第10話 髪は長い友と書く3
「たしか『ネネコズキッチン』だっけ」
スマホで検索するとYouTubeのチャンネルがヒットした。最新の動画を再生してみる。
『皆さんこんにちは、ネネコです。今日はダイエットにぴったりのお料理を作っていきます!』
黒髪ショートでボーイッシュな印象の少女がはきはきしたしゃべりで説明しながら、てきぱきと料理を作っていく。
――手際がいいな。
とても手慣れているし、すごく参考になる。
――でも、この動画がなんだっていうんだろう?
変わったところといえば、ベネチアンマスクをかぶったアシスタントの女性がときおり見切れることくらいで、ごくごくふつうの動画だ。
俺が料理修業中なのを知っていてお勧めしてくれたんだろうか。
動画の終盤、できあがった料理を実食する。味の感想や補足説明をしながら食べるネネコさんに対して、ベネチアンマスクのひとは黙々と食べ、相づちを打つだけ。とてもシュールな光景だ。
『皆さんもぜひ作ってみてくださいね。ではまた次回。バイバイ!』
「検索しちゃいましたね~?」
「ひょお!?」
いきなり耳元で声がして、俺はカンフーの達人みたいな声を出してしまった。
振り向くと、藍原さんが例のにまにまとした顔で立っていた。隣では風璃が渋い表情をしている。
「あ、ああ。でも、これがなに?」
「それ、わたしたちなんです。料理を作ってるのがわたしで~、マスクをしてるのが風璃ちゃん」
「……え?」
動画のサムネイルを凝視する。ゆるふわな藍原さんとさばさば系のネネコさんが同一人物とは思えない。
「またまた」
藍原さんはこほんとせき払いをした。
「皆さんもぜひ作ってみてくださいね。ではまた次回。バイバイ!」
はきはきと滑舌のよいしゃべり。それはまさにネネコさんのそれだった。
「本物だ……」
「髪はウィッグで~、あとはメイクで変装してます」
「へえ」
俺は思わず感嘆の声をあげた。言われてから見比べても同一人物とは思えない。しゃべり方や仕草、動作のスピードもまったく違う。
「どっちが本当の藍原さん?」
「さあ、どっちでしょ~?」
口に手を当て「くふふ」と笑う。
「それより『藍原さん』ってやめません? 名前で呼んでくださいよ~」
「美弥緒さん? 下の名前なのに苗字で呼んでるみたいだ」
「よく言われます」
美弥緒さんと笑いあう。
最初ははエキセントリックな印象を受けたが、話してみると理路整然としていて地頭のよい娘だとわかる。
美弥緒さんと楽しく会話をしていると、ふと風璃が黙りこんでいることに気がついた。
「どうした?」
「べつに」
ぶすっとした顔つきでそっぽを向く。
動画を検索したことが不満なのだろうか。
「勝手に検索してすまん。でもいい動画だと思うぞ?」
「べつにそれはどうでもいい」
――……?
ではなにを怒っているのだろう。
風璃の様子を見て美弥緒さんはますますニンマリとする。
「あ、お兄さん、運動してるんですか~?」
壁際に立てかけているヨガマットを指さす美弥緒さん。
「うん、軽くだけど」
「実はわたしも運動してるんですよ~」
と、腕をまくって力こぶを作ってみせる。
「ほら、けっこう硬いんですよ。触ってみてください」
指で押してみる。あまり隆起はしていないが、たしかに硬い。
「ね? お兄さんのも見せてくださいよ~」
「あ、うん」
俺はニットの腕をまくって腕を曲げた。美弥緒さんはぱちぱちと拍手をする。
「すご~い!」
俺の力こぶをぺたぺたと触ってくる。
「なんかちょっとおいしそうかも~」
「つぎの動画の材料に使う?」
「捕まっちゃいますよう」
また笑いが起こった。楽しい娘だ。風璃も美弥緒さんのこういうところを気に入ってるんだろう。
しかし当の風璃は、さきほどよりもさらに機嫌が悪そうにぷうっと頬をふくらませてむくれていた。
「じょ、冗談だって。ふたりの動画の邪魔なんてしないよ」
「当たり前でしょっ」
ぷいっと顔をそむける。
俺は困惑した。なにが勘に障っているのかさっぱりわからない。
不機嫌な風璃と、なぜかご満悦な表情を浮かべる美弥緒さん。
――なんだこの状況……。
美弥緒さんは楽しそうだし、おもてなしは成功していると思うんだが、風璃はなにが気に食わないのだろう。
「あ、そういえば~」
美弥緒さんは俺の顔を覗きこむようにした。
「お兄さんって~、彼女いるんですか~?」
風璃がぴくっと震えた。あらぬ方向に目を向けたまま黙りこんでいる。俺の解答を、耳を大きくして待っているようにも見えた。
「いや、いないけど……」
「え~? 意外~」
美弥緒さんは目を丸くした。風璃はその後ろで「ふう……」とため息をついた。
――なんのため息……?
『いい歳して彼女のひとりもいないのか』という呆れか。
「じゃあ、どんな娘が好みですか~?」
二十歳になるまで恋愛とは無縁だった俺はもう選り好みしている場合ではない。しいて言うなら俺のことが好きなひとが好きだ。
「とくにないけど」
でもそれを正直に話すとドン引きされそうな気がするので、あたかも『女性経験が豊富でいろんなタイプと付きあってきた風』を装った。しかし、自分を守るための発言なのに自分でダメージを食らってしまうのはなぜだろう。
「え~? でもなんかあるでしょう? たとえば――かわいい系ときれい系、どっちが好きですか?」
「みんな違ってみんないいと思うぞ」
「そういうのいいんで答えてください」
――相田○つをが一蹴された……。
「ま、まあ、しいていうならきれい系、かな……」
「じゃあつぎ」
「つづくの!?」
「お兄さんを丸裸にしますよ~」
美弥緒さんは指をわきわきさせる。助けを求めるような気持ちで風璃に目を向けるも、彼女はスマホをいじっていて、止めようとしないどころかこちらを見もしない。
「スタイルは~、豊満ORスレンダー?」
と、腕を組むと、美弥緒さんの豊かな胸が持ちあがった。かなり立派なものをお持ちのようだ。
俺も男子だ。決して嫌いではない。というか、うん、好き。大好き。
しかし――。
「スレンダー、かな」
自分でもよくわからないが、昔からスレンダーな女性に惹かれることが多い。ほっそりした肩や脚、抱きしめたら折れてしまいそうな背中に
「じゃあ、髪はショートORロング?」
「ロングかな。ロングヘアそのものも好きだし、いろんなアレンジができるのもいい。お団子とかポニーテールとか」
「なるほど~。ではつぎで最後。――積極的OR奥手では?」
いままでの質問はすべて見た目だったのに対し、最後の質問は内面の問題となった。
――これは、難しいな……。
俺はしばし考えた、ようやく答えを出す。
「奥手、だな」
「どうしてですか?」
「一緒にいて安らげるひとがいい。あまり積極的だと気圧されると思う」
「ふ~ん」
美弥緒さんはこくこくと頷く。
「答えを総合すると――わたしには脈がないみたいですね~」
「え、いや、あの、そういうつもりでは……! 美弥緒さんはすごく魅力的だと思うぞ?」
「ありがとうございます。でもわたし、年上は守備範囲外なので。ごめんなさい」
美弥緒さんは頭を下げた。
「ええ……?」
――なんで俺、告ってもないのに振られてるんだ……?
ちょっと泣きそうだ。
「切りもいいし、そろそろお
俺の気持ちなど素知らぬふりで美弥緒さんは言った。帰り際、例のにまにま顔で風璃を見て、肩をぽんと叩いた。
「そういうわけだから。頑張ってね」
これまでの会話のなかに風璃を励まさねばならない要素などなかったように思う。しかし風璃はなにか察したような顔をしたあと、頬をかあっと赤くしてかすかに頷いた。
「お邪魔しました~」
玄関のドアが閉まる。そのとたん家のなかがシーンと静まりかえったような気がした。
「面白い娘だな」
当たりは柔らかいのに妙に押しが強い。意志が強そうなのに控えめな風璃とは、本当に真逆の個性を持った娘だった。
「うん」
俺から目をそらしたまま頷く風璃。
「ご、ごめんな?」
「なにが?」
「いや、わからんけど。なんかごめん」
「変なの」
ぷっと小さく吹きだす。
さっきまで不機嫌だったのに、いまはとても穏やかな表情をしていた。
――わからん……。
美弥緒さんも楽しそうだったし、結果的におもてなしは成功だった――のか?
◇
「ただいま」
翌日のこと。美容室に出かけた風璃が帰ってきた。
「あれ?」
俺は風璃の髪をしげしげと見る。
「ショートにするって言ってなかったっけ?」
前髪は少しすっきりした印象だが、全体的なフォルムに変化はほとんどなかった。
「うん、毛先を揃えてもらっただけ。――どう?」
と、首を振ると、髪がまるでシルクの布みたいに広がった。
「ああ、きれいだと思うよ」
「ふふっ。この髪フェチ」
「ええ?」
――なんで急に罵られたんだ……?
『俺はフェチじゃない。シスコンだ!』
と反論してやろうと思ったが、風璃の機嫌が妙にいいので水を差すのも悪いと思い、黙っておいた。
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