第14話
王家での私的な話合いが持たれた次の日の朝、未だ前日の出来事の整理がつかないでいた国民に対し、女王ベルニア・フォン・セレーニアの名において、4か条からなる声明文が公布された。
1、本日より、魔の森を王家の直轄地として管理するが、これまで通り、狩猟、採集で必要な素材は、事前に王家に届け出て、その許可を得れば、入手は可能である。
2、樹人族に対する攻撃は、相手からの先制攻撃を受けない限り、その一切を禁止する。
これに伴い、今まで職人組合に提供していたその素材は、樹人族の死後に、その幾つかを回収するという不定期な供給に留まる。
3、国民の全てが、以上の事を厳守する限り、我が国は今後、自国に非がない限り、如何なる外敵の侵略や攻撃からも、神によって守護される。
4、王女、エリカ・フォン・セレーニアの婚姻に伴い、この国を出る王女は王位継承権者から除外されるが、新たな世継ぎが誕生するまでは、暫定的にその地位に留まる。
王女の婚姻の儀は、王家のみの出席で行う。
早朝に事務官を叩き起こして用意させたこの声明文は、国の主要な掲示板に貼られ、それを見た国民は、3番目と4番目に書かれた文言を見て、皆一様に絶句した。
昨日目にしたあの光景は、やはり夢ではなかったのだと。
神は本当に存在したのだと。
「でも、何で我々を守護して下さるんだ?」
「さあ?
魔の森が大切みたいだけど、神様ならご自分でも何とかできそうだしなぁ」
「エリカ様がご結婚?」
「お相手は誰だ?」
「ここには書かれてないぞ?」
「エリカ様の花嫁姿を拝見できないなんて・・・」
国民の内に、様々な思いや考えが交差する中、掲示板を見ながら、一際強い思いを抱いていた三人の女性が居た。
神により、特別な贈り物をされた三名である。
三人の思いは共通していた。
もう一度、あの方に会いたい。
自分の人生に素敵な道標をくれた彼に、直接会って、お礼を言いたい。
自分の気持ちを伝えたい。
たとえ、それが叶わずとも。
今まで、いるかどうかも分らない神という存在に無関心であり、宗教という概念とは無縁であったセレーニアの民には、その恩恵に与かるということが、一体どれ程の意味を持つのか、今一つ理解できていない。
彼らがその真の価値を知るのは、まだ大分先のことであるが、少なくともこの三名の女性だけは、この時既に、神の敬虔な信者であった。
エリカによって、一晩中、その思いの丈を身体に教え込まれた和也は、窓辺のカーテンの間を縫った朝日が、彼の顔に悪戯するより早くに目覚め、腕の中で幸せそうに微睡むエリカの髪を優しく撫でながら、今日の予定を考えていた。
先ず、マリー将軍に会いに行かねばならない。
その後は、・・やはりあの者達にも顔を見せた方が良いであろうか?
彼女達が自分の正体に気が付いたかどうかは分らぬが、いや、一人は確実に気付いたようだが、半ば不意打ちのような状態で彼女達の前から姿を消したことに、和也は少し罪悪感に似たものを感じていた。
あの時は、神として振舞っていたから、他にどうしようもなかったが、彼女達が醸し出していた自分に対する好意めいた何かに対して、誠実な対応でなかったことは確かだ。
無論、人間の一方的な好意になど、それがたとえどんなものであれ、応える義務は和也にはないが、初めて他者と関わりを持ったこの世界で、自分に親しく接してくれた彼女達により与えられた感情は、それまでのように、人の営みを遠くから見ているだけでは感じなかった、温かく切ない、気持ちの良いものであった。
それ故、少し関わりを持ち過ぎてしまった嫌いが有るが、後悔はしていない。
やはり、この国を出る前に、挨拶くらいはしておこう。
そう思う和也であった。
国を出る前に、たとえ僅かでも家族での時間をと、王家揃っての朝食の後、仕事の引継ぎやらの手続きで忙しいエリカと別れて、和也はマリー将軍の待つ兵舎へと向かった。
食事の前に、既に先方には使いの者を送らせてある。
何故か、2時間以上経ってからお越し下さいとの返事であったので、女王達とゆっくり朝食を取った後、のんびりと向かうことにしたのだ。
門の前まで来ると、先日と同じ門番が、緊張で身体を強張らせながら迎えてくれた。
誰かから何かを聞かされたのか、無言ではあるが、丁寧過ぎる応対で通してくれた。
建物の中に入り、先日案内されたマリー将軍の執務室へ向かうが、不思議な事に、その間、誰にも会わなかった。
年季の入った、木目の美しい扉をノックする。
直ぐに返事が返ってきた。
「どうぞ、お入りになって下さい」
友人同士の軽い口調とは異なる、少し硬い声音での返答に、マリー将軍の緊張を感じ取った和也は、少し落胆しながら部屋の中へと足を踏み入れた。
和也を招き入れたマリー将軍は、椅子から立ち上がり、直立不動の姿勢であった。
普段は、鎧を脱げば軍人らしい硬さを感じさせない、優雅な物腰のマリー将軍であるが、こういう仕種を見せられると、改めて、彼女も軍人なのだなと思わずにはいられない。
よく見ると、入浴の後なのか、美しい髪が少し水気を含んでいた。
「待たせてしまったか?
それで、話とは何だ?
友人関係を解消したいという話でなければ良いが」
そうではない事を祈りつつ、少し苦笑しながら話しかける和也。
「何故、そのような事を?
わたくしとしては、恐れ多い事ではありますが、できましたら、今のままの関係でありたいと思っております」
意外な事を言われたせいか、それまでの、所謂『気を付け』の姿勢を崩したが、控え目ながらもはっきりと和也にそう告げる。
「話し方が友人としてのそれではないし、何より、自分に対して緊張しているようだから。
自分が怖いか?」
「そのような事はありません。
和也様が振るったお力は、我々セレーニアの民を助けるためのもの。
心から感謝こそすれ、恐れるなど、滅相もありません。
ただ、そのお力があまりに偉大過ぎて、わたくし如きが対等な口をきくなどおこがましいと思いましたので」
「君は、友人がその地位を失ったり、財産を失くしたりしたら、もうその相手を自分の友人と認めないのか?
自分より格下の存在として見下すのか?」
「そんな訳ありません」
少し意地悪な質問だったので、馬鹿にしないで下さいとでも言うように、怒ったように断言する。
「そういう事だ。
身分や貧富、能力の大小で、人は友人を選んだりしない。
そういう者もいるかもしれないが、それは真の友人関係ではないし、少なくとも自分は、そのような『おまけ』はどうでも良い」
「わたくしに、そのようなもの以外に、和也様の友人として認めていただける何かがあるという事ですか?」
「そう言っている」
「それが何か、教えていただけますか?」
「断る」
「何故、ですか?」
「恥ずかしいからだ」
「・・え?」
和也が冗談を言っているのかと、その顔を凝視したマリーは、目を微妙に逸らしつつ、少し照れたような表情を必死に隠そうとしている和也の様子を見て、あの時、和也の力を目の当たりにして心にできた壁が、砕け散るのを感じた。
偉大な力を持ってはいても、彼は、わたくしのような存在に照れてくれる。
一人の女性として扱ってくれる。
そう、『おまけ』なんてどうでも良い。
わたくしだって、興味を惹かれたきっかけにはなりこそすれ、彼に好意を寄せたのは、そんなもののせいではないのだから。
「フフッ、ごめんなさい。
わたくしが悪かったわ。
そうよね、わたくし達、友達だものね」
何かに納得したのか、花のように笑うマリーを、少し眩しげに見つめる和也。
エリカに慣れていなければ、きっとまともに見られなかったに違いない。
「あら、わたくしとした事が、椅子も勧めずにいただなんて。
どうぞお座りになって」
執務室の机から移動したマリーが、対になった大き目のソファーの1つに和也を案内する。
予め用意してあったティーセットを用いて紅茶を淹れると、マリーは、自分も当然のように和也の隣に座った。
それから暫くの間、まるで気分を落ち着けるかのように、無言で紅茶を楽しむ二人。
マリーが何かを決意するのに必要な時間なのだろうと考えた和也は、黙ってその時を待っていた。
カツンという、ティーカップをソーサーに載せる音が、沈黙の海に漂っていた和也を、現実の世界へと連れ戻す。
彼女の方に視線を向けると、先程とは違った意味の緊張感で強張りながらも、精一杯の勇気を振り絞って言葉を紡ごうとしていた。
「本日、和也様にご足労いただいたのは、あるお願いがあったからです。
和也様はもう直ぐエリカ様と共にこの国をお出になられて、何時お帰りになるか分らないのですよね?
もしかしたら、もうお戻りにならないかもしれないのですよね?」
和也と目を合わせようとはせず、俯きがちに、小声で話すマリーに、その意味を図りかねながら、和也は答える。
「そうだな。
戻ろうと思えば一瞬で戻れるが、何日も滞在するという意味では、少なくとも100年くらいは戻らないだろうな。
他にも見て回りたい場所は沢山あるし、自分の居城にも時々は帰るつもりだ。
・・もしかして、一緒に行きたいという事か?」
「いえ、そうではありません。
本音を言えば、勿論一緒に連れて行って貰いたいです。
わたくしは、外の世界を知りませんし、和也様と見る外の世界はきっと素晴らしいものだと思えますから。
・・でも、幾ら和也様の守護があるとはいっても、それは外敵でのお話。
エリカ様がいなくなり、新しいお世継ぎがお生まれになるまでは、この国も多少は不安定になるでしょう。
そして、常勝のエルクレール帝国が大打撃を受けて敗れた事が近隣諸国に伝われば、この国を取り巻く世情はより厳しいものになる。
帝国に勝った理由や、その秘密を探ろうとする国が出てきてもおかしくありません。
そんな時に、この国の守りの要であるわたくしまでいなくなったら、民の不安と不満は一気に膨れ上がるはず。
王家に並々ならぬご恩を受けた身としては、とてもできない相談です」
「では、お願いとは一体何だ?」
「そ、それは・・あの、わたくしは、今まで自分を高め、国の役に立つ事ばかりを考えてきましたので、恥ずかしながら、異性とお付き合いをするということもなく、周囲にこれといった殿方がいなかったせいもあって、その、男性経験が無いのです。
わ、わたくしも、年頃の乙女として、そういう体験をしてみたいとは思っておりますが、勿論、どなたでも良いという訳ではなく、できましたら、和也様のようなお方にお願い致したいのです」
「・・つまり、自分にマリーを抱いて欲しいと?」
真っ赤になりながら、下を向いて、つっかえつっかえ話すマリーを、呆然と眺める和也。
「・・はい。
入浴も済ませてありますので、宜しければ、奥のお部屋で。
わたくしがプライベートで使用しておりますので、ベットもありますし、暫くは誰も来ないよう、人払いもしてあります」
「・・あの、わたくしでは、和也様のお気に召さないでしょうか?」
和也が返事をしないので、不安になって尋ねるマリー。
「エリカ様とお比べになられれば、わたくしなど足下にも及びませんが、一度だけ、たった一度で良いのです。
和也様との思い出を、わたくしに下さいませんか?」
予想に反して、抱いて貰えないかもしれないという不安から、先程までの恥ずかしさが抜け、今度は逆に、自分なら抱いて貰えるかもと自惚れていたことが情けなく、瞳に涙が滲むマリー。
「・・わたくしなんて、無骨なだけで、エリカ様のような美しさもない。
やっぱり、駄目ですよね?
・・不躾なお願いをして、済みませんでした。
できましたら、今のお話は忘れて下さると助かります」
今の自分の顔を見られたくなくて、俯いたまま、僅かに顔を逸らせるマリー。
伝えずに後悔するよりも、伝えて砕けた方が良い。
そう考えて行動に移したが、なまじ期待の方が大きかっただけに、マリーの受けた心の傷は深かった。
パン。
静かな空間に、一際高い音がして、驚いたマリーが音のした方を振り返ると、和也が自分で自分の頬を、両手で叩いたところだった。
「済まない、マリー。
君にそんな事を言って貰えるなんて思っていなかったから、動揺して上手く言葉を紡げなかった。
君の言葉はとても嬉しかった。
だが、納得できない言葉もある。
君は自分をエリカのように美しくないと言った。
けど、それは違う。
人には人の、物には物の美しさがあるように、人にも其々の美しさがある。
自分が新しい世界を創ろうとする時、1つとして全く同じものは創らない。
木の葉の1枚1枚、流れる水の1滴1滴にも、たとえ僅かでも違いを持たそうとする。
同じものが並んでいる事で、存在し得る美しさもある。
だが、不揃いなものだからこそ、表現できる美しさもあるのだ。
皆が皆、エリカのような容姿である必要はない。
多様な姿、様々な個性が集まってこそ、一人一人が輝きを放てるのだ」
生まれて初めて恋をした。
200年程生きてきて、自分の心を揺さぶる人に初めて出会った。
でもその人には、既に自分よりもずっと素敵な
だから、せめて別れる前に一度で良いから抱かれてみたいと考えた。
精一杯の勇気を振り絞って、告白してみた。
わたくしのこの想いは、届く事はなかったけれど。
溢れ出そうとする涙と、漏れそうになる嗚咽を堪えるのに必死になっていると、大きな音がして、わたくしの意識をこの場に呼び戻した。
和也様が慈愛に満ちた眼差しで、わたくしを見てる。
呆れたり、馬鹿にしたような色は微塵もない。
優しい声で何かを語りかけてくれている。
一言も聞き漏らしてはならない。
自分の周囲から、急速に色彩が失われつつあったこの世界で、より鮮やかな何かが、今将に生まれようとしていた。
「それと、一度で良いから抱いて欲しいと言ったな?
念のために聞くが、それは、一度試せば十分だという意味か?」
「違います!
本当は、ずっと一緒に居たい。
何度でも、この身が朽ちるまで、気を失うくらいに抱いて欲しい。
でも貴方には、既にエリカ様がいらっしゃるから。
だから、たった一度でも良いから、その思い出を心に刻んで生きてゆこうとしたのに。
・・女にこんな事を言わせるなんて、意地悪ですね」
和也様の意地の悪い質問にカチンときて、思わず大声で叫んでしまったが、自分の告白を聞いている彼の顔が、ふざけた様子のまるでない、とても凛々しいものだったので、こんな時なのに胸がときめいて、最後の方は尻窄みになってしまった。
「自分が女性を抱く時は、その人を最後まで面倒見るつもりでしか抱かない。
一度きりの、所謂遊びのようなつもりで、女性を抱くことはしない。
ただ、君のように、たった一度でも、それが本気である場合もある。
・・実は昨晩、エリカと似たような事を話合ってな。
あいつはこう言った。
『他の人に抱かれるくらいなら死を選ぶ。そういう女性なら、抱いてやって欲しい』と。
流石にそこまでは要求するつもりはないし、自分にそれ程までに入れ込んでくれる女性はエリカくらいだと思うが、自分は寿命というものに縁がない身故、長い時の流れの果てに、心が離れてしまう女性を見るのが辛い。
要は、自分に自信が無いのだ。
君の気持ちを試すような事を言って済まなかった」
凄く意外だった。
あれ程のお力を持ち、世界すら創造してしまえる神である和也様が、わたくし達と同じような事でお悩みになるなんて。
ご自分のことを話される際、時折見せる寂しげなお顔、その陰に、一体どれ程のものが隠されているのだろう。
守って差し上げたい。
側にいて、癒して差し上げたい。
何より、心から愛して差し上げたい。
どうしましょう、これ以上ないくらいに好きだと思っていたのに、まだ足りなかった。
これで彼に抱かれたりしたら、わたくし、どうなってしまうのでしょう。
先程は勝手に誤解して、心が折れそうになったけれど、この時間はわたくしにとって必要なものだったわ。
和也様をより深く理解し、自分の気持ちを再度見つめ直すものとして。
「マリー、君に今一度問おう。
この問いの答えは、君の人生を左右する。
自分に嘘偽りは通じない。
心して答えて欲しい。
・・君は、自分と生涯添い遂げたいと願うか?」
「はい。
お許し頂けるならば、和也様を支える妻の一人として、末永くお側に仕えたいと思います」
「では更に問おう。
転生の可能性がある、人としての限りある生涯と、自分の眷族になり、不老不死となって、果てしない時の中、自分と共に悩み、苦しみ、笑い合う道、そのどちらを選ぶ?」
「和也様の眷族として、共に生きる道を」
「それで良いのか?
・・少しばかり体験させてやろう。
その後でもう一度尋ねる」
和也がそう言うや否や、マリーの頭の中に、ほんの数億年分の和也の記憶が、怒涛の如く流れ込んでくる。
時間にして十数分程度、人の脳に耐えられるものではないが、そこは和也が一時的に保護した。
目紛しく流れていく和也の記憶。
その中に、マリーは、先程の寂しげな和也の横顔の、その理由の一端を、垣間見たような気がした。
自分の記憶のほんの一部を見たマリーの瞳から、涙の雫が流れ落ちる様を見た和也は、やはり無理かと思いながら、マリーに問い直す。
「人としての道、我が眷族としての道、そのどちらを選ぶ?」
「和也様の眷族としての道を」
「・・本当に良いのか?」
自分には嘘偽りが効かないのを分ってはいても、聞き返さずにはいられなかった。
「はい。
お願い致します。
あ、でもそれは、和也様に抱かれた後が良いです。
和也様との初めては、人のまま、経験させて下さい」
泣き笑いの表情で、そう告げてくるマリーに、最早何も言う必要はなかった。
数時間後、数え切れない快楽の波に翻弄され、意識を手放したマリーが、自分を包み込む、温かな温もりを感じて瞼を開く。
陽が傾き、日差しが柔らかさを増した室内で、和也の匂いと逞しい腕に抱かれての目覚めは、他のどんなものにも代え難い、素晴らしいものだった。
「素敵でした。
とっても。
癖になりそうなくらい」
気負いと不安、その双方が失われ、女の喜びを知ったマリーが見せる極上の笑み。
その眩しさに、和也が見惚れて動けずにいると、頬にそっと手を当てて、和也の唇を包み込むようなキスをしてくる。
「これから宜しくお願い致します」
その笑顔は、マリーが新たに背負った運命を、心から歓迎している証に見えた。
「それで、マリーは自分達とは行動を共にせず、暫くはこの国に留まるつもりという事で間違いないか?」
「はい。
先程もお伝えしました通り、この国が落ち着くまでは、ここに居ようと思います」
兵舎に隣接された男女別の浴場で、互いに汗を流した後、再びマリーの執務室で話をする二人。
「迎えに来ていただけますよね?」
「さあ?
この国が何時安定するのか分らんし」
「酷い。
釣った魚に餌はやらないという、あれですか?」
「自分は釣る事にしか興味がないから、釣った魚はその場で放流する」
「・・フフフッ、出会った頃は、和也様とこんな冗談を交わせるようになるなんて、考えもしませんでした。
人の縁とは、不思議なものですね」
昨晩、エリカも同じような事を言っていた。
神である自分でも、一人や二人ならともかく、どう影響し合うか分らない、大勢の人間の運命を正確に定める事は骨が折れる作業なので、もしやるとしても、因果律を高めるか、思想や行動形式をインプリンティングするくらいで、後はその者任せにするくらいしかしないだろう。
尤も、未来予知が可能であるから、というか、未来そのものに干渉できるから、運命などというものに、あまり興味はない。
予め定まった道を歩むことに、然したる面白みはない。
何が起きるか分らないからこそ、楽しいと言える。
その意味においては、確かに人の縁とは興味深い。
自分が傍観者ではなく、当事者として、人と関わりを持とうとした理由の1つでもあるのだから。
「そろそろ、心の準備はできたか?」
「はい。
お願い致します」
マリーがソファーから立ち上がって、胸の前で両手を組み、瞳を閉じる。
直後、和也の瞳が蒼穹の如き輝きを放ち、マリーの胸元に現れた淡い水色の光が、
やがて、光はマリーの全身を包み込み、間も無く消え失せた。
マリーがゆっくりと瞼を開く。
「気分はどうだ?」
「・・上手く表現できません。
身体中に痛みやだるさといった負の要素が全くなく、身体自体も、以前より大分軽く感じます。
勿論、無駄な肉が取れたという意味ではないですよ?」
「分っている。
先程、そんな物がない事は十分確認させて貰った」
マリーの軽口に、軽口で返す。
「あとは、力が漲ってくるとでも言いましょうか、何と言いますか、身体中が魔力の塊みたいです」
「そうか。
自分の眷族になったとはいっても、眷族同士では、ある程度の基本能力が同じなだけで、当然、個人差の方が大きい。
持って生まれた素質や培ってきた能力が物を言う。
まあ、エリカのような例外はあるがな。
何れにせよ、通常の生活に支障はない。
力を加減しないと、ドアノブがもぎれるとかはないから安心しろ」
「はあ」
今一つピンとこないようだ。
フッ、この時代では、少し喩えが難しかったか。
自分の説明力のなさを棚に上げ、心の中で、負け惜しみを言う和也であった。
「マリー、左手を出せ」
「はい?」
よく分らないながらも、左の掌を差し出すマリー。
その掌を裏返し、薬指に金属製のリングを嵌める。
エリカに与えた物とは違い、何の変哲もない、幅2㎝くらいのリング。
嵌めた瞬間、そのリングが輝き出した。
初めは、銅製かと思われたそれは、銀、金、プラチナ、ミスリルと材質を変え、オリハルコンになったところで変化を終える。
次いで、リングの表面に、光で模様が刻まれていく。
極小さいながらも、人の手では到底描き切れないであろう精密さを備えたその絵柄は、白百合の花の下に蹲る、1匹の銀狼であった。
「これは?」
「一応、結婚指輪のつもりだ。
材質は、今のマリーが到達し得る能力の限界を、絵柄は、君の性質と、その身に宿る力の象徴を表している。
材質については、もう3段階先まである。
今後、君の能力が飛躍的に伸びれば、自然と変化するだろう。
因みに、今のままでも、人の身では最高クラスの猛者を何人集めようが、君には傷一つ付けられない。
その他にも、アイテムボックスとしての機能や、様々な性能が備わっているが、追い追い分るだろう。
・・最後に、人を眷族として迎え入れ、妻とするに当たり、初めてのこと故、やはり保険を掛けておくことにした。
果て無き時の彼方、生きる事に疲れ、自分に愛想を尽かした時は、そのリングをマリー自らの意志で消滅させることで、君自身の生命を終了させ、輪廻の輪に加わることが可能となる。
自分としてはそうなって欲しくはないが、愛想を尽かされた者を強制的に縛り付ける事など、できはしないからな」
「最後の機能だけは必要ありませんが、和也様の妻としての証の品、謹んで受け取らせていただきます。
ありがとうございます」
「因みに、既婚者に見られたくない時は、リングを一時的に体内に取り込んでおくこともできる」
「あら、もしかして新婚早々夫婦喧嘩をお望みですか?」
にっこり笑ってそう告げるマリーに、センスのない冗談を口にした事を後悔しつつ、目を逸らせる和也であった。
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