第8話

 約束の時間より少し早く和也が指定の場所まで赴くと、既にエレナが待っていた。


その手には、黒い布に包まれた筒状の物を持っている。


「済まない。

待たせてしまったか」


和也が詫びると、それには応えず、エレナは持っていた物を差し出した。


「これは魔獣除けの液体で、ほんの少し地面や木に垂らせば、2、3日は魔獣を遠ざけることのできるものです。

貴方の匂いを辿って魔獣がこの国に近付いて来ないように、こちらにお帰りの際は必ず、一定間隔でこの液体を少量撒いて下さい。

必ず、忘れずに、お願い致します」


そう言って和也に、布から取り出したガラスのビンのような物を手渡す。


1リットルくらいはありそうな液体を収納スペースに放り込み、和也は封印の施された扉へと向かう。


許可を取っておくと言っていた通り、内側からの封印は解除されているようだ。


外へ出ようとすると、エレナから声がかかった。


「貴方に1つ、特別な依頼があります。

これは非常に重要な依頼で、機密性も高いため、ごく限られた人物にしかお願い致しません。

前回の貴方の働きが評価され、この依頼を受ける資格が与えられました。

お聞きになりますか?」


「その依頼は断ることができるのか?」


振り向きざまに和也は問う。


「お聞きになる前であれば可能です。

聞かれた後は断れませんが」


何やらめんどうなことになりそうだが、少しでもエリカのためになるなら良いかと、和也は話を聴くことにした。


「話を聴こう」


そう言った瞬間、気のせいか、エレナの浮かべている笑みに深みが増したように感じられる。


「貴方はこれから樹人系の高位魔物を討伐に行かれる訳ですが、もしその途中で深緑の鱗を持つ小竜に出会ったら、決して殺さずに生け捕りにして欲しいのです。

我が国と交易のある、さる国の王族の方からのご依頼で、成功の暁には金貨10万枚相当の報酬が約束されています。

もし捕獲されましたら、なるべく人目につかぬよう、速やかにこちらにお渡し下さい」


「マリー将軍の所にではなく、王宮にか?」


「私にお渡し下さい。

この件に関しては私が担当なので」


「生け捕りと言ったが、君に小竜が抑えられるのか?」


「専用の薬で眠らせるので大丈夫です。

それに、深緑竜は餌さえ与えておけば、割りと大人しいので」


「分った。

捕らえることができたらそうしよう」


そう言って、和也は魔の森へと足を踏み出す。


ろくにエレナの顔も見なかったので、その眼差しが決して笑顔に相応しいものではないことにさえ、気付かない和也であった。



 魔の森を歩き始めた和也は、早速隠密の魔法を自身に掛ける。


無駄な手間と殺生を避けるためである。


昨夜の出来事から、この世界が自分に素晴らしい贈り物をしてくれたことに深く感謝している和也は、ここでは必要以上に殺生や搾取をしないように決めていた。


特に、この魔の森は魔素が最も濃い場所の1つであり、自分を祝福してくれる感覚が強い場所でもある。


なるべく傷つけたくなかった。


和也は更に『神の瞳』を用いて、目当ての魔物を探す。


すると、ここから約50㎞の所に、1体の魔物を見つけることができた。


現地まで転移で跳んでも良いが、折角なのでこの世界に来た時とは違い、森の中を楽しむことにして歩き出す。


20㎞ほど進んだ所に小さな湖があり、清く澄んだ水の上で、精霊達が魔素の光と戯れていた。


薄く差し込む陽光に照らされて、神秘的にさえ見える光景を眺めていると、こちらに気付いた精霊達が寄って来る。


自分が創造神だと分るのか、嬉しそうに纏わり付いてくる。


何時になく心が和んだ和也は、1本の和笛を創り出し、嘗て地球で聞いた曲をアレンジした、緩やかな旋律を奏で始めた。


フルートに似た形状のそれは、和也の今の気持ちそのままに、遥か遠くを見つめる者の寂しげな心がゆっくりと、ゆっくりと温められてゆく情景を静かに奏で、この世界への感謝と慈しみの気持ちを体現し、やがてそっと消えていく過程を見事に表現していた。


何時の間にか、周囲の精霊達も彼女ら独自の音声で和也の曲に彩りを与え、もしその光景を見る者がいれば、まるでそれを森の木々や湖までもが耳をそばだてて聴いているような気持ちにさえなったであろう。


15分くらいであろうか、曲としては長い時間が終わりを告げ、和也が目を開きながら笛を下ろすと、森に漂う色とりどりの魔素が、何かを記憶するように明滅しながら周囲に拡散していくところであった。


いつまでも今の気分に浸っていたいところではあるが、少し日が傾いてきたので歩みを再開する。


目的の魔物に出会う頃には、森に夕日が射していた。



 和也は改めてその魔物を見てみる。


確かに全長10mくらいあり、見上げるほどの高さにある枝には、地球の林檎に似た果実が実っている。


木の表面は薄い金色の輝きを放ち、いかにも魔力が高そうだ。


だが、それだけで、別にその魔物から悪意を感じる訳ではない。


人を襲うようにも見えない。


依頼だからと無害な生物をただ倒すのは、今の和也の気分にそぐわなかった。


しかし、それだと組合の職人のように、困る者も出るのだろう。


高級家具は必需品ではないが、実は貴重な霊薬の材料になるとも聞いた。


魔物を前にして、どうしたものかと考えていると、自分を見つめていた魔物がゆっくりと動き出した。


何となく、付いて来いと言われているような気がして、その後をゆっくり付いて行く。



 どのくらい歩いたであろうか?


森に夜の帳が降りる頃、少し開けた場所に着いた。


周囲を取り囲む魔素の濃度が尋常ではない。


常人なら、1日も居れば身体に支障を来すだろう。


その一角で、樹人の魔物は動きを止める。


よく見ると、その傍らに、幾つかの枯れ木のような物が並んで横たわっていた。


そこから動こうとしない彼に、こちらから近付いて行くと、枯れ木に見えたそれらは、彼らの仲間のむくろであった。


もう死んでからかなり経つようだが、周囲の魔素の濃度が濃いせいか、朽ちもせず、奇麗な状態で残っている。


そしてその周りを、土から顔を出した若芽が見守るように囲んでいた。


どうやら、落ちた実が長い時を経て、新たな樹人として成長するようだ。


和也が、樹人がここに自分を連れてきた理由を考えていると、その樹人は1本の枝を伸ばし、仲間だった者達の躯を指し示した。


まるで、持って行けと言っているように見える。


和也が身振りで確認すると、樹人は微かに頷いた。


和也は少し考えて、そこにある躯の内、比較的新しいものを3体分持ち帰ることにした。


まだ10体以上あるが、ここは言わば樹人達の墓場であり、彼らの再生の場でもあるのだ。


必要以上に持ち帰ることはできなかった。


居並ぶ躯に一礼して、収納スペースに詰める。


3体詰め終えたところで再び一礼すると、和也の行為を静かに見守っていた樹人がその身体を震わせた。


その枝から、熟した実が幾つも落ちてくる。


躯には実がないので、自分のをくれるようだ。


それらを丁寧に拾いながら、ここまでしてくれたこの樹人に、何かしてやれる事はないだろうかと考える和也。


結局、その場では思い付かず、樹人に丁寧に頭を下げて、この場所に、彼らの意に反する者が出入りできないように結界を張り、静かにその場を後にした。


星の光の奇麗な夜道を王宮へと向かって歩きながら、物思いに耽る和也に、1体の小竜が近付いて来たのは、そんな時であった。



 和也がその羽音に気が付いたのは、王宮へ帰る道を歩き出して間も無く、樹人に貰った実の1つをいじりながら、エリカに連絡を取ろうとしている矢先のことだった。


隠密の魔法を掛けてはいるが、所持品の匂いまではごまかせないようで、樹人のくれた実が放つ、かぐわしい香りに惹かれて寄って来たようだ。


和也が羽音のする方向へ目を向けると、緑色の幼竜がゆっくりとこちらへ向かって来るところだった。


どうやらこの実が好物のようで、物欲しそうな目をこちらに向けながらも、多少の警戒心はあるのか、和也の頭上2mほどで停止した。


竜といってもまだ生まれて間もないのか、体長50㎝くらいしかないが、その身を覆う鮮やかな鱗はまるで質の良いエメラルドのようで、時折、月の光を反射して淡く輝き、顔つきはまだあどけないながらも、知性を感じさせる品の良いものだ。


恐らく、この幼竜がエレナから受けた依頼の竜だろう。


本来なら直ぐ捕獲してエレナに渡すべきだろうが、和也が予想していたよりも遥かに理知的で、かわいらしい容貌のこの幼竜を、何処かの国の王族のペットにするために捕まえる気は、和也には既になかった。


こちらが何の動きも見せないことに焦れたのか、頭上をゆっくり旋回し始めた幼竜に、1つくらいならと、樹人の実を差し出してみる。


見知らぬ相手に近付く危険と樹人の実を秤にかけたのか、幼竜は暫く躊躇うように頭上を回っていたが、やがて、食欲に負けて和也の差し出した掌に近付き、恐る恐る実を咥えてまた少し距離を取り、空中でゆっくり咀嚼し始めた。


美の収集家を自負する和也にとって、その光景は美しいというよりかわいらしいものでしかなかったが、妙に心和むものがあり、つい収納スペースからもう1つの樹人の実を取り出し、差し出してしまった。


実はこの行為が、後に重大な事件の引き金になるのだが、幼竜の幸せそうに実を食べる姿を見れば、誰も和也を責められはしないだろう。


好物の実を堪能し、心のたがが少し緩んでいたところに、透かさず次の実を差し出された幼竜は、すっかり和也に気を許し、今度は実を咥えても離れたりせず、和也の直ぐ近くに留まって食べ始めた。


つい最近までボッチだった和也は、生き物をペットとして飼うこともなかったが、この心和む幼竜に対しては、王宮へ帰るまでの連れとして、もう少し一緒にいたい衝動に駆られ、解らないだろうとは思いつつ、声をかけてみる(万能言語は使用せず)。


「この森を抜ける少し手前まで、良かったら散歩に付き合わないか?」


半分冗談で言ってみたが、驚いたことに、幼竜はこちらの顔を暫く眺めた後、地に足を下ろし、その身体を和也に擦り付けてきた。


「宜しくな」


その行為を同意と受け止めた和也は、幼竜の身体を楽々と抱え上げ、行きよりも更にゆっくりな歩調で、腕の中でじゃれてくる幼竜と戯れながら帰路へと就いた。


その途中で、エレナから渡された液体を律儀に降りかけていったことは言うまでもない。


ただ、その液体を一定間隔で振り撒いている際、片腕で抱えていた幼竜が、不思議そうな顔で和也を見るのが気にはなったが。



 魔の森の一角に、今は活動を停止した火山があった。


その火口を降りて行った所には大きな空洞があり、この森の主として、深緑の鱗を持つ巨大な竜が棲みついていた。


竜種は元々子供ができ難いが、その竜はそれに輪を掛けて子供に恵まれず、最近になってやっと産まれた幼竜を正に溺愛していた。


竜種もこの世界の人間同様、雌の方が魔力が強く、子供を作る際以外は雄とは同居せず、単体で暮らしているせいもあり、人間よりも寧ろ子供に対する執着が強かった。


その日、いつものように外に遊びに出た幼竜が、なかなか帰って来ないことを心配に思ったが、深緑竜は元々気性が穏やかで思慮深く、また、この森で自分に刃向かう存在など皆無だったため、もう少し帰りを待とうとしていた。


風に乗って流れてくる、あの忌まわしい臭いを嗅ぐまでは。



 ダークエルフが魔獣を操る時、低位の魔獣ならともかく、高位の存在には自己の能力だけでは足りず、ある薬品を使用する。


その薬は、地球の猫に対してマタタビを用いたような効果をもたらすもので、命令を受け入れやすくするために、魔獣に対して一種の酩酊状態を作り出す働きがある。


さすがに最高位に位置する魔獣である竜種には効かないものの、術者の腕次第では、かなり高位の魔獣まで操ることができる、ダークエルフ秘伝の薬である。


魔の森に深緑竜が棲みついてより3000年、この臭いを嗅ぐのはこれで四度目である。


過去3回は全て200年以上前の事で、一度目は薬の効果を試すため、二度目と三度目はダークエルフの術者がセレーニア王国のエルフに復讐するために用いたが、何れも深緑竜の怒りに触れて、術者が殺されている。


この森の食物連鎖の頂点に立つ者として、自らが生きるために最小限の狩はするが、ただ己の野望や復讐のために、徒に魔獣を操り、敵と同士討ちさせるが如き振る舞いで、自分の縄張りにいる魔獣たちを無駄死にさせる行為は、この森の主としてとても許せるものではなかった。


セレーニア王国が必要以上に街の周囲を結界で囲むのも、過去に数百もの魔獣に一斉に襲われた教訓からきている。


今の女王の代になって、ダークエルフに対する差別がかなりなくなってきたこと、薬を使えばほぼ確実に深緑竜に殺されることから、ダークエルフの中でもこの薬はタブー扱いされ、その作り方も忘れ去られたはずであった。


エレナが、過去にこの薬を使った者の子孫でさえなければ。


そんな、ある意味深緑竜の逆鱗に触れるに等しい薬の臭いを嗅がされ、我が子の帰りが遅いことを心配していた竜が真っ先に考えた事、それは性懲りもなく、愚かなダークエルフが薬を使ったということ、そして事も有ろうに我が子をその薬で連れ去ったということである。


普段の冷静な深緑竜なら、自分たち竜種にあの薬が効かないことは当然分っている。


だが、最愛の我が子を連れ去ったと思い込んだ今の竜にはそんな分別はなく、ただ怒りに我を忘れた凶暴な魔獣がそこに居るだけであった。



 セレーニア王国から東へ約1000㎞、比較的温暖で雨量も多い広大な平地に、近隣諸国の覇者、エルクレール帝国はある。


人口約2700万人、近隣諸国最大の人口と領土を有するこの帝国は、学問を奨励することでも有名であり、多くの学者が集まる学問の都として、また、卑しい身分の生まれであっても能力さえあれば出世が可能な、当時の平民にとって、己の希望を叶え、欲望を満たせる夢の国として、今やその繁栄は絶頂を極めていた。


その帝都、リベラにある壮大な王宮の一角で、キーネル皇太子は怒りに震えていた。


つい今しがた、セレーニア王国に放っていた密偵からエリカ王女に関する報告を聞いたばかりである。


後宮に数多の美女を囲っているキーネルではあるが、以前、親善名目でセレーニアを訪れた際、エリカ王女のあまりの美しさに言葉を忘れて見入ってしまい、それ以来、寝ても覚めてもエリカ王女のことが頭から離れず、何とかして自分の妃にしようとあれこれ手を尽くしていた。


しかし、当のエリカ王女は国から一歩も出ようとはせず、どんな贈り物でも歓心を得ることすらできず、密偵を放って情報を得る以外に手立ての仕様が無いが、その頼みの密偵も、ほとんど何の有益な情報も持ち帰ることはできずに、かなり追い詰められていた。


そんな折、やっと密偵の一人から連絡が入り、喜び勇んで聞いてみれば、その内容はあろうことか、エリカ王女が近々婚姻するというものだった。


そして、キーネルの怒りを更に増大させたのは、エリカ王女の婚姻相手が人間だということである。


百歩譲って同じエルフが相手なら、許すことはできないまでも理解はできた。


だが、自分と同じ人間が相手となれば、絶対に認めることはできなかった。


この世界では珍しく、エルクレール帝国は、男性の皇帝が治める国である。


代々世継ぎに男児しか産まれなかったという理由も大きいが、この帝国の持つ科学力が、他の諸国の魔法力を陵駕していたせいもある。


魔法力で女性に劣る歴代皇帝が、有能な男性学者や技術者を手厚く保護し続けた結果、まだ馬車が主な移動手段であるこの時代に、近隣諸国で初めて魔導船の開発に成功し、戦場への迅速かつ大量の移動を可能にしたばかりか、時間はかかるが大気中の魔素を集めてそれをエネルギーにした魔導砲の実用化まで成し遂げ、正に破竹の勢いで領土を広げていた。


そんな強国の後継者として、幼い頃より何不自由なく育てられ、望むものは何でも与えられてきたキーネルにとって、他人に劣るということは耐え難い苦痛であり、決して受け入れられないものである。


異種族同士ならともかく、自分と同じ人間とエリカ王女が婚姻するということは、その相手が自分より格上の存在だということに他ならない。


しかも、密偵によると、その男は只の旅人で、エリカ王女と出会ってからまだ数日だというのである。


自分が2年もかけてアプローチしているにも拘らず、一向に見向きもされないのに、その男は僅か数日でエリカ王女を射止めた。


今まで自分の前に立ちはだかる者は全て、金と権力でなぎ倒してきた。


自分はあらゆる面において1番でなくてはならない。


そんな、ある意味幼稚な思い込みが、この帝国の運命を変えることになるとは夢にも思わず、キーネルは、今まで避けていたセレーニア王国への進軍を決断する。


できることならエリカ王女に嫌われることなく手に入れたかったが、他人のものになるよりはずっと増しである。


キーネルは、そう考えるや否や、父である現皇帝に魔導船の使用許可を取るべく謁見の間へ向かう。


如何にキーネルでも、帝国の切り札である魔導船を独断で動かせるほどの権力はまだない。


そしてその途中、側近に、近衛を除く各軍団長の招集命令と、かねてから国境線上の砦に派遣している遠征軍の、セレーニア王国への進軍命令を出す。


普段はその武力とは裏腹に、学術の都として比較的穏やかな空気が流れていた王宮は、今やキーネルの放つ殺気に当てられて、鋭利な刃物のような緊張感を周囲に放っていた。

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