第18話 バースデーを抱きしめて ― 風璃サイド

 わたしは悩んでいた。


 ――奏くんへのプレゼント、なににしたらいいかな……。


 今日は五月九日。奏くんの誕生日まで一週間を切ったにもかかわらずまだ決めかねていた。


 奏くんはバイトで十七時まで帰ってこない。土曜日だし、買いに行くなら今日が打ってつけなのだが。


「ううん……」


 リビングを意味もなく行ったり来たりする。


 ――奏くん、無趣味だしなあ……。


 筋トレはしているようだが、あくまで健康管理が目的で趣味というほどではないようだし、料理の練習はしているが、調理器具は共用するものだからプレゼントには向かない。


 ――ギフト券とか……。


「ない」


 好きな相手に金券を渡す唐変木がどこの世界にいるのか。こんなドライな発想しか思い浮かばない自分が嫌になる。


 そのとき呼び鈴が鳴った。インターホンのモニターに映っているのは猫のマークの宅配業者さん。


 荷物を受けとり差出人を確認する。


 楡野亜梨彩ありさ。お母さんの名だ。


「重っ」


 ずっしりと重い段ボールをリビングまで運び、開封する。なかから出てきたのはお酒の瓶だった。一緒に入っていたメッセージカードにはこうある。


『肝臓は消耗品だ。安酒で浪費するな。 母より』


 二十歳になった奏くんにお母さんからのプレゼントらしい。


 ――お酒か……。


 キッチンに目をやる。食器類は少しずつ増えてはいるが、飲み物用の食器はマグカップとグラスだけだ。


「これだ」


 せっかくいいお酒なのだから、いい器で飲んでもらいたい。


 ネットで検索して目星をつけたあと、お酒をわたしの部屋に隠し、プレゼントを買いにでかけた。





 そしていよいよ奏くんの誕生日当日の朝となった。


 奏くんは十時から十九時までバイトだから、パーティの準備をする余裕はたっぷりある。


 眠る奏くんを起こしてやろうと声をかけたのに、うだうだ言って惰眠をむさぼろうとする。


 もう大人なのに、なんて……なんてかわいいんだろう。


 ――なんなの、もう。やんちゃな顔をしてるのに、どうして寝てるときは天使みたいな顔になるの……!


「早く起きないと寝顔を写真に撮っちゃうよ」


 わたしは念のため断ってから写真を撮った。


 カシャシャシャシャシャシャシャ! とシャッター音がなる。ちょっと力が入って連写になってしまった。


「いや猶予なさすぎだろ!」

「早くって言った」

「早すぎる……!」


 当たり前だ。初めから撮らないという選択肢はない。もたもたして本当に起きられたら、撮影する大義名分がなくなるではないか。


 しかしいい写真が撮れた。クラウドにバックアップしておかなければ。


 わたしは画面を奏くんに向けた。


「奏くんっていつも掛け布団を抱いて寝てるよね」

「この姿勢が一番熟睡できるんだよ。いっそ抱き枕でも買おうかと思ってる」

「そうか、抱き枕って手も――」


 いや、今回は成人を迎える特別な誕生日だ。いつもらっても嬉しい抱き枕より、酒器のほうがふさわしい。


「なんて?」

「ううん、なんでも。ほら、遅刻するよ」


 わたしは奏くんをバイトに送りだした。玄関を出るとき彼はなにか言いたげな顔をしていた。


 奏くんのことだから、今日が誕生日であることを確認しようとして、それが催促みたいにとられたら悪いので言うのをやめた、というところだろう。


 ――ちゃんと覚えてるって。


 忘れるわけがない。


 わたしが奏くんの誕生日を知ったのは去年の今日。つまり当日だった。奏くんはすでにひとり暮らしを始めていたからプレゼントを贈ることができなかった。せめてバースデーメッセージをと思い文章を練ったが、納得がいかないまま気がつけば二十四時が間近まで迫っていて、わたしは慌てて『おめでとう』とだけ送った。


 その夜は自己嫌悪で眠れなかった。この苦い経験からわたしは『来年の誕生日は絶対に失敗しない』と心に誓った。だから忘れるわけがないのだ。


 奏くんが家を出てから十分ほど待ち、わたしは行動を開始した。


 食材を買い、みゃおに教えてもらったレシピで料理を作る。豚の角煮はとくに時間がかかりそうなのであまりゆっくりもしていられない。


 わたしは家を飛びだし、スーパーへ向かった。





 スーパーから帰ってきたわたしは、豚バラ肉を下ゆでしながら、イカの下処理をする。揚げ物や冷や奴に載せる薬味は時間がたつと味が落ちるから、奏くんが帰ってくる直前に手をつけるつもりだ。


 イカの煮物に入れる大根を面取りしていると鍋が噴いたので火を小さくしてアクをとった。隣のコンロで卵をゆでながら、煮物に入れるショウガを刻む。


 ――やることが多い……!


 頭がこんがらがりそうだ。


 なんとか目処がつき、ソファで一息ついたころには、すでに十四時を過ぎたころだった。


 あとは料理とお酒をテーブルに並べて――と頭のなかでシミュレーションしてみると、なにか物足りない。


 ――パーティっぽさが足りなくない……?


 スモークサーモン、チーズ、クラッカーだけでは、豚の角煮、イカに煮物などの『酒盛り感』を打ち消せない。


 ――クラッカー……。そうだ、クラッカー!


 ビスケットのほうではない、パーティグッズのほうのクラッカーだ。


 わたしは家を飛びだした。しかし近所のスーパーではクラッカーは取り扱っておらず、電車に乗ってドンキ○ーテにまで行く羽目になった。


 帰宅し、買ってきたクラッカーを部屋に隠して、冷めた煮物を再び火にかけた。


 スケジュールはぎちぎちだし、あっちこっちに飛びまわって脚もぱんぱんだけど、わたしは充実した。


 ――喜んでくれるかな……。


 大きな不安に、期待が隠し味となって胸を満たしている。だから頑張れる。





 お酒と料理を並べ、時計を見ると時刻は十九時を少し過ぎていた。そろそろ奏くんが帰ってくる。


 パーティー用クラッカーを背に隠し、リビングのドアの前に待機する。


 ほどなくして玄関のほうから音がした。


 深呼吸をする。


 大丈夫。ドラマや映画でよくある場面みたいに、明るく「おめでとう!」と笑顔で迎えればいいだけだ。できる、わたしはできる。


 ドアが開き、奏くんが「ただいま」と言って入ってきた。


 わたしは笑顔を形作り、滑らかな動作でクラッカーを鳴らした。


「奏くん、お誕生日おめっ、おめでとう!」


 ちょっとどもってしまった以外は完璧だった。奏くんが少し驚きすぎな気もするが、サプライズパーティなのだからサプライズするのは正解のはずだ。


 料理やプレゼントを、奏くんはとても喜んでくれた。友だちに自慢までして、二十歳の誕生日だというのに子供みたいだ。


 料理を口に運んでは、ちびちびとお酒を舐めて、感心したような声を漏らす奏くん。だんだんペースが上がってくる。顔はすでに真っ赤っかだ。


「あれ? もしかして俺、すごい飲んでない……?」

「そう? ちょっとしか減ってないよ?」


 と、瓶を掲げてみせる。


「ほんとだ、減ってない。度数が強いのかな……」


 わたしは心のなかでほっと安堵のため息をついた。


 奏くんをお祝いする意外にも、今日のわたしには目的があった。それはすなわち――。


『酔わせて本性を引きだす』


 わたしには「遠慮するな」とか言っておいて、奏くんはなにかとわたしに遠慮している。だからアルコールの力を借りてガードを下げてもらおうと考えた。


 兄妹とはいえ義理だ。わたしのことを女性としてまったく見ていないということはないだろう。以前、バスタオル姿で部屋をうろうろするわたしを見て、ものすごく恥ずかしそうにしていたし。そのあたりをはっきりさせたい。


「そろそろセーブしようかな……」


 などと言う奏くんにどんどんお酒と料理を勧める。


 やがて、奏くんはすっかりできあがった。半分寝ているような顔で、座っているのにふらふらと左右に揺れている。


 落ちて怪我でもしたらまずいのでソファに移動してもらい、グラスに水をそそいで渡した。


「奏くん、ほらお水」

「ん……。――え? いま『お兄ちゃん』って言った?」


 ろれつの回らない口で言った。


「どう聞きまちがえたの? 奏くんとしか言ってないけど」

「……そ、そうだよな」

「変なの」


 お酒を飲むと聴覚まで鈍くなるのだろうか。


 そのとき奏くんの身体が大きく揺れて倒れそうになる。わたしは慌てて横に座り、身体を支えた。


 奏くんはわたしの肩に頭を乗せて言う。


「甘えん坊だな」

「いや、そっちがね」

「今日はありがとうな。りょ……す……った」

「え、なに?」

「しょうがないやつだなあ」


 と、奏くんはいきなりわたしの頭をわしゃわしゃと撫でた。


「え、ちょっと……!?」


 なにがしょうがないのかさっぱりわからない。どちらかと言うとしょうがないことになっているのは奏くんのほうだ。誘導したわたしが言えた義理ではないけど。


 でも、なんだろう。無骨な指で、少し乱暴に頭を撫でられるのは――。


 ――悪くない……。


 いや、むしろすごくいい。気持ちいいだけではなく、なにかこう、心に幸福が満ちていくような充足感がある。


 奏くんの手が、力尽きたようにソファに落ちた。


「え、もう終わり?」


 もうちょっとつづけてほしかったが、奏くんはすっかり目をつむってしまい寝息のような息をたてている。


 ――いろいろ質問をしたかったけど……。


 この状態ではそれも無理だろう。


 わたしは彼の身体をソファにもたれさせ、布団を敷いた。手を引いて誘導し、布団に身体を横たえる。


 料理を片付けようとキッチンへ行こうとしたが、奏くんがわたしの手を強く握って離してくれない。


「奏くん、ちょっと手を――!?」


 ぐいっと引っぱられ、わたしは布団に倒れこんだ。そしてなにを思ったか奏くんはわたしをぎゅっと抱きしめる。


「ちょ、奏くん……!?」


 逃げだそうとしたが、脚までからめられて身動きがとれない。


 ――え、ええええ……!?


 たしかに本性を引きだしたいとは考えていたが、は想定外だ。


「そ、奏くん。これは、ちょっとまだ……心の準備が……」

「風璃」


 耳に息がかかり、背筋がぞくぞくとする。


「だ、駄目だって、奏くん……」

「一生守ってやるからな」

「え、ええ!?」


 ――プロポーズ!?


 いろいろすっ飛ばしてまさかの求婚。


「そ、それは、う、嬉しいけども……!」

「お兄ちゃんが」

「…………」


 プロポーズどころか『一生お兄ちゃん宣言』だった。


 アルコールで本性が出ているのだとすれば、奏くんはわたしのことを芯の芯まで『妹』としてしか見ていないことになるわけで。


 好きなひとに抱きしめられているのに、こんなに嬉しくないことってあるだろうか。


 腹がたち、頭突きでもして奏くんの腕から逃れようと思った。


 しかし。


「どこにも行かないでくれよ」


 こんなことをすがるような声で言われて、わたしのいらだちはしおれてしまった。


「行かないよ」


 奏くんがわたしを『恋人』として見てくれるまで、あきらめる気はないのだから。





 奏くんの腕がゆるみ、わたしはようやく逃れることができた。


 時刻はすでに零時を回っている。できるだけ音をたてないように料理を片付け、シャワーを浴び、ベッドに入った。


 しかし、奏くんの匂いや感触がまだ身体に残っているような感じがして、わたしは朝方まで眠ることができなかった。


 気がつくと、時刻は十時を過ぎていた。いくらかは眠れたようだ。しかし頭はすっきりせず、わたしはベッドのなかでぼうっとしたりスマホをいじったりと、無為な時間を過ごす。


 お昼ごろ、お腹が鳴ったので、意を決してベッドから出た。リビングの布団では奏くんが幸せそうな顔で眠っている。


 起こしてやると奏くんは、


「え、どこからが夢?」


 などと、とぼけたことを言った。わたしは適当にあしらったが、奏くんは嬉しそうな顔をしていて、それがなんだか癪だった。


「どうした、疲れた顔して」

「眠れなかったの」


 昨日、抱きしめられたときのことを思いだし、わたしは恥ずかしくなって顔をそらした。


「奏くんのせいで」


 奏くんはぎょっとした。


「ち、ちちち違うよな? そそそそそそそそういうのではないよな? な!」


 なにか勘違いしている。でもわたしはちょっといい気味だと思い、もう少し勘違いをつづけてもらうことにした。


「そういうのって?」

「いや、だからその、眠れなかったって……」

「奏くんが寝かせてくれなかったんだよ?」

「っ!!」


 奏くんはほとんど泣きそうな顔をしている。さすがにちょっとかわいそうになってきて、わたしはからかうのをやめた。


「いびきがうるさくて」

「…………い、びき……?」

「そう。いびき。ぐあああ、って。熊みたいだった」

「いびき……。いびきな! はいはい! よかった!」


 ――安心しちゃって、まったく……。


「こっちは全然よくないんだけど」

「ははは! すいません!」

「笑いながら謝らないでよ」


 ――なにもなくて、そんなに嬉しい?


 そのあと、温めなおした昨夜の料理を朝食代わりに食べた。


 奏くんは、


「夜もこれで飲もうかな」


 などと性懲りもないことを言う。


「奏くんはお酒を飲まないほうがいい」

「え、昨日はあんなに羽目をはずせって……」

「それは誕生日の話」

「でも」

「ちゃんとして。大人でしょ」


 呆然とする奏くん。


「奏くんはお酒を飲むと本性が出るから」

「……え? 本性って、どんな?」

「もう、ほんとひどい、最悪の本性。わたしにとってはね」

「風璃にとっては、って……?」


 わたしを完全に妹としてしか見てないこと。


「言わない」


 そんなこと言えるわけがない。


 でも、かえってやる気が出た。


 ――見てろ。


 泥酔状態ではなく、素面でわたしを抱きしめさせてみせる。

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