第18話

 「お待たせ致しました。

わたくしの方の引継ぎ作業は全て終わりました。

これで、何時でもあなたと旅に出られますわ」


夕食前に和也が王宮に戻ると、部屋で待っていたエリカがそう言って微笑んだ。


「そうか。

・・今から二人で行きたい場所があるのだが、夕食まで、30分くらい時間が取れそうか?」


「フフッ、デートのお誘いですか?

勿論、喜んでお供致しますわ」


「それと、女王に伝言を頼む。

夕食にマリー将軍を同席させてくれ。

王家の人間を交えて話がある」


「分りました。

少しお待ち下さい」


そう言って、エリカは自分担当の侍女に、和也からの伝言を伝えに部屋を出ていく。


「序でに、夕食の時間を少し遅らせて欲しいとお母様に言伝を頼んでおきました」


程無く戻ってきたエリカは、そう言って和也と腕を絡める。


「それで、どちらに連れて行って下さるのですか?」


「魔の森だ」


「え?」


エリカの驚きの声と同時に、二人の姿は部屋から掻き消えた。



 夜の帳が降りつつある魔の森の一角、今は廃墟と化した建物の側に、和也は転移する。


「姿を見せるが良い」


和也がそう言うと、付近の空間がぼやけ、何もない空間からエレナが姿を現した。


あの後、事後処理が落ち着くまで、エレナを眠らせたまま、異空間に留めておいたのだ。


和也によって眠りを解かれたエレナが瞼を開ける。


「エリカ様・・」


エリカを一目見るなり、それしか言えず、エレナは俯いた。


パァン。


エリカの平手打ちの音が、夜の森に響く。


「言いたい事は沢山ありますが、既に旦那様のお裁きを受けたようですし、これで勘弁して差し上げます。

・・別に、わたくし達の事が憎い訳ではないのですよね?」


「・・はい。

私はただ、エリカ様のお側に居たくて。

和也様が現れて、エリカ様を何処かに連れて行ってしまうのではと・・そう考えたら、もうどうしようもなくて。

・・申し訳ありません」


エレナが涙を流す。


「・・もう良いわ。

わたくしも、貴女がそこまでわたくしに執着しているとは思ってもみなかったのですもの。

御免なさい。

貴女がわたくしの担当を外されたのは、わたくしの力不足。

あの時、思っていた事の半分でも貴女に伝えていれば、今回の件は起きなかったのだから」


そう言って、エリカはエレナを抱き締める。


「御役目を果たした後は、ずっと一緒に居られるわ。

だから、頑張って」


「はい」


暫し、お互いの気持ちを落ち着ける時間が必要だった。


「落ち着いたか?」


頃合いを見計らって、和也はエレナに声をかける。


「はい。

これで心置きなく御役目に励めます」


「では、始めるぞ」


和也の瞳が蒼く輝き、エレナの身体を作り変えていく。


蒼い光が、エレナの胸の中心に生まれ、潮が満ちるかのように、ゆっくりと広がっていく。


やがて、彼女の右の薬指に、眷族の証であるリングが形成され、光は収まった。


エレナの瞼がゆっくりと開かれる。


その濁りのない瞳が和也を捉えると、徐に跪き、彼に忠誠の言葉を捧げる。


「和也様、いえ、ご主人様。

これからは永遠の忠誠を誓い、エリカ様同様、精一杯お仕え致します」


「お前にやって貰う仕事は主に3つ。

この世界の管理者として、人々の声なき声を聞き、必要あらば、我に届けること。

魔の森の管理者として、この森の保全に努めること。

セレーニア王家と我との仲介者として、その要望を聞き、逆に、我の言葉を届けること。

この3つだ。

1000年の間、確と頼む。

見事役目を果たした暁には、約束通り、我が居城のメイド長兼エリカ専属の世話係に任ずる。

休暇は以前伝えた通り。

その際は、エリカと二人で存分に楽しむが良い」


「畏まりました。

ご配慮、ありがとうございます」


「役目の間、住む場所はここにするが良い。

結界を張って、他者の目に触れず、お前以外は入れないようにしておく」


そう言うと、和也は廃墟に再生の魔法をかける。


一瞬で、廃墟が新築同様の美しさを取り戻した。


「今のお前に与えた力は、思念の海、万能言語能力、不老不死、この世界限定での瞬間移動、それと魔力の泉だ。

肉体と精神は、我の眷族となった事で、最低でも人の数万倍の強度がある。

また、お前が元から持っている、魔獣を操る能力。

それも、眷族化によって数百倍にはなっているはずだ」


「そんなにですか?」


「もうあの秘薬は作成不可能だし、この森を管理する上でも都合が良かろう。

1000年は短くはない。

他者とは住めぬが、ペットくらいなら飼っても構わん」


「わたくし、あなたのそういう優しい所、大好きですわ」


それまで沈黙を守っていたエリカが、嬉しそうに口を挿む。


「・・さて、そろそろ夕食の時間だな。

エレナ、お前も来るが良い。

今後は王家とのパイプも頼む以上、女王とも話をする必要がある」


エリカの言葉に照れて、少し横を向きながら、そう告げる和也であった。



 転移で部屋に戻った和也達は、再びエリカに女王への伝言を頼み、人払いをして貰う。


先の騒動の張本人でもあるエレナの姿を、他の者に見せる訳にはいかなかったからだ。


和也達が出向くと、夕食のテーブルには、マリー将軍を含め、既に皆が揃っていた。


席に着くなり、和也が話し始める。


「エリカの準備が整ったので、近い内にこの国を出ようと思う。

だがその前に、自分の関係者にのみ、今後の事について話をし、確認を取っておく。

・・先ず、エレナ、女王に謝罪を」


「はい」


エレナが椅子から立ち上がり、ベルニアに深く頭を下げる。


「この度は、私の身勝手な思い込みから、この国の皆様に多大なご迷惑をお掛けした事、心からお詫び致します。

申し訳ありませんでした」


「良い。

既に御剣殿より罰も受けたようであるし、幸い一人の犠牲者も出さずに済んだ。

妾のダークエルフに対する扱いにも、反省すべき点は多い。

今後は御剣殿の眷族として、この世界を見守ってくれるとのこと。

こちらからも宜しく頼む」


「はい。

ありがとうございます」


「では、次にマリー」


「はい」


続いて、マリー将軍が立ち上がる。


「改めて皆に伝えておく。

マリーはエリカ同様、自分の妻となった。

だが、未だ政情が安定していない近隣諸国に対する守りの要として、暫くこの国に残り、目を光らせてくれる。

今の彼女は、既に自分の眷族として、人の域を遥かに超えている。

たとえエルクレール帝国が再び攻めてくるような事が起きたとしても、彼女一人でお釣りがくる」


和也の『妻』という単語に、エリカを除き、三人が三様の驚きを見せたが、その後の、エルクレールに一人で立ち向かえるという話を聞いて、押し黙った。


「旦那様の妻として、恥じない働きをして参ります。

皆様、宜しくお願い致します」


「ちと驚いたが、マリーなら納得じゃ。

エリカと共に御剣殿を頼むの」


マリー将軍の言葉に、そう応える女王。


「わたくしなどエリカ様の足下にも及びませんが、精一杯尽くして参ります」


女王に認められ、嬉しそうにそう答えるマリー。


エレナはちらりとエリカを見たが、エリカ自身が嬉しそうに微笑んでいたので何も言わなかった。


二人の紹介が済むと、和也は皆に今後の事について話を始める。


リセリーの説明と10年後の教団の設立、職人組合への楽器の製作依頼の件。


アンリと自分の関わり。


ミューズの紹介と、教団の大聖堂建設に関する事。


エレナの役割についてやマリー将軍の待遇など。


それらを一通り話した後、女王の質問に幾つか答え、皆で食事を取る。


その際、エレナが退出しようとしたが、和也が止めるよりも早く、女王が言った。


「大丈夫じゃ。

王家直属のメイドに、気にする者も秘密を洩らす者もいない。

それにそなたはもう、御剣殿の眷族。

言わば来賓じゃ。

共に晩餐を楽しんで欲しい」


恐縮するエレナの手を、隣に座るエリカが優しく握る。


「貴女はもう、わたくし達の仲間なのだから」


言葉に詰まり、ただ頭を下げるエレナを、穏やかな空気だけが包み込んでいた。



 「エリカ、お前個人の部屋は、今他の者が入っても大丈夫か?」


夕食を終え、其々が食後の飲み物を楽しんでいた時、和也がそう尋ねる。


「?

私物の整理などは済んでおりますので、差し支えございませんが」


「では最後にもう1つだけやっておく事がある。

済まないが、エリカの部屋まで皆で来てくれ」


エリカを先頭に、六人で彼女の部屋に入る。


さすがに王女の部屋だけあって、かなり広い。


和也はその部屋を見渡し、大きくスペースの空いた壁に目を留める。


「皆で写真を撮らないか?」


「?

写真、ですか?

それは一体どのようなものなのでしょう?」


和也を除く全員の疑問を、エリカが代表して尋ねる。


「皆そこに一列に並んでくれ」


エリカの問いには直接答えず、指示を出す和也。


言われた者達は、半信半疑で並び始める。


中央に女王夫妻、その左、女王の隣にエリカ、その隣にエレナ。


宰相の隣にはマリーが並ぶ。


「では、撮るぞ。

そのまま動かないでくれ」


和也が右手の指をパチンと鳴らす。


その瞬間、先程和也が見ていた壁に、大きな額縁に納まった、等身大の写真が現れる。


「まあ!

まるでわたくし達が、もう一人ずつ居るみたいですね」


「魔法であろうか。

絵画とは比べ物にならん精密さじゃ」


「あら、あなたが居ませんよ?」


エリカが和也を見遣る。


「これはお前がいなくなった後でも、女王達が寂しくないようにと残したものだ。

自分は必要あるまい」


「あなたはもうわたくしの家族です。

一緒に写らないと駄目です」


「自分の姿はあまり写真に残したくないのだが」


「旦那様、わたくしからもお願い致します。

暫く離れてしまうので、ぜひ記念に」


控え目ではあるが、マリーも懇願してくる。


「・・では、お前達にも恥ずかしさを共有して貰おう。

先ずはエリカ、そこに立て」


エリカを一人、壁際に立たせると、自分も並ぶ。


それと同時に、二人の足下から黄金色の光が生じ、その衣装を純白のウエディングドレスとタキシードに変えていく。


「おお!!」


女王が感嘆の言葉を洩らす。


宰相は感涙で言葉も出ないようだ。


「では撮るぞ」


パチン。


先程と同様に和也が指を鳴らす。


二人の写真がエリカの直ぐ前の空中に生じた。


「飾るのはさすがに恥ずかしい。

自分で持っていてくれ」


エリカの隣を離れ、女王夫妻をその場所に案内する。


家族三人の写真も写してやった。


「次、マリー。

そこに立ってくれ」


「はい」


和也のタキシード姿に見惚れていたマリーが寄って来る。


今度は二人とも、薄い青系の衣装。


マリーのプラチナブロンドの髪と碧い瞳の色が、そのウエディングドレスを引き立てている。


彼女はその写真を大事そうに受け取り、暫く眺めた後、左手のリングに収納した。


「エレナ、エリカの隣に並べ」


「・・宜しいのですか?」


「勿論よ。

いらっしゃい」


遠慮しながらやって来たエレナと手を繋ぎ、写真に写るエリカ。


「会えない間は、この写真を見て我慢してくれ」


和也に渡された、エリカと二人だけの写真。


今までどんなに望んでも手に入らなかった光景が、そこに写っている。


「・・ありがとうございます」


涙を耐える身では、それしか言えなかった。



 やるべき事を全て終え、皆が帰って行った後、和也は一人で女王の私室を訪ねた。


部屋を出る時、エリカが付いて来ようとしたが、女王と二人で大事な話があると言うと、遠慮してくれた。


「少しお前達に話がある。

今、大丈夫か?」


都合の良い事に、宰相もそこに居てくれた。


「勿論じゃ」


そう言って、部屋に通してくれる。


豪華なソファーに案内されるや否や、和也は用件を切り出した。


「先ず、お前達に礼を言う。

今回の件では、大分面倒な仕事を押し付けてしまった。

急いでいたとはいえ、国を治めるお前達の仕事を更に増やす結果となってしまった。

済まない」


「任された仕事は、どれもこの国、ひいてはこの世界のためになる事ばかり。

礼を言うのはこちらの方じゃ」


「お前達には、もう1つ借りがある。

エリカの事だ。

・・自分さえ現れなければ、お前達はずっとエリカと暮らせたかもしれない。

国の跡継ぎでもあるエリカを連れて行く事で、世継ぎの心配もかけてしまった。

エリカも本当は、もっとお前達と居たいのだと思う。

食事を共にする時間を、あんなに楽しんでいるのだから。

どうやって償おうと考えていたが、1つしか思いつかない。

お前達が望むなら、二人の内のどちらかに寿命が訪れた際、二人の前に門を開こう。

お前達にしか見えない、我が眷族へと至る門だ。

その門を潜れば、人生で最も美しい時の姿で、我が星に招待される。

そこでエリカに会いながら永遠に過ごすも良し、様々な星を旅して二人の時間を楽しむも良し。

好きなように暮らすが良い」


「妾達を御剣殿の眷族に?

・・そなたはどう思う?」


女王が傍らの宰相に尋ねる。


「正直、実感が涌きませぬな」


「妾もじゃ。

じゃが、またエリカと暮らせるというのは心引かれるものがあるの」


「まだ数百年先の事でもあるし、ゆっくり考えるが良い。

それと、この部屋に像を1体置いても良いか?」


「何故じゃ?」


「旅先などで、良い物があれば、エリカに送らせようと思う。

像はその仲介だ」


「それは有難いの。

是非、お願いしたい」


「分った」


部屋を見回し、窓際の、日差しが漏れ、月光が差し込む場所に目をつける。


和也がパチンと指を鳴らすと、その場所に1体のブロンズ像が浮かび上がる。


「おお!

・・あの写真とやらといい、御剣殿の表現されるエリカの表情は素晴らしい。

本当に、エリカを好いてくれておるのじゃな」


「・・気に入ってくれたようだな。

では、失礼する」


照れ隠しに視線を逸らせたまま、足早に自分の部屋に戻る和也であった。



 その表情は穏やかに微笑み、胸の高さに掲げた両手には、楕円の皿のような物を持っている像。


人の手では到底不可能なほど、細部まで精巧に表現されたその像には、ある仕掛けが施されていた。


それは、贈り物を転送する際の魔力に乗せて、その時のエリカの姿と声が届くというもの。


ほんの一時ひとときの事ではあるが、その仕掛けは、後に女王夫妻を大いに喜ばせたという。


「お母様、お父様、お元気ですか?

今は〇〇に来ております。

こちらでは、桜の花がちょうど見頃ですのよ?

そのお花のお香があったので、お送りしますね」




 『もう止めて!!

死んでしまう、皆が死んでしまう、お願い、誰か、誰か彼らを助けて!!

わたくしの命を差し出すから!!!』


うら若き乙女の、魂を揺るがす絶叫。


その思念の強さ、激しさに、和也は夜中に目を覚ます。


夕べは、エリカの計らいで、マリーの部屋に泊まる事になった。


暫く一緒に居られないマリーのことを、かわいがってあげて欲しいと。


自分の腕の中で眠るマリーを見る。


大分体力を消耗していたようであるし、眠りは深そうだ。


彼女を起こさないように、2階のベランダに出た。


『ご主人様、今宜しいでしょうか?』


夜明け前の、澄んだ空気の中で星を見ていると、エレナから念話が届く。


『どうした?』


『今し方、思念の海にとても強い反応がございました。

まだあまり慣れてはおりませんが、明らかに他とは違う激しさでしたので、とりあえずご報告をと』


『自分にも届いた。

今は完全ではないが、チャンネルは閉じている。

にも拘らず届くというからには、相当に強い思念だ。

その状況が発生するまで約2週間。

・・エレナ、お前に役目を与える。

明日から2週間、エリカと共に我が居城で過ごせ。

二人で今後、お前達の星となる世界を見て回ると良い』


『・・この件を、エリカ様にお伝えせずにでしょうか?』


『遭遇する状況が、エリカの為になるとは思えん。

二人の旅の始まりを、わざわざ暗いものにする必要はあるまい』


『畏まりました。

・・ご配慮、ありがとうございます』


『後にお前に管理して貰う城だ。

二人で自由に使って良い。

エリカを楽しませてやってくれ』


『はい』


エレナとの念話を終え、ベッドに戻ろうとすると、マリーが目を覚ましていた。


「どうかされたのですか?」


「いや、少し星を見ていただけだ。

夜明け前の、この時間の穏やかな輝きが好きなのだ」


「新妻と褥を共にして、妻の身体より星を見に行くなんて侮辱です。

罰として、もう1回、かわいがって下さいね」


何かに気付いたようではあるが、深くは尋ねず、話を逸らしてくれるマリーに感謝する。


「御手柔らかに頼む」


「それはこちらの台詞です。

そんな事を仰りながら、いざ始まると、旦那様は容赦ないのですから」


ベッドから上体を起こし、肩に流れる美しい髪を掻き上げながら、笑顔でそう告げてくるマリー。


「済まない。

他人と肌を触れ合わせるという行為が、ここまで自分の孤独を癒してくれるものだとは思わなかったのだ。

それでつい、今まで求め過ぎてしまった。

今後は少し自重しよう」


「それは駄目です。

妻をかわいがって下さることは、旦那様の大事な御役目。

蔑ろになさっては、妻達の反乱を招きます」


急に真面目な顔になったマリーが言う。


「反乱?

どんな?」


「3日くらい口をきいて差し上げなかったり、食事のおかずに旦那様の嫌いな物をお出ししたり、寝ていらっしゃる旦那様のベッドに潜り込んで、勝手にキスをしたりです」


「・・それは、一大事だな。

分った。

気を付けよう」


「では、御役目を果たして下さい」


そう言って、笑顔で抱擁を求めるように両腕を差し出すマリーに、苦笑しながらも近付いて行く和也であった。



 「先日の毛皮の使い道はもう決まっているのか?」


行為の後、マリーの希望で一緒に風呂に入ってから、いつもと同じ軍服に袖を通そうとしているマリーにそう尋ねてみる。


「いえ。

かなり大きな物ですから、防具を作成しても十分余るので、どうしようか考えております」


「お前さえ良ければ、その一部で服を作る事もできるが」


「服、ですか?

防具ではなく?」


「属性の付いた高位魔獣の毛皮が防具に向いているのは分るが、お前にはもう防具の性能はあまり関係ないだろう?

いつも軍服ばかり着ているが、偶にはお洒落な服でも着てみたらどうだ?」


「・・恥ずかしながら、今まであまり着飾った事がありませんので。

軍服なら、幾つか持っているのですが」


「・・任せて貰っても良いか?」


「お願い致します」


頭の中で、どんな服が似合うかイメージする。


「冬用の服を一式作ろう。

毛皮を全部使う事になるが大丈夫か?」


「勿論です。

旦那様から頂いた物ですから」


「では、始める」


和也の瞳が薄い光を帯びた。


「え?」


マリーの姿が下着だけになると、その上から服が形成されていく。


柔らかそうな、薄手の生地のワンピース。


薄く透明感のある黒一色の服で、腰の、細い革のベルトがアクセントになっている。


両足を、服より濃い目の同色のロングブーツが覆い、両手には、これまた同色の皮手袋。


最後に、襟と袖、裾にファーの付いたロングコート。


美しいプラチナブロンドの髪の上には、ロシアン帽のようなものが被されている。


余った革で、ハンドバックと財布、旅行鞄まで作る気合の入れようだった。


濃淡の差こそあれ、上から下まで黒一色。


身に付ける者次第では、陳腐にさえ感じられるスタイルだが、長身(170㎝くらいか)で色白の肌にプラチナブロンドの長い髪と、青い瞳を備え、スラリとした体型でありながら決して細くは感じさせないマリーが着ると、えもいわれぬ美しさと統一感がある。


「あの、アイテムボックスがあるのに何故鞄が必要なのですか?」


鏡で自身の姿をチェックしていたマリーが尋ねてくる。


「それはな、いつか訪れようと思っている世界で必要になるのだ。

そこには魔法が存在しないから、荷物を運ぶ際に手を使わねばならん。

魔法がバレただけでも大変な世界なのだ」


「わたくしもそこに連れて行って下さるのですか?」


マリーが声を弾ませる。


「勿論だ。

エリカとマリーはあの世界に行くのに欠かせない。

貴重な戦力だ。

もし自分一人で行ったとしたら、・・どんな目に遭うか考えただけでも恐ろしい。

いや、でもさすがにそのままの姿では無理か。

大騒ぎになるのは目に見えているな」


「旦那様がそこまで仰るなんて。

・・微力ながら、全力でお護り致します」


何かを勘違いしているようなマリーが、真剣な表情でそう言ってくれる。


「大丈夫だ。

あの世界でさえも、いや、ああいう世界でなら、エリカとマリーこそ最強だ」


「?

では、この服はそれまで取って置きますね」


マリーが折角の服を脱ぎながら、アイテムボックスに終っていく。


「何故だ?」


「幾ら何でもこの服を常時着ていては、周囲から浮いてしまいます」


時代というものを、全く考えていない和也であった。



 「エリカ、急で済まないが、これから2週間ばかり、自分の居城でエレナと過ごしてくれ」


朝食前、部屋に戻るなり、和也はエリカにそう告げる。


「いきなりですわね。

これから二人で旅立とうとしている妻に対して、言うべき言葉ではありませんわ」


和也と接する時には、心からの笑顔を絶やさないエリカであるが、さすがにこの時は、微笑んではいても、眼は笑っていなかった。


「本当に済まない。

少しやる事ができてしまったのだ」


「それはわたくしが一緒に居ては、できない事なのですか?」


「そこまでのものではないが、なるべく自分一人で行った方が良いだろう。

あまりお前には見せたくはない事が起きるはずだ」


「正直に言わせていただけるなら、そんな事はわたくしと離れる理由になりませんわ。

あなたと共に生きると決めた以上、今後、似たような事はそれこそ星の数ほど起きるはず。

あなたはその度に、わたくしを遠ざけるのですか?」


最早、エリカは笑ってさえいない。


「そんな積りはないが・・」


どう説明しようか考えている間に、エリカに側に来られて抱き締められる。


「夫婦というものは、お互いを理解し、支え合うもの。

そのためには、過度な遠慮は邪魔になるだけです。

同じ時を過ごし、同じものを見て、それを共有する事で、愛情を育て、互いを慈しんでゆく。

わたくしはあなたと、どんな事でも共有したい。

辛い事も、醜い事も、悲しい事でさえ、分かち合いたい。

あなた一人に背負わせたりはしません。

わたくしは、あなたの妻。

誰よりも近くであなたを支え、愛する事を許された存在なのですから」


世に存在する、あらゆる苦難、苦痛にさえ、びくともしない和也の心が、エリカに優しく抱き締められただけで揺らぎそうになる。


「・・いや、やはり今回だけは自分一人で行く。

エレナには既に伝えてしまったし、お前も自分の妻ならば、我が星、我が居城を、一度きちんと見て来るが良い」


エリカは黙って和也を抱き締めたままだ。


「二人の旅立ちの始まりを、暗いものにしたくはないのだ」


和也を抱き締めるエリカの腕の力が強まる。


「帰って来たら、寂しい思いをさせた分、何か願い事を聞いてやろう」


「・・何でもですか?」


和也の胸に顔を埋めたまま、エリカが尋ねてくる。


「他者の人生に深刻な影響を及ぼさない範囲でならな」


「絶対ですよ。

それと、朝食後、2週間分かわいがって下さいね」


「分った」


エリカの身体が笑いを耐えるかのように震え、いきなり顔を上げる。


その顔は、悪戯が成功した子供のような笑顔で溢れている。


「フフフッ、あなたは妻に甘過ぎですわね。

そんな事では、これからどんどん増えていく妻達のお願いで疲れてしまいますわ。

・・大丈夫。

わたくし達は、あなたがとても大事にしてくれていることを、ちゃんと分っています。

あなたがそうした方が良いと仰るなら、そう致します。

ほんの少しだけ、我が儘を言うかもしれませんが。

ですから、そういう時はきちんと叱って下さいね。

あ、でも、先程あなたにお伝えした事は本心ですよ」


「自分はな、エリカに出会うまで、本当に辛かった。

それに比べれば、自分を愛してくれる妻の我が儘くらい何でもない。

できる限り、幾らでも聞いてやる。

そうやって甘えてくれるのも、嬉しいからな」


真顔でそう言う和也に対し、今度はエリカが言葉に詰まる。


「・・あなたって、天然の女殺しですわね」


この後、朝食の時間に少し遅れたのは言うまでもない。



 遅めの朝食を王家の皆でゆっくり取って、女王達に出発の挨拶をする。


他の国民に見つかれば大騒ぎになるため、見送りも断り、王宮での別れになった。


「エリカ、達者での。

御剣殿がおるから何の心配もないが、10年に一度くらいは顔を見せておくれ」


「私達は何時でもお前の幸せを願っている。

また会える日を楽しみにしている」


両親から声をかけられ、一人ずつ、抱き締め合うエリカ達。


「お母様、お父様、行って参ります。

またお会いする日までお元気で」


今生の別れではないので、エリカ達に涙はない。


たとえどんなに離れていても、和也がその気になれば、一瞬で会えるのだ。


生まれてから約170年、一度もこの国を出なかったエリカは、その間ずっと両親と共に過ごしてきた。


和也に出会うまでは、文字通りこの国が彼女の世界であり、全てであった。


日々の生活は、決して起伏に富んだ、刺激あるものではなかったが、その分の物足りなさを、両親が精一杯埋めてくれた。


そして今、自分の我が儘に文句一つ言わず送り出してくれる。


子は、親より受けた無条件の愛情に、全て応える術を持たない。


だからせめて自分の子供に、返せなかったその分を含めた愛を注ぐという。


エルフである自分達には、幸いまだ多くの時間が残されている。


何時か来る本当のお別れの日まで、できるだけの事をしよう。


和也が女王達にした、眷族に関する話を知らないエリカは、この時、心からそう思っていた。


エリカはただ外を歩いているだけでも目立つので、魔の森の、エレナの家まで転移する。


和也の力の波動を感じ取り、外に出てきた彼女を連れて、今度は三人で、和也の居城のある星まで長々距離転移する。


和也の帰還で封印が解かれ、時が流れ始めた星。


世のありとあらゆる美が集められ、四季の移ろいでその表情を変える事はあっても、そこに存在する植物は朽ちれば再生を重ね、種が絶える事はない。


美しいものしか存在させぬ弊害により、生態系が歪になるため、海や川などの水辺に住む魚介類以外の生物は数が限定され、特に肉食の動物は、餌となる生物がこの星に存在せぬ場合には、捕食による栄養を摂らずとも生存可能となっている。


そして、捕食や生殖を制限された動物達は、死して輪廻の輪に加わる際、その代償として、緑多き動植物の楽園へと優先的に転生された。


水が深い青色に輝く湖の畔、周囲を囲む山々の1つを切り崩した上に聳える、ある星の、中世を思わせる外観の巨大な城。


その部屋の1つ、玉座以外に何もない部屋に三人は降り立つ。


「ここがあなたのお城なのですか?」


一頻り周囲を見回すも、その広い空間には玉座以外は何もない。


ただ、柱や天井、壁といった内装には、セレーニア王宮でさえ比べ物にならないくらいの贅が施されている。


物音1つしない空間に、エリカの澄んだ声が響いた。


「そうだ。

お前達二人が、自分以外で足を踏み入れた最初の人物になる」


そう言いながら、和也は嬉しそうに玉座の周りに椅子を2つ創造する。


透明度の高い、黄金色と白銀に輝く大きな椅子。


その背もたれ部分には、胡蝶蘭(アフロディーテ)と白百合の花が描かれている。


「エリカとマリーの椅子だ」


「フフッ、ほんの少し、華やかになりましたわね。

あの背もたれ部分の模様は何ですか?」


「あれはお前達二人の性質を表した花の絵柄だ。

特に何かをイメージして創る訳ではないが、自然に現れる」


「わたくしのは何の花ですの?」


「アフロディーテといって、胡蝶蘭の原種の1つで、白く可愛らしい花だ」


「今度、実物を見てみたいですわ」


「分った。

お前の部屋に飾らせよう。

二人共、こちらへ来い」


そう言って、和也は長い通路を歩き出す。


玉座のある謁見の間の後ろを抜け、和也のプライベートな空間に入る。


尤も、今まで他に一人の住人もいなかったのだから、プライベートも何もないのだが。


「ここが浴室だ。

基本的に代謝のない自分達には、趣味以外にあまり意味を成さない場所だが、自分は好きだ。

敢えて汗を流すように身体を調整してからは、とても気分が良い」


和也が指し示した扉には、大きな文字で、『湯』と書かれてある。


それだけではなく、地球の温泉を意味するマークが表示されていたが、二人には何の事か分らない。


中に入ると、脱衣所の先に、更に3つの扉がある。


其々に、檜、ローマ、露天と書いてある。


和也が1つ1つ扉を開けて中を見せてくれた。


檜は文字通り、床も湯船も全てが薫り高い総檜造りで、手桶も椅子も同じ色で統一されている。


湯船は、二十人くらいは平気で入れる大きさがある。


天井は高く、湯は様々な効能がある源泉かけ流し。


一体何処から湯を引いているのだろうか。


そう思いはしても、二人はそれを口に出したりはしない。


聞くだけ無駄だからだ。


ローマは総大理石の風呂で、湯の中に2つの裸婦像が点在し、掲げた壺から湯を吐き出している。


露天だけは特別で、この星の好きな場所に空間を作り、そこに岩風呂を出現させて楽しむという力の入れようで、通常は、巨石を刳り貫いた湯船だけが置かれていた。


「あなたって、こんなにお風呂がお好きでしたのね。

これからは、もっと一緒に入りましょうね」


エリカに少し呆れたように微笑まれてしまった。


次に案内したのは調理室。


広い空間に、オーブンやレンジ、ピザやナンを焼く石釜など、ありとあらゆる調理器が揃い、燻製を作る施設すらある。


ステンレス製のシステムキッチン、冷蔵庫など、二人には初めて見るものばかり。


「各種器具の使い方はエレナの頭にインプットしておく。

ここは主にお前の活躍の場になるからな。

魔法で作る料理より、自分達で調理した方がずっと美味く感じるだろうから。

食材に関しては、その冷蔵庫が【豊穣の庭】と同じような機能になっている。

作ろうとする料理に合わせた最高の材料を、何時でも、好きなだけ用意してくれる」


エレナが、自分の背丈より大きな冷蔵庫を見やる。


「腕が鳴りますわ」


今まで、エリカの為に何か作りたくてもそれを許されなかったエレナ。


中々表情に出さないが、喜んでくれているようだ。


「あなたって、実はお食事が大好きでしたのね。

わたくしも何か料理を覚えた方が宜しいですか?」


エリカに、食べ盛りの子供を見る母親のような温かい眼差しで見られてしまった。


その後、図書室、娯楽室などを案内する度、エリカから一言何かを言われ、『分ってますよ』みたいに微笑まれる。


「エリカ、そんなにいじめないでくれ」


「人聞きの悪い事を仰らないで下さい。

わたくしは、あなたのこういう人間味溢れる所が大好きなのですから。

とても長い間、お一人で耐えてこられたのですから、このくらい当たり前ですわ。

でも、御免なさい。

あなたの事を沢山知る事ができて、少しはしゃいでしまいました」


エリカはそう言うと、エレナが見ているにも拘らず、和也の首に両腕をまわし、口づけをしてくる。


初めはゆっくりと、啄むように、次第に深く唇を合わせ、舌で和也のそれを絡めとり、優しく、労わるように。


最後に、二人の間に掛かった痕跡を再び軽く口づけることで消し去り、にっこりと微笑む。


「エレナが見ているぞ」


「彼女はもう、そんな事を気にしませんわ。

そうよね?」


エリカが、可笑しそうにエレナに言う。


「はい。

ご主人様は私の主であり、エリカ様の旦那様。

何の問題もございません」


目元に少し赤みが差したエレナがそう言うと、エリカが透かさずエレナをからかった。


「わたくしは気にしないから、エレナも旦那様となら、しても良いわよ」


「・・御戯れを」


珍しく、エレナが照れていた。


「ここがお前達の部屋になる」


和也がそう言って二人を案内した部屋は、広さ40畳程のツインルーム。


大きめのソファー、サイドテーブル、クローゼットなど一通りの家具が揃い、天井はスイッチ1つ操作するだけで、強化ガラス越しに、昼は日の光が燦々と降り注ぎ、夜は満天の星空が眺められる。


シャワールームやお茶を楽しむ設備まで充実していて、至れり尽くせりだ。


「私はエリカ様とは別にお部屋を」


付属のサーバントルームならともかく、こんな豪華な部屋に彼女と一緒に泊まる事を遠慮したエレナが言う。


「気にする必要はない。

ここは自分の城だ。

誰に遠慮する必要もないし、文句も言わせぬ。

今後も休暇の際は二人でここを使うが良い。

後で個人の部屋も用意する」


「エレナはわたくしと一緒の部屋は嫌なの?」


まだ躊躇っているエレナにエリカが追い討ちをかける。


「そんな事ありません。

・・ありがとうございます」


物心ついて以来、誰かと二人、同じ部屋で寝るのは初めてのエレナ。


それがエリカとなれば喜びも一入ひとしおである。


心の中で、深く和也に感謝するエレナであった。


「では、迎えに来るまでここで楽しんでいてくれ。

2週間くらい、出かけてくる」


「城の外には出ない方が良いですか?」


エリカの問いに、和也は大事な事を忘れていたことに気付く。


「いや、この世界は美しい。

二人で様々な場所を訪れると良い」


そう言いながら、部屋の壁に、この世界の地図を作成する和也。


大きめの地図には、海や湖、森林、山脈、峡谷など、様々な地形が写真付きで掲載され、その場所に触れれば、説明文が表示されるようになっている。


「何処でも好きな場所に転移できるようにしておこう」


和也のその言葉の後、エリカ達のリングが淡く光った。


「行ってくる。

エレナ、エリカを頼む」


「畏まりました」


恭しく頭を下げるエレナ。


「あなた、忘れ物ですよ」


エリカが和也にキスをしてくる。


「いってらっしゃい」


エリカのその言葉を最後に、和也の姿は掻き消えた。


「・・わたくしも、戦う術を学んだ方が良いかしら」


和也の姿が消え去った後、呟くようにエリカが言う。


「ご主人様がおられる以上、必要ないかと」


「でも、わたくしが足手纏いだから、置いて行かれたのではなくて?」


「それは違います。

ご主人様は、エリカ様がかわいくて仕方がないのだと思われます。

やっと手に入れた宝物に、塵一つ付けられたくはないのでしょう」


「貴女もわたくし達以外には容赦ないわね」


エリカが少し呆れたように笑う。


「今の私には、ご主人様とエリカ様、女王陛下ご夫妻だけが全てですので」


悪びれもせず、そう告げるエレナ。


「・・まあ良いわ。

それよりも、置いて行かれた仕返しに、旦那様の城を隈無く探検して、こっそり秘密を暴いてあげましょう。

先程図書室でちらりと目にした、表紙に可愛らしい女の子達の絵が描かれた小さな本なんかが怪しいわ。

エレナも手伝って」


悪戯を思いついた子供のような笑顔を満面に浮かべ、楽しそうに笑うエリカ。


「・・畏まりました」


ご主人様、申し訳ありません。


エリカ様にこのようなお顔をされてしまっては、最早私には、どうする事もできませんので。

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