第11話 しょげないで風璃さん1
大型スーパー『ディオン』の食品売り場。そこが俺のバイト先だ。主に菓子、飲料、即席麺などの補充やメンテナンスを担当している。社員の手が回らないときは簡単な発注なども任されることもある。
親からの仕送りはもらっているが、頼りきりになるのは申し訳ないと思い、始めたバイトだ。しかし大学の課題もあるし風璃との時間も大切にしたいため、週三日ほどの出勤にとどめている。
今日は大学から直接出勤した。重い飲料の品出しを終えて、やれやれと休憩室でヨーグルト飲料を買ってパイプイスに座った。
スマホをWi-FiにつないでYouTubeのアプリを立ちあげる。再生するのはもちろん『ネネコズキッチン』の最新動画だ。
最新動画では鶏肉とパプリカの蒸し煮が紹介されていた。パプリカに含まれるビタミンB6はタンパク質から筋肉を作る際に使われる補酵素で、鶏肉と一緒にとるといいらしい。あいかわらず参考になる。
ネネコ――美弥緒さんがうちに遊びに来てから二週間ほどがたっていた。その後も風璃と仲よくしてくれているようで、週に二回ほどのペースで動画が投稿されていた。風璃はあいかわらず『寡黙なベネチアンマスク女』のままだが。
しかし――。
――おかしいな。
俺は首を傾げた。
今日は風璃が登場しない。調理過程はもちろんのこと、最後の試食場面でも美弥緒さんひとりだ。
予定が合わなかったのだろうか。でも風璃は部活に入っていないし……。
「おっと」
そろそろ休憩時間が終わる。
――まあ、帰ってから聞けばいいか。
俺は売り場にもどった。
バイトを終えて家に帰ると、風璃がソファでぐったりと横になっていた。
「風璃!?」
俺は鞄を放りだして駆け寄った。
「おい、どうした風璃! 具合でも悪いのか?」
「ん~……」
もぞりと動いて、顔をクッションに
「放っておいて……」
「な……!」
俺はへなへなと崩れ落ちて尻餅をついた。
「か、風璃が……グレた……」
「打たれ弱すぎ。マンボウなの」
「だって、近寄るなって」
「そんなこと言ってないでしょ、もう……」
深いため息をつく。
「ちょっといまいっぱいいっぱいだから」
「いっぱいいっぱい?」
動画のことを思い出す。
「そういえば動画に出てなかったけど、それと関係あるのか?」
「……見たの?」
「見た。というか見てる。チャンネル登録もしてるし」
「ブロックしなきゃ」
「やめてくれ、どうして俺の楽しみを奪うんだ!」
「そんな悲痛な声をあげないでよ……。冗談だって。それにもう――」
なにか言いかけて、風璃は言葉を飲みこんでしまった。
「もう、なんだよ?」
「なんでもない」
「もしかして美弥緒さんと喧嘩したのか?」
「してない」
「でも」
「放っておいてって言ったんだけど」
風璃はのそりと起きあがり、自分の部屋に引っこんでしまった。
俺は声をかけるのをためらってしまった。なぜなら俺の前を通りすぎるときちらりと見えた横顔が――泣いていたように見えたからだ。
◇
翌朝、学校に行くときの風璃は、昨夜とは打って変わってすっきりとした表情をしていて、それが余計に気になった。
俺はといえば、大学ではずっと上の空だったし、バイトにもまったく身が入らない。
お菓子をすべて裏返しで品出ししたり、インスタントラーメンの包装を破いてしまったり、あげくの果てにはペットボトルのお茶を千ケース発注しそうになったり、とにかく散々だった。
「はあ……」
俺は深いため息をついた。
場所をまちがえて品出ししてしまった商品を箱に詰めなおしていると、横合いから声がかかった。
「ちょっと聞いてもいいですか~?」
「はい、いらっしゃませ!」
せめて接客でとりもどそうと元気よく応対する。
「って、あれ? 美弥緒さんだ」
「どうも~」
と、小さく手を振る。美弥緒さんは薄手のニットにロングスカートといった出で立ちで、うちに遊びにきたときよりも大人っぽく見えた。
「お兄さん、ここでバイトしてるんですね」
「うん、うちから近いしね」
美弥緒さんは俺の頭からつま先まで視線を這わせた。
「ネクタイ、似合いますね」
「そ、そうかな……」
「バーの用心棒みたい」
「バーの用心棒」
俺は思わずオウム返しをした。
「そんなに怖いかな……」
「ん~。……えへへ」
笑ってごまかされた。お客さんがあまり声をかけてくれない理由がよくわかった。
「それより風璃ちゃんはどうですか?」
「どう、って……。やっぱりなんかあったの? 喧嘩したとか……?」
「してないです。風璃ちゃん、あまり喧嘩するタイプじゃないですし。ピリピリした雰囲気になっても言いあいになる前にすっとその場から離れる感じじゃないですか」
「たしかに」
あまり『怒り』というパワフルな感情を用いないタイプだ。美弥緒さんは風璃のことをよく理解してくれている。
「もちろんわたしともしてないですよ。ただ、ちょっと……」
「なに?」
「『ネネコズキッチン』のほうでトラブルが」
「トラブル、って……」
「コメントが、少し」
「炎上したとか?」
「いえ、穏当なことしかやってないチャンネルですから、そういうのはないですけど。ネトスト――ネットストーカーっぽい視聴者がいまして。それもわたしじゃなくて風璃ちゃんのほうに粘着してるんですよ」
「誰そいつ。名前は?」
俺は腕をまくった。
「お兄さん、本当に用心棒みたいだからやめてください」
「でもなんで風璃に? ちょい役だし、マスクだってつけてるし」
「マスクしているのが気に入らないみたいです。『君の素顔が見たい』って」
「うわっ……」
背筋がぞわっとした。
「『素顔が見たい』から『見せろ』になって、最近では『暴いてやる』という方向に」
「ブロックできないのか?」
「してるんですけど、いたちごっこですね。アカウントを変えて、しつこく書きこみしてきます」
「それで出演は控えている、と」
美弥緒さんは頷いた。
「警察には?」
「これくらいでは動いてくれないですよ」
「そうか……」
美弥緒さんはポテチの袋を手にとった。
「じゃあ、あまりお邪魔しちゃ悪いので。失礼します~」
「あ、うん。ありがとう。――美弥緒さんは大丈夫?」
「なにがですか~?」
「ネトストに粘着されたりとか」
「ありましたけど、わたしは大丈夫です。そういうつまんないことに時間と労力を使ってて、むしろ
――
綿菓子みたいにふわふわしている美弥緒さん。しかし棒は鋼鉄でできているらしい。
「ではでは~」
美弥緒さんは手を振って去っていった。
風璃はかわいそうだが、出演を控えていればそのうち犯人も飽きるだろう。そうしたら折を見て再開すればいい。
風璃の落ちこんでいた原因がわかったことで俺は仕事に集中することができるようになった。
――帰りにケーキでも買って慰めてやろう。
俺は品出し作業を再開した。
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