第12話 しょげないで風璃さん2
「おかえりっ」
「た、ただいま」
風璃の元気な声に不意打ちを食らい、俺は少しどもってしまった。
「どうしたの? 変な顔して」
「いや……」
今朝よりもさらに明るい様子だ。
風璃は俺が持った白い箱に目をやった。
「あ、ケーキ! 『森元』のやつだよね? フルーツタルトは買ってきてくれた?」
「ああ」
「やった! もう九時すぎたけど、ケーキ一個くらいなら大丈夫だよね。あ、奏くんはまずご飯を食べないと。お味噌汁温めるね」
「あの……」
「鞄置いて、手洗ってきて。わたしが用意しておくからさ。あ、お風呂はもう沸かしなおしてあるから」
「風璃」
「今日はバイトどうだった? 忙しかった? わたしはね、学校で――」
「風璃」
俺が語勢を少しだけ強めると、風璃はようやく話すのをやめてくれた。
「大丈夫か?」
「なにが?」
「昨日、落ちこんでたみたいだから」
「そんなことないけど」
そう言って微笑んだ。
その笑顔がなんだか痛々しくて、俺はもう見てられなかった。
「変な奴につきまとわれてるんだろ?」
「みゃおに聞いたの? ――そう、困っちゃうよね」
と、味噌汁の入った鍋に火をかける。
「YouTubeだけじゃなくてさ、わたしのインスタのほうにも」
「インスタにも? ――というか風璃インスタやってたのか!? い、いつから?」
「いまそれよくない?」
風璃は呆れたように言う。
「みゃおと話すようになってからだから、ひと月くらい?」
「完全にオシャレ上級者じゃん……」
「誰でもやってるって」
「そのコメントも上級者のやつだ」
「そんなんじゃないって」
うちの妹がインスタグラマーだったなんて知らなかった。言ってはなんだが、風璃はああいうのを敬遠するほうだとばかり思っていた。YouTube動画への出演といい、意外と好奇心が強いのかもしれない。
「で、風璃のインスタにもネトストが?」
「多分、同じひと。動画で作った料理もあげてたから、それで特定されたのかも」
「そうか……。まあ、シカトしてたらそのうち飽きてやめるだろうし、それまでの辛抱だ」
「うん。――でも、もうやめるつもりだから」
「え?」
思いも寄らない告白に俺は間抜けな声をあげた。
「やめる……? なんで?」
「なんとなく始めただけだし、そんなに未練はないっていうか。さっきみゃおにも連絡した」
風璃は鍋の味噌汁をお玉でぐるぐるかき混ぜる。
「それでいいのか?」
「うん。これからは早く帰って、奏くんのご飯ももうちょっと凝ったものを作るよ。嬉しいでしょ?」
と、俺に微笑みかける。
嬉しい、はずだ。変な奴につきまとわれる原因はなくなり、風璃との時間は増え、おいしいご飯が食べられる。少しも欠けるところなく完璧に幸せだ。
なのに、もやもやする。さきほどから見せる風璃の笑顔が、俺には悲しんでいる表情にしか見えない。
「やめるな」
俺はその言葉をほとんど衝動的に口にしていた。
「え?」
「やめるなっ」
風璃は眉をひそめる。
「なにそれ。わたし、もう決めたんだけど」
「本心か?」
「本心だよ」
「嘘つけ」
俺は断言した。
「未練のないやつが泣くかよ」
「……泣いてないし」
風璃は鍋をじっと見おろし、
「もういいでしょ。決めたんだから」
と、押し黙った。これ以上の対話は不要。そういう意志の表れに見えた。
しかし、俺はその場を離れなかった。
「風璃。無視してくれても構わないから聞いてくれ。――俺も正直、全部やめてしまうのが一番安全だと思う。俺も安心できるし」
「……」
「お前も同じ風に考えたんじゃないか? 心配をかけたくないって」
風璃は顔をそむけた。
「だとしたら余計なお世話だ。俺はいつも風璃のことを心配してる。それがいまさら少し増えたところで変わりねえよ」
「……」
「でもな――風璃を泣かせる奴を、俺が許すと思うか?」
「泣いてないって」
「泣いてた。いまも泣いてるだろ」
「どこが……」
風璃は言いかけたが、言葉をつまらせた。
「俺を頼れ、風璃。俺は、お前のなんだ?」
ぼそ、とつぶやくように言う。
「大事なひと」
「そうだ。そして風璃も俺にとって大事なひとだ。助けたい。助けさせろ」
「……」
風璃はガスコンロの火を止めた。そしてこちらを向く。
「頭にくる」
「うん」
「悔しい」
「うん」
「やめたくない」
「うん」
そして吐きだすように言った。
「助けて……」
つっと涙が頬を伝う。俺はそれを親指で拭いてやり、頭を撫でた。
「頼ってくれてありがとうな」
鼻をぐすぐすといわせる風璃。大人っぽい彼女も泣くと年相応に見える。
ネットで嫌がらせをされるなんて、いまどきよくある些細なことかもしれない。俺だって、シカトしておけばそのうち収まるだろうと安易に考えていた。
でも、想像以上に風璃は傷ついていて。
ひとはそんな彼女を弱いと言うだろうか?
俺は違うと思う。どんな小さな理由でも、それがとても大きな絶望になりうる。花が枯れても、ひとに冷たくされても、好きなアーティストのライブが中止になっても、SNSをやめることになっても、泣きたくなるほどに。大事なものの大きさはひとそれぞれだから。
風璃は優しすぎて、俺や美弥緒さんに心配をかけまいと自分を殺した。笑顔で隠そうとした。それは強くなければできないことだ。
その強さはとても尊いものだと思う。しかし俺はそれを望まない。
『家族』はそういうものじゃない。
「よし、じゃあケーキを食べようか。決起集会だ」
風璃はごしごしと目をこすったあと、はにかむように笑い――真顔になった。
「まずは手を洗って夕飯食べてからって言ってるでしょ。話聞いてた?」
「そこは有効だったの!?」
「ケーキ食べたらご飯が入らなくなるでしょ」
「母さんかよ……」
風璃は「ふふっ」と笑い、ガスコンロを再び点火した。
未成年のSNS利用を『犯罪の温床になるから』とやめさせようとする大人は多い。たしかにそういう側面があることは否定できない。しかしあくまで未成年者を食い物にする犯罪者が断罪されるべきであって、被害者側が行動を制限されるなんて本末転倒もはなはだしい。
デメリットばかりに目を向けて、臭いものには蓋をの精神で抑圧を推し進めれば、割を食うのは善良な人びとだ。そんな罪もない人びとが苦しむ必要なんてないはずだ。
まあ、それも後付けの理由だ。本当は、風璃が悲しむ姿は見たくない、それだけ。
風璃が温めなおしてくれた夕飯を食べながら、俺は今後の方策を練った。
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