第19話 たかが布、されど布

 先週の誕生日は最高に幸福な時間を過ごすことができた。


 しかし、どうやら俺は泥酔して風璃に迷惑をかけてしまったらしい。


 お詫びの品でも贈りたいと考えたのだが、なにをプレゼントすれば喜んでもらえるか検討もつかない。


 ――そうだ。


 わからなければ調査すればいい。


 俺は紙モップでフローリングの床を掃除しはじめた。キッチンとリビングを一通りモップ掛けしたあと、スマホで動画を観ていた風璃に声をかける。


「ついでに風璃の部屋も掃除しようか?」

「あ、うん、お願い」


 案外あっさりと了承された。年頃の女の子(男の子もだが)は部屋に足を踏みいれられるのをもっと嫌がるものではないだろうか。


 しかし都合がいい。引き戸を開き、風璃の部屋に入る。掃除をしながら、ちらちらと周囲に目をやる。


 ベッド、ちゃぶ台、小さな本棚、クッション、以上。


 ――質素……。


 病室のようにこざっぱりとしている。引っ越しの荷物は少なかったが、あれからもう二ヶ月近くたっているし、もう少しエントロピーが増大してもよさそうなものだ。


 実家にいるころから風璃はあまり物を溜めこまなかった。慎ましさは美徳だが、遠慮や我慢はしてほしくない。


 掃除と調査を終えてリビングへもどる。


「掃除しやすい部屋だな」

「そう?」

「もっといろいろ置けばいいのに」

「いろいろって?」

「い、いや、知らんけど。女子高生っぽいもの?」


 風璃は「ふっ」と鼻で笑った。


「なに女子高生っぽいものって」

「小物とか……。ぬいぐるみ? あと、メイク道具とか、いろいろだよ」

「そういうのはいい」


 スマホから目を離さないまま答える。


 我が家にやってくる前は、風璃はどんなふうに生活していたんだろう。もともとこんな感じだったのだろうか。それとももっとあけすけだったのだろうか。


 しかし当時のことを尋ねるのは、彼女の傷をえぐることになってしまうかもしれず、はばかられた。


「前にも言ったけど、遠慮はするなよ? 俺、そういうの全然気にしないから」


 風璃はこっちをちらっと見て、


「うん」


 とだけ返事をした。


 結局プレゼントの手がかりは得られず、俺は頭を悩ませながら、溜まっていた家事を片付けていく。


 風呂掃除をしたあとは洗濯だ。ほとんどの家事は半々で分担しているが、洗濯だけ自分の分は自分で行うことになっている。そうしようと主張したのは風璃だ。やはり下着を見られるのは恥ずかしいのだろう。


 洗濯機の蓋を開けて衣類を放りこもうとしたところ、洗濯槽の底にとりこみ忘れたと思しき布があった。


 ハンカチかなにかかと思ってひょいとつまみあげる。


 パンツだった。風璃のパンツだ。


 キ○ィちゃんのワンポイントがかわいらしいピンクのパンツである。


 そのとき背後の床がみしっと鳴った。振りかえると風璃が目を丸くして立っていた。


「ちょうどよかった。風璃、これ――」

「はあああああああ!!!!」


 風璃は猫のごとき俊敏さで俺の手からパンツをひったくった。


「な、なんだよ、おっきい声出して……」

「な、な、なん……パ、パパパ……!」

「落ち着けって。ただのパンツだろ」

「パンツだからでしょ!? 逆になんでそんな落ち着きはらってるの!」

「なんでって……、俺、べつに気にしないし」

「べつにって……」


 風璃はなぜかショックを受けたみたいな顔をした。


「少しは気にしてよ!」

「ええ……?」


 ――どっちなんだよ……。


 キレているポイントがよくわからない。


「もう……!」


 憤懣やるかたなしといった様子で風璃は脱衣所から出ていった。


 ――俺、悪くないよな……?


 とりこみ忘れたのは風璃だし。


 俺は首をひねりひねり、自分の洗濯にとりかかった。





「こんにちは~」


 翌日のお昼ごろ、美弥緒さんが風璃を迎えにきた。ふたりで買い物に出かけるのだそうだ。


 風璃は準備に手間取っているらしく、まだ部屋から出てこない。


 俺は美弥緒さんに尋ねた。


「なにを買いに行くの?」

「それはですね~、いわゆる勝負下しょうぶしたg」


 俺のかたわらを一陣の風が――いや風璃が駆け抜け、美弥緒さんの口を塞いだ。


「みゃお、いまなにを口走ろうとしたの?」


 美弥緒さんは肩をすくめた。口元は覆われているが、目の表情だけで彼女が例のにまにま笑いを浮かべていることが見てとれる。


「勝負って――」

「雑貨屋さんに行ってくるから」

「いや、勝負した――」

「あーあー。もう時間がない。じゃあね」


 ばたん、とドアが閉められた。


『勝負した雑貨』がなんなのかはわからないが、昨日の今日で雑貨を買いに行くということは、本当は部屋になにか置きたかったが、まだ遠慮があったということだろう。


 ――話してみてよかった。


 こうやって少しずつ少しずつ改善していって、いつしかこの家が風璃にとって心の底からくつろげる場所になればいいと思っている。





 夕飯の買い出しを終え、レポート課題を進めていると風璃が帰ってきた。


 時刻は十八時近く。そろそろ夕飯の用意をしなければ。


「今日はペペロンチーノにしようと思うけど」

「そ、そう。うん、いいと思う。好きだし」


 風璃はぎこちなく返事をし、トートバッグを抱えるようにしてこそこそと部屋に向かう。


 まだ気まずさがあるみたいだ。


「なに買ってきたんだ?」


 風璃が妙な罪悪感を覚えないよう、何気ない調子で尋ねる。あと本音を言えば、どんなものを買ってきたか知ることで風璃の好みを探り、プレゼントのヒントにしたいという思惑もあった。


「え? ええと、うん、まあ、小物」


 風璃はトートバッグを背後に隠すようにした。


「風璃、昨日言ったろ? 俺は全然気にしないって」


 すると彼女はむっと口をへの字にした。


 ――……?


 予想外のリアクションに戸惑う。へそを曲げるようなことは言っていないはずだが。


「わたしがなにを買いに行ったかバレてたんだ」

「ああ、それはもちろん」


 ――だって雑貨屋さんに行くって言ってたし。


 雑貨以外になにがあるというのだろう。


「気にしないとか言いつつ、どんなのを買ってきたか聞いてくるってことは、やっぱり興味津々なんじゃないの?」


 俺を上目遣いで見てくる。


 たしかに、プレゼントのヒントにしたいと思っているから興味があるのはまちがいない。しかしプレゼントはあくまで秘密裏に用意したいので、探っていると悟られるのもまずい。


「いや、そこまで興味はないんだけど」

「興味ないのに聞くわけないでしょ」

「なくても聞くだろ。こんなの日常会話だし」


 すると風璃は目を剥いた。


「日常会話で……、妹のを、聞く……?」

「え、なんでそんなに驚いてるんだ?」

「聞いてどうするの……?」

「そういうのが好きなんだなあって思う」

「想像するの!?」


 風璃はなぜか胸や下腹部のあたりを腕で隠すようにしてたじろいだ。でもなぜか表情はちょっと嬉しそうだ。


「エッチ」


 ――なぜ。


 ものすごい濡れ衣を着せられた。


「やっぱり興味あるんでしょ? あるって言ったら教えてあげてもいい」


 どうしてそこまで俺の興味にこだわるのかわからないが、教えてもらわないことには話が進まない。それに、俺がオープンにならなければ、風璃にいくら「遠慮するな」と言っても説得力がない。


「わかった。――ある。興味はある。だから教えてくれ」

「ふふっ。そう、やっぱり興味あるんだ。じゃあ教えてあげる」


 風璃は不敵な笑みを口元に浮かべた。


「色は黒で――」


 ――なぜ色から?


 なにを買ってきたかを聞きたいのだが。


「花柄のレースと光沢のあるサテンで」


 ――布?


 なるほど、ハンカチか。部屋の彩りにはならないが、気に入った小物を持つことは心の彩りになる。


「ちょっと大人っぽいやつ」

「うん、いいチョイスだと思うぞ」

「そ、そう?」


 照れたように顔を赤くする風璃。


「でも黒って結構珍しい色じゃないか?」

「そうでもなくない? わりとメジャーな部類だと思うけど」


 ふだんハンカチなんか持たないから、知らないうちに時代に取り残されていたのだろうか。


「俺も黒のやつ買ってみようかな」

「でも奏くん、黒のやつ持ってるよね?」

「え? 俺、持ってる?」


 黒のやつというか、そもそもハンカチ自体を持っていないと思うのだが。


「ちょっと記憶にないんだけど……。それより、その店、教えてくれよ」

「え、な、なんで?」

「風璃と同じのが欲しいし」

「わたしと同じのが欲しい!?」


 風璃はすっとんきょうな声を出した。


「ど、どういうこと……?」

「あ、やっぱり兄貴が同じやつを持ってたら気持ち悪いか」

「そ、それは……、心と体の問題もあるし、一概に気持ち悪いとは言えないけど」


 妙に回りくどい言い回しだ。


「あ、でも、女物だもんな。俺が持ってたら変か」

「もう、ちょっと奏くんがなにを言ってるのか……。頭が混乱してるんだけど……」

「でも俺、憧れてたんだよね。兄妹でペアのものを持つの」

「兄妹でペア!? ど、どんな兄妹なのそれ」

「そ、そんなに驚かなくてもいいだろ。いいじゃないか、ハンカチくらい」


 風璃は目と口を丸くした。


「ん? どうした?」

「ハン、カチ……?」

「そうだけど……?」


 その瞬間、風璃の顔が爆発したみたいに赤くなった。


「ど、どうした?」

「ど、どぅもしないよぉ?」

「それより、そのハンカチ見せてくれよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれる?」

「いいけど、どれくらい?」

「一週間くらい」

「なんでそんなに……?」

「と、とにかく、いまはちょっと無理っ」


 そう言い残し、風璃は部屋に引っこんだ。


 ――なんなんだ……? 妙に挙動不審だったけど。


 まだちょっと照れがあるのだろうか。


 ――ハンカチか……。


 プレゼントにハンカチなんて考えもしなかった。そんなに凝ってなくても、日常的に使えるものでいいのかもしれない。


 しかしそれならそれで悩ましい。ペンケースやバッグなど、普段使いをするものならなおさら、好みでないデザインや色のものをプレゼントしても困らせてしまうだろうし。


「ううん……」


 ――……あ。


 そうだ。わからないのなら頼ればいい。いま、俺と同等か、下手をすれば俺より長い時間を風璃と過ごしている人物に。幸いなことに連絡先は交換済みだ。


『ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?』


 LINEでメッセージを送ると、ほどなくして返信があった。


『はいは~い どうぞ~』


 文面から美弥緒さんののんびりした声が聞こえてきそうだ。


『風璃の好みを教えてほしい。今日雑貨屋に行ったときなにか熱心に見たりしてなかった?』

『雑貨屋さん?』

『雑貨屋、行ったんだよね?』


 返事が来るのにタイムラグがあった。


『はいはい、行きましたよ~』『そのほうが面白そうですし~』


 ――……?


 後半の文面の意味がよくわからない。雑貨屋以外にもどこかに行ったということだろうか?


 つづけてメッセージが送られてくる。


『けっこうかわいいものが好きですよ。サン○オとか』


 それは知っている。しかしそれで昨日は怒らせてしまったから、しれっとキ○ィちゃんのグッズをプレゼントしようものなら口をきいてくれなくなる恐れがある。


『ほかには?』

『ちょっと思いつかないですね~』

『そっか。ありがとう、助かった』


 美弥緒さんでも知らないか。風璃は本当に欲がないんだな。


 さて、そろそろ夕食を用意しなければならない。サラダはすでに作り終え――と言っても、レタスをちぎってプチトマトを添えただけだが――冷蔵庫に入っている。


 ペペロンチーノを作るべく、にんにくとベーコン、鷹の爪をキッチンの作業台に並べる。にんにくの皮を剥き、芽をとって、みじん切りにする。鷹の爪の種をとり、こちらは輪切りに。


 そして鍋にたっぷりの水を入れて湯を沸かそうとしたとき、スマホが着信音を鳴らした。


 LINEの着信。差出人は美弥緒さんだった。


『思い出したんですけど、前に雑貨屋さんに行ったとき風璃ちゃんがお花のグッズをじっと見てたことがありました』


 なぜ今日ではなくて以前の話なのかは釈然としないが、これは有力な情報に思える。


『ありがとう!』


 お礼のメッセージを送る。


 ――花か。


 プレゼントとしては王道中の王道だ。カジュアルだし、変に気を遣わせることもないだろう。


 ――明日、フラワーショップに寄ってみるか。


 俺は沸いた湯に塩を溶かし、パスタを投入した。





 三限目の講義が終わったあと、休憩所で風璃のインスタをさかのぼっていた。どんな花を贈るのがよいか、なにかヒントはないかと考えたのである。


 最初の投稿は二年前。風璃がまだ中学二年生のとき。そして、俺の妹になって間もないころだった。


 どこかのチューリップ畑の写真だった。文章はなにも書かれていない。無言の投稿だ。


 ――こんなに昔からインスタやってたのか。


 昔の投稿には風景の写真が多い。どれも俺の知らない場所なので、昔撮った写真なのかもしれない。


 ざっと確認したところ、花が写っていたのは最初のチューリップ畑とどこかの桜の写真だけだった。


 たしかチューリップは春から初夏くらいの花だったはず。いまはもう五月の下旬で、時期的にはぎりぎりだ。


 ――まだあるかな……。


 いまさら急いだってしかたないのに俺は早足になって、ホームセンターのフラワーショップへ向かった。





「ただいま」


 うちに帰ると、風璃がヨガマットを敷いて股割りをしていた。脚は弓のように広げられ、上半身はぺったりと床についている。


 ――柔らかっ……!


 そのしなやかさに思わず見とれる。


「おかえり。――って、なに隠してるの?」


 身体を起こした風璃は、手を後ろに回した俺をいぶかしげな表情で見た。


「あ、ああ、これは――」


 俺はためらった。喜んでもらえるかどうか不安なのもあるが、それ以外にももうひとつ事情があった。


「プレゼント、なんだけど……」


 と、右手を差しだす。


 それは小さくてかわいらしい植木鉢に植えられたチューリップだった。


 しかし、咲いていなかった。緑色のつぼみがわずかにほころび、割れ目から赤い花びらがちらりと覗いているだけ。やはり時季はずれだったのだ。


 フラワーショップの店員が言うには、遅咲きの可能性はなくはないが、経験上、おそらく咲かずに枯れるだろうという話だった。


 もう処分するというこのチューリップを、俺は無理を言って譲ってもらった。なんだかこのまま捨てられてしまうのは忍びなかったのだ。


「一応もうひとつ――」

「ありがとう……!」


 風璃は、花の咲いていないチューリップを、まるで花が咲いたみたいな笑顔で大事そうに受けとった。


 左手のマーガレットの出番はなさそうだった。





 風璃はチューリップを自分の部屋の窓際に飾ったらしい。育て方を調べて、せっせと世話をしている。


 マーガレットはダイニングテーブルに、グラスを花瓶にして飾った。


 ――良い……。


 まさか花を飾って感慨にふける日が来るとは思いもしなかった。


 風璃のインスタを見てみるとチューリップの写真が投稿されていた。


『チューリップをもらいました』


 という文章が添えられている。


 その投稿には友人と思しき人物からコメントがついていた。


『プレゼント? なにかいいことあった?』


 それに対し風璃はこう返事をしている。


『とくにないです。いきなりくれた。』


「おう……」


 俺は額に手をやった。


 ――お詫びって言うの忘れてた……。


 完全に目的と手段が入れ代わってしまっていた。


 まあ、風璃は喜んでくれているようだし、よしとしよう。

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