第14話 ストーキング×ストーキング1

 俺は『ネネコズキッチン』の動画についたコメントを確認した。


 ブロックで対策したとのことで、古い動画にネトストの形跡は残っていない。先日あがった最新動画にはそれらしきコメントがあった。


『アシスタントの子、逃げちゃったのかな? もどっておいでよ(^0^)』


 一見ふつうのコメントに見えるが、『逃げちゃった』という言葉の選択に違和感がある。案の定、その下には、


『またお前か』『通報』『二度と来んな』


 と、コメント主に嫌悪感を示す発言が投稿されていた。


 風璃に嫌がらせをする犯人に対し、何人ものひとたちが憤りを感じている。不謹慎かもしれないが、ちょっと嬉しい気持ちになる。


 風璃のインスタも確認する。こちらもブロックしているためか、古い投稿にネトストらしきコメントは確認できなかった。数日前の最新の投稿には、


『やめちゃったの?』『やめるなよ』『このお店に行ったよ 偶然会えるかもね』


 などと、ひとりで何回もコメントしている奴がいた。


 ――こいつ……。


 はらわたが煮えくりかえる、という感覚を俺は生まれてはじめてリアルに体験した。正体もわからず、手も足も出ないのが余計に腹立たしい。


 画面をスクロールする。


 ――しっかし……、けっこういろんなところに行ってるな。


 ほとんどが食べ物の投稿だ。ハンバーガー、コーヒー、ケーキ、昼食のサンドウィッチに、定番のタピオカまである。


 ――女子高生してんなあ……。


 引っ込み思案な風璃の世界は、SNSで劇的に広がっていた。やっぱり、これをやめさせるなんてことはできない。


 絶対になんとかしてみせると、俺は決意を新たにした。


 風璃が、


「ううん……」


 と、うめき声をあげた。彼女はソファに座り、真剣な表情でスマホとにらめっこしている。うめき声は無意識に発したようだった。


 風璃もネトストに抵抗しようと頭を悩ませているのかもしれない。


 ――けなげだ……。


 目頭がうるっとする。しかし無理をさせたくはない。


 俺は風璃に歩み寄り、ぽんと肩に手を置いた。


「俺に任せ――」

「きゃああ!!」


 風璃はソファから転げ落ちた。


「ええ? ご、ごめん。びっくりさせるつもりは」

「み、見た?」


 じとっとした目つきで俺をにらむ。でもなぜか顔が赤い。


「な、なにを?」

「スマホ」

「いや」


 びっしり文字が書かれていたのは見えたが内容まではわからない。


 風璃は安堵の息をついた。


「ならいい」


 と、ソファに座りなおした。


 なにをそんなに慌てていたのだろう。


 ――スマホで見れて、兄に知られると慌てて、しかも顔が赤くなるもの……。


「あ」


 なるほど。理解した。


「風璃」

「なに?」

「べつに隠さなくていいぞ」


 風璃は怪訝な顔で振りかえった。


「なにを?」

「恥ずかしがることなんてない。理解してるつもりだ」

「だから、なにを?」

「好きなんだろ?」


 風璃の切れ長の目がまん丸になった。


「え、あ……」


 くちびるがわなわなと震えている。俺は風璃に微笑みかけた。


「大丈夫、全然おかしくなんかない。むしろ自然なことだ」

「そ、そう、かな……? でもやっぱりこんな関係、世間的には……」

「気味悪がるひともいるにはいる。でも、愛の形はひとそれぞれだろ」

「奏くん……」

「いつごろから好きなんだ?」

「中学二年生のころから、ずっと」

「そっか。あのころの風璃の慰めになっていたのかな」

「慰めなんかじゃない。わたしに新しい世界を教えてくれたの」


 風璃は潤んだ瞳で俺を見つめる。


「やっと……、気づいてくれたんだ……」

「ああ」


 俺は頷いた。


「まさか風璃がそんなにBL好きだったとは」「奏くんのことがずっと――」


「はい?」

「え?」


 風璃はきょとんとした。


「び、BL……?」

「うん、BL小説。スマホで読んでたんだろ? あんなに慌ててたし、顔が真っ赤だったし」

「……」


 風璃は池の鯉みたいにぱくぱくと口を動かした。


 予想とは違う反応に、俺は自信がなくなってきた。


「え? 違うのか……?」

「わ、わたしは……」


 風璃はぎりっと音が聞こえるほどの歯噛みをして、


「わたしは――BLが、す゛き゛て゛す゛……!」


 と、ぶるぶる震えながら、まるで般若のような表情で吐露した。


 ――ええ……?


 好きなものを語るときって、もっと嬉し恥ずかしみたいな感情になるものだと思うのだが、どうして風璃は血の涙を流さんばかりの顔になっているのだろう。


「あ、あの……。――とにかく、俺に任せろ。な?」


 風璃は般若のままこくりと頷いた。





 念のため風璃を学校に送る。同じ学校の生徒が多く目につきはじめ、さすがにもう大丈夫だろうと、俺は大学に向かうことにした。


「あ、ちょっと待って」


 風璃はスマホをいじる。すると俺のスマホが震動した。


「みゃおがネトストの書きこみを保存しておいてくれたの。なにかの役に立つかも」

「ありがとう、助かる」


 手を振り、俺は大学に足を向けた。


 二限目の講義が始まるまでのあいだ図書館で情報収集をする。もちろんストーカー対策についてだ。


 めぼしい書籍を選びとり、目を通していく。


 多くの場合、ストーカーになりやすいのは元交際相手か元配偶者であり、その数は約八割を占める。残り二割は片思いや逆恨みが原因らしい。


 ――風璃の場合は後者だな。


 対策としては、まず反応しないこと。ストーカーを喜ばせたり怒らせたりしてはいけない。それから証拠を集めて、信頼できる人間や機関に相談すること。


 数冊を確認したが、どれも言っていることは似たり寄ったりだった。ということは、その方法が王道ということだろう。


 ――やっぱり警察か……。


 スマホをとりだし、風璃に送ってもらったURLを開く。


 何枚もの画像が表示された。ネトストがYouTubeやインスタに書きこんだコメントのスクリーンショットだ。


『髪がきれいだね』『食べるときのくちびるがエロい』『仮面をとって顔を見せてよ』


 などなど、もれなく気持ち悪い。対象が妹となればなおさらだ。


 しかし客観的に見てこれらはセクハラではあると思うが、ストーカー犯罪に該当するかと言われると微妙なところだ。


 インスタのほうでは風璃が赴いた飲食店の写真をあげていて、


『偶然会えるかも』


 などとコメントをつけているから、これがつきまといと認定される可能性はある。


 ――おっと。


 そろそろ二限目が始まる時刻だ。俺は図書館を出て教室へ向かった。





 教室に入ってきた八紘が俺の顔を見てびくりと立ち止まった。おどおどとした様子で、こちらに近づこうか近づくまいか迷っている様子だ。


「なにやってるんだ? 来いよ」


 声をかけるとようやく俺の隣に座った。


「今日はいつにも増して険しいね」


 ネトスト対策に考えを巡らせていたから、そういう顔になってしまっていたかもしれない。


「なにかあったの?」

「あ~……。――いや」


 ふと、さきほど読んだ本の文章が思い浮かぶ。


『信頼できる人に相談すること』


 しかしこれは俺の家族の問題だ。友人とはいえ、外側の人間に打ち明けるのはためらわれた。


「そう」


 八紘はとくに気にした様子もなく、テキストとノートの準備をする。


 もやっとした。自分で選んだ行動なのに、なんだか釈然としない。


 風璃は高校生になって世界を広げた。友人と困難を分かちあい、兄である俺に頼った。


 俺はどうだ? 風璃に比べて視野がせまくなっていないか。社会に背を向けていないか。こんな状態で風璃に兄だと胸を張って言えるだろうか。


『誰かを信頼できるかを知るのにもっともよい方法は、彼らを信頼してみることだ』と言ったのは誰だったっけ。


「八紘」

「うん?」

「妹がネットストーカーに悩まされてる」


 八紘は虚をつかれたような顔をしたあと、真剣な表情になって言う。


「いつから?」

「ひと月前くらいだと思う」

「Twitter?」

「YouTubeとインスタ」

「犯人のアカウントは?」

「いや、もうコメントは消えてる。でもスクショがある」

「上等。見せてもらえる?」


 八紘は髪をかきあげ、俺のスマホを凝視した。


 ――ええ? なに? なんか……、かっこいい……。


 おどおどとした態度はすっかり消え失せていた。きりっとした表情は、なんならハンサムの部類である。


「これクラウド? URLを送ってもらえる?」

「は、はい」


 なぜか俺は敬語になった。


 八紘は送られたURLを確認し、口角をあげた。


「オーケー。あとは僕に任せて」


 ――かあああっこいいいい……!


 俺はちょっときゅんとしてしまった。


 彼はリュックからタブレットPCをとりだして席を立つ。


「あ、おい、出席……」

「こんなこともあろうかと」


 と、一枚の紙片を机に滑らせるように差しだす。


 それは記入済みの出席票だった。


「日付だけ入れて提出しておいてもらえるかな?」


 と、不敵に微笑む。


「お、おう」


 いまのはあんまりかっこよくなかった。


 しかし、IT関係に強そうな八紘が協力してくれるのは心強い。相談してよかった。


 ――よし。


 残された俺にできるのは――。


 ――ノートをとることだけだぜ!


「……」


 俺が一番かっこ悪かった。

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