第12話
全ての準備と仕込みを終え、セレーニア王国の滅亡を確信しながら、身を隠した生家の廃墟の側で、遠見の魔法を用いて事の成り行きを見守っていたエレナは、王宮から天高く伸びる光の柱に眉を顰めた。
あんな魔法は見たことがないし、誰が使っているのかすら分らない。
『自分の立てた計画に支障が生じなければ良いが』、そう考えていたエレナの不安は的中する。
光の収まった後には、光輝く白銀の鎧を身に纏った男が一人、黄金色の魔法陣の上に立っていた。
そしてそこからの光景は、信じたくないものばかりだった。
魔の森最強の深緑竜のブレスも、近隣諸国の覇者であるエルクレール帝国の切り札である魔導砲も、その男には傷一つ付けることさえできなかった。
それどころか、一方的に攻撃を受け、深緑竜は逃げ帰り、魔導船は打ち落とされ、帝国の軍勢は7色の不可思議な雨に倒れ続けている。
『もう少しでまたエリカ様と一緒に居られるようになる』、そう思っていたエレナの希望は、完膚なきまでに叩き潰された。
寧ろ、今後は一切会えなくなるだけに、状況は絶望的に悪化してしまった。
この騒動が収まれば、王国はきっと自分を捕らえようとするだろう。
捕まれば、エリカ様の前で無様な姿を晒すことになる。
僅かな躊躇いの後、そっと懐に手を伸ばし、もしもの時にと用意していた毒入りの小瓶を握り締める。
こんなことになるのなら、せめてもう一度、エリカ様のお姿をこの目に焼き付けておきたかった。
未練を振り払うように、一気に毒を煽ったエレナは、死ぬまでの僅かな時間で、エリカとの楽しかった日々を思い出していた。
エレナを助け、まだ焦点の合っていない瞳を向けてくる彼女に対し、和也は言葉を発する。
「ジャッジメント」
和也の声と共に、蒼き風がエレナの身体を吹き抜けていく。
送られてくる情報から、エレナのこれまでの様子を把握した和也は、そこまでエリカに固執するかと少し呆れると共に、我が身を振り返って、自分もエレナとあまり変わらぬかもしれないなと苦笑いした。
だが今回のことで、罪なき多くの命が失われ、国が1つ滅びるところであったのだ。
運良く自分がこの場に居たから良いようなものの、そうでなければ、この国で出会った者達や、エリカが無事では済まなかったのだ。
エリカの手前、命だけは助けたが、やはり相応の罰は与えねばならない。
暫し考えた後、和也はエレナに話しかけた。
「エレナよ、今、お前の前には2つの道がある。
1つは、エリカの前に連れて行き、セレーニア王国の法の下に裁きを受けさせる道。
そしてもう1つは、我の忠実な
ただこちらの道は、人の様々な感情、思考が流れ込んでくるため、人付き合いのあまりなかったお前には辛かろう。
だがそれ故に、お前には良い勉強になるはずだ。
この世界は、お前の知らない悲しみや苦しみ、痛みに溢れ、逆に、楽しみや喜び、希望に満ちている。
今回のことは、お前がこの狭い国の中で、自分のことしか考えられなかったが故に、引き起こされたと我は思う。
より広い世界を見て、より多くの者達の心の声を聞くことは、お前自身が成長するための糧となるであろう。
辛いのは、悲しいのは、お前だけではないのだ。
・・どの道を選ぶ?」
男の話を聞いていく内に、頭がはっきりしてきたエレナは、答えを告げる前に問いを発した。
「貴方様はもしかして・・和也様ですか?」
信じられない思いで、声を微かに震わせながら、エレナは尋ねる。
目元を僅かに緩ませ、穏やかに小さく頷く和也を見て、溢れ出る涙を止められぬまま、エレナは再度、問いかける。
「どうしてですか?
私がこれまで貴方様にしてきた振る舞いは、決して良いと言えるものではありませんでした。
しかも、これだけの裏切り行為を仕出かした私に、何故和也様はお慈悲を下さるのですか?
直ぐに殺されても仕方がないのに」
感情の高ぶりで、声を荒げてそう問いかけるエレナに対し、和也は答える。
「エリカはその容姿ゆえ、外見だけではなく、心まで見てくれる者が少ない。
どうしてもその美しさに惹かれ、故に、自分の勝手な理想像を無意識に押し付けてしまう者達に囲まれている。
我はエリカに、いつも笑っていて欲しい。
心からの笑顔でいて欲しい。
そのために、お前のように無償の愛情を注いでくれる者が一人でも多く、あいつの側にいて欲しいのだ。
エリカが本当の自分を曝け出せる存在が、一人でも多く欲しいのだ。
それと、お前を見ていると、
我はこの地でエリカという、掛け替えの無い存在を得た。
気の遠くなるほどの時間、様々な星々を観察して、その暮らし振りを羨ましく思いながらも、我はこれまで何一つ手出しをしなかった。
その中に加われなかった。
そんな我がエリカという伴侶を得た今、もしその存在を手放さなければならぬとしたら、我はたとえ全世界を破壊してでもそれを食い止めるだろう。
そう思うと、お前のしたことの是非はともかく、我はあまりお前を責める気にはなれん」
「・・和也様は私に僕として1000年の間、この世界の管理者として働けと仰いましたが、エルフの寿命は約1000年。
これまでに250年ほど生きてきた私には、残念ですが、贖罪のための時間が足りません」
何を考えているのか、先程とは打って変わって穏やかな声でそう告げるエレナ。
「管理者になる道を選んだ場合、先ず最初に、お前には人であることを止めて貰う。
我が眷族の一員として、神の仲間入りをして貰う。
尤も、神といっても、初めは管理者に必要な能力くらいしか与えないが、その中に不老不死の能力がある。
不老不死といっても、眷族となった後、その者が最も美しく映える年齢までは成長する。
逆に、その盛りを過ぎていた場合、眷族となることで、全盛期の容姿を取り戻す」
「・・御役目を終えた後はどうなるのでしょうか?」
「役目を終え、罪を償った後は、我が居城のメイド長として仕えて貰う。
その際、その地位に相応しい力も授けよう」
「分りました。
謹んで管理者となる道を選ばさせていただきます」
立ち上がり、礼儀正しく頭を垂れながらそう答えるエレナ。
そこに、今までのような慇懃無礼な様子は微塵もなかった。
「言い忘れたが、序でにお前には、エリカ専属のメイドとしても働いて貰うつもりだ。
あいつも最早、人ではない。
これからの気の遠くなるような年月を共に過ごせる存在は、多ければ多いほど良い。
管理者としての間は、年に2回、各7日ほどの休みを与えよう。
そこでエリカと共に過ごす時間を楽しむが良い。
メイド長となった暁には、週休2日、年に2回の長期休暇を与える。
・・因みに、暫くは他にメイドがいないから、エリカを独占状態だぞ。
それでどうだ?」
そう言って、自分を優しげに見つめる和也の眼差しを、涌き出る涙でよく見ることができなくなったエレナであるが、その顔は、和也が初めて見る、心からの笑顔で溢れていた。
セレーニア王宮内は静寂に包まれていた。
さすがに、和也が精霊王達を召喚した際は、居並ぶ重鎮達の中から、『何だあれは!?』『見ているだけでもその力の凄まじさを感じるぞ』『只の人間に、あのような者達が召喚可能なのか!?』といった、驚愕とどよめきが起こったが、エリカが『恐らく、世界を構成する六精霊の、その王達でしょう』と呟いた後、皆一様にエリカの顔を見て、その顔が冗談を言っているものではないことを確かめてからは、各自の顔に浮かぶ表情こそ様々ではあったが、そこに現れている、ある種の諦めに似たようなものは共通していた。
即ち、最早自分達には理解不能であると。
故に、その後、帝国の魔導砲が和也の直前で消滅しようと、7色の光の雨によって帝国の歩兵達が殲滅されていこうと、ただ呆然と見ているだけであった。
皆が身動きもせず、天井のスクリーンを呆然と見つめる中、エリカだけはとても誇らしげに、まるで和也が戻って来たら、どんな事をしてあげようかとでも考えているような、魅惑的な笑みを浮かべていた。
「さて、一通り片付いたようだし、後始末をしておくか」
帝国の歩兵達の中に、未だ立っている者がいないことを確認した和也は、先ず、まだ息のある、殺すまでには至らなかった者達を、纏めて帝国の城壁付近に転移させた。
自ら歩くには、身体的にも辛い上、帝国までは相当の距離がある。
途中にある、国境付近の砦でさえ無理だろうし、そこでは治療も儘ならないだろうとの判断からだ。
万を超える自国の負傷兵が、いきなり城壁付近の平原に姿を現したことに、門番を含め、見張りに付いていた兵達は腰を抜かすほどに驚いたが、それは和也が気にかける事ではない。
転移を見届け、負傷兵に一人の死者も出ていないことを確認すると、和也の意識は、眼下の平原で横たわる、数百の死者達に向けられた。
どれも皆、生前に人として許すことのできない行いをしてきた者達であるが、死んだ後まで辱めようとは思わない。
せめて遺体を処理し、その遺品は浄化した後、有効活用してやろう。
そう考えた和也は、未だに自分を称える歌を配下に歌わせている精霊王達に命じる。
「火よ、万物を滅し、浄化する炎よ、血に汚れた大地共々全てを焼き払え」
和也の厳かな命令に、火の精霊王が右手を胸に当て、軽く頭を垂れて応えると、次の瞬間、曼荼羅の1つが輝き、上空にテニスボールくらいの火球が現れる。
それがゆっくりと落下していき、地表に辿り着いた瞬間、凄まじい熱量を伴って弾けた。
一瞬で、あらゆるものが消滅し、焼け焦げた大地だけが残された場所に向かって、和也は告げる。
「光よ、希望と幸福、転生の象徴よ、浄化されし魂を、世界を構成する魔素へと戻せ」
指名を受けた光の精霊王が、ドレスの裾を両手で抓み、優雅にお辞儀する。
その曼荼羅が輝きを増し、焼け焦げた大地から、無数の小さな光の玉が浮かび上がって、ゆっくりと上空へと登って行くと、やがて空に溶け込んで消えていった。
「土よ、水よ、そして風よ、失われし命の息吹をこの大地に蘇らせよ」
各精霊王がそれぞれの仕種でその命に応え、曼荼羅の3つが同時に輝く。
それと時を同じくして、どす黒く炭化していた土が元の状態を取り戻し、そこから植物が見る見るうちに芽を出すと、それが有り得ない速度で成長していく。
作業の終わりを告げるかのように、その大地の上を一陣の爽やかな風が吹き抜けた時には、それまで以上に豊かな大地が、まるで何事もなかったかのように広がっていた。
「こんなものだな」
結果に満足した和也は、自分を囲む精霊王達に労いの言葉をかける。
「お前達にも世話になった。
初めて人界で力を行使した故、今一つ力の加減が分らなくてな。
また何かあれば頼むとしよう」
そう言って、別れを告げようとした和也を、悲しげな声が呼び止める。
「お父様、私には何もお命じにならないのですか?
私は不要な存在ですか?」
闇の精霊王が、今にも泣き出しそうな表情で、か細い声で、言葉を紡ぎ出してきた。
「そんな訳があるか」
まるで、愛しい我が子を見つめる父親の如き眼差しで闇の精霊王を見ながら、穏やかに、和也は言葉を口にする。
「お前達の誰一人が欠けても、我の創造した世界は成り立たない。
我が世界を創造し、最初に作り出した知的生命体もお前達だ。
お前達が我を父と呼んでくれるように、我にとってもお前達は娘のようなもの。
大切に思っているし、その成長を喜んでもいる。
今回は、お前の力を借りることがなかったが、実は1つ考えている事がある。
時が来たら、その件でお前の力を借りたい。
お前にしかできない事だ。
頼めるか?」
「はい、勿論です。
ご期待に添えるよう、全力を尽くさせていただきます」
和也の言葉に心から安堵したのか、最初の頃のような澄ましたイメージが薄れているが、それもまた、和也には微笑ましかった。
「お父様、今回の働きに対してご褒美を頂けませんか?」
闇の精霊王との一連の遣り取りを聞いていた光の精霊王が、悪戯っぽく口にする。
「何か希望する物でもあるのか?」
精霊王が物を欲しがるのを意外に思いながらも、可愛い娘に物を強請られた父親の如く、嬉しげに尋ねる和也。
「はい、ございます。
名前が欲しいのです。
わたくし達皆に1つずつの、それぞれを表す固有の呼び名が」
「・・済まなかった。
我が子のように思いながら、親として最も基本的なことさえしていなかった。
じっくり考えて決めたい。
少し時間を貰えるか?」
「勿論です」
その場で安直に思い付いたものではなく、自分達を大切な存在として、あれこれ頭を悩ませてくれるという和也に対して、嬉しく思わないはずがない。
それは他の精霊王達も同様らしく、皆一様に微笑んでいた。
「では、そろそろ失礼致します。
またお呼び下さることを心から願っております」
そう言って、光の精霊王が優雅なお辞儀と共に曼荼羅の奥に消え去ると、他の者達も、別れの挨拶を残して次々に消えていった。
全ての精霊王が去り、自分の周囲に展開していた曼荼羅を消し去った和也は、もう1つ、やるべき事を思い出し、上空からセレーニア王国のとある場所を探した。
目的の場所は直ぐに見つかり、その資材置き場兼作業所に、鉄や銅、銀などのインゴットを積み上げていく。
帝国の死した兵達を炎で消滅させた際、その者達が身に付けていた装備品や貴重品の類は、和也によって一度原子レベルにまで分解され、浄化された後、再びインゴットの形で再生された。
お金を除き、その全てをミューズの店の資材置き場兼作業所に積み上げた和也は、店の前で一心に自分を見つめる彼女を尻目に、店の、本来なら看板のある場所に、魔力で文字を刻んでいった。
『才ある者よ、己の全てを懸けてその道を進め。
踠き、苦しんだその先に、汝の求めるものあり』
文字の横には、2羽の白鳥が羽を広げて向かい合い、その首で、ハートの形を作ってキスをしている絵柄があった。
恐らくは、店のロゴであろう。
自分の店が魔力の光を帯びていることに気付いたミューズが振り返り、その変化に驚いている間に、和也は更なる目的地へと目を向ける。
仕込み途中の、まだ陽の射し始めたばかりの作業場にある、大きな木製のテーブルの一角に、魔力で作った紙に走り書きをして、帝国兵から徴収し、浄化したお金を積んでいく。
『これからも時々、パンを貰っていく。
これはその前金だ。
余った分は、君の判断で使ってくれて良い』
金貨にして百数十枚はあるであろう、そのお金の下に敷いてある紙には、そう書かれていた。
更に和也の作業は続く。
作業場の壁と、市場にある彼女の屋台の目に付く所に、小さなエルフの女の子が袋一杯のパンを抱えて、笑顔を浮かべながら、よたよた歩いている、そんな風に見えるロゴを刻む。
店主である彼女達に無断で描いて申し訳なかったかもしれないが、文字通り、名もない店への、せめてもの
ミューズ同様、店の変化に気付いた彼女が、自分から視線を外したその隙に、和也は王宮に戻ろうとして、未だ自分を見つめる、強烈な視線に苦笑いする。
彼女は自分を知らないはずだが、どうやらその魔眼で、自分の放つ魔力の波動に気が付いたらしい。
あの場にその痕跡でも残っていたのかもしれない。
無視するには強過ぎる視線に根負けして、家の前で自分を凝視する少女に対して振り向いた和也は、自分に何か言いたいことでもあるのだろうかと、少女の心を探ってみる。
そして、直ぐに後悔した。
あろう事か、少女は自分を神として崇めようとしていた。
この国には神を敬うという概念がなく、世界的に見ても未だそうした行為が一般的ではないこの時代に、この少女はそれをしようと思っている。
鋼の如き意志で以て、そう決めてしまっている。
少女の眼を治した時は、人並みの幸せを願ってそうしたつもりだが、何処でどう間違えたのか、随分厳しい道を選んだものだ。
溜息を吐く代わりに、今の自分にできる精一杯のこと、これから少女が行く道の道標になればと、彼女の手元に1冊の書物を出現させる。
『ある男の呟きの書』
表紙にそう書いてある書物には、以下のようなことが書かれてあった。
親の職業に囚われず、自分の就くべき職業を、その地位と能力に応じて自由に選択できること。
どちらかといえば女性の立場が強いこの世界で、男女は本質的には平等であり、お互いに助け合うべきであること。
国はその義務として、国力に応じて、子供達に対して一定レベルの教育を施すべきであること。
国民は、その所得に応じて一定額を税として国に納める義務を有し、国は、その一部で以て国民のための福祉政策や環境整備を行う責務を有すること。
他にも幾つもの条文らしき文章が書かれていたが、少女にはまだその意味が難しいものが多く、真に理解するにはあと数年を要するであろう。
神を崇めるための宗教書というより、国をよく治めるための治世の書にも見えるが、和也としては、自分を褒め称える文言よりも、こちらの方を優先して欲しかった。
因みに、この書物はその後、時々淡く輝いて、中の記述が増えることがあり、それは少女にとって、最大の喜びであり、楽しみでもあった。
自分の手元にいきなり書物が出現したことに驚き、少女がそちらに気を取られた隙に、今度こそ和也は王宮へと帰還する。
今更ではあるが、王宮に帰還したことが人々にばれないように、自分の姿を上空で一旦消滅させ、王宮の謁見の間で再構成する、熱の入れようであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます