番外編 世の理を超えたその先に 第2話

  俺達は今、御剣グループの会員制レジャーランドに来ている。


僻地での10年に及ぶ活動が評価され、グループ社員しか入れない、しかもその入島権利を得るには相当なポイントが必要だというこの島に、お互いの家族と共に、2週間の滞在を許された。


元の計画では、何処かの島を買い取って、そこに手を加える予定だったらしいが、ある国の何の価値もない小島が、領土問題がらみでかなりの高値で売れた事から、地権者が欲を出し、突然売らないと言われたらしい。


それならと、既に持っていた人工島の技術で以って、東京ドーム約20個分の島を造り、石○島から少し離れた場所に浮かべたようだ。


この国の政府は、これでまた税収が増えると、喜んで許可を出したそうである。


広大な人工島の中には、ホテルやレストラン、ショッピングセンターや各種娯楽施設、プールに人工ビーチ、温泉施設(箱根や湯布院等からわざわざ温泉水を運び、特殊な装置でろ過して使用している)まであり、驚いた事に、島での生活には、お土産など個人的に買う物以外では、全くお金がかからない。


何処で何を食べようが、何して遊ぼうが、全て無料なのである(ホテルの部屋のランクだけは、良い部屋に泊まりたければその分多くのポイントが必要になる)。


なので、グループ社員は普段から懸命に働き、しっかり休んでまた働き、数年から十数年かけてポイントを貯め、大事な人とここへ来るのが最大の楽しみともなっている。


レストランを初め、各施設のサービスも全て一流で、客側がきちんとしたモラルを持って過ごしていれば、最高の時間を過ごせる。


因みに、ここで不埒な行いをすれば、それらは全てその者が所属する企業へと報告され、場合によっては解雇対象にもなるようなので、皆きちんとマナーを守って行動している。


折角の時間を自ら汚す程の愚か者はこの島には来れないし(ポイントが貯まらないから)、お金を払えば誰でも入れる施設でもないから、島の雰囲気は凄く良い。


世界的な一流ホテルチェーンから引き抜かれたらしい、この島の総責任者の心配りが、島中に行き届いている。


俺と江戸川さんの家族は、ホテルにスイートルーム(ベットルームが4つもある)を1つ割り当てられ、皆で宴会や温泉を楽しみ、大いに飲み食いさせて貰った。


俺が少しでも奴にダメージを与えるべく、滞在中に1番高価な物しか食べなかったのは秘密である。


2週間の滞在で、粗食に耐えた5年で減った体重が、少し利息が付いて戻ってきたのはショックだった。


事情を知る江戸川さんに、自業自得だと、ちょっと怒られた。



 「今回は3日間の予定なのね?」


「ええ。

またお世話になるわ」


この島の総責任者であり、実の母でもある初老の女性に、私はそう告げる。


私の名は立花皐月。


今年で30とウン歳の、独身女性である。


仕事がかなり忙しく、またその仕事も私しかこなせないものが多いせいか、会社に貢献したグループ社員に割り当てられるポイントが貯まりに貯まって、既に、1年間はここに滞在できるくらいの数字になっている。


私生活より仕事を優先してきた結果、未だ彼氏どころか異性と付き合った事もなく、帰宅後のお酒(然程量は飲まないが)か、溜まった休暇をここで過ごすくらいしか、今の所楽しみがない。


ここをよく訪れるのは、何より他のレジャー施設より、断然人が少ないからである。


広大な敷地に、人はまばらにしか歩いていない。


折角の休暇に、何かをするために何時間も並ぶなんて真っ平御免なので、凄く都合が良い。


島に来る時でさえ、社長から小型社用機を借りている。


グループ関係者しか入れないのだから空いているのは当然だが、営利企業の社員としては、これで良いのかとすら思う。


母に言わせると、年間300億円程度の赤字になるそうだ。


更に、ここからの税収を見込めない自治体の為に、毎年10億円の寄付金も出しているらしい。


普通の企業ならまず数年で潰れるが、ここは元々全く利益を追求していない。


ただ単に、グループ社員とそれを支える家族の貢献に応えるためだけに運営されている。


御剣グループ。


現社長が一代で作り上げた超企業集団。


直轄の企業は4社しかないが、100を超える超一流企業を実質的支配下に置き、世界の重要な特許の半分以上を占めている。


そしてその資金源となったのは、社長の夫であり会長でもある人物の、株による利益だと言われている。


経済界では既に伝説の人物であるが、不思議な事に、表には全く姿を現さない。


社長の懐刀と噂される私でさえ、一度も会った事がない。


社長曰く、『会えば必ず惚れちゃうから駄目』、だそうだ。


彼女の夫であれば、結婚した時期から考えて(婚姻可能年齢から)、少なくとももう30代半ばにはなっているはずなので、確かに自分の年齢とは釣り合うが、大恩ある社長の伴侶に手を出そうなんて考えもしないから、そこまで心配せずとも良いようなものだが、未だに恋する乙女の如く会長の事を語る社長を見ていると、一体どんな人なのか、非常に興味がある。


香月有紗社長。


私の上司であるばかりでなく、恩師であり、恩人でもある。


私がまだ高校に入ったばかりの頃、母の為にアルバイトを許可して貰いに訪れた指導室で初めて出会い、その美しさに見惚れた女性ひと


学生にあるまじき好条件のバイトを紹介してくれたお陰で、我が家の家計は十分に潤い、母も無理な夜勤や休日出勤をしなくて良くなった。


バイト先ではいつも一人で勉強させて貰い(宅配の受け取りとPC操作くらいしか仕事がなかった)、ふんだんに用意された教材とお菓子に囲まれて、学校以上に捗った。


家でする分の宿題までこなせたから、変わらずに家事をして、母の負担を減らす事ができたのだ。


誕生日、クリスマス、お正月。


何かの行事の度に高価なお祝いを頂き、母と二人で旅行や温泉にも行く事ができた。


後で知った事だが、社長には今の夫である会長以外に身寄りはなく、子供の頃から大分苦労してきたそうだ。


私と母に沢山の贈り物をくれるのも、自分の独身時代には誰からも貰った事がなく、初めて会長から貰った時の喜びと嬉しさを、忘れたくない、他の誰かにも分けてあげたい、そういう理由からだそうだ。


40を過ぎてもなお、艶のある黒髪とシミ1つない張りのある素肌、大きな胸とバランスの取れた身体は、その美貌と共に、全く衰えを知らない。


実年齢より相当若く見える彼女と初めて会う人は、まず見惚れる。


そんな素敵な先生の期待を裏切らないよう、学業と共に法律や経済、語学を必死に学び、自分を磨き続けた3年間。


高校時代はあっという間に過ぎ、先生から言われた、男の子との恋などという甘い時間は、自分には訪れなかった。


ラブレターやメールは結構頻繁に貰ったが、どうしても、自分とは違うと思えてしまったからだ。


言葉は悪いが、地に足がついていない、そう思えてしまったのだ。


家計を助け、将来を真剣に考えていた私と、まだ高校生で、しかも裕福な家庭の子が多い学園の生徒。


彼らに私と同じ価値観を求めるのは酷だったと、今では思う。


先生と同じ大学に進み、在学中にこの国の三大試験(司法試験、不動産鑑定士、公認会計士)に全て合格した時には、新聞に載りもした。


大学でもそんな感じで勉強と仕事(資格試験の勉強のためか週5で1日5時間に増えて、バイト代は月に30万円になった。お金を貰って勉強させていただいていたようなものだ)ばかりだったから、やはり出会いも無く(有っても気付かなかったかも)、お付き合いも当然なかった。


私は就職活動をしてはいない。


『卒業後はうちで働かない?』という、願ってもないお言葉を、社長から頂いたからだ。


当時の御剣グループは、まだ今ほど巨大ではなかったが、年々その存在感を増し、学生の就職希望ランキングでは、男女共トップを独走していた。


初任給が手取りで25万もあり、有給の完全消化や育休の奨励(当然男子も)、残業の原則禁止という、他の企業に喧嘩を売るような好条件で、御負けに芸術や学術に多額の寄付をしている事からも、企業イメージが凄く良かった。


以前、何故スポーツには協賛しないのかと尋ねたら、『オリンピックやワールドカップの公式スポンサーになるのに、一体幾らかかると思う?そんなお金を使うなら、もっと音楽やアニメ等の分野に寄付するわよ。人に感動と安らぎを与える管弦楽団のメンバーや、若者に夢を届けるアニメーターの給料が幾らか知ってる?スポーツならお金を出す企業は多いのだから、敢えて私達が出す事ないわ。地域のイベントくらいで十分よ』と、珍しく熱く語られてしまった。


入社後に、私に与えられた地位は、社長補佐という名の秘書。


つまり何でも屋だ。


社長以外の誰の指図も受けない、完全に独立した地位。


しかも月収が手取りで100万円と、給料がめちゃくちゃ高かった。


『貴女には、会社の規定は当てはまらないから、どんどん働いて貰うわ。週休は2日あげるけど、それ以外は暫く午前様よ。私と貴女は一蓮托生。貴女だけ、楽はさせないわ』


優しい笑みでそう言われたが、実際には、21時前に帰れる事も多かった。


ちょうどこの頃、母が勤務先のホテルで、非常勤の更新を断られた。


もうある程度の年齢であったので、正規雇用に切り替わる前に、フロント業務を若い人に交代させたかったらしい。


それを知っていたとは思えないが、私一人の稼ぎで十分やっていけるよう、社長はわざと悪役を演じてくれたのだと思う(悪役にすら、なれていなかったけれど)。


更に、頑張ってきた職場を解雇されて、沈んでいる事の多かった母に、新たな職場まで世話してくれた。


会長からの指示だと言って、この施設の総責任者という、とんでもない好待遇を与えてくれたのだ。


それを聴いた時の母の顔は、未だによく覚えている。


元々会長に面識のある母は(私が幾らせがんでも、外見がどういう方かは教えてはくれないが)、あのクリスマスイブの贈り物以来、ずっと彼に感謝してきた。


毎年の行事ごとに社長から贈り物(温泉宿泊券や高級レストランの食事券など)を頂く際にも、会長への感謝の言葉を忘れた事はなかった。


その母が、涙をぼろぼろ溢して泣いたのだ。


『有難うございます。有難うございます』、そう、何度も繰り返しながら。


父に先立たれて以来、私の為に頑張ってくれた母には、彼女なりの、仕事に対する誇りがあったようである。


それは仕事の内容ではなく、社会を支える一員であるという想い。


確かに、母が居間で煎餅を齧りながら、無駄にテレビを見ているというような光景は想像できない。


良くも悪くも、私達は似た者同士なのだ。


この施設の従業員は、そのほとんどが以前の職場を定年で退職したか、あるいは年齢や条件を理由に雇い止めを受けた者達だ。


そういった条件の者達の中から、どういう基準で選んだのかは分らないが、ある日突然、彼らに黒い封筒が届いたのだそうだ。


『あなたの情熱を、もう一度、当施設で燃やしてはみませんか?』


文面には、短くそう書かれていたらしい。


ここで働く彼ら(彼女ら)を見ると、皆生き生きと、楽しそうに働いている事が分る。


その仕種や動作には、少なからぬ、仕事への誇りも垣間見える。


過度に忙しくもなく、利益のみを追求させられるでもないこの施設は、そんな彼ら(彼女ら)にとって、最適の場所なのだろう。


島を吹き抜ける穏やかな風が、その仕事振りに華を添えている。


「それで、また今回も一人でなの?」


「またそれ?

そんなに簡単に恋人なんか作れないわよ。

今の私は、グループでも相当な地位に居るのよ?

その機密や利益を狙って、近付いてくる人だって多いんだから。

相手は慎重に選ぶわよ」


「そんな事言いながら、もう何年経つのかしらね。

これからはどんどん条件が厳しくなるわよ?

男性だって、若い子の方が良いに決まってるだろうし、子供、作る気はないの?」


「最悪、結婚なんてしなくても良いわよ。

仕事が楽しいし、社長と一緒に居られるのは嬉しいし、今の環境を変えたくないわ」


「香月さんはお元気?

アフリカで、大きなプロジェクトを始めたみたいだけど」


「お元気よ。

お肌の乗りも、瑞々しい素肌も、私が嫌になっちゃうくらい。

アフリカの件では他の国とも結構やりあったから、今回は少し疲れたわね。

でも、その甲斐はあったわ」


「うちのグループに喧嘩を売る国がまだあるの?」


「表立ってはないわよ。

ただ、かなり広い海沿いの土地を確保したから、そこを軍事拠点にしたかったある大国が、裏でうちに土地を売却する国に圧力をかけてたの。

まあ、条件的には、うちに敵いっこないんだけどね」


「そんなに多額の費用を出したの?」


「それ程でもないわよ?

世田谷区くらいの土地を買って、全部で200億くらい。

元々何もない土地だし、うちは住民の雇用や教育なんかも請け負っているから。

ただ箱物やインフラを整理しただけで、しかもその事業に自国の人員を送りこんでくるようなやり方は、もう受け入れられないのよ。

結局は自国の借金だけが残って、利益はみんな相手に回収されちゃうからね」


「そういえば、そのプロジェクトのメインになる方、隅田さんと仰ったかしら、ここに2週間程ご家族と滞在なされて、つい先日、お帰りになったわよ?」


「そう。

ご満足なされたかしら?

彼らには、社長も期待されているから」


「スタッフの数人にそれとなく聴いてみたけれど、かなりの健啖家のようね。

凄い勢いで食事をなされていたらしいわ」


「・・奥様は、会長に対してかなり好意的なようでしたけど、彼自身はあまり良くは思っていらっしゃらないようね。

極端な愛妻家であると報告書には記載されていたから、何か含む所があるのかな。

まあ、何れにせよ、今回もゆっくりさせて貰うわね。

お母さんももう歳なんだし、あまり無理しちゃ駄目よ?」


「こら、生意気言って。

ここの仕事はとても遣り甲斐があるもの。

全然疲れないわ」


今はここに住み込みで働いている母の部屋を後にして、私は一人、自分に宛てがわれたホテルの部屋へと向かうのだった。



 その日、和也は珍しく、一人でこの施設を訪れていた。


つい先日、己の失言により、紫桜と有紗の二人から、同時にその愛情を極限までぶつけられるという目に遭った和也は、それに対抗すべく、理性のタガを、久し振りに完全に外した。


和也は普段、そういった感情を全く表に出さない。


女性を不必要に邪な目で見る事を避ける意味もあり、性欲に関する感情に、厳重なプロテクトを掛けている。


眷族化した妻達を抱く際、その半分程度は解除するが、それでもプロテクトは掛かったままだ。


タガが完全に外れた状態で女性を抱いたのは、エリカとの最初の時だけで、そのせいでエリカは何度も気を失い、かなり衰弱してしまったにも拘らず、初めて女性を抱き、その温もりに我を忘れた和也は、魔力で彼女の体力を回復してやりながら、何度も行為を繰り返すという暴挙に出てしまった。


エリカだけは初めて抱く前から眷族化していたので、肉体がかなり強化されていた分、まだ何とか耐えられたと言える。


その後、その事を恥じた和也は、自らに強力な枷をはめ、それを調整する事で他の妻達を抱いてきた。


マリーや紫桜、有紗を初めて抱いた時も、人の身であるから2割程度しかプロテクトを開放しなかったので、その身体に溺れはしても、十分に残された理性が、彼女達を壊すまでの無理をさせなかった(紫桜は少し危なかったが)。


だが、二人を同時に抱くに当たり、未知の経験故に、加減が分らなかった。


彼女らの本気の想いに、自分も本心で応えねばならないと感じたせいもあり、眷族化で肉体が強化された今なら大丈夫だろうと、完全にタガを外してしまった。


そしてその結果は、先日のように、目も当てられないものとなって現れる。


無尽蔵の体力と精力を持つ和也に、散々な目に遭う二人。


時折送られてくる、魔力を伴った体液に、意識を手放す事も許されず、悲鳴すら上げられないまま、只ひたすらに、快楽の海に溺れ続けねばならない。


半日近くをそうして過ごした紫桜は、その後泥のように眠ったまま、1日経っても目を覚まさず、有紗に至っては、2日も起きずに、仕方なく和也が勤務先にメールで欠勤を知らせた。


彼女らが目覚めた時、和也はやり過ぎた事を詫びたが、二人共寧ろ喜んで許してくれた。


『偶にはこういう事も悪くないわ。あなたの本気顔が見られたし、ちゃんと愛情を持って抱いてくれた事も分ってるから。あの際、思い切り抱き締められるの、わたくしは大好きよ』


紫桜はそう言って満足気に帰って行き、有紗は行為中の己の姿を思い出したのか、恥ずかしげに下を向いて、『幻滅なさってませんよね?』と、少し心配そうに上目遣いでこちらを見てきた。


彼女は溜まっていたメールを処理すると、その次の日から、活力を漲らせ、爽やかな色気を溢れさせて、仕事に出かけて行った。


その後で、和也は一人になって、暫く自らの思考の中にその身を置いた。


紫桜に言われた言葉の内容は、和也にとって、かなり嬉しくもあり、それと同時に相当ショックでもあった。


『あなたの身体以外に、欲しいものなんてない』


それは、和也が彼女達をきちんと楽しませていないという事に他ならない。


夫婦の営み以外に、彼女達が喜ぶ何かを、ちゃんと与えてあげられていないという事だ。


今の彼女達が、お金を出せば簡単に買える何かを欲しているとは考えていない。


では他に何を求めるのか、どう喜ばせれば良いのかが、さっぱり浮かんでこない。


人工ビーチの果てで、海水にその身を浮かせて緩やかに漂いながら、暫し時間を忘れる和也であった。



 部屋に着くなり、鞄を置いて、水着に着替える。


街中まちなかの公共施設(ジムや高級ホテルのプール)では少し躊躇いを感じ始めたビキニも、人が疎らなこの施設では気兼ねなく着れる。


忙しい最中さなか、スタイルを維持するために欠かさない水泳は、お酒と並んで、彼女の貴重な息抜きの1つでもある。


黒いビキニの上に白のパーカーを羽織り、サンダルに履き替えて、初夏の日差しを浴びながら、人工ビーチへと向かう。


彼女が滞在する高級ホテル(ポイント消費が多い)はその直ぐ目の前にあり、全室がオーシャンビュー。


人工といえど、直径1・5㎞の広さを持つこのビーチは、その雰囲気がタヒチに似せて造られており、彼女のお気に入りの場所だった。


ここではお金を持ち歩く必要がないので、唯一持参したバスタオルを、パーカーと共にデッキチェアーに放り投げ、海へと走る。


準備運動なんてしない。


本当はしなければならないのだけれど、良い歳をして浜辺で体操をするのは、幾ら人気ひとけが少ないとはいえ、ちょっと恥ずかしい。


初めはゆっくりと泳ぎ出せば大丈夫だからと、直ぐに水に入る。


定期的に海水を入れ替え、不純物をろ過しているので、潮の香豊かな水中を、クロールで進んでいく。


1㎞先に休憩用の小島があるので、とりあえずそこまで泳ごうと決めた。


程無く辿り着いた小島で、少し横になろうとした時、視界の先に、人のようなものが浮いているのが見えた。


ここから更に100ⅿくらい先。


この海の水深は、最も深い場所で3ⅿある。


大人でも、足がつったりすれば溺れる深さだ。


彼女は急いで小島を隔てた反対側の海に飛び込んだ。



 ゆらゆらと、眩い日差しを浴びながら、思考と現実の海の両方に漂っていた和也は、自分に猛スピードで近付いて来る人物に気が付いた。


もしかして、自分が溺れているのと勘違いしたのかと、己の身を起こそうとした時、その相手が急に泳ぎを止めて、水中に沈んでいくのが目に入る。


今度は自分が助けに行く番であった。


直ぐに追いついて、水中で足を押さえて蹲る女性を引き上げる。


水面に仰向けになった自分の上にその女性を抱え、痛みの原因となっている、右のふくらはぎに手を添える。


治癒魔法で素早く痛みを取り去り、それを怪しまれないように、少しの間、優しくマッサージを施した。


自分の上で呼吸を荒くしていた彼女は、程無く己が置かれた状況を把握し、恥ずかしそうに身をよじって身体を離す。


お互い水中での立ち泳ぎをし、向かい合って初めて相手を確認した。


その女性は、30代後半くらいの、知的な風貌をした美人さんであった。


さぞや眼鏡が似合いそうな目元に、小ぶりな口元と豊かな黒髪。


全体的な可愛いさの中に、ある種の鋭さが混じる。


きっと怒ったら怖いだろう。


そんな気がする。


会話の第一声は、その相手からであった。


「えっと、助けてくれたみたいね。

どうも有難う。

君が溺れて浮かんでいるのかと勘違いして、疲れた身体に無理をし過ぎたみたい。

ちょっとカッコ悪かったわね」


そう言って苦笑いする。


「こちらこそ、要らぬ誤解を与えてしまい、申し訳ない。

貴女の善意には感謝する」


初対面の妙齢の女性に、少し緊張しながら言葉を返す和也。


その答え方に、相手がクスリと、先程とは異なった笑みを漏らす。


「若いのに、随分と変わった話し方をするのね。

・・もしかして、緊張してる?

フフッ、私もまだ捨てたもんじゃないのかな?

もしそうだとしたら、少し嬉しいかも」


初夏の日差しが穏やかに揺れる水面に反射し、そう言ってはにかむ彼女の顔を、明るく照らし出す。


「・・とりあえず陸に上がらないか?

痛めた足も、もう少しマッサージなり、した方が良いと思うが」


予想外に好意的な視線を受けた和也は、僅かな動揺を隠すように、話題を変える。


「それもそうね。

じゃあ、行きましょうか」


ゆっくりと泳ぎ出す彼女の後について、和也も進む。


10ⅿ四方の小島の上に手をついて上がり、その砂浜に並んで腰を下ろす二人。


女性が再度、話しかけてくる。


「改めて、どうも有難う。

ここに居るという事は、御剣グループの関係者の家族よね?

まだ高校生くらいに見えるけど、学校はお休み?

もしかして大学生なのかな?」


矢継ぎ早に、そう質問してくる。


見た感じ、あまり話好きには見えないが、かといって、無理して話しているようにも感じられない。


あまり黙っているのも相手に失礼なので、適度に言葉を返す。


「ここには知人の伝手で来ている。

一応、高校生のようなものだが(その内通おうとは考えているから)、それ以上は詮索しないでくれると助かる」


自分の素性を正直に告げる訳にはいかないので、適当にごまかす和也。


何か訳ありのようだと理解した彼女は、話題を切り替え、自分の名を告げる。


「御免ね。

私も少し、緊張してるみたい。

もうあまり若い子と話す事もないからね。

私、立花皐月って言うの。

貴方の名前、聴いても良い?」


『!!』


「・・和也と言う。

苗字はまだない」


「・・何処かで聞いたような台詞ね。

まあ、言いたくなければそれでも良いわ。

職業柄、そういう事には慣れているしね。

常識と節度さえあれば、ここでは職場の地位をあまり気にしなくても良いから、もし誰かに迷惑がかかるとかを考えているなら、その心配は無いわよ?」


流石に彼女を警戒してるのかと勘違いさせたようなので、言葉を付け加える。


「済まない。

別に貴女を警戒している訳ではないのだ。

ただ、自分の苗字は言うと誰の関係者か直ぐ分るだろうから、その人物との関係を知られると、少し不味い(以前に一度でも会っていれば別だが、有紗が結婚した年齢を考えると、その夫としての今の自分の姿は有り得ない。普通に考えれば、息子に見えるに違いない)。

貴女の言うように、ここでは気兼ねなく付き合いたいから、できれば内緒のままでいる事を許して欲しい。

和也という名前は本名だ」


そう言って、彼女の誠意に応えられない事に頭を下げる。


「そんなに特殊な苗字なの?

ふーん、一体誰かしらね?

まあ、そう言うなら、それで良いわ。

でも、・・もう少し、話に付き合って貰える?」


「それは構わないが」


まさか有紗の夫だとは思いもしない彼女は、どういう訳か、和也に少し興味を持っていた。


自惚れではなく、自分がビキニ姿で歩いていれば、大抵の男性は視線を浴びせる。


具体的には胸と腰に。


胸の大きさはDカップと、社長に比べればそれ程大きくはないが、形には自信があるし(今は流石にブラの力を少し借りてるけど)、水泳と普段からの節制によって、腰のラインは奇麗にくびれている。


学生時代に貰ったラブレターの数からして、顔だって、そんなに悪くはないはずだ。


高校生くらいの初心な男の子なら、簡単に悩殺できそうな気がする(普段は絶対にしないけど)。


なのに、さっきから彼は何処か上の空で、あまり自分を見ようとしないし、その眼の色に、邪なものが一切ない。


ちょっとプライドが傷つく(ガン見されたらそれはそれで嫌だけど)。


ここは一つ、大人の余裕で彼をドギマギさせてやろう。


いつもの彼女なら、そんな事考えもしないのだが、最近の仕事でちょっとストレスが溜まっていたのが災いし、和也に対し、軽い悪戯心を起こしてしまう。


「ねえ、何だかまだ、ふくらはぎが痛むの。

ちょっとで良いから、またマッサージして貰えないかな?」


そう言って、砂の上にうつ伏せになる彼女。


それが自分の運命を大きく変えていく事になるとは、この時は夢にも思わない彼女であった。



 「ねえ早くー」


肩越しに和也をチラ見しながら、痛くないはずの方の左足を、パタパタ砂浜に軽く叩きつけて、行為を急かす皐月。


だが和也は、行動を起こす前に、以前にゲームで学習した、とあるイベントを思い出していた。


それは、浜辺に寝そべったヒロインに、主人公がサンオイルを塗るというもの。


背中のブラ紐を外し、わざとらしくパンツのずれを指先で直すヒロインに、主人公が取るべき行動が、3つの選択肢として画面上に表示される。


1「変な所を触らないように気を付けながら、必要な場所にだけ、丁寧にオイルを伸ばす」


2「ついうっかり手が滑った風を装い、胸の隙間に手を入れる」


3「大分身体が凝ってるねと優しく言いながら、マッサージもしてやり、色んな所を触る」


和也がプレイした時は、当然1番を選んだ。


だが、それに対してヒロインが取った行動は、頬を膨らませながら、『意気地なし』と主人公を非難するというものだった。


驚いてロードし、今度は3を選んだら、『貴方って、マッサージも上手なのね』と、上機嫌で微笑んでくれた。


因みに2は、怖くて選べなかった。


全てのイベントを見ないと気が済まない、お気に入りのゲーム以外は、和也はプレイの際に、その攻略本に手を出さない。


この時、和也は、女性はマッサージが好きなのだと、ただ単に認識したに過ぎない。


だがもしそのゲームの攻略本を読んでいれば、ヒロインの、その時の主人公に対する好感度によって、反応が変わるという事を理解できたのだ。


好感度MAXなら、2の選択肢でさえも、笑って許してくれたのだ。


今、自分の目の前でうつ伏せに横たわっている女性は、ついさっき知り会ったばかりだ。


あのゲームなら、1番しか正解はあり得ない。


だが、過去にそれで失敗した和也は、女性はマッサージが好きという認識の下、3の選択肢を選ぶ事に躊躇いがない。


現に彼女からそれを求められているし、ゲームと違ってロードができないのだから(和也ならできるが)、一度で最適の選択をしなければならない。


プロテクトが掛かっている以上、女性を邪な目で見る事はない和也なので、そこには純粋な奉仕の気持ちしかないし、『色んな所』というキーワードを、変な意味では捉えない。


只でさえ彼女の誠意に名前の件では応える事ができなかった和也は、ここは全力で期待に応えようと考えた。


「分った。

では、失礼する」


彼女の足元に移動し、その手に魔力を込めながら、ふくらはぎに手を添える。


「アン!」


いきなり彼女が大声を上げたので、とりあえず手を離す。


自分でも驚いたのか、慌てて口に手を当てて、声を塞ごうとする皐月。


「何今の?

すっごく気持ち良かったんだけど」


変な声を出した自分が少し恥ずかしいのか、照れ隠しにお道化て見せる。


「別に普通に手を当てただけだが。

・・もしかして、かなり敏感なのか?」


「む、そんな訳ないでしょ?

ちょっと君をからかってみただけよ」


負けず嫌いの皐月は、よせば良いのにそう答えてしまう。


彼をドギマギさせる積りでいたのに、これでは自分の方が彼に良いようにあしらわれているみたいで面白くない。


その言葉を聞いて、和也は少し眉を顰めた。


これは、あのイベントなのか?


主人公の妹が、兄の部屋のドア越しに、女性の悩ましい声が聞こえてくるので、てっきり不埒な事をしているのかと怒り、『お兄ちゃん、何やってんの!』と怒鳴りながらドアを開けると、そこには兄が自分の彼女にマッサージをしているだけという状況があり、その彼女が勝ち誇ったようにブラコンの妹を見てほくそ笑むというイベント。


和也はこのヒロインより健気な妹の方が好みだったのだが、悲しい事に、妹ルートがなかったばかりに、不憫な想いをさせてしまった。


後にエリカが同じゲームをやったらしく、やはりそのシーンの意味を尋ねてきたので、『あれはな、例えば紙面上でそのイベントが展開されたなら、読者は期待に胸を膨らませ、ページをめくるスピードを加速させるが、最後にああしてその淡い期待をへし折る事で、健全な少年に、世の中そんなに甘くはないと教えているのだ』と答えた記憶がある。


『何故少年が対象なのですか?』という彼女の再度の質問には、『成人向けの書物なら、行為の内容を詳しく描写した方が売れるから、ああいうイベント描写は、R15以下の、無垢な少年達をその主な対象としている』と、訳知り顔で解説したら、『まあ、凄く勉強になります』と、エリカに感心されてしまった。


今の和也には、皐月がそのヒロイン役に見える。


あの子も悪い子ではなかったが(ただ主人公の事が好き過ぎて、独り占めしたかっただけなのだ)、時々少し意地悪になった。


ちょっとだけ懲らしめてやろう。


ゲームの中ではできなかった事を、今ここで彼女にやる事にした和也。


皐月からすれば、完全なとばっちりである。


「・・そうか。

では、続けるぞ」


和也の掌に、先程より少し多めの魔力が籠る。


その手が彼女のふくらはぎ、太もも、お尻、腰、背中、首、両腕と、優しく押すように這い回る。


「!!!」


和也の魔力が、全身の凝りを完全に解しながら、同時にその性感帯まで強烈に刺激して、快感にのたうちまわる皐月。


未だ男性経験のない彼女は、その刺激の前に為す術もなくイキまくる。


彼女のせめてもの矜持が、あられもない声を上げないようにと、両手で強く自分の口を押さえつけさせた。


ビクン、ビクンと大袈裟に身を震わす彼女を見て、『大分凝ってますね』とイベント通りの台詞を吐こうとした和也は、これは不味いのではないかと、慌てて施術を止める。


普通に魔力を持つ者なら、多少気持ち良いくらいで済むような量だが、この世界には魔素はなく、彼女らには魔力に対する抵抗力が無い。


和也の予想を遥かに超えて、その効果を発揮してしまった。


ほんのちょっと驚かせてやろうくらいにしか思っていなかった和也は、予想外に反応する皐月に罪悪感を覚え、その痙攣が収まると同時に彼女に頭を下げて詫びる。


「申し訳ない。

まさかこんな事になるとは。

・・身体の方は、大丈夫だろうか?」


快楽の嵐が止み、暫く身体を脱力させたまま呼吸を整えていた皐月は、自分の先程までの反応が信じられなかった。


彼はただ、普通にマッサージをしていたに過ぎない。


その指の触り方に、いやらしさは微塵もなかったし、際どい場所を触ってきた訳でもない。


それなのに、これまで感じた事のない、強烈な快感が襲ってきた。


皐月だって、この歳になれば、お酒を飲んで我慢ができなくなった時など、自らを慰める事もある。


怖いから、軽く触るくらいしかしないが、長くいじっていれば、時々気持ち良くなる事もある。


だが、彼から受けた快楽は、その何倍も気持ち良かった。


溜まっていたストレスが、いっぺんに消え去るくらいの心地良さ。


油断すると病み付きにやりそうなその感覚に、僅かな畏怖さえ覚えたくらいだ。


初心な少年をちょっとからかうだけの積りが、生まれて初めて、自分の方から男性に強い興味を持ってしまった。


これからどう振る舞おう?


これ以上彼を侮ると、手痛いしっぺ返しを受けるのは、恐らく自分の方だ。


流石に彼女も、触られたくらいであんなに気持ち良くなるのは不自然だ、くらいには思っている。


ただ、困った事に、彼女の心の中では、このまま彼と別れてしまうのは惜しいという気持ちの方がかなり強い。


せめてここに滞在している間くらいは、彼と仲良くしていたい。


これまでのように一人で遊ぶのが味気ないのは確かだし、勇気を出して、誘ってみようかな?


決断力と実行力に優れた彼女は、そう決心すると、和也に向けて言葉を発した。


「君さ、何時いつまでこの島に居るの?」


「何故、今そのような事を?」


「私、今日を含めて3日ここに居るの。

もし君もそれくらい居られるのなら、滞在中は時々私と遊んでくれないかな?

必要なら、お連れの方には私からご挨拶するからさ」


身体を起こし、座ったまま膝を抱えて、こちらの眼を見つめながらそう切り出してくる。


「自分も3日の予定だったから、それくらい別に構わないが」


正式な手続きを経てここに来ている訳ではないが、居ようと思えば幾らでも居られる和也は(自分達専用の部屋を1部屋持っている)、彼女の予定に合わせるために、そう答える。


先程の詫びの意味もあるし、彼女が立花皐月だというのなら、それはこれまでの働きに対する労いの意味も兼ねる。


自分の期待に応え続け、グループの貴重な戦力に成長してくれたし、有紗がかなり彼女を褒めているのだから。


「本当!?

嬉しい!

じゃあさ、何処のホテルか教えてくれる?

若しくはスマホのアドレスでも良いけど。

お互いに連絡を取りたい時、困るからさ」


「・・これは貴方を警戒してるとかではなくて、本当の事なのだが、自分はスマホを持っていない。

ここに取った部屋は既にキャンセルしてしまった。

連れが急な用事で来れないと言うので、自分も今日、帰る積りでいたから」


スマホを所持してないのは事実だし、自分の部屋を言えば身元がバレてしまうので、苦しい言い訳を考える和也。


案の定、和也の返答に対し、皐月は何かを考えていたが、出てきた言葉は予想とは大分異なった。


「ふーん、なら私の部屋に来る?

広い部屋だから、君一人くらい、どうとでもなるよ?」


「それは若い女性の取る選択としてどうなんだろう?

自分はある程度の年齢をした男性なのだが」


「君、そんな『僕は女の子に全然興味がありません』と言ってる顔して、私を襲う積りがあるの?

もしそうなら責任取って貰うから、別に構わないわよ?

島の記録を調べれば、何処の誰かは直ぐに分るから、絶対に逃がさないしね。

・・君、かなりの男前だし、凄く良い体してるし、変に落ち着いていてがっついてないし、私くらいの年齢の女性から見れば、お婿さんには最適の超優良物件かも。

本当に襲う場合は覚悟してね」


そう言いながら、冗談とも本気とも取れる表情で、和也を見つめてくる。


元々そんな気は微塵もない和也は、彼女を労う積りはあるので、その提案を最終的には受け入れる。


目の前の存在(自分が気に掛ける存在)には色々と気を配る和也であるが、それが周囲にはどう映るかまでは、あまり深く考えない。


他人の目など気にせずに、自分のやりたいようにやる。


そういう神としての傲慢さも、彼には確かに存在するのだ。


「分った。

自分にその気は全く無いから、貴女の所に世話になろう。

3日間、宜しく頼む」


「そう来なくちゃ!

・・でも、仮令それが本心でも、もう少しオブラートに包んで言わないと駄目よ?

お姉さん、ちょっと傷ついちゃうから」


「それは済まなかった」


この後、二人で元の浜辺に戻り、互いの荷物を回収して(和也はそれっぽい鞄を、見られないように収納スペースから出した)、彼女の部屋へと共に向かう。


辿り着いた部屋は、確かに広くて豪華だが、元々がカップル用なのか、ベットルームは1つしかない(ツインだからベットは2つあるし、その1つ1つがダブルベット並みの大きさがある)。


皐月が気にしていないので、和也もその事実をスルーする。


「ねえ、お腹空いてない?

シャワーを浴びたら、一緒に食べに行かない?」


「ご一緒させて貰う」


腹が空くという事はないが、食べる事自体は好きな和也は、己の嫌いな物(者ではない)でない限り、食事の誘いを断らない。


今回躊躇いなくそう答える事ができるのは、この施設には、和也の苦手な料理(素材)がないからだ。


朝だけ、それも滞在予約をする際に特別に申し込みさえすれば、和也が苦手な食材のベスト3に入る、とある日本食が用意され得るが。


その辺の事は、愛する旦那様の為、有紗に抜かりはない。


「うん。

じゃあ、先に浴びさせて貰うわね。

覗いたら、私も真似するから」


笑顔でそう言って、鞄から着替えを出すと、バスルームへと消えていく。


終始笑顔で何でもない雰囲気を醸し出していたが、実は皐月にそれほど余裕がある訳ではない。


何せ初めて男性を自分の部屋に招き入れたのだ。


それも、ついさっき、知り合ったばかりの男性を。


大分歳が離れているとはいえ、身内でもない異性を、プライベートで二人きりになる空間に招く事は、相手から『了承』と取られて行動されても、一方的には相手を非難できないと思う。


グループのモラル研修でも、仕事にかこつけて、異性を二人きりになる部屋に招かないよう注意させている。


どうしてもそういう誘いを受けなければならない女性には、常に出口を背にしながら、人知れず会話を録音するようにも勧めている。


これまであらゆる可能性を考えて、そういった事に万全の注意を払ってきた自分が、まさかこんなに簡単に警戒心を解いてしまうなんて。


正直に言えば、それ程に、あのマッサージが気に入ってしまったのだ。


社会のしがらみも、今の自分の歳も考えず、ただ押し寄せる快感だけに身を委ねる行為。


長く真面目に実直に、己の立場を見失う事なく生きてきた皐月ではあるが、やはり心の何処かに、それでは得られなかった、淡い想いが残っている。


和也を見た時、この人は信用できる、その自分の直感を信じる気になれたのも、その想いが後押ししたのかもしれない。


「やだ、やっぱり汚れちゃってる」


脱衣所で、ビキニのパンツを脱いだ時、案の定、快楽の果てに出た体液が、サポーターを汚していた。


浴室に持ち込み、急いでお湯とボディソープで洗い流す。


日焼けとはまた別のほてりを感じながら、皐月は暫くシャワーを浴び続けた。



 彼女が和也を連れて行ったのは、屋内の、落ち着いたイタリアンレストラン。


ここはパスタもピザも充実していて、少し何かを食べたい時にも重宝する。


ホテルを出る際、彼女はフロントに立ち寄り、自分のルームキーを差し出して、和也の分も登録し直していた。


この島では全ての会計がルーム№で処理されるので(建物ごとにA-○○番という風に)、無料といえど、何かをすれば退出時にカードキーの提出を求められる。


そこに予めインプットされた人数と違えば、係員にその理由を求められる。


スイートルームのような大人数で利用する事を前提とした部屋では、宿泊者全員に使い捨てのカードキーが渡される。


和也と一緒に部屋を使うなら、きちんとその分のポイントを支払って、彼の分も登録しなければならない。


使い切れないポイントを持つ皐月には、負担にすらならなかったが。


「ねえ、彼女はいるの?」


運ばれてくる料理を口にしながら、気になっている事を聴いておく。


まだ明るいから、アルコールは控えている。


「・・それは難しい質問だ。

いると言えばいるし、いないと言えばいないな」


妻が彼女という項目に入るならYESだし、入らないならNOだ。


「何それ、はぐらかしてるの?

興味本位で聴いてるだけだから、もし貴方が誰かとお付き合いしていても、別に気にはしないわよ(嘘だけど)?」


「はぐらかしてなどいない。

多分、貴女の聴いている意味では、いないと思う」


「・・そう(良かった)。

フフッ、これ美味しいわね」


思わず笑みが零れてしまう。


食事後に訪れたシアターでは、普段はあまり見ない、恋愛系の映画を楽しむ。


部屋に戻るまでの道を、二人で軽く腕を組んで歩いた。


さっき見た映画のシーンを真似て、そのヒロインのように手を差し出して催促したら、彼は苦笑しながらも、それに応えてくれた。


部屋に戻ると、また少し緊張して無口になるが、窓辺から見える美しい夕陽に励まされて、彼にお願いしてみる。


「・・またマッサージしてくれないかな?

今度は全身を、ゆっくりと時間をかけてして欲しいの」


その返事が怖くて、窓辺に立って彼に背を向けたままでいる私。


直ぐに、彼は応えてくれた。


「仰せのままに」


幸運な事に、彼はまださっきの映画の内容を引きずっていてくれた。


彼に何かを言われるより早く、服を脱いで、下着だけの姿になる。


『下着のお洒落は大事よ』


何時ぞや社長に力説された事があるから、普段から結構良い物を身に付けてはいる。


何も疚しい事はない。


それを証明するかのように、堂々とその姿を晒し、ベットにうつ伏せになる。


それから、徐にブラだけを外して、ベットサイドのテーブルに放り投げる。


近付いて来た彼が、海風を通していた窓を閉め、私の身体にそっと指を這わせる。


至福の時間が、私の嬌声と共に、その始まりを告げた。



 今回の和也は、前回の失敗を教訓に、指先に込める魔力の量を微妙に調整し、性感帯を刺激し過ぎないように気を配りながら、丁寧にマッサージを施した。


前回と違うのは、そこに身体の修復機能を持たせた事だ。


加齢による肌の衰えや、生活習慣に原因を持つ臓器の傷みを完全に修復し、瑞々しい素肌と、形成されたてのような、若々しい臓器を生み出させる。


時折物欲しそうな表情で、肩越しの視線を送って寄越した際には、お望み通りに、性感を強く刺激してやった。


そんな時、彼女は柔らかな枕に顔を押し付け、声が漏れないようにする。


しっとりと汗ばんだ素肌を、桜色に染めながら、今度は仰向けになる彼女。


大きめの胸が露になるのも構わずに、陽が落ちて薄暗くなった部屋の中で、虚ろな目をしてただじっと和也を見つめる。


希望に応え、その身体に指を這わせ続ける和也。


その瞳に邪な色の影はなく、医師の施術のように、的確に修復を施し、快感を送り続けた。


2時間程経ったであろうか、全身を包み込む快感の波に、皐月が肌を覆う最後の1枚を取り除こうと、それに指をかけた時、気付いた和也によって、強烈に性感を刺激され、果てながら、意識を手放していった。


それを見届け、その身体の上に、暑くないように薄い布団カバーの布だけを被せて、和也はリビングへと移動し、備え付けの器具で珈琲を淹れて飲む。


良い豆を使っているのか、立ち昇る芳醇な香りの中で、皐月の事を考える。


有紗を通して、彼女を間接的に知ってから、もう十数年になる。


見込みがあると言っていたので、様々な便宜を図ってやりながら、その成長を楽しみにしてきた。


自分と同じ大学に入ったと有紗が喜んだ時には、既に将来はグループの主要メンバーにしようとも考えていた。


その彼女が、あんなにも大人になっていた事は喜ばしいが、有紗のように、他の事には脇目も振らずに自己研鑽に励んだ事は、素直には喜べない。


有紗が嘗て言っていたように、学生の時しか、若い内にしか味わえないものもあると考えるからだ。


グループの立ち上がりを支えてくれた彼女には、これからも目をかけていく積りでいるが、妻達同様、明確な楽しみを与えてやれるかというと、少し心許ない。


その内エリカにでも相談してみるか。


そう思いながら、寝る前の珈琲を楽しんだ(普通は逆だが)。



 夢すら見ない、深く心地良い眠りから覚め、静かに身を起こしてベットサイドの時計を確認すると、深夜の2時。


薄く開けられた窓から、気持ちの良い夜風が吹き抜けて、時折カーテンを揺らしていく。


隣のベットを見ると、彼が穏やかな顔で眠りに就いている。


そっとベットから離れて、シャワーを浴びに行く。


唯一身に着けた下着の違和感が、半端ではない。


案の定、前回と、いや、前回よりかなり酷い事になっていた。


溜息を吐きながら、また洗う。


そして今回はもう1つ、大事な事がある。


あまりの心地良さに、ブラをしていないにも拘らず、堂々と彼に胸を見せてしまった。


今更どうしようもないが、彼なら良いやと思い直す。


多分、いや確実に、自分はまた彼に同じ事を求めるだろう。


最早完全に、彼の指先の虜になってしまった。


そこまで考えた時、自分の身体の異変に気が付いた。


身体が軽いのは前と同じだが、肌の張り、その肌理の細かさが全然違う。


気のせいか、随分と若返ったようにも感じられる。


シャワーを終え、浴室の鏡で自分の姿を見て絶句する。


どう見ても、今までより7、8歳は若く見える。


肌に至っては、10代後半のそれだ。


前回も不思議に思ったが、今回ので確信した。


彼は、恐らく何かしらの力を持っている。


素性をぼかすのも、その辺りに原因がありそうだ。


ただ、それをあからさまに追及はできない。


そんな事をすれば、彼が自分から去ってしまいかねない。


今はまだ気付かぬ振りをして、後でこっそり調べた方が良い。


そう心に決めると、彼女はベットルームに戻り、自らの体液で汚れたベットを避け、何も身に着けないまま、和也のベットに潜り込んだ(自分に害を為す悪意が感じられない限り、和也は滅多に途中で目を覚まさない)。


翌朝、目を覚ました和也によって、少し小言を言われたが、『私の部屋なんだから、別に何処でどういう風に寝たって良いでしょ』と強気に出たら、そういう事を誰かに言われ慣れているのか、溜息を吐くだけで、それ以上何も言わなくなった。


それから島を出る日まで、昼は泳いだり、散歩や食事をして楽しみ、夜はじっくりと彼にマッサージを受けて、至福の時間を過ごした。


当たり前だが、これまで休暇がこんなに楽しかった事は一度もない。


そして到頭島を去る日、私は彼にスマホをプレゼントした。


自分のは既に持っているが、彼専用のを持ちたくて2台買い、その内の1つを渡して、自分のアドレスと電話番号を入力し、メモ欄には住所と勤務先まで記載しておいた。


「一旦ここでお別れだけど、でもまた私の次の休暇の際には、必ず会いに来て。

来てくれなかったら、私の方から押しかけてあげるからね。

だから、きっとよ?」


社用機に乗り込む彼女が、和也に向けて1通の封筒を飛ばして来る。


飛び去った小型機を見送り、封筒の中身を確認する和也。


そこには、ぐっすり眠る和也の傍らに、全裸の彼女が寄り添い、和也の頬に軽く唇を当てながら、カメラ目線で微笑む写真が入っていた。


ご丁寧に、『SEE YOU』とペンで書いてある。


脅迫状の積りか。


苦笑いした和也は、写真を元の封筒に入れ直すと、妻達に見つからないように、さっさと収納スペースに放り込むのだった。

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