第2話 暗室

 暗い部屋だった。

 十月とは思えない寒さもあいまって、思わず身震いする。

 部屋の中央には麻雀卓のような正方形で脚の高いテーブルがあり、それを照らす向きに三つの間接照明が据えられている。

 椅子は4つ。腰掛けているのは2人だった。

魚乃木うおのぎ様はこちらへ」

 ここまで案内してくれた老齢の男が、俺に着席を促した。

 座ると、すぐに正面の先客から険のある視線を感じた。黒いおかっぱ頭に丸眼鏡という出で立ちで、いわゆる「優等生的」な印象を覚える、恐らくは同世代の男だ。

「どうも、魚乃木といいます。いやぁそれにしても、まさか22時から開始だなんて、変わった大会ですよねー」

 努めて柔和に話しかけたつもりだったが、おかっぱ頭は沈着冷静な顔のまま目をそらした。

「ほんとですよねぇ」

 代わりに反応してくれたのが、左横の男だった。

 痩せた体躯にだぼっとしたパーカーを纏っている。恐らく大学生くらいだろうが、俺に向けてきた笑顔は年の差を感じさせない親しみやすさがあった。

「なんかクイズ大会っぽくない雰囲気というか……。スタッフもあのお爺さんしかいないみたいだし」

「そうですね」

 あのお爺さんというのは、俺をここまで連れてきたあの老人のことだろう。

 確か胸には「宮森」と書かれた名札があった。

 参加登録の後に届いた『ですろっく』からのメールには集合場所が書かれてあり、そこであの宮森さんに車でピックアップされ、しばらく山道を走ってから、この古色蒼然とした洋館の前で降ろされ部屋まで通されたのだ。

 他の参加者も同じような感じだったのだろうか。

「あ、すみません。自分は平井といいます。早押しクイズの経験はあんまりないんですが、今日はよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 そのとき、ギギと扉の軋る音がして、一条の光が差し込んだ。

 目をやる。長身の女が立っていた。

「遅くなってすみません。参加者の鹿屋かのやです」

 謝る口調とは裏腹に、顔には氷柱のように鋭く冷たい表情が湛えられていた。ハンカチで額の汗を拭っている。

 ……遅れてすみません? まさか歩いてきたのか? この山道を。

 いや、そもそも案内メールに集合場所はあったが、開催場所は書かれていなかったはずだ。どういうことだ。

「鹿屋様はこちらの席にどうぞ」

「はい」

 俺の右手、唯一空いていた席に彼女が座る。

 長い黒髪に凛とした顔。少し年上だろうか。向かいのおかっぱ頭が寡黙な優等生だとすれば、こちらは口うるさい風紀委員といったところだろう。

「鹿屋舞です。よろしく」

「よろしくお願いします」

 返事をしたのは平井さんだけだった。俺は何だか面食らったまま、ただ彼女を見つめてしまっていた。

 目が合って、

「……?」

 睨まれた。

 敵意というよりは、奇異なものを見るような、そんな目に思えた。

「それでは。みなさまお揃いのようなので、始めさせていただきますね」

 宮森さんがコツコツと靴音を鳴らして、こちらに来た。

 俺の右前方に立つ。おかっぱ頭と鹿屋という女のちょうど間だ。

「まずはみなさまに二点だけお願いです。椅子に付属しているベルトを閉めてください」

「ベルト……?」

 疑問を抱いたのは俺と平井さんだけのようだ。

 他の二人は無言で指示に従っている。

「クイズのルールと演出上の理由です。お嫌ですか?」

「あ、いえ……」

 不承不承といった感じで、平井さんが従う。俺もそうした。

 見るとそれは、一般的な車に付いているものと似たような、至って普通のシートベルトだった。

「二点目。遠西とおにしさんから時計回りでボタンチェックをしていきます。みなさま要領はお分かりですね?」

 これには皆、納得する。

 競技早押しクイズには決まってある、ボタンの動作チェックのことだ。

 俺たちが囲むテーブルには、ひとりひとつの早押し機が設置されている。ランプとボタンが一体化した、よくあるやつだ。これを順番に押していき、ボタンが正常に動作しているかを確認する。

 ピーン——

 ピーン——

 ピーン——

 ピーン——

 ……

「問題ないようですね。それでは、長らくお待たせ致しました。本日のクイズ『ですろっく』を開催致します。ご検討をお祈りします」

「え……?」

 宮森さんはそう言い残して、部屋を後にしてしまった。

 てっきり彼がこの場を最後まで仕切ってくれるのだと思ったが、違うのか……?

 数秒の沈黙が流れて、


「はーい! みんな元気かなー?」


 突然耳をつんざいたその声に、心臓を蹴り上げられたような気がした。

「な、なんだ?」

 声の方を見やる。

 右前方。先ほどまで宮森さんが立っていた場所のその更に奥の方、少し高くなったところに、ぼんやりとした電球色の明かりに照らし出されて、ひとり……いや、一匹のぬいぐるみの姿が露わになっていた。

「どうもー。クイズ『ですろっく』の司会進行を務めるミーミルくんだよ!」

 パンダだ。サイトで見たのと同じ。

 声は感情も起伏も感じられる、よくできた機械音声だった。

「ちなみに問題の読み上げもぼくがやるよ! こんな声だから聞き取りにくいとかの文句もあるだろうけど、みんな条件は同じだから我慢してね〜!」

 声に合わせてぬいぐるみのアクションまで付いている。

「よ、よくできてるなぁ」

 平井さんの口から素直な感想が漏れていた。

 確かに、よくできている。

「それじゃあ早速ルール説明をするよ! 今日やるのは早押しクイズ10○1×でーす! わかってると思うけど、10○ってのは10問正解で勝ちってことね?」

 競技クイズでよくする表現だ。

 逆に1×は1問の不正解で失格という意味になる。

「1問正解で、なんと賞金なんと1000万円! つまり優勝者は1億円がゲットできちゃうってわけ! ただし、事前に伝えてる通り、1×すると即死亡だから気をつけてね〜! なんか質問あるかな? 三つまでなら答えてあげていいよ!」

 手を挙げたのは平井さんだった。

「その、即死亡ってのはどういう意味? 演出上の表現か何かだよね?」

「もちろん死ぬって意味だよ? 敗退者の命は我々『ですろっく』運営が責任を持って潰させて頂きます」

「……いやいや」

 思わず声が出てしまった。

「平井さんが聞いたのはルール上の『死亡』の意味であって、そんなふわっとした話を聞きたいんじゃないでしょ」

「ルール上の『死亡』の意味って何? ぼくは間違えたら死ぬって言ってるだけだよ? それはサイトの方にも書いておいたはずなんだけどなぁ」

「……なに」

 言葉の意味を噛み砕いた時、一瞬、冷たい風がよぎったような気がした。

 なんだこのふざけた運営は。怪しい怪しいと思っていたが、やはりヤバイ集団なのか?

「……っ」

 立ち上がろうとして、シートベルトをしていることに気づいた。

 外そうとしても外せない。

「質問だパンダ。出場辞退して帰るにはどうしたらいい」

「ははっ。そこに座った以上はキャンセルできないよ? 魚乃木くんは飛行機が離陸したあとに乗客が搭乗キャンセルできると思ってるの?」

「……なるほどね」

 詐欺集団か。あるいはヤクザか。いずれにしてもとんだクソ運営だったようだ。

 俺たちは見世物ってとこか? 震えながらクイズで戦う人間を見て楽しむ、頭のおかしい連中でもいるのだろうか。

 こんな場所に、少しでも期待して来た俺がバカだった。

「あ。それとぼくはミーミルくんだよ? ちゃんと名前で呼んでね! さあ、質問がないならそろそろクイズ始めちゃうよー」

 そのとき、スッと手を挙げたのは正面のおかっぱだった。

「なんだい? 遠西くん」

「……三人」

 ぼそぼそと、呟くような声だった。

「三人が誤答で死んだ場合も、クイズは続くのか?」

 それはクイズルールに対する質問だった。

 こいつはなんなんだ。死亡ルールを聞かされても表情筋ひとつ動かさないくせに、そんな細部のルールは気になるのか。

「続かないよ! そのときはその時点で残った一人が優勝! でも、そのときは正解した数に関わらず賞金1億円をあげるので安心してね! あと無いとは思うけど、ぼくらが用意した問題をぜーんぶ使い切ってしまったときは、そのとき一番○の多い人が優勝! 一位が並んでた場合はジャンケンってことで!」

「わかった」

 何がわかった、だ。

 こんなフザけた運営がまともに賞金なんか出すわけない。どうせ人が命をかけて戦う姿を見世物にして金を巻き上げてるような奴らだ。

「それじゃあクイズ始めるよー」

「ちょ、ちょっと待った! まだ聞きたいことが!」

 平井さんが必死に手を上げる。

「質問は三つまでって言ったでしょ。もうダメー」

「そ、そんな!」

「最初はこの問題からだ! いくぜー!」

 ほとんど無意識的に、俺は利き手の親指をボタンに乗せた。

 他の参加者——平井さんでさえも、ひとまずはこの場に合わせるように、そうした。


「問題。日本の推理小説における三大奇書といえば、夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』と、中井ひ——」


 ピーン——と、乾いた音が響いた。

 ランプが点いているのは、正面に座るおかっぱ頭……遠西だった。

「…………『虚無への供物』」

 ゆっくりと、はっきりとそう答えた。

 すぐに正解のブザーが鳴る。

「お見事! まずは遠西くんが1○だね! 問題文は中井英夫の何でしょうと続いて、答えは『虚無への供物』でした〜」

 意図せず小さなため息が漏れた。

 この問題は……競技クイズの世界ではいわゆる「ベタ問」と言われる類のものだ。過去に数々のクイズ大会で手垢がつくほど出題されてきたベタベタの問題。それなりのクイズプレイヤーであれば、誰でも押せるような問題だ。

「……」

 だがそれは、一度の誤答で殺されるかもしれないという状況でなければの話だ。

「よく押せますね。こんな状況で」

 気づけば俺は、そんな苛立ちのような感情を口にしていた。

 遠西は特に何の反応も示さない。

「まずは1000万円だね! おめでとう!」

 ミーミルの拍手と共に、卓上へと何かが落ちてきた。

 これは……

「お、お金だ……!」

 最初にリアクションしたのはまたしても平井さんだった。

 テーブルには札束。恐らく百枚ごとに帯封された札束が、計十個。

「邪魔になるから端によけといてね〜」

 遠西は無言のまま、それを端の方で丁寧に積み上げた。

「それじゃ二問目いくよ!」

 押すつもりは無いが、一応指をボタンに置く。

 そう。そうだ。

 さすがに本当に殺しまではしない気もするが、こんなヤバイ企画をする奴らなんだ。誤答したときの扱いがブラックボックスである以上、押すわけにいかない。

 幸いにもルールは「間違えたら即死亡」だ。全問題をスルーして終われば、一銭も手に入らないが、無事に返してもらえるはずだ。

 だからこそ、そういうプレイヤーの心理につけ込んで指を緩ませるために、こんな“見せ金”まで用意しているんだろう。


「問題。イタリア語で「溺れる」という意味がある、バニラアイスなどにエスプ——」


 ……押したのは、またしても遠西だ。

「アフォガート」

「正解! 遠西くんはこれで2○だね!」

 またベタ問だ。

 大抵のクイズ大会なら語源の前振りだけで押されるような定番問題。遠西もこういう場でなければ、もっと早いタイミングで押しているだろう。

 また上から札束が落ちてきた。

 見上げると、かすかに暗い天井に穴が空いているのが見える。人がいるのかどうかまではわからなかった。

「んじゃ、次いくよー。問題!」


——

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