第9話

 和也が王宮への帰路に就いている頃、エレナは王宮の自室で自分の立てた計画の最後の検証をしていた。


和也にダークエルフ秘伝の薬を持たせ、それを散布させることで魔獣達をこの国までおびき寄せ、自分が操って城壁を攻撃させる。


兵士達がそこへ集中したところで、反対側の正門から、エルクレール帝国の軍隊に攻撃して貰う。


以前、帝国の皇太子が親善名目でこの国を訪れた際は、魔導船でやって来る皇太子のために、この国を覆う魔法障壁を解除して、魔導船を直接王国内に着陸させたが、今回は表立っての名目がない以上、それは不可能だ。


だとすれば、帝国の攻撃が届くように、魔法障壁をどうにかしなくてはならない。


帝国の魔導船が装備している魔導砲は、一度撃つと、その場所の魔素の濃度にもよるが、次に撃てるまでに約24時間ほどかかる。


その分、数で補えれば良いのだが、如何に帝国の科学力が進歩しているとはいえ、魔導船の動力源である風の魔素結晶がほとんど手に入らない現状では、魔導船を量産することはできず、帝国も、3隻を有するのみであった。


そんな状況を打開すべく、エレナは和也にありもしない依頼をでっちあげ、深緑竜の子供を捕獲してくるように頼んだのだ。


この国に住む者なら、竜に手を出してはいけないことは誰でも知っている。


だが、よそから来た和也なら、恐らく深緑竜の恐ろしさを知らないだろうし、高位魔獣を一人で倒せるくらいだから、小竜なら手出しをするだろうとエレナは踏んでいた。


怒り狂った深緑竜にブレスで攻撃されれば、この国の障壁とて長くは持たない。


小竜を殺さずにと頼んだのは、障壁が破壊されれば逃がして、被害を最小限にくい止めるためだ。


過去にこの国が襲われた時も、首謀者であるダークエルフを殺した後は、必要以上に攻撃しなかったと古い文献にもある。


和也に秘薬を散布させたのも、自分の代わりに深緑竜に殺させるためだ。


エレナは、ちょうどエリカ付きのメイドを外された頃、気分転換に訪れた森の中で、父の知り合いであるというダークエルフと会ったことがある。


自分がハーフエルフなのは見れば判るから、もしかしてと、向こうから声をかけてきたのだ。


生まれて直ぐ、親に捨てられたエレナは、自分の親についてそれまで何も知らなかったが、父親がダークエルフであること、エルフである母と子を生し、母共々暮らそうとして自らの里を追われたこと、その母を、母の父親であるエルフに殺されたこと、そして復讐に燃え、怒りに我を忘れた父が禁断の秘薬に手を出し、自らも深緑竜に殺されたことをその時に聞いたのである。


その際、里を追われてから暫く住んでいたという場所を教えられ、そこを訪ねてみると、廃墟と化した、見窄みすぼらしい建物らしき物の床下に隠し扉があり、そこで、秘薬の製造法が書かれた羊皮紙と、その材料の一部、そして父と母を描いた油絵と、自分宛の手紙を見つけたのである。


その絵は、保存状態が良かったのか、かなり古ぼけてはいるが、両親の顔が何となく分る。


それまで、自分は両親から嫌われて、捨てられたと思っていた。


だが、絵の中に居る両親は、幸せそうに笑っているように見える。


心に芽生えた微かな希望を胸に、手紙を開いた。


『我が愛しき娘よ。


お前がこの手紙を読んでいる頃には、私はもうこの世にはいないだろう。


恐らく、深緑竜に殺されているはずだ。


それが分っていて、生まれたばかりのお前を置いてまで、エルフに対して復讐しようとする私を、お前は愚かだと笑うだろうか?


それとも憎むだろうか?


何と思われても弁解の余地はないが、これだけは伝えておきたくて、この手紙を残すことにした。


私達夫婦は、たとえ他の人達から受け入れられなくても、二人でいられるだけで本当に幸せだった。


お前が生まれてからは、更に幸福であった。


日々の食事にさえ事欠くこともあったが、お互いを思い遣り、慈しみ合って、笑顔の絶えない暮らしであった。


私は、お前達さえいれば他に何も要らなかった。


ダークエルフとして、日陰の中でしか生きてこれなかった私に、陽の当たる場所から、その場所を捨ててまで、私に微笑みと温もりを与えてくれた妻が、何より大切な存在だった。


何れは妻の親にも認めて貰おうと、懸命に薬学を学び、人の役に立つ仕事に就いて、妻とお前に少しでも楽をさせてやりたかった。


あの日、あの光景を目にするまでは・・・。


その日、いつものように魔の森で魔獣を避けながら薬草を採取した私は、早速調合しようと家に急いだ。


偶々珍しい薬草を見かけ、調べてみたいこともあったからだ。


家の近くまで来た時、妻の父親と思しきエルフと、その護衛らしきエルフが三人、セレーニア王国の方に走って行くのが見えた。


酷く慌てているみたいで、何だかとても胸騒ぎがした私は、家の中へと駆け込んだ。


・・そこで目にしたものを、私は決して忘れない。


忘れることが・・できない。


お前を庇うようにして、背中に大きな傷を負い、既に息絶えていた妻の姿を。


大量の血を流しながらも、お前を守れて満足とでも言いたげな、妻の安らかな死顔を。


駆け寄って、妻を抱き締めた私の腕の中で、愛し合った時にはいつも、温かな温もりを感じさせてくれた妻の身体が、刻々と熱を失っていく恐怖を。


・・どのくらいそうしていただろう。


お前が空腹で泣き声を上げなければ、きっとそこから動くことすらできなかったに違いない。


妻を抱えてやっとその場を離れようとした時には、私から、エルフに対するどす黒い憎悪以外の感情が、すっかり抜け落ちていた。


私達が何をした?


お互いに、ただ恋をして、人目につかぬようひっそりと生きていただけではないか。


私がダークエルフだから?


生まれや親を選べない子供に、一体何の非がある?


親が罪人なら、子供も何もしなくても罪人なのか?


それなら、こんな世界など滅んでしまえば良い。


そんな世界に未練などない。


妻のいない、今の世界になど・・。


それからの私は、ただ世界に、エルフに復讐するためだけに生きてきた。


そんな中で、あの日私が見つけた珍しい薬草が、魔獣を操るダークエルフ秘伝の薬のカギになる事を知った私に、迷いなど無かった。


たとえ自分が深緑竜に殺されようと、一人でも多くのエルフを道連れにしてやる。


そう考えて、この薬を完成させた。


薬ができた今でも、その気持ちに変わりはない。


ただ時が経つにつれ、お前のことだけは助けてやりたいと思うようになった。


妻が死んだ時には、お前を庇ったせいでと恨みもしたし、妻のこと以外、何も考えたくはなかったが、ただ作業のように食事を与えている私に、お前はいつも笑ってくれた。


お前を見ると、妻との幸せな日々を思い出し、泣きたくなる私の顔を、そのあどけない指先で撫でてくれた。


お前は、私と妻が愛し合ったという証、妻の愛情の結晶。


ここでお前を見捨てたら、エルフ共と同じになる。


そう考えた私は、偶然見かけた、魔獣討伐を終えて、セレーニアへと帰還しようとする兵士達のテント先に、お前を置いてきたところだ。


身元を示す物は何も持たせなかったが、お前の名、妻と同じ名前にした、その名が付いた肌着だけは持たせた。


お前と生きる道を捨て、ただ復讐のみを果たそうとする、薄情な私のことは忘れても良い。


ただ、願わくば妻と同じその名前、美しく軽やかな旋律を奏でる『エレナ』という名前だけは、どうか受け継いで欲しい。


妻がこの世界にいたという、証なのだから。


最後まで自分勝手な私を許せというつもりはないし、許して貰えるとも思わない。


けれど私は、妻は、お前を愛していた。


お前は望まれてこの世に生を受けたのだ。


ただそれだけが言いたかった。


ハーフエルフであるお前は、もしかしたら私達以上に辛い目に遭うかもしれない。


私達のように、お互いを支え合う存在がいなければ、心が持たないかもしれない。


そんなお前に、私がかけてやれる唯一の言葉を最後に記す。


生まれてくれてありがとう。


お前が生まれた時、私達は本当に嬉しかった』


エレナは、最後の一行を読み終えた時の気持ちを、その時は上手く表現できずにいた。


今まで、どちらからも忌み嫌われる存在として、自分は捨てられたと思っていただけに、父が残してくれた言葉は、涙が出るくらいに嬉しかった。


しかしその一方で、苦労すると分っていたにも拘らず、自分を捨てたことが許せずにいた。


他の全てをなげうってまで、エルフに復讐しようとする気持ちを理解できずにいた。


だが、今ならよく分る。


エリカ以外どうでも良くなっている今の自分には、父の気持ちが非常によく理解できた。


この計画が成功すれば、多くの人が死ぬだろう。


その大半は自分とは無関係の、何の罪もない人達だ。


でもそれで良い。


エリカとこれからも一緒に居られるなら、そのくらいの犠牲は厭わない。


そう考えたエレナは、計画の最終段階に入る。


この国を覆う魔法障壁を支えている結界石の術式を解除するのだ。


年に一度、魔術師の精鋭が数十人がかりで魔力を補填する結界石は、王宮の地下、厳重に封印された結界の間にある。


普段なら、幼い頃から王宮で暮らし、ここの者達にならそれなりの信用があるエレナでさえも近付くことはできないが、今だけは別だ。


裏門、魔の森に通じる隠し扉を開ける許可を、和也の代わりに取ったのはこのためだ。


結界の間を開くための鍵は、隠し扉の鍵と同じ場所に保管されている。


隠し扉の鍵を借り受ける際、結界の間の鍵を偽物とすり替えておいたのだ。


この鍵はかなり特殊で、鍵を鍵穴に差し込むだけで、そこに掛けられてある封印も解除できる代物だ。


それだけに、本来ならもっと厳重に管理されるはずなのだが、ここ1000年、魔獣が多少大型化した以外は大した危機もなく、平和な時が流れていることに加え、つい先日、この国に多大な貢献をした和也の為という名目が、そのチェックを大分甘いものにしていた。


結界の間の中にさえ入ってしまえば、後は4つある結界石の何れか1つを破壊するだけで良い。


4つの石を結ぶようにして掛けられている魔法障壁の印を、保てなくするだけで良かった。


一度術式を解いてしまうと、再度掛け直すのに、魔術師の精鋭が数十人がかりで1時間近くを要し、係わった魔術師は3日は大きな魔法を使えないほどに魔力を消耗する。


そうなれば、エルクレール帝国の攻撃の前に、なす術はない。


エレナは、自分の立てた計画の成功を露ほども疑うことはなかった。



 和也がセレーニア王国の裏門付近に戻って来た時には、登る朝日が魔の森の木々の梢を照らし、そよ風に揺れる葉と相俟って、まるで光の妖精が戯れているような、そんな時刻になっていた。


魔獣さえいなければ、魔の森は様々な植物の宝庫であり、美しい沼や湖を有する自然豊かな楽園のように見える。


夜間に歩けば、闇の中を満天の星がまるで見守るように輝き、木々の間から差し込む月の光は清楚で、闇の精霊に遠慮しながら足元を照らしてくれる。


普通の人間なら見ることができない魔素も、和也の目にははっきりと、その色とりどりの光を緩やかに明滅させながら、まるで自分に語りかけるかのように、己の行く道を案内してくれる様が見える。


帰路の間の相棒となった小竜は、好物の実を堪能した後は、和也の腕の中で、時折身体を甘えるように擦り寄せてくる以外は、実に大人しくしている。


エリカという存在を得て、色彩のなかったその心に光が生じ、世界の有様をより鮮明に見れるようになった彼には、一人で入れば生きて帰ることが困難な魔の森でさえ、美しい庭園のようにしか感じられなかった。


そのせいか、何時しか時の経つのも忘れ、気付いたら裏門付近まで来てしまっていた。


最初は律儀に一定間隔で散布していた薬も、途中からかなりいい加減になっていた。


エレナには黙っておこうと内心で思った和也であるが、今はもっと頭を悩ませる問題がある。


小竜を連れたまま、裏門付近まで来てしまったことである。


本来ならもっと手前で別れるつもりでいたが、人はおろか動物とでさえ、長い時間を共に過ごすことがなかった和也にとって、小竜の抱き心地は新鮮で、魔の森の景色に見惚れていたせいもあって、つい、気付くのが遅れてしまったのだ。


エレナからの依頼を無視することにした和也にとって、この小竜を王宮に連れて帰る訳にもいかず、腕の中で気持ち良さそうに寝ている小竜を何度か起こそうとしたが、薄く片目を開けるだけで、また直ぐに寝入ってしまう。


かといって、たとえ半日に満たない間と雖も、共に過ごした相手を、黙って置き去りにするのもどうかと思えた。


暫く考えた末、小竜が起きるまで不可視の魔法をかけて、自分の部屋まで連れて行くことにした。


目覚めたら、こっそり障壁の外に出してあげれば良い。


実を言うと、まだ少し名残惜しかった和也は、自分の考えに満足して、王宮へと足を踏み出した。



 和也が 自分の部屋に入って直ぐ、エリカが念話で話しかけてきた。


和也がエリカの居場所を瞬時に把握できるのと同様に、その眷族となったエリカには、和也が意図的に気配を遮断しない限り、その存在を常に感じ取ることが可能になっている。


今はまだ場所的なものを感じるのみだが、今後何度も和也に抱かれ、その能力を向上させていけば、視界的なものまで把握することが可能になる。


『おかえりなさい。

もう少し早く帰って来て下されば、会いに行く時間が取れたのですが、今日は朝から急遽きゅうきょ、謁見の仕事が入ってしまって、これからエルクレール帝国の使者の方に会わねばなりません。

それが終わったら暫く時間が取れますので、ご一緒にお食事でも如何ですか?』


『遅くなって済まない。

魔の森の景色を堪能していたら、つい時間が経ってしまった。

討伐依頼の件では後で話したいことがある。

それと、食事をするのは構わないが、1つ問題がある。

できれば自分の部屋で食べたいが、そちらの都合はどうだろうか?』


『問題ですか?

それはあなたの側に何かの気配がするのに関係があるみたいですね。

分りました。

仕事が済み次第、食べ物持参でそちらへ参ります』


エリカとて、和也の眷族となった以上、生命維持のために物を食べる必要も、空腹を感じることもないが、長年の習慣がそうさせるのだろう。


食事は最高の楽しみの1つでもあるし、和也としても、めるつもりはない。


エリカが来るまで、折角だから小竜と一緒に一眠りしようと、ベットに入る和也であった。



 「今何と申した?」


女王は、火急の報告があると言って、帝国の使者との謁見前に自分を呼び出した兵士に聞き返した。


「封印の間に何者かが忍び込み、術式の一部を破壊致しました」


「どうやって入り込んだのじゃ?

扉の封印が解かれたのか?」


「いえ、扉自体に目立った傷がないことから、鍵を使用したと思われます。

念のため確認致しましたが、偽物とすり替えられておりました」


「あそこの鍵は厳重に保管されているはず。

ならば内部の犯行という訳じゃな。

それもごく身近の。

急に姿が見えなくなった者はおらぬか?」


「今、他の兵士達に調べさせております」


「とりあえずは術式を修復し、障壁を張り直さねばならん。

至急、宮廷魔術師達を招集し、障壁を修復させよ。

障壁を破壊したということは、何者かが我が国を狙っている可能性が高い。

マリー将軍に軍の出撃準備を急がせよ。

何時でも出撃できるようにさせておけ。

民の動揺を防ぐため、障壁の件は他言無用とする」


女王が矢継ぎ早に兵士に指示を出す中、帝国の使者との謁見が迫ったエリカが入ってくる。


「お母様、どうかなされたのですか?」


「何者かが障壁の術式を破壊しおった」


「障壁を?」


今までのエリカであれば、その知らせに少なからず衝撃を受けたであろうが、今は自身が人ではない上に、和也という、この上ない存在が身近に居る。


狼狽える必要は何もない。


エリカの様子にほとんど変化が見られぬことを女王は意外に思ったが、帝国の使者を待たせる訳にはいかぬので、深く考えずに謁見の準備に入った。



 「今何と申した?」


帝国の使者からの、唐突な宣戦布告に、女王は先程の兵士にした問いを繰り返した。


「我が帝国は、セレーニア王国に対し、宣戦を布告致します」


「理由は何じゃ?」


「我が国の面子を潰されたことに対する報復です」


「面子を潰されたと申したが、一体どのようなことを我が国がしたというのか?」


「度重なる皇太子殿下のご求婚にも拘らず、同じエルフ族ならともかく、他の人間をエリカ様の婚姻相手に選ばれたことです」


「・・今、何と申した?」


女王は、自身も初めて聞く内容に大きな衝撃を受けつつ、本日何度目かになる同じ問いを発した。


慌てて自分の隣に座っているエリカを見遣る。


エリカは、ばつが悪そうな、少し申し訳なさそうな表情を母である女王に見せたが、一切の否定をしなかった。


女王の問いに再度同じ言葉を繰り返そうとした帝国の使者を制して、エリカがその彼に質問をする。


「わたくしの婚姻に関しては、まだどなたにもお知らせ致しておりません。

一体どなたからお聞きになられたのですか?」


「申し訳ありませんが、それに関してはお答え致しかねます」


「そうですか。

ではもう1つ。

開戦日時は何時いつですか?」


「明朝の日の出と共に開戦致します」


「承知致しました。

他に伝える事がなければ、退出なさって結構ですよ」


「・・帰していただけるのですか?」


この時代、宣戦布告を伝える使者はそのほとんどが相手国の逆鱗に触れ、殺されているので、この使者も既に家族との別れを済ませている。


「勿論です。

貴方に非がある訳ではありませんから」


未だエリカの婚姻という衝撃から覚めやらぬ女王に代わって、エリカが答える。


「ありがとうございます。

ご厚情に心から感謝致します」


深く頭を下げながらそう言うと、使者は直ぐに退出した。


「・・・エリカ、妾に何か申すことはないかの?」


使者が去って後、少しばかり疲れた様子で尋ねてくる女王に対し、エリカはどう説明しようか頭を悩ませていた。



 どのくらい眠ったであろうか?


王宮内が騒がしいことを訝しく思った和也は、傍らに小竜が寝ていることを確かめると、エリカに念話を送ろうとして、仄かな紅茶の香りと共に、部屋のテーブルに食事が用意されているのに気が付いた。


そして、テーブルの一方の椅子に腰掛けながら、紅茶を楽しみつつ、自分を眺めているエリカにも目がいく。


「済まない。

少しのつもりが大分寝てしまったようだ。

君の時間は大丈夫だろうか?」


「ええ。

思わぬ事が起こりまして、今日1日は自由に時間を使えます。

それと、わたくしのことはエリカと呼び捨てになさるか、『お前』とお呼び下さい。

『君』という言い方は、何だか他人行儀な感じがして嫌ですわ。

その代わり、わたくしも和也さんのことを、『あなた』と呼ばせていただきますから」


「何があった?」


エリカのかわいい要求に少し照れながら、努めて平静に和也が尋ねる。


「王宮の封印の間に何者かが忍び込み、障壁の術式の一部を破壊致しました。

犯人は、・・恐らくエレナでしょう。

少し前から姿を消しております。

また、エルクレール帝国が宣戦を布告してきました。

明日の日の出と共に開戦になります。

理由は、わたくしが皇太子以外の人間と婚姻したからだそうです」


「聞きたいことが増えたが、そんな忙しい時に王女であるき・・エリカがよく時間が取れたな」


『君』と言いそうになり、慌てて言い直す。


「お母様が、最後の日くらいは好きな人と過ごしなさいと言って下さいました。

どうやらエレナが私達の関係に気付いていたらしく、エルクレール側に洩らしたようです。

悲しい事ですが、あちらの間者と繋がりがあったようで、障壁の破壊もその一環でしょう。

帝国の使者を通じて私達の関係をお知りになったお母様に、わたくしがあなたの妻になったことを正直にお話ししましたら、あの者であればと、お許しを頂きました。

そして、戦う相手が帝国では、勝てるかどうか分らないので、せめて少しでも共に過ごす時間をと、無理をして私のための時間を作って下さったのです」


そう話すエリカの表情には、母である女王への深い愛情と、自分達を裏切ったエレナに対する悲しみが浮かんでいた。


でもそれは直ぐに消え、期待に満ちた表情で和也を見据える。


「お願いしても・・宜しいのですよね?」


『何を』、と尋ね返す必要などない。


やる事は1つだからだ。


「任せておけ」


その一言を満面の笑みで聴いたエリカは、先程から気になっていた、もう1つのことについて尋ねた。


「ところで、その小竜はどうなされたのですか?」


「行く前に、エレナに捕らえてくるように依頼されたものだが、その気はないので途中まで道連れになって貰っただけのはずが、魔の森の景色に見惚れている内に裏門付近まで来てしまってな。

起こしても起きないので、置き去りにする訳にもいかず、仕方なく連れて来た。

不可視の魔法をかけてあるから、自分達にしか見えないし、目を覚ましたらこっそり逃がそうと考えている」


「・・エレナは、本当にわたくし達のことを恨んでいるのですね」


「こいつがどうかしたのか?」


「この小竜は、魔の森の主である深緑竜の子供だと思われます。

わたくし達は決して竜に手を出しません。

絶対に勝てないですから。

この国に住む者なら誰でも知っている事です。

それを敢えて捕らえるように言ったのであれば、この国を滅ぼそうと考えているとしか思えません。

過去に何度か、ダークエルフが魔獣達を操り、この国に攻撃を仕掛けてきました。

その時には必ず最後に深緑竜が現れ、魔獣達を操ったダークエルフを殺しています。

その際、当然我が国もその影響を受けて大きな被害が出ています。

元々、障壁はそれを最小限に防ぐために張られたものなのです。

完全に防ぐことはできませんが、怒りが静まるまでなら、何とかなりますから。

・・まさかとは思いますが、エレナから何か液体のような物を渡されませんでしたか?」


「出掛けに渡されたな。

魔獣が自分の匂いを辿ってこの国に近付かないよう、一定間隔で撒くようにと。

途中からかなりいい加減になってしまったが」


エリカが小さな溜息を吐く。


「一体何が彼女をそこまで追い詰めたのでしょう?

あなたに渡したという液体は、多分ダークエルフに伝わるという秘薬だと思われます。

高位魔獣を操りやすくするために使う物だと聞いたことがあります。

だとすれば、多数の高位魔獣や深緑竜まで襲って来る。

正門からは帝国が、裏門からは深緑竜と高位魔獣の群れが。

魔法師団の半数以上が障壁術式の修復で魔力を使い果たしている今、あなたがいなければ、間違いなく我が国は滅んでいたでしょう」


エリカは、エレナが自分にそこまでの執着心があるとは考えていなかった。


なので、今回の件を今までと同様に、エルフに対するダークエルフの恨みから引き起こされたものと考えている。


幼い頃から、周囲の羨望の視線を一手に引き受けてきたエリカには、半ば無意識に、他人の自分に対する感情を考えないようにする癖があった。


長々と語り終え、ティーカップを口に運ぼうとして、それが既に空になっていることに気付いたエリカが、はっとして冷めてしまった料理に目を遣る。


「済みません。

つい話し込んでしまって。

お食事に致しましょう。

その後は、一緒にお風呂に入りましょう。

あなたへのペンダントのお礼もまだ致しておりませんし、折角のお母様のお心遣いを無駄にしてはいけませんわ」


そう言って、無理して明るく振舞いながら、料理を魔法で温めるエリカを眺めつつ、和也は、行為の最中に小竜が目を覚まさないことを祈るのだった。

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