第2話

 その男は、城壁の前で戸惑っていた。


中に入ろうにも、入り口がないのである。


町の周囲は高く広大な城壁で覆われているが、そこに出入りするための門はなく、当然、門番も居ない。


門番に会ったら、身分証を持っていないことなどの言い訳を色々と考えていた男は、肩透かしを食らうと同時に、これからどうしようか考えていた。


よく見れば、城壁に1箇所だけ人が1人通れるくらいの扉があるが、明らかに外からは見えないよう偽装されているし、その上、魔法で厳重に封印されているので、さすがにそこから入ることは躊躇ためらわれた。


ちなみに、男の眼にはどんな魔法でも仕掛けでも、自分から意図的に見ないようにしない限り、見える。


段々面倒になってきて、いっそ飛び越えようかと本気で考え始めた頃、城壁に建つ見張り小屋のような場所から声がかかった。


「そこで何をしているのです?」


男にとって記念すべき、他者との初めての会話は、相手の鋭い問いかけから始まった。



 その日、いつものように形だけの見回りをしていた衛兵の男は、魔の森からこちらに歩いてくる1人の男に気が付いた。


全身黒ずくめではあるが、如何いかにものんびりと歩いてくるその姿からは、緊張感が全く感じられない。


見たところまだ20歳にも満たない年若い人間族のようだが、とても魔の森を1人で抜けてこられる実力があるようには見えない。


魔の森は高レベルの魔獣の棲みであり、自分たち精霊魔法に秀でたエルフでさえ、上位者でパーティーを組まねば入り口付近すら危ないのだ。


それに、魔の森から人間族がやって来るのも初めてのことだ。


少し考えて、自分には判断できないと思った男は、上司に判断を仰ぐべく、詰め所へと急いだ。


男が詰め所に駆け込むと、そこには上司と話をしているこの国の王女の姿があった。


名をエリカ・フォン・セレーニアといい、王位継承権第1位の次期女王である。


慌ててひざまずこうとした男を制して、エリカは、男が駆け込んで来た理由を尋ねた。


変化に乏しいこの国で、衛兵が駆け込んで来ることなど滅多めったになく、礼儀よりその理由を優先させたのだ。


元々この国は、子供のできにくいエルフの国というだけあって、人口も3万人程度しかおらず、国といっても大きな町くらいの規模しかないため、王家と他の住民との距離が近く、また、同族意識が強いせいも相俟あいまって、比較的アットホームな雰囲気の国なのだ。


「どうかしたのですか?」


「はい。

魔の森から、人間族と思われる男が1人、こちらに向かって来ております」


「魔の森からですか?

人間族がたった1人で?」


エリカにしては珍しく、思わず聞き返してしまった。


そのくらい非常識な事だったのだ。


人間族はエルフ族より魔素を溜めておける器がかなり小さく、その結果、自分達に比べれば大した魔法は使えない。


そのエルフ族でさえ、上位者でパーティーを組まねば魔の森を探索できないのに、人間族の、しかも男が1人でとなれば驚いて当然である。


「はい。

全身黒ずくめの、まだ年若い男と思われます。

自分で判断できる事ではないと考え、報告に参りました」


衛兵の男は、若干緊張しながらも、要点だけを述べていく。


エリカ王女といえば、その美貌と知性、一般の市民とも気さくに話されるその性格から、この国で最も人気のある人物であり、エルフでいえばまだ17歳くらいではあるが、将来を期待された次期女王なのだ。


ほとんどのエルフ男性の憧れの的でもある。


当然、男も例外ではない。


そんな王女から、たとえ職務に関することであっても声をかけられ、嬉しくないはずがない。


後で他の同僚に自慢しようと、密かに考えていた。


その一方で、エリカは報告を聞きながら、その人間族の男に興味が涌いてきた。


元来好奇心は旺盛な方であるが、変化に乏しいこの国に、何らかの風を起こしてくれる、何故なぜかそんな気がしたのである。


そう思うと、自分の目で確かめたい気持ちを抑えられず、引き止めようとする周囲の衛兵達を振り切って、その男の居る場所へと急ぐのであった。



エリカがその見張り小屋に到着した時、その男は城壁をじろじろと見回し、気のせいだろうが、隠し扉の辺りを凝視していた。


その扉は、魔の森でしか入手できない貴重な薬草や調合の素材などを取りに行ったり、軍の精鋭が魔獣討伐に行く時以外は滅多に使用することのないもので、開けるには王族の許可が必要であった。


当然、外からの進入を防ぐべく、幾重もの封印魔法が掛けてある。


開けられないだけではなく、普通なら見えもしないのだ。


考え過ぎだろうと、エリカは再度注意を男に向ける。


衛兵の言う通り、せいぜい18かそこらにしか見えないその男は、なるほど全身黒ずくめの人間族のようである。


試しに『真実の瞳』も使ってみたが、何も変わらなかった。


『真実の瞳』とは、精霊魔法の1つで、水の上位精霊の力を借りて、その者の本来の姿を術者の瞳に映し出す高等魔法で、エルフでも使える者が限られる、かなりの上位魔法である。


見ているだけではらちが明かないと考えたエリカは、思い切って声をかけた。


「そこで何をしているのです?」


緊張していたせいか、いつもより厳しい口調になってしまった。


エリカのそのような口調を初めて聞いた周りの衛兵達も、少し驚いている。


だがそんなエリカの口調にもかかわらず、その男はまるで最愛の人にでも会ったかのような、とても嬉しそうな顔をして、エリカを見つめてきた。


男と目が合った。


この時の感覚の理由を、エリカは後になって納得するのだが、その時はその漆黒の瞳がまるで全てを吸い込むような、何もかも見通しているような、得体の知れないものに感じられて目を離そうとする一方で、とても温かく、自分に会えて本当に嬉しいのだという気持ちが伝わってくる、真摯しんしなものでもあったので、結局目を離すことができずに、そのまま数秒の時が流れた。


均衡を破ったのはエリカの方である。


「貴方はどなたですか?

魔の森を抜けて来られたようですが、この国に何のご用でしょう?」


少なくとも、男が自分に敵意を持ってはいないことが分り、エリカに若干ゆとりができたせいもあって、物言いが、いつものエリカに戻っていた。


と同時に、男の姿を観察する余裕も生まれる。


身長は183センチくらい、無駄な肉の一切ない、それでいて細さを感じさせない引き締まった体、眼と同じ漆黒の髪はサラサラで、眉にかからない程度の短さで自然に流している。


顔立ちは、エルフの自分達から見ても十分に整っているが、美形というより男らしさを感じさせるものだ。


そして、気負うところの全くない、緊張感に欠けるようにも見える自然体の雰囲気、それら全てが一体となって、不思議な魅力をかもし出していた。


今まで異性に対して何ら興味を示さなかったエリカであるが、その男には自分のきん線に触れる何かがあり、一時ひとときの会話だけでは物足りないと感じる自分がいた。



 どうしたものかと悩んでいた男にとって、その口調がたとえ厳しいものであっても、彼女からの質問は、事態を打開する手掛かりとなる有難いものであった。


まして、これまで自分が望み続けてきた他者との会話の始まりであり、その相手は自分の嫁になる可能性を持った(異性だから)、見目麗しい女性なのである。


嬉しくないはずがない。


自然とその感情が顔に出ていた。


男は、記念すべき会話の第一声を発すべく、これまで観察してきた様々な生命体同士の会話を検証し、最も無難と思われる答えを声に出した。


「怪しい者ではない。

自分は一介の旅人で、ここには何か仕事を求めてやって来た。

町に入ろうとしたが、入り口が見当たらないので戸惑っている」


全身黒ずくめで、普通の人間なら立ち入ることさえしない魔の森から1人でやって来た人物としては、かなり説得力に欠ける答えであった。


森に面した城壁に入り口が無い意味を考えず、魔の森を只の平凡な森としてしか考えていない男と、そうでない者達との間に生まれた悲しい誤解である。


相手の表情に困惑が入り混じるのを見て取った男は、ベストと思えた回答が役に立たなかったことを知り、次なる手を打つべく、地球で初対面の者同士が頻繁ひんぱんに行っていた会話を試すことにした。


「今日は良い天気ですね」


結果は、更に困惑を深めただけであった。


自分の思うような会話ができないことに焦りを覚えた男は、切り札を出すことにした。


やはり地球で、様々な年齢層から支持を受けていたテレビという代物に映る映像の中で、とあるご老人が、自分の身元を尋ねられ、頻繁に答えていた台詞せりふを口に出した。


「自分は、さる国のちりめん問屋の隠居で・・・」


最早、お互いに何を言っているのかすら分らなかった。



 この男性は一体何を言っているのだろう?


エリカは男の話す内容を懸命に理解しようとしたが無駄であった。


ただ、その表情から男がふざけているのではないということは分るし、王女として様々な人物と会い、人を見る眼を磨いてきた自分の勘が、男を悪人だとは告げていなかった。


また、魔の森を1人で抜けて来るような実力者なら、こちらに対して敵意が無いのであれば、是非ともこん意にしておきたい。


そう考えたエリカは、男を城壁の中に招いても良いと判断した。


本当は、他にも、自分が男に対して好意的な感情を持っているという理由もあったのだが、王女という立場上、それは考えないようにしていた。


このまま男に話をさせておいても埒が明かないと、エリカは再度、男に質問を投げかけた。


「仕事を探しに来られたと仰ってましたが、それは、この国に暫く滞在するおつもりがあるということですか?」


自分の話をさえぎって、女性が再度問い質してきたことに、それまでかなり焦りを感じていた男はほっとして、気分を切り替えて答えた。


「そのつもりだ」


男は、今の自分では長く話しても逆効果だと判断し、要点だけを話すことにする。


男が冷静さを取り戻したことを理解したエリカは、話を進めていく。


「その場合、貴方の滞在先はこちらで指定させていただきますが、それでもよろしいですか?」


「宿を紹介してくれるという意味ではないよな?

監視が付くということか?」


「そう理解してくださってかまいません。

何分、この国はエルフの国ですので、見知らぬ人間族の方を1人で放っておくと、住民の皆さんが不安に思うこともあるでしょう。

この国に慣れるまでの処置とご理解下さい。

その代わり、ある程度のお仕事はこちらでご紹介致します」


今の自分にとって破格の条件であり、何ら不利益な事はないと考えた男は即答した。


「宜しく頼む」


エリカにしてみれば、男に色々と仕事を与えることでその能力を多少なりともうかがい知ることができるし、男の住まいを城の中にあつらえることで、何かと忙しい自分でも、会いに行ける機会が増えるという打算もあった。


「ご賛同いただけたので、今、入り口の封印を解きますわ。

暫くお待ち下さい」


「それには及ばん」


男はそう言うと、飛行の魔法で城壁の上まで飛んで来た。


いきなり王女の近くまで接近した男に対して、護衛のため近くに控えていた衛兵達は即座に行動に出ようとしたが、王女が止める方が早かった。


ただそのエリカにしても、内心ではかなり動揺していた。


男が何の素振りも見せずに、厳重な封印を施してある城壁の内部にまで入り込んだのである。


城壁にある扉だけでなく、空からの襲撃に備えて、当然この国を包むように障壁魔法を掛けてある。


かなりの魔力を使う故、王宮の魔術師が数十人がかりで掛ける大規模なもので、簡単には解除することもできないため、正門とは別に、隠し扉を設けてある。


正門は、魔の森を隔てたちょうど反対側にあり、この国は、人間族の国と魔獣の住む魔の森との境目に位置していた。


この国に来る者達は皆、正門のあるルートを通り、魔の森を抜けて来る者など1人もいなかった。


よって、魔の森側には隠し扉があるのみで、そこを開けねば中に入ることはできないはずであった。


女性をはじめ、周囲の者達に緊張が走ったことに気付いた男は、自分がまた何かやらかしたことを理解した。


城壁にある扉が隠された上、厳重に封印されていた意味を失念し、嬉しさのあまり事を急いだ結果である。


ただ、男からすれば、何故そんなに騒ぐのか分らなかった。


確かに、いきなり女性の側に移動したのは礼儀に反するかもしれないが、男からすれば、余計な手間を省いてやった程度にしか思えない。


自分の力を未だよく理解していない男であった。


「今、何か魔法をお使いになりましたか?」


エリカが探るような眼差しで男に問いかけてくる。


「飛行魔法を使ったが、まずかったか?」


「いえ、それは構いませんが、他には?」


「他にか?

・・特に何も使っていないが」


納得のいかないエリカであったが、男が嘘をいているようには見えない上、もし何か使っていたとしても、それをこの場で広めるのはこの国の防衛上好ましくないと判断した彼女は、男を取りえず王宮に案内することにした。


誰が聞いているか分らないのだ。


「それでは王宮にご案内致します。

女王陛下にもご紹介致しますので」


「いや、そこまでしなくても良い。

あまり大袈裟おおげさにしないでくれ」


自分の会話能力に自信がない男は、やんわりと断ろうとしたが、無理だった。


「そういう訳には参りません。

仮にも王宮に滞在なさるのですから」


聞き捨てならないことを言われ、男は聞き返す。


「王宮に?」


「そうです。

国にとってのひん客をお泊めするのですから当然です」


何時いつから賓客扱いに?」


「たった今です」


口では女性にかないそうもない男は、黙って付いて行くしかなかった。



 衛兵が珍しく伝令を伝えに来たと思えば、エリカが客を連れてくるらしい。


しかもその客人が人間族の男で、この王宮に滞在させるから部屋を用意して欲しいという。


エリカが自ら王宮に招いた客人は初めてだし、しかもそれが男ともなれば、内心穏やかではない。


この国の女王であるエリカの母は、やっと授かった一人娘のエリカをでき愛していたし、美しく聡明で、全てにおいて高い能力を発揮する娘に大きな期待も寄せていた。


とりあえず、事務的な指示を側に控える者に出すと、女王はその男を見定めるべく、心を落ち着けようと、紅茶を持ってくるように命じた。



 女性に連れられ、周囲からの好奇心に満ちた眼差しに耐えながら辿り着いたその場所は、自分の居城がある星に戻ったら、是非とも加えようと思ったくらいの美しい城だった。


ここ暫く、地球ばかり覗いていた男は、この世界にまだこんな美しい場所が残されていたことを喜び、下がり気味だった気分を盛り返した。


その城は、大きさはそれ程でもないが、まるで白夜に淡く輝くオーロラの如く、城の周囲を様々な精霊光が行き交い、周りの自然と無理なく調和した見事なものであった。


その長い生涯を、主に芸術面で活かしてきたエルフならではの作品といっても良い。


自然と足取りも軽くなっていた。


城の中に入ると、外側の幻想的な雰囲気とは異なり、少し張り詰めた空気が流れていた。


その理由は、程無く分った。


城の主である女王が、やや厳しい眼差しで自分を見ていたのだ。


女性と共に、玉座の側まで進んだ男は言われるままに跪き、こうべを垂れた。


自分の方が格上だからと反発し、必要以上に己を大きく見せようというたぐいの幼稚さは男にはなく、形式上の儀礼だと理解している。


女王から声がかかった。


おもてを上げよ。

そなたは魔の森を抜けて来たそうじゃが、何処いずこの国より参られたのか?

名は何と申す?」


視線を戻すと、何時の間にか、一緒に来た彼女が女王の隣の椅子に座っている。


身分はおろか名前すら聞いていなかったが、どうやら王女のようだ。


衛兵に守られたり、自分を賓客扱いにできるくらいだからそれなりの身分だとは思ったが、王女だとは考えなかった。


自分の知る限り、王族とはもっと腰の重い人種のはずだった。


自分が少し驚いていることが分ったのか、その彼女はしてやったりといった表情を瞳に浮かべたが、何も言わなかった。


自分の答えを楽しみにしているようだ。


ならばその期待に応えようと、ここに来る道中、ずっと考えていたある設定を口に出した。


「自分は異世界から召喚された者で、名を御剣和也といいます。

今日この世界に召喚されたばかりです」


そういえば、まだ自分には名前がなかったことを思い出した男は、身に付けている物が剣一本だったので、そう名乗った。


和也かずやとしたのは、ただ語呂ごろが良かったせいだ。


その果てしなく長い歳月の中で、男に名前が生まれた瞬間であった。

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