第15話 ストーキング×ストーキング2

 講義が終わり、教室を出た俺は八紘を探した。


「やあ」

「うおっ!」


 背後から急に声がかかり、俺はびくんと振りかえった。


 タブレットPCを小脇に抱えた八紘が立っていた。


「い、いつからそこに」

「ずっといたけど」

「全然気づかなかった……」

「ところでネットストーカーの件だけど」


『どちらかというといまのお前のほうがストーカーぽかった』という言葉を俺は飲みこんだ。


「いろいろわかったよ」

「ま、まじか。いろいろって?」

「ここじゃなんだからべつの場所にしようよ」


 ちょうど昼食どきということもあり、俺たちは食堂へ移動した。


 隅の席に座る。八紘は自販機で買ったドクター○ッパーでのどを潤してから話しはじめた。


「犯人の名前、年齢、住所、職業、趣味、その他諸々もろもろ、判明したよ」

「おお……」


 ますますストーカーっぽい。


「『ネネコズキッチン』の動画を見たけど、窓も映ってないし、調理器具や食材はどこでも手に入れられるようなものを使っているし、ネネコさんもかつらをつけて変装しているし、万全の対策がされてる。彼女の住所がバレることはないと思うよ」

「そ、そうか。――というか、窓?」

「窓の景色から住所がわかるんだよ」

「え、怖っ」

「間取りからもね。でも撮影現場は一戸建てのようだから問題なさそうだね」


 なんだよその知識。あとなんで一戸建てってわかるんだよ。怖えよ。


「かつらって言ったけど、なんでわかったんだ?」

「つむじが見えなかったからね。僕の目はごまかせないよ」

「……」


 ここまでくると恐れおののくしかない。IT関係に詳しそうとは思っていたが、ここまでとは。いや、そもそもこのスキルはIT関係なのだろうか……。


「で、犯人の身元がわかったって……」

「うん、これだよ」


 A4の用紙を俺に差しだした。そこには八紘がまとめた犯人の情報が印刷されていた。


 俺はなぜだか怖くなって用紙を裏返した。


「まちがいないのか?」

「世の中に百パーセントなんてあり得ないよ。でも、自信はある」


 それを聞いても――いや、聞いてしまったからこそ、用紙を表にする勇気が出ない。


 ――俺はこの情報を知って、それからどうするんだろう。どうしてしまうんだろう。


「これをどう扱うかは奏太郎くんに任せるよ」


 まるで心の内でも読んだみたいに八紘が言った。


「八紘ならどうする?」

「銃社会なら撃つかもね」

「過激だな……」

「僕は腕っ節が弱いから、武器がないと」


 俺は内容を見ないまま紙を折りたたみ、鞄に仕舞った。


「俺、帰るわ」


 と、席を立った俺に八紘の声がかかった。


「頑張ってね」


 ああ、と答えたものの、なにをどう頑張るのだろう。


 俺は恐ろしい考えが浮かびそうになるのを必死で抑えながら、大学を出た。





 富岡正也、三十三歳、既婚、オフィス機器リース会社の営業課所属。それがネトストの正体だった。


 八紘の情報にはそれだけでなく、出退勤の時刻や、よく行く定食屋やカフェ、好きなブランド、最近観た映画まで網羅されている。


 ――まじですごいな、八紘……。


 正義のハッカーをホワイトハッカーと呼ぶのなら、八紘はさしずめホワイトストーカーだ。


 俺はネトスト――富岡の勤めると思しきリース会社の前にやってきた。雑居ビルの三階と四階全体がオフィスになっているようだ。


 ガラスの扉を押し開き、なかに入る。


 受付カウンターでは妙齢の女性が微笑んでいた。


「いらっしゃいませ。ご用件はなんでしょう?」

「佐藤と申しますが、先日の打ち合わせの件で営業課の富岡さんにお伺いしたいことが」

「富岡でございますね。少々お待ちください」


 と、女性は内線電話の受話器をとる。


「あ、ひとと一緒に来てるんで、下の喫茶店で待ってると伝えてもらえますか?」

「はい、かしこまりました」


 俺はそそくさと退散した。エレベーターを待つのがもどかしく、階段を駆けおり、ビルの隣の喫茶店に入る。


 入口を監視できる奥の席に座り、オレンジジュースを注文した。スマホをいじるふりをしながら待ち、運ばれてきたオレンジジュースをちびちび飲んでいると、スーツ姿の男が入ってきて、店のなかを見渡した。


 ――あいつ、かな。


 男は店員と一言二言話をし、店内に入ってきた。俺より先に来ていたスーツ姿の客に、


「佐藤さんですか?」


 と、声をかけている。


 ――まちがいない。


 俺は気づかれないように富岡の姿を撮影した。


 短めのヘアスタイルに、誠実そうな顔つき。革靴もぴかぴかで清潔感がある。


 ――こんな男がネトストなのか……?


 彼がこちらのほうへ歩いてきた。


「佐藤さんですか?」

「いえ、違いますけど」

「そうですか、すみません」


 おかしいな、などとぶつぶつ言いながら、富岡は喫茶店を出ていた。


 そのあとすぐ、俺も会計を済ませて店をあとにする。


 あの会社の営業課に富岡という男はまちがいなく在籍していた。しかしまだ決め手がない。つまり、富岡という男とネトストをイコールで結ぶことがまだできていないのだ。


 仮に確定できたとして、それでどうすべきなのかはいまだにわからない。しかし確証を得ないことにはどうにも身動きがとれない。ならば、やるしかない。


 今日はバイトがあるため引きかえし、翌朝早くに家を出て調査を再開する。風璃にいぶかしがられたが、ゼミの用事だと理由をでっちあげた。


 そして郊外にある富岡宅へやってきた。表札にもしっかりと『富岡』と書かれており、八紘の情報の正確さに改めて感嘆する。


 小さな一戸建ての家だ。築二十年ほどの借家らしいが、外観は小ぎれいで古さは感じられない。


 玄関のドアが開いた。俺ははす向かいの家の陰に身を隠す。


 富岡が出てきた。昨日と同じスーツを着ている。手には手提げ鞄とゴミ袋。


 彼はちらと振りかえり、鞄を持ったほうの手をあげた。玄関には彼の妻と思しき女性。その腕には赤ん坊が抱かれていた。


「……」


 俺は富岡の尾行を開始する。ゴミ集積所に立ち寄ったあと、最寄り駅に行き、電車に乗った。同じ車両に俺も乗りこむ。


 車内はほぼ満員だった。富岡は空いていたスペースに滑りこみ、つり革につかまると、スマホをいじりはじめた。俺は斜め後ろに陣取り、彼の手元を覗きこむ。


 ニュースをチェックしているようだ。とくにビジネスや経済の項目を念入りに読んでいる。


 ふう、と息をつき、ニュースアプリを閉じる。つぎに立ちあげたのはYouTubeのアプリ。通知欄をタップする。


 ――……。


 表示されたのは『ネネコズキッチン』の投稿通知。新規動画が投稿されていないことが不満だったのか、富岡は小さく舌打ちをした。


 確定だ。でも俺は少しも嬉しくなかった。いたたまれない気持ちになり、彼に背を向けた。


 つぎの駅で電車を降り、向かいの電車に乗りかえて大学へ向かう。


 大学でも俺は気分がふさいでいた。そんな俺に、八紘はなにも聞かない。ありがたいと同時に、気を使わせて申し訳ない気持ちになる。


 講義を終え、少し時間を潰したあと、富岡宅の最寄り駅へ行った。


 休憩所のベンチに腰かけて待っていると、時刻は十九時三十分を少し過ぎたころ、富岡が改札から姿を現した。彼が横を通りすぎてから、俺は立ちあがり、追跡を開始する。


 駅前ではちらほらと飲食店を見かけられるが、そこを少し離れて住宅街に入るとあたりはすっかり暗くなる。明かりらしい明かりは電柱にとりつけられたLEDくらいなものだった。


 富岡は俺の二、三十メートル先を歩いている。夜道には俺と彼しかいない。


 なぜか俺の心臓がどくどくと激しく踊りはじめた。それに合わせて息も荒くなってくる。


 俺はパーカーのフードを目深にかぶり、歩くスピードを速めた。


 俺はなにをするつもりなのだろう。


 ――いや……。


 ごまかすのはやめにしよう。八紘から情報を得た瞬間から俺の頭に浮かんでくるのは、憎き犯人をいたぶる場面。顔を殴り、腹に膝を入れ、折れた身体を地面に叩きつける。倒れた身体を蹴る。土下座し、許しを乞うまで何度も何度も。


 身体に叩きこむ。代償を払わせる。


 妹を――風璃を悲しませたのだから当然の報いだ。


 俺は暗い妄想に取り憑かれたまま、さらに歩幅を大きくする。犯人の背中がぐんぐん近づく。


 あと数歩で犯人の肩に手が届く距離になる。


 そのときふと、今朝の光景が頭をよぎった。


 自宅を出る犯人。手には鞄とゴミ袋。見送る妻と子供。


 ――なんでだよ……!


 痛めつけることはできる。勤め先にネトストの証拠を送りつけて社会的に追いこむことだってできる。路頭に迷おうがなんだろうが自業自得だ。


 でも、あいつの家族はどうなる。奥さんは、子供はどうなる。


 なんでネトストなんてつまんないことをするのか。バレたら――家族を悲しませると思わないのか。不幸にすると思わないのか。


 ――なんでこんな野郎に家族がいるんだよ……!


 俺は駆けだした。足音が聞こえたのか富岡はぎょっと振りかえる。


 その横を俺は走り抜けた。後ろは振りかえらない。あいつの家を通りすぎてもなお、足を止めずに走りつづけた。


「くそっ!!」


 しんと静まりかえった住宅街に俺のやり場のない怒りが響いた。

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