第3話

 和也が今度こそはと口に出したその言葉は、周囲の者達に皆一様の反応をさせた。


初めに驚愕、次いで警戒の表情である。


この世界には召喚魔法などというものはなく、もしそんなことが可能であれば、世界の軍事バランスをくつがえしかねない大事である。


また、魔法に関してはこの国が世界の最先端であるとの思いが強いエルフ達にとって、自分達の知らない大規模魔法があるという事実は、看過できないものでもあった。


当然、召喚魔法自体が存在しなかったのであるから、和也が地球で頻繁に覗き見していたライトノベルなる小説によく見られる、チートなる能力補正の概念は彼らにはないし、実際に存在もしていない。


ただ、他の世界から好きな時に戦力を増強できる程度の認識しかないが、それで十分なのだ。


彼らの次なる関心は、一体どの国が和也を召喚なしえたのかである。


女王の隣で話を聞いていたエリカは、和也が1人で魔の森を抜けて来た際、誰も同伴していなかったこと、この国に仕事を探しに来たと言っていたことから、話がおかしいことに薄々気付いているが、障壁の魔法をあっさり抜けて来た件もあり、未だ沈黙を守っていた。


しかし、そんなことを知らない女王は、そういう訳にはいかない。


国にとっての重大事項をより正確に把握すべく、質問を重ねた。


「そなたは今、異世界から召喚されたと申したが、一体どの国に召喚されたのじゃ?

そなたを召喚した者達はどうした?」


今度は和也が困る番であった。


観察と称して彼が覗き見(書棚の本をそのまま内容把握)していた本では、大抵主人公が事故で死んだり(彼は最初、ダンプカーがキーアイテムだと思っていた)、他の生物に転生したりして異世界に行くが、彼らを異世界へと送り込むのはその本で神と呼ばれていた存在やシステムであり、言わば自分のことなのだ(尤も自分は、髭を生やしたうっかり者の年寄りでも、やたら親切で、聞き分けの良い女神でもないが)。


読んでいる時は、その星の人間の想像力の高さに感心し、よくここまで思いつくものだと驚いたものだが、実際のところ、自分はこの世界に限らず、まだ何もしていない。


また、国王が魔術師に召喚させるパターンもあるが、その場合はほとんど勇者としてであり、倒すべき魔王なり敵なりがいるのだ。


自分が読んでいた本では、どちらにせよ、召喚されたと言えば周りが変に納得してくれて、召喚される前はともかく、召喚後の深い人物設定は、能力値以外ほとんど必要なかった。


少し考えて、やはり国に召喚される設定よりは自由度が高そうだと判断した彼は、神による召喚を選んだ。


「国ではなく、この世界の神によって召喚されました。

神は自分を召喚する際、この世界に着いたら自分の好きにして良いと言われましたので、とりあえず生活するためのお金を稼ごうと、仕事を探しにこの国に来ました」


今度の和也の発言には、直ぐに反応できる者がいなかった。


エリカでさえ、彼女にしては非常に珍しいことだが、絶句していた。


この世界にも当然、一部の国や人種で、神を信仰する習慣はあるが、その姿や声を見たり聞いたりした者は神官ですら居らず、和也の言っていることが本当なら、歴史的な大事件である。


教団のある国に知られれば、どんなことをしても和也を拉致しに来るだろう。


暫し呆然としていた女王は、和也をこの国に留めることの利益と不利益を秤にかけながら、どうしたものかと今後の対応を決めかねていた。


女王のそんな葛藤かっとうを吹き飛ばしたのは、エリカの穏やかな、自分にしか聞こえないような囁きだった。


「謁見の場を移した方が宜しいかと。

彼の話は極秘事項として、王族内で処理すべき問題であると考えます」


自分の考えを未だ整理できていない女王は、信頼するエリカの言葉に一も二もなく従った。


「エリカの言う通りじゃな」


女王はエリカにのみ聞こえるような声で言ったが、聴覚の鋭い和也には聞こえてしまった。


なるほど、王女の名はエリカというのか。


良い名前だと納得していると、女王がその場の皆に向けて言葉を発する。


「ここからの話は国の機密事項となる故、謁見の場を移す。

・・場が整うまで別室にて休まれよ」


和也にそう宣告した女王は、エリカと共に玉座の奥へと姿を消した。



 エリカは、神の召喚の話にはさすがに驚いたが、直ぐに気を取り直し、どうやら彼は自分達に嘘を吐いていることがあると疑った。


出会ってからのこれまでの彼の話の内容が、まるでその場で考えたようにちぐはぐなものに思えたのだ。


国の障壁をあっさり無視したことも含め、彼には聞く事が山程あった。


そのためには、極少数で、且つプライベートな空間で、話をする必要があった。


母である女王と、その伴侶である、この国の宰相の父を伴って、エリカは自分達の居住区の応接室へと急いだ。



 和也が再び案内されたその部屋には、3人の人物しか居なかった。


女王とエリカ、そして先程の謁見の場で、女王の左斜め下に立っていた人物である。


部屋に入ると、挨拶もそこそこにエリカが話しかけてきた。


どうやら、主に自分と話をするのはエリカらしい。


少しほっとした和也は、勧められるままに椅子に深く座り、改めてエリカという女性を眺めた。


自分と見た目の年齢があまり変わらないように見えるその女性は、本当に美しかった。


光を反射して黄金色に輝く、ややウエーブのかかった肩までの艶のある髪、顔立ちは小さく、その全てのパーツが極限までのバランスを保っていて、エメラルドグリーンの瞳がよく映える(耳に関しても、人より僅かにその先端が尖っている程度)。


不純物の一切ない、白く奇麗な肌をしており、姿勢が良いせいか、身長は167センチくらいに見える。


エルフにしてはかなり豊満な胸をしており、地球のサイズを借りればFカップくらいはありそうである。


ドレスの胸元に深い谷間ができていた。


そこから流れるようにキュッと締まった腰へと続き、張りのある、しなやかな肉感のする臀部を眺めていると、三方から三様の視線が飛んできた。


どれも自分のあからさまな視線を非難するものであったが、エリカのものだけは、そこに少しの嬉しさと、何故かほっとするような意味合いのものが混ざっていた。


「単刀直入にお聞きします。

貴方は嘘を吐いていますね?」


さすがにあからさま過ぎたと、自分の視線を恥じていた和也は、エリカからいきなりそう言われて内心酷く動揺した。


嘘といえばほとんど全ての設定が嘘であるが、エリカがどれを指して言っているのか分らない以上、迂闊うかつな答えはできなかった。


沈黙を肯定と取ったエリカが再度話しかけてくる。


「神に召喚されたというのも、仕事を探しに来たというのも嘘ですね?

それと、この国の障壁を破った時も、本当は何をしたのですか?」


矢継ぎ早に質問してくるエリカに、普段であれば全く動じないはずの和也は更に動揺し、冷静さを失っていった。


なまじエリカが、自分が探し求める仲間、もとい嫁候補であると認識したことに加え、今まで間近でこんな美しい女性と接したこともなく、あらゆる面で経験値が不足していた。


嫌われたくないという心理的要素が追い討ちをかけ、到頭和也は、自分がこの世界の創造神であるという一部のみを隠し、あとは本当の事を話すことにした。


「自分は、こことは別の星から、自分の嫁になってくれる女性を探しにやって来た。

召喚されたというのは嘘だが、別の世界から来たというのは本当だ。

仕事を探しにという理由は、嫁を探している間、お金が必要になることもあるだろうから、少し稼いでおこうと考えたからだ。

自分はこの世界の物を何一つ持っていなかったから。

障壁については、何かの魔法が掛かっていることは分ったが、大した事なかったので気にしなかった。

正直、何でそんなに問題になるのか分らん」


ゆっくりと、半ば諦め気味に話す和也の話の内容を、その場の3人は、どう表現したら良いのか分らないというような顔をして聞いていた。


星という言葉も初めて耳にするし、別世界と言われても上手く想像できない。


後半の内容は理解できるが、障壁が破られたことを初めて耳にして驚く2人は、自慢の障壁を大した事ない呼ばわりされて、その顔に憮然としたものが混ざっていた。


彼がここに来る間に話し合った結果、とりあえずエリカに全て任せることにしたので、敢えて何も口に出すことはしなかったが。


和也の話す内容を一言も聞き漏らすまいと集中していたエリカは、障壁の件はさすがにショックだったが、そんなことを吹き飛ばしてしまうくらい、彼女にとってかなり嬉しい言葉があったせいで、他の事はどうでも良くなっていた。


和也が別世界の住人だとか、自分が国を代表して話をしているとかの、本来ならかなり留意すべき事柄を意識の片隅に追いやってしまうほど、嫁を探しに来たという、和也の漏らした一言が嬉しかったのだ。


初めて会った時から、何処か自分の琴線に触れてくるものがあると思っていたが、僅かな間に和也に対する好意は自分でも不思議なくらいにどんどん膨れ上がり、今では自分が彼の嫁に立候補しようと真剣に考えていた。


先程も、自分の身体を凝視するように眺めていた彼のことだから、勝率の高い賭けではあると思う。


未だかつて男性と付き合ったことすら無いが、彼の方も女性との付き合いは恐らくないはずだから(だって凄く真面目そうだし)、押しまくれば何とかなるだろう。


母である女王が自分を如何にかわいがっているかとか、自分はこの国の王女で、一人娘であるなどの、本来大きな障害となり得る要素は、初恋に浮かれたエリカの思考の中には無かった。


「貴方に悪意が無いのは分ります。

今度は多分真実を言っているということも。

ただ、別の世界からこちらに来る方法や、貴方が我が国の障壁をものともしない程にお強い理由など、分らない事も多いのが現状です。

如何でしょう?

当初のご予定通り、王宮にお部屋をご用意致しますので、そこに滞在なさってこの国をご覧になられては。

お金が必要でしたらお仕事をお頼み致しますし、お嫁さんなら心ゆくまでお探しになって結構です。

その間に、わたくし達に貴方の事をもっと色々教えて下さい」


自分の話の何処がそうさせたのかは分らないが、エリカはとても上機嫌で話しかけてくる。


彼女の気分を害したかもしれないと恐れていた和也は、一先ず安心すると共に、提示された条件に即座に頷いた。


「分った」


「では、お部屋にご案内致しますわ」


早速行動に移そうとしたエリカに、隣から声がかかる。


「少し待ちなさい。

一体彼を、どの部屋に案内するつもりだい?」


それまで一言も口にせず、じっと和也を観察していた宰相の男が口を開いた。


エリカのことは信頼しているが、いささか暴走ぎみのように思えたのだ。


「勿論、わたくしの隣のお部屋ですわ。

色々と分らない事も多いでしょうから、わたくしが直に教えて差し上げたいと思います」


案の定、男が想定した通りの答えが返ってくる。


普段は態度にこそ出さないが、妻である女王に劣らぬくらい、エリカのことを大切に思っている彼は、釘を刺すのを忘れなかった。


「王女としての業務に差し障りが出ない範囲で、節度を持って接するように」


「国賓である和也さんのお世話をするのは王女としての立派な仕事ですし、わたくしももう大人です。

自分の行動に責任は持ちますわ」


恋する乙女と化した今のエリカには、何を言っても無駄であった。



 母である女王が何か言うよりも早く、エリカは和也を連れ出し、彼の為に用意した部屋の前まで来ると、扉を開け、中に入るよう促した。


中に入った和也が部屋の様子を眺めていると、何故かエリカも一緒に入ってきて、扉を閉め、内側から封印魔法のようなものを掛けた。


いぶかる和也に微笑みかけると、エリカは部屋に備えてあったティーセットを用いて紅茶をれ、和也にテーブルに着くよう促す。


「貴方と2人きりでお話ししたかったのです。

ご迷惑でしたか?」


少し強引過ぎたかと不安になったエリカがやや上目遣いに尋ねると、その破壊力抜群の表情に和也は言葉を発することができずに、ただ首を横に振るだけだった。


自分を見て、おどおどしている和也に安心したエリカは、紅茶の香りを楽しみながら、り気無く尋ねる。


「別の世界からいらしたとお聞きしましたが、そこはどんな所なのですか?」


同じく紅茶の香りを堪能していた和也は、遠くを見るような、少し切ない表情で答えた。


「美しい所だが、温かみのない、寂しい場所でもある」


「そこでどのような暮らしをなされていたのですか?」


「特に何もしていなかった。

ただ、待っていたのだ。

何時か自分に仲間ができるのを」


何と無く、色々と観察していたことは言わない方が良いと思えたので黙っていた。


「どなたもいらっしゃらなかったのですか?

まだお若く見えますが、ご両親はどうされたのですか?」


「親はいない」


「御免なさい」


うつむいてしまったエリカを慰めるように、和也は優しく告げる。


「気にしなくて良い。

初めからいないからな」


思いもかけずに彼から優しい口調で声をかけられたエリカは、それ以上詮索することなく話題を変えた。


「この世界へはどうやって来られたのですか?

転移魔法か何かでしょうか?」


「そのようなものだ」


この星と一体どれほど離れているかなど想像もつかないエリカは、それがどんなに非常識なことなのかも分らない。


「我が国の障壁を簡単に通過できる事といい、貴方はどれ程の魔力をお持ちなのでしょうね?

本来、男性の方はあまり魔力をお持ちではないはずなのですが」


「自分はこの世界の人間ではないから、ここのことわりの外にいる」


「そんな事を仰ると、益々貴方に興味を持ってしまいますよ?」


和也にとっては願ったり叶ったりだが、ここで気の利いた台詞を言えるほど、彼の会話能力は高くなかった。


エリカが質問を変えてくる。


「貴方の他に、この世界に来ることのできる方はいますか?」


この国の王女として、国の防衛に関することは、是非とも確かめておかねばならなかった。


和也の国の皆が、彼のように善人だという保証はないのだ。


まさか、和也一人しか存在しないなどとは夢にも思っていない。


「その点は大丈夫だ。

自分一人しかいない」


和也にもエリカの言わんとしている事が分ったので、安心させるべく強調しておく。


念が1つ解消されて、エリカの表情に華が増す。


更に質問を変え、再度、和也本人のことに戻る。


「和也さんの理想の女性はどのような感じの方ですか?

やはり、同じ人間族の女性のかたが、お好みなのでしょうか?」


エリカはそうではないことを祈りつつ、然り気無く確かめる。


「別に種族にこだわる理由は無いな」


まさかエリカ自身が良いとは言えず、遠回しな言い方しかできない。


「美しく聡明で、自分のことだけを想ってくれる、そんな女性が良い。

おまけに胸が大きければ、なお良いかな」


後半は少し声を落として付け加えた。


地球で見た、ビキニと呼ばれる衣装が酷く気に入り、それには断然、胸が大きい方が似合っていた。


和也のその言葉を聴いたエリカは、自分が彼の嫁に立候補することを、もう迷いはしなかった。


これまで、エルフにしては大き過ぎる自分の胸を良いと感じることはなかった。


謁見の際も、相手の男性からあからさまではなくとも、チラチラと視線が送られるのを感じていたし、何をするにも邪魔で、正直、胸の小さな他のエルフの娘達が羨ましかった。


だが、それら全てを、和也の一言で肯定できた。


自分でも、思わず笑ってしまうくらいに。


いきなりエリカがクスクス笑い出したので、やはり最後の一言は言うべきではなかったかと後悔した和也に、彼女は席を立ち、静かに近付いて来た。


美しく繊細な掌が自分に向けられ、頬を張られると思った和也は、甘んじて受けるべく目を閉じる。


だが、痛みの代わりに自分の唇に訪れたその感覚は、自分が存在を認識し始めて以来初めての、甘く、柔らかく、温かい、えもいわれぬものだった。


何が起きたのかを確かめるべく目を開いた和也が見たものは、間近で、顔を赤く染めたエリカの眼差しであった。


エリカは、和也の頬に当てていた手をゆっくりと首へと回し、静かに身体を寄せてきて、その耳元で囁いた。


「わたくしの名は、エリカ・フォン・セレーニア。

貴方のお嫁さんに立候補します」


和也の、それまでモノクロだった心に、恋という名の色彩が生まれた瞬間であった。



 時は少し遡り、エリカ達が立ち去った後の応接室で、この国の女王と宰相は言葉を交わしていた。


「あなたには彼がどう映りましたか?」


「悪い人間でないのは分る。

エリカの話を聞く限り、能力も有るのだろう。

だが、それだけで何故あんなにエリカが入れ込むのかが分らん。

今まで男に興味を示したことすらないのにだ」


「そうですね。

私もその事に関しては不思議に思っています。

ただ、エリカは聡明で、人を見る眼もあります。

私達の気付かない何かがあるのかもしれません。

幸いにも、あの男はこの王宮に滞在します。

暫くは様子を見ましょう。

彼がエリカに相応しい男であれば、それはエリカにとっても喜ばしいこと。

でももしそうでないのなら、人知れず始末してしまえば良いだけのこと。

私としては、そのどちらでも良いのです」


そう言いながら薄っすらと微笑む妻の顔を、宰相は背筋が寒くなる思いで眺めていた。

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