第8話 髪は長い友と書く1

 午後九時すぎ、俺はバイトから帰宅した。


「ただいま」

「おかえり」


 風璃はソファでスマホを凝視し、髪をいじっている。


 ガス台に置いてある鍋の蓋を開ける。タマネギの味噌汁が入っていた。風璃が作っておいてくれたものだ。


「おお……」


 ――家に帰ったら妹がご飯を作って待っててくれるって最高じゃない……?


 幸福感に満たされる。


「なに? 変な声出して」

「味噌汁を見ただけで体力が回復した」

「食べたほうが回復すると思うよ」


 俺は味噌汁を温めなおし、ジャーで保温してあった白米を茶碗によそう。スーパーで買ってきたレバニラとともに食卓に並べれば立派な夕食の完成だ。


「いただきます」


 と手をあわせ、味噌汁から手をつける。


 風璃の味噌汁は味がしっかりしている。味噌は濃いめ、ダシもきいている。しかし疲れた身体にはそれが嬉しい。


「世界一うまいわ」

「荷が重い」


 風璃は顔を左右に振ったりしている。スマホで自分を映しているらしい。


「なにやってるんだ?」

「髪、切ろうと思って」

「ああ、明日は休みだしな」

「ショートにしようかな」

「ふ、ふうん……」


 俺は少しどもってしまった。


 そうなってしまったのは、きれいな髪なのにもったいないな、と思ったのもひとつの要因であるが、髪をばっさり切ってしまおうと考えるに至った経緯が気になったためだった。乏しい俺の人生経験では『思いきって髪を切る』という行為は『失恋』とイコールで結ばれている。


「あの……、き、気を落とすなよ?」

「はあ?」

「いや、ショートにするんだろ?」

「……ああ」


 風璃は呆れたような声を出した。


「失恋とかじゃないから」

「な、なんだ、よかった……」

「始まってもないのに失うわけないでしょ」

「す、すまん……」


 風璃の言い草はなぜか非難めいていて、俺はつい謝ってしまった。


「始まってもないのに失うわけないでしょ」

「なんで二回言うの?」

「ふん」


 と、不機嫌そうに鼻を鳴らす。


 ――なんなの……。


 触らぬ神に祟りなしと思い、食事を再開する。


 ふとキッチンの作業台に置いてある水切りかごに目をやる。そこには食器が並んでいなかった。


「ちゃんと飯食ったか?」

「食べたけど。なんで?」

「食器を使ってないみたいだったから」

「……外で食べたから」

「風璃、そういうの大丈夫なタイプなんだな」

「? どういう意味?」

「え、いや、だって、ひとりで外食したんだろ? そういうの苦手なひともいるじゃん」

「なんでぼっち前提なの!?」

「ええ? 違うの?」

「その意外そうな聞き方やめて。傷つく……」


 そのとき風璃のスマホがLINEの着信音を鳴らした。


「母さんからか?」

「違う」

「父さん?」

「違う」

「え、じゃあ誰?」

「なんで『友だち』って発想が出てこないの!?」

「友だち……? 友だちなのか!?」

「だからそうだって」

「まじか」


 こちらの高校に進学してから一ヶ月ほどのあいだ友だちに関する情報がまったくあがってこなかったため、風璃は『お一人様』なのだとばかり思いこんでいた。


「じゃああれだな、明日は赤飯を炊かないと!」

「その風習、聞いたことない」


 風璃はスマホをいじりながら隣の部屋に引っこんだ。


 ――よかった……。


 順調な高校生活を送っているようだ。遠くに行ってしまったようで少し寂しい気もするが、俺は兄として、出しゃばることなく見守ることに徹しよう。


 風璃からの嬉しい知らせでご飯が進み、ぺろっと完食した。


 風呂で汚れと疲れを落とし、布団に横になる。無線のイヤホンを耳に差してだらだらと動画を観ていると、俺の首筋に冷たいものが触れた。


「うあっ!?」


 びくりとして振りかえると風璃が立っていた。俺はイヤホンをはずす。


「さっきから呼んでたんだけど」

「すまん、気づかなかった」


 風璃がスマホの画面を一瞥いちべつする。


「なに見てたの?」

「へ、変なやつじゃないからな? 料理の動画だ」

「へえ」


 風璃が妙に甲高い声を出した。


「そういうの見るんだ」

「参考にしようと思って」

「ふうん」


 こくこくと頷く。


 ――……なんだ?


 俺が料理を勉強するのがそんなに意外なんだろうか。


「それよりなんの用だ?」

「あ、うん……。お願いがあって」


 風璃は視線を逸らし、おずおずとした様子で言う。


「明日、さ。うちに友だちを呼びた――」

「ぜひ呼べ!」


 断る理由などない。新しい友だちと親睦を深めてほしい。


「即答にもほどがあるよ。――でも、ありがとう」


 と、嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあオーケーって返事しておくね」

「で、でもさ、どうおもてなししたらいい? 赤飯でも炊くか?」

「ねえ、それどこの風習なの?」

「明日、俺いないほうがいいよな? 邪魔だよな?」

「そんなことないけど」

「というか臭いもんな、俺。消えるわ」

「なんで急に自虐的に……? ふつうにしてていいから」

「ふつう? ふつうってなんだ?」

「お菓子と飲み物を出すとか、そういうの」

「じゃあケーキだな。でもいまから予約って受けつけてくれるのか?」

「そんな上等なやつじゃなくていいって」

「でもいい加減なものを出したら気を悪くして友情にひびが入るかもしれないじゃないか」

「気にしすぎだから!」


 俺はちょっと考えてから言った。


「わかった。じゃああいだをとってカン○リーマアムを出すわ。カン○リーマアムを嫌いな人間なんてこの世にいるわけないもんな」

「カン○リーマアムへの信頼感高すぎない? おいしいけどさ」

「あ! まず掃除しないと!」


 俺はばたばたと収納からクイック○ワイパーを出した。


「もう、大騒ぎ……」


 風璃は呆れたようにため息をついた。

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