至る所で会社が潰れ、証券会社員が路頭に迷うのだ。


そもそも、それができるなら、お寺でもない限り、お墓の経営などしないだろうに。


話を戻すと、一時金を規定以上に取り崩し、それを自分達の給料にしている経営陣は、今後もずっと新たな入居者からそれが取れるとでも考えているのだろう。


繰り返し言うが、施設にも収容人員というものがある。


それが一杯になれば後は増えないし、仮に亡くなった人の分が空いたとしても、今度はその人の遺族に一時金の残額を返さねばならないのだから同じ事だ。


私はこの話を耳にして、ここは早々に潰れると判断し、さっさと勤務先を移る決断をした。


私が次に勤めた施設は、訪問介護が主だった。


それも、生活援助が主流で、介護士というよりは、家政婦のような仕事をさせられた。


それでも仕事である以上、頑張って働いていたのだが、何より腹が立ったのは、生活保護者の介護サービスであった。


彼(彼女)らは、働きもしないで自治体から毎月13万円近いお金を貰い、ほとんど只で介護サービスを利用して、人に家事までさせながら、自分達はお菓子を食べてテレビを見ている。


しかも、やたらと文句が多い。


自分達が貰っているお金が、一体何処から出ているのかを考えもせずに、働いてきちんと税金を納めている私達にあれこれ指図する。


病気とかで働けないならまだ良い。


だが、身体は何処も悪くないのに、仕事をしたくないとか、若い内に蓄えを全くしなかった(年金さえ払わない)とかいう極個人的でどうしようもないような理由で、かえって国民年金だけの人より良い暮らしができている。


何時だったか、長生きしたら老後の資金が2000万円必要だなんて誰かが言っていたが、もし中流未満の国民のほとんどが、最初から諦めて生活保護に頼ったら、この国は必ず破綻するだろう。


きちんと仕事をしてるのに、あまりに文句が多い生活保護の利用者に、少し小言を言ったら、『なら別の所にサービスを頼むよ?』と言われたので、『是非そうして下さい』と返事をして帰ってきたら、ここもクビになった。


『もうどうでも良いや』


仕事に対する熱意など失せ、失業保険を貰いながら暫くぶらぶらしようと考えた私の下に、ある日一通の黒い封筒が届いた。


何だろうと開けてみると、信じられないような文面が目に入る。


私の力が必要だ、今一度だけ仕事への情熱を燃やしてはみないか、そんな事が書いてある。


驚くべきはその勤務地と待遇。


遠いアフリカの地での、本来の介護士としての住み込み勤務。


給料はこれまでの5割増しで、住居費と基本的な食費は只。


年金を含めた福利厚生面も破格のものだ。


送り主の名を見て悪戯かとも考えたが、今の私にそんな事をしても誰も得をしないので、念のため、記載された連絡先にメールしてみる。


数時間後、丁寧な文面の返事と共に、個人のものらしき電話番号(フリーダイヤル等ではない)が記載されていたので、恐る恐るそこにかけてみると、若い声の女性が対応してくれた。


名を立花さんといって、何と、かの御剣グループの社長秘書らしい。


本来なら、忙しい彼女が対応するようなものではないのだが、黒い封筒の件だけは別なのだそうだ。


何でも、会長が直々に送っているという。


雲の上にいるような立場にある人が、私なんかに目を止めて、破格の条件で以って、その力を貸して欲しいとさえ言っている。


消えかけた情熱が、再びめらめらと燃え盛っていくのを感じた私は、一人海を渡る決意をする。


セレブのような座席に揺られて辿り着いたこの地は、私が骨を埋める覚悟で臨んだ場所。


人の役に立ちたいと願って職に就いた私が、人から必要とされる喜びを得られた場所となる。


さあ、これからまた頑張ろう。


都会の柵を奇麗に消し去って、初心に戻るのだ。



 「佐藤君、ちょっと来てくれ」


ここの所長である隅田先生から、仕事を始めたばかりの私に声がかかる。


折しもお昼時、広い食堂の中で、皆が交代で昼食を取っている最中であった。


「はい、何でしょう?」


食事が載ったトレーを手に、呼ばれたテーブルまで辿り着く。


「済まないが、少し話をしたいから、ここで一緒に食べてくれるかな」


所長の言葉に、私は返事をしてその対面の席に着く。


「ああ、食べながらで良いからね。

折角のお昼休みに、あまり時間を取らせないために率直に聴くが、ここでの仕事はどうだい?

何か気付いた事はあるかな?」


「え!?

はい、そうですね・・今の所、問題はないかと思われます」


いきなりそう尋ねられた私は、少し面食らって咄嗟にそう答える。


これまでに、上の人間から自分の意見を求められた経験が無いからだ。


今までは、ただ言われた事、指示された内容を忠実にこなそうとしてきたに過ぎない。


「・・君に関する報告書は読んだよ。

これまでは、納得できない事も多かったろう。

あの国には、未だ改善されない問題点が多々ある。

面倒な事は先送りする癖が染み付いてしまっている人達が、長く政治を担っているから、仕方がない事でもあるのだけどね。

・・だがね、ここに来たからには、そういった悩みとは無縁だよ。

仕事上で可笑しいと感じた事、納得いかない事があれば、忌憚なく言ってくれて良い。

それが正当なものであると判断されれば、速やかに改善させる。

尤も、その分、君達にも意識改革をして貰うけどね」


「私の方から直に言っても宜しいのですか?

私は只の介護士で、専門的な医学にはまるで疎いのですが・・」


私の顔に狼狽の色を読み取ったらしい隅田先生が、やれやれといった感じで話し出す。


「日本では、確かに介護士といえど、医師の下に就く事が多いね。

必然的に、その指示を受けるシステムができ上がり易いが、逆に言うと、我々は医師であって、介護士ではない。

医学には造詣が深くても、患者や入居者の側で世話する君達ほど、その日常生活や気持ちに寄り添う事はできないんだ。

オランダのビュートゾルフやフィンランドのラヒホイタヤという言葉を聞いた事があるかい?」


「はい、本当に言葉だけ・・。

それがどのようなものなのかは、正確には知りません」


「簡単に言うと、介護と看護の両方を扱える立場の人達、若しくはその組織の事だ。

地域によって、何処まで担えるかには差が出るが、日本のような、処置ごとに細かく役割の分担された医療や介護では、その利用者との間に信頼関係を築くのが難しい。

『私ができるのはここまで。これは他の人の仕事になります』、なんて言って頻繁に担当者が入れ替われば、患者に奉仕したい医療従事者にも、自分達をよく知る者に身を任せたい利用者にも、双方に不満が高まっていく。

これらの制度は、そうした不満を少しでも取り除き、より迅速に問題に対処するためのシステムなんだ。

ビュートゾルフには管理職が存在しない。

メンバー全員が、運営と方針に対して責任を持ち、各自が其々ケアの中身を決める権限を持った、自立したチームとして機能している。

当然、メンバー同士の情報交換や話し合いは大事になる。

あちらでは主にタブレットを使用して遣り取りをしているようだが、ここではそれに加えて、定期的に会議をして、お互いの意思を統一する積りだ。

4階の隅に、でかい会議室があるのを知ってるかい?

あそこのカンファレンスルームを使用するから、覚えておいてくれ」


「・・つまり、このセンターでもそれらを取り入れるお積りなのですよね?

私も正式な資格を得た介護士である以上、仕事の中身には全力を尽くしたいのですが、言葉の壁だけはどうしようもありません。

単語だけならお借りしている翻訳機で何とかなりますが、介護における利用者の細かな要求にまで対応できるかどうか・・。

権限を与えていただけるという事は、それに対する責任も増すという事。

言葉の問題以外に、医学的な要求に何処まで対処できるのか、正直、かなり不安です」


「君はこれまで仕事に対する不満を抱えてきたんだよね?

それは文句を言えなかったから、言っても聞き入れて貰えなかったからではないのかい?

御剣が君をここに送り込んだ以上、仕事の中身にではないはずだよね?

権限が増えれば責任が増す。

それはこの仕事に限らない。

言いたい事が言えるというのは、その言動に対して責任が持てる、自分でもそれがやれるという事に他ならない。

そうでなければそれは只の愚痴であり、中傷になってしまう。

挨拶を除けば、人と接する事に画一的な正解はない。

生まれも育ちも違う人達が抱えるもの、それが多種多様である以上、その相手と直に接する者達が体当たりで試行錯誤するしかないんだよ。

何も本格的な治療行為までしろと言ってる訳じゃない。

そのほんの入り口、お手伝いだけだ。

分らなければ聴けば良いし、善意と誠意を持って注意深くやった事であれば、もし何かあったとしても、責任はこちらで取るから心配しなくても良い。

言葉の問題だって、ドイツを例に取れば、全くドイツ語を話せない外国人労働者達が、住み込みで高齢者達の介護をしている。

研修しか受けていない彼女らの、そのサービスの質を危ぶむ声もあるが、支払える介護費用と貰える給料の額がマッチして、共に必要とされ、相手に喜ばれている。

翻訳機だってあるのだし、相手を注意深く観察する事で、そこは乗り越えて欲しい壁だな」


先生に言われた事を、頭の中で反芻する。


介護の他に要求されるものが看護なら、その2つにはかなり重なる面がある。


痰の吸引の異なる仕方や、包帯などの施術、あとはせいぜい注射くらいを学べば何とかなるかもしれない。


心臓発作や喘息の応急処置に、今や素人の手を借りる事さえあるのだから、介護士とはいえ医学を多少なりとも齧った私ができないと言うのは、頂いてる給料の額からして、確かに申し訳ない。


言葉に関しても、よく考えれば自国の利用者にだって当てはまる。


脳梗塞なんかで言語に支障を来たせば、相手の表情や仕種なんかで判断するしかないのだから。


重過失以外の責任を問われないのであれば、寧ろ積極的に学んで、利用者に喜んで貰える方が嬉しいのも事実だし。


初心に戻り、人に奉仕し、人から求められる喜びを。


そう決めてここに来たのは私の方なのだ。


危うくまた忘れる所であった自分が少し恥ずかしい。


「・・そうでした。

先生の仰る通りです。

駒のように使われる立場から、自らの意思で行動できる喜びを、久しく忘れていたのは私の方です」


まだ小さかった時、寝たきりだった曽祖父母に何かしてあげたくて、うずうずしていた私。


偶に喜んで貰えた時は、本当に嬉しかったっけ。


「そう言って貰えて助かるよ。

いきなり全てをさせたりはしないから、少しずつ、徐々に、できる事を増やしていってくれ」


先に食べ終えていた彼が、院内放送で呼ばれて席を立っていく。


このセンターの半分以上は、現状彼だけで回していると先輩に聞いたが、実際本当にお忙しそうだ。


なのに、仕事に対する文句も愚痴も、グループの会長に関するもの以外には、誰も聞いた事がないという。


日本に居た頃は、私だけがきついのだと、他が楽をしているのだと考えた事もあった。


今考えると本当に恥ずかしい。


まだ少し時間があるので、食後のコーヒーを貰って気分を落ち着ける。


知らず知らず、傲慢になっていたあの頃の自分を思い出し、苦笑いしながらそっと窓の外を眺めるのだった。



 (数か月後)


「介護病棟を利用する患者さん達の一部に、汗疹と思われる皮膚疾患が見受けられます。

多少涼しくなってきたとはいえ、まだ病室のエアコンの温度設定を上げるには、時期尚早かと感じます。

また、寝間着が大分傷んでいる方も多いです。

遠慮して言い出せない彼らの代わりに、こちらで用意する事はできないでしょうか?」


2週間に一度の会議で、佐藤介護士の積極的な発言が飛び交う。


「分った。

寝間着の件も、こちらで(御剣が)新しい物を用意しよう。

必要な人数とサイズを後で報告してくれ」


「はい。

それと、やはり患者さんの一部から、これはホスピス病棟にも共通するものだと思われますが、昔食べた懐かしい料理がもう一度食べたいとの要望が出ています。

『死ぬまでに一度で良いから、またあの味を口にしたい』と、控え目ながらも強い願望が感じられる意見です。

何とかならないでしょうか?」


「それは管理栄養士と調理師にも相談しないと答えられないな。

個人的には叶えてやりたいが、その味を再現できるかどうかは不透明だ。

念のため、グループにも問い合わせてみよう。

どの国の、どの地域で何時頃食べられる物なのか、食材や調味料は何を使うのかも詳しく調べてくれるだろう。

そこは我々では手が回らない」


ホスピス病棟のスタッフ達に視線を向け、彼らが頷くのを確認した所長がそう答える。


「分りました。

回答が得られるまでに、どのくらいの時間がかかるでしょうか?」


「1週間から10日くらいだろう。

それを基に実際に作る事を考えると、出せても2週間先が限度になるな」


「有難うございます。

考慮していただける旨、彼らにお伝えしておきます」


他にも数人の発言と、それに対する所長やスタッフらの意見を経て、今回も2時間に及ぶ会議が終わりを告げる。


毎回、終了後には甘い物が食べたくなる程、頭と気を遣うが、非常に有意義な時間なので、全然苦にならない。


食堂でケーキと珈琲を楽しんだら、今日は夜勤が待っている。


同じようにくつろぐ同僚達に軽く手を振って、私は仕事場へと向かうのだった。


「うん?

どうしたの?

何処か痛い所があるのかな?」


ここでは年長の患者さん相手と雖も、まるで子供や友人と接する時のような物言いを敢えてする。


意識がはっきりしている人であれば、こちらもきちんと敬語を用いるが、小さな子供のように話してくる相手には、寧ろこの方が喜んで貰える。


見回りに来た私に向けて、ベットの中から患者さんの一人が手を伸ばそうとする。


近寄って、その手を軽く握りながら、顔を覗き込む。


言葉が陸に話せない患者さんなので、その表情を読み取ろうと努力する。


「ああ、もしかして床ずれで痛いのかな?

ちょっと待っててね」


布団を優しくはいで、その身体を丁寧に持ち上げながら状態を確認すると、案の定、仙骨部が赤く腫れている。


ロッカーから平たいクッションを持って来て、ベットとの間に敷き、体位を横向きに変えてあげる。


安心したように再度の眠りに就く彼を見ながら、念のため、今日は2、3時間ごとに様子を見に来る事にした。


他の患者さん達の睡眠の妨げにならないよう、そっと病室から出て、廊下の窓辺から明るい満月を見上げる。


その光を遮るような街の明かりは既に疎らで、こうこうと地上を照らし出す月は、まるで人に安らぎを与える女神のようだ。


私は、初めは祖母の為、そして後に同じようなお年寄り達の安らぎとなりたくて、この道を選んだ。


だが途中で挫折し、その志も失って、あの時あの手紙が来なければ、きっと今もぶらぶらしていたと思う。


黒い封筒。


漆黒の紙でできた一見簡素に見えるそれは、グループ内では会長しか使用を許されないものであると後から聞いた。


私の運命を変えてくれたその封筒は、黒い外見とは裏腹に、光に満ちた希望を与えてくれたのだ。


それはあたかも、暗闇で踠く者達に、歩き出すべき一筋の道を示しているかのよう。


一体どんな人なのだろう。


遥か高みにあって、優しい光を放つ月。


それを見上げる夜を幾度となく過ごして、私はこれからもここで生きていく。


何時の日か、誰かの手によって、祖母たちの隣に身を置く事になるまで。



 その男は、来る日も来る日も街頭で道行く人々に訴えていた。


血液が足りない、今この時も輸血を必要とする人がいる。


採血の時間はほとんどかからない、待ち時間もない、少量の献血も可能。


大都市にも拘らず、彼の訴えに耳を傾ける者は少ない。


半日声をらしても、一人も献血に訪れない日もある。


男がこの職に就いてまだ数年だが、同僚からは、昔は良かったなんていう声をよく聞く。


一昔前までは、巷の健康ブームもあって、ラジオ体操と共に、参加してくれる人がまだかなり多かった。


それが様変わりし出したのは、ちょうどエイズウイルスの出現辺りからだ。


それまで献血手帳にスタンプが貯まるのを励みに、事後に提供されるジョ〇を飲んで通ってくれた人達が徐々に減っていき、代わりにエイズや梅毒、肝炎なんかの検査目的の人達が増えた。


事前に文書若しくは口頭で、そういう目的での献血をお断りしていても、本人に黙っていられれば、分りようがない。


事実、以後何件も献血された血液からそれらの抗体反応が出て、その度に、それら全ての廃棄を繰り返してきた。


エイズに対する偏見が、当時はかなり強かった事、またその当時はそれらの検査に保険が適用されなかった事が、心当たりのある者を、病院での検査から遠ざけていた。


更に、当時の検査技術では、かなりの漏れが発生し、かつ約2か月という長い日数を経ないとはっきりと識別できなかったため、知らぬ内にウイルスに汚染された血液を使われ、二次感染に陥る患者も大勢いた。


そういった事が、献血という行為そのものにまで、悪い印象を与えてしまった事は否めない。


途上国の中には、血液は売れるという認識がある国も存在するため、外国のかたにも、無償のボランティアに拘る日本のシステムは、あまり評判が良くないのかもしれない。


その男には、前科があった。


男は以前、外科医をしていたが、とある件で有罪判決を受け、その職を辞し、個人の病院を畳んでいる。


それは、無許可で臓器移植を行ったというもの。


本来なら、法に定められた様々な要件をクリアしなければならないが、男はそれを全て無視し、ある一人の少女に臓器を移植したのだ。


男には、嘗て一人の娘がいた。


重度の内臓疾患を患い、幼くして死別したが、その事をずっと引きずっていた男の病院に、ある日似たような病に苦しむ一人の少女が入院してきた。


そして、何という天の配剤か、その少女と適合条件が完全に一致する少年が、男の病院には入院していたのだ。


その少年は交通事故に遭い、もう1か月も入院していたが、ほとんど助かる見込みはなく、今にも死にそうな状態であった。


彼の家庭は貧しく、入院費や治療費は滞納され、無償で治療をしているような状況であった。


男は、少年の死期が間近に迫ったある日、その親を呼び、相談を持ち掛ける。


『少年が脳死状態になったら、臓器を提供してくれないか。その代わり、これまでの医療費を全て無料にする。それに、僅かだが謝礼も出そう』と。


細かい法律も知らず、金に困っていた彼の親(少年を轢いた相手は無資力で、保険にも加入していなかったため)は、その申し出に飛びついた。


また別の日、今度は少女の両親を呼んだ男は、彼らに丁寧に状況を説明した。


このままでは、彼女はあまり長くは生きられないであろう。


現在の臓器移植法は(2010年の改正前)、本人の書面での意思表示が必要不可欠であり、それが民法の遺言可能年齢に準じて15歳以上でないとできないため、実質15歳未満の臓器提供がこの国ではできず、小さな子供は多額の費用(数千万から1億円以上)を出して、海外での移植を受けるしかない。


だが幸いな事に、自分にはその提供者に伝手がある。


この際、移植を受けてはみませんかと。


少女の両親は、ごく普通の一般家庭ではあったが、我が子の病のために事前に情報収集をしていたせいで、移植に関する知識が僅かにあった。


臓器提供は順番待ちが普通であり、適合条件の他に優先順位もある。


移植希望すら出していない自分達に、何故そんなに旨い話がくるのか訝った。


男は、少年の件と自分の身の上を正直に話した。


彼女と同じような年頃の娘を、似たような病で亡くした事。


その後暫く、気力の失せた自分を見限って、妻が出て行った事。


自己満足故の行為であるから、今回の移植に伴う責任は、全て自分が負う。


少女には一切の経緯を知らせず、あなた方も聞かなかった事にして欲しい。


そう言って頭を下げた。


少女の両親は、このままでは助からない娘の命と、目の前で頭を下げる医師が犯そうとしている罪の重さとを秤にかけ、娘の命を選んだ。


自分達は一切を知らないのだから、臓器の提供先に支払う謝礼も、この医師が自腹で負担する事になる。


何もかも彼に押し付けて、その上娘の命まで救って貰える事に、彼らは心の中でひたすら感謝し、その時はただ、無言で頭を下げ続けた。


手術は無事成功し、然したる副作用もなく回復した少女を見届けると、男はスタッフ達に多めの退職金を支払い、病院を閉めて、自首をする。


裁判では、終始弁明をせず、単に自己の技術を試したかったという理由で押し通し、懲役2年の有罪判決を受けた。


控訴もせず、服役を終えて刑務所から外に出た彼を、真っ黒な身なりの一人の少年が出迎える。


いきなり、『一服するか?』とタバコを差し出してきたが、それを受け取らないのは彼も分っていたらしく、直ぐに引っ込め、代わりに一言呟いた。


『また後で会おう』


男には、この時何の事か分らなかったが、数年後に、それが理解できるようになる。


赤十字で献血の仕事に従事していた男の下に、ある日一通の黒い封筒が届く。


差出人に全く心当たりのない男は、その文面の1番下に付け足すように記されていた文言に、遠い日の記憶を呼び起こされる。


『今度はタバコではなく、職を勧めよう』


男は、脳裏に浮かんだ朧げな少年の顔に導かれ、半信半疑ながらも、海を渡る決意をするのであった。



 男が到着した場所は、イ〇ドの国境に近い、とある村であった。


空港からここまで移動してくる間に垣間見た、寂れた田舎の風景とは異なり、かなり広いその村は、整然と街並みが整えられ、建てられている家屋も皆比較的新しい。


所々に学校や職業訓練所などの施設もあり、街ゆく人々の姿からも、既にこの村が機能している事が窺われる。


出迎えられたスタッフに、この村についての丁寧な説明を受けた男は、驚愕に目を見開いた。


その内容が、あまりにも現実離れしていたからだ。


何とこの村は、住民から定期的に血液を供給して貰うために造られていた。


現在の村の人口は約千人。


村の住人は主に難民や貧困家庭などから逃れてきた者達によって構成されているので、今後更に増える予定だと言う。


正常で良質な血液を常に供給して貰うため、住民の健康状態には特に気を配り、清潔で心地良い環境下で、栄養バランスの取れた日に三度の食事と、必要な衣類、生活必需品が定期的に支給される。


ここに居る間は住居も割り当てられ、上下水道もきちんと整備されているため、トイレや入浴にも困らない。


元居た場所によっては、入浴の習慣がなかったり、トイレを必要以上に不浄なものと考える者もいるので、その辺りの教育もしっかりと施し、常に身だしなみには気を付けて貰う。


初めは中々慣れなかった者でも、次第にその心地良さに目覚め、進んで気を配るようになった。


就学年齢の子供達は無償で学校へ通い、そこで語学と算数、世界の諸地域の習慣を学び、大人たちは数種の職業の中から好きなものを選択して、訓練校でその技術を習得する。


これまで彷徨い、虐げられ、陸な生活も送れなかった者達には正に夢のような暮らしであるが、善意だけで運営されている訳ではないので、その入村には厳格な条件がある。


先ずはゲート審査。


和也によって常設された門を通り抜け、赤く光った者の入村は許されない。


これについては一切の例外が認められず、もし無理やりにでも入ろうとすれば、数機のドローンによる、射殺を含めた厳しい措置が取られる。


この村は2国間の国境付近にあり、元々あまり治安も良くはない場所であったため、その土地を買い取る際、共に治外法権も得ている。


当該国の政府からすれば、貧しい難民を受け入れてくれ、他国との紛争地帯の一部を任せる事で、無用なトラブルを避けられるメリットがあり、しかも御剣グループとの太いパイプができる。


毎年一定額の税収も得られるため、何の不利益もなかった。


次に書類及び口頭審査。


この村では、個人の内心までは問わないが、村の運営に差し障る、一切の宗教的行為や禁忌を認めない。


例えば食事では、大勢の人に同一の、栄養バランスを考慮して作られたものを食べて貰うため、信仰する宗教により食べられないものが多い人には、予め入村をお断りする。


ここは個人が自由な経済活動をして暮らせる場所ではない。


その力がある者は、最初から受け入れない。


あくまで自力では生活できない、信仰や主義よりも、日々の安定した暮らしと、生きていく力を蓄えたい人のための場所なのである。


だが勿論、集団生活を乱すようなものではなく、他者に迷惑をかける類の行為でもなければ、自宅で何をして暮らそうと、部屋を壊したり汚さない限り、黙認された。


最後に健康診断。


事前の2つの審査にパスすると、専門医による様々な検査が行われ、何の異常や病原菌も見つからない者だけがここに住める。


何らかの反応、若しくは異常が検出されれば、アフリカに新たに建設された医療センターへと送られ、そこで治療を受けて完治すれば居住資格を得られる。


尤もその場合、わざわざ戻らず、そのままアフリカに居住するという選択も可能だ。


全ての検査結果が出るまでは、村にある専用施設での暮らしが保証され、そして晴れて住人となる資格が与えられた者達には、その家族構成ごとに、適した広さの家が貸し与えられる。


村人の義務は主に2つ。


15歳以上の者は200㎖、20歳以上なら400㎖の献血と健康診断を、2か月に一度、必ず受ける事。


もう1つは、就学年齢の者なら学校に、大人であれば職業訓練所に通う事だ。


この村に滞在できる期間は最長で10年。


18歳以下の孤児以外は、期間内に自立しなければならない。


この村はあくまで彼らにとって仮初の地であり、終の棲家ではないのだ。


期間内に目的を見つけて独り立ちして貰うために、敢えて食事の種類や娯楽の類を制限している訳でもある。


どうしても職が見つからない者達には、御剣グループが、多少賃金は安いが安定した作業所を紹介したり、同様な移民達の世話をするスタッフに採用したりして、その後の面倒をみる。


仮令時給にして900円程度でも、それまでゴミの中から使える物を拾って小銭を稼ぐしかなかったような者達からすれば、諦めていた夢への足掛かりとなる、十分な額なのだ。


住む場所は、グループ職員が使える専用の巨大マンションの一部屋を無料で借りられるので、家族を養うのにも困らない。


生活費の中で、最もウエイトの高い住居費が只なだけで、人はそれなりに豊かに暮らせるのだ。


乏しい娯楽を補う意味では、村に建てられた図書館に、主に日本語と英語、中国語にドイツ語の書物が数多く並んでいる。


漫画やアニメの本もあり、子供達がここで学んでいる言語を活かして楽しめるよう、工夫されているようだ。


村の各家には音楽の聴ける設備も備え付けられ、家族と共に過ごす時間や、眠りに就く前の一時を、過去に受けた心の傷を癒しながら、穏やかで優しいものとしてくれる、数々の名曲が流れ続けている。


大まかな事情を呑み込んだ男は、スタッフから分厚いマニュアルを渡され、専用の住居へと案内される。


ゆっくりと風呂に浸かり、ここに来るまでの疲れを癒した男が、渡されたマニュアルに目を通していると、夜遅い時間にも拘らず、ドアホンが鳴る。


入り口に備え付けられた監視カメラを覗くと、自分をここへと導いた、あの時の少年が立っている。


慌ててドアを開けた男に、その少年は声をかけた。


「少し話がしたいので、中に入れて貰えるか?」


男はこの時まじまじと少年の顔を見たが、どう見てもまだ高校生くらいにしか見えない。


一体何者なのか?


黒い封筒の差出人であるから、御剣グループの関係者なのは分るが、その封筒が会長しか使用できない事を知らない男には、彼の正確な身元は知る由もない。


「貴方は一体どなたなのですか?

御剣グループの関係者だという事は理解できますが、何故あの時、私が刑期を終えて出てくる事が分ったのでしょう?

私をここへお呼びになった事には、どんな意味がお有りなんですか?」


自分と親子程も年の離れた相手に、自然と敬語が出てくるのは、少年が放つ雰囲気のせいだ。


何時ぞやタバコを勧められた時とは、まるで顔つきが異なる。


あの時は若干自分を揶揄するような感じがしたが、今の彼は真面目そのもので、侮れない威厳のようなものがある。


少年を中に通す事も忘れ、つい疑問ばかりをぶつけてしまったのも、己の心に生じた畏怖のせいだろう。


「あまり他者に聞かれるのは不味い。

中に入れて貰いたいが」


少年からの再度の要求に、男は慌てて彼を招き入れる。


「済みません。

今、お茶をご用意致します」


少年を真新しい部屋のリビングに通すと、男は備え付けのメーカーで珈琲を淹れる。


香り立つ湯気の音を聞きながら、男は少年の対面に腰を下ろした。


「それで、私にお話とは?」


控え目に尋ねてくる男に、少年は静かに語り出した。


「自分の名は御剣和也。

一応、グループの会長をやっている。

ほとんどお飾りだがな」


『!!!』


世界に名だたる巨大グループの会長が、まだ成年にも達していない、こんな少年だったとは。


男は内心の動揺をひた隠しにして、何とか平静を取り繕う。


「先に貴方の質問に答えよう。

貴方が刑務所から出てくる日時を知っていたのは、勿論事前に調べていたからだ。

貴方の事は、裁判が始まる前から気にかけていた。

きっと、何の言い訳もせずに、刑に服すのだろうと。

助けた少女の事を思えば、そうする理由も理解できる。

少し歯痒いがな。

・・正直、あの国の刑法は、世間の実情に即していない条文が幾つもある。

4つも前の時代に作られたものを、そのまま使っている事も多いから当然だが、票にならない事はしない政治家はともかく、学者達の動きが鈍いのは気になる。

今ある条文の研究ばかりではなく、積極的に改正を唱えていかなければ、時代から取り残されていくばかりのような気もする。

それを補うべく、多額の税金を投じて作られた裁判員制度も、素人意見を参考にすると言いながら、結局は過去の判例に縛られて、市民が何か月も頭を悩ませた末に出した結論を、上級審でいとも簡単に覆している。

社会の成熟性を俟つなんて言いながら、市民活動の結果でしか腰を上げないようでは、国民審査で適当に×を付けられても、文句は言えまい。

まあ、彼らにも言い分があるだろうから、この問題はこのくらいにして本題に戻ろう」


恭しく差し出された珈琲に口を付け、その余韻を楽しんだ後、再び話始める和也。


「貴方をここに招いたのは、先の事件の他に、街中まちなかで声を嗄らして献血を訴えていた姿を哀れに思ったせいもあるが、本来の理由は別にあり、貴方なら、それを理解して力を貸してくれると考えたからだ。

ここはイ〇ドの国境付近にあるが、この国は大国として頭角を現しながら、未だに古い価値観や慣習に囚われてもいる。

女性の地位は相対的に低く、それに纏わる不愉快な出来事も多い。

例えば人身売買。

隣国の不幸につけ込んで、本人達の同意を得たならまだしも、騙したり、薬を飲ませて眠らせたりして攫ってきては、まだ年端も行かぬ少女たちに無理やり客を取らせている。

避妊具さえ付けさせないから、客からエイズ等の性病を移された挙句、運良く国に帰れても、今度は性病を持ち帰ったと自国民に非難される。

彼女達に一体何の非がある?

自分は、人の営みに極力干渉しないようにしているが、時々怒りで我を忘れそうになる。

・・他にも色々ある。

生理がタブー視され、一般的な市民の所得も低かった事から、最近までは、生理用品さえまともに買えず、汚いぼろきれなどで代用した結果、命を落としかねない感染症に苦しんだ女性達。

生理が始まると、それを理由に学校にさえ通う事を諦めていた少女達。

ただこちらは、妻を愛し、女性達の為に偏見と闘い続けた一人の勇敢な男性によって、かなり改善されてきた。

地元の海を愛し、人生をかけてプラスチックゴミと闘う男性もいる。

人に失望する時もあるが、人に希望を貰う時もある。

それは、まあどの国でも同じだな。

・・日本にも問題は山積みだ。

議員は票の為、役人は自らの天下り先に資する事しか税金を使いたがらない。

議員なんかは選挙の際に色んな事を口にするが、それは実現すれば国の借金を大幅に増やし、自らの懐は痛めないものばかり。

しかも、当選すればそんな事は奇麗さっぱり忘れる者も多い。

未だ豊かな日本を頼って、自国の迫害から逃れてきた者達を、いとも簡単に切り捨てる。

力も持たず、少数でしかない彼らは、自分達の利益にならないからだ。

不法移民というだけで、収容所に何年も拘束され、自傷行為をするまでに心が壊れる者。

父親を収容され、残された母親と共に、貧困に喘ぎながら隠れるように暮らす子供達。

そんな彼女らを、何故哀れに思わない?

己の身内に置き換える発想ができないからか?

ОDAなどという、その国の誰がどう使うかも定かではない、しかも指導者が変わる度に要求され得るものに何百億もの資金をポンと出すなら、彼らを保護し、職や教育を施してやった方が、遥かに日本のためになる。

人の善意によって育てられた芽は、何時か必ず美しい花を咲かせるものなのだから。

・・ここは表向き、正常な血液を常に確保するための施設と銘打っているが、本来は、行き場のない人々や心が折れそうな者達に、一時の安らぎと自信を取り戻させるための場所でもある。

だから、ここの村長となる貴方には、金銭的な利益より、もっと大事な事を優先して貰いたい。

椅子にふんぞり返って指示を飛ばす者ではなく、自らの足で歩き、己の目で見た事を大切にする人物になって欲しい。

貴方なら、それができると信じる」


和也の長い話を聴き終えた男の脳裏に、亡くなった娘の最後の言葉が蘇る。


『お父さん、もっと生きたかった。もっと色んな事を・・・お父さんと・・してみたかった・よ』


酒に溺れても、どうしても忘れられなかったその言葉が、男の人生を突き動かす。


「分りました。

自分なりに精一杯、村の人々の力になりましょう」


涙を流しながら、和也にそう誓う男。


満足げに頷いた和也は、男に右手を差し出す。


それを握った男の体内に、不思議な感覚が溢れるが、直ぐに記憶から消え去る。


「ここで得た血液は、アフリカの医療センターと、御剣グループの製薬会社へと送られ、その治療や様々な研究に用いられる。

うちのグループは今、人工臓器の生成にも着手しているから、貴方の娘さんのような悲劇は、何れ少なくなるだろう。

医療センターを任せている男、名を隅田というが、彼も熱い志を持った、実に有能な男だ。

貴方が送ってくれる血液を、決して無駄にはしないだろう。

何か困った事があれば、社長秘書の立花に連絡すると良い。

彼女も非常に優秀だから、大概の事はこなしてくれる。

この村を、宜しくな」


コーヒーの礼を言って立ち去る和也を見送り、男は一人、リビングで思考に耽る。


老いて声が出なくなるその時まで、街角で声を嗄らすはずであった自分に、ある日突然訪れた幸運。


マニュアルによると、村の人口の約3分の1は、まだ小さな子供だ。


娘の為にしてやれなかった事、娘と共にできなかった事を、この村の子供達とやっていきたい。


娯楽が少ないようだから、色々試してみるのも良い。


ラジオ体操、盆踊り、七夕行事にお月見やお花見。


日本の美しい伝統や行事を通して、子供達に夢を育んで貰いたい。


男の目に、再び涙が浮かんでくる。


今日は久々に、娘がまだ元気だった頃の、懐かしい夢を見られるような気がした。



 男はこの後、その生涯を閉じるまで、この村のために力を尽くした。


壮年の時は日本の伯父さん、老いてからは日本のお祖父さんと、子供達から親しみを込めてそう呼ばれ、大人達からは信頼の眼差しと共に村長と頼られて、忙しいながらも非常に充実した時を過ごした。


何故か、男はこの村で話される言語の全てを理解できたが、男の頭の中では、過去に習得したものとして処理され、それを不思議に思う事もなかった。


ある時、村に日本人の親子連れが訪ねて来る。


その者達は、男を見ると涙ぐんで深く頭を下げ、それから若い女性の方が、男に丁寧にお礼を述べ始めた。


自分はあの時、貴方に助けていただいた少女だと。


お陰で無事に成長し、今は2児の母でもあると。


男が驚いて年配の夫婦の方に目を向けると、確かにあの時の面影がある。


彼らはもう一度深く頭を下げると、ここへ来るまでの経緯いきさつを話してくれた。


新聞で、有罪判決を受けた事までは知っていたが、その後の足取りまでは把握できず、お礼に伺う機会を逸していた事。


先日、一通の黒い封筒が届き、そこに貴方の所在が書かれた文書と飛行機のチケットが同封されていた事。


ここまでは御剣グループのスタッフに送り届けて貰い、明日の飛行機でまた帰る事など。


至れり尽くせりで、お礼を述べる機会を設けていただいた事に感謝している両親の脇から、娘が再び言葉を紡いでくる。


「貴方のお陰で、私は今、素晴らしい人生を送れています。

貴方のした事は、日本の法的には罪でも、私にとっては本当に有難い善行でした。

学校に通い、友達と過ごす時間を与えられた喜び。

彼女らと、笑い合い、お喋りをしながら楽しめた映画や音楽、学校行事。

素敵な人に巡り合え、結婚できた嬉しさ。

その全てにおいて、貴方に感謝の言葉を捧げてきました。

・・本当に、本当に有難うございました。

貴方が刑務所の塀の中で過ごした2年、その時間を、私は決して無駄にはしませんでした。

貴方が失った時間と名誉に対して、何も償う事ができない私ですが、どうしてもこの事だけは、直接貴方にお会いして、お伝えしたかった。

・・やっと、やっと言えました。

有難うございます」


溢れ出る涙が、女性の言葉に偽りがない事を証明している。


男は、嗚咽を堪えて何も言う事はできなかったが、日本になぞらえて植えた桜の、穏やかな風に揺れるその蕾が、まるで男の気持ちを代弁しているかのように、そっと花開くのであった。



 男の死後、和也はその魂を、輪廻の列に並ぶ、とある少女の魂の隣に配置した。


本来なら、それらは互いに意思を交わす事さえ非常に稀であるのだが、その2つの魂は、まるで仲の良い親子のように、転生の門を潜るその時まで、親しげに語り合っていたという。



 「所長、日本とアメリカ、及びドイツの大学から、研修医を派遣したいとの打診を受けていますが、どうされますか?」


「またか。

・・御剣は何と言ってる?」


「送られてきたメールの色を見ろと仰ってます。

それが赤なら無視、青なら申し込みを受け入れ、通常の白なら所長の判断に任せるとの事です」


事務長の言葉を聴きながら、俺はやれやれと溜息を吐く。


ここで仕事を始めて5年。


当初の人手不足が嘘のように、各国から次々と人員が送られてきて、今では医師だけでも7か国、十七人になる。


どの人材も、御剣が直に選んだ優秀な者達ばかりなので、教える自分も自然と力が入り、このセンターのレベルを急速に押し上げる結果となっていた。


それでいて、御剣グループをバックに、単純な給与でも他の5割増しで、衣食住を含めた福利厚生が段違いに良く、勤務時間も実働9時間程度。


ここで働くスタッフ達から、帰省時やメールなどで、今の充実ぶりと喜びの声を聞いた者達の噂が徐々に広がり、やがて色んな所から問い合わせが来るようになった。


最初はその判断をグループに丸投げしていたのだが、イ○ドの国境付近に造られた献血村に立ち寄ったらしい奴(御剣)がその足でここを訪れ、『ある程度は補助してやるが、自分が教えたいと思える者は自分で採れ』と、釘を刺してきた。


正直、忙しい俺には面倒でしかなかったのだが、『貴方が選んで教えた人達が、何時か世界中で活躍していくかもしれないのよ?素敵じゃない』、という江戸川さんの言葉に、つい頷いてしまったのは自分なのだ。


まあ、相手の反応を見ても、人に教えるのは得意のようなので、やれるだけやってみる事にした。


「分った。

赤は開封前に常に削除、青は受諾の意思を伝えて、白のメールだけ、こちらに転送してくれ」


「はい」


ト〇コから事後処理を終えてここに来た彼女が、そう返事をして仕事に戻って行く。


今は看護師の娘と同じ家で暮らし、休日は、お互いの家族同士でよく食事をしたりする。


江戸川さんが娘と息子を生み、仕事に復帰した後も、看護師の娘の方が少し体力の落ちた彼女を心配して、よく手助けしてくれた。


多言語が飛び交う環境で育つ子供達が、将来何か国語を話せるようになるか、今から楽しみである。


そうそう、子供と言えば、江戸川さんが第一子となる娘を産んだ時、一悶着あった。


喜びの声より先に、『俺の闘いはまだ終わらないのか』と口に出してしまった俺に、江戸川さんは静かな怒りの籠った目を向けてきて、『女の子で御免ね』と言ったきり、暫く口を利いてくれなかった。


『いや凄く嬉しいんだけど、この子も奴の魔の手から守らねばと思ったら、つい口から出てしまったんだ』と幾ら弁明しても、その日は二度と口を利いてくれなかった。


俺が自室に戻り、手術で使う大事な手を痛めないように、サンドバックから抱き枕に変更した奴の似顔絵に向けて、渾身の連打を放ち続けたのは言うまでもない。


尤も、もう歳なのか、1分も続けると息切れしてくるし、パンチの切れも、大分衰えた気がするが。


因みに、第二子の誕生の際は、前回の失敗を教訓に、真っ先に喜びを表現したが、かなり大袈裟だったのが災いし、『本当に嬉しいの?』と、少し訝られた。


それでいて、奴が出産祝いに送って寄越したバイオリンにはとても感謝しているのだから、抱き枕を殴る俺の拳が休まる暇もない。


それにしても、以前のピアノといい、娘が生まれた際のハープといい、奴はうちの家族を音楽隊にでもする積りか?


御剣の考えてる事は、今も昔もひとっつも分らん。


奴がここへ送り込んでくるのは、医療関係者ばかりではない。


教育者、建築技術者、農業関係者、経営者、実に様々だ。


ただ、医療を学びに来る者達と違い、彼らは母国で定年を迎えたり、会社が潰れたりして、熱意はあっても、それを活かせる場を見つけられないでいた者達が多い。


そうした彼らを、奴がここに招待して、町造りに参加して貰っている。


食べるためだけに闇雲に森林を伐採して畑を作ってきた者達に、森林が持つ役割の重要性を教え、1つの畑で効率良く生産する手段を教える。


搾取するだけではなく、消費した分を回復させる事を教え込む。


借りた畑や養殖地が軌道に乗るまで、御剣グループが生活の面倒を見てくれるから、彼らは収穫を急ぐ事なく、じっくりと腰を据えて準備できる。


この広大な土地は、緑地保護や都市管理のためグループが全てを所有し、個人に売却する事はないが、5年ごとに更新される契約で、必要な要件を満たしていけば、個人が土地を借り続けて事業もできる。


市民の住居は元から完全な賃貸(無償を含めて)であるが、マンションではなく個人の家を建てて住みたいと考える者には、審査を経て、更新可能な30年の借地権を売る。


日本人が多く住む場所でもあるから、母国で腕を活かせる場所が減った宮大工を招いて、神社も建設するらしい。


完成した都市は、さぞかしアフリカで異彩を放つ場所となるだろう。


実に楽しみだ。


江戸川さんが奴に直にお願いして叶えられた桜並木の公園で、毎年花見をするのが、我が家の恒例になりつつある。


狭い国で、人が滅多に通らない田舎道にも道路を敷く自治体が、マンション建設で土地を更地にしたい業者が、そこに静かに咲いていた桜に手をかける前に、御剣グループが費用を出して、ここまで運んできたという。


奴の力が働いているのか、老木の割に花は可憐に儚く、若葉は美しい緑に映える木々を見ていると、懐かしい記憶ばかりが蘇る。


江戸川さんと親友の契りを結んだ日の桜。


初めてのデートで腕を組んで歩いた桜並木。


人生の節目節目に、その傍でひっそりと咲く、桜の姿があった。


その散り際の潔さ、儚さと並んで、日本人がこの花を好む理由は、きっとそんな所にあるのかもしれない。



 更に数年が過ぎた。


人員がより充実し、医学における世界の一大拠点となった当センターに、ある日一人の女性患者が送られてくる。


末期に近い乳がんで、身体の何か所かに転移もしていた彼女は、自国の医者から余命宣告を受け、生きる事を諦めつつあった。


そんな彼女がここへと搬送されてきたのは、一通の黒い封筒に由来する。


世界的大企業が差出人であるその手紙には、何故か彼女の病状が詳しく把握され、それに対処可能な病院は、今の所世界にただ1つしか存在しない事、アフリカにあるその施設までの渡航費など、費用の一切をグループが負担する事などが記されていた。


そして何より彼女の心を動かしたのは、その施設の責任者であり、今回彼女が命を託す相手でもある主治医の名前である。


ドクター隅田。


その人物の詳しいプロフィールを読み込んだ彼女の顔に、驚きが広がる。


彼は、自分が中学の時に手紙を出した、淡い初恋の相手であった。


あの時、彼は一向に現れず、代わりに野次馬のような男子達が大勢覗きに来た。


裏切られた。


自分の気持ちを土足で踏みにじるようなその行為に、当時はそう思って、その後暫く、男性全般を良く思えない日々が続いた。


社会人になって、結婚を前提に交際を求めてくる人もいたが、どうしてもあの時の悲しみが尾を引いて、頷く事はできなかった。


そんな自分に、初めて異性の友人ができたのは、つい2年前。


もう良い歳だし、結婚も諦めていた自分に、その人は静かに近付いて来て、黙って側に居てくれた。


こちらが何か言うまで、話しかけてこない。


決して身体に触れてこない。


それでいて、何か困った事があると、直ぐ傍に居てくれる。


必要に迫られて、何度か助けて貰っている内に、次第に友人のように振る舞えるようになった。


その人は独身で、独り暮らし。


過去に何かあったらしく、あまり人付き合いが上手そうには見えないが、私に同じような匂いを感じたのか、二人でいる時は、段々と会話が弾むようになってきた。


彼は口には出さないが、私との交際を望んでいる気がする。


過去のトラウマとの間で悩んでいた私に、思いもよらぬ病魔が潜んでいたと知ったのは、会社での健康診断の時だ。


触診で検査をしていた女医さんが、難しい顔をして念入りに調べ直し、その後私にこう言ったのだ。


『直ぐに大きな病院で検査を受けて下さい』


緊張しながら訪れた先で耳にした言葉は、末期に近い乳がん。


しかも、既に何か所かに転移しているという。


余命半年。


長くても1年だろうと、そう告げられた。


両親が早くに他界し、身寄りのない私は、本来なら他の身内に内密に告げられる言葉を直に聴き、呆然とした頭で、今後の身の振り方を医師に迫られる。


入院して手術してみるか、それとも抗がん剤の服用だけで済ますか。


何も決断できないでいた私にかけられた言葉は、『なら帰って』であった。


後日、今度は別の病院で相談すると、集中治療室には貴重品が持ち込めないから、誰か身内を連れてきてくれとか、病室で世話をする人を用意してとか言われて、ここでもまた帰らざるを得なかった。


良い歳をしたお一人様には、つくづく暮らし難い国になったものだ。


ここで彼に頼ろうものなら、それこそ彼の気持ちを利用するみたいで気が引けた。


溜息も出ない私の下に、一通の黒い封筒が届いたのは、そんな時であった。


隅田医師のプロフィールの下には、誰が書いたのか、手書きでこう記されていた。


『あの出来事は不幸な事故であり、彼自身はそれに関与していない。だが彼はあの時の出来事を決して忘れず、真摯に過去と向き合ってきた。己を磨き、患者の為に尽くしてきた彼のこれまでの時間を、どうか肯定してやって欲しい』


何故あの事まで知っているの?


正直、半信半疑ではあったが、可能性が有るなら、まだ人生を諦めたくはない。


それにこの文言が本当なら、今度こそ、今の彼と上手くやっていける気がする。


私は、過去のトラウマと決別し、現在の病魔と闘うべく、海を渡る決断をするのであった。



 「初めまして。

私が今回貴女の治療を担当する、当センターの所長、隅田です。

これから、治療方針等のご説明を致しますが、何かご不明な点がございましたら・・」


診察室に入ってきた患者に対して、いつものように話し始めた俺を、その患者はじっと見つめていた。


最初は気のせいだと思っていたが、じっと黙ったまま、俺から目を逸らさない。


何か言いたい事があるのだろうかと、こちらから問いかけようとした矢先、俺の斜め後ろに控えていた江戸川さんが、カルテの名前を見て息を飲んだ。


「この名前・・・もしかして中学の時の・・」


その言葉で、俺には彼女が何を言わんとしているのかが分った。


「貴女が、私が中学の時に傷つけた、手紙の主でしたか」


俺の言葉に、その女性はにこやかに頷く。


「はい。

私がそうです。

あの時は随分待たされましたが、やっと今日、お会いできましたね」


別段腹を立てている風には見えないその女性に向かって、俺は頭を下げる。


「決して故意ではありませんでしたが、あの時は本当に申し訳ない事をしました。

心からお詫び致します」


「いいえ、貴方が悪い訳ではありません。

ここへと導いていただいた手紙にも、そう書かれておりました。

全ては不幸な偶然、事故であったと今は思っています」


穏やかにそう語る彼女の表情に、偽りの色は見えない。


「私を許していただけるのですか?」


「許すも何もありません。

貴方は悪くない。

今は本当にそう思っています。

・・恥ずかしながら、あの黒い手紙を頂くまでは、貴方の事を誤解致しておりました。

男性不信になり、この歳まで独り身を通してもおりました。

ですが、ここを訪れて、このセンターで働く方々や患者さん達の表情を見て、その内の何人かとはお話もできて、考えが変わりました。

貴方は悪くありません。

もしあんな酷い仕打ちを平気でできるような人なら、このセンターの雰囲気が、ここまで良いはずがありません。

病に苦しむはずの人が笑い、優しさと善意に満ちた場所で、皆穏やかな表情をしている。

所長である貴方の、努力の賜物でしょう。

ここに来るまで、独り身故に辛い目にも遭いましたが、このセンターではその心配もない事が分りました。

私の、余命幾許よめいいくばくも無いこの命を、貴方に託します。

もし可能であれば、人生を楽しむもう少し長い時間を、私に与えてはくれませんか?」


静かではあるが、強い想いの籠った彼女の言葉を、俺は噛みしめる。


「最善を尽くします」


端的ではあるが、同じように想いの籠った俺の言葉に、彼女は満足そうに頷いてくれた。



 それから数か月、看護や介護のスタッフ達と会議を重ね、術後のケアに万全を図る一方で、俺自身は今まで培ってきた総合医としての力を全て吐き出し、全力で彼女の治療に当たっていた。


基本となるのは、化学治療(全身)と放射線治療(局所)の2つ。


CTシュミレーションで病巣を定めてマーキングを施し、コンピューターを使って放射線の範囲や線量などを計算する。


全身の6か所に転移をしていたので、治療の度に同じ体位で放射線を浴びせられるよう、シエルと呼ばれる固定具も作成した。


更に、遺伝子検査による個別化治療を行った後、今度はゲノム医療であるがん遺伝子パネル検査をし、多数の遺伝子を同時に調べ、その遺伝子変更に効果が期待できる薬を探す。


御剣重工から最新の医療設備を導入し、治療に用いてはその問題点を指摘し、改善を迫る。


製薬会社に所見を添えて細胞のサンプルを送り、新薬の開発を急がせる。


限られた時間の中で優先順位を間違えず、刻々と変化する病状と闘いながらの数か月。


だがその甲斐あって、緩やかではあるが、徐々にがん細胞を完全に消す事に成功していき、更にその後の数か月で、到頭不可能に思えた完治を果たす。


彼女の嬉し涙に、係わったスタッフ達が全員で喜びを表現する中、俺は一人で自室に向かい、無言で抱き枕を連打する。


「どうしたの?

何か御剣様に文句でもあるの?」


後を付いて来たらしい江戸川さんが、俺の顔を覗き込んで、そう尋ねてくる。


「放射線治療の際、1か所だけ、他の正常細胞を傷つけ過ぎる所があった。

必要な線量を当てると、何かしらの影響が出た可能性が高い場所だ。

だが実際にやってみると、まるで何かに守られているかのように、全く影響が出なかったんだ。

俺の思い過ごしでなければ、きっと奴が手を貸していたはずだ」


「別に良いんじゃないかな。

『神の見えざる手』とかいうやつでしょ。

それにその人が持つ人脈だって、その人の力の内だよ?

神様に手を貸していただける人なんて、きっとこの世界に何人も居ないと思う。

貴方は紛れもなく、その内の一人なんだから」


「その言葉は、そういう使い方はしないと思うぞ。

あれは単なる経済用語だ」


恐らく分ってて言っているのだろう。


顔が笑っている。


「勉強やスポーツじゃないんだから、過程も大事だけど、何より優先すべきはその結果でしょ。

そのお陰で彼女が助かったのなら、それで良いじゃない」


幾ら歳を重ねても、相変わらず俺を魅了する笑顔でそう言われては、これ以上反論する気も起きない。


「ほら、戻って彼女の頑張りをもっと褒めてあげましょ。

副作用が少ない治療をしていたとはいえ、抱える不安や苦痛に耐えて、終始笑顔でいたんだから」


彼女に腕を取られ、共にその病室まで再び歩く。


「貴方の樹、大分大きく逞しく、立派に成長したね」


院内の通路を通る度、出会う人達から向けられる好意的な眼差し。


その1つ1つに、江戸川さんは嬉しそうな顔を見せる。


「約束を守ってくれて、私の願いを叶えてくれて、本当に有難うね。

私が取った選択を無駄にする事なく、患者さんに活かしてくれる貴方が凄く好き。

子供達を可愛がり、私を変わらずに愛してくれる貴方はもっと好き。

これからもずっと一緒に居るから、二人で頑張っていこうね」


江戸川さんが奴によって救われたあの日から、俺達の中で当たり前のように共有されてきた想い。


俺達は、二人で一つ。


『人の命はお金で買えない』


そんな言葉でさえ、絵空事のように響いてしまえるこの世界で、俺達はこれからも共に生きていく。


僅かながらも世界を照らす、小さな灯台のように。



 後にグループの主力施設の1つにまで発展する、御剣総合医療センター。


所長である彼の下には、その人柄と技術に憧れる多くの人材が集い、国の垣根を越えて、世界中で不治の病に苦しむ者達から、最後の希望を託される場所となる。


貧しき者からは金銭ではなく情報を提供して貰い、治療や介護で得たデータやサンプルをグループ企業の下へ送って、新薬や医療ロボットなどの開発に役立てる。


富む者からは必要な金銭を得る代わりに、情報漏洩対策を徹底し、入院生活を少しでも快適なものとするよう、様々な工夫が凝らされる。


ただし、貧富の差によって、その治療や介護に差が出る訳ではない。


そこは徹底しつつ、あくまで日常生活の中で、調理スタッフと栄養士による特別メニューが出されたり、お気に入りの本や紅茶を取り寄せて貰ったりといった、細やかなサービスがなされる。


国や自治体、他の如何なる団体からの圧力や拘束を受けないので、独自の理念の下、世界最高峰の医療を提供し続けた。


隅田夫妻の晩年には、幾つかの大きな謎がある。


70を過ぎるまで現役を続けた後、早々に遺産の整理をした彼らは、ある日突然消息を絶つ。


医学界では世界的なニュースであったが、故人の遺志を尊重するとしたその子供達によって、死因も明かされないまま、身内だけの葬儀を行い、速やかに埋葬されたとされる。


しかし、その消息を絶つ直前まで、二人仲良く公園を散歩する姿を目撃していた者達からは、その死に疑問の声も上がる。


生前彼らに世話になった者達からも、その埋葬にすら立ち会えなかった事に、悲しみの声が広がった。


そんな状況の中、彼らの子孫達は堂々と背筋を伸ばし、何も恥ずべき事はしていないという姿勢でいたのが印象的ではあった。


その墓には、1年を通じて様々な花が咲き誇る。


わざわざ海外から、毎年献花に訪れる人もいる。


彼らが育て、命を救った人々は優に3000を超え、その生き様を瞼に焼き付けた者達が、次世代の人材を育て、世に送り出していく。


世の理を超え、一人の女性を救った和也の想いが、この地に枯れる事のない、美しい花を咲かせたのであった。



 余談ではあるが、ここで彼らの、この世界最後になる遣り取りを記しておく。


「ライフワークだった例の遺伝病も既に克服したし、そろそろ引退しようと思うんだが」


「じゃあさ、私と第二の人生を歩んでみない?」


「え、今から?

一体何をするんだ?」


「御剣様の眷族になって、取り戻した若い身体で、色んな世界を旅したいの。

御剣様の本拠地である、惑星にも住めるんだよ?」


「冗談じゃない!!

死んでからまで奴にこき使われるのは御免だね」


「だから死なないって。

これからは自由に過ごせるし、私と一緒に門を潜るだけ。

簡単でしょ?」


「嫌だね。

絶対に嫌だ」


「ふ~ん、そう。

なら私一人だけで行くね?

御剣様のメイドになって、永遠に可愛がって貰うんだ」


「!!!」


「じゃあね。

さよなら」


「待ってくれー。

俺を置いて行かないでくれー」


現れた門を潜る振りをした私を、追うように走ってきた彼をひらりと交わして、その背中を突き飛ばす。


「ああ~っ!」


「フフフ。

これからも、ずっと二人でいようね」


予め用意してあった、子供達宛の遺書を部屋に残した私は、姿の見えなくなった彼の後を追い、静かな足取りで、光り輝く門を潜るのでした。

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