番外編 神の刃カイン

 ヒュン、ヒュン、ザッ、ヒュヒュン。


夜明け間近の、少し肌寒い澄んだ空気の中、剣を振る音だけが響き渡る。


一連の同じ動作を、ただひたすらに繰り返す青年。


その身体からは汗の雫が飛び散り、うっすらと湯気を放っている。


だが、その瞳には6年前に見られたような焦りの色はなく、寧ろ全体的に風格すら漂い始めている。


100以上ある、古今東西の、時代さえ超えた技の数々。


あの日、神様より授かった無数の剣の型を、極限までその身体に染み込ませ、それを基に、独自に技を生み出してきた。


6年間毎日、雨の日は雨粒を切り裂き、雪の日はその隙間を突いて、風の日はその勢いに任せて縦横無尽に剣を振るう。


朝方、3時間程剣を振るった後は、井戸で水を浴び、その後一人で迷宮へと入る。


以前は戦う力も満足な武器もなく、他のパーティーの荷物持ちをして、極僅かな収入を得ていたが、今ではたった一人で迷宮の中層近くまで潜れる。


もっと良い武器や魔法が使えれば、上層でも通用するかもしれない。


だが、1日で銀貨40枚近く稼ぐ事が可能となった今でも、青年は頑なに鉄の剣を愛用していた。


剣自体は自分で手に入れたものだが、それを神様が聖剣と呼んでも差し支えない程に強化してくれたのだ。


一人で迷宮に潜る時、最も恐れなければならない事は、戦う術と治療手段が尽きる事だ。


剣が折れれば、剣士である自分は無力に等しい。


そのため、高価な剣を買えず、他者にも頼れない自分は、本来なら何本もの剣を持ち歩く必要が出てくる。


しかし、そんな事をしていては、移動に支障を来すのは明らかだ。


その最大の問題点の1つを、この剣は取り除いてくれたのだ。


どんなに酷使しても、どれだけ敵を倒しても、刃こぼれ1つしない剣。


初めの内は、まだ剣を振るう技術も拙く、敵を倒す際、骨や甲羅といった硬い部分に刃を当てる事もしばしばだったため、これは本当に助かった。


そうして、朝と夜に鍛錬した成果を、昼に迷宮で試す日々。


時々、お金や装備品などの宝物が落ちている事もあり、彼の暮らし向きはかなり良くなっていた。


神様に剣を鍛えて貰った1年後には、朝の宿屋の仕事をしなくても良くなり、他のパーティーに加わる事もなくなった。


そこからはぐんぐん力をつけ、今では到頭念願の、妹を高等学校に通わせる事さえできるようになっている。


父親も、神様に救われて以降は兵士を辞め、キーネル様が新たに始めた都市の再生事業に参加している。


今の、以前からは考えられない幸福は、全てあの日から始まった。


あの、神様に贈り物を頂いた日から。



 疲労が限界に達し、地面に倒れ伏した自分の身体を優しい光が包み込む。


幼かった頃、何度か母に抱き締めて貰った時のような、温かな温もりを感じながら身体を起こすと、掌の血肉刺が潰れた傷をはじめ、身体中の痛みが消えていた。


そして、手にしていた剣が淡く輝いたと思うと、ボロボロに刃こぼれしていた剣が、新品同様になっている。


更に、耳元で囁かれた言葉と、頭の中に入ってくる剣の型の数々に驚いて辺りを見回すと、異国の金貨が2枚と、見た事のない紙の上に、とても美味しそうなパンが数個、置いてあった。


金貨など手にしたのは初めてだ。


妹の為に本を買う時でさえ、沢山の銀貨で払うので、店主に嫌な顔をされる事が多い。


隣に置かれたパンは、今までに見た事もないような柔らかさと、嗅いだ記憶のない、芳しい香りを放っている。


日々粗食に耐えている自分達でなくても、思わず手を出してしまいそうな代物だ。


聞こえてきた声から、自分にくれたものだと確信して、大切に家へと持ち運ぶ。


妹はまだ寝ていたが、起きた時が楽しみであった。


特別な日を除けば、いつもは夕方に1食だけというのがほとんどだったが、今日はこのパンがある。


久し振りに妹の心からの笑顔を見られる事が、少年には何より嬉しかった。



 「お兄ちゃん、このパンどうしたの?」


朝の鍛錬を終えて、宿屋に手伝いに行く前に、起き出して来た妹にパンを渡す。


「神様からの贈り物だ」


「え?

・・神様?」


「そうだ。

頑張って勉強しているお前に、神様がご褒美をくれたんだ」


「もう、幾ら私でも、そんな事信じる訳ないでしょ。

また私の為に無理したんじゃないの?」


「本当だ。

神様がくれたんだ」


真面目な顔でそう言うお兄ちゃんに、何と言って良いか分らないでいた時、入り口の戸が音を立てた。


お兄ちゃんが腰だめに剣を構える。


「誰だ?」


こんなボロ屋に人が訪ねてくる事は稀だし、時間も時間だ。


お兄ちゃんの声は鋭かった。


「ただいま」


「!!

え、お父さん?」


びっくりして声が上擦ってしまった。


お兄ちゃんも半信半疑でゆっくりと戸に近付いて行く。


薄く開けた戸の隙間から覗いた姿は、紛れも無くお父さんだった。


「どうしたの?

まだ当分帰れないと聞いていたけど」


お父さんに会えて嬉しかったけど、何かあったのかと心配になる。


「さっきまで戦場に居たんだが・・どうやら、神様に助けていただいたようだ」


「え?

・・神様?」


お父さんまで?


私は訳が分らなかったが、お兄ちゃんは真剣な表情で聴いている。


「とりあえず、家に入れてくれ。

中でゆっくり話そう」


「あ、御免なさい」


お父さんを中に入れ、椅子に座らせる。


何か飲み物を出そうとした時、お兄ちゃんが言った。


「御免父さん。

これから宿の仕事なんだ。

3時間くらいで帰るから、それまでゆっくり休んでて。

帰って来たら、取って置きのパンを皆で食べよう」


「・・そうか。

苦労かけてるな。

分った。

それまで一眠りしていよう。

砦では、あまり熟睡できなかったからな」


そう言って、お父さんは奥のベットに歩いて行った。



 「美味い!

何だこのパン」


お兄ちゃんが帰って来て、お父さんを起こすと、先ずは皆でご飯を食べた。


一口頬張ったお父さんがびっくりしている。


私も、こんなに美味しい物を食べた記憶がない。


お兄ちゃんも黙々と食べていたけれど、食べながら、静かに涙を流していた。


「どうしたのお兄ちゃん!」


やがて、堪えきれないように食べるのを止めて泣き出したお兄ちゃんに、心配になって尋ねる。


一頻り泣いた後、お兄ちゃんは言った。


「これ、前にも言ったけど、神様に貰ったパンなんだ。

なんか、食べるごとに色んな事を思い出してさ。

御免な。

もう、大丈夫だから」


今まで、私の前で泣いた事なんてなかったお兄ちゃんは、恥ずかしいのか、苦笑いしながらまた食べ始める。


そうして、パンを食べながら、皆で色々な話をした。


お父さんの砦での生活の事。


お兄ちゃんの仕事や剣の練習の事。


私の勉強の事など。


食べられる物を、ただ作業のように食べていた時と違い、美味しい物を食べながらの会話は、とても楽しく笑顔に溢れていた。


お兄ちゃんが神様から金貨を貰ったと言って、私の誕生日に新しい服を買ってくれると言った時には、凄く嬉しかったけれど、同時に、申し訳なかった。


お兄ちゃんは何時でも私の事ばかりで、自分のものは、何でも後回しにしていたから。


そんな私達を、お父さんは穏やかな、優しい眼で見ていた。


私達兄妹が仲が良いのが嬉しかったのかな。


でもそんな事、当たり前だよね。


お兄ちゃんと喧嘩するなんて、考えられないし。


一生懸命勉強して、任官試験に合格したら、お兄ちゃんに沢山美味しい物をご馳走するんだ。


お兄ちゃんには幸せになって欲しい。


いつもあんなに頑張っているのに、あまり皆に評価されてこなかったお兄ちゃん。


だから、誰よりもお兄ちゃんの事を分っている私が、他の人の分まで褒めてあげるんだ。


お兄ちゃんは神様が私にご褒美をくれたなんて言ってるけど、本当はお兄ちゃんにくれた事、ちゃんと分っているんだからね。



 それから、6年の月日が流れた。


お父さんはあれから兵士を辞め、暫く市場で力仕事をしていたけれど、今はキーネル様の興した事業に参加している。


元々、人の為になる仕事を望んでいたお父さんは、上下水道の整備事業で設計に携わり、日々忙しく駆け回っている。


今では帝都近くの宿屋に寝泊りし、週末に家に帰って来るくらいだ。


お兄ちゃんは、益々格好良くなった。


鍛え抜かれて引き締まった身体に、穏やかで、優しい眼差し。


でもいざとなると、迷宮でも一人で戦えるくらいに強い。


私を高等学校に通わせてくれてもなお、十分なお金が余るようになってきたお兄ちゃんには、言い寄って来る女性が多くなった。


内心気が気でないけれど、顔には出さない。


今の所、誰一人相手にしていないみたいだしね。


お家も大分立派になった。


立て付けの悪かった戸も新しい物に交換され、部屋も増築と改修を重ねて、私が学校のお友達を呼んだとしても、恥ずかしくないくらいになっている。


肝心の私はと言えば、・・勉強だけは胸を張れるかな。


この間の試験でも、学年で1位だった。


あと1年ちょっとで卒業だけど、入学以来、ずっと1位を守っている。


だって、既にお兄ちゃんが買ってくれた本で覚えている事ばかりだし、知らない事は図書館で何でも学べるしね。


無料で本が読み放題なんて凄い事だと思うのに、何で皆あまり使わないのかな。


高い授業料を払っているんだし、もっと有効に使えば良いのに。


・・まあ、私の場合は、そのお金はお兄ちゃんが危険と隣り合わせで稼いでくれてるものだから、仮令銅貨1枚分でも無駄にしたくないからだけど。


そうして、いつも図書館で静かに本を読んでいたら、何を勘違いしたのか、男子から手紙を貰う事が増えてきた。


内容は、大体皆同じ。


僕とお付き合いして下さいみたいな。


でもね、はっきり言うと少し迷惑かな。


今の私にはそんな暇ないし、お兄ちゃん以上の男子なんて、見当たらないしね。


勿論、丁寧にお返事は書くよ。


礼儀も知らない奴だなんて言われたら、お兄ちゃんの恥にもなるし。


あんまり勉強以外の手間を増やして欲しくはないんだけどね。



 その日はちょうど学校もお休みで、お兄ちゃんも迷宮に行くのは止めて、二人でのんびりしていた時だった。


6年前のドガ王国の襲撃以来、何の戦闘もなく、国民の誰もが平和な時間を享受していた。


そんな中、帝都全域に届くような警報が鳴り響く。


人々は何事かと家から出てきて、街中を兵士が走り回っていた。


・・どうやらまた、ドガ王国が攻めてきたみたい。


しかも今度は本気で、同盟国を巻き込んでの兵力は約10万との事。


前回の教訓から、有力諸侯にある程度の兵士を帝都に留めておくように義務付けはしたものの、帝国自体が兵力の削減を進め、今の兵力は全盛期の半分程度になっている。


キーネル様の意見を採り入れた現皇帝が、戦より、民の暮らしを優先させた結果であった。


帝国の主力であった魔導船も、3隻の内、2隻は完全に新造されたが、その動力源である肝心の風の魔素結晶が未だ手に入らないため、動かす事もできずにいる。


暫くすると、王宮より志願兵を募集する旨の呼びかけがなされ、学校も、戦が落ち着くまで全て休校になった。



 「お兄ちゃん、何処に行くの?」


降って湧いた休みの間、何をしようか考えていた時、部屋から完全武装のお兄ちゃんが出てきた。


「まさか志願兵に参加するなんて言わないよね?」


心配で、つい言い方がきつくなる。


「御免ねミミカ。

僕は参加するよ。

前回と違い、今の僕には戦う力がある。

お前を守るための力が。

僕が参加する事で、一人でも多くの仲間が助かり、救われる命があるのなら、観ている訳にはいかない。

神様がくれたこの力は、僕だけのものではないと思う。

お忙しい神様の代わりに、少しでもこの世界のために働けという事なんじゃないかと思うんだ。

・・だから、行って来る」


剣の腕と共に、人格まで磨いてきたお兄ちゃんは、昔よりずっと品格がある。


もう貴族と見分けがつかない程に。


そしてその志は、その辺の貴族の遥か上を行くまでに美しい。


何か反論しようとしても、こうまで言われてしまっては、我が儘にしか聞こえないだろう。


お兄ちゃんの馬鹿。


無事に帰って来なかったら、承知しないんだからね。


「・・そう。

・・いってらっしゃい。

なるべく早く帰って来てね」


言うべき言葉が見つからない代わりに、立ち上がって、お兄ちゃんを精一杯抱き締める。


お兄ちゃんは、俯く私の頭を優しく撫でて、静かに家を出て行った。



 「キーネル様、この者達が、今回集まってくれた志願兵の方々です。

何かお言葉を」


彼の側近らしい男がキーネルを促す。


それに応え、ここ数年で、あらゆる面が見違えるように成長した男が、王宮のバルコニーから語りかける。


「皆さん、本日は帝国の危機に立ち向かうべくお集まりいただき、有難うございます。

6年前とは異なり、今回はドガ王国も本気です。

新造された魔導船の動力源たる風の魔素結晶が未だ手に入らない以上、厳しい戦いになるでしょう。

多くの者が傷つき、命を落とす事になるかもしれません。

・・ですがどうか皆さん、忘れないで欲しい。

戦で命の危険を感じたら、逃げても構いません。

国あっての民ではない。

民あっての国なのです。

皆さんの命以上に大切なものなど、この国にはありません。

もしもの時は、我々王族が責任を取ります。

皆さんは、帰りを待ち望む大切な人達のために、どうか生き残って下さい。

・・今回は、こんなに沢山の方々に支えられている事を、私は誇りに思います。

有難う」


演説が終わって暫くは、何の反応もなかった。


だがその後、地鳴りの如く歓声が沸き起こる。


人によっては軟弱と非難される言葉の数々は、彼が心からそう願っている様が通じた事で、より昇華された意味を帯びる。


この戦いは、怒り、憎しみ、欲望のためのものではない。


大切な人を守るため、自分の大事なものを懸けて挑む戦いなのだ。


今ここに居る、3万の者達の心が1つになった瞬間であった。



 「援軍はまだか?」


敵の10万の軍勢を前にして、ドガ王国と国境を接するエルクレール帝国の砦では、司令官の男が、その日何度目かになる同じ質問を部下にしていた。


前回の襲撃による教訓から、キーネルは、砦の規模を5倍に増やし、常駐する兵の数を6倍にした上で、長い間、家族と別れさせないために、それまで数年は帰れなかった兵達を半年交代で入れ替え、最低でも1年の半分は家族と共に過ごせるようにした。


家族の中に4歳未満の子供がいる兵士は、遠隔地の砦勤務から除外され、帝都の守備兵とされた。


また、侵略戦争を放棄し、専ら防衛に徹するという考えに立ち、施設の強度と防衛手段にのみ力を入れた結果、各地の砦は、砦というより要塞のような趣を帯びている。


兵の半分は有力諸侯から出させ、滞在中は剣や魔法の訓練や設備増強、清掃などの雑務を課す代わりに、食事の質と量を大幅に改善し、半年の任務終了後には、兵士一人一人に銀貨50枚が特別支給された。


その結果、兵士達のやる気と忠誠心が大幅に向上し、日々の訓練の成果も見違えるように伸びて、帝国が推し進める兵力削減にも寄与している。


魔法兵の配置を増やし、砦内でも訓練させた事で、兵全体における女性の割合も増え、その事も、砦の雰囲気を良くする一因になっている。


そんな、何もかもが改善された状況下にあっても、10万という数の軍勢は、2000しか守備兵のいない砦にとって、脅威以外の何ものでもなかった。


「残念ながら、未だ視界に入って来ておりません」


対する部下の返答も、毎回代わり映えがしないものだ。


この部下をはじめ、兵士達にあまり動揺が見られないのは、こちらから打って出る必要がないためと、前回と比べ、格段に防衛力が高くなった砦のせいであるが、それさえも、10万という数で、損害を気にする事なく一気に攻めて来られれば、一体どれ程持ち堪えられるであろうか。


敵が様子を見ているのは、砦を落としあぐねているというより、前回、援軍としてたった一人で6000の兵を蹴散らした、セレーニア王国のマリー将軍を恐れてと思われる。


事実、あの後我が帝国は、真っ先にセレーニア王国に使者を送り、お礼の品々を届けたが、女王はその事を知らず、何とマリー将軍の独断だった。


そしてそれを知った女王も、将軍が、『旦那様の御意思ですので』と告げると、『それなら何の問題もないの』で済ませてしまったそうだ。


正式な援軍要請も必要なく(神の尖兵だと噂されている)、長距離移動における時間的ロスも考慮の必要がない(驚くべき事に、国家間の距離でさえ転移の魔法を行使するそうだ)今のマリー将軍には、近隣諸国で刃向かえる国がない。


今ではどの国も決してセレーニアを刺激するような事はしない。


こちらから手出しをしなければ、向こうからは絶対に攻めて来ないからだ。


だが、どうやら痺れを切らしたようで、敵陣に動きがあった。


重装歩兵の列が前進を開始し、その後ろに魔法兵の集団が控えている。


膠着状態の間に組み立てていた攻城兵器も複数見られた。


「全守備兵は第一次戦闘体制のまま待機。

攻撃を受けても援軍到着までは防御に専念せよ」


司令官の指示を受けて、2000の守備兵が配置につく。


ここに、その後の近隣諸国の情勢を決定づける、第二次ドガ戦争が始まりを告げた。



 「全軍止まれ。

もう直ぐ我が軍の砦が視界に入る。

各連隊長は大隊長以下に伝令。

兵士の状態を確認し、休息を取らせよ」


キーネルの命令を受け、強行軍で来たエルクレール軍に、暫しの休憩と補給が与えられる。


輜重部隊より配給された水と軽食を取りながら、各兵士が思い思いに戦闘前の休息を取った。


総司令官であるキーネルは、この間各部隊に足を運び、兵士達の姿を見て回る。


どの兵達も皆気力に満ちていたが、その中で、一人だけ他の者と離れて腰を下ろし、静かに瞑想している青年に目を留めた。


戦いを恐れて震えている訳でもない。


かといって、これからの戦闘に興奮して気を高ぶらせている訳でもない。


あくまで自然体に、穏やかにさえ見える青年に、キーネルは興味を持った。


軍で見た事はないから軍人ではないだろう。


前回の志願兵には居なかった事を考えると、戦士としてそれほど戦闘経験が有るようには思えない。


貴族でない事は明らかだが、何処となく品がある。


話してみたい衝動に駆られ、彼に近付いて行った。


「邪魔して済まない。

少し話をしても良いかな?」


キーネルの問いかけに、青年は閉じていた瞼を開き、その顔を見る。


キーネルだと分ると、徐に立ち上がり、一礼して答えた。


「何でしょうか?」


「君は軍人ではなく志願兵だと思うが、今までは何を?」


「この6年は迷宮に潜って生計を立てておりました。

前回の志願には、年齢と経験不足で参加できませんでした」


「迷宮には一人で?」


「はい。

他に仲間がおりませんので」


「何処の迷宮かな?」


「第7迷宮です」


「ほう」


迷宮とは、国や大きな町を造る際、建設中の都市に魔物が寄って来ないように、その近くの森や山岳地帯などに設けた祠に、ある程度の大きさの穴を掘った区画を造り、そこに分裂と再生の魔法を掛けたコアを設置して、地下に向かって空間分裂を繰り返させ、その中に、魔物をおびき寄せる餌を撒いて誘導し、一時的に都市周辺の安全を図ったものが、数百年以上の長い年月の放置を経て、コアに高濃度の魔素が蓄積され続けた結果、数十、数百の分裂を繰り返し、誕生したものだと言われている。


分裂の魔法の対象は、有機物や複雑かつ高度なものは無理で、せいぜい大きな穴程度の空間や、単純な成分の岩石などであるが、それすら1回の分裂ごとに厖大な魔力(最初の入り口となる500坪程度の空間でさえ、魔素の蓄積に長けたエルフの約千人分とされる)とかなりの時間を要するので、今では誰も使う事がない(というか使えない)。


迷宮とは、文明の発達が今よりずっと未熟で、世界中に魔素が溢れていた時代こその産物で、これから造る事はまず不可能なのである。


そのため、仮に最深部にあるコアの奪取に成功した場合、冒険者ギルドとその迷宮が存在する国への報告が義務付けられており、奪ったコアの代わりに、新しいコアを設置する事も課されている。


それには当然、分裂の魔法も再生の魔法も掛けられていないので、その迷宮はそれ以上成長する事はないが、魔素の異様に濃い場所に置かれる事で、新たな魔素結晶が生まれる事を期待しての措置である。


魔の森に代表される広大な森林地帯(その広さは地球のオーストラリア大陸とほぼ同等)などを除けば、迷宮の中は他よりずっと魔素が濃い場所故、魔物や魔獣が集まり易く、冒険者達にとっても都合が良いため、この規定は、ギルドで冒険者に登録しようとする者には必ず伝えられた。


尤も、世界各地に現存する迷宮で、コアの奪取に成功したものは僅か3つで、何れも比較的新しい迷宮ばかりである。


造られてより500年を超える迷宮は、そのどれもが難攻不落な存在として、未だ冒険者達の野心を掻き立てていた。


再生の魔法も、人に用いる治癒魔法とは異なり、初めは、戦闘などで周囲に拡散した無機物に、時間をかけて元の原型を取り戻させる効果くらいしかなかったが、数百年、数千年とその中で戦闘が行われ、人の行使した魔法と、人や魔物の死体から、通常よりかなり多くの魔素がコアに蓄積され続けた結果、今では下位の魔物くらいなら、ある程度の頻度で発生するまでに至った。


人の死体の一部を基に人間が発生しないのは、魔物より構造が複雑な事と、高濃度の魔素が溢れた空間に長期間放置されて死体が汚染されるためと言われている。


更に、ゴブリン、オークといった繁殖率の高い魔物が住み着いた迷宮は、それらが巣を作るために地中を縦横無尽に掘り進めるため、分裂の魔法の規則性がなくなり、文字通りの迷宮と化した。


エルクレール領内には全部で9つの迷宮があり、其々に番号が付されている。


中でも第7迷宮は最大規模の迷宮で、確認されているだけでも地下50階層あり、魔獣や魔物にも強力な存在が多いと聞く。


毎年多数の者が挑戦しているが、そのほとんどは10階層までの浅い階層で活動し、それでも結構な数の死者が出ていた。


帝国は、あまり迷宮探索に乗り気ではなかったが、魔素結晶を失い、迷宮最深部にあるコアが必要になった事から、冒険者ギルドに懸賞金を出し、間接的に支援している。


通常の転移魔法は、移動する場所を正確に把握する必要がある。


よって、神の瞳のような特殊な魔法で遠隔地を直に見渡せなければ、一度その場所を訪れて何か目印を残し、そこに自身の魔力を注いで移動先の場所を確定させてからでないと、危なくて使えない。


有機物や、岩などの空洞のない物体の中に移動する事はない(洞窟や住居の中はこの点で移動可能)が、最悪、火山の火口や海の中に落ちる事すらあるのだ。


残した目印が破壊されると場所の特定が不可能になり、更には、迷宮中枢のような魔素の異様に濃い場所なども、自身の魔力がその場の魔素に打ち消されてしまうため、エルフを含めた人族の魔力では到底、転移などできなかった。


また、転移魔法を行使できる者がこの世界にはほとんど存在せず(使用できる者でも厖大な魔力が必要になるため、国家間など長距離を移動できる者はいなかった。その点でも、マリー将軍の魔法は飛び抜けている)、遠方の迷宮を攻略するには近くの町や村で何日も滞在する必要があり、その地域の経済に良い影響を与える事から、最近では、積極的に他国の者にも便宜を図っていた。


「因みに何階層まで?」


「まだ23階層が限度です」


「・・それも、一人でかい?」


「はい。

幸いにも、私には神に頂いたこの剣と技がありますので」


「神に?

・・その剣を見せて貰っても良いかな?」


「はい。

こちらです」


青年はキーネルに鞘ごと剣を渡す。


キーネルはゆっくりと剣を抜き、具に観察したが、どう見ても普通の鉄剣にしか見えない。


「私には普通の鉄の剣にしか見えないが、何か特別な力が宿っているのかい?」


「はい。

この剣はどんなに酷使しても、何を切ろうとしても、決して折れたり刃こぼれしたり致しません」


「成る程。

でも、それだけかい?」


「はい。

他は普通の鉄剣と同じです」


嘘を吐いているようには見えない。


だとすると、鉄剣1本で第7迷宮の中層まで、一人で行ける実力がある事になる。


我が軍の精鋭がパーティーを組んでも、偵察ではなく戦闘目的なら、おそらく30階層が限度だろう。


キーネルは益々この青年に興味が涌いてきた。


「先程剣と技と言っていたけど、技も神から頂いたのかい?」


「はい。

6年前、仕事と鍛錬で疲れ、倒れた私に、神はこの剣と無数の剣の型、それと金貨2枚に美味しいパンを数個、授けて下さいました」


「今、パンと言ったかい?

そのパンに何か付いてなかった?」


「パンに敷かれた包装紙がありました。

可愛いエルフの絵柄の付いた・・これです」


青年は懐から、丁寧に折り込まれ、高価な革の袋に入れられた1枚の紙を大事そうに取り出す。


それを見たキーネルの表情が真剣になる。


「君、名前は何といったかな?」


「カインと申します」


「ではカイン、以後は私直属の部隊に入ってくれ。

今の部隊長には、私から話を通しておく」


「私は平民ですので、貴族中心のキーネル様の部隊では、ご迷惑になるかと」


「安心してくれ。

私の部隊にそんな事を気にする者は一人もいない」


神からの贈り物を受けた人物を放置する程、キーネルは甘くはなかった。



 「彼女達の魔力は、あとどの程度持つと思う?」


敵からの攻撃魔法の連発に懸命に耐えている障壁魔法師達を見ながら、司令官は副官に尋ねる。


「恐らく、今日一杯がせいぜいでしょう」


日頃の訓練や兵士達への問診から、大体の能力を把握している部下が答える。


「攻撃魔法部隊と弓隊に、敵の攻撃の合間に攻撃を仕掛けさせろ。

重装歩兵隊は敵の弓矢から魔法師達を守れ。

少しでも障壁魔法師達を休ませるのだ」


司令官の指示を、伝令役が各部署に伝えに行く。


「援軍はまだか。

このままではジリ貧だ」


キーネルが軍の改革を行って以来、それまでの、何事においても上下関係が絶対視された風潮が弱まり、部下の意見でも、それに尤もな理由さえあれば耳を傾ける上官が現れ、そうした部下達との交流を通して、以前よりずっと彼らを大切にする上官が増えた。


この司令官もその一人である。


できれば誰一人死なせたくない。


だが、このまま援軍が来るのが遅れれば、この砦の兵だけで10万の敵を迎え撃たねばならない。


全滅は免れないだろう。


今は唯、援軍の到着を祈るしかなかった。



 行軍を再開したキーネル達の視界に、敵と戦闘状態にある砦が入ってくる。


「全部隊に通達。

この戦いは敵の殲滅が目的ではない。

決して深追いはするな。

負傷兵は一度隊列を退き、治癒魔法師の治療を受けても構わん。

自身が何のために戦うのか、絶対に見失うな」


馬上から、キーネルが戦闘前の指示を出す。


その隣には、キーネル自身が他部隊から引き抜いたカインの姿があった。


「君は戦争においては今日が初陣だろう?

迷宮での単独戦闘とは色々勝手が違うと思うが、頑張ってくれ。

戦い方は君に任せる」


「はい。

有難うございます」


カインは心の中で、先程のキーネルの言葉を噛み締めていた。


『自身が何のために戦うのか』


自分は今まで、ただ生活のためだけに戦ってきた。


生きる事に、妹を守る事に必死だった。


神の助力を得て、ある程度のゆとりができてからも、常に一人で戦ってきたから、迷宮で気を抜いた事はない。


だが今、多くの仲間と共に、初めて、人を守るという目的のみに剣を振るおうとしている。


『将来を楽しみにしているぞ』


あの時の神の御言葉が蘇る。


やっと、その御言葉に応えられる機会が来た。


僕の剣は、神のご期待に叶うものになったであろうか。


願わくば、我が剣技が、少しでも人の役に立ちますように。



 「遅くなって済まない。

今まで一人の犠牲も出さず、よく持ち堪えてくれた」


大歓声と共に迎えられた砦の中で、キーネルは司令官を労う。


「砦の守備兵を下げて休ませてあげてくれ。

我々が前線に出る」


敵の猛攻に疲労困ばいの兵達が、安堵の表情を浮かべて下がっていく。


「隊列を整えよ。

重装歩兵隊前へ。

次いで歩兵、魔法部隊と続け。

歩兵は無理せず、敵の負傷兵の確保を第一に。

弓兵は砦から敵の魔法部隊を中心に攻撃。

治癒部隊は砦から離れるな。

必ず護衛を連れて行動せよ。

敵の弓隊に気を付けるんだ。

攻撃を受ける重装歩兵隊を中心に、前線で無防備になりやすい歩兵と弓兵の治療を頼む。

魔法部隊は戦闘開始直後に一斉攻撃。

自身の半分程度の魔力を使ったら砦に退避。

以後は砦に接近する敵の攻城兵器と重装歩兵隊への攻撃を頼む」


キーネルが指示をとばす間も断続的に敵の魔法攻撃を受けていた、障壁魔法師達の魔力切れが迫って来た。


「出るぞ!

戦闘ラインは治癒魔法が届く100mを維持。

それ以上は追うな。

敵の糧食が尽きれば勝ちだ。

・・開門!!」


キーネルの叫びと共に門が開かれ、盾を構えた重装歩兵隊が前進を開始する。


その時、彼にとってはもう馴染み深い、あの蒼き風が吹いた。



 「一体何をやっている!!

まだ砦の門すら破壊できんのか!?

何時マリー将軍が来るか分らんのだぞ。

それまでに砦の内部まで攻め込むんだ。

そうすれば、あの狼の神獣は使えん。

魔法部隊は魔力切れまでどんどん打ち込め。

歩兵隊を突撃させろ。

被害は考慮せずとも良い」


ドガ王国の総司令官が怒鳴り散らす。


その周囲で、彼の側近や同盟国の将達が、顔には出さないが、内心でうんざりしていた。


それならもっと早く総攻撃を掛ければ良かったのに、マリー将軍に怯えて攻撃を躊躇っている内に、敵の援軍の到着を許したのは彼なのだ。


6年前の攻撃に参加して捕虜となったが、多額の賠償金との交換で解放されたらしい。


本来なら落ちぶれるところ、運良く彼の妹が国王の第4夫人となった事から持ち直し、今回の遠征で総司令官に大抜擢された。


だがその内実は、有能な大貴族達がマリー将軍の噂を恐れて誰も引き受けず、貧乏くじを引かされたとの専らの噂である。


知らぬは本人とその身内のみだった。


「報告致します。

敵の砦の門が開かれました。

打って出るようです」


伝令が本陣に駆け込んでくる。


「そうか!!

勝ったな。

全軍に突撃命令を出せ。

俺も出るぞ!」


最早彼の頭の中には、本国で華々しく凱旋する自身の姿しか映らなかった。



 こちらが開門した事で勢いづいた敵の大軍勢に向かって、蒼き風が吹き抜けていく。


平原を埋め尽くす大集団の中から、幾つかの淡い輝きが生じては、その者を伴って何処かへと消え去ってゆく。


そんな幻想的な光景を見ながら、カインは心の中で再び思う。


神が見ていて下さる。


恥ずかしい戦いはできない。


自分は今この時より、その御意思のままに剣を振るう神の尖兵。


6年の歳月、磨き抜いた剣技の数々、是非ご覧下さい。


カインがそう誓った将にその時、彼の腰に差した剣の鞘が光り輝く。


その事に気付いた彼が剣を抜き、眼前で確かめようとすると、剣に異変が起きた。


柄から徐々に光を帯びていく剣は、その光が通り過ぎるにつれ、元の鉄から別の金属へと変質していく。


ミスリル。


魔法耐性に特に優れ、鋼鉄でも切り裂く事が可能な特殊金属。


その希少性から、物によっては金貨2千枚以上するとも言われる材質の剣を、彼は握っていた。


頭の中に、決して忘れた事のない、懐かしい声が響いてくる。


『この6年、よくぞここまで努力した。

心に疚しさを持たぬお前の剣は、我が意志を代行するに相応しい』


カインの右手の薬指にリングが生じる。


『瞳を閉じ、ゆっくりと見開くが良い。

お前には見えるはずだ。

我が怒りをぶつける対象は、紅く光っている。

その者達には存分に力を振るうが良い。

既にここには居らぬが、蒼き光を放つ者を斬ってはならん。

光を放たぬ者達は、天秤の傾きが微妙な存在。

殺すまでもないが、向こうから仕掛けてくるならやむをえぬ。

お前の判断に任せる。

今後も精進を重ね、己が正しいと感じる事、守りたいと願う者達の為に、その剣を振るうが良い。

お前が願う時、その眼前には何時でも光り輝く門が現れる。

その門を潜れば、我が眷族の一員だ。

本来なら一人でしか潜れぬが、その時お前が心から愛する者の帯同を、一人だけ許す。

眷族として生まれ変わる際、容姿はその者が最も美しい時期に設定される故、焦る必要はない。

再び会える時を楽しみにしているぞ』


神の声を聞き終えた彼は、剣を握りながらその瞳を閉じる。


我が神は、こんなにも自分を気遣って下さる。


報われぬと諦めていた想いでさえも、叶えられるかもしれない道を示して下さった。


閉じた瞼の端から、一筋の涙が流れ落ちる。


そのご恩に報いるため・・いざ、参る!!


瞳を開いた彼の眼前に、多数の紅い光が蠢いている。


神の力によって、材質はおろか、その形状まで変化した片刃の剣の、その刃の部分が蒼い光を放っていた。



 カインの隣に居たキーネルは、彼同様、その鞘が輝いている事に気が付いた。


彼が剣を抜き、その刀身が変化していく様を間近に見ながら、この戦の勝利を確信する。


父の剣と同じ材質故、その剣がミスリル製であろう事は分ったが、刃の部分が蒼い光を放っている事から、何らかの神の力が宿っている事も想像がつく。


蒼き風が吹いた直後より、敵兵の中から消失していく者が出始め、敵陣に動揺が見られる。


この機を逃す手はない。


「今、我が軍に神が手をお貸し下さった。

神は正しき者の味方。

正義は我らにあり。

全軍、奮闘せよ。

一人も欠ける事なくリベラに帰ろうぞ!!」


キーネルの叫びに、敵兵が消える不思議な光景を見せられた自軍の兵達から、大歓声が沸き起こる。


戦の大勢が決した瞬間であった。



 「ぐはっ!」


「ひっ!」


カインは一人、最前線で剣を振るう。


並みの兵では剣筋さえ見切る事ができず、集団でかかろうにもその奥義の前に武器ごと斬り裂かれ、魔法攻撃は彼の剣に吸収されて、敵には正に為す術がない。


勢いに乗ってキーネルが定めた戦闘ラインを越えようとした際、砦から、彼に向けて魔法が掛けられる。


治癒の上位魔法、リジェネレーション。


かなり多くの魔力を消費し、使える者も極僅かしかいないこの魔法は、掛けられた者の体力と気力を数分の間、回復し続けるものだ。


これでまだまだ戦える。


支援してくれた誰かに感謝しながら、彼の剣は、益々冴え渡った。


「死ねーっ!」


呪詛の言葉と共に迫り来る紅き敵を、一刀のもとに斬り伏せる。


「く、来るなっ」


怯えで武器を構えたまま動けずにいる無色の敵は、峰打ちで無力化する。


6年前のあの日の自分と同じように、彼らにはまだ可能性が残されているのだから。


鬼神というより、ある種の美しささえ感じる彼の剣技。


自分に斬りかかる敵でさえ、人としての良心を持つ者ならば生かそうとする活人剣。


彼は紅き光を放つ者しか追わない。


紅い光を帯びる者しか斬り伏せない。


何時しか、彼の周囲に道ができ、無色の者達が退いて行く。


その先に、真紅に輝く敵の大将が居た。



 「何だあいつ、化け物か?」


たった一人で何百という仲間を倒していくカインを見て、味方の軍が動揺し始める。


「魔法兵、あいつに攻撃を集中しろ!!

他は無視して構わん!!」


大隊長らの指示に、砦の門から敵の重装歩兵に対する範囲魔法へと攻撃を切り替えようとしていた魔法兵達が一旦詠唱を止め、個人攻撃用の呪文を唱えようとする。


だがその隙に、護衛の兵達を易々と斬り裂いて懐に入られ、為す術もなく倒されていく。


詠唱が間に合った兵の攻撃も、彼の素早い動きに翻弄され、中々当てる事さえできず、僅かに当たった何発かの攻撃は、その剣の刀身に吸収されてしまった。


あっという間に魔法師の1大隊が全滅させられる。


まるで悪夢を見ているようだった。


魔法師を沈静化させた彼は、再び他の部隊を攻撃し始めるが、よく見ると何か違和感を覚える。


彼が通り過ぎた後には兵達が倒れ伏していくが、死んでいるのはその内の1割程度で、あとの残りは苦痛に蠢くだけで命がある。


先程攻撃を受けたばかりの魔法師部隊も、その大半が生きているように見える。


何故かは分らぬが、わざわざ峰打ちと使い分けているようだ。


そういえば、彼は近くに居る者を無差別に攻撃している訳ではない。


手を出さなければ見向きもされない兵士も多い。


まるで、初めから攻撃する兵士を決めているような戦い振りである。


そうこうする内に、同盟軍の兵士達が撤退し始めた。


どうやら指揮官をやられたらしい。


釣られて自軍の兵士にも逃げ出す者が出始めた。


「・・潮時だな。

だから嫌だったんだよ。

神が味方している軍に勝てる訳がないのは、6年前に分っていただろうに。

せいぜいあいつには責任を取って貰うとしよう」


そう言い残し、ドガ王国の副官は何処かへ去って行った。



 「どいつもこいつも何をやっている。

敵の数倍の戦力があるのにまだ砦を落とせんのか!」


楽勝だと思ったら、苦戦を強いられてるのは自軍の方で、最前線がどんどんこちらに近付いて来ている。


「副官を呼べ。

同盟軍の兵士をもっと前に出せ。

奴等なら使い捨てにしても構わん」


全くもってけしからん。


俺はいつまでもこんな所で野営などしたくはない。


一刻も早くエルクレールを落として、やりたい放題するのだ。


近隣一の大国なら、さぞかし金も貯め込んでいるに違いない。


女だって選り取り見取りだ。


・・そうだな。

いっそ、本国に帰るのを止めて、エルクレールの王にでもなるか。


「申し上げます。

副官殿が見当たりません。

兵の中に、何処かへ馬で走り去るのを見たという者もおります」


「はあ?」


妄想を邪魔されて不機嫌そうに答えるが、次第に状況を把握する総司令官。


「何だと!

では今、前線を支えているのは誰だ?」


「それが・・ひっ!!」


答えようとしていた兵が、後ろを振り返り、何かに怯えたように逃げて行く。


そして、遮る者のいなくなったその先に、一人の男が立っていた。


「貴方がドガ王国軍総司令官殿ですか?」


「いかにも。

お前は誰だ?」


「私は、エルクレール軍志願兵の一人、カインと申します。

神の命により、その命、貰い受けます」


ゆっくりと、男に近付くカイン。


「ま、待て。

取引しよう。

そんな、いるかいないかも分らん神などというものより、俺に仕えないか?

望むものは何でもくれてやるぞ?」


顔を引き攣らせ、苦し紛れに言ったその言葉が、彼の最後の言葉になった。


「総司令官殿が討たれた!!」


誰かの叫びが敵兵の撤退を引き起こしてゆく。


ここに、第二次ドガ戦争は、事実上の終わりを告げた。



 「敵の総司令官を討ち取ったそうだな。

君が最前線で暴れ回ってくれたお陰で、他への敵の圧力が弱まり、今回も一人の死者も出さずに済んだ。

防戦に徹したとはいえ、これだけの規模の戦いでは奇跡と言える。

本当に有難う。

君とリサさんには、後で特別なお礼が必要だな」


砦に戻って来たカインに、キーネルが感謝と労いの言葉をかける。


「いえ、私は神のお力をお借りして、ただその命に従っただけです。

事前に指示された戦闘ラインを大幅に越え、単独行動した事を深くお詫び致します」


カインは丁寧に頭を下げる。


「戦い方は任せると言ったのは私だ。

気にする事ではないよ。

それより、君に紹介したい者達がいる。

この二人だ。

私の右腕であるロッシュと、その妻のリサさん。

これからも顔を合わせる事になるだろうから、仲良くしてくれると嬉しい」


キーネルの意味ありげな言い方も気にはなったが、先ずは二人に挨拶するカイン。


「初めまして。

志願兵に参加させていただいたカインと申します。

平民ですが、宜しくお願い致します」


「こちらこそ宜しく。

私は貴族といっても下級だから、そんなに畏まらずに、普通に接してくれると嬉しい」


「妻のリサと申します。

私も平民の出ですし、普段は療養所で皆さんの治癒をしていますので、良かったら訪ねてみて下さいね」


まだ20代前半くらいに見える若い夫婦。


それでいて、キーネル様の片腕とまで言われる人物と、治癒魔法の使い手。


・・治癒魔法?


「あの、戦闘中の私にリジェネレーションを掛けて下さったのは、もしかして・・」


「はい、私です。

砦から見ていて、一人凄い人がいるなと思っていたら、どんどん先へ進まれていたので、魔法が届く内にせめてもの助力をと。

お役に立てていたら幸いです」


「有難うございました。

お陰で存分に戦えました。

誰かに助けていただいたのは初めてですので、とても嬉しかったです」


「初めて?

・・今度、是非家にいらして下さい。

主人共々、色々とお話したいわ」


カインの言葉に驚いて、彼を具に観察したリサが、その右手の薬指に嵌まっているリングに目を止める。


一瞬だが、明らかに何かに気付いたように目を見開いたのを、カインは見逃さなかった。


今度は彼が、彼女の右手の薬指を見つめる。


「ええ。

是非お邪魔させて下さい」


そこにはやはり、自分と同じリングが光っていた。



 3日後、軍の半分と志願兵全員を連れたキーネルが帝都の門を潜る。


6年前も凄いと感じたが、今回の大歓声はその比ではなかった。


事前に早馬で、一人も犠牲を出さずに勝利した事を知らせてある。


戦闘で捕虜にした敵兵の数も前回より大幅に増え、その管理と共に、傷ついた砦の修復と事後の備えに、とりあえず軍の半数を残してきた。


父である皇帝に戦の報告をしに訪れた謁見の間で、皇帝をはじめ多くの重鎮達がキーネルを出迎える。


「此度の戦も素晴らしい働きであった。

6年前といい、一人の犠牲も出さずにドガ王国に勝つなぞ到底できるものではない。

・・今回の功績を以って、そなたを皇位継承権第1位に復帰させる。

これからも・・」


「お待ち下さい!」


皇帝の、息子に対する慈愛に満ちた言葉を、不躾な物言いが遮る。


「何事だ?」


自身の言葉を遮り、その決定に不服があるとでも言うような物言いに、皇帝が鼻白む。


只でさえ、皇帝の公式の言葉を遮るなど、あってはならない事。


その事を、口にした本人も気が付いたのか、真っ青な顔をしながらも、気丈に言葉を繋いだ。


「たかだか二度の戦闘に勝利したからといって、帝国の切り札である魔導船を全て失った責任を帳消しにするのは如何かと」


居並ぶ重鎮達の中にも、頷く者が何人か居た。


それらは皆、有力諸侯達が密かに推している他の皇子達の支援者だ。


「今、何と言った?

『たかが』と申したか?

では貴公にも、キーネルと同じ事ができるのだな?

ならば証明して見せよ。

今より貴公を、ドガ王国征服軍総司令官に任じる。

独自に兵を募り、一人の犠牲者も出さずに1年以内に征服せよ。

もし一人でも味方から死者を出せば、領地没収の上、一族郎党とも極刑に処す」


「は?

そんなご無体な。

・・どうぞお許し下さい!」


皇帝が本気で言っている事が分り、震えながら土下座して詫びる男。


「キーネルは3万の兵で10万の敵兵を蹴散らした。

一人の犠牲も出さずにだ。

今やドガ王国は主力の大半を失い、攻めるのは容易かろう?

彼の成した事を『たかが』と軽んじるならば、貴公にもそれができるはずだな?」


「も、申し訳ありません。

出過ぎた事を申しました。

私などにはとても無理な偉業でございます。

どうか、どうかお許しを」


今や男は床に頭を擦り付けて、泣きながら詫びている。


皇帝は、最早その男には見向きもせず、男の言葉に頷いた他の重鎮達に目を向ける。


その視線に当てられた者達は、皆同じように平伏し、男の二の舞になるのを避けた。


「良い機会だから皆に告げておく。

我は魔導船を全て失ったからという理由だけで、キーネルを継承権第1位から外した訳ではない。

当時のキーネルには、皇帝として守るべき大切なものが欠けていると考えたからだ。

魔導船の消失は、そのきっかけに過ぎぬ。

・・彼には、民を思うという、最も基本的な事が欠けていた。

だからこそ一度、民と同じ目線でものを見て、同じ立場で考える時間が必要だと思ったのだ。

そして、キーネルは、その期待に見事に応えてくれた。

戦の戦果だけではない。

6年前、彼が初めて志願兵を集った際の人数を覚えているか?

二百人だぞ。

それがどうだ。

今や万を超える民が、彼のために立ち上がってくれる。

街を歩けば、その周りには彼を慕う人だかりができる。

国を治める者として、血統以外にこれ以上の資格があるか?

魔導船など、魔素結晶さえ手に入れば造るのは容易い。

だが民の信頼は、長い時間をかけねば得られないのだ。

あれから6年、もう十分にキーネルは成果を出した。

もう一度、皆に告げる。

キーネルを皇位継承権第1位に復帰させ、次期皇帝とする。

数年以内に、我は皇位を彼に譲る積りだ。

まだ異議のある者は居るか?」


その威厳に満ちた言葉に、最早逆らう者は誰もいなかった。


キーネルが父の言葉に涙し、静かに頭を下げたその瞬間、彼の頭上に光が生じる。


一同の注目を浴びたその光は、やがて淡い輝きを残して収まり、後には3つの風の魔素結晶が浮かんでいた。


それは6年前、彼が失った魔導船のもの。


その頭の中に、聞き覚えのある声が響く。


『与かっていた物を返すぞ。

今のお前なら、戦よりずっと有意義な事に使ってくれそうだしな』


両手を頭上に掲げて受け取るキーネルを見ながら、周囲の重鎮達が口も利けずにいる中で、父である皇帝だけは声に出した。


「ほれ、神も彼を祝福して下さっておる。

これで我が帝国も安泰だの」




 『お兄ちゃんお帰りなさい』


勝利の凱旋を祝う人々でごった返す通りの中で、人込みに紛れて兄の姿を探したミミカは、その姿をキーネルの直ぐ後ろで見つけ、驚きと嬉しさが同時にこみ上げてきた。


軍の偉い人達に混ざって堂々と歩いている兄。


志願兵の兄がこんな位置にいるなんて、何か手柄でも立てたのかな。


こうしてはいられない。


本当は、凛々しいお兄ちゃんの姿をもっと見ていたいけど、早く家に帰ってお祝いの準備をしなくちゃ。


ご馳走も沢山作って、お腹一杯食べさせてあげたい。


どうせ戦地では、陸な物を食べていないだろうしね。


ここ数年、お兄ちゃんのお陰で十分な食事が取れる。


磨いてきた料理の腕を存分に振るう時が来た。


最後にもう一度だけ、兄の姿をその目に焼き付けると、ミミカは食材を買いに市場へと走った。



 「ただいま」


持ち帰るのが大変な程買い込んだ食材を、あらかた料理し終えた頃、お兄ちゃんが帰って来た。


「おかえりお兄ちゃん。

随分遅かったね。

凱旋してくる姿を見に行ったけど、あれから何かあったの?」


「うん。

本来なら直ぐ帰れるはずだったんだけど、キーネル様に残っているように言われてね。

近衛隊長として軍に入らないかとお誘いを受けてたんだ」


「軍に?

それで、何て答えたの?」


「お断りしたんだけど、暫く考えてみてくれと言われて・・今日はもう遅いから、後日また改めてお返事する事にしたんだ」


「貴族でもないのに近衛兵、しかも、いきなり隊長か。

お兄ちゃん、何したの?」


「偶々敵の総司令官を討ち取っただけなんだけどね」


「それ凄い手柄じゃない。

望めば下級貴族にさえなれるんじゃないの?」


「興味ないよ。

僕には、やらなければならない事もあるし」


「やらなければならない事?

それって何?」


「神様の御意思に従って剣を振るう事。

勿論、ミミカの為にも頑張って働くよ」


「・・ねえお兄ちゃん、何でお兄ちゃんがそんな事するの?

他の人じゃ駄目なの?

戦争だって、結局は殺し合いでしょ?

仮令対立したって、お互いによく話し合えば、戦う必要ないんじゃない?」


どんなに強くなっても、万が一という事もある。


ミミカは兄が心配でならなかった。


「ミミカ、僕が神様の為に働こうと思うのは、ご恩返しのためでもあるんだ。

あの日、もし神様に助けていただかなければ、今頃僕達はどうなっていたか分らない。

陸な武器も持たず、弱いままの僕に何かあったら、ミミカは一人で生きていかなければならなかったんだよ?

今の暮らしがあるのは、神様のお陰で僕が強くなれたからなんだ。

そのご恩に報いるために、あの頃の僕と同じような、日々を生き抜くだけで精一杯の人達のために、剣を振るいたいと思うのは間違っているかな?

そうして力になれた人達が、更にまたその力で、別の困っている人達に手を差し延べてくれれば、世の中はどんどん良くなっていくと思わないかい?

それにね、悲しい事に、世の中には心の奇麗な人ばかりが住んでいる訳ではないんだ。

自分の欲のためならば、何の罪もない人達を平気で殺す人もいる。

そういう人を野放しにしていれば、何時自分の大切な人に危害を加えるか分らない。

誰かが懲らしめる必要がある。

国がやれば良いと思うかい?

万人に平等な法律が、きちんと整備された国ならそうかもしれないね。

でもほとんどの国は、貴族が優遇され、平民は何をされても耐えるしかない。

そもそも捕まえる事ができなければ、法があっても無意味だ。

戦争だってそうだよ。

話し合いで解決するくらいなら、はじめから戦争なんて起こらない。

自分達の国に、相手のどうしても欲しいものがあり、それをこちらも譲る事ができなければ、いとも簡単に攻めてくる。

こちらが何もしていないのに、自分を殺そうとして剣を向けてくる相手に対して、自分は戦いたくないから話し合おうと言った所で、止めてくれると思うかい?

戦う力がなければ、戦わなければ、自分の大切なものは守れないんだ。

・・けどね、戦う力を持っている事と、それを使う事は同じではないよ。

寧ろ、力ある者は、その行使に慎重にならなければならない。

だからこそ、僕は神様の御意思に従おうと思う。

僕だって人間だ。

判断を誤る事も、自分の利益を優先する事もある。

もしミミカに何かあったら、正気ではいられないだろうしね。

・・御免、随分長く話ちゃったね。

こんな事言ってても、暫くは今と何も変わらないから安心して。

少なくとも、ミミカが幸せを掴むまではね」


そう言いながら、話の途中で俯いてしまったミミカの頭を撫でるカイン。


「お兄ちゃんの考えは分った」


カインの手が頭から離れると、まだ少し不満があるような顔で、ミミカは言う。


「でも、覚えておいて。

私より先ずお兄ちゃんの幸せが先だからね。

お兄ちゃんが可愛いお嫁さんを連れて来るまでは、私は絶対にお嫁になんか行かないからね!」


何時になく真剣な表情で、怒ったように言うミミカ。


「何時までそう言っててくれるかな」


まるで、愛する娘を手放したくない父親のような表情をするカイン。


「それよりも、お腹が減ったな。

実を言うと、さっきから良い匂いがしてきていて、我慢するのが大変だったんだ」


「あ、御免なさい。

忘れてた。

折角のお料理が冷めちゃう。

お兄ちゃんの為に、ご馳走一杯作ったから沢山食べてね」


慌てて台所に走っていく妹を見ながら、この暮らしがいつまでも続く事を願うカインであった。



 国に囚われず、真に助けが必要な人に手を差し延べたいからと、キーネルの誘いを再度断ったカインだが、この国に何かあった際には、必ず馳せ参じる事を約束する。


キーネルやロッシュ夫妻とは立場を越えた友人となり、キーネルが皇帝になった後は、平民の身ながら、王宮にも出入り自由の存在とまでなる。


セレーニア王国に、主神御剣を信仰する教団、「蒼き光」が誕生すると、望んで洗礼を受け、非公式ながらも教団の剣として、人々を苦しめる魔物や盗賊の類と戦い、教団の名を一層高めた。


私生活においては、自分の事より妹の事を第一に考え、上級官吏の任官試験にトップ合格し、若くして宰相ロッシュの右腕とまで言われたミミカを、とても大切にした。


兄妹共に容姿に優れ、生活も豊かであった事から、縁談は、夜空に輝く星の如く舞い込んできたが、それにはお互い見向きもせず、ずっと二人きりで暮らしていたと伝えられている。


音楽が好きで、毎年の2大音楽祭には、二人でお洒落して楽しむ姿をよく見かけたとも言われる。


だが、その晩年については不明のままだ。


キーネルの崩御(これにも、王家の都合で国民にその亡骸が公にされなかった事、その愛妃コゼットも同じ日に亡くなったとされるなどの謎が多い)の後、ロッシュ夫人であるリサの運営する孤児院に、その財産のほとんどを寄付した彼は、その数日後、妹と二人で忽然と姿を消してしまった。


更にその1か月後、今度はロッシュ夫妻まで、姿を消してしまう。


彼らの共通の友人であり、孤児院の今後を託された教皇リセリーは、心配して消息を尋ねる者達に、毎回同じ言葉を口にした。


「大丈夫です。

きっと今頃、皆さんで新しい生活を楽しまれていると思いますよ」


空を見上げてそう告げるリセリーの表情は、何処となく羨ましそうに見えたという。

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